第153回 株式会社フジテレビジョン ゼネラルプロデューサー 三浦 淳氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

今回の「Musicman’s RELAY」は株式会社ロッキング・オン・ジャパン「ROCKIN’ON JAPAN」編集長 小栁大輔さんからのご紹介で、株式会社フジテレビジョン ゼネラルプロデューサー 三浦 淳さんのご登場です。中学時代から音楽にのめり込んでいた三浦さんは「マスメディアで自分の好きな音楽を紹介したい」という想いからフジテレビに入社。仕事の合間に膨大な数のライブを観つつ、一貫して音楽を軸に番組制作をされてきました。現在『MUSIC FAIR』『Love music』『FNS歌謡祭』など音楽番組・特番から、『VS嵐』など人気バラエティー番組まで数多くの番組を手掛け、6月には2つのイベント開催も控えている三浦さんに、ご自身のキャリアからテレビと音楽のこれからまでじっくり伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

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第153回 株式会社フジテレビジョン ゼネラルプロデューサー 三浦 淳氏【前半】

 

これは仕事なのか趣味なのか?〜年間120本以上ライブを観る日々

――2000年にディレクターに昇格されますね。

三浦:ただ、同時期にまだADはやっているんですよ。当時『チノパン』という深夜番組が始まって、そこから「パン」シリーズといわれる新人女子アナの番組シリーズが続くんですが、その立ち上げのときにディレクターをやらせてもらうチャンスがあったんです。

そのときは『HEY! HEY! HEY!』のチーフADを選ぶか、『チノパン』のディレクターを選ぶか分岐点があって、『チノパン』はディレクターをやれるけれど、深夜番組とかのチーフADも兼務すると。チーフADとしてゴールデンの『HEY! HEY! HEY!』をやったら、多分2〜3年ぐらいチーフADやって、やっとディレクターになれるんですが、とにかくディレクターをやってみたいという気持ちが強かったので、深夜番組に行かせてもらって。

――『チノパン』に行ったと。

三浦:その番組のタイトルも、たまたま僕が考えたのが採用されたんですが、そのときに使った楽曲もFantasic Plastic Machine 田中知之さんの『Bachelor Pad』というオースティン・パワーズの曲なんですけど、「音楽班だからお前オープニング曲考えろ」と言われて、当時の僕のプレイリストから候補を何個か投げたら採用されました。その後ずっと「パン」シリーズは続くんですが、『Bachelor Pad』も使われ続けました。

――ちなみにADの労働というのは、いわゆるブラックなんですか?

三浦:今はだいぶ改善されていますし、番組によって違うと思うんですけど、音楽班は一切そんなことはないですね。ただ、当時は、チームによって収録前とか、どうしてもやらなきゃいけないことがダーッと続くと、作業が物理的に終わらず朝までかかるということはありましたから、当たり前のように会社に泊まって寝ていました。ただ、寝られないことはなかったですね。

――布団の上に寝られないだけ。

三浦:はい。もちろん仮眠室もあるんですけど、そこ行っちゃうともう起きられないんですよ、環境が良すぎて(笑)。ディレクターになり始めた頃は、チーフADも兼務していたので、生放送が1時とか2時に終わって、そこから次の日の生放送に向けての打ち合わせをして、3時ぐらいからご飯食べに行って、戻ってきてからお風呂入って6時ぐらいに寝る。そして、10時ぐらいから会議というような生活を週に5日ぐらいやっていました。

――1日18時間労働ぐらいじゃないですか。労基署が聞いたら飛んできますよね。

三浦:でもご飯を食べに行っている時間も含めて考えると、どこまでが仕事なんだって部分もあるんですよね。

――でも、やっぱり好きじゃなきゃできない仕事ですよね。

三浦:僕は音楽が大好きで音楽ばっかりの人生だったのに、バラエティ番組でディレクターをやらせてもらうと、まったく違う畑なんですけど、クリエイティブというか、作ることに対して同じくらい情熱は注げる部分があったので、やっぱり面白いんですよね。

仕事なのか趣味なのか。そういう意味でいうと、24時間っていったら大げさですけど、夢の中にも仕事のこと出てきますし、当時お風呂入りながらも「こうやったら面白いんじゃないか」とか、常に考えちゃうんですよね。でもそれ仕事じゃないじゃないですか。じゃあ「どこまでが仕事なんだ?」という。それこそ友達と話していても仕事の話になっちゃうこともあるし、仕事仲間とご飯食べながら「明日、収録でこんなことしてみない?」ということとか。でもそれが仕事なのかどうかっていうのが難しいところですよね。

――結局、飲食店で何時間調理しているとか、あるいは工場で何時間組み立てているとか、そういうのは時間も測りますけど、時間では測れない仕事もありますよね。

三浦:そうなんですよ。もっと言えば、ライブを観に行くのが仕事なのかどうかっていうところもあるじゃないですか。もちろん、だんだんポジションを積み重ねていくと「観に来てください」と声をかけてもらって、仕事としてアーティストを観に行って、挨拶して、「また出てください」ということもあります。でも、僕なんか去年も120本以上ライブに行っているんですが、100本ぐらいは趣味に近いライブで、フロアで汗だくになって観ているんですよ。最前ブロックで汗だくになって。フェスなんて行くと1日Tシャツを4〜5枚着替えるんですよ。毎回汗だくになって、アーティストごとに着替えるみたいな。僕はフェスに行くとき、始発で会場に行って、まず物販に並ぶところから始めるんですよ。

――本当にテレビのプロデューサーなんですか?(笑)

三浦:みんなにそう言われるんですが、趣味なんですよ。そこは仕事じゃないと思っているんで。一昨日もBiSHという女の子のグループを最前ブロックで観たんですが、やっぱり楽しいんですよ。楽しいし、好きなことがアーティストにも伝わると、出てもらうって関係性もできますし。僕の場合は大分そこが生かされている気がします。でもそれが仕事なのかプライベートなのかっていったら、僕はプライベートにしています。だからプライベートで仲良くなった人とたまたま仕事しているという感覚なんですよ。

――遊びが仕事になり、仕事が遊びになりというのが最高ですよね。

三浦:そういう意味でいうと、ADの頃の勤務時間は長かったですが、ずーっと仕事していたというよりは、楽しんでいる部分もいっぱいあったので、苦労というか辛いってことは少なかったですね。

――それだけ熱い人が番組作っているんですから、伝わらないわけがないだろうって気がしてきますね。

三浦:いやいや(笑)。昔はライブを観に行くと、職業病でカット割りしちゃってたんですよ。「ここの照明格好いい」からルーズショットとか「いい顔してるな」ここはアップだとか、自然と。でもそれって関係者ブロックで座って観ているときなんですよ。普段趣味に近いライブは完全に大声出して歌って、筋肉痛が酷くなるんですけど。そのライブを今日は楽しめたかどうかで、仕事となるかプライベートで行ったかという線引きもできるかと思います。

――楽しくないときはやっぱり仕事だった?

三浦:楽しくないってことは、ほとんどないんですけど。どんなライブも勉強になります。今年初めてB’zの単独公演を観に行ったんですが、東京ドームをあんなに走り回る50代とかなかなかいないですよね。一線級の人ってやっぱり鍛えているし、お客さんを喜ばせるテクニックもあるし、単に曲がいいから売れているんじゃなくて、きちんとエンターテインメントとして成立させている人たちなんだなというのを強く感じました。

 

テレビはすごく夢が詰まっている箱でありたい

――今、音楽を伝える手段は多岐にわたりますが、テレビはどこに活路を見出していくのでしょうか?

三浦:これは僕個人の意見ですが、この1〜2年『MUSIC FAIR』をやっている中で、やはりテレビでしかできないことをやっているんですよ。特に総集編とか、過去の作品を見ると、「こんな人たちがコラボレーションするの!?」と思うようなこととか、夢のようなことをしているんです。僕がフジテレビに入ったときって、テレビは夢の箱というか、今はテレビ時代が薄型になって「箱」じゃなくなっちゃっていますが、テレビはすごく夢が詰まっている箱だとずっと思っていたので、その夢をいつまでもテレビで表現したいという想いはずっと変わらないんですよね。

アーティストの楽曲に触れる機会は、ネットとかライブとかいろいろありますが、ネットで観るものって多くがミュージックビデオで、もちろん格好いいものですから、すごく伝わるものもあると思うんですが、テレビでしか観られない、唯一無二のものを作り続けることで、テレビに対してまだ夢を持ってもらいたいですね。

――やれることはまだまだたくさんあると。

三浦:はい。しかもテレビは無料じゃないですか。ネットは電波が悪かったら観られないけど、テレビって基本的に家にいたら観られますしね。

今、学生とか、家にテレビがない人がいっぱいいるという話もよく聞くんですが、「テレビから知った」とか「テレビで観て好きになった」とか言われるような番組を作り、テレビから新しいものをどんどん発信し続けたいなっていうのが、格好いい言い方ですけど、テレビで今後のやりたいことですね。同時にイベントもやりたいんですよ。今年早速やるんですけど。

――どのようなイベントをやるんですか?

三浦: 2つ同時にやるんですが、1つは番組『Love music』の主催する『LOVE MUSIC FESTIVAL』を新木場STUDIO COASTで。もう1個は『JUNE ROCK FESTIVAL』って言って、僕の名前の「淳」と6月のJuneを引っ掛けて『JUNE ROCK FESTIVAL』で、もう完全に「僕が出したい」というか「僕が観たい」「こんな夢の組み合わせ他ではないだろう」という組み合わせだけでやるイベントなんです。それはCLUB CITTA’で、オールナイトでやります。

「これがテレビで放送されるんですか?」というようなアーティストのラインナップですが、イベントを見に来た人はもちろん、出口としてテレビを上手く利用できれば、そこから新しいファンが増えていくと思います。イベントもアーティストに信頼されればフェスとしても大きくなるし、それはうちのイベント事業部ともしっかり組んでやっていきたいです。

――『お台場新大陸』もやられていますよね。

三浦:はい。昔から『お台場冒険王』とかイベント名を変えて、毎年社屋イベントをやっているんですが、毎年プロジェクトメンバーが変わるんです。7人ぐらい社内からピックアップされるんですが、その中にバラエティー代表で選ばれていろいろとイベントを盛り上げるためのアイデアを出しました。イベントをやるときに第一に考えたのは、まずフジテレビに興味を持ってもらうこと。イベントのアトラクションを体験して「改めて面白いな」と思わせることが大事だなと。テレビの魅力を再認識させるため、番組を面白くするのは当然ですが、イベントからも「フジテレビのファン」を増やすようにしたいなと思っています。

ちょっと遡ると「クイズ!ヘキサゴンⅡ」という番組から生まれた『羞恥心』というグループが歌を出しましたけど、あの頃にヘキサゴンの番組担当をすることになったんですね。そのときに国立代々木競技場・第一体育館で2DAYSとかイベントをやって、超満員にしてるんですよ。「クイズ番組なのにコンサートをやっているってどういうこと!?」と思いながら。でもクイズ番組からアーティストが生まれて、それが代々木体育館を埋めて、しかも紅白に行くってすごく夢があるじゃないですか。だから、音楽番組だけじゃなくても、テレビからいろんなものが音楽につながるんですよね。僕の中では音楽っていうものがずっと縦軸で走っているので、色々な番組から、それを音楽で上手く繋いでいきたいですね。

――そのことでフジテレビ全体が盛り上がっていったら素晴らしいですよね。

三浦:そうなったら最高ですね。

――他局の音楽番組のプロデューサーで気になっている方はいますか?

三浦:僕なんかが言うこともないですけど、テレビ朝日『ミュージックステーション』の山本たかおさんですね。全然面識はないんですが、どこのライブ行っても、フェスとか地方へ行ってもよくいらっしゃって、本当に足を運んでご自身の目で見て判断されているんだなと。

『ミュージックステーション』って、ゴールデンタイムでキラキラした人がいる中で、こんな人も出るんだっていうアーティストがたまに出るんですよね。やっぱりその新しい分野への開拓というか紹介も、ご本人がしっかり小さなライブハウスとかに足を運んでいたりされているからこそなんでしょうね。すごいなって思います。

――ライバルですか?

三浦:いやいや! とてもライバルとは言えないですね。レジェンドです。正直、他局ってあんまり接点がないんですよ。『ミュージックステーション』のチームとか、『バズリズム』のチームとか、ライブ会場で、バックヤードで挨拶したり、そういうことはあるんですが、仕事することがないので「一緒にご飯行こう」とかなかなかないんですよね。

――そういう意味ではテレビ局って意外に横のつながりがない気がしますね。

三浦:よくレコード会社の人と話していて「このアーティストがリリースします」といったら、普通他局の音楽番組と取り合いになるじゃないですか。視聴率をめちゃくちゃ持っている人だったら、出したがるのは当然なんです。でも、みんなが同じタイミングに同じ曲をテレビの音楽番組でやっていたら、視聴者も「テレビの音楽番組って全部一緒だな」ってなっちゃうだろうなと思うんですよ。だから、僕はあえてそこは違うブッキングで、なるべく違う人を出すことで、音楽業界全体を盛り上げていかないといけないという気持ちの方が強いんです。

――素晴らしい。

三浦:それは多分、メジャーど真ん中じゃない部分も一生懸命応援したいという僕の気持ちの表れなんですが、メジャーな人たちは、僕が頑張って応援しなくても他の番組でも応援しますし、色々なメディアで持ち上げてくれるじゃないですか。でも、そこに出られない人たちがいっぱいいて、その素晴らしい才能をピックアップするのが僕の役割なんだろうなと勝手に思っています。

「テレビなんか別に出なくていいよ」と言っているアーティストにもテレビに出てもらって、「これだけ反響があるんだから出てもいいかな」と思ってもらいたいんですよね。その関係性を作るためにもライブに足を運んで、でも、高いお酒を持っていって「これで出てください」ということは一切するわけじゃなく(笑)、汗だくなTシャツのまま「今日も最高でした」と言って、「ああ、いつもありがとうございます」みたいな感じで関係が築けたらいいですね。

ただ、ミュージシャンと連絡先を交換して飲みに行くってことは基本しないんですよ。それをやっちゃうと、いいときはWin-Winな関係かもしれないですけど、そのアーティストの人気が落ちてきたときに「最近出してくれないじゃないですか」となるのが嫌なんです。ライブは観に行きますし、楽しませてもらうけど、それ以上近づかないというか。そういう感じでやっています。

――政治の世界の人じゃないんだなということは、お話していてもよくわかります(笑)。

三浦:そうなんですよ。そういうことが一切できなくて。

――向いてなさそうですよね。

三浦:向いてないですね。だから社内外の人事とか、誰が昇進したとか全く興味がなくて、食事会もライブを 優先して断ってばかりなので「付き合いが悪い」と、一瞬で番組担当を外される可能性もあるんですけど、幸いバランスよく色々な番組をやらせていただいています。

 

「音楽番組のど真ん中」ではないからできること
 

Musicman's RELAY 第153回 株式会社フジテレビジョン ゼネラルプロデューサー 三浦 淳氏

――フジテレビの音楽番組を作ってきた人たちは、石田弘さん然り、きくち伸さん然り、音楽に対して情熱を持った人たちが多いですよね。その流れに三浦さんが連なっているような気がします。

三浦:仕事している人たちの中で、本当に自分のやりたいことをやっている人ってなかなかいないと思うんですよ。だから、そういう意味では僕も、全部が全部楽しいことじゃないですけど、一部でもこういう好きなことをやらせてもらっているという意味では、フジテレビはいい会社だなって思います。

――一部だったとしてもありがたいことですよね。

三浦:自分の好きな音楽番組をやらせてもらって、自分が出したいと思う人を出せるという枠があるわけですからね。もし自分が独立して何をやろうってなったときに、できることって本当に限られてきちゃうと思うんですよ。マネージメントやレコード会社に入って、アーティストを応援するとかはできますが、マスメディアでそういったことができるのは、フジテレビにいるからです。例え、音楽番組を外れても何かしらできると思いますしね。先ほどお話した『クイズ!ヘキサゴンⅡ』をやっていた頃は、まさに音楽番組を外れていた時期でした。

――それは三浦さんの意志で外れていたんですか?

三浦:そうですね。5年間くらい、きくち伸プロデューサーのいる音楽班と、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』をやっていた神原孝プロデューサーのバラエティー班と両方で仕事をしていたんですが、どちらかに舵を切らなければいけない時期があって、バラエティー班を選択したんです。

――なぜ大好きな音楽番組を選ばなかったんですか?

三浦:僕は本当に音楽が大好きですけど、きくち伸という僕の中でレジェンド的な存在がいる以上、彼のようなことはできないなと思っていましたし、石田弘、きくち伸みたいなレジェンドを超えられるという自信もなかったんですが、それでも僕にしかできないこともあるはずだと思っていたんです。でも、今のまま音楽班にいてもそれが出せるチャンスはないなと思って、バラエティー番組の方に行ったんです。まあ、そこでもやっぱりバラエティ番組の中でアーティストを出すコーナーを作ったりしていたんですけどね(笑)。

――音楽からは離れられないんですね(笑)。

三浦:具体的に言うと『キャンパスナイトフジ』という、『オールナイトフジ』の平成版みたいな番組を2009年ぐらいに深夜で担当していたんですよ。番組には毎回ゲストとしてミュージシャンが出演していたんですが、最初は女子大生が好きそうなミュージシャンを出していたんですよ。でも、だんだん「それじゃ普通だなぁ」と思ってきて(笑)。

――(笑)。

三浦:それで途中で1回、銀杏BOYZの峯田(和伸)くんに出てもらったんですよ。当時、峯田君はテレビにほとんど出てなかったんですけど、それがすごく良かったんですよ。「うわー、これだなぁ」と思って。それから峯田くんに何度も僕の番組に出てもらっているんですが、彼は生き方も含めて決してテレビ的ではないですし、ゴールデンタイムに出て人気者になるタイプの曲を歌うわけではないんですが、パフォーマンス含めて逆にテレビ的というか「こんなのがテレビで放送されるのか!」という興奮があったんです。峯田君が客の上に突っ込んでいったり、そういう予定調和じゃない感じが観られる瞬間もテレビの醍醐味だと僕は思うんですよ。とにかく峯田君には刺激受けましたね。

あと、その頃は暇を持て余していたので、仲のいいスチャダラパーやTOKYO No.1 SOUL SETのライブを自分で撮って番組にするとか色々やっていて、そういう地道な活動が結局大型ロックフェス『VIVA LA ROCK』の収録・放送へ繋がりました。今から考えると「音楽番組のど真ん中」でやっていなかったから、遠回りしながらですが、ここにたどり着いたんだろうなって思いますね。

――それは三浦さんの持ち味が生かせる時代になったとも言えますよね。

三浦:そうかもしれませんね。いわゆるCD全盛期の、テレビに出たらCDが売れる時代じゃなくなってきたからこそ、僕が好きなアーティストと時代が合ってきたのかもしれません。

――三浦さんは現在ゼネラルプロデューサーというお立場ですが、失礼ですがそういうふうに見えないというか…服装もラフですよね。

三浦:スーツとか着るのが苦手なんで、なるべくこういうラフな格好で。

――音楽番組のプロデューサーは、ポロシャツの襟が立っていて、背中にカーディガン巻いている人みたいな昔ながらのイメージがあったりしたもので。

三浦:でもポーズも大事だと思うんですよ。偉い人ぶって「あの人が観に来てくれている」という感じの威厳というか、「あんな偉い人がここまでしてくれている」みたいな感じを作るのも、人によっては大事だと思うですけど。

――三浦さんは「あんな偉い人がTシャツ1枚で汗だくになって…」って感じですよね(笑)。

三浦:そうなんですよ(笑)。僕の場合はそっちのスタンスです。

 

 

番組作り以外でも音楽業界とテレビ業界を盛り上げたい

――さきほどフジテレビとしての目標はお伺いしましたが、個人的な野望というか目標はありますか?

三浦:プライベートでは体力が続く限り、フェスやライブに行きたいですね。あと、今後イベントをやるというお話をしましたが、番組作りだけじゃないことをやることで、テレビ局としても一個人としても、音楽業界とテレビ業界が盛り上がるようにしていきたいなという想いはあります。

全然、話が逸れちゃうんですが、こんなライブ行くようになったのも実はこの2年ぐらいで、それまでは最前ブロックで見ることはなかったんですよ。

――え、昔からじゃないんですか?

三浦:『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』とかフェスが始まった頃は、興奮して前の方も行ったりしたんですけど、30代ぐらいになると、ライブハウスでもそうですけど、ライブスタート直前に招待で用意された席に行くというのが当たり前だったんですよね。

それが2年ぐらい前に親友になる人と出会ったんですが、その人は音楽が大好きで、しかも僕と同じように銀杏BOYZ、毛皮のマリーズとか、ちょっとテレビ的に真ん中じゃない人たちが大好きで、その人と会ってからライブ、フェスにめちゃくちゃ行って、最前ブロックで見ることの楽しさを覚えちゃったんです。

それまで1人でライブに行くことが多くて、1人で行くと荷物もあるし、Tシャツ1枚になって前の方に観に行くという発想もなかったんですが、その人と行くと当然のようにまず物販に並んでTシャツを買って着替えるんですよ。初めて一緒にライブに行ったとき、2人ともそのアーティストのTシャツを着てなかったんですけど、親友から「物販見ていいですか?」と言われたときに、僕も「ちょっと欲しいな」って気持ちが出てきて、一緒にTシャツを買ってそのままロビーで着替えたんですよ。

で、荷物をクロークに預けて、2人で最前ブロックに行って、初めの2曲ぐらいは隣で一緒に観ていたものの、途中からもみくちゃになってしまったんですが、そのときに何かのスイッチを押されちゃったようで、「今まで何でこれをしてこなかったんだろう!」という気持ちになったんですよね。で、気がついたら毎回Tシャツを買って着替えて、ステージ最前ブロックでライブを観るのがもう楽しみになって。

――やっぱりそのアーティストのTシャツじゃないと駄目なんですか?

三浦:そうですね、ワンマンとかだったら当然そのアーティストですけど、フェスだとなるべくアーティストごとに着替える。その日タイムテーブルを決めておいて、その物販に並ぶのが朝一の日課です。

――先に観る予定のアーティストのTシャツを全部買っておくんですか?

三浦:まず買うんです。物販って並ぶじゃないですか。途中で行っていると、並んでいる間にどんどんライブが終わっちゃうんで、その時間がもったいなくて。まず朝一で、ライブ始まる前に物販に並ぶ。

そういう青春時代がなかったんですね、学生時代からあまり。だから大人になって、青春時代を42歳ぐらいにしてやっと手に入れたというか。

――ライブを最前ブロックで観るようになって、音楽に対する感性が変わった部分はありますか?

三浦:ありますね。ライブでお客さんが盛り上がるアーティストを撮るとき、放送するとき、基準としてライブを楽しんでいるお客さんの画が、絶対に盛り上がってなきゃいけない。でもそれを、今までの『HEY! HEY! HEY!』とか音楽番組って、前説でこうやって(拍手音で)「盛り上げてくださーい!」とお願いして、曲終わったら拍手、歓声って練習するんですよ。でもそれって、どの番組を観ても同じなんですよね。

一番わかりやすかったのはKen Yokoyamaのライブで拍手している人なんかいないんですよ。曲途中の手拍子とかはありますけど、みんなタオルを持っていたり、こぶしを上げていて、別に拍手なんて必要ないんです。それで曲が始まったらゴロゴロと頭上を人が転がっているのが彼らのライブスタイルだし、それを煽るのが彼らの仕事というか。彼らが一番活きる環境、最高のシチュエーション、いつもの環境を作ってあげることが重要だと思ったんです。それで歌収録のスタジオに鉄柵を入れて、ダイブもモッシュもやっていい。その代わりテレビ局の収録で怪我人が出るようなことは絶対あってはいけないので、セキュリティの人数をいつもの5倍ぐらい入れました。

もちろんお金もかかりますし、でもそれをやることで絶対、他局に撮れない画が撮れる、ということにたどり着いて、それから僕の番組ではライブスタイルで、「ここぞ!」というときは鉄柵を入れて、いつも通りにパフォーマンスしてもらっています。アーティストも、お客さんがいつも通りだとテレビということを意識しないでやってくれるので、普通のテレビ番組のパフォーマンスと違うライブ感が生まれて、すごくいい画が撮れるんですよ。多分、僕がここで喋っているときの表情より、ライブを見ているときの方が絶対いい表情しているんですけど、その感じが伝わるんですよね。アーティストの表情も。

――そりゃそうですよね。

三浦:以前『VIVA LA ROCK』を収録したときに、僕はプロデューサーで3日間収録に行ったんですが、銀杏BOYZのライブが終わった後に、立ち上がれない状態のお客さんを「おっ、いい客がいる!」とカメラマンが撮ったんですよ。それでズームして撮っていたら、中継車で「あれ三浦さんじゃない!?」って…それはヘトヘトになって倒れていた僕だったんです(笑)。

――見事に映っちゃったんですね (笑)。

三浦:「何やってんだ、あの人!?」っていう(笑)。でもテレビ局の人って、そういった姿が欲しいんですよ。そんなのテレビ局のスタジオのお客さんにお願いしても、できないじゃないですか?

そういう空間を作るのが、僕のプロデューサーとしての仕事ですし、アーティストが来やすい環境、お客さんも来たくなる環境、それが揃うとやっぱり最高にいい画が撮れると思うので、撮るのはディレクターに任せるんですが、僕はそこの空気作りをこれからもしっかりやっていきたいですね。

 

第153回 株式会社フジテレビジョン ゼネラルプロデューサー 三浦 淳氏

 

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