第162回 株式会社リットーミュージック 取締役 國崎晋氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

今回の「Musicman’s RELAY」はオノ セイゲンさんのご紹介で、株式会社リットーミュージック取締役 國崎晋さんのご登場です。少年時代にラジオやシンセサイザーを通じて音楽に興味を持った國崎さんは、大学時代に演劇活動に熱中。卒業後は書店、オーディオ・ビジュアル系の出版社勤務を経て、リットーミュージックの『サウンド&レコーディング・マガジン』(以下『サンレコ』)編集部へ。編集長を20年間務め、ミュージシャンやエンジニアへの取材を通じての制作現場レポートや、機材使いこなしのノウハウなど多数の記事を手掛けられます。同時にライブ・レコーディング・イベントの開催やレーベル運営、アーティストのプロデュース活動も開始。現在は多目的スペース「御茶ノ水Rittor Base」を通じて新たな企画に取り組む國崎さんにお話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

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第162回 株式会社リットーミュージック 取締役 國崎晋氏【前半】

 

より現場で近いところで仕事をしたい〜『サウンド&レコーディング・マガジン』へ移籍

ーー 音元出版にはどのくらい勤められたんですか?

國崎:2年ちょっとですね。やっぱりそんなにオーディオマニアではなかったので、長くは続けられないかなと。それで愛読していた『サンレコ』の編集部で仕事をしてみたいなと思いました。実は、八重洲ブックセンターにいた頃に『サンレコ』のスタッフ募集があって、応募したことがあるんですが、そのときは落ちてるんです。

ーー 1回落ちているんですか。

國崎:はい、書類で落ちています。書類で落ちた会社で今は取締役をやっているって不思議な感じです(笑)。でも、まあ、編集経験のない書店員から応募があっても、普通は落としますよね。

ーー でも2回目に受けたときは出版社での編集経験があったと。

國崎:はい。あと『サンレコ』でよく書いていたライターさんが、音元出版でも書いてらっしゃったんですよ。そのライターさんに「『サンレコ』で書いている記事を毎月楽しみに読んでいます!」と猛烈にアピールして(笑)、『サンレコ』に入りたいんで紹介してくれませんかとお願いしました。

そうしたらそのライターさんが、僕の前の編集長の浜崎(克司)と仲が良くて、「浜崎が1回会いたいって言っている」と。それで面談していただいたんです。僕はずっと『サンレコ』の読者でしたから扱っている内容に詳しいですし、しかも編集者キャリアもあるということで即採用が決まりました。

ーー やっぱり嬉しかったですか?

國崎:嬉しかったですが、八重洲ブックセンターを2年、音元出版も2年で辞めることになって、会社ってどこも辛いものなんだなと思っていたんです。好きなことだけをやれるわけでもないですし、入ってみると嫌なことも多いですから。

それで「大好きな『サンレコ』を嫌いになるんだったら、若いうちの方がいいな」って思ったんですよね。30過ぎて満を持してリットーミュージックに入って嫌な会社だったら辛いじゃないですか(笑)。だから嫌いになるんだったら早く嫌いになりたいという気持ちの方が強くて、「リットーもまた2年だろうな」って思っていました。嫌いになって、そうこうしているうちにまた全然違うところに行くんだろうなと。でも、結局もう30年近く在籍しています(笑)。

ーー 嫌いになることがなかった?

國崎:どうなんでしょう(笑)。入ってすぐは、とにかく忙しくて大変でしたね。音元出版では隔月刊誌と季刊誌しかやってなかったので、まずは月刊誌のペースの慌ただしさにビックリ。ただ、編集の仕事は一通りできたので、割と早く主力として働けるようになりました。

ーー 『サンレコ』は自分のやりたいことができる職場でしたか?

國崎:そうですね。やりたかった企画をどんどんやらせてもらえたので楽しかったです。

ーー 『サンレコ』の編集長にはどれくらいでなられたんですか。

國崎:26歳で編集部に入って、30歳くらいで編集長になりました。

ーー すごく若い編集長ですね。

國崎:ダントツで若かったです。今でも覚えているのが、当時の『ギター・マガジン』の編集長に「お前『ギタマガ』だったらまだ副編集長にもなれていないぞ」って言われたこと。それくらい若かったんですよ。

ーー 普通に言えば大出世ってことですよね。

國崎:大出世だったと思います。なんでそうなったのかよく分からないですが、前編集長の浜崎が他の事業を始めたかったときに、僕みたいなある程度キャリアを積んだ人間が編集部に入って来て「こいつでいいや」って思ってくださったんですかね (笑)。

ーー (笑)。「編集長になったらこういう風に変えよう」とか色々なアイデアをお持ちだったんじゃないですか?

國崎:たくさんありましたけど、実際に編集長をやってみるとそんな簡単にはできないんだなって思いました。

ーー 責任が重いですものね。

國崎:重いですね。会心の号ができたと思っても売れなかったりして、最初のころは常に試行錯誤でした。

ーー ご自身は『サンレコ』の読者だったわけで、読者から作る側になったときに、読者としての視点はずっとキープしていたんですか?

國崎:それはずっとキープしていました。基本ずっと読者の目線で企画を考えていましたし、できあがった誌面を読むときもそうです。で、重要なのはその読者としての自分の置き所ですよね。例えば、「もっと格好良く、洒落た誌面にするといいんじゃないか?」と思ってやってみると「スカしたもん作りやがって」と思う方がいて、スルーされたりとか(笑)。「読者」とひと括りに言っても色々な方がいらっしゃるので、最大公約数をどう見ていくのかが難しいところです。

 

 

新しい技術をキャッチアップしてきちんと伝える

ーー そもそも『サンレコ』という雑誌が、よく『キーボード・マガジン』の増刊から独り立ちできたなと思うんですよね。

國崎:それは創刊時のメンバーがすごかったんじゃないですかね。『キーボード・マガジン』『ギター・マガジン』『ベース・マガジン』というような楽器主体の発想から『サウンド&レコーディング・マガジン』って、よくそんなものを考えて作ったなと思います。

ーー ちゃんと時代を捉えたソリューションですよね。

國崎:ええ。最初は全然売れない雑誌だったらしいですが。僕が入ったころは多重録音、自宅録音が流行りだしていたので、うまくその波に乗ることができました。

ーー 音楽業界の技術革新とともに『サンレコ』は大きな存在になっていきましたね。

國崎:技術革新がものすごかった時代に、それをキャッチアップしてきちんと伝えるという役割を、黙々と果たし続けてきたからだと思います。例えば、Macintoshが出てきたりとか、ハードディスクレコーディングが出てきたときに、それらを受け入れられない人たちがいるわけです。でも僕はテクノロジーが好きだったので、「これだ!」と思ったら「これからはもうMacでしょ」って推すんです。ハードディスクレコーディングが出てきたときも、「アナログレコーディングの方が音がいい…」という声に対して「いや、これからはもうデジタル」っていうのを大々的に取り上げる。啓蒙っていうか、分かりやすく見せていかないと、みんな次のステージに行かないんですよね。

誤解しないで頂きたいのは、これって「古いものは滅びてしまえ」ということとは違うんです。新しいものをきちんと応援して、その上でみんなが「使う」「使わない」の判断をする。一番イヤなのは素晴らしいのに十分に知られずに消えていくテクノロジーになってしまうこと。なので、「これは」と思ったテクノロジーはフックアップしてあげる。「これすごいから応援しますよ」という気持ちはとても強く持っていますね。

ーー 一方でレコーディングスタジオの人たちは、「『サンレコ』という雑誌がなければスタジオにもっと人が来たはずだ」と思っています。

國崎:そう思われているという自覚はすごくあります。「『サンレコ』とプロトゥールスのせいでスタジオを潰された」って本当によく言われるので。もちろん、それは僕らの本意ではないですが、罪の意識はあります。

ーー 罪の意識は持たなくてもいいんじゃないですか?

國崎:いや、すごくありますよ。自宅ではできない音、録れない音というのがあるのに「なんでも自宅でできるよ」って言い過ぎたなと。5、6年前に「Premium Studio Live」というイベントを始めたのも罪滅ぼしというか、スタジオじゃないと録れない音があるということを伝えたかったからです。サウンドシティさんやサウンドインさん、なくなっちゃいましたけど一口坂スタジオさんなど、色々なスタジオで開催しました。

ーー スタジオでの録音を知らない人に体験してもらうのは大きいですよね。

國崎:そうなんですよ。もちろん自宅のPCでほとんどのことはできてしまう時代ですし、それが今の音だよと言われたらそれまでですが、そうじゃない音も知ってもらいたい。昔を懐かしむのではなくて、スタジオで今までとは違う新しい音楽、新しい録り方ができるんじゃないかと思うんですよね。

ーー 國崎さんが『サンレコ』に入られた頃はまだスタジオはたくさんあったわけですよね。

國崎:ええ。毎月のように新しいスタジオができ、取材に行っては記事を作っていました。

ーー 『サンレコ』は、ビジネス的に今好調ですか?

國崎:はい、お陰様で出版不況と言われる今でもきちんとビジネスになっています。ウチの会社の中でも『サンレコ』と『ギター・マガジン』は特に調子がいいですね。

ーー 國崎さんはいつまで編集長を務められたんですか?

國崎:2014年までです。それ以降は後任の篠崎(賢太郎)編集長ががんばってやってくれています。

ーー 今は編集部から完全に外れているんですか?

國崎:外れています。2018年の3月までは編集人という編集長の上の役職をやっていたんですが、それ以降は現在関わっている「御茶ノ水Rittor Base」に専念しています。もちろん、たまに記事は書きますし、さすがに長く編集長をやっていたので、色々な方から「ちょっとこれやってくれない?」みたいな話が来ます。それで篠崎に「こんな話が来ているけど、どう?」って持ちかけると、「國崎さんがページ作ってくれるならいいですよ」って(笑)。

 

 

求められるミドルマン的な役割

 

株式会社リットーミュージック 取締役 國崎晋氏

ーー 今って自分で音楽を作って、自分でプロモーションもして、1人でレーベルができちゃう時代ですよね。

國崎:そうですね。『サンレコ』でそれを後押ししたという自負はあります。

ーー この先、音楽の制作環境や音楽業界はどうなっていくとお考えですか?

國崎:色々な方がおっしゃっていますが、ディレクションやプロモーションをきちっとやる人があらためて求められていると思います。自宅で音楽を作って、Spotifyで配信してって、確かに誰もができるようになりましたけど、もっと作品を良くするためのアドバイスをする人間や、それをリスナーに届けるための戦略を考えたりする人間がやはり必要です。僕もその一人になれるよう頑張りたいと思ってます。

先ほどお話した「Premium Studio Live」も実はその一環でやっています。スタジオを1日ロックアウトして、DSDレコーディングという、プロトゥールスと違って編集のできない…演奏を一発で決めてもらうしかない状況で録音をする。そうすることでミュージシャンの気合いが入って、すごくいい演奏が録れ、1日でアルバムが完パケちゃうんですね。

ーー 良い緊張感があるんですね。

國崎:はい、ミュージシャンからも「楽しかった」と言ってもらえる。昔だったらレコード会社さんに余裕があって、ちょっと変わったセッションとかも企画されていたんですが、今はそういうことはあまりない。ミュージシャンも「スタジオを使っての仕事なんて全然ないし、『ここにギターを入れておいてください』ってデータだけ送られてくるだけ。そんなの面白くないんだよね」って。こういう活動や役割は求められているんだなと思いました。

ーー 「共演経験のないミュージシャン」を繋げるのも刺激的ですよね。

國崎:はい。年配のミュージシャンの方も、実は若い人と共演したいけどなかなか機会がなかったり。10年近く前に清水靖晃さんと渋谷慶一郎さんのセッションを企画したことがあるんですが、清水さんからすると、僕のような人間から「渋谷慶一郎って若いのがいて、共演したら絶対面白いですよ」って声掛けしてもらえたのは嬉しかったそうです。

で、渋谷さんからしてみると、雲の上の存在だった靖晃さんと共演できると聞いて「マジですか? 大ファンなんです」と。そうやって双方から喜んでもらえると嬉しいですし、この役割を果たしていこうと思いました。

ーー そういうことがこれからは「御茶ノ水Rittor Base」でできるんですね。

國崎:はい、そういう意味で拠点を作りたかったんです。あと、アーティストがスゴイんだって姿をもっと観せたいんですよね。だから「御茶ノ水Rittor Base」は、いい音で録音できるだけじゃなく、動画のストリーミングもできるようにしています。面白い音楽が演奏され、それが毎日ストリーミングされているといいなと。

 

多目的スタジオ「御茶ノ水Rittor Base」の新たな挑戦

ーー 「御茶ノ水Rittor Base」は、國崎さんが発案者なんですか?

國崎:もう10年以上前になりますが、「ライブハウスをやりたい」と提案したんです。若手のミュージシャンが演奏する場をもっと作ってあげたかったんです。ただ、やるとなるとかなりの投資になるのでなかなか実現しなかった。

それで数年前にちょっと考えを変えて、ライブハウスじゃなくてストリーミング用スタジオを作りませんかと提案したんです。投資金額もライブハウスより少なく済むし、興業リスクも負わないからいいんじゃないかなと。そうしたら、たまたま当時の副社長…現社長の松本(大輔)も同じようなアイデアを考えていたので、やることになりました。
 

御茶ノ水Rittor Base

 

御茶ノ水Rittor Base

ーー ライブハウスはある意味、バンドがお客さんみたいなことになっちゃいますしね。

國崎:そうなんです。そうすると貸しバコ主体にした方が儲かるみたいなことになって、本当にやりたいことと違ったものになってしまう。「なんでミュージシャンから搾取するの?」みたいな。でも、ストリーミングスタジオだったら搾取することなくできます。

ーー 使用料はかからないんですか?

國崎:それはケースバイケースです。例えば、メーカーさんが発表会をやりたいというときは使用料がかかります。でも、プッシュしたいミュージシャンとなにかやりたいというときには、どういう立て付けがいいかを一緒に考えます。例えば、2週間後のライブの集客を良くしたいというときに、このスタジオでトークとライブをやることでプロモーションになるかもしれない。そういった色々な仕掛けができるんじゃないかなと考えています。

ちなみに「御茶ノ水Rittor Base」はそういうイベント専用というわけではなく、ウチの雑誌の撮影用にも使っています。午前中や夕方まではスチールや動画の撮影などに使っていて、夕方からはイベント…1日3回しくらいできます。

ーー このスタジオは人員的にはどのくらいのスタッフを回すんですか?

國崎:実は3月までは1人でやっていました。

ーー えっ、お1人で!?(笑)

國崎:恐ろしいことに(笑)。ただ、スチール撮影とかインタビュー撮影とかって別に僕がいる必要はないんですから。さすがにライブ配信を始めるとなると一人じゃ無理ですから、4月に1名増員となりました。

ーー 椅子を置けば、お客さんも入れられますよね。

國崎:はい、背もたれ付きの椅子が40席用意できます。某社さんの発表会を行ったときは立ち見も含め70人入れました。

ーー コントロールルームって別にあるんですか?

國崎:バックヤードとして倉庫があるので、そこをコントロールルームに使うこともできますが、信念としてエンジニアの方には同じ空間に居てほしいなと。それこそセイゲンさんのサイデラも別部屋じゃないですよね。同じ空間に居て、同じ音を聴いて、マイクの位置を決める。昔のMTRみたいにマシンノイズがものすごく出るわけでもないので、同じ部屋でRECボタン押してでいいやという考え方です。

ーー スタジオとしてほかにどんな特徴があるのですか?

國崎:ここはもともと防音遮音が整っている物件だったんですが、床がタイルカーペットだったので、ギターとかによく使われるローズウッドに張り直し、あとは日本音響エンジニアリングさんの音響拡散体を壁面と天井に配置しています。

ーー 拡散なんですか?

國崎:拡散です。吸音でもなく、反射でもなく、音が綺麗に散るもの。可動式のも用意してあって、例えば、アコースティックギターを弾く人の近くに置くと音がきれいに響きます。なるべくドラムやアコースティック楽器が気持ちよく鳴るよう空間にしたかったんです。

ーー ちなみに競合となるようなスタジオって存在するんですか?

國崎:競合というか、参考にしたのは宇川直宏さんがやっているDOMMUNEですね。ストリーミング番組を月曜から金曜までやっていて、僕も何度か出演したことがあるんですが、とても面白いですよね。

ーー 撮影機材も常設するんですか?

國崎:します。実はさっきから続々と届いている荷物は撮影機材ですね。あとは僕が配線できれば…。

ーー そこもご自身でやるんですか!?

國崎:はい、そういうの大好きなので(笑)。

ーー 先ほどもお話に出ましたが、専用チャンネルは作る予定なんですよね。

國崎:いろいろ検討中です。去年から動画配信プラットフォームの会社さん数社とミーティングをしているのですが、みなさん「しっかりしたプラットフォームを自前で構えたほうがいい」とおっしゃいますね。

リットーミュージックってそれこそVHSの時代からたくさんの教則ビデオを作っていて、山のように映像コンテンツがあるんです。それらも含めて流すことができる総合的なサイトを作ってもいいんじゃないかなと。もちろん最初から立ち上げるのは大変なので、しばらくはYouTubeを活用したりすると思います。

ーー 確かにリットーにはギターやドラムの教則などたくさんコンテンツがありそうですよね。

國崎:例えば、『ギター・マガジン』会員になっていただくと、毎月『ギター・マガジン』が送られてくるのに加え、専用チャンネルの教則コンテンツが見放題、さらに「御茶ノ水Rittor Base」で行われるセミナーやワークショップに優先的に申し込めるといったビジネスもありかなと色々計画しています。

ーー これからは「御茶ノ水Rittor Base」を中心にやりたいことができそうですね。

國崎:そうですね。人と人を繋ぐ、アーティスト同士を繋ぐことが僕個人のというより、リットーミュージックという会社の使命だと思っていますし、色々な形でより良い音楽が広まっていくようにしなくてはいけないと思っています。それを『サンレコ』時代に培った技術と人脈を駆使して「御茶ノ水Rittor Base」でやっていきたいですね。