音叉点──音楽と●●の交差点 第五回ゲスト:浮雲社中(ukigmo)・福岡秀崇

インタビュー 音叉点

福岡秀崇氏(写真左)河野太輔氏(写真右)

「音叉点(おんさてん)」とは「1.音楽と●●が交差するところ 2.チューニングされるきっかけ」を意味する言葉である。ライブハウスでは日々沢山の音楽が鳴り、音と音が混ざり合い音色となるように、人と人が出会うことで新しい物語が始まっている。

この対談ではそんなライブハウスの一つ、渋谷La.mamaでブッキングを主として物語を紡ぐ河野太輔が、音楽に関わるゲストと毎回異なるテーマを切り口に相手との「音叉点=チューニングされるきっかけ」を見つけていく。河野とゲストの会話で、誌面がまるでライブハウスのように広がりを持っていく過程をお見せしよう。

第五回のゲストは浮雲社中(ukigmo)としてツアーやフェスの制作を始め、幅広く手掛ける福岡秀崇。前回の取材先であるmusica hall caféに自家用車で迎えに来てくれた福岡さんは、バンドマン時代に関わりがあった人によると「気配りを持って現場を切り盛りする、バンドマンの引率のお兄さん」のような存在だという。DIYで制作途中という愛情の込もった札幌の事務所に伺い、北海道限定のリボンナポリンをいただきながら対談を実施。到着までに早くも盛り上がっていた二人の話題は、福岡さんのキャリアから幼少期の夢の話まで及んだ。今回のテーマも、前回に引き続き「北海道」。

編集:柴田真希 撮影:加藤春日

プロフィール

河野 太輔(かわの・だいすけ)


1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mama に入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる


福岡 秀崇(ふくおか・ひでたか)


1982年1月生まれ。北海道釧路市音別町出身。高校卒業後専門学校入学のため札幌へ。会社員、個人事業主を経て2009年にマウントアライブへ入社、2018年8月に退社後、同年9月に浮雲社中(ukigmo)を設立。BBHF、THE BOYS&GIRLSなど北海道のアーティストのライブ制作や道内、道外のフェス、イベントの制作業務などを行う。犬好き。


 

2005年に屋号「ukigmo」を作ったのが今のukigmoの原点です

──今回は、この連載第2回目のゲスト、新代田FEVERの浦本さんから「河野さんに顔が似ている人がいる」というご紹介を受けて福岡さんにご登場いただきました。DIYで事務所を作られている、ということで是非伺いたいと思いまして。

河野:すごいですね、これ全部自分でやったんですか?

福岡:ライジングサンの装飾などをやっている石川大峰くんという友人と一緒にやりました。まだ作っている途中なんですけどね。最近よく出入りする人に「多分一生できないよね」って言われます(笑)。でもそれがいいというか。コロナが終わったら30人くらい入れるように、テーブルとかも動かせるようになってるんです。

──木の匂いがします。

福岡:すごく古い木造の建物で、築80年位らしいです。元々は2階が建て増しだったので、1階の屋根裏と2階の床下があって。1階の屋根裏を全部壊して、2階の屋根下に断熱材を入れて一層にしています。土壁なんですけど、解体したときは当時の新聞紙とか藁が沢山出てきて感慨深くて。

河野:ははは(笑)新聞紙って実家から荷物送られてくるときに入っているのもそうですけど、なんか懐かしいんですよね。

福岡:北海道は何度かいらっしゃっているんですか?

河野:いや、初です。北海道は好きなミュージシャンが多いですし、La.mamaにも沢山出てもらっているので来たいと思っていました。ボイガル(THE BOYS&GIRLS)も去年出てもらいました。

福岡:ボイガルのボーカルのシンゴ(ワタナベシンゴ)は、よくここの事務所に出勤(?)してますよ。

河野:そうなんですか!福岡さん、共通の知り合いが多くて、これまでに会っていないことが逆に不思議です。北海道のミュージシャンと話す機会は沢山あるんですけど、記憶をたどる限りでは福岡さんの存在は知らなかったです。

福岡:イベンターになったのは遅くて、まだ業界13年くらいなんです。

河野:前はマウントアライブにいらっしゃったんですか?

福岡:そうです。その更に前はアルバイト会社の社員で。イベントの派遣会社というよりも、ちょっと変わった、本当になんでもやる会社でした。その中でコンサート系の人が足りないから、何人かバイトを連れて行ってこい、と言われたのがきっかけでイベントに関わるようになって。それまではコンサート業界ってなんてブラックなんだろう、こんな業界には行きたくないなと思っていたら、あれよあれよという間に(笑)。

河野:ははは(笑)。

福岡:バイトを連れていったら気に入ってもらえて、仕事をもらえるようになって、そのままコンサートの現場を手伝うようになりました。そうしたら、チラシとかポスターとか、みんなやる人がいなくて困っていたんですよ。本当はデザインの仕事をやりたかったので、コンサート系の伝手ができたタイミングで、1枚5,000円でいいですよ、というところから始めました。それが軌道に乗って「これいける」と思って2005年に屋号「ukigmo」を作ったのが今のukigmoの原点です。このトートバッグはその時に作ったやつですね。

河野:へぇ!デザインの仕事をされてたんですか。

福岡:イベント関係を手伝いつつ、ライジングサンの装飾とか、コンサートとかイベントに関わる全般ですね。それを3年くらい、友達と2人でやっていました。ちょっと特殊な作り物を主に請け負っていて。デザインものを発注するから現場も手伝って、と声をかけてもらえるので「もちろん行きますよー」と言って、デザインをやって現場も手伝う、という感じです。

河野:そのキャリアだと、イベントの制作周りはほとんど全部できちゃいますね。

福岡:いや、器用貧乏じゃないですけど、浅く広く、っていう感じです。その後マウントアライブに入って10年ほどいて、独立しました。今はライブ制作がメインで、イベント、フェスの手伝いとかもやっています。ボイガルやBBHFといった道内のアーティストの全国ツアーの制作とか、北海道のイベントの制作とか、色々やっていますね。

 

知らない人と話すことが自分の知識、経験、教養になるから、一番沢山の人と話した人がいちばん賢いって思っていました

福岡:河野さんはずっとライブハウスに?

河野:今16年目ですね。高校を卒業して18のとき、ミュージシャンになりたかったので宮崎からバンドメンバーと上京して。2年ぐらいやったんですけど向いてないな、と思って、それでバンドを辞めてからはずっとです。

福岡:ヒッチハイクで西日本を回っているとき、宮崎はすごい印象的でした。福岡とはまた全然違って、街並みが海外みたいで。リゾート地って感じがしました。

河野:ヒッチハイクで全国回ったんですか?

福岡:高校を卒業して派遣会社の社員になる前、ヒッチハイクで旅をしていたんです。自分の世代って就職氷河期で、卒業した人の半分が就職できなかったんですよ。大卒も全然就職できない。それだったら時間がある時しかできないことをやろうと思って、4月1日に新潟までフェリーに乗って。

河野:新潟スタート、すごいですね(笑)。

福岡:さすがに寒すぎて、2・3日はまじで帰ろうかな、という葛藤がやばかったです(笑)。初めはヒッチハイクのやり方もわからないので、2日くらいただ歩いて。でも初めて、長距離トラックの運転手さんが関西まで乗せてくれるって言って、話を聞いてくれて…移動して、四国をまわって、四国から九州にまわって、桜島まで行って。本当は桜島をゴールにしていたんですけど、桜島で会った人がフェリー関係の人で、「ここまで来たからには絶対屋久島に行け」って言って、フェリーに乗せてくれたんです。それで屋久島まで行って、山陰・山陽とか、中国地方を通って京都まで行って、京都からまたフェリーに乗って帰ってきました。

河野:ヒッチハイクのコツってあるんですか?

福岡:めっちゃありますよ。「私は害がないよ」っていう、二十歳の屈託のない笑顔が最低条件なんですけど、その上で、ロケーションをちゃんと選ぶんです。10分以内に捕まえられる自信がありましたね。

河野:へぇ!

福岡:帰ってきた後友達に、3日くれたら鹿児島まで行く自信あるよって言っていました(笑)。

河野:はは(笑)すごいな。

福岡:最後の方は絶対拾えるって分かっているので、ただ歩きたいからあえて拾わない日もありました(笑)。1日20〜30k m歩いていると、手を上げなくても車が止まってくれるようになるんですよ。ずっと同じ道を歩いていると、サラリーマンの人が、「朝俺が出勤するときも歩いていて、帰りも歩いているってどういうことよ」って心配してくれて、乗せてくれたり。

河野:なるほど!

福岡:ヒッチハイクの旅でいろんな人の気持ち、大切なことを知りました。その頃、本を読むとか、漫画を読むより、人と話すことが一番手っ取り早く自分の頭を良くすると本当に思っていて。知らない人と話すことが自分の知識、経験、教養になるから、一番沢山の人と話した人がいちばん賢いって思っていました。

河野:人と話した経験値ってその後も活きてきますよね。

福岡:本当に。二十歳だったんですけど、あの頃の何も怖くない感じは強かったです。最近は当時の自分に、センスで勝てているのか、って疑問に思いますもん。キングさん(YO-KING)が何かの本で読んだって教えてくれた「アイデアは移動距離に比例する」って言葉があって。キングさんとは真心ブラザーズさんが北海道に来たら二人で温泉行ったり喫茶店行ったりと本当に良くして頂いてるんですけど、そのときに聞いてからすごく好きな言葉で。

河野:それはめっちゃいい言葉ですね。

福岡:なんていい言葉だろうと思いますよね。移動すると、絶対その土地で出会う人や環境がありますもん。今の仕事でどんなにタイトに全国を移動していても、「これがアイデアにつながっているかも」ってちょっとでも思えたら、気持ちが軽くなる。キングさんに感謝です。

 

余白、って大事ですよね。場所に限らず、気持ちにしてもスケジュールにしても

河野:全国を回っていると、県民性ってありますよね。ライブハウスも全国から人が来ますけど、とある四国のバンドと打ち解けるまでに時間がかかったことがありました。

福岡:四国は外の人には優しくするって文化があるらしいんですけど、本当に心を開いているかはちょっと不安になる。北海道と気質的には似ているかもしれないです。

河野:そうですか!北海道の友人は、見守ってくれているような人が多くて。普段はあんまり自分の気持ちを言わないんだけど、二人っきりになったときに熱のある話ができる人、というか。

福岡:シャイな人が多い土地柄だと思います。でも、熱い気持ちはあるんですよね。ライブでも、本当にいい演奏とかでぐっと引き込むといきなり熱が上がるけど、あんまり感情を表面化させない感じがします。大阪とか東京とかの最初の反応の良さはない。

河野:分かりやすく盛り上がってなくても響いているんですけどね。北海道の人たちは、北海道同士の繋がりもあっていいですよね。La.mamaもシュリスペイロフきっかけで広がっていって。

福岡:そうですね、どこかに行って北海道の人がいるとみんな仲良くなります。逆にそのコミュニティと違うフィールドで頑張りたいと思ったとき、北海道を出ないと、北海道内ではシーンがいっぱいある訳ではないから、ちょっと大変かな、とは思いますね。

河野:一昔前は何をするにも東京に来ないと難しい、という話がありましたけど、今はそうでもないですけどね。

福岡:たしかに自分の肌感としては、東京から出て北海道に移住する人のほうが逆に増えている気がします。アーティストとか居住が東京じゃなくてもいい人は、北海道の安い土地と家を買って暮らしていますね。

──東京は狭いですしね。

福岡:そうなんです、土地もぎゅっと、人もぎゅっと。北海道はスペースがあって好きです。余白というか、何もない空間というか。

河野:余白、って大事ですよね。場所に限らず、気持ちにしてもスケジュールにしても。

福岡:昔、デザインの本で読んだんですよ。たとえばテーブルにいっぱい物が置いてあるよりも、真ん中に少し小さめのテーブルクロスを置いて、周りに空間があるほうが「なんかいいよね!」っていう。北海道って余白ばっかりで、だから好きなのかもしれない。東京の良さもありますけど、それを感じ始めたのは30超えてからでした。

河野:そうですね、30超えてからですね。

福岡:それまでは東京は絶対無理だ、って思ってた。満員電車って人が乗るものじゃないですよ。21歳のときに北海道物産展の仕事で初めて東京に来て、痴漢の冤罪をめちゃめちゃ調べましたもん。それで結論、満員電車は乗ったら絶対危ないと思って…池尻大橋から渋谷まで歩きました(笑)。

──(一同爆笑)

河野:それは正解だと思います(笑)。

福岡:東京って楽しいな、というのは今だからこそ思うようになりました。美術館とか博物館とかも沢山行きましたし、色んなところに行ってみたいなと思います。

──30代で別のお仕事で東京に行くようになってから感じ方が変わりましたか?

福岡:なんでしょうね。細かいことが気にならなくなったんですかね。

河野:20代後半くらいから、情報の取捨選択ができるようになりますね。情報量が多い街なので、それまでは惑わされているというか。

福岡:そうですね。だから21のとき自分が嫌だな、と思ったのも納得できる。いろいろ経た上で、今は東京に行っても大丈夫、って思います。

河野:意外と良いところもありますしね。福岡さんは東京には頻繁に来られていますか?

福岡:そうですね、コロナになる前は月の半分くらいは道外にいました。コロナ直前に、FINLANDSのマネージメントをしているサンバフリー水谷さんと、二人で吉祥寺に事務所を借りようと思って部屋も決めてたんです。年間の現場の半分が道外で、東京にも拠点があると楽だから一部屋借りようとしていて。コロナになる前の1月、ギリギリセーフでお金を払う前に解約できました。

──ギリギリでしたね。

福岡:そうですね。吉祥寺、住みたい町No.1って書いてありました。だから俺ら30とか40超えたおっさんが、吉祥寺ってどんな街だろう?ってワクワクしていたんですけどね(笑)。

河野:危なかったですね…何が危ないって、その二人が危ない(笑)。

福岡:…ナポリンおかわりします?

 

平時じゃないほうがワクワクするので、そういう興奮は日々あります

リボンナポリン

河野:これおいしいですね!夏っぽい。去年コロナで良かったのは、時間があったことですね。ライブハウスに限らず音楽業界全般に言えることなのかもしれないですけど、お金の生み方とか、本気で考え直していかないといけないと思いました。

福岡:お金の生み方と、誰を幸せにするかってことは本当に色々考えましたね。コロナがなかったら、ただただ忙しい生活を繰り返していたと思います。

河野:そうですね。時間ができて、たとえば配信をやるならこれくらいの人を動かして、このくらいの売り上げになるんだな、とか、改めて見返す癖がつきました。イベントをやると、誰かの雇用を満たすことに繋がっているっていう意識もより生まれましたね。

福岡:それはすごく大きい気がする。イベントを組むことで関わる人のこと全部考えた上で打つ。実際、アーティスト以外の、とにかくPAさん照明さんの仕事を作らなきゃと思って作ったイベントもありました。コロナの前はどちらかというとできる限りコストをカットして、どうやって自分たちだけでできるかっていうことを考えていたのに、逆のことを考え始めた。

河野:うん。うちもフリーランスの人たちにも沢山手伝ってもらいながら運営しているので、こうなってからはどうやって雇用を生み出すかを真っ先に考えています。準備段階からモチベーションが以前とは違うので、今までより3倍くらいやっている感がありますね。毎日「今日はこれをやる」って意識してやっている。

福岡:ただこなす仕事ではなくなっていますね。雇用を作るって意味では、アーティスト側もすごく気を遣ってくれているのを感じます。アーティストさんありきで初めて自分たちが動けるので、そういう純粋な感謝がすごくありますね。

河野:そうですね。

福岡:今、某有名アーティストさんのツアーを少し手伝わせてもらっているんですけど、今年ホールツアーが全国で40本近くあって。直接は聞いてないんですけど、スタッフの生活を考えて、キャパが半分になっても絶対やらなきゃいけないっていう責任感があるらしいんです。その分感染症に関することは人一倍厳しいんですけど、それもみんなを守るためなんですよね。スタッフにもそれがちゃんと伝わっていて、だからチームのまとまりもできて、良い公演になるんですよ。

河野:お客さんの感度もこれまで以上なんですよね。久々に公演をやり始めたとき、お客さんの表情を見ていると、ものすごい緊張感が顔に出ていて。そういった緊張感の中でライブを見に来てくれているから、やりがいしかなくて。正直、めちゃくちゃ楽しいです。

福岡:一回全部止まって、今までみんなが開拓してきたものが更地になってアイデア勝負、みたいな状況は非常にわくわくしましたね。今、フリーペーパーを作っているんです。みんな感染防止で配り物を止めたじゃないですか。

河野:そうですね。

福岡:それで一切配り物がない公演が多くて、もったいないと思って。逆に、紙媒体は今だ、と思っています。これまで10枚くらいあったらみんなに捨てられていたものが、1枚の読み物だったらみんな絶対読んでくれるから、チャンスかもしれないなと。そこであまり普段出会わないであろう情報を紹介したいと思ってます。

河野:へぇ!いいですね。

福岡:何してやろう、と色々企んでいます。ただ一方で仕事がなくなって配送業をしている人や、会社をどうしようか迷っている人も目の前にいたりするから、一概に良かったとは言えないですが、個人的には平時じゃないほうがワクワクするのでそういう興奮は日々ありますね。

 

自分を媒介として自分の好きな人たちが繋がることが、すごく気持ちよかった

福岡:結構いろんな人がくるんですよ、ここ。こういう入りやすい雰囲気だし、人が中にいるのが分かるので。カウンターアクションの三浦洋平さんは真向かいのマンションに住んでいて、事務所で作業してると、そこの玄関から入ってくるんですよ。「福岡くんいるな〜いつも遅くまでやってんね!」みたいな感じで(笑)。

河野:ははは(笑)。

福岡:The Floorのマネージャーはここに間借りして仕事しています。

河野:そうなんですか!メールではやりとりさせてもらってましたが、直接はお会いしたことないです。

福岡:後で来るかもしれないです。彼は元々業界に入る前からの友達なんですよ。共通の友達の家で会っていて、いつか仕事で会うかもね、なんて話をしていたら、何年か後にやっぱり会いましたね。最近のThe Floorの物販とか、ボイガルの物販の一部とかはここにあります。工具がいっぱいあるから、何か作りたいと言って工具を借りに来る人とか、ここで木を切ってる人もいますね。

──図画工作室みたいな雰囲気ですね。

福岡:あぁ、そうかも!実は小さい頃、図工の先生になるのが夢だったんですよ。図工が大好きで、生涯図工をやるにはどうしたらいいんだろうって小学校のときに思って、将来の夢が図工の先生だったんです。今、似たようなことをやっていて、夢は一応叶っている(笑)。友達と棚を作ったり、ずっとここで何か作ってます。

河野:ははは(笑)。

──河野さんは将来の夢ありましたか?

河野:言われてみれば、僕は一時期大工さんになりたいときがありました。田舎って家を自分で建てる人がほとんどで、マンションとかより一戸建てが多くて。それで家を建てた後に、餅まきをする文化があったんですよ。

福岡:小さい時、たしかにそんなことあった気がします(笑)。

河野:柱を組んだ後、家主が上から餅をまくんですけど、最後に鏡餅を拾ったひとは縁起がいいと言われていて。小さい時そのイベントがすごく楽しくて、だから大工さんになったら沢山そういうことができるんじゃないか、って思ってた(笑)。

福岡:どこか作りたがりの人がこういう業界にいるのかもしれないですね(笑)。この事務所を今みたいに1フロアにして色んな人が出入りする場所にするのは、独立してからずっとやりたかったことなんです。さっきの話じゃないですけど、コロナになって時間ができて、やっと壁を壊しました。

河野:秘密会議しているような雰囲気があっていいですね。

福岡:以前は事務所と居間と寝室が分かれてたんです。そのとき全く別フィールドの友達が3組被って遊びにきたことがあって、デザイナーと印刷屋と美容師で全然繋がりがなかったのに、めっちゃ仲良くなって出て行ったんですよ。その後3人が一緒に仕事をし始めて、それにすごい快感を覚えたんです。

河野:へぇ!

福岡:自分を媒介として自分の好きな人たちが繋がることが、すごく気持ちよかったんでしょうね。だからこれをもっとやりたい、と思ったのがここを1フロアにしたきっかけです。

河野:ライブハウスもまさにそうです。ライブは不特定多数の色んな業種、性別、年齢層の人が集まって何かが生まれるし、今はコロナ禍でできないけど、ライブ後の打ち上げで次の仕事に繋がったりすることを経験しているので、スペースの存在意義みたいなのはめちゃめちゃ感じます。

福岡:場所があるって本当にいいですよね。ここは一見さんが来れる場所にする予定はないんですけど、自分が知っている人がどんどん増えていけばいいなと思っています。街からも近いので、今は打ち上げができない代わりにukigmoの事務所でコーヒーでも飲みながら話そう、と言ってみんな来てくれたり。あとは、ここでいろいろ作りたい。今、ukigmoの物販を作っているんです。アーティストがデザインしたTシャツとか、コースターとか。やりたいことだらけですね。

 

<第一回>ライブペインティングパフォーマー・絵描き 近藤康平

<第二回> 新代田FEVERブッキング・浦本正純

<第三回> Analogfish・下岡晃

<第四回> musica hall cafe ・田所 裕一郎

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