第197回 リスペクトレコード代表 高橋研一氏インタビュー【後半】

インタビュー リレーインタビュー

高橋研一氏

今回の「Musicman’s RELAY」はMUSIC CAMP, Inc.代表 宮田信さんからのご紹介で、リスペクトレコード代表 高橋研一さんのご登場です。尾崎豊の日比谷野音でのライブに衝撃受けた高橋さんは、未経験で音楽業界へ飛び込み、アナーキーのロードマネージャーを皮切りに、麻田浩さんの元でSIONのマネージャーなどを務めた後、ソニー・ミュージック・エンターテイメントへ入社。ネーネーズの制作や、真心ブラザーズ、スチャダラパー、杏子、聖飢魔Ⅱなど数多くの所属アーティストの宣伝に携わります。

ソニー退社後の1995年にリスペクトレコードを設立。スラック・キー・ギタリスト山内雄喜やソウル・フラワー・モノノケ・サミット、また沖縄の登川誠仁や琉球交響楽団、そしてヨーロッパのアーティストや純邦楽など、多くの話題作を送り出し、その丁寧な制作姿勢はコアな音楽ファンから支持されてきました。今回は、ご自身のキャリアから音楽制作に対する信念までじっくり伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦 取材日:2022年9月15日)

 

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第197回 リスペクトレコード代表 高橋研一氏インタビュー【前半】

 

リスペクトレコード設立とソウル・フラワー・モノノケ・サミット『アジール・チンドン』の成功

──95年にソニーを辞められますが、なぜ辞めることになったんですか?

高橋:最後の1年ちょっとは、東京営業所にいたんです。とにかく仕事は仕事で一生懸命やっていましたけど、毎月営業所で何百タイトルというアーティストをやっていくことに対して、自分自身やりがいはあったんですけど、終わってみると何も残ってないんです。どんどん自分が消耗していくような感じがして、このままで大丈夫なのかなと思い始めて・・・。

──制作にいたときと面白さは全然違いますしね。

高橋:それと麻田さんのところにいたということも大きくて、このままソニーにいるよりは、1回自分でやってみたほうがいいのかな?と。35歳になって1回リセットするというか。

──会社員として一生いられる雰囲気はなかったということですよね。

高橋:仮にソニーにいたとしたらとっくに定年になっていますし、やっぱり大きいところって大きいところなりの難しさもありますしね。毎月ノルマを与えられて、もちろん営業成績はきちっと出してはいましたけど、このままいくと、どんどん流れていくだけになっていくのかなという思いが大きくなって、それで95年の8月に辞めたんです。

──そして、ソニーを辞められて2か月後にはリスペクトレコードをスタートしていますね。

高橋:そうですね。とはいえ当時はどうやって会社を作るのかもわかりませんでした。その頃、土井くんという友だちが自分でレーベルをやっていたので、彼に相談して「会社っていうのはどうやって作ったらいいんだ」というところから始まり、司法書士さんや税理士さんを紹介してもらい、最初はお金がなかったので、土井くんの会社の片隅に机をひとつ借りて始めたんです。

──ちなみにリスペクトレコードという社名の由来は何だったんですか?

高橋:僕はレゲエが好きでジャマイカに行ったときに、ジャマイカの人のお互いのこぶしをくっ付けて、「リスペクト!」という挨拶がとてもいいなと思っていたんです。だからロゴも全部そういう感じなんです。

──レゲエもお好きだったんですね。

高橋:90年代はタキオンさんの「レゲエ・サンスプラッシュ」がすごく盛んで、毎年夏は行っていたんです。パワーもありましたし、あのときはレゲエからラガマフィンに変わる時期でもあり、いろいろな形態のジャマイカミュージックがありましたからね。もちろんスカもあったし、本当に楽しかったですよ。

──リスペクトレコードを始めた段階で、第1弾アーティストやリリースの予定は決まっていたんですか?

高橋:いえ、「誰をやりたい」とか「このアーティストが一緒にいるから辞めた」というわけではなかったので、全く決まっていませんでした。

──リスペクトレコード初リリースの『A REGGAE TRIBUTE TO THE BEATLES』はどういったものなんですか?

高橋:これはもうイギリスから輸入して、帯と解説をつけて発売した、いわゆる輸入盤の国内盤仕様です。そのときは有限会社として資本金の300万しか手元になかったものですから。とにかく輸入盤からスタートしました。

──スタート当時は高橋さん1人ですか?

高橋:そうです。先ほど言った土井くんの事務所を間借りしていたので、僕にかかってくる電話なんかは、土井くんの事務所の女性スタッフが受けてくれていました。ただ、輸入したCDが段ボールで届いて、そのCDに帯をつけて解説を差し込んで、シュリンクしてという作業は全部自分でやっていました。

それでリスペクトレコードを作って、しばらくしたらソウル・フラワー・ユニオンの中川(敬)くんから電話がかかってきたんですよ。ちょうど阪神淡路大震災があったあとで、ソウル・フラワーはモノノケ・サミットというチンドンのスタイルで、電気を使わないで被災地で演奏する活動をしていて、そのチンドンのスタイルで添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の演歌とか、当時の労働歌、『インターナショナル』とか『カチューシャの唄』とかを被災地で歌っていたんです。

それをアルバムにしたいということで、最初はソニーで企画したんですが、その中に入っている『復興節』の歌詞が問題になり、ソニーでは出せないと言われてしまって。で、ソニーから「どこで出してもいい」と言われたので、中川くんは僕のことをガンちゃんと呼ぶんですが「ガンちゃん一緒にやらへんか?」と。それで「アジール・チンドン」というアルバムを制作したら、当時はまだCDが売れていましたので、割とすぐに1万枚を越えたんです。

──すごく話題になりましたよね。

高橋:「これ、結構メディアも取り上げているし、まだまだ売れるなあ」と思ったら2万枚いって、「うわ、すごいなあ」と。でも中川くんたちはCDの売り上げを全部寄付していましたし、僕も「最低限のお金だけもらえればいいから」と全部中川くんに渡していました。

あと僕はハワイのスラック・キー・ギターというギター奏法も好きだったので、山内雄喜さんという日本のスラック・キー・ギタリストの方とも出会って、彼のアルバムも独立して2か月後に出させてもらいました。そうしたらヴァージン新宿で300枚ぐらいとってくれたり、雑誌『SWITCH』編集長の新井(敏記)さんから「高橋くん、相談したいことがある」っていうので、石垣島に安里勇(あさといさむ)さんという海人(うみんちゅう)がいて、とてもいい八重山民謡を歌うから一緒にアルバムを作らないかと相談されて。そのCDも新井さんのラインで星野道夫さんや池澤夏樹さん、藤原新也さんという、そうそうたる方がライナーを書いてくれて、これも非常に話題になりました。

また、僕が昔聴いていたディスコメドレーで『スターズ・オン45』というのがあるんです。それがたまたま輸入盤で出ていたのを知って、日本で出ていないんだったら輸入してみようかなと輸入してみたら、僕もびっくりしたんですけど8,000枚ぐらいオーダーが来て、それだけで金額ベースで言うと1000万円近い売り上げになりました。

──それは大きいですね。

高橋:やりたいことができるお金ができたのは良かったです。モノノケ・サミットは中川君が作った音源ですし、安里勇さんも『SWITCH』の新井さんがお金を出した原盤でしたから。それで山内さんと一緒にハワイへ行って、山内さんのアルバムをハワイで録音したり、今度はハワイの地元ミュージシャンのアルバムを作りたいなということで制作し、青山のレストラン・バー・カイで山内さんやハワイからもアーティストを呼んでコンサートをしたり、そういったことができました。

──リリースが矢継ぎ早ですから、仕事量はすごかったんじゃないですか?

高橋:あのときはできましたね。今でも覚えていますが、モノノケ・サミットのインストアは池袋のヴァージン・メガストアーで始まり、それから渋谷のタワーレコード、最後は吉祥寺のディスクユニオンと1日で3件を中川君たちとやりましたからね。でも、そうするとタワーレコード渋谷店だけで350枚売れて、サイン会は長蛇の列に。で、池袋のヴァージンで200枚、吉祥寺のディスクユニオンでも200枚近く売りましたから、1日で750枚とか800枚売れたんですよ。

── 一日でそれはすごいですね。

高橋:そして、そのお金は被災地に行くわけで「だったらみんなで買って応援しよう」という想いに溢れていましたね。さすがに疲れはしましたけど、充実感はありました。

──でも、リスペクトレコードはすごいスタートダッシュだったんですね。

高橋:そうですね。だからそういう意味では恵まれたと思います。それで人づてに知り合ったハシケンとアルバムを作ったり、あとソウル・フラワーの中川くんが沖縄の登川誠仁さんと、当時NTTコミュニケーションズのCMで一緒になって、中川さんが登川誠仁さんに「一緒にアルバム作りましょう」と言ったら作ることになり、中川くんから僕のところに電話かかってきて「登川誠仁のアルバム制作を一緒にやらへんか?」と。ただ、今では笑い話ですけど、ソウル・フラワー・ユニオンのメンバー、僕も含めて全員で沖縄へ行ったら、登川さんが酒を飲みすぎて入院して・・・(笑)。

──(笑)。

高橋:中川くんは「しゃあない。高橋くん毎日飲もう」みたいな(笑)。もう何十万というお金が飛びましたけど、最終的にはアルバム『SPIRITUAL UNITY』ができました。ちょうど同じ頃に映画『ナビィの恋』に登川さんが出演したので、メディアミックスですごく話題になり、いわゆる純粋な沖縄民謡のアルバムでオリコンチャートに入ったことはほとんどなかったんですが『SPIRITUAL UNITY』はチャートインしました。結局、登川さんとはそのあと6枚アルバムを制作しました。すべて中川くんのおかげですね。あとネーネーズのプロデューサーの知名定男さんとも面識があったので、知名さんのアルバムも作らせていただきました。

 

キチっとしたものを出して、作品を残していきたい

──確かにリスペクトレコードは沖縄に関する作品が多いですよね。

高橋:沖縄とは本当に縁がありますね。ひょんなことから琉球交響楽団で、ホルンを吹いていた上原正弘さんという方と知り合って、僕は「沖縄の『てぃんさぐぬ花』とか沖縄民謡はとてもメロディラインがきれいな曲が多いので、これをオーケストラでやるのが夢なんです」と言ったら、上原さんから「会わせたい人がいる」というので、当時の琉球交響楽団代表でN響の首席トランぺッターだった祖堅方正(そけんほうせい)先生にお会いした所、「ぜひ琉響のアルバムを作ってくれないか」とお願いされたんです。僕はオーケストラのアルバムを作ったことがなかったですし、オーケストラのアルバムって一体いくらかかるのかわからないまま、祖堅さんの熱意にほだされて「わかりました」と返事をしてしまって(笑)。

──引き受けてしまったんですね(笑)。

高橋:そうしたら当時はまだコンピューターで譜面を作るということができなくて、オーケストラのスコア譜を写譜屋さんに出したら、もうえらい金額で、また編曲をしていただくお金もポップスの「ちょっとやってよ」レベルではないですから「これは大変なことになった。お金が何百万も必要だ」というので、三菱UFJ銀行さんから300万の融資を受けて、それを元に琉球交響楽団のアルバムを作りました。

まだCDが売れている時代でしたし、メディアも結構取り上げてくれて、地方のオーケストラのCDは、1000枚売れれば御の字と言われていた時代に、その何倍も売れました。それでも制作費はそれなりにかかったので、利益がたくさん出たかというとそういうことはないんですが、素晴らしい作品ができたと思います。

──現在、琉球交響楽団の音楽監督は大友直人さんですよね。以前、このリレーインタビューにご出演頂きました。

高橋:そうですね。沖縄って四季がないと言われながらも、やっぱり四季があるんです。四季によって風が変わったりとか、四季それぞれに色々な行事もあるんですが、大友さんにビバルディの『四季』じゃないですが、沖縄の四季の交響組曲ができたらいいなというアイデアをお伝えしたら「すごく面白い」と反応してくださって『沖縄交響歳時記』というCDになりました。

おかげさまで『沖縄交響歳時記』は、エイベックス・クラシックスさんのご協力もあり、サントリーホールでの公演ができたんですね。正直に言うと、あまり知名度のない地方のオーケストラがサントリーホールで公演までできて、しかも満員になったという事実を見たときに「やってよかったな」と思いましたし、それが自分でレーベルをやっている意味だと思っています。

今はCDの売り上げが本当に厳しいですが、ここ数年はその流れに逆らうようにCDのブックレットをできるだけ充実させようと考えていて、8月に出したフランスのクレール・エルジエールのアルバムも56ページのブックレットを付けたんです。

──そんなに分厚いんですか。

高橋:そのブックレットは、フランス語の歌詞と対訳が横並びになっているんです。なぜかというとフランス語を勉強している方にとって、歌詞は歌詞、対訳は対訳とページがバラけているのは良くないのです。それは僕も同じで、ボブ・ディランのレコードを聴くときに英語の隣に対訳が載っているからこそ「なるほど、こういう意味なんだ」とわかったんですよね。ただ、そういうレイアウトにするとページ数を食ってしまうんですが、そうしていかないとブックレットの価値がないですし「じゃあ配信でいいや」となってしまうので。

ちなみに10月にリリースした、キャシー・クラレというフランス出身の歌手のリスペクトレコード2枚目のアルバムも、48ページのブックレットをつけて、スペイン語と対訳を横並びに掲載しています。そのスペイン語の対訳をやってくれた松倉さんという方を、宮田さんから紹介してもらったんです。

──そこまで充実していると、CDを手に入れたくなりますね。

高橋:そう願っています。また、スペインから届いたマスターでボーカルのレベルが低い曲と、もっと低音が出ていればいいのに、と思う曲が2曲あったので、それは僕がお願いしてミックスをやり直してもらいました。それとマスタリングはずっと田中三一さんにお世話になっているんですが、8月に出したクレール・エルジエールのアルバムに関しては、向こうから届いたマスターを田中さんが聴かれて「高橋さん、これは1回フランスサイドと話したほうがいいんじゃないですか?」って言われました。

──妥協することなくそういう細かいことをなさっているんですね。

高橋:もちろん洋楽の場合は向こうで作ってもらうので、100パーセントのコントロールはできませんけど、それでもできるだけ満足がいくものにしようと努力しています。

──ただ、対訳やブックレットの印刷代など制作費はより多くかかりますよね。

高橋:かかります。ライナーも複数の方に書いていただいて、対訳もしていただいて。あと3、4年前から、プロの校正者を入れるようにしています。特に沖縄の音楽は国立国会図書館で買っていただいたりもするので、事実関係の細かいミスがないように、プロの方に校正をお願いしています。

──本当に丁寧なお仕事ですね。

高橋:やはりキチっとしたものを出して、作品を残していきたいんですよね。田中さんがよくおっしゃるのは「どこで誰が聴いているかわからないから、本当にキチっとしたものを出さないといけないんだ」と。

──リスペクトレコードは純邦楽の作品もリリースされていますね。

高橋:そうですね。うちで出したアルバムで『琴が奏でる おめでたい調べ決定盤』というのがあります。よくできたCDで、毎年正月になると山野楽器さんが拡売してくれるのですが、あるとき「こういうおめでたいCDというのは、お琴が入っていないといけないのかな?」と思ったんです。世の中にあるおめでたいCDというのは、大体お琴が入っていたり『春の海』が入っている。それが定型というか定番になっちゃっていて「お琴が入っていないと本当に成立しないのかな?」と思ったんです。

それで、僕がお世話になっている三味線奏者の上原潤之助さんという方に今年の1月に会って「世の中のおめでたいCDというのは、ほぼお琴が入っているんですが、お琴が入らないと成り立たないものなんですか?」と尋ねたら「そういうことはない」と。「例えば、端唄には『梅にも春』とか『お伊勢参り』とかおめでたい唄がいろいろあるが、お琴が入らなくても成り立っている」と聞いたときに、「だったら上原さん一緒にやりましょうよ」と提案して、8月に録音し12月にリリースするのが『初春〜和楽器が奏でる、おめでたい調べ決定盤〜』というアルバムで、これにはお琴は一切入っていないんです。

──そういう作品を作ってしまったんですね(笑)。

高橋:もう世の中にすでに出ているものを出しても、あまり面白味がないですし、お琴が入らない曲でも、これだけ純邦楽でおめでたい曲があるというのを知ってもらいたかったんです。また、端唄というのは唄が入ってこその端唄なんですが、歌が入るとイメージが固定されてしまうので、じゃあ歌を抜いて三味線、鳴物、笛の3つの楽器で、上原さんが見事にアレンジしてくださったんです。

ただ、純邦楽の作品は最近なかなか売れず、録音の機会がほとんどありませんから、田中さんに今回の録音の相談をしました。田中さんは1960年代、70年代にはソニーで純邦楽の録音もされてきた方ですから。田中さんは、今回の録音に際して秋葉原へ行かれて、床に貼るアンビエントマイクとか自作してくださったんです。というのも、例えば鼓を含めて鳴物は全部鳴り方が違うので、同じようにマイクを立てるんじゃなくて、アンビエントをどのくらい混ぜるか色々試してくださったんですよ。

──そもそも純邦楽を録ることができるエンジニアなんて、若い人にはいないんじゃないですか?

高橋:そうですね。鳴物といってもウグイスの笛から始まって、太鼓もいろいろな太鼓があるんですが、それをどう録るのか僕もわからないですし、若いレコーディングエンジニアの方にはそういう純邦楽のレコーディングのチャンスがあまりないですからね。

──わからないですよね。

高橋:なので、今回のレコーディングスタジオであるサウンドアーツさんへ下見に行った際、田中さんはハウスエンジニアの方と綿密に打ち合わせをされていました。そして、先に述べた様に田中さんは自作のマイクを持ちこまれ、録音レベルの設定から始まり、マイクアレンジを工夫して録音した結果、空気感も含めて非常にいい音のアルバムになりました。

──お話を聞くだけで難しそうですね。

高橋:本当に難しいです。田中さんからも「こんな難しい録音引き受けるんじゃなかったよ」なんて言われて(笑)。

──(笑)。

高橋:正直、この作品が何枚売れるか全くわからないですし、CDショップへ営業に行って「これ『春の海』入ってないの?」って言われたら、いくら『梅は咲いたか』とか『お伊勢参り』とか、そういうのがお正月のおめでたい唄ですと言っても「こんな歌いらない」と言われれば終わりです。ただ、この正月向けのCDは「誰もやっていないことだからこそやる価値がある」と思っていますし、レコーディングに参加いただいた方は普段NHKの純邦楽や民謡の番組で演奏されている、素晴らしい演奏家のみなさんですから、非常にしっかりした内容のアルバムになっていると自負しています。

 

CDというメディアの可能性はまだある

──リスペクトレコードや高橋さんには「音楽の良心」みたいなものが常にあるんだなと感じました。正直に言って、そんなにたくさん売れるレコードではないわけじゃないですか?

高橋:2012年にリリースしたお琴のCDにしても、最初はイニシャル300枚もいかなかったんですが、今はもう数千枚も売れています。それは例えば10年以上毎年、山野楽器さんがお正月になると全店に置いていただいているからです。もちろんたくさんは売れませんが、毎年何枚かは売れますし、仮に1年に100枚しか売れなくても10年経てば1000枚になるんです。

──そうやってリスペクトレコードを続けられてもう27年ですか。

高橋:そうですね。10月を過ぎると28年目になります。ただCDのイニシャルがどんどんつかなくなっていますから、この先は分かりません。

──CDは今後も続くメディアだとお考えですか?

高橋:ソウルノートというオーディオブランドがありまして、そこのCDプレイヤーはあえてアップコンバートしない(通常16ビット、44.1kHzのCDフォーマットをアップコンバートすることにより、音質の改善を試みる)、ノンオーバーサンプリングが特徴で、そのCDプレイヤーでCDを聴いてみると「やっぱりCDっていい音だな」って感じることができるんです。いわゆるハイレゾが出たとき「CDは音が悪い」とおっしゃる人もいましたが「本当にCDというメディアってそんなに音が悪いのかな?」と思っていたんです。そんな中、CDというメディアの可能性を信じて、CDプレイヤーを作っているメーカーがあるのを知り、その心意気はすごいと思いましたし、やっぱりキチっと録音すれば、CDというメディアの可能性ってまだまだあると思うんです。

あと、先ほども言いましたが、ボブ・ディランとかを聴いていた世代なので、やはり歌詞がしっかり載ったブックレットが欲しいですし、ペラペラのブックレットよりはキチっと情報が入っているブックレットをつけて、それでできる限りいい音のCDを出せば、わかる人はわかってくれるんじゃないかな? と期待を持っているんです。

──だからこそCDのクオリティーにこだわられているんですね。

高橋:今、ソニーでCDをプレスしていますが、毎回テストカッティング盤を頂いています。デジタルって音が変わらないという方もいらっしゃいますが、実はプレスする工場の生産ラインでも音が変わりますし、あと「マスタリングではこういう音だったのに、なんで上がって来たCDでは、中低域が薄くなっているんだろう?」とか、テストカッティング盤を聴いて「あれ?」と思って伝えると「じゃあもう1回カッティングやり直してみます」とやり直してくれるんです。そうすると中低域が充実して、これが本来の音なので「こっちでお願いします」と。

──CDでもテストカッティングが存在するんですか。

高橋:はい、存在します。ですから世の中にどういう音質のCDが出るかわからないじゃなくて、事前にテストカッティング盤で聴いていて「あれ?これ中低域薄いよなあ」とか疑問に思うときは、マスタリングの田中さんにも聴いてもらい、「これは確かに中低域が薄いから、もし改善できるんだったら改善したほうがいい」とアドバイスを頂きます。

──そういうことは結構あるんですか?

高橋:頻繁にはないですけど、たまにありますね。もちろん、いい音というのは人それぞれですし、あくまでも僕の感性と田中さんのマスタリングエンジニアとしての感性でできているものですから、それが万人にイコールではないかもしれませんが、僕個人としては納得した音で世の中に作品を出しているつもりです。

──ちなみに今リスペクトレコードに社員の方は何人いらっしゃるんですか?

高橋:社員はいなくて、以前会社のデスクをやってくれた女性が経理的な部分や、店頭に置くコメントカードの細かいイラストレーターを使ったデザインなど、僕が不得手なものをやってもらっています。あと、著作権とかの計算は外部にお願いしているので、著作権の分配資料とかはそこからきたものを僕が著作権者のみなさんにお送りしています。

──高橋さんは1人何役ですか?(笑)プロデューサーであり、ディレクターであり、宣伝マンであり、営業マンであり、プロモーターでもあるということですよね?

高橋:そうですね。でも昔はタワーレコードさんも、とにかく全店回らないと注文がとれませんでしたが、今は本部一括とかになってきたので、そんなに全店に営業する必要はなくなりました。

──でも、それはあくまでも営業の話で、全部含めたらすごい仕事量ですよね。現在、年間何タイトルリリースされているんですか?

高橋:今年は5タイトルです。昔は海外のライセンスもやっていたんですが、今はアドバンスを払ってライセンスしても、アドバンスすらリクープできない事が多いですし、リクープできないまま契約期間が終わったらそれで終わりなので、現在は自社原盤以外はやらないことにしました。

──ちなみにストリーミングには曲を出しているんですか?

高橋:出してはいますが、ストリーミングで入ってくるお金は少ないですし、ストリーミングで沖縄の音楽を聴いても、言葉がわかりませんからね。でも、CDを買っていただくと歌詞カードには当然対訳はキチっとつけていますし、もしその土地の文化にご興味があるんでしたら、ぜひブックレットを見て、歌詞の意味をご理解いただけたらと思います。あとストリーミングはどうしても圧縮音源ですから、CDを買って聴いていただいたほうが圧倒的に音はいいと思います。

 

自分で全て責任をとって、やりたいことをやり続ける

──最近流行のアナログレコードのリリースはどうですか?

高橋:アナログに関しては、いろいろな考え方があると思います。ただ、僕にとってのアナログというのはアナログ録音、アナログミックスこそがアナログなんです。今、アナログの元になっているのはCDのマスターじゃないですか? しかも海外でプレスする場合は、CDのマスターをWAVデータにして、海外に送るわけです。そうするとCDよりも音がふくよかになったり、音がよくなる可能性というのはないんです。ですから、本当のアナログを作るんだったら、ちゃんとアナログマスターで作るべきだと個人的には思います。

──CDマスターからアナログレコードを作るというのは一体なんなのか? という話ですよね。

高橋:正直、そこに対して僕は抵抗があるものですから積極的にはやりたくないなと。だったら先ほども言ったようにCDのほうがいいと思っています。

8月の録音で田中さんとスタジオのエンジニアの人の会話で僕が印象的だったのが「録音レベル低いね、いつもこのレベルでやっているの?」って田中さんが聞くと「実は若干低めにしないと、歪んだときにミュージシャンやクライアントさんからクレームがくるので、このレベルでやっているんです」と言っていて・・・でも「例えば、今24ビットの96Kで録音したとして、こんなに録音レベルが低かったら、24ビットのうち数ビットしか使っていないのでは?」となりますよね。

だから録音の入り口からして、もっと音がよくなる可能性ってありますし、マイクのアレンジからいろいろなミックス、マスタリング、それからCDのカッティングも含めて、本当にCDってまだまだ音が良くなる可能性があるので、僕はアナログを出すよりはもうちょっとCDでやっていきたいです。そのほうがコントロールが出来ますし、何度も申し上げますが、プロトゥールスのマスターを使ってアナログを作っても…という気持ちが拭えないんです。

──矛盾しているということですね。

高橋:現実はほとんどのメーカーがそうだと思います。現在の録音に於いて、アナログのマスターはほぼ存在しないわけですから。

──さすがにアナログマルチは回ってないですよね。

高橋:回ってないですね。それをどう解釈するか。もちろんジャケットが大きいから欲しいという気持ちもわかりますし、アナログを一生懸命やっていらっしゃる方がいるのは十分理解しています。僕がCDに対しては責任を持ってやっているように、その方がアナログに対して責任が持てればそれでいいと思うんです。ただ、僕はアナログに関しては責任が持てないというか、自分で胸を張って「これがアナログです」とは言えないので、出さないんです。

──今回、高橋さんのお話を伺ってきて信念の方だということがよくわかりました。

高橋:いやいや(笑)。僕は全然奇をてらったことはしていませんし。10月18日にリリースのキャシー・クラレも昔ながらのやり方でラジオのプロモーションをやって、FM福岡、FM山形、FM鹿児島、FM岡山、FM佐賀、FM広島の各局さんで、10月のパワープレイに決めていただきました。

──そういった地道なプロモーションを今も積み重ねていらっしゃるんですね。

高橋:ラジオはメディアとしてあまり効果がない、という人もいるかもしれませんが、自分のやれるプロモーションというのはこの様なプロモーションですし、ラジオの可能性がないかというと、絶対にそういうことはないと思います。FM福岡さんが10月のパワープレイで月に50回も60回もかけくれたら、誰かが耳にして、ひょっとしたらCDを買ってくれるかもしれないですしね。

──例えば、ZAZ(ザーズ)は一時期J-WAVEとかでよくかかっていましたよね。

高橋:ええ。よく流してもらいました。

──あれも同じようにプロモーションをして?

高橋:そうなんですが、あれはやっぱり楽曲にも力があったからですね。ZAZはソニーフランスが最初、日本のソニーにリリースの打診をしたのですが、日本のソニーは「出さない」と言ったので、それで僕のところに話がきて、僕は音を聴いて「すぐやろう」と決断し、ソニーフランスと契約しました。もちろんJ-WAVEにもかなりプロモーションに行きました。それで1枚目が売れ、2枚目はソニーが出しました(笑)。

──(笑)。

高橋:だから僕とZAZとの付き合いは1枚で終わりです。でもそれでいいんです。あと、シャンソンのジュリエット・グレコさんも、ユニバーサルフランスですけど、日本のユニバーサルさんが「出さない」というのでうちから2枚出させてもらって、それが縁でパリに行って、ジュリエット・グレコさんにインタビューさせて頂き、いい経験をさせてもらいました。

グレコさんは2020年に亡くなりましたが、その後もグレコさんとの縁はあって、8月にクレール・エルジエールさんの『グレコ、あなたを忘れない』というアルバムをリリースしました。これはグレコさんへのトリビュート盤なんですが、グレコさんへの想いをクレールさんとも相談してアルバムを制作しました。

──ちなみにクラウドファンディングを使って、制作をされたことはありますか?

高橋:僕がクラウドファンディングをやったのは琉球交響楽団の『沖縄交響歳時記』の1枚だけです。制作費を僕だけでは捻出できなかったので、大友さんと琉響に相談して、クラウドファンディングでお金を集めました。ただそれ以外は自分で制作費を捻出しています。やはり自分で全部リスクを取ってやったほうが、自分にとってシンプルなのと、お金が無いのでCDを作らないのかというと、そういうわけではなく、結局は作ってしまうので(笑)。

──(笑)。つまりすべてのリスクを背負って音楽を作ってらっしゃるということですよね。

高橋:ええ。昔も今もそうですね。

──その覚悟がすごいなと。

高橋:ここまでやってこられたので、あまり悲壮感というのはないんです。自分でやりたいことをやって、27年間やれましたからね。もちろんアーティストのみなさんがいて田中さんもいて、いろいろ助けていただいている方々がいてこそ続いているんだと思います。もちろんリスペクトレコードを潰したくはないですし、これからもやり続けたいですが「来年できない」となっても、ここまでできたんだったらいいな、という気持ちもあるんですよ。

──リスペクトレコードは真の意味でインディペンデントであり、高橋さんは完全に独立したプロデューサーということですよね。レコード会社の社員は会社の資本でやっているわけで、高橋さんが続け来られたことはすごいと思いますし、”リスペクト”(尊敬)します。

高橋:ありがとうございます。ですから潰れようが何をしようが全て自分の責任ですし、その上でやりたいことをやるって単純明快でいいかなと思っています。

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