第166回 ベーシスト 鳴瀬喜博氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

鳴瀬喜博氏
鳴瀬喜博氏

今回の「Musicman’s RELAY」は野呂一生さんのご紹介で、ベーシストの鳴瀬喜博さんのご登場です。大学在学中からディスコを舞台に演奏活動を始めた鳴瀬さんは、その後、カルメン・マキ&OZへの参加を皮切りに、Charとの出会いからスモーキー・メディスン、そして’75年 金子マリ&バックスバニーを結成。同時にスタジオミュージシャンとしても活動を開始します。そして’90年カシオペアに加入後も、代名詞であるチョッパー奏法と多弦ベースを携え、現在も数多くのセッションやライブで大暴れしている鳴瀬さんに、50年にも及ぶミュージシャン生活を振り返って頂きつつ、カシオペアでの活動そして現在まで、たっぷり語って頂きました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

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第166回 ベーシスト 鳴瀬喜博氏【前半】

 

「鳴瀬さんどうですか?」野呂一生の姿勢にノックアウトされカシオペア加入

──チョッパーはどこの辺から始めたんですか?

鳴瀬:バックスバニーの初期かな。ラリー・グラハムのレコードを聞いて「なんだこれ?」とか言いながら。あの頃あれを聞いてさ、みんな「どうやっているんだろうね」って言っていたんだよね。

──みんなビックリしたんですよね。

鳴瀬:ビックリした。話が前後しちゃうけど、マリがジャンジャンの稲垣次郎さんのセッションに出るというので観にいったの。そのときに岡沢章がベースで、たまに「ペッ」とかやるわけよ。「あ、あの音だ」「ああやってやるんだ」とか思いながら観ていた。その後、ルイス・ジョンソンの演奏を目の前で観て、それ以来、家で練習し始めた。3分の砂時計を置いてずっとやったね。チョッパーって持続しないといけないんですよ。最初からの勢いがしぼんじゃったら駄目だしね。だからずっと練習やっていたね。

──チョッパーをやるベーシストって、日本では少なかったですよね。

鳴瀬:次利が最初だよね。次利が「チョッパーズ・ブギ」っていう曲を出して。あれで「すごいなあ次利」とか言ってさ。今思うと大したことをやってないんだけど、あのころはすごくグルーヴィーっていうか、あのパターンにびっくりしちゃったよね。それから俺もやるようになって。二番煎じですよ(笑)。

──いやいや(笑)。鳴瀬さんというとチョッパーとともに多弦ベースのイメージがありますが、あそこまでやっている人はあまりいないじゃないですか。

鳴瀬:そうだね、8弦とかね。まあ、8弦ってある意味チョッパーはすごくやりやすいんだよね。複弦をいっぺんに叩くから、慣れちまえば関係ないんですよ。ただ、2フィンガーをやるときには、早いパッセージとか難しいんだけどね。8弦はTUNEっていう大阪のメーカーが作っていて、そこから手に入れて、カシオペアが始まったときにリハで使いだしたら「あ、いい!」って。それまで歌の伴奏とかで使おうと思っていたんだけど全然合わないなって。複弦はうるさいじゃない?ただでさえうるさいのに(笑)。だからカシオペアは8弦の救世主なんだよ。

──カシオペアに参加したのは90年、前任者の櫻井哲夫さんの脱退を受けて加入することになったわけですが、どういった経緯だったんですか?

鳴瀬:80年代の終わりに、櫻井がカシオペアを辞めるっていうのは噂で聞いていて、それで野呂から留守電に「電話をください」とメッセージが残されていたから電話して、「鳴瀬だけど、櫻井辞めるんだろ?」って言ったの。俺は「いいベース、誰か知りませんか?」っていう電話だと思ったわけ。そうしたら「鳴瀬さんどうですか?」って言うから「えー」って。なにより「やるとなったら、最低でも10年は続けたい」と野呂が言うのよ。あのころバンドを2年続けるのも大変なのに、10年続けるっていう、そういう意気込みというか姿勢にビックリしちゃってね。そうしたら「今どれくらい稼いでいます?」みたいな話になって「大体こんなもんかな」って言ったら、「カシオペアだったら大丈夫です。保証します」みたいな。すごいでしょ?そこまで心配して。

──なんだか社長さんみたいですね。

鳴瀬:一応、野呂社長なんで(笑)。いやあ、すごいなと思って。普通あのころ、いくらバンドをやるって言っても「ちょっと軽くやろうか!」みたいな感じじゃない?

──ちょっといい加減な。

鳴瀬:でも野呂は、カシオペアってものにプライドがあって、それを壊したくないし、続けたいっていう、その姿勢たるやすごいし、やっぱりノックアウトされちゃうよね。それで「よろしくお願いします」ってことになった。

──きちんとしている。

鳴瀬:ちゃんとしているよね。で、丁度あの頃、オレ仕事一杯やってたからさ、収入を聞かれたタイミングがよかった(笑)。聞かれたときに仕事がなくて「本当に渡りに船!」じゃなかったから、まだよかったな。

とにかくそういう野呂の姿勢から始まって、最初の「THE PARTY」っていう、レコーディングというかライブだよね。映像を撮ってやるっていう。俺はまだよかったんだけど、ドラムの日山(正明)なんて相当のプレッシャーだったと思うけど、カシオペアってそういう無茶をやらせるんだよね(笑)。俺はキャリアがあったからまだよかったけど、最初にやらされたら、たまったもんじゃねえなっていうね。次のアルバム(「FULL COLORS」)とかも、とにかく曲がいいからさ。4人でやるインストとしては最高だなって思っていた。それで海外にも行ってレコーディングを1か月やったり、あの頃羽振りがすごくよかった(笑)。オランダに1か月行ったりとかしていたしさ。

 

 

カシオペアを続けることの大変さ

──今振り返っても90年代って、音楽業界にとっては夢のような時代でしたよね。

鳴瀬:ホントだよね。でも、イベントとかプッツリなくなったよね(笑)。アルバム作りは野呂にしてみたら大変だったろうな。こっちは何曲か作ればいいけど、野呂はコンセプトから全部考えなきゃいけない。考えたい人だしさ。ただ、それはやっぱり大変で、休止の前は「今年はCDを作るの止めようかな」というのもあったのよ。でも「CD制作して、ツアーをやるから、やったほうがいいんじゃない?」とか、事務所の「そうしてください」みたいな話があって、野呂は大変だったと思うよ。だから、よっぽどの決心を持って、休止は決めたんだと思うけどね。

その休止の話も野呂と音大で話したのよ。音大は控室とかも他の先生がいたり助手もいるから、二人きりになれる部屋に行って、野呂が「休止したいんだ」って。「まあそうだよな、いろいろあるよな」って言って、「俺のことも原因としてあるんだろ?」って聞いたら「いや、鳴瀬さんは最初からゲストという感じでやってもらっていますから、大丈夫なんですよ」とか、気を遣って言ってくれたわ(笑)。

──それだけ長くやり続けるのは大変ですよね。

鳴瀬:引っ張っていくほうは大変だと思う。

──当然マンネリは嫌だし「同じことをやっている」と言われるのは嫌だし。

鳴瀬:なおかつ4人でやるっていう姿勢を崩さないじゃない?入れてもパーカッション、ブラスをちょっと入れたりとかで、4人で作るっていう形が決まっているから、これを10年以上続ける、20年続けるって大変なことだよ。プレイヤーは一緒なんだから。毎回メンバーを変えてやったりとか、そういうのとは違うから。

──40年って、本当に考えられない程の年月ですよね。40年間で何本のライブをやったかってことですよね・・・数え切れない程の本数ですよ。

鳴瀬:そうだよねえ(笑)。90年代は特に多かった。

──活動休止前のカシオペア時代で最も記憶に残っているライブは?

鳴瀬喜博氏

鳴瀬:俺のカシオペアでの初ステージは、伊豆のぐらんぱる公園のイベントだったんだよね。そのときにファンが集まるじゃない、俺が初お目見えだったんで。「Galactic Funk」のベースソロで前に出てワーってやって、そのあと「ASAYAKE」でお客さんが手を上げるの初めて見たり。あとは初ツアーの新宿厚生年金会館2デイズだったかな、あのときの始まる前の熱気っていうか「新しいカシオペアが始まるぞ」っていう熱気があって、すごく記憶にあるなあ。でも、こうやってずっとやってると、もう分かんないもんね。あと何年やれるか分からないから、ちゃんと覚えてなきゃいけないなとは思うんだけど、すぐ忘れる(笑)。

──忘れないと、次のことができないですよ。

鳴瀬:ですよね(笑)。今、曲を覚えるのがすっごい大変だよ。3、4か月前から曲を出してもらって、譜面を揃えて、以前やった曲もすぐ忘れちゃうから「ここどうだったっけなあ」とかやりながら3、4か月前から練習やっている。

──野呂さんは、少なくとも10代の終りから20代の半ばくらいまでは、大体1日10時間はギターを練習していたっておっしゃっていました。

鳴瀬:本当!? すげー。

──そこまではやってない?

鳴瀬:そんなにやってないなあ。だって、いくらチョッパー特訓といったって、1時間ぐらいが限度でしょ?(笑)「もういいわ」って。「じゃあ飲みに行こうか」ってなっちゃうし(笑)。

──(笑)。野呂さんは寝ている時間以外はほとんど練習していたと。山本恭司さんもそうおっしゃっていました。

鳴瀬:ギタリストってすごいなあ。渡辺香津美と一緒にやったときにさ、彼、楽屋でもずっと弾いているんだもん。

──喋りながらでも弾いているでしょう?

鳴瀬:喋りながら弾いている。それで以前、香津美に楽屋で一緒の時に「『上を向いて歩こう』をやっていたよね?」って聞いたら、すぐ弾いてくれるの。いつもやってなければ、普通「忘れちゃったな」とかなるじゃん。やっぱそういうタイプなんだね、ギターって。すごいなと思うわ。

 

 

カシオペア3rd再始動とインストゥルメンタルのシビアさ

──2012年、カシオペア3rdとして再開されますが、これは鳴瀬さんから「やろう」と声を掛けたそうですね。

鳴瀬:休止しているときに、カシオペアのコピーバンドと一緒にやるとか、そういうバンドを観に行ったりする機会があって、カシオペアの曲に対するラブっていうか、リスペクトみたいなのを感じられて、それに聴いていて面白いし「これ、こいつらだけにやらせておく手はねえな」と思ったんだよね。そこから野呂と、そういう話をするようになったのかな。

──休んでいた5、6年の間というのは、どのような活動をされていたんですか?

鳴瀬:いろいろなことをやっていたね。カシオペアのアルバムに俺の曲がいろいろ入っているじゃない?その曲を集めて、ブラスセクションを入れて、「NaruChoice」っていうバンドをやっていたのよ。キーボードレスなんだけど、向谷をゲストに呼んだりとか。手っ取り早いから(笑)。カシオペアでの曲もちょっと毛色が変わった感じでやったり。

実は、カシオペア3rdをやる前、ナルチョイスの最後のライブのときに、ゲストに野呂一生、あと大髙(清美)を乱入させてやったことがあるのよ。それが一応今後の伏線みたいな感じでね。「Fightman」とか「Golden Waves」とかをやって、面白かったな。ナルチョイスみたいなのもまたやりたいんだけど、みんな忙しくて、ブラスの人とかスケジュール全然取れないんだもん。もうさ、3人以上はスケジュールを合わすの至難の技だよね(笑)。みんな忙しいなあっていうか、いろんな仕事が今あるよね。

──スタジオミュージシャンで暇だと言っている人もいますけどね。

鳴瀬:スタジオ仕事が減って、みんなライブをやるようになって、小っちゃいお店のライブでも今どんどん増えているよね。だからみんな忙しいなって。スケジュールを取るだけでも面倒くさい(笑)。

──上手い人をブッキングするのは大変?

鳴瀬:大変だよねえ。でも今、若くてもみんな上手いしね(笑)。本当にビックリするよね。やっぱり時代なんだろうな。

──カシオペア3rd開始からすでに8年ですね。

鳴瀬:早いねえ。今年の夏はツアーで毎週末地方だからさ。それで2日間やって次の日に帰ってくるじゃん?それで仕事場の洗濯機で洗濯をしながら休んで、その次の日ぐらいに「ちょっと仕事やろうかな」ってなっても「ああ疲れているな」って休む。それで週の半分が終わっちゃう(笑)。

──いやあれだけのライブをやるんですから疲れると思いますよ。でも3rdが復活して、充実していますか?

鳴瀬:そうだね、充実した余生をすごしています(笑)。

──(笑)。

鳴瀬:今年70だからね、俺。

──70までベースを弾いているとは思わなかったですか?

鳴瀬:思ってない、思ってない。30になったときに「あと10年やれるかな?」と思ったのを覚えている。

──そこから40年程経ってますよ(笑)。

鳴瀬:(笑)。でもね、カシオペアは特別だからさ。インストゥルメンタルの曲を弾けなきゃいけないから、毎年「弾けるか弾けないか」というところで自分に課しているっていうのかな。ちゃんとやれたかっていう部分で、ここ何年かは「もうちょっとやれるな♪」って思っているよね。

──王選手が「今シーズンもホームランを打てるのか?」みたいな、そういう心境ですか。

鳴瀬:いや、王さんとはレベルが違う!(笑) もっと小っちゃい話だわ。演奏はスポーツよりかはまだやれるけど、カシオペアはかなりキツいし、しかも8弦で、ハードルが高いし、曲数が17、8曲で途中ベースソロをやらせるんだよ?そのとき野呂は休んでいるんだけど、でも、それまではいっぱい弾いているからな(笑)。それで「野呂、ちょっと曲減らさない?」って言ったら「いや、昔はもっと多かったんです」って。「昔の話をすんなよ!」ってさ、そこで話が終わっちゃうんだけどね。

──しかも全部暗譜ですよね。

鳴瀬:そう。譜面見てやれないわ、カシオペア。ちゃんと覚えてやらないとね。

──インストゥルメンタルって「演奏が全て」なわけじゃないですか。すごくシビアな世界ですよね。歌を聴いていたから、誰が間違っていたのが分からなかったってわけにはいかない。

鳴瀬:そうなのよ。間違えるとすぐバレる(笑)。この間も「ASAYAKE」のエンディング、数 間違えて早めに終わろうとしちゃってさ。ハッと気がついたら、野呂とか大髙さんがこっち見てる、神保もだぁ…いやあ、すぐバレるなと思ったね(笑)。

 

 

プレイヤーとしてカシオペアという相応しい場所に出会えた

──最近のミュージシャンを目指す若者や、教えている音大生とかどう見えますか?

鳴瀬:みんな上手くてびっくりするんだよな。この間一緒に演奏したm.s.t.っていうユニットのベースの子(小山尚希)は34歳で、もともとクラシックをやっていて、ウッドベースの弓も使えるし、エレキベースも弾ける。しかも俺がワーッっ弾いても負けじとひずみ系の演奏もやって「ヒェー!」と思うよね。

音楽的素地がすごくあって、クラシックやジャズを分かって、なおかつひずみ系も分かっている。俺はひずみ系だけだし、ホント裾野が広いって思うよ。でもその中で自分のプレイを見つけて、個性を出していくのはものすごく大変じゃない? これから彼はそういう壁にぶつかっていくんだろうけど、若いやつを見ると、こっちの狭さにビックリするよね。みんな上手いしさ「簡単に弾けちゃうの、これ?」みたいなのって結構あるからね。おい勘弁してくれよって思うよ(笑)。

──でも、深さが違いますよね。

鳴瀬:まあキャリアというのはあるだろうけど。

──情報にも恵まれ文化的な水準も上がり、その中で音楽を始めた人と、「これどうやってやるの?」というところから試行錯誤して自分の音を見つけた世代とのハングリーさの違いみたいなものはあるかもしれないですよね。

鳴瀬:あるね。だってYouTube観れば答えが全部出ているから、逆に大変だろうなと思うよね。俺みたいなのが今の時代にベースを始めたら、多分止めていると思う。「これは敵わないな」っていうか。自分しか知らなくて「上手いね」とか言われると、調子に乗ってやれちゃう時代だったじゃない? だからまだよかったなっていう。今だったら絶対駄目だな。逆に若いやつは偉いなと思うよ。

──情報がない分、自分を信じられた。

鳴瀬喜博氏


鳴瀬:
そうそう。今だったら絶対信じねーな(笑)。

──(笑)。鳴瀬さんのミュージシャン人生はもう50年以上ですよね。

鳴瀬:だね、20歳すぎからやっているんだもんなあ。ディスコからはじまって。

──驚異的なことですよね。ミュージシャン冥利につきるというか。

鳴瀬:確かにね。もうちょっと上手くなってもいいのになっていう気持ちもあるけど(笑)。

──これだけの長きわたり仕事が続いている、評価され続けるというのはとんでもないですよ。殿堂入りですね。

鳴瀬:どんな殿堂だよ(笑)。確かに俺の年で、こういう感じでやっている人いないもんね。岡沢君も、大仏(高水健司)も、俺より若いんだから。で、カシオペアのような音楽じゃないでしょ? 俺みたいなベースのスタイルじゃないし、そういう人って他にいるかな? みたいに思うこともあるよ。世界にはいるだろうけどさ。

──少なくとも国内ではいないでしょうね。

鳴瀬:かと言って、俺が地味なベースだけでいっちゃうのも、どうなんだろうなと思う。だからカシオペアのお陰というのはあるよね。なんか知らないけど、水が合ったというのかな。まあ野呂にしちゃ迷惑だったかもしれないけど(笑)。なおかつさ、他のこともやらせてもらえる余裕があるっていうところで、俺にとってカシオペアは素晴らしいところなんだよ。だからもうちょっと頑張ろうかなって思うね。

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