第207回 渋谷O-Crest 店長 / ライブイベント「MURO FESTIVAL」主催 室 清登氏【前半】

インタビュー リレーインタビュー

室 清登氏

今回の「Musicman’s RELAY」は株式会社近松 代表 / THEラブ人間の森澤恒行さんのご紹介で、渋谷O-Crest 店長 / ライブイベント「MURO FESTIVAL」主催 室 清登氏のご登場です。「とにかく働きたくないから行った」大学を中退後、お父さんの一言から大阪BIGCATへ就職した室さんは、大阪・LIVE SQARE 2nd LINE、東京・O-WESTと異動しつつあらゆるライブハウス業務に従事されます。

その後、オープンしたばかりの東京・O-Crestではブッキングを手掛けるようになり、2009年店長に就任。また、2012年からは自身の名を冠したライブイベント「MURO FESTIVAL」(通称ムロフェス)を主催し、現在では夏の人気フェスへ成長させた室さんに、ライブハウスでのバンドとの交流や、唯一無二のイベント・ムロフェスについてまで話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也、山浦正彦 取材日:2023年8月22日)

 

世の中をうがった目で見ていた学生時代

──前回、ご登場頂いた近松 代表の森澤恒行さんとはいつ頃出会われたんですか?

室:7、8年前に恒さんと仲がいいスタッフがうちに入ってきて、それで紹介してもらって仲良くなりました。実は、僕はライブハウスの人で仲がいい人ってそんなに多くないんです。個人的に関係を絶ってきたというか(笑)、音楽業界の新しい時代を自分で作り上げていきたいという思いが強かったので、周りのライブハウスのことはあまり気にせずやってきたんですが、恒さんはいつも新しいことをやっていますし、尊敬できる人だなと思っていました。恒さんがやっているバンドもすごく好きですし。

──THEラブ人間ですね。

室:はい。THEラブ人間との付き合いはそんなにないんですが、恒さんがやっているレーベルのメメタァやTHE BOYS&GIRLSは、O-crestによく出てもらっていて、僕も大好きなバンドたちなので応援しています。

──先ほど少しお話されていましたが、森澤さんは例外として、同業者とはあえて距離を置いてきたという感じなんですか?

室:そうですね。ライブハウスって体育会系な感じがあるじゃないですか? もちろん僕も先輩は敬っているんですけど、「それって新しいバンドとかお客さんが入ってくるのに関係あるのかな?」みたいな気持ちもあったりして、余計なことは排除したかったんですよね。

──森澤さんとはそういう慣れ合いじゃないところでお付き合いしていると。

室:恒さんとはいつも楽しいというかワクワクする話ができるという感じです。

──ここからは室さんご自身のことを伺いたいのですが、お生まれはどちらですか?

室:生まれは千葉の浦安市です。ただ、親の転勤が多くて、幼少期は広島や名古屋で暮らして、小学校の頃にまた浦安に戻りました

──ご実家に音楽的な環境はありましたか?

室:まったくないですね。ただ、僕自身は音楽がすごく好きでした。学生の頃はいわゆるロックみたいなものは聴いたことがなくて、1990年代のヒップホップがすごく好きで、レコードを買い漁っていました。家にはDJセットもあって、レコードは1000枚ぐらいあったと思います。

──学生時代、DJ以外に楽器やバンドの経験はありますか?

室:ピアノはやっていました。で、中学校の合唱コンクールみたいので伴奏をやったんですけど、それを最後にやめたという感じですかね。結構頑張っていました。

──ピアノは何歳から始めたんですか?

室:物心あるときにはやっていましたから、3、4歳くらいですかね。

──勉強のほうはいかがでしたか?

室:全然好きじゃなかったですね(笑)。当時の浦安はメチャクチャ荒れた街で、僕もバイクをメチャクチャ乗り回していましたし、世の中に対してすごくうがった目で見ていたというか反発していました。

──それは別に暴走族になるとかそういうことではなく?

室:いや、そういうところにも半分足を突っ込んだり(笑)、とにかく荒れていましたね。自分自身もそうですし、周りの環境もそうですし。世代的にはちょうどチーマーが流行り始めて、テレビでは「池袋ウエストゲートパーク」が放送されている時代でした。

そんな調子ですから、高校のときはちゃんと進級できなくて、仮進級みたいな感じだったんですよ。留年こそしませんでしたが、高校3年のときに、みんなが6時間授業のところを7時間目も授業を受けて、それでようやく補填できて卒業した感じです。

──学校の温情ですね。

室:本当に(笑)。高校のとき僕はすごく荒れていたのに、先生には良くしてもらったというか、すごく面倒をみてもらったので、今も頭が上がらないですね。

 

「そろそろ働けば?」父親の一言から大阪BIGCATへ就職

──その後、大学へは行かれたんですか?

室:浦安にある明海大学に行きました。家から一番近いからそこにしたんです。車やバイクで10分ぐらいで行けるので。僕はとにかく働きたくないから大学へ行ったんですよね。

──いわゆるモラトリアムですね。大学に入ってからも特に目標はなく?

室:ビジョンもなにもないです。麻雀をやったり、音楽を聴いたり、スケボーをやったり、友だちと遊んでばかりでしたね。それで大学は1年半ぐらいで辞めちゃって、家でグダグダしていたら、親父から「そろそろ働けば?」みたいに言われたんですよ。そんなときに「大阪・心斎橋のBIGCATというライブハウスに欠員が出たから、そこで働かないか?」みたいな話がきて、21のときに大阪に行ったんです。最初はアルバイトですけど、半分社員みたいな感じでした。

──いきなり行った大阪での生活はどうでしたか?

室:最初はメチャクチャつらかったですね。初めて住む街ですし、大阪の人の言い方がきつくて怖かったですね。でも、人情味のある人も多かったので、慣れてきたらすごく居心地よくなりました。あと、初めての社会経験ですから、そういった点でも最初は大変でした。

──それまでバイトとかもあまりしていなかったんですか?

室:バイトはちょこちょこしていたんですが、ライブハウスというところにも行ったことがなかったんですよ。クラブは結構行っていたんですけど、プロのバンドのライブは1回ぐらいしか観たことがなくて(笑)。ですから、BIGCATで働き始めて、最初バンドを見たときに「メチャクチャギターうるせえな」と思ったんですよ(笑)。

──バンドサウンドに全く耐性がなかった(笑)。

室:素人状態でしたね。でも、BIGCATで働き始めて半年ぐらいたって「日本のロックバンドって格好いいな」と思うようになり、そこからはどんどんバンドが好きになっていきました。

──そして、BIGCATに1年いらっしゃったあとに大阪・福島のLIVE SQARE 2nd LINEに移られますね。

室:アームエンタープライズという同じ会社が経営していて、人事異動みたいな感じですね。2nd LINEはできて1年目だったのでとにかく忙しくて、ほとんど眠らずに毎日お店にいるみたいな生活をしていました。リハからライブが終わって、そのあと打ち上げですから。

──時給換算したらすごいことになりそうですね。

室:いやあ、考えたくないような感じですね(笑)。月給もメチャクチャ安かったですし。でも、仕事自体はすごく楽しかったですね。バンドのメンバーたちと夢を語り合ったり、すごく楽しかったですね。

──先ほどロックバンドも好きになったとおっしゃっていましたが、ヒップホップなんかとは世界が違うじゃないですか? その辺りは違和感はなかったんですか?

室:なかったんですよ。というか当時どっちも好きだったという感じですかね。ヒップホップでバンドをやっている人も大阪に結構いたり、ちょっとレゲエっぽい音楽をバンドでやっていたりとか、そういう音楽も好きだったんです。ただ、BIGCATや2nd LINEに出るバンドとは系統が違いますから、別のライブハウスへオールナイトイベントにファンクバンドとか観に行ったりしていました。

──そういった経験を2nd LINEで活かしたりしたんですか?

室:はい。「2nd LINEでオールナイトを初めてやるから出てほしい」と誘ったりとかしていましたね。

 

東京のライブハウスの冷たい雰囲気を変えたくてブッキングを始める

──そして2002年に東京・渋谷のO-WESTへ移られますが、こちらもアームエンタープライズと関係があったんですか?

室:ええ。最初はBIGCATと2nd LINE、O-EAST、 O-WEST、Crestも、全部大阪のアームエンタープライズがやっていて、のちにそこからシブヤテレビジョンに転籍することになります。

──ちなみにBIGCATの頃から仕事の役割は変わらなかったんですか?

室:変わっていますね。BIGCATのときはドリンクの発注や管理とか飲食の仕事がメインで、2nd LINEに関しては照明とか受付もやりましたし、たまにイベントやったり、音響以外は全部やるという感じでした。O-WESTに関しては結構デカい箱なので、ライブハウスなんですけどセクション分けされているんです。それで、O-WESTでは舞台業務をやっていました。

──舞台業務とは具体的にどのような仕事をするんですか?

室:立ち位置をバミったりとか、1日の進行を仕切ったり、舞台監督みたいな仕事ですね。舞監の新人みたいな感じでこき使われて・・・(笑)、メチャクチャしごかれました。この頃、社員だったんですけど「社員なのになにもできねえのか、お前!」みたいな感じで、メチャクチャ怒られていましたね(笑)。

──(笑)。そして、2003年からO-Crestですね。

室:オープンしたタイミングでO-Crestに来て、こっちでも最初は舞台業務をやっていましたが、2005年ぐらいから少しずつブッキングを始めました。というのも、僕が大阪の2nd LINEで働いていたときに、ライブハウスに感じたもの、ライブハウスの面白さというのが東京には全然なかったんです。ただし、人はメチャクチャいるんですよ。WESTに来たときも「東京って毎日500人とか入るんだ」と思いましたから。

──O-WESTってそんなに入っていたんですか。

室:そのときは入っていましたね。青春パンクが結構流行っていて。で、大阪の2nd LINEだとブッキングしても10人とかですし、オールナイトで3人とかのときもあったり、人を呼ぶのがかなり大変だったんですが、イベント主催者としてのグルーヴがあって、そういうのがすごく心地よかったりもしたんです。でも、こっちに来て「東京のこの冷たい感じはなんなんだろう?」と思って、その空気を変えたくて自分でブッキングを始めたんです。

──その東京の冷たさの要因は何なんでしょう?

室:東京とかだと、間にイベンター、制作会社とか入ったりとかするので、出ているバンドがライブハウスに対して愛情がなかったりするんです。舞台袖で観ているとそれを感じるというか、「この人たちは、なんのためにライブをやっているのかな」とか「今日のイベントはなんのためにあるのかな」とか、そう思う日が多かったんですよね。それで自分で始めたという感じです。

──ブッキングというのはライブハウスで一番大事な仕事なわけですよね。だから、ブッキングをやれるようになったら一人前という感じじゃないですか。

室:そうですね。照明でも音響でも信念を持ってやっていたらなんでもいいと思うんですが、ライブハウスの色という意味ではブッキングとか店長というのは一番重要な仕事だと思います。

──室さんがO-Crestのブッキングをやり始め2009年には店長になられますが、その頃はなにを心がけていましたか?

室:裏表なくバンドと接したいと思っていました。あと、良くなかったこともきちんと伝えようと思っていました。僕は演奏も楽器も全然わからないんですが「それではお客さんには伝わらないんじゃない?」というようなことは、僕なりの視点で伝えていました。つまり自分の思ったことをちゃんと伝えるということは大切にしていました。

──その指摘がとんちんかんだったら、みんなに伝わらないと思うんです。でも、そういう正直な意見を言って向こうに受け入れられてきたというのは、やはり的確なアドバイスだったんでしょうね。

室:もともと僕がバンドをやっていなかったというのもデカいかもしれないですね。バンドマン視点じゃないところも結構重要なのかもしれないです。

──客目線ですか?

室:そうですね。メチャクチャお客さん目線だと思います。

──ステージングには厳しい?

室:ステージングというか、音が悪いとかはすごく言いますけど、「あそこをミスった」とかそういうことは言わないですね。1回のミスなんて些細なことと言うか、それよりも「なにを伝えたいの?」というところとか、結構腹を割ってバンドと話しますね。

 

自分の意見が1つでもバンドの心に引っかかってくれたら

──出演バンドはみんなデモテープを持ってくるんですか?

室:そういう感じです。例えば、グッドモーニングアメリカは知り合い伝いで「ちょっと室さんに聴いてもらいたい」と僕のところに直接音源を持ってきて、曲を聴いたらメチャよかったので呼んだんですが、動員は1人とか2人とかだったんですよ。そこから「ライブをもっとこうしたほうがいいんじゃないか?」みたいなことを一緒に考えて動員を上げていって、今は活躍休止しているんですけど、日本武道館まではいったという感じですね。

──ほぼマネージメントみたいな仕事ですよね。

室:マネージメントまでの責任はないんですが、やっぱり僕の視点で意見を言って、それを取り入れるか取り入れないかはバンドさんそれぞれというか。でも、その意見の1つでもバンドの心に引っかかってくれたらいいなと思ってやっています。

──新しいバンドと出会って、成長する姿を見るのは楽しいですか?

室:やっぱり新しいバンドと出会いは楽しいですし、頼ってくれるのもすごくうれしいです。

──室さんが新しいバンドを見るとき、どこに注目するんですか? 例えば、メロディなのか、詞なのか、あるいはストーリーなのか。

室:その全部が大切だと思います。ただ、結果的に上にいっている人たち、売れていっている人たちはみんなどれも持っているなという感じはあります。あとメチャクチャハングリーですし、色々な意見を受け入れるけど、その芯は強いというところもあります。

──ボクシングで言えば攻撃もディフェンスもボクシングIQも高いと臨機応変に試合を作れると。

室:そうですね。一点集中型でも全然いいと思いますし、攻撃しかできないみたいなバンドももちろんいると思うんですが、その攻撃力が圧倒的に突き抜けていないと多分難しいと思いますね。

──今O-Crestでは1日に何バンドくらいやるんですか?

室:昨日(月曜日)はバンドの企画で3バンドでしたが、250人がソールドアウトでした。最近は平日でもお客さんがたくさん入りますね。

──それはコロナでライブが止まっていた反動ですか?

室:それもあるとは思いますが、最近はライブハウスに行ったことがない世代のお客さんがたくさんくる印象です。「初めてライブハウス来ました」みたいな人が多いんですよ。

──客層が若い?

室:客層もバンドも若いです。昨日のバンドも全国ツアーは初めてで、19歳と20歳のバンドです。すごいパワーだなって思いますね。

 

▼後半はこちらから!
第207回 渋谷O-Crest 店長 / ライブイベント「MURO FESTIVAL」主催 室 清登氏【後半】

オススメ