稲垣博司氏『1990年のCBS・ソニー』出版記念インタビュー

インタビュー フォーカス

稲垣博司氏

CBS・ソニーレコード 代表取締役副社長、ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役会長、エイベックスマーケティング代表取締役会長などを歴任した稲垣博司さんが、時代を席捲したCBS・ソニーレコードの栄光の軌跡をつづった書籍『1990年のCBS・ソニー』を出版した。今回は出版を記念して「Musicman’s RELAY」にご出演以来、約23年ぶりに稲垣さんにインタビューを実施。徹底的な市場調査を基に、逸材の発掘に次々と成功して、独特の音楽ビジネスを展開したCBS・ソニーで、世界を視野に日本を代表する多くのアーティストを発掘してきた音楽業界のレジェンド稲垣さんに、書籍執筆のきっかけから、日本の音楽業界の現状分析と提言、後進へのアドバイス、そして書籍でも対談されている川添象郎さんについてまで話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 山浦正彦、屋代卓也 取材日:2023年8月31日)

プロフィール

稲垣 博司(いながき・ひろし)


1941年三重県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、渡辺プロダクションに入社。1970年にCBS・ソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ移り、松田聖子、尾崎豊らを見出す。1992年、同社代表取締役副社長。1993年、ソニー・マガジンズ(現・エムオン・エンタテインメント)代表取締役社長。1996年、SMEアクセル代表取締役社長などソニー・ミュージックグループ要職を歴任。1998年にソニー・ミュージックエンタテインメントを退社し、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長に。2004年にエイベックス(現・エイベックス・グループ・ホールディングス)特別顧問、同年にエイベックス・グループ・ホールディングス取締役兼エイベックス取締役副会長。エイベックス・エンタテイメント取締役、エイベックス・マーケティング代表取締役会長を兼任。著書に『じたばたしても始まらない 人生51勝49敗の成功理論』(光文社)がある。

隠居生活とは無縁の日々

ーー音楽業界の昔を知る先輩たちがどんどんリタイアされていく中で、そうなる前に日本の音楽業界の礎を作ったレジェンドたちに会って、話を聞いておくべきなのではないかと考えていたときに、稲垣さんが本を書かれたとうかがい、これ幸いと今日はお邪魔したんです(笑)。

稲垣:そうですか(笑)。タイミングが良かったですね。

ーー稲垣さんは「Musicman’s RELAY」の2回目(現在205回目)に出演されて以来、23年ぶりにご登場になるんですが、稲垣さんは現在どういった仕事をなさっているんですか?

稲垣:もう23年ですか? お互い元気に生き残っていて何よりですね。僕は今はコンサルタントです。コンサルタントというのはマッチングですね。アーティストの移籍とか、会社を買収したいとか、そういったことのよろず相談ですよね。儲けにはなりませんけど、ちょっとキザな言い方をすれば業界への恩返しですね。

あと、実家のエンジニアリング会社の経営にも携わっています。エンジニアリングとエンターテインメントビジネスって180度違うんですが、経営というのは数字ですから、これまでの経験を応用してやっています。加えて、今回出した本の推薦人にもなってくれている牛島誠さんという、ガバナンスの権威として有名な弁護士とワーナーミュージック・ジャパン時代からのご縁で、その人がやっている一般社団法人 同族会社ガバナンス推進機構の理事もやっています。

ーー失礼ですが、稲垣さんは今おいくつになられたんですか?

稲垣: 81歳(1941年生まれ)です。レコード業界のキーマンで言うと折田育造(故人)、佐藤修、飯田久彦が同い年です。

ーー若い!大変お元気そうですね。驚きました!

稲垣:週1でゴルフをやっていますからね。僕は別に仕事が好きなわけじゃないんですが、家でじっとしているのが嫌いなことは確かです。ここは月曜と木曜日に来て、あと表参道に本の出版をやっている友人の会社があって、そこにデスクとパソコンを置いてあるので、そこに行ったりもします。

ーー隠居生活とは無縁ですね。

稲垣:僕はそれができないってことでしょうね。とにかく家にいると退屈しますから。

ーー家でじっとしていられないんですね。

稲垣:そうそう。あと今も川で鮎を捕っているんですよ。僕は生まれが田舎(三重県四日市市)だったものですから、もう川ガキなんですよね。だから今も元気でいられるのは多分川ガキだったせいだと思います。夏も真っ黒になって魚ばっかり捕っていてね。

ーー鮎釣りではなく川に潜って捕るということですよね?

稲垣:そうです。それでしばらくやっていなかったんですが、65歳のときにボランティアで、イベントの仕事を四国でやっていて、仁淀川と四万十川の上流で鮎を捕ろうと、自作の道具を東京から空輸したんですよ。それで捕ろうと思ったんですが、川の流れは早いし、鮎はでかいしで、道具が全然使い物にならず、1匹も捕れなくて、イベントを手伝ってくれていた地元の消防団のやつらがニヤニヤ笑っているわけですよ(笑)。何十年もブランクがあるのに捕れっこないとか言って。

それでこっちもムキになって、やつらの道具を借りて、道具の違いや魚の動きの違いをすぐに理解し、3、40分で一匹捕ったんですよ。結果、そのときは4匹捕って、僕を見るやつらの目がリスペクトに変わりました(笑)。

ーー見事にやり返したんですね。

稲垣:そう。実は僕は釣りが一番得意なんですよ。だから、少年時代は将来、捕鯨船乗りになろうと思っていたんです(笑)。ところが捕鯨が禁止になっちゃったもんだから、仕方なく音楽業界に来たんです。川漁師になるわけにもいかないですしね(笑)。

ーー捕鯨禁止になってよかったですね!

稲垣:面白いもんでね、川魚って美味しい順番に獲りづらいんですよ。一番獲りづらいのはウナギ、次に鮎ですよ。これ、人間の女性と同じですよ。きれいな人ほどすっと逃げられちゃう(笑)。

ーー深い(笑)。もう川漁はライフワークですね。

稲垣:そうですね。今年は書籍のことがあって忙しくて、川には行けなかったんですけどね。昔からずっと鮎を探しに日本中の川に行っています。

文系の就職人気企業ベスト5に入ったソニー・ミュージックエンタテインメント

ーー書籍『1990年のCBS・ソニー』についてお伺いしたいのですが、執筆のきっかけは何だったんですか?

稲垣:実はこの本の話が来たときには「尾崎豊についての本を書いてほしい」という話だったんですよ。ただ、尾崎豊についての本はもう何十冊と出ていますから、もう需要がないだろうと思ったんです。それで他のことで書こうと考えていたときに、大学生の文系の就職人気企業ベスト5にソニー・ミュージックエンタテインメントが入っていたのを見たんですよね。昔から人気のある三菱商事と三井物産とか、そういう人気企業の中に入っている。それでソニーミュージックについて書こうと思ったんです。

ーー就職人気企業ランキングの上位にソニーミュージックが入ったのはインパクトがありましたよね。

稲垣:流行で持っている、趣味嗜好品を扱うソニーミュージックのような実業界から見れば一段下と思われていた企業が入ったわけですからね。僕はSMAPの解散が大きかったと思うんですが、エンタメについてNHKニュースが大きく取り上げたり、日経新聞が書くような時代になった。つまりエンタメが社会の真ん中に近づいてきたからだと思うんです。社会のソフト化と言いますか、結構いい位置に来ているんじゃないかなと思うんです。

ーーでも、ソニーミュージックが特別なのかもしれません。全体がそうだとはちょっと思えないです。

稲垣:そう、なぜソニーミュージックの一人勝ちになっているのかということですよね。親会社のソニーもそうですよ。僕が社会人になった1964年の時点でソニー本体の売上とビクターの売り上げはだいたい5000億ぐらいで並んでいたんです。それが方やビクターはもうなくなっていて、ソニーは売り上げが9兆円になっている。それがなんなのかということですよね。そういったことの理由を、1990年のCBS・ソニーを振り返ることで読み取れるかなと思ったんですよね。

ーーなるほど。現在の日本の音楽業界から考えると、1990年代は大変うらやましい時代です(笑)。欧米は音楽不況を乗り越えてCD時代以上に復活していますが、日本はまだそこまでに至っていません。

稲垣:手前味噌ですけど、良くも悪くも我々が頑張ったからだというね。すなわち再販価格ですよね。戦後復興期の古めかしい制度ですけど、まず薬と化粧品がダメってことになって、新聞と書籍と音楽が残った。しかし、その次には音楽がターゲットになったんですよ。CDになって「これはもういいんじゃないか?」と。

僕は日本レコード協会代表としてその再販維持の会議に出ていまして、行司役に立っているのが通産省ですよね。我々はとにかく日本における再販制度の重大性を訴えたわけです。諸外国は再販をなくしたおかげで、カタログが機能せず、売れるものしか売れない状況になってしまったと。その結果、アメリカの小売業はタワーレコードを始め相当打撃を受けて、スーパーが客寄せパンダとしてCDをディスカウントしたものを出している。日本もそうなっていいのか?と訴えたわけです。

ーー日本の音楽文化を守ろうと。

稲垣:考えてみたら、日本の老舗レコード会社、日本コロンビアやビクター、キングレコードとかそういったところは「レコード文化」を標榜していたわけですが、僕がいたCBS・ソニーやワーナー・パイオニアにはそういう考え方がほとんどないんですよね。でも、そんな僕が再販の維持のために「レコード文化が・・・」と主張をしているというね(笑)。これは本当にシニカルな気持ちになりました。「そんな言葉、ボスの大賀(典雄)さんから一言も聞いたことないな・・・」と。

それで「音楽の再販制度はダメ」となりそうだったのを、「著作権、著作物に優劣があってはおかしいんじゃないか?」という話を日本レコード協会の弁護士から聞きまして、それを説得材料に使ったら、これは効き目があったみたいで、ここに新聞社も加勢してくれたんですよね。昔は新聞社が抱えている言論人って、世の中に対して強かったですから心強かった。それが近年、ジャニーズ事務所の圧力に屈していたっていうのは情けないことですよ(笑)。

ーー(笑)。

稲垣:そもそも新聞は免れたんですよ。基本的に新聞というのは、翌日になったら価値はガクンと減る。つまりデイリーのものだから再販価格は維持するべきだというね。それに書籍と音楽も「著作物に差をつけないでくれ」とくっついたんですよね。その後、時限再販でレコード業界も色々と譲歩しましたけどね。その結果、今世界で日本だけパッケージが残っている。ヨーロッパもアメリカも刻々と撤退していったというのにね。

ーー再販維持自体が珍しいですからね。

稲垣:海外では「日本は何て時代遅れの国なんだ」と言われていますからね。でも、我々がこの時代遅れの制度を残すのにどれだけ苦労したか(笑)。ちょっと詭弁を弄してね(笑)。しかし、利益率はCDの方が高いのは確かですけど、そのせいで色々遅れちゃいましたね、日本は。

 

未だに果たせない本格的な海外進出

ーーやはり稲垣さんの目から見て今の日本の音楽業界は歯がゆいですか?

稲垣:自分が失敗したから余計思うんですよ。世界のソニーが親会社になって、上からの圧力もありつつ、松田聖子とレベッカのNOKKO、それから久保田利伸の海外進出をやってもどうもうまくいかない。それを今K-POPが実現させているわけですからね。

でもK-POPも最初はすごく苦労していたんですよ。そんないきなりBTSで成功したわけではないんです。数々の失敗を経てBTSに至っているわけですからね。ネットを使って、ファンクラブを活用してね。あのやり方はジャニーズ事務所と同じなんですよね。メリー(喜多川)さんがやってきたのと同じ。それを日本は活用できなかった。やはり繁栄するためには、ビジネス的に海外へ出て行かざるを得ないでしょう。これは韓国だけじゃなくて日本だってそうですよ。

ーーYouTubeなどを使って無料で音源や映像を世界中に拡散したというのが大きいですよね。しかも回収の仕方が見えているというか。

稲垣:それとクオリティはとてつもなく高いです。ジャニーズと今のK-POPの男性グループとでは、違いが一目瞭然じゃないですか? 残念ながら。ジャニー(喜多川)さんは「歌が上手い」ことに対してプライオリティーは高くなかったですからね。なんとなくチームが組めそうで、運動神経が発達して顔の良い男性で、歌はまあまあというね。でも、K-POPは運動神経=ダンスだとは僕は思いませんが、ダンスがバッチリつまりリズム感も抜群なわけです。

そもそも、韓国って日本ほどニューミュージックの時代が続かなかったんですよね。ニューミュージックの魅力というのはシンガーソングライターの魅力なんですが、等身大の魅力でしょう? 阿久悠がいみじくも言った「プロの作詞家はだんだん厳しくなってきた。なぜならニューミュージックの連中が手を伸ばせば届く四畳半の世界を愛であり、美であり、友情であると歌っているから」と。日本はそこにどっぷり入ってしまったから、グローバルの展開では完敗したんですよね。

ーー日本はニューミュージック的=私小説的世界観から抜け出せなかった?

稲垣:そうですね。韓国はそこまでハマっていなかったですからね。非常に乱暴に言えば、まず韓国に造船をやられて、鉄鋼をやられて、ホーム・エレクトロニクスをやられて、その後、映画でも完璧にやられていますよね。そして今、音楽もやられている。あと、デザインでもちょっと微妙な段階になってきていますし、大事なアニメも会社を買収されそうになっている。もうアニメをやられたら、いよいよヤバイと思いますけどね。とにかく今の僕の立場から言うと、やはり海外で成功しないとダメだと思います。

ーー過去にも色々な方が挑戦していますけど、ことごとく上手くいかないですよね。

稲垣:ソニーがCBSを買って、日本の音楽を海外に出しやすくなり、向こうのCBSの連中も「日本人アーティスト、いけるんじゃないか?」と色々やったんですが、一般大衆に全然受けないんですよ。例えば、アメリカだと、極端な言い方すれば、ミシシッピ川流域のアメリカの中心部には、言うなればトランプ支持者みたいなブルーカラーの人たちがいっぱいいるんですよね。そういった人たちはカントリーミュージックとか聞くんですが、いくら英語の発音が良くても、黄色人種が洋楽に近い音楽をやっていることを受け入れられないんです。つまり、言葉で行ったら受け入れてもらえないんです。

だからダンスという選択が生まれてきたんですけどね。偶然、今日アバンギャルディというグループを教えてもらったんですが、彼女たちはセーラー服を着た日本のダンスグループで、アメリカですごく人気があるそうなんですが、やはりダンスだとまだ受け入れてもらえるんですよ。

ーー韓国もほとんどダンス&ボーカルグループですものね。

稲垣:韓国はいろいろ市場調査をして、その結果ダンスを主体にすることになったんですよね。言葉で行ったらダメだと。英語が訛っていても嫌だけど、ネイティブの発音でも「黄色人種が・・・」という反応になってしまう。

ーー差別・偏見も含め一般大衆の固定観念は非常に強いと。

稲垣:そうですね。例えば、坂本龍一はYMOや『戦場のメリークリスマス』で海外へ行っているし、じゃあ今度はソニーでやろうと「NEO GEO」というアルバムを出しましたが、アメリカでは「我々がやっているような音楽じゃなくて、日本から出てきている特徴を出してもらわないと」みたいな反応になるんです。

だから韓国の男性ダンス&ボーカルグループというのは、やはり韓国のオリジナリティになっているじゃないですかね。少なくともアメリカではそう受け取られているんだと思います。BTSなんかはアメリカのボーイズグループのダンスとは違うと。

例えば、久保田利伸も、彼の日本語の曲をCBSの連中に聞かせたら「歌上手いね!」って言うんですよ。日本語がわからなくてもね。その反面「ファンクという一番競争率が激しいところになんで日本人が来るの? そのアイデンティティはどこにあるの?」って言うんですよ。もっと極端に言えば、一般大衆は我々がこういうYシャツを着ていることすら「真似している」っていう発想になるんですよ。「おたくらは着物でしょう?」「いや、子供の頃から着たことないよ」「いやいや」みたいなね。

一番の強敵は一般大衆

ーー逆にCBSから「このアーティストは可能性がある」みたいに言われた人はいなかったんですか?

稲垣:演歌の藤あや子や伍代夏子は可能性があると言われましたね。要するに演歌だ、上手くいけば単打=シングルヒットくらいは出せるかもしれないとね。要するにジャパニーズ・オリジナリティがあるんだと。当時はそういう評価でした。

よく「音楽に国境はない」と言いますが、インストゥルメンタルには国境はないですけども歌詞がある音楽には頑として国境ありますよ。日本の洋楽マンはその辺のことを全くわからない。で、僕も失敗したんです。日本の洋楽マンというのは、向こうのインターナショナルとの付き合いだけで、向こうのドメスティックの連中との付き合いはほとんどないんです。それで実際にアメリカのドメスティックの連中と話してみると、洋楽の出版社や、会社の洋楽の人間から得た情報とは全く違うわけです。つまり、インターナショナルの連中は「いい」と言っていても、その向こう側にいるユーザーの顔が見えないから、その実態が分からない。

それでドメスティックの連中と付き合うようになると、インターナショナルの部門を経由しなくても、ドメスティックの連中の欲しいものが全部分かるようになってくるんです。でも、専門のインターナショナル部門にとって、それは好ましくないわけですよ。

ーーなるほど・・・。

稲垣:あと、業界人は世界共通で頭は柔らかいんですが、ユーザーはわれわれの想像以上に頭が固いですし、明らかに国境の壁みたいなものはあります。歌よりハードルが低いインスト、例えばジャズとかでは渡辺貞夫や日野皓正が海外へ行ったりして、もちろん一定の評価を得るんですが、やはりマニアックな存在になってしまう。そこに、YMOのようにインストとエレクトロサウンドという日本的オリジナリティや特徴があると、もう少しポピュラーな人気を得ることができるんですよね。

ーーやっぱりしっかりした特徴がないと、いくら世界へ出ていっても難しいと。

稲垣:我々だってインド人とかに演歌を歌わせても、瞬間は面白いって言うけど定着しなかったじゃないですか? ただ、料理に例えるなら、イタリア人やフランス人がやっている日本料理屋から「日本人のお店よりいい」という存在が出てくる、そんな時代が音楽に関しても来る可能性はありますよね。現実に料理はそうなってきていますし、スポーツも大谷翔平やイチローとか出てきていますし、サッカーもあともう少ししたら、そういう選手出てくるのかなって思いますね。

ーー本当に、そういうアーティストが出てきて欲しいですけどね。

稲垣:とはいえ、日本語をベースに置いている、日本のドメスティック・ミュージックや小説、放送とかが国際性を得るのはなかなか難しい。アニメでも宮崎アニメが日本であれだけ人気なのにワールドワイドにならないのは、やはり主人公の顔が日本ローカルだからなんですよ。ディズニーはもう何通りも書いて、セリフも5、60人に書かしてそこからピックアップしているという。結果的に向こうは機関銃で、日本は竹槍で戦っているようなもので、情けないけど話にならないなと思いますし、僕も竹槍で戦っていた一人なんですよ(笑)。

ーー(笑)。

稲垣:松田聖子なんか、ビリー・ジョエルのプロデューサーのフィル・ラモーンを使って、お世辞抜きにフィル・ラモーンも向こうのスタッフも「これはいけるんじゃないか?」と思ったけどダメでしたね。

ーー業界内を納得させてもダメなんですね。

稲垣:一番の強敵は一般大衆ですよ。

 

「やりきる」という不自由な考え方が大切

ーーこれからの音楽業界で生き残るには、どんな能力が必要だとお考えですか?

稲垣:やはりいろんなことが全部できないとダメでしょうね。そうじゃないとワールドワイドでK-POPに勝てませんよ。すなわち輸出ができないってことなんですよね。もう「バークリーを出ています」とかじゃなくて、スタンフォードとかハーバードとか出ているようなビジネスパーソンじゃないとダメなんじゃないですか? それくらいじゃないと海外では互角に戦えないですよ。

ーーやはり海外進出は必須ですか。

稲垣:輸出がうまくいってない産業が伸びる可能性はゼロなんですから。

ーー稲垣さんは現役時代そこを突き破れなかった?

稲垣:失敗の貴重な経験はたくさんありますけどね(笑)。

ーーだからこそ、これからの若い人には輸出で成功してくれと。

稲垣:輸出という言葉がエンターテイメントっぽくないかもしれないけど、まあ海外でも評価されるっていうことですよね。才能を送り出す、もしくは自分が出てってほしいと思いますね。

ーーまさに輸出ですよね。世界的に価値を認めてもらえるようなアーティスト、音楽を作り出す。これが日本の音楽業界の宿題であると。

稲垣:ヒップホップなんかは、部分的に認められているものもあるんですが、やはり流行歌というかポップなもので成功を収めるというね。でも僕は間違いなく出てくると思います。

ーー例えば、韓国のように国を挙げてバックアップするとか、そういう方向性はどうでしょうか?

稲垣:日本もクールジャパンとかやっているんですが、海外に学ぼうとする人間たちが減っているとか、それから特許や学術論文が減っているとか、やっぱり縮み志向に入っているのは大きいと思います。多分、バブルが弾けて色々反省したんだけど、外に対して心のどこかに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の気持ちが残っちゃっていたんですよね。

ーー変なプライドが残っていた?

稲垣:「失われた30年」は自信過剰になっていたんですよ。だから自信をいったん減らして「日本国内だけじゃダメなんだ」という考え方にまた戻っていかないとね。そう考えると、今は韓国が自信過剰になっていると思いますけど(笑)。

ーー(笑)。今後アーティストやスタッフはどういった心持ちで活動していけば良いとお考えですか?

稲垣:音楽をやる側もスタッフも「どうやるか?」ということに関しては可能性が多すぎちゃって迷うことがたくさんあると思いますが、その中で自分に一番向いているなと思うやり方をやりきってほしいですね。この「やりきる」って作る側も自分の信じる音楽をやりきるし、そのバックステージのスタッフも「この才能はいいな」と思ったらそれをやりきるってことですね。選択肢が多すぎる中で、成功するためにはこの「やりきる」という不自由な考え方しかないと思いますね。

ーー集中して突き詰めることの大切さですね。

稲垣:それをした上で、やっぱり海外に攻めていってほしい。あとはターゲットを絞ることですよ。「得意なことならなんでもやることができる」時代になっているからこそ、絞り込む必要があると思いますね。

身体が続く限り音楽業界に恩返ししていきたい

ーー書籍では川添象郎さんと特別対談をされていますが、仲がいいんですか?

稲垣:川添象郎さんとは東京音楽祭で優勝したルネ・シマールをソニーでやって、エイベックスで、ふくい舞をやりました。彼は僕の理想系なんですよね。僕も彼ほどの不良度があったら、彼みたいになっていたと思いますよ(笑)。彼は僕の延長線上なんです(笑)。

ーー川添さんとお会いしたときに武勇伝もたくさん聞かせて頂いて、すごく楽しかったです。

稲垣:そうですか。彼の武勇伝は嫌味がないんですよね。武勇伝って、行き過ぎると「なんだ、この野郎」みたいな気持ちになるじゃないですか?(笑)でも彼にはそれが全くないんですよ。本当の不良少年だし、彼の親は相当彼に対して投資しているなと感じるんです。言葉とかアートとか音楽とかね。あれは全部親の投資のおかげですよ。

ーー稲垣さんが川添さんに密かに憧れていたとは知らなかったです(笑)。

稲垣:俺がやりたいことを彼は全てやりましたからね。僕が大学へ入学するためにようやく上京してきたときに、彼はキャンティですから(笑)。その差はいかんともしがたいですが、それでも彼とは妙にウマが合うんですよ。あと彼の本(『象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー』)も本当に面白いですよね。

ーー川添さんは本当に無邪気で純粋な人だなと思いました。

稲垣:ミュージックマンっていうのはもともと無邪気なところがあるんですよ。でも、マーケティング的な考え方をする、あまり無邪気じゃないソニーミュージックが入っていって、天下を取ったわけじゃないですか?(笑)

僕はソニーからワーナーに行って「なんて音楽好きで、人の良い連中たちなんだろう」って感動しましたからね。その次にエイベックスへ行っても、洋楽はないんだけども、やっぱり音楽を好きっていうかね。ダンスミュージックが好きで、そういう音楽を世の中に広めたいというね。

ーーワーナーとエイベックスはいい意味で音楽バカの集団だったと?

稲垣:騙されることはあっても、騙すことはないよね。あんまり腹黒いやつもいないんじゃないかな? 会社に入って社長になろうとか、そういうバカな考えはしないでね。まあ野心家っていうんだったら、もっとでかくて堅い会社へ行ってくださいってことなんだけど(笑)。

ーー(笑)。

稲垣:作詞家のなかにし礼さんって小説の世界と音楽の世界の両方をやっていたでしょう? 彼に「音楽業界と文学界との違いは何ですか?」って聞いたら、「音楽の世界というのは、センスはいいけど知性がない。文学の世界は、知性はあるけどセンスがない」と。僕はこれいい言葉だなと思うんですよ。

だから、これからはセンスと知性の両方を持たなきゃいけないっていうことですよ。成功しているK-POPアーティストとかの経営者を見るとそう思いますね。

ーー雰囲気一発ではダメだと(笑)。

稲垣:昔はそれで許されたんですけど、次の世代はそれではダメでしょうね。

ーーそういう意味では、我々は雰囲気一発でやれたいい時代にたまたま生きてきたってことですよね。運が良かったと言いますか。

稲垣:ええ。運良く音楽業界で生きてこられたわけですから、今は恩返しの気持ちで生きていますよ。繰り返しになりますが、日本の音楽業界がさらに発展して多くの才能が海外に出て行って欲しいですし、そのために何かお手伝いできることがあれば身体が続く限りやっていこうと思っています。

ーー音楽業界も大谷翔平選手のような世界的スターが出てきて欲しいですよね。

稲垣:そうですね。そういう日が一日も早く来ることを僕は願っています。

書籍情報

『1990年のCBS・ソニー』
稲垣博司 著
出版社 ‏ : ‎ エムディエヌコーポレーション
定価1,100円(本体1,000円+税)
新書判/208ページ
詳細:https://shinsho.mdn.co.jp/books/3223903004/

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