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第225回 ソニー・ミュージックレーベルズ / SMLマネジメント・プロデューサー 春木孝一氏【前半】

インタビュー リレーインタビュー

春木孝一氏

第225回目となる「Musicman’s RELAY」は、株式会社ハンズオン・エンタテインメント代表取締役社長の中本敦さんのご紹介で、ソニー・ミュージックレーベルズ / SMLマネジメント・プロデューサー 春木孝一さんが登場。

YOSHIKIの事務所であるジャパンミュージックエージェンシーで音楽業界のイロハを学び、紹介をきっかけにソニー・ミュージックへ中途入社。Aqua Timez、School Food Punishment等のマネジメントを手がけ、現在は緑黄色社会、紫 今、Conton Candy、yutoriなどの新人アーティストの発掘・育成にも積極的に取り組む春木さんに、音楽業界での歩みと現在の活動について詳しく話を伺った。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)

 

最初に買ったレコードは渡辺美里、気がつけばエピックばかり

──まず、中本さんとのご関係について教えてください。

春木:中本さんとの出会いは、確か2008年頃になりますね。僕は当時エピック・レコードでA&RとしてAqua Timezを担当していて、エピックから新たにデビューさせるために育成していたSchool Food Punishmentのマネジメントを始めていました。

その時に中本さんが音源を聴いて興味を持ってくれたらしく、School Food Punishmentのライブを見に来てくれるようになって、頻繁にライブに足を運んでくれるのでよく喋る仲になりました。よく会って話すうちに熱意があって信頼できる人だなと思うようになり「まだまだ売れてないし、そんなにビジネスとして成り立つかはわからないけど、よかったら一緒にやりませんか」とお声掛けしたのがきっかけです。

──では、出会いから17年程のお付き合いになるんですね。

春木:そうですね、それと中本さんとは同い年なんですよね。年齢が一緒なので気が合うというか、彼はライブ制作のキャリアがすごいし、社長になった今でも現場にマメに足を運んでくれて、僕が担当しているアーティストのライブも頻繁に見に来てくれます。

──ビジネスのパートナーでもあり、プライベートでも仲が良いと。

春木:僕が担当している緑黄色社会もハンズさんと一緒にツアー制作をおこなっているので。この前も30本程のホールツアーを一緒に回りましたけど、現場で何度もお会いしました。

──では、ここからは春木さんご自身のことを伺います。お生まれはどちらですか?

春木:育ちは東京なんですけど、生まれは石川県です。両親が二人とも石川県の人間で、東京に出てきてから結婚してますが、母親が里帰り出産で帰省してたので石川県の七尾というところで生まれました。ただ、生まれただけなのですぐに東京に戻り幼少期は葛飾区立石という下町で育ちました。スカイツリーが間近に見える辺りです。

──今のお仕事に繋がるような家庭環境はありましたか?

春木:家庭環境で今に繋がるようなものは実はあまりないんですよ。両親も音楽が大好きというわけではなかったですし、恐らく音楽の原体験はテレビの主題歌です。「西遊記」のドラマをやっていて、ゴダイゴの「モンキー・マジック」「ガンダーラ」とかのアナログ盤がなぜか家にあったのはすごく覚えています。

──堺正章、岸部シローとか西田敏行が出演していた、あのドラマですよね。夏目雅子さんがきれいでしたね。

春木:家にレコードプレイヤーがあって、おそらく親に買い与えて貰ったんだと思いますが、4、5歳頃の幼少期は家にあったアナログ盤を幼いながらも気に入って何度も聴いてた記憶があります。

──どんな少年時代でしたか?

春木:どちらかというと大勢で遊ぶのが好きなタイプではなく、仲の良い数人の友達とずっと遊んでいるタイプでした。幅広く色んな人と遊ぶというよりは、2、3人の仲良しがいて、毎日のようにその友達と遊んでいましたね。

──今でもお友達付き合いはそういう感じですか?

春木:今は誰とでも交流しますし、大人になってからは仕事で仲良くなった人が延長で友達になっている人が多くて、学生時代から続いている友達ってほとんどいないかもです(笑)。

──スポーツなどは何かやっていたんですか?

春木:体を動かすのは好きですけど、ガチの体育会系の部活に入っているタイプでもなかったですね。ただ、小学校の5、6年の一番仲良かった友達が音楽好きで、音楽番組の話をしたり、当時カセットテープを録音して交換したり、おすすめの楽曲を聴かせ合ったりしていました。その頃はもう音楽に目覚めて、いろんな音楽を聴き始めていました。

──音楽を通じて良い出会いがあったわけですね。

春木:おすすめアーティストの交換もまだカセットテープの時代だったので、音楽番組をテレビのスピーカーの前で録音ボタン押して曲を録る、みたいな感じで(笑)。

──エアチェックじゃなくてテレビからの音を直接録音するんですね(笑)。

春木:そうです(笑)。「ザ・ベストテン」とか「ザ・トップテン」とかの音楽番組をチェックして、友達と「この曲いいじゃん」「この曲、知ってる?」みたいなやり取りをしていました。

──では、邦楽中心で。

春木:最初は邦楽でしたね。記憶が少し曖昧ですが、最初に自分で買ったレコードは渡辺美里さんだったと思います。当時、中学生で、後々エピック・レコードに入社するんですけど、TM NETWORK、BARBEE BOYS、岡村靖幸さん、渡辺美里さん・・・当時はレーベルなんて気にしていなかったですけど、後で思うと好きな音楽はエピックばかりで(笑)。

──なるほど(笑)、今に通じるものがありますね。

春木:それで中学になったらMTVが始まり、それまで洋楽の情報はほとんど無かった所にMTVで一気に色んな洋楽を知るようになりました。

 

オアシスの初来日公演、U2への情熱

──その後の進路は?

春木:高校卒業後は大学へ進学しましたが、あんまり勉強はしていなくて(笑)、音楽のことばかり考えていました。それで大学在学中にタワーレコードでアルバイトして、音楽業界のことを少しずつ知るようになりました。

──タワレコではどんなお仕事をしていましたか?

春木:タワレコでは邦楽じゃなくて、洋楽コーナーの担当だったんです。タワレコで働きながらCDをたくさん買っていて、帯とかライナーノーツとかが無い輸入盤は安いものは1000円切るような価格でアルバム一枚が買えた時代でしたね。

──それは社員割引で買っていたんですか?

春木:確かアルバイトでも社員割引が使えたので利用していました。それに当時は円高なので高くても1200〜1300円でアルバムが買えていたので、その時からUKロックにどっぷりハマるようになりました。

──オアシスとかその辺の時代ですか?

春木:オアシスの初来日公演に行っているんですよ。この前、部屋を整理していたら初来日公演のチケットの半券が出てきて。

──すごい!それはお宝ですね。

春木:タワレコの社員さんとか含めて情報が早く入ってくるので、オアシスもデビュー前から知っていましたし、なんならサンプル盤もたくさん聞かせてもらって。

──羨ましい立場ですね。ほかにはどんな音楽を聴いていたんですか?

春木:中学の時は、U2のアルバム「ヨシュア・トゥリー」に大きな衝撃を受けてU2を掘りましたね。少し話が前後しますが、U2が今までで一番ハマったバンドで、バンドが生まれた街を見たくてアイルランドのダブリンまで行ったことがあります。

── それは一人で?

春木:一人で行きました。ロンドン経由でダブリンに入るのですが、ちょうど2005年のロンドンの同時多発テロがあった時なんですよね。

──すごいタイミングですね・・・。

春木:あの時、まさにロンドンに滞在していたのですが、旅行代理店から滞在先のホテルに邦人の安否確認の連絡が入っていて、僕はそのロンドンのホテルをキープしたまま、ダブリンに行っていたんです。ダブリンではホテルを事前に予約せず現地に入ってから決めたので、連絡がつかないとなってめちゃくちゃ捜索されて。しかもダブリンで一泊しているので、ロンドンのホテルをキープしたまま1日以上行方不明でつかまらないという・・・(笑)。

ダブリンに一泊して戻ったら、部屋の電話の「メッセージ有」の赤いランプがずっと点灯していて、フロントに連絡したら「日本から連絡が届いてるよ」みたいな話で、実家にまで消息不明の電話が入っていたんですよね。

──じゃあ、テロに巻き込まれたんじゃないかと思われた。

春木:そうかもです(笑)。それがたしか2005年7月7日だったと思うんですけど、クイーンなども出演した1985年の「LIVE AID(ライヴエイド)」ってあるじゃないですか。そのリメイク版で「LIVE 8(ライブ エイト)」というライブイベントをハイドパークで開催していた年で。ちょうどそのタイミングが「LIVE 8」以外にもロンドンサミットやウィンブルドンテニスとか、ロンドンには大きなイベントがいっぱい集まっていた時期でした。

──そこを狙ってテロが起きたと。ダブリンはどうでしたか?

春木:ダブリンは街がすごく綺麗なんですよ。こういう街だからU2のような音楽が生まれるんだな、と思うくらい空気が凜と澄んでいて。でも僕が行った時はどんより曇っていて、その空気感は実際に行ってみてすごく好きになりましたね。

 

YOSHIKIの事務所で音楽業界のイロハを学ぶ

──で、大学生活が終わりソニー・ミュージックに入社するんですか?

春木:ソニー・ミュージックは中途入社なんです。音楽の仕事をしたかったのですが、就職氷河期ということもあって新卒でそんなに募集もなかったし、最初は小さな広告代理店に就職しました。でも、そこの仕事が面白くなくて一年半で辞めて、そこから本格的に音楽の仕事が始まるんですけど、最初に入ったのがYOSHIKIさんの事務所でした。

──X JAPANの影響は受けていたのですか?

春木:今だから正直に言うと(笑)、知っている曲は「Endless Rain」と「紅」ぐらいで。たまたま募集をしていて、まずは音楽の仕事の経験を積んだ方がいいなと思って応募したら受かりました。

──でもYOSHIKIさんの事務所って、入社試験の倍率は高いんじゃないですか?

春木:詳しくは分からないですけど、面接に10人以上は来ていたと思います。で、入ったら同期はいなくて僕一人だけでしたね。

グループ会社がいくつかあるんですけど、ジャパンミュージックエージェンシーというマネジメント会社で、あとはエクスタシーレコードというインディーズレーベルで、X JAPANのインディー盤やGLAYもそこから最初のインディー盤を出しているんですよ。

──入社は何年頃でしたか?

春木:YOSHIKIさんの事務所に入ったのは、1998年ですかね。X JAPANが大晦日に東京ドームで解散した翌年です。だから、僕が入社したときはX JAPANが解散していて、翌年のゴールデンウィークにHIDEさんが亡くなって、入社はその直後ぐらいになりますね。

──それはマネージャーとして採用されたのですか?

春木:スタッフも10人弱とかの規模だったので、マネージャーというよりもレーベル業務とマネジメント業務全般みたいな、制作も宣伝も営業もなんでもやらなきゃいけないような感じでした。

──業界のイロハを知るには一番勉強になるような環境ですね。

春木:今となってはそこで色々と経験したことが活きていると思います。なんでも自分で考えて、発案し、行動に移さなきゃならない会社だったのでじっとしてても仕事が与えられるわけじゃなくて…。音楽としての仕事はそこから始まっているんですよね。

──YOSHIKIさんの事務所には何年ぐらいいらっしゃったのですか?

春木:ソニーに転職したのは2004年なので、約6年間ですね。この6年間でYOSHIKIさんの会社がいろんな人とジョイントベンチャーをやったり、人も増えたり、マネージャー業務やA&Rもやってどんどん形態が変わっていくんですよ。

当時のYOSHIKIさんって年間3分の2ぐらいは海外にいて、日本にいるのは3分の1ぐらいなんです。日本のオフィスには日本専任のスタッフがいて、僕は日本側のスタッフで、アメリカ、ロサンゼルスには現地のスタッフがいるわけですよ。

だから、日本に帰ってきた時にしか仕事が忙しくないんです。その頃の僕は30歳過ぎで、今後のキャリアについて悩み始めていて・・・要は年齢は重ねていくけど年間の忙しい時期は3分の1ぐらいで、キャリアで言ったらほかの人が1年間ガーッと働くよりは濃さが違うじゃないですか。

──つまりもっとバリバリ働きたかった。

春木:その時に当時の日本オフィスの上司に「ほかの会社に転職したい」と相談したら、すごく理解してくれて、ソニー・ミュージックの方を紹介してくれたんですよ。「人を探しているみたいだから会いに行ってこい」と言われて、それが実質面接みたいな感じだったんですけど。

──タイミングもあったと思いますが、ラッキーですね。

春木:紹介していただく流れで、ちゃんとした奴だからと事前に言ってくれたと思うんですよね。30歳を過ぎていましたし、ソニーのアーティストが大好きでしたから「やる気があるんだったら、すぐに来て欲しい」となりソニー・ミュージックに転職する運びになりました。

 

Aqua Timezとの出会いで全国ヒットを経験

──ソニー・ミュージックでは最初何をされていたんですか?

春木:最初はザ・ミュージックカウンシルに所属しました。元エピックレコードの目黒(育郎)さんが、レーベルとマネジメントを一緒にやっていこうと立ち上げた会社といいますか、ソニーの中で作られた社内カンパニーになりますね。

──いわゆる360度ビジネスの走りのような感じですね。

春木:今では当たり前ですけど、当時はレーベル内でマネジメントもやっている所はあまり無かったんですよね。でも、目黒さんは当時からレーベルとマネジメントを一緒にやっていく必要があると言っていて、ミュージックカウンシルの社長に就任しました。

ミュージックカウンシルでは、マネージャー=A&Rなんです。部署が切り離されてなくて、ライブをどうやるのか、どう売っていくのかもマネージャーを兼ねて、全部自分の中でプランニングするというのがこの会社のコンセプトでした。

でも、あまり良い結果が出なくて5年ぐらいで閉じるんですけど、その閉じる少し前にもともとミュージックカウンシルにいた上司に呼ばれてエピックに異動しているんですよ。

──ついに運命となるエピックにたどり着くんですね。

春木:エピックの音楽はずっと聴いていたのでその時は感慨深かったですね。エピックに移ったのが2006年で、そこで最初に担当したのがAqua Timezでした。

当時の社長は小林和之さんで、エピックに異動した段階でAqua Timezを一緒にやろうということで、僕とエピックにいた上司がやり始めたんですけど、2006年~2008年の2年半くらいはA&Rをやっていました。

──A&Rのご経験は?

春木:YOSHIKIさんのところでは、A&Rもマネジメントもそういう線引きがなくて、全部やらなきゃいけなかったのでA&Rに専念したのは初めてでした。当時のAqua Timezはディレクターもいないので、A&R兼ディレクターの業務をまとめてやっていました。

──「等身大のラブソング」が出た頃あたりですか?

春木:はい、その曲のヒットから2006年からの3年間くらいはおそらくエピック内で、1番か2番目ぐらいに売れていましたね。

エピックでは制作1部、制作2部、制作3部とあって、1部がアンジェラ・アキで、2部がいきものがかり。3部が新しくできた部署でしたが、そこにAqua Timezが入って各部署で同時に売れたアーティストがそれぞれいたので社内はすごく盛り上がっていましたね。

その後、2008年にSchool Food Punishmentのマネジメントを担当することになりAqua Timezから少しの時間離れるんですけど、School Food Punishmentに関してはマネージャーを担当することになったんです。

後半は1月23日(金)公開予定!

ポッドキャスト概要:

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「Musicman大学」は世界の音楽業界の最新トピックスを解説。講師は『音楽が未来を連れてくる』の著者、Musicman編集長・榎本幹朗。「Talk&Songs」は月間500組ものアーティストニュースを担当するKentaが選ぶ、今聴くべき楽曲と業界人必聴のバズった曲を解説。

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プレイリスト概要:

記事連動セレクション — エピソードと繋がる楽曲たち

月間500のアーティスト記事から厳選した楽曲と、業界人必聴のバズ曲をプレイリストで。最新シーンの決定版!

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