第167回 サックス奏者 / 作・編曲家 本多俊之氏【後半】

インタビュー リレーインタビュー

本多俊之氏
本多俊之氏

今回の「Musicman’s RELAY」は鳴瀬喜博さんのご紹介で、サックス奏者 / 作・編曲家の本多俊之さんのご登場です。中学1年で手にしたフルートを皮切りに音楽にのめり込んでいった本多さん。楽器をサックスに持ち替え、大学生に混じってジャズのサックス奏者として腕を磨き、大学在学中の1978年、若干21歳でアルバムデビューされます。また、作・編曲家としても、映画『マルサの女』に代表される伊丹十三監督作品の音楽や、テレビ番組『ニュースステーション』のオープニングテーマなど、TVドラマ、CM、映画など数多くの作品を手掛けられました。近年は吹奏楽や室内楽など新たな世界を開拓され、東京藝術大学 非常勤講師として後進の指導にもあたる本多さんにお話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

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第167回 サックス奏者 / 作・編曲家 本多俊之氏【前半】

 

アドリブをしたかったらまずはコピーをしろ

──本多さんは途中からソプラノとアルトの両方を演奏するようになりますね。

本多:そうですね。ソプラノを吹いていたんですが、あるときに「ソプラノもいいけど、スタンダードはやっぱりアルトだよな」って言われて「これはアルトをやらないといけないかな」と。その頃、渡辺貞夫さんの「マイ・ディア・ライフ」とかをよく聴くようになったので、アルトで貞夫さんをコピーしたのが最初ですね。

──ちなみにアドリブは初めからできたんですか?

本多:できないですよ。だからレコードに合わせて、見よう見まねで吹くことから始めました。アドリブって感覚でできる部分とできない部分があります。細かい話になっちゃいますが、コードがあまり変わらない、ワンコードとかブルースっぽいものは感覚でできるんですが、「イパネマの娘」や「枯葉」とかになっちゃうとコードがどんどん変わっていくので、できなくなっちゃうんですよ。ですから、色々な人の演奏をとにかくたくさんコピーしました。でも「コピーをしたほうがいいよ」って言ってくれたのは実は父なんですよ。

──なるほど。

本多:コピーしかできない人のことを馬鹿にして「コピーキャッツ」って言うんだと。でも、名だたるミュージシャンは全部「コピーキャッツ」だったって言うんです。「コピーキャッツ」から脱却した人が自分のスタイルを持っている。それで「『コピーなんかしなくて自分の感覚でやりなさい』って言う人がいるけど、そんなのは全く嘘だから」って言ってくれたのが父なんですね。「とにかくコピーはしすぎることはないから」って。

それでコピーをしてかなり吹けるようになったときに「お前、もっとアドリブ上手くなりたいか?」って言われたんですよ(笑)。それで「なりたい」って言ったら「最初から理論を習っても、アドリブはできるようにならない」と言うんですね。「最初から『こんなスケールができます』なんてことを頭でやってもアドリブはできない。でもコピーをすればアドリブはある程度できるようになる。そして、アドリブがある程度できるようになったときに理論を学ぶと『自分が正しかったんだ』と思えて、もっと上手くなるぞ」と言われて「習いに行きたい!」って思いましたね(笑)。

──お父様はしっかりとしたアドバイスを送られていたわけですね。

本多:鍛えるという意味では本当に正しかったのかもしれないです。「コピーしろ、コピーしろ、コピーしろ、コピーしろ」「コピーしても譜面には書くな。覚えていかないと身にならないから」って。多分自分がそうだったんでしょうね。

──そして78年 21歳のときにデビューアルバム『バーニング・ウェイブ』をリリースされますが、どういったきっかけでレコードデビューすることになったんでしょうか?

本多俊之氏

本多:その頃って世界的にクロスオーバー、フュージョンブームで、日本でも大人気だったんですね。私はその頃ジョージ大塚さんのバンドにいたんですが、ジョージ大塚さんが評論家の人たちに「本多っていうのはいいよ」って言ってくれていたようなんですね。

それでキングレコードが「ELECTRIC BIRD」というクロスオーバーレーベルを作ることになり、1作目が増尾好秋さんで、若い増尾さんと海外のミュージシャンを組ませてやると。当時は予算もたくさんあったんだと思うんですが、そういうレーベルだったんですね。

増尾さんが出したあと「2作目は誰にする?」という話になり、ジャズ評論家の岩浪洋三さんがレーベルのアドバイザーをしていたんですが、ジョージ大塚さんの「本多はいいよ」という言葉を覚えていて紹介してくれたんですよね。岩浪さんが「実は本多っていうのは私の同業者の息子さんなんだけど」って言うと、レーベル側は「それはどうなのかな…」って一瞬引いたみたいなんですけど(笑)、結局『バーニング・ウェイブ』でレコードデビューしました。

──デビューアルバムの曲は全部オリジナルですか?

本多:いや、半分以上は自分の曲ですが何曲かカバーもあります。自分の曲はレコーディングに入る前から「こんな曲です」って関係者には聴かせていました。その頃はレコード会社のプロデューサーの方と、アレンジャー、サウンドプロデューサーが立っていて、上田力さんという大ベテランの作編曲家の方が「この曲やろう」と選んで下さり。全曲アレンジをして下さいました。

──作曲はいつ頃から始めていたんですか?

本多:父から「理論を習うとアドリブがもっと上手くなるぞ」と言われて、高校1年のころから音楽理論を習いに行っているんですね。それはいわゆるジャズの理論で、結局、作・編曲のやり方だったんですよね。バークリー音楽院で教えている「バークリー・メソッド」の解説をした渡辺貞夫さんの『ジャズスタディ』という本があるんですが、これがものすごく難しいんですよ。見ているだけではさっぱりわからない。

でも、それを小川俊彦さんというアレンジャーの方が、かみ砕いて教えてくれたのですごくよくわかりました。結局その本をずっとやっていくと、最終的にはジャズのビッグバンドのアレンジとかが書けちゃうメソッドなんです。だからそれを勉強して曲が書けるようになりました。知らないうちにというか、宿題が出ますから。本当に面倒な宿題が出るから、それこなしているうちに身につきました。

──「バークリー・メソッド」ってジャズに特化した音楽理論なんですか?

本多:そうですね。あと、クラシックの和声学も女の先生について同時期に習っているんですね。だから両方やっていました。

──そこでの勉強がなかったら曲を書けなかった?

本多:恐らく。一緒に小川俊彦さんのところに通った大学のお兄ちゃんもいるんですよ。その人はピアニストで、今でも第一線で活躍されていますが、勉強が段々つまらなくなってきたみたいで「俺はやっぱりいいわ」って途中でいなくなっちゃいました(笑)。でも私は「これはちゃんとやっておいたほうがいいな」と思ったんですよね。

──曲が作れるかどうかというのはやはり大きいですよね。

本多:また父の事になりますが、アドリブができて音楽理論が分かって、あと「アレンジャーっていうのは結構いいアドリブをするんだぞ」って言われたことがあったんです。「アレンジャーはきちんと曲を捉えているから、1番おいしいところに1番いいフレーズを持っていけるんだよ」って言われて、「なるほどな」と思いましたね。

──若いときは毎日のようにステージに立っていたんですか?

本多:1日おきぐらいですかね。大きいのも小さいのも。

──ライブで稼げていた時期はありますか?

本多:ジャズのライブで稼いでいたというのはあんまりないんじゃないですかね。そもそもライブだけで食べている人がいるのかな? っていう感じです。みなさんスタジオワークをやるか、先生業をやるか、あとは全国規模で回れる歌のバックバンドをやるかっていうことですよね。

──本多さんもスタジオワークに頻繁に入るようになっていったんでしょうか?

本多:スタジオワークというよりも、曲を書くほうが多くなっちゃったんですよね。いわゆるドラマの劇伴とかそういうものを書くほうが多くなって、サックスを触ることが少なくなっちゃったんですよ。今はすごく一生懸命サックスを吹いているんですが、一時「サックス奏者」っていう認識がなくなったんですよ。それがすごく嫌で。

──例えば、野呂一生さんは10代の半ばから20代の半ばぐらいは、大体1日10時間は練習をしていたとおっしゃっていましたが、本多さんの若いときはどのくらい練習されていたんですか?

本多:ぶっ続け10時間じゃないかもしれないですが、1日中吹いていたんじゃないですかね。休んでは吹き、休んでは吹きっていう風に。やっぱり最初はそうだと思いますよ。それでライブがすごく多いときは本番が多いので、それが練習になっちゃって、家でほとんど吹かないことのほうが多かったかもしれないですね。

それでライブが少なくなって曲を書くほうが多くなり、うちで練習をするかといえばしなくなっちゃった時期があって、そのときは衰えましたね、本当に!(笑)。自分で言うのもなんですが、びっくりしました。だから「サックスやらなきゃいかん!」ってなりましたね。

 

最初は別の曲だった映画『マルサの女』のテーマ曲

──本多さんが書かれた曲でいうとやはり映画『マルサの女』の音楽がまず浮かぶんですが、これはおいくつのときの曲ですか?

本多:書いたのは29歳で映画の公開は30歳。伊丹十三さんは54歳でした。

──『マルサの女』の音楽はどういった経緯で本多さんが手掛けることになったんですか?

本多:きっかけは評論家の立川直樹さんですね。立川さんがうちの父とよく仕事をしていたんですね。父はロックのことはよくわからないので、ロックのことを立川さんに聞いていたんでしょうね。父はすごく好き嫌いの多い人だったんですが、立川さんのことは好きだったんですよ。「あいつはいいな」なんて言って。それで私が小学校の頃から、立川さんはロンドンブーツを履いて時々家に来ていて、「変な人が来ているな」と思っていて(笑)。

その後、私がピットインとか出るようになった頃に「ドラマの音楽とか興味ない?」って立川さんに言われたんですよ。それで「ないことはないけどやったことはないし」って感じでね。当時、映画『スターウォーズ』を観てビックリしたんですよね。「なんなんだ、この音楽は」と思って。ジョン・ウィリアムズの音楽は格好良かったですよね。その頃からいわゆる背景音楽というか、そういうものに興味が出てきて、そのちょっと後に立川さんから言われて、TBSの3時間ドラマ『歴史の涙』の仕事をやったのが最初かな。

──ドラマの音楽のきっかけも立川さんなんですね。

本多:そうですね。『マルサの女』の音楽プロデュースも立川さんなんですよね。そこから伊丹さんとやりはじめて。立川さんはテレビドラマの音楽プロデュースとか、あとは日活ロマンポルノのような低予算でわっと作っちゃうような映画のプロデュースもやっていたんですね。だから、私も日活ロマンポルノの音楽も随分やっていますよ。あとATGの『人魚伝説』とか。

──『マルサの女』って映画を観たことがなくてもあの曲は誰もが知っていますよね。

本多:あの曲はお金にまつわるニュースとかでずいぶん使われるんですよ。

──伊丹監督と「こんなイメージの曲で」みたいな打ち合わせはなさったんですか?

本多:ありましたよ。だって最初のイメージは『タクシードライバー』ですから。トム・スコット風のジャズバラード、オシャレにいこうってことで。

──全然違いますよね。

本多:違うでしょう? その曲を一生懸命書いたら1発でOKになったんですよ。それで撮影も順調、曲も決まり、テレビスポットを打つときになって「このジャズバラードはすごくいい曲だから、とっとこう」ということになって「テレビスポット用になんか『悪い人』みたいなイメージの曲を書いてよ」って言われたんですよ。裏社会みたいな曲を。

──うさんくさくて裏がありそうな曲?

本多:そうそう。「テレビスポットだから、まあ5分ぐらいのを作ってくれればいいや」って言われて作ったんですね。で、それを聴かせたら伊丹さんがものすごく喜んで「この曲すごいね!」って(笑)。「これはなんなの? ジャズなの?」って言って「いやあ、ジャズっていうか…」と言うと「これはすごい。日本の裏社会みたいな曲だね」なんて言ってくださって、結局、全部それになっちゃったんです(笑)。

──最初の曲はボツになってしまったんですか?

本多:ブリッジというか、画面が変わるところでちょっと使われています。それでエンドクレジットのダビングをするときに、そこもあの曲にするというので「そこは絶対バラードにしてほしい」と思ったんですけど、そういうときって誰も一緒に話に行ってくれないんですよね。

──(笑)。

本多:レコード会社の人も「行かないよ」とか言って。「じゃあ1人で行く」って乗り込んで、伊丹さんに「この曲じゃないんです!」と言ったら、「あ、そう? わかった、わかった。今変えるから。ちょっと待って」とか言いつつ「でもあの曲もなかなかいいんだよ。すごく合うよ。ちょっと観てみる?」って言いながらフィルムを回したんですね。そうしたら伊丹さんは本当に嬉しそうな顔をして5拍子のリズムをとりながら聴いているのを見たら「もうこれ以上言うのは野暮だな…ここまで愛されれば楽曲として本望だ」と思って帰ってきたんです(笑)。だからバラードになっていたらどうなっていたかっていうのはわからないです。不思議なものでしょう?

──どっちが選ばれるかで、その後が変わっていたかもしれないですね。

本多:変わりますね。でも、私にとってトム・スコットはアイドルですし、サックスとストリングスってすごく格好いいですし、それこそ作・編曲の持てる力を全て出し切って一生懸命ジャズバラードを書いたという自負もあったんですよね。

──そのジャズバラードはきちっとした形では発表してないんですか?

本多:サントラには入っていますが、映画の中では完奏してないですね。

──それ以後、伊丹監督の映画は本多さんが手掛けたんですか?

本多:そうですね。でも、伊丹さんって最後までクールな方で、作曲家は全部オーディションだったんですよ。デモテープを出さなきゃならないし、なあなあの関係じゃないんです。

──それでも全部書いてきた。

本多:一応。音楽を大事にしてくれる映画監督に出会ったというのは嬉しいことでした。伊丹十三さんというのは音楽を使わないところは全く使わないんですよ。でも使うところはボンと使うんですよね。音もデカいし、いろんな場面に変わっても全部音楽でくるんじゃったりするわけですよ。そういう使い方をするのはすごく嬉しかったし、なかなかいないですよね。普通だとドアを開けるところで「ジャーン!」って、そんなのばっかりでしょう?

──本当の意味で音楽の使い方がわかってらっしゃる?

本多:わかっていらっしゃるのか、感覚がそうなのか。でも厳しい時もありました。いつもすんなりいくわけじゃなくて「これは違う」っていうのもよくありましたね。その「違う」というのが何が違うのか、ものすごく難しくて。結局いろんな映画を参考にすると、なにかに似てしまうじゃないですか? でも、それも絶対に嫌うんですよね。そうなればなるほど嫌う。だから難しいですよね。丸裸にされちゃいますね。

 

55歳で初めて関わった「吹奏楽」という世界

──『ニュースステーション』のオープニングテーマも印象に残っています。改めて聴いて「なんて格好いい曲なんだ」と思いました。

本多:ちょうどいい時代にやらせていただいたという感じですね。初代と2代目って松岡直也さんと前田憲男さんですから豪華ですよね。実はあの曲も2曲目で、もっとニュースっぽい曲を1曲目に書いているんですが、「ニュースっぽくするな」と言われてあの曲になったわけです。

──新しいものを求めていたんですね。

本多:そうですね。「これだとニュースっぽいから違うのにして」って(笑)。だったらもうアッパラパーな曲にしてやろうと思って(笑)。

──あんなに格好いいニュースの音楽って後にも先にもないんじゃないですかね。

本多:格好いいかどうかはわからないですが、あのベースを弾いていたの鳴瀬さんですもんね。ちょうど鳴瀬さんとRADIO CLUBというバンドを87年ごろに作ったんですよね。今でも1年に2回ぐらいやっているんですよ。次は来年の2月に鳴瀬さんも小川美潮さんも参加でやります。で、当時ニュースステーションもRADIO CLUBで担当した訳です。

──あと耳に焼き付いているのが2013年のフジテレビドラマ『家族ゲーム』です。

本多:劇版をすべてサックスで吹くっていうね。サックス5本だけなんですよ。私も初めての経験でした。

──これは制作サイドが案を出してきたんですか?

本多:そうなんですよ。「サックスだけで連ドラ最後まで大丈夫?」と思って「ピアノとかギターとか本当にいらないんですか?」って聞くと「いらない」って言われて「わかりました」と多分4曲ぐらいしか作ってないんですが、そうしたらもう「これで行く」って監督とプロデューサーが言って。

最初のうちはいいですよね、でも後半大体楽曲が足りなくなってくる、でも彼らは最後までその4曲程で通したんですよ。それには本当にびっくりしました。普通だったら曲が足りなくなると著作権料を払った上で色々なCDから楽曲を使用する事も多いのですが、でも彼らはそれをやらなかった。『家族ゲーム』のチームは品格が有ると思いました。

──吹奏楽は経験してきていない?

本多:そう。インスト、ジャズ系に行っちゃったので、全く吹奏楽をやることがなくて。初めて吹奏楽に関わったのが55歳になってからじゃないかな。浜松でやっている「バンド維新」という吹奏楽のイベントがあるんですが、毎年11〜2曲、作曲家の人が1曲ずつ曲を持ち寄って1枚のCDを作って、それを浜松の実力校吹奏楽部に割り当てて練習し発表させるというイベントなんですよ。

それで2012年に作曲の依頼が来たんですが、吹奏楽には全く関わったことがないですから迷ったんですよ。吹奏楽の譜面って見たことあります? 滅茶苦茶細かいでしょう? だから「これは大変だなあ」と思っていたら、うちの事務所の人が「何事も経験だから、やっといたほうがいいんじゃないですか?」って(笑)。

──(笑)。

本多:それで引き受けたんです。細かい話なんですが、吹奏楽のサックスって4本なんですよね。ジャズのフルバンドが5本で、私は5本のほうがやっぱり好きなんです。それで「サックス5本でもいいですか?」と聞いたら「いい」というので、サックス5本で書いたんです。それでお手本は航空自衛隊航空中央音楽隊が録音するんですよ。そうしたら「サックス5本なので1人足りない」って言われて「吹いてくれ」って言われたので「嫌です」と最初は断ったんです。

──なぜ断ったんですか?

本多:だって彼らは1番上手い吹奏楽団でしょう? でも、こっちは吹奏楽をやったことないですから「お断りします」と言ったんですが、結局説得されて吹きに行ったら指揮の見方もわからず、先に出ちゃったりしてね。

──吹奏楽って全然違うものなんですか?

本多:違うというか、そもそも今まで指揮を見て吹いたことないですからね。カウントですから。なんとか形になってCDも出て、それを聴いたときに「いい音しているな」って思ったんですよね。言い方悪いですが、自分の中で吹奏楽ってモワーンとしたイメージがあったんですよ。

──音がたくさんありすぎる?


本多俊之氏

本多:そうかもしれません。でも中で一緒に演奏してみると、低音から上のほうまでとても色彩感豊かで、イメージが一新されました。「これを知らなかったなんてもったいなかったな」なんて思ったんですよね。それが55歳の初体験です。

それで「あの曲の審査員をしてくれ。ついでだから楽器も持ってきてくれ」って言われてね(笑)。それで審査会場に着いて、ちょうど自分の曲がスピーカーから出ていたのかな。「このCD、やっぱりいい音しているな」と思って会場内に入ったら、担当している学校が実際に演奏していたんですよ。これはカルチャーショックでした。本当に上手いんですよ(笑)。びっくりしちゃって「なんだコイツら!」と思って。それで「練習しているから一緒に吹いてやってください」なんて言われたんですが、こっちがカチカチになっちゃってね(笑)。

──本多さんが緊張しちゃったんですか(笑)。

本多:それで一緒に吹いたら、すごくしっかりした演奏なんですよ。いわゆる小手先の技術はないかもしれないけれど、きちんと演奏をしている。彼らはみんな燃え尽きるほど練習をしているから本当に上手いんですね。言ったことはすぐに反映されますし「若いのにすごいなあ」って思いました。

ジャズとクラシック系では音の響かせ方が違う。もちろんプロは両方できるのですが、中には「そうは言ってもね」と拘りが有る方もいらっしゃる。

でも高校生は「パッと吹いてよ!」と言ったらパッと吹く。先入観がないですよね。普段J-POPとか聴いているからリズム感も悪いわけないですしね。
2012年はそんな年で、その流れの中で依頼が来たのが『家族ゲーム』、2014年にはサックスの発明者であるアドルフ・サックス生誕200周年を祝うアルバム『GREETINGS』をリリースしました。

そして2017年の『DINOSAX』というアルバムに行き着きます。「還暦アルバムを作りましょう」となったときに、レコード会社としてはやっぱりマーケットがある吹奏楽をやらせたい。それで条件として「やるんだったら高校生とやりたい」って言ったんですよ。マイクを1本1本立てて、ホール録音じゃなくてスタジオ録音。そしてクリックを使い、先生にもクリックに合わせて振ってもらうという、ものすごく失礼な条件を出したんですよ(笑)。まずシンセで全楽器のダミーを録音して、それに管楽器をダビング、次にパーカッションをダビング、最後にドラムスとベースを録って全てが本物に差し替わる訳です。
はたしてそんな条件でやってくれる高校があるか心配もあったのですが、「面白そうだからやる」という高校が結構あって、その中から2校選ばせてもらい、サウンドシティで録音したんですが、本当に素晴らしい作品になったと思います。

──リズムが1番最後っていうのがすごいですよね。

本多:すごいでしょう? 普通のレコーディングはドラムから録りますけど、あれって他の楽器は聞こえていないわけじゃないですか? 自分がドラマーだったら嫌ですよ。全部の色が見えているときに最後にドラムを叩いたら、どんなに気持ちいいか。絶対そっちのほうがいいに決まっているんですよ。

──参加した高校生たちはすごく喜んだんじゃないですか?

本多:喜んでくれましたね。1曲目こそまごまごしていましたけど、2曲目になったらもうすっかり落ち着いている。凄い吸収力、こちらも若い子たちと演るのはとても刺激になりますね。

 

「やりたい」と思う気持ちを大切にする

──吹奏楽でそういうことをやった人って今までいなかったでしょうから、日本の吹奏楽の世界にも影響を与えたんじゃないですか?

本多:賛否両論、すごく色々言われました。

──そんなに色々言われたんですか?

本多: 勿論「よくやった!」も有りましたよ。でも「これ嫌い」「邪道だ」とか「こんなの吹奏楽じゃない!」とかね。 「吹奏楽」という名前で縛られちゃうんだったら吹奏楽じゃなくて全然いいと思いましたね。ジャズもそうなんですよ。「こうじゃなきゃジャズじゃない」と言ったときに推進力を失っちゃうわけです。なんか開いているジャンルっていいじゃないですか。今、吹奏楽もポップスの曲をやったり、色々リズム方面にもチャレンジしてる訳ですから、オープンマインドの方が絶対面白いですよ。

──吹奏楽との関わりは今後も続くんでしょうか?

本多:そうですね。来年の吹奏楽の課題曲を頼まれて書いて、この前、模範演奏を近畿大学附属高校の吹奏楽部がやってくれたんですが、彼らもまた異様に上手かったですね。最近は、高校の吹奏楽部にゲストで呼ばれることが増えてきたので、楽しいですよ(笑)。どうなっちゃっているんだろうって思います。

──ピットインに入り浸っていた少年が吹奏楽の先生として呼ばれるわけですね。

本多:あと今年の4月から東京藝大で講義を持っていて、ここでも若い子たちに大いに刺激を貰ってます。

──藝大のサックス科って倍率40倍とか50倍の狭き門ですよね。

本多:そうですね。しかも藝大がすごいのは「今年はホルン1人も合格者がいませんでした」って平気で言うんですよね。普通だったら経営のために生徒をいっぱい入れないといけないのに。そういうところは普通と違いますよね。

──藝大の生徒ってどんな感じですか?

本多:「いい子」です(笑)。やっぱりみんな苦労して入ってきているんですよ。

──実際にどんなことを教えているんですか?

本多:最初はジャズのビッグバンドについて教えてくださいと言うので「なんでビッグバンドなんだろう?」と思って、1番最初の授業のときに「ビッグバンドとかやりたいの?」って生徒に聞いたら「いやあ…」とか言うんですよね(笑)。「じゃあ、なにがやりたいの?」って言ったら「アドリブがやりたい」と言うからアドリブの授業にしちゃったんです。譜面にするとよくないので、コールアンドレスポンス的に「こっちが吹いたらそれを吹きなさい」ってやっていたら、段々さまになってくるんですよね。生徒達と一緒に吹いてポップスの雰囲気を彼らに盗ませてやって下さい、というのも学校側の希望なので、そうしてます。結局卒業してポップスの現場に行く機会が有った時、全くそういう経験がないと戸惑ってしまうと思うんですね。

──何人ぐらいに教えていらっしゃるんですか?

本多:今は30人ぐらいですね。主に1年生なんですが何年生でも履修OKで、サックス課じゃない子も来ています。

──ほとんどの子はクラシックの演奏者を目指しているんですか?

本多:もちろんクラシックを目指しているんでしょう。ただ本当の意味でジャンルを越えた両刀使いが出て来てくれたら嬉しいですね。

──本多さんが手掛けた最新の映画音楽は何になりますか?

本多:現在公開中の『おいしい家族』という作品ですね。監督はふくだももこさんという20代の若い女性なんですが、やっぱりジェネレーションを越えた作業はとても刺激になりますし、貰うものが多いですね。若い人にしても年寄りにしても、自分の世代と仕事をするのが1番楽なわけですよ。若いんだったら若い人同士でやっていれば全くOKですしね。でも、54歳だった伊丹十三さんは、なぜ29歳のガキに音楽を頼んできたのかな?って今になって思うんですよ。

だって同世代で大御所はいっぱいいたでしょう? 伊丹さんの1作目、2作目は結構お客さんが入っていて、3作目の『マルサの女』ってすごく大事じゃないですか。そこで本多俊之という若造とやるとなったときに、止めた人が絶対いると思うんですよね。そこでよくやったなと思うんですよ。私がはずしていたらどうなっていたのかと思うと…(笑)。

多分モノづくりのモチベーションなのかなと思うんです。「そんなこと言ったってやりたい」って思うときってあるんですよ。高校生と吹奏楽をやりたいと思ったときもそうでした。すごく反対もされましたが、なんか上手くいくような気がしたんです(笑)。しっかりした根拠はないんですが、なぜか自信があるというか。多分そんなことなのかなって思うんですよね。

──クリエーターとして何かにチャレンジしたいということですよね。同じことばっかりやっているのは嫌だという。

本多:「やりたいな」って思う気持ちが多分大事なんだろうなと思いますね。せっかく「就職しろ」って言われていたのを振り切って自由業になっているわけですから、これからも自由にやりたい。これが結論ですね(笑)。

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