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第221回 コロムビア・クリエイティブ株式会社 執行役員/No Big Deal Records レーベルプロデューサー 佐々木健氏【前半】

インタビュー リレーインタビュー

佐々木健氏

今回の「Musicman’s RELAY」はキョードー関西・川上慎介さんのご紹介で、コロムビア・クリエイティブ株式会社 執行役員/ No Big Deal Records レーベルプロデューサー 佐々木健さんの登場です。佐々木さんは大学在学中に自主レーベルを運営し、2003年にLD&Kに入社しました。

その後、プロモーター、A&R、マネジメントなど幅広い業務を経験し、約10年間にわたり多数のアーティストを手がけ、2012年に日本コロムビアに転職。新規事業開発部では360度ビジネスの構築に取り組み、2015年には04 Limited Sazabys(以下フォーリミ)をメジャーデビューに導きました。

現在はコロムビア・クリエイティブ株式会社の事業部長として、多数のアーティストの育成とコンテンツ制作に携わり、音楽業界の変革と新しいビジネスモデルの構築に挑戦し続けている佐々木さんにお話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、Musicman編集長 榎本幹朗)

 

イベンターは「人」~川上慎介さんとの出会い

──前回にご登場いただいたキョードー関西・川上慎介さんとのご関係についてお聞かせください。

佐々木:僕が担当しているバンド、フォーリミのライブを川上さんが見に来てくれたのが最初の出会いです。当時、関西のイベンターの何人かと話していたタイミングで最後に川上さんが来たんですよ。

その時の熱量がすごくて、誰と一緒にやりたいかを考えた時にメンバーとも話して「俺は川上さんと一緒にやりたい!」っていうところからお付き合いが始まりましたね。

──川上さんの熱意が決め手となったんですね。

佐々木:イベンターって結局は人だと思う所もあって、その熱量がある方とお仕事がしたいと思って川上さんにお願いしたんですが、本当に一緒にやれて良かったと改めて思います。

キョードー関西というグループ自体が大きいところもあるんですけど、それを度外視しても人として信頼できる、ちゃんと人対人で仕事してくれている感覚があって、本当に尊敬をしています。

──現在も重要なパートナーということですね。

佐々木:そうですね。関西でのお仕事の際は一緒にご飯も食べますし、川上さんのイベントにもフォーリミを出させてもらったり、イベントも仕切ってもらったりしています。僕が担当しているバンドは結構、川上さんと一緒にやっている案件が多いかもしれないですね。

──では、ここからは佐々木さんご自身のことをお聞かせください。ご出身は?

佐々木:生まれは神奈川の大船です。小学校に入る前までは大船に住んでいて、小学校から横浜に引っ越して今も横浜に住んでいます。横浜は利便性がすごくいいんですよね。名古屋のバンドや大阪のバンドも担当しているんですけど、仕事柄出張が多いので新幹線や空港に近い場所に住んでいます。

──横浜の人って横浜愛が強いですよね(笑)。

佐々木:そうですね(笑)。横浜の人って横浜から出ないんですよね。開けている海とか、安心感につながっているかはわからないですけど、地方への出張から横浜に帰る時は一番ホッとします。

──ご家庭には今の職業につながるようなものはありましたか?

佐々木:音楽業界的な影響という意味でいうと全くないんですが、姉が高校生の時にベースを始めて、隣の部屋からそれが聞こえてきた時に「僕もちょっと弾いてみたいな」と思って。そこからベースにどハマりして、姉のベースをぶんどって(笑)、そこから楽器を始め、音楽にどっぷりハマっていった気がします。

その頃、姉がやっていたのがパンテラとかエアロスミスとか、ゴリゴリのハードロック系で、かなり影響を受けるんですよね。雑誌の『BURRN!』が姉の部屋に置いてあって、それを見ながらパンテラのリフをずっとベースで弾いたりとかしていました。

──部活はどんなことをしていたんですか?

佐々木:小学校から野球を始めて、中学、高校とずっと続けていました。高校は特に忙しくて、毎週末に遠征があったり試合があったりするんですが、試合が終わった後にライブハウスに行ったり、あまり大きな声では言えないんですがクラブにも行ったりしていました。

──クラブへ行って朝まで遊んで、そのまま試合に出る(笑)?

佐々木:そうです(笑)。朝練もあったので、本当にフル活動でしたね。いわゆる体育会系の経験は高校時代にすでに味わっていたので、出会った方が野球部出身だと個人的に信頼できるという感じがありますね。

──今も野球ファン?

佐々木:今でも野球は大好きです。地元なので横浜ベイスターズはもちろん応援していますし、メジャーリーグも見ますし、高校野球や地方大会とかも好きで見ています。

 

LD&Kで学んだ360度ビジネスの基礎

──大学はどちらに?

佐々木:神奈川大学の経済学部です。単純に近いからっていう理由が一番大きかったかもしれません。大学には行きつつ、基本的にはほぼバンドとイベントとアルバイトという大学生活でした。

大学時代には自主企画のイベントを組んだり、友達を集めてコンピレーションアルバムを作ったり、その流れでインディーズレーベルみたいなのを始めたんですが、そのレーベルにSPECIAL OTHERSもいて、彼らと一緒にCD作ったりしてカレッジチャートに何週も渡ってチャートインしたんです。この経験から本格的に音楽業界に行きたいと思うようになって、2003年にLD&Kに応募して面接を受けに行きました。

──学生時代にレーベルの社長をやっていたわけですね。

佐々木:その面接の時に、社長の大谷(秀政)さんとか幹部の菅原(隆文)さんに言われたのは、「1から10まで全部、レーベルの基本の流れを作れるのはいいね」と言ってもらえました。

──まさに理想的な社員ですね(笑)。それで入社してまず何から始めたんでしょう?

佐々木:最初は紙媒体のプロモーターとして入ったんですが、入って早々に人が足りないからと言って、ライブの現場やレコーディングの現場に連れて行かれました。レコーディング経験もあったので「お前、A&Rできるじゃん」みたいな感じで、2、3ヶ月したらもうアーティストの担当になっていました。

──最初の担当アーティストは?

佐々木:CooDoo’sというバンドが最初の担当だったんですけど、これがめちゃくちゃ楽しくて。今まで趣味でやっていたレーベルの延長みたいな感覚だったんでしょうね。

──でも、実際はハードな日々だったのでは?

佐々木:そうですね、いい意味で菅原さんにボコボコにやられました(笑)。やっぱり僕の社会人としての甘さや振る舞いなど、学生気分じゃないんだなということをその数ヶ月で感じましたし、それが今の糧になっているのですごく感謝しています。

──LD&Kでは具体的にどのような業務を?

佐々木:プロモーションから始まって、A&R、ディレクション、マネジメント、営業まで全部やらせてもらいました。デジタル配信、モバイル系も担当させてもらって、横断的に全部担当させてもらえたのは個人的にすごく大きな経験になっていますね。

──普通のレコード会社じゃ絶対できない経験ですよね。

佐々木:当時のLD&Kでは基本的にマネジメントとA&Rの区別がなかったんです。「担当」というざっくりとしたワードでまとめられていて、今でいう360度ビジネスを自然にやっていたんですよね。

 

新人開発でのGOLLBETTYとの出会いが人生の起点に

──その後の担当アーティストは?

佐々木:並行して新人開発の担当をしていたんですけど、僕の人生の中で大きな起点になったバンドがGOLLBETTYです。ボーカルが女性で7人構成のスカ・ロック・バンドなんですけど、GOLLBETTYを名古屋で見つけて、大谷さんに直接「やりたいです!」と言ってライブを見に行って、やり始めたのが2004、5年ぐらいです。

そのバンドがインディーズでかなりの結果を出すようになって、1stアルバムが4万枚とか売れて。そこから自分もA&Rの一員として会社を支える一人になれたのかなと実感しました。

──その時、LD&Kには何名ぐらいのA&Rがいたんですか?

佐々木:スタッフ全体は15人ぐらいで、メインでA&Rを張っていたのが4、5人でした。その4、5人がそれぞれ軸となるアーティストを持っていて、お互い良い意味で個人商店として、ライバル的な感じで切磋琢磨しつつ、協力しながらやっていたと思います。

その後、新人開発も引き続きやっていて、最大で同時に8アーティストぐらい、一人でマネジメントまで含めてやっていました。かなり大変でしたが、月1本は絶対何かしらリリースしていた気がします。

──すごいですね。LD&Kを経て、コロムビアに移られたのは?

佐々木:やっぱり働いて10年という節目を含めて、もっと大きい組織やメジャーレーベルみたいなところを見てみたいという気持ちが湧いてきて、いくつか応募をしてお話をさせていただきました。それこそMusicmanの求人で応募して採用いただきました。

──それは嬉しいですね!どのような面接だったんですか?

佐々木:その当時、面接してくれたのが日本コロムビア現社長の土門(義隆)さんで、コロムビアが何を求めて人を探していたかというと、CD産業が縮小していく中で、メーカーとして360度スキームをちゃんと作り上げる部門を立ち上げるタイミングだったんです。

 

コロムビアの転職で新規事業開発部へ

──コロムビアが求めていた人材とバッチリ一致したんですね。

佐々木:僕も単純にレコードメーカーのA&Rになるつもりはなかったので、新しいことができるというのはすごくワクワクしました。それで最初に入ったのが新規事業開発部という部署で、コア業務が何もない部署だったんです。

──その頃のコロムビアの状況はどんな感じだったんですか?

佐々木:僕が入った2012年当時は、外資が入ったり離れたりという状況で、正直あまり良い状態ではありませんでした。でも大きい会社で資産もカタログもありますし、やっぱり日本最古のレコード会社の歴史と伝統がある会社に入れたというのは、気持ちが引き締まりましたね。なので、伝統は伝統でちゃんと残しつつ、革新の部分をしっかり作り上げていかなきゃいけないっていうところは自身のミッションとして感じていました。

──新規事業開発で最初に手がけたのは?

佐々木:当時のコロムビアにはマネジメントのスキームが全くなかったので、そこを作り上げることから始めました。そのためにアーティストが必要で、自分がデモテープを聞いて、直接会いに行って口説いたバンドを新規事業開発でやろうということで、そのバンドを引っ張ってきたんです。それが04 Limited Sazabys(フォーリミ)です。

フォーリミは、もともとLD&K時代に自分が発掘したバンドで、先程お伝えした僕が担当していた多くのバンドの中の1つでした。CDはリリースしたんですが、イニシャルが800枚で、返品が半分ぐらい返ってくるような状況で全く売れてなかったんです。

そのままリリースがなかなかできない中僕が退社を迎えてしまったので、彼らは宙に浮いてしまい、初めてCDを出してから約3年が空いてしまいました。僕がコロムビアに行くことになった時に「一緒にやりたいと思っている」と話をしたら、ボーカルのGENから最初は「嫌です」と言われて(笑)。

──なぜ嫌だったんですか?

佐々木:「いきなり僕らの実力でメジャーに行ったって、絶対に通用しない。だったら自分たちが出せるところを探します」という感じでした。そうじゃなくて、メジャーの枠組みではなく、レーベルを立ち上げて、そこでインディーズとしてやりたいと説明したんです。彼らもその時はインディーズとしてやっていきたいという信念があったので、それで話が決まりました。

──当時、フォーリミのメンバーは何歳ぐらいでしたか?

佐々木:25歳ぐらいでしたね。年齢的にもバンドとしても切羽詰まっていましたし、とにかくライブをたくさんするバンドだったので、ライブ合間にアルバイトして借金抱えながらずっとやっていたと思うんですよね。その状況の中で、次のリリースアクションを360度ビジネスを推進していく中でやるということになったんです。

 

後半は6月18日(水)公開予定!