第226回 株式会社夢番地 取締役社長/「WILD BUNCH FEST.」プロデューサー 澤弘道氏【前半】
今回の「Musicman’s RELAY」は、ソニー・ミュージックレーベルズ 春木孝一さんのご紹介で、株式会社夢番地 取締役社長 澤弘道さんが登場。
澤さんは1976年、鳥取県生まれ。広島大学工学部電気系で半導体を研究し、大学院修了後の2001年に夢番地へ入社。学生時代に6年間にわたって夢番地のコンサートアルバイトを経験し、そのままイベンターの世界へ飛び込んだ。
2005年からは広島県で行われていた野外音楽イベント「SETSTOCK」のプロデューサーを務め、2013年には「WILD BUNCH FEST.」を立ち上げ。2025年2月、会社の創立50周年を迎えた日に取締役社長に就任した。
中国・四国・関西エリアの現地イベンターとして数多くの公演を手がける澤さんに、その歩みとフェスティバルへの想い、そして夢番地の未来について詳しく話を伺った。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)
鳥取の田舎でライブに触れたことすらなかった少年時代
──慣例に従いまして、ご紹介いただいた春木さんとのご関係についてお聞かせください。
澤:春木さんが担当しているアーティストのライブを弊社が現地イベンターとしていくつか担当させてもらってまして、そのアーティストがツアーでまわってきたり弊社主催のフェスにご出演いただいたりする事が多く、一緒に現場を遂行したり食事に行ったりするうちに親しくなりました。
──2025年2月に夢番地の社長に就任されたとのことで。
澤:弊社は1975年の2月に岡山で創立。2025年2月1日で創立50周年になりまして、その節目の日に私は社長に就任しました。普段は本社岡山オフィスに勤務しています。
──では、ここからは澤さんご自身のことをお伺いします。お生まれは岡山ですか?
澤:いえ、私は鳥取生まれなんです。岩美町という、鳥取県の一番東側、兵庫県との県境にある町で、高校3年生までそこに住んでいました。
──今のお仕事につながるようなバックグラウンドはあったんですか?
澤:鳥取は日本で一番人口の少ない県で、当然時代もありますけど、当時はライブハウスも含めてコンサートやライブがすごく少なく、あっても自分が興味あるアーティストが来るとも限りませんでした。鳥取にいる間に、プロのコンサートというか・・・ライブに一度も行ったことがなかったですね。音楽のライブエンターテインメント文化に触れ合う機会はかなり少なかったと思います。
──ご家庭の中で音楽に関する雰囲気はありましたか?
澤:CDを買って聴いたりはしていましたけど、それぐらいですかね。両親もたまにテレビの音楽番組を見てる程度で、音楽に深い環境ではなかったと思います。
──ちなみに初めて買ったCDは何ですか?
澤:初めて買ったのはカセットテープで、THE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」というアルバムですね。小学校6年生ぐらいだったかな。あのサウンドにすごく衝撃を覚えました。
──ご兄弟は?
澤:10歳上の兄がいます。10歳も離れていると、共通の趣味とか遊びに発展する事はなく、「兄」というより「大人」という感じでした。怖い兄貴でしたから、よく叱られていました(笑)。
──どんな少年だったんですか?
澤:別になんてことない少年でしたね。テレビ見たり、スポーツをやったり、海で遊んだり、普通の田舎の子供でしたね。日本海側なので、夏は海水浴とか。岩美町って本当に自然しかないようなところですから。
──じゃあ、ほぼ「無菌状態」のまま少年時代を過ごしたと。
澤:そうですね(笑)。CDを聴いて、雑誌を読んで、そんな生活でした。バンドをやってみたとかもないですし、将来音楽関係の仕事をするなんて当時は全く想像もしなかったですね。
理系の大学院生が6年間コンサートアルバイト
──それで大学進学を機に鳥取から出てどちらへ?
澤:広島大学に進学しました。工学部の電気系に進んで半導体とかを研究して、大学院まで行きました。
──工学部で半導体研究、しかも大学院まで。今の仕事とかなりギャップがありますね。
澤:そうですね(笑)。ちなみにアンガールズの田中さんも広島大学の工学部の同期でしたね。全く面識なかったですけど。
──異色の同窓生ですね(笑)。そこから何がきっかけでイベンターの世界に?
澤:イベンターあるあるですけど、アルバイトからです。大学の友人が夢番地のコンサートスタッフのアルバイトを先にやっていて、「一緒にやらないか」と声をかけてきたんです。とりあえずお金は欲しいし、楽しそうだなと最初は軽い気持ちで「じゃあ、やろう」と。当時は日払いで、その日にお金がもらえていたんですよ。
──具体的にアルバイトでは何をされていたんですか?
澤:コンサートアルバイトの基本的な業務全般ですね。例えばホールコンサートだったら朝から入って、舞台セットの設営をして、会場周りの準備をして、開場からはコンサートの運営業務をやって、コンサートが終わったら撤去業務と。それがホールに限らずライブハウスだったり、1日で終わらないアリーナ公演だったり、野外公演だったりというものを全般的に設営、撤去、運営を大学4年間と大学院2年間の6年間やりました。
──それで稼いだお金を何に使っていたんですか?
澤:その日暮らしというか、日雇いバイト日払いで貰ったらすぐ使っちゃうみたいな感じでしたね(笑)。CD買ったり、レコード買ったり、洋服買ったり・・・高校の頃から洋服とか靴が好きで、鳥取にはあまりお店がないので大阪や広島に買いに行ったりしていました。
それにコンサートの現場に近づけるというのも魅力でしたね。田舎者だから、とにかくミーハーだったんですよ(笑)。必ずしもアーティストを見られるわけじゃないんですけど、現場に触れ合えるというか、そういう仕事は楽しかったですね。その流れで、自分でもチケットを買っていろんなライブに行くようになりました。
──理工系の学部は勉強で忙しいって言いますよね。
澤:正直、勉強は疎かだったかもしれないです(笑)。でも、大学院の受験の時はさすがに頑張りました。卒業論文とかもそうですけど、サボっていた分、最後の最後に追い込んで(笑)。
──同級生たちは大手メーカーに就職していくわけですよね。
澤:大手の半導体メーカーとかそういう企業に行っていると思います。卒業後に全く会話してないというか、会ってないんでわからないんですけどね。おそらく音楽業界に来たのは私と、最初にコンサートスタッフのバイトに誘ってくれた友人ぐらいだと思います。その彼はいま広島クラブクアトロの店長やってますよ。
──6年間もアルバイトをしていると、それなりにポジションも上がっていきますよね。
澤:そうですね。だんだんとアルバイトチーフと呼ばれるポジションになっていきましたね。アルバイトの皆さんに指示をしていろいろ動いてもらうようなポジションで、そのうち会社側から「うちに入社しないか」という話が来て。なので、就職活動は一切せず、最後の1年ぐらいは夢番地に入るつもりでいました。
──そのアルバイト時代で印象に残っているコンサートはありますか?
澤:うーん、たくさんありすぎて・・・(笑)。やっぱり初めてフェスに行った時の衝撃は大きかったですよね。フジロックに行ったり、サマソニに行ったりというのを学生の頃からしていたんですけど、「これはすごいな!」と。自分もこういうものを作る側になりたいという気持ちが生まれたきっかけだったかもしれないです。
──会社側から見ると理想的な新入社員ですね。今もアルバイトから入社のパターンは多いんですか?
澤:はい、営業や現場の社員はアルバイトからの入社が多い傾向にあります。
──順調に理系の進路を進んでいたなかで、ご両親は驚かれたんじゃないでしょうか?
澤:本人がやりたいって言うんだったら構わないという姿勢でしたけど、内心どう思っていたかはわかりません。ただ一度、大学院を1年ぐらいやった時に途中で辞めたいということを言ったことがあって、その時は両親から「絶対ダメだ」と反対されましたね。その頃から夢番地への入社を目指す気持ちもあったんですけど、「何になるにせよ、自分がやると言って進んだ大学は最後まで必ず卒業しろ」と言われました。それを達成したらその後の行き先は自分が選んだものに進めばいいとは言ってくれました。
──では、途中から研究者の道や企業の研究職は考えなくなっていたんですか?
澤:細かい時期は覚えていないですけど、大学院に通っている途中からはそういうコースの人生ではなく、夢番地に入ることをイメージした生活をしていたということですね。それほどライブの現場の仕事は楽しかったし、やりがいもあったし、魅力的な仕事だなと思っていましたね。
フェスの楽しさに目覚め「SETSTOCK」のプロデューサーへ
──それで大学院も無事卒業し、満を持して夢番地に入社。岡山に行くことになったんですか?
澤:いえ、まずは広島オフィスに入社しました。弊社は岡山オフィスと広島オフィスと大阪オフィスがあって、私はアルバイト時代からの流れでそのまま5年間広島オフィスに勤務し、6年目に岡山オフィスに転勤しました。
──岡山と広島と大阪、3拠点で西日本地区をカバーしているんですね。
澤:そうです。岡山オフィスと広島オフィスで中国地方と四国地方の公演を担当し、大阪オフィスが関西エリアの公演を担当する形ですね。
──好きで入ったけど、入ってみたらちょっと違ったというギャップはありませんでしたか?
澤:全くギャップが無かったとは言いませんけど(笑)、入社して最初の頃は無我夢中でやっていました。ただ、仕事は楽しかったという印象は残っているので、今振り返ると頑張っていたなと思いますね。ちょうど「SETSTOCK」が始まる頃で、やっぱり自らフェスを開催して作れるっていうのは、会社としての楽しさはありましたね。
──入社してすぐに担当アーティストを持つものなんですか?
澤:最初からいきなりということではないですけど、徐々に担当する公演が増えていきました。先輩について現場を回りながら、少しずつ自分で回せるようになっていく感じで。イベンターの仕事って、現場で覚えることがすごく多いんですよ。アルバイト時代に6年間やっていたとはいえ、社員として担当するとなるとまた全然違う世界で、アーティスト側との交渉もあれば、会場との調整もあるし、チケットのことから当日の運営まで全部見ないといけない。でも、そのすべてが楽しかったですね。
──入社する頃に「SETSTOCK」が始まったんですか?
澤:「SETSTOCK」というタイトルとしては1999年に始まりました。私の入社は2001年なので、「SETSTOCK」の初期はまだバイト時代でした。もともとTSS(テレビ新広島)さんが主催する「SOUND MARINA」という野外イベントがあって、そこに我々が運営やアーティストとのやりとりで入っていたんです。そのサブタイトルが「SETSTOCK」で。瀬戸内海の「瀬戸」と1999年にニューヨークで開催された「Woodstock」を掛けてつけられました。
──TSSさんとの共催から始まって、徐々に独立していったんですね。
澤:はい。TSSさんと一緒にやっていた時は広島市の観音マリーナというところの野外で開催していましたが、「SETSTOCK」というタイトルのみで最初にやったのは2002年の尾道市の向島洋らんセンターというところですね。
で、2003年からは国営備北丘陵公園という広島の山の方で大規模に開催するようになって。広島市内からはちょっと遠いんですけど、その分、逆にピクニック感覚で音楽を楽しみに行けるような環境で。その2年後の2005年から、私が「SETSTOCK」のプロデューサーを務めるようになったんです。入社してまだ5年目でしたけど、任せてもらえたのは嬉しかったですね。
──フェスを作るというのは、相当なやりがいがあったでしょうね。
澤:そうですね。大規模のフェスとなると何万人ものお客さんが来るわけですから、様々な事を段取らなければなりません。当然リスクも大きいけど、楽しくないわけがないじゃないですか。お客さんがたくさん来てくれて盛り上がっている姿を見ると嬉しいですし、アーティストの方々が楽しんでいるのを見るとすごく達成感があります。
──自分たちが楽しめないと、お客さんも楽しめないですよね。
澤:それはその通りで、自分たちがこれ楽しいよねって思えないと、良いフェスにならないと思います。だからクオリティをどう上げるかっていうのは、我々としても努力というか考えながら、他のフェスとかもいろいろ見に行ったりしながら学んでいます。
後半は4月6日(月)公開予定!
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「Musicman大学」は世界の音楽業界の最新トピックスを解説。講師は『音楽が未来を連れてくる』の著者、Musicman編集長・榎本幹朗。「Talk&Songs」は月間500組ものアーティストニュースを担当するKentaが選ぶ、今聴くべき楽曲と業界人必聴のバズった曲を解説。
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