株式会社ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長 中本敦氏インタビュー【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」は、前回ご登場いただいた株式会社ロッキング・オン・ホールディングス/ロッキング・オン・ジャパン代表取締役社長 海津亮さんのご紹介で株式会社ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長 中本敦さんが登場。
専門学校卒業後、株式会社キャピタルヴィレッジでリゾートコンサートなどの企画制作を経て、アメリカを放浪後、株式会社ハンズ(現ハンズオン・エンタテインメント)に入社。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどロックバンドを中心にコンサート制作に携わってきた。
その後、一度音楽業界を離れ大阪で飲食業に関わるも、色々な縁もあって再びハンズオン・エンタテインメントに復帰。ケツメイシ、KARA、緑黄色社会などのコンサートツアーをプロデュース。2025年4月に代表取締役社長に就任。ミッシェルとの解散までの熱狂、ライジングサンからのフェス文化の隆興、コンサート制作において音楽業界が直面する課題など語ってもらった。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)
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株式会社ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長 中本敦氏インタビュー【前半】
ミッシェル・ガン・エレファントとの出会い──解散までの7年間の熱狂
──ハンズ入社後はすぐに現場に?
中本:一応僕は経験者という触れ込みで入社したみたいで、入社して1週間くらいで先輩から「実はもうすぐ辞めるんだよね。で、今やっているアーティスト引き継いでよ。」と言われて引継ぎを受けました。でも、やったことあるのはリゾートや小規模のコンサート運営とブレッド&バターのボーヤくらいだったんですけど、どうやら社内ではコンサート制作ができる人間が来るらしいよ、みたいな話になっていて(笑)。
──よくある話ですね(笑)。どんなアーティストを担当したんですか?
中本:僕の中で一番大きな出会いは1996年にデビューしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTで、僕が入社してすぐにハンズでライブ制作をやらせていただくことになって。その当時はハンズにいないタイプのアーティストで、特にチバユウスケのライブに向き合う姿勢とカリスマ性に衝撃を受けました。そこから解散の2003年までミッシェルをメインに制作の仕事をしていました。
──当時の印象的なエピソードは?
中本:今ではアリーナ会場でのスタンディングのライブは普通にみなさんやっているんですが、日本で初めてやったのがミッシェルで。横浜アリーナ、大阪城ホールもそうですし、名古屋のレインボーホールとか、当時は前例が無いので各地のイベンターさんと一緒に消防の申請とか、バリケードの強度とか、じゃあその1平米に何人入れるんだとか、そういったものを全部交渉して許可をこぎつけてやりましたね。
──そういった法規制的なものをクリアするのは、すごく大変ですよね。
中本:会場は公営や第三セクターが多いですから。会場さんは積極的にやろうとはしなかったですね。でも、ミッシェルのマネージャーの能野(哲彦)さんの熱量に影響されて、まわりのみんなも盛り上がって「絶対にアリーナ・スタンディングツアーを成功させよう!」と。イベンターさんや、スタッフも一緒に成功させたいとう気持ちは強くなりましたね。ただ、会場の床が抜けて中止になったり、はじめての苦労も色々ありました。
──その辺の時代から、業界の方々からのライブの良い思い出話をよく聞きます。
中本:良い時代ですよね。「FUJI ROCK FESTIVAL」が97年からスタートして、コンサート業界はイベントからフェス文化に変化し始めていました。その時期に能野さんと、BLANKEY JET CITYのマネージメントをしていたWILD CORPORATIONの藤井(努)さんという方がいるんですけど、この2人を中心に邦楽の野外フェスを作れないかと少しずつ話が出てきて、それが「RISING SUN ROCK FESTIVAL」の開催に繋がっていくんです。
──オールスタンディング・アリーナ・ツアーの次はフェスの開催ですか。またしてもすごい熱量ですね。
中本:日本で邦楽フェスを作るにはどうしようか、となるとエリアのしがらみ、行政対策とか色々事情があるじゃないですか。そんな中で北海道のWESSの皆さんが一緒にやろうとなり、そこから北海道の荒野でフェスをやる計画が進んでいったんです。僕はまだ若手の制作マンでしたけど能野さんと藤井さんについて行って、企画がスタートしたタイミングからコアメンバーとしてプロジェクトに参加していました。
──1回目のキャスティングは特に凄かったですよね。
中本:ネットで調べたら今も出てくると思うんですけど、このメンツは凄かったですね。トップは電気グルーヴで、瀧さんのパフォーマンスがもう最高で。ミッシェル、ブランキー、MAD、Dragon Ash、THE HIGH-LOWS、UA、若き日の椎名林檎さんもいましたし。北海道初のフェスで、予算は厳しかったと思うんですけど、企画したメンバーが一生懸命声をかけてロックの最強のメンツを集めた。それに会場でキャンプもできて、朝までライブが続く、こんな自由な邦楽のフェスは革新的でしたから。
──ハンズはライジングサンにも関わっているんですか?
中本:ライジングサンは、今ではうちで制作をやっているアーティストが参加する時は行きますけど、フェス自体には直接関わっていないです。でも、個人的にもとても思い入れのあるフェスでいつも楽しませてもらってます。
ミッシェルの解散で燃え尽き、そして大阪へ
──ハンズって不思議な会社ですよね。プロダクションではないし、コンサートプロモーターでもないし、当時はコンサート制作に特化したノウハウがあったということですかね。
中本:そうですね。今はイベンターさんと制作の垣根は無くなりつつありますけど、当時の状況はおっしゃる通りでコンサート制作を専業とした先駆者的な会社だと思います。コンサートのマーチャンダイジング部門を作ったのも先駆けかもしれません。マーチャンダイジング事業のスタートはコンサート会場での販売業務からですが、今ではECや商品企画、デザインも行なっていて、コンサート制作に引けを取らない主力事業になっています。
──ミッシェル解散後、どうされたんですか?
中本:ミッシェルの解散で燃え尽き症候群になったんです。あと自分の中で30歳という節目があったんですよね。何か次のチャレンジをするんだったら、ちょうど今かなという区切りがあってハンズを辞めて大阪に行ったんですよ。
──いきなり大阪に?
中本:ツアーを回っていると大阪へ行く頻度がすごく多くて、年は1つ下のすごく仲の良い友達ができて、彼はミナミ周辺に飲食店を4店舗経営していたんです。で、彼に「今の自分はやり切った!」という話をしたら、ちょうど会社の経営側のパートナーを探していて、求人や広告を出したり、仕入れやメニュー開発、新しい物件を探したり、そういった昼間の会社のことを手伝ってくれないかと言われて、面白そうだなと思って、東京の家を引き払って大阪へ行きました。
──それは何年間ぐらい続いたんですか?
中本:2年間大阪にいました。飲食店の経営側の仕事をしながらも、僕が大阪にいることは知られていて、打ち上げで貸切にできたり、遅い時間でも融通を効かせられたり、関西のイベンターさんは使い勝手がいいもんですから、よく使ってくれて。おかげで会社にも貢献できました。東京からもハンズ時代から仕事をしていた方々が顔を出してくれて、ケツメイシのメンバーは大阪にくると毎回飲みに来てくれましたね。
──横の繋がりが強い業界ですからね。業界に戻るきっかけは?
中本:2004年に某大物バンドがUSJの駐車場で大規模なライブをやったんですよ。そのライブの制作を担当していた大先輩から「猫の手も借りたいぐらい大変な現場だから、大阪にいるなら一週間ぐらい現場を手伝ってくれないか」と相談されたんです。昼間の仕事はそこまで忙しいわけでは無かったので、USJの現場に入って、制作アシスタントみたいなことをしました。
その時に、たまたま見にきていた東京のイベンターの方が僕を見つけて、「あれ?中本くん、また制作やってんの?ちょっと相談したいことがあるから電話するね」と言われて、今度は「一緒にツアーを回ってくれないか」と。それで某大物デュオのアリーナツアーを回りまして。
そんな動きがハンズの菊地(哲榮)社長の耳に入って「お前、コンサートの仕事やっているんだったら帰ってこい!」となり、最後は菊地社長が大阪まで来て、新しく会社を作るからそこでまた制作をやってみないかと提案されて、このタイミングだと直感で感じて戻ることになりました。
ハンズ復帰で2025年に新社長に就任
──そして菊地さんに首根っこをつかまれて東京に戻ると。その時はおいくつですか?
中本:2005年なので33になる年ですかね。僕は新しく作ってもらったハイタイムスという子会社を3年ほどやったんですけど、僕の力不足で3年連続赤字を出してしまい・・・結果、親会社のハンズオンに吸収されました。
──では、ハイタイムスは畳んで再度ハンズに戻ることになったんですね。
中本:はい、戻ってからはコンサート制作セクションの部長としてケツメイシ、The Birthday、ストレイテナーなど担当していて、KARAは日本でのファーストコンサートから携わりました、米津玄師も最初の頃に関わっていましたね。
──自然にアーティストが集まってくるんですか?
中本:ケースバイケースですね。長いお付き合いのクライアントもいますし、別の制作会社さんと合わなかったからというのもあります、新人でゼロから一緒にやっていくパートナーを探しているパターンもあって、米津くんは名前も出てない頃から仕事させてもらいました。
──菊地さんって引きが強いというか、今回改めて何十年前の菊地さんのインタビュー読んでみて、松原みきもそうだったなと。それでハンズに戻られてからもう十数年以上経って2025年に社長に就任されたわけですが、そのいきさつは?
中本:ハンズに戻って約20年経つんですけど、取締役という立場になり会社の未来を漠然と考えていたタイミングで菊地から社長就任の話が出て、ただ菊地社長の業界の存在感や、会社の歴史、社員への責任などを考えるととても自分だけでは決断できず、社歴が長い役員二人と3人で食事をして率直に意見を聞いたら二人からも「お前だろ」と背中を押してもらい、家族も後押ししてくれて受けることにしました。まわりにも同世代の社長や起業した方が増えていたので、ここ数年が業界の世代交代のタイミングでもある気がします。
──社長という立場になって変わったところとか、何か感じるものはあったわけですか。
中本:社長になってまだ数ヶ月なので、正直なところ自分の中で何が変わったかはまだ明確ではないです。ただ、以前からコンサート業界としては人手不足や物不足が深刻化していて、これからさらに大きな課題になってくると思います。最近はアリーナクラスの会場も増加し、大企業が“ハコもの事業”に参入をしてきています。ライブができる環境は増えていて、ライブの機会を望むアーティストやマネージメントも多い。でも、会場とアーティストをつなげて、実際にコンサートを作るための人的、制作的リソースが不足している。このギャップを改善しないと、コンサート業界の成長は頭打ちが見えてくると思います。この課題は一社では解決できない話なんですけど、業界全体として多様な意見交換や仕組みを作っていく必要があると実感しています。
コンサート業界を支える舞台裏の危機
──具体的にはどのような課題があるのでしょうか?
中本:人的リソースと言いましたが、これからのコンサート業界で最も重要なのはまずは若い人材を育てることです。そもそも若い人たちが働きたい業界にしていかなければいけない。専門学校では「コンサート制作論」といった講義があるようですが、実際に入社してみると学校で習ったことと現実は違います。学生がイメージしているアーティストとの華やかな打ち合わせではなく、移動の時刻表と睨めっこしたり、弁当の発注先を探すような地道な作業からスタートするのが現実です。時間も不規則ですし、そういったギャップに戸惑って辞めてしまうケースもあります。人を育てるためには、待遇面や働きがいの部分を改善して、安心して働ける環境を提供しないといけないなと。
──昭和の根性論みたいな部分は、今の時代にはやっぱり通用しなくなっていますよね。
中本:音楽業界を目指す理由として、憧れが大きい人も多いと思いますが、それだけでは長くは続かない場合も多々あります。現在は少子化の影響で学生が職種や会社を選べるような時代になっていますから、より良い条件や環境を求めて優秀な人材が自然と他業界へ流れていきます。今の若い世代はその辺は結構ドライに考えているので、中小企業が多い音楽業界としては、業界が持つ可能性や未来像を明確に打ち出し、憧れだけではなく、納得して選ばれる産業にすることはとても大事だと思います。
──業界の構造的な問題もあるんでしょうか?
中本:そうですね。他に深刻なのは、コンサートにおける舞台関連、運営関連の問題です。コロナ収束以降増えている公演数や、大規模化するステージ演出に対して、人材不足や労基の問題で、舞台制作関連会社やアルバイト派遣会社などは、依頼があっても受注できない可能性が現実的になってきています。その影響で大型ツアーが止まってしまう可能性もあります。仮設舞台の施工やリギングに必要な人手が不足したり、アルバイトが集まらないために仕込みや運営に支障が出たり。実際にスケジュールを発表してチケット売っているのに、予定通りのステージが作れない、お客様の案内に支障が出るという事態が起きています。
──それは大変深刻な状況になっていますね・・・。
中本:専門性が高い仮設舞台の施工は請け負える会社が限られていて費用も上がっています。人件費も最低賃金が上がり、人集めのためにこれまで以上に時給も上げる、燃料コストの上昇やドライバーの労働規制もあり、輸送費も上がってきています。その結果、増え続けるコストに対して、チケット代を上げざるを得なくなる。
客層やキャパに応じてチケット代を調整しますが、アーティストによっては利益が出ないから、コンサートグッズやファンクラブの施策で収益を補完しようとする。今の状況が悪化してコストが上がっていくとライブの収益だけではアーティストを支えきれなくなってしまいます。
──そもそもの少子化の問題もありますしね。ACPCのデータで2024年度の公演数は増えてないんですけど、売上は上がっているんですよね。だから大型公演とチケット単価が上がっているから、コンサート業界は調子が良く見えているんですけど、だんだんと頭打ちになってくる気がします。
中本:10年後にライブに来る高校生、大学生がどれだけいるのか、少子化が進む現在、日本国内に限れば今後は減っていくパイを取り合っていくことになる状況ですよね。人口が多い世代、つまり団塊ジュニアと言われる我々くらいの世代をターゲットにできている場合はコンサート業界においては強いんです。キャリアのあるアーティストの動員が崩れないのは、人口が多い中でファンが年齢を重ねて余裕もあり、アーティストや曲への思い入れも強いと思いますから。
──結局、自分が若い時に聴いた音楽を聴きに行ってしまいますからね。レコード協会のデータでも、35歳ぐらいからの音楽離れに加えて、最近は20代、社会人になったあたりからの音楽離れが増えていると。
中本:音楽はインターネットで聞けるし、ライブの生配信やアーカイブは動画で見ることができる。音も映像もデジタル化でクオリティは上がっていますし、アイドルのように会いに行きたいというモチベーションがないと、配信でもいいという人は一定数いると思います。コンサートツアーに関して言えば、2回、3回と観にきてくれるリピーターの存在にも実は助けられています。
──Musicmanが担うべき役割として、きちんとした求人情報を出して、インタビューを読めば「音楽業界ってこんな楽しい仕事なんだ」と思ってもらいたい側面もあるんです。頑張れば、ちゃんと楽しいことができるところに行ける人たちもいることをメディアとして伝えられたらと思っています。そんな中でコンサートの仕事に向いている人はどのような人でしょうか?
中本:やはり人に興味を持てるか、人を好きになれるかが大きいと思います。コミュニケーションツールが今はSNSになってきているので、僕の頃とは違いますが、人に興味を持って色々な話を聞いてみると、そこに仕事や将来のヒントがいっぱい隠れていると思います。あとはポジティブなエネルギーですね、どんな仕事も関わっている人たちが楽しそうじゃなかったら、興味を惹かれませんよね。
──中本さんご自身はこの仕事を選んだことに何の後悔はないですよね?
中本:もちろんです。仕事への意識は高く持って、楽しく働いてます。立場が変わりましたから、これからは別のフェーズで楽しみを探していこうと思っています。あとはコンサート業界からつながる人の輪ってとても幅広くて放送局や広告代理店、カメラマン、スタイリスト、なんならお弁当屋さんやトラックドライバーまで、いろいろなビジネスをやられている方々とつながりますし、他業種の話はとても惹かれます、そこで得る情報や人脈は公私共に先々の財産になると思いますね。
──最後に、今後の抱負についてお聞かせください。
中本:今、音楽業界の自由度はすごく増していますよね。アマチュアでも学生でも気軽にライブができるし、自宅から配信もできる。DTMでオリジナル音源の原盤だった作れますし、クリエイティブなアーティスト、物作りをやりたいという子たちの活動の入口は広くなっています。若い子たちが今聴いている音楽は、ジャンルも多様でとても洗練されています。インターネットが当たり前にあるから世界への情報発信もできるので、世界で戦える日本の音楽やエンタメを後押ししたいと思っています。
結局国内が頭打ちになってしまったら、どこにマーケットを我々は求めていくかと言ったらもう海外しかなくなってくるでしょう。実際、アジア各国から日本のアーティストへのライブのオファーがたくさん来ていますし、ニーズも年々上がっているように感じます。ライブを輸出産業として海外を目指すというところは積極的に意識していく必要があると思います。
今まで日本の音楽は海外ではなかなか通用しないと言われ続けてきましたが、これからは本当のグローバルマーケットへの進出になるという話かもしれません。日本が主催する国際音楽賞である「MUSIC AWARDS JAPAN」も始まり、音楽の国境はさらに開かれていくと感じています。ぜひ若い人たちにはグローバルに活躍できる仕事やコンテンツを見つけて国内海外を飛び回ってもらいたいですね、そうすれば今まで以上に音楽業界も魅力的になっていくと思います。
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