第116回 横澤 大輔 氏 (株)ドワンゴ 執行役員CCO

インタビュー リレーインタビュー

横澤 大輔 氏
横澤 大輔 氏

(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 /(株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長

今回の「Musicman’s RELAY」は、(株)テレビ朝日ミュージック 代表取締役社長 吉田真佐男さんからのご紹介で、(株)ドワンゴ 執行役員CCO/(株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長/(株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長 横澤大輔さんのご登場です。大学在学中、現ドワンゴ会長 川上量生氏の誘いで着メロ事業に参画し、川上氏の提案でCELL (現(株)ドワンゴコンテンツ)を設立。着メロの制作を一手に引き受けた横澤さん。その後、ニコニコ動画にも携わり、公式番組のプロデューサーとして政治関連番組やネット初の党首討論会、生放送、そして「ニコニコ超会議」に代表されるイベントまで手掛ける横澤さんにお話を伺いました。

[2013年10月29日 / 中央区銀座 (株)ドワンゴにて]

プロフィール
横澤 大輔(よこさわ・だいすけ)
(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 /
(株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長


ドワンゴ 執行役員 CCO。ニコニコ動画をはじめとして、ドワンゴのさまざまな事業/イベントを手がける。ニコニコ超会議では統括プロデューサーを務めた。公式番組のプロデューサーとして政治関連番組やネット初の党首討論会、生放送を手掛け、「ニコニコ超会議」では統括プロデューサーを努める。また、ドワンゴの着メロ事業の立ち上げ時にその事業を一手に引き受けたドワンゴコンテンツ(旧・CELL)の代表取締役会長でもある。

 

  1. 「デジタルなことをやっていますけど、結構アナログ人間なんです」
  2. 「会社作って」の一言でCELLを起業
  3. ネットでのコミュニケーションを復活させる〜ニコニコ動画の誕生
  4. リアルがネットと融合してハイブリッドなものができあがる
  5. 「ニコニコ超会議」が目指すところは「空き地」
  6. プロとアマ、デジタルとアナログ、ネットとリアル…相対するものの真ん中を提案する
  7. サービス精神の源泉は「お客さんの喜ぶ顔」

 

1. 「デジタルなことをやっていますけど、結構アナログ人間なんです」

−−前回ご出演いただいたテレビ朝日ミュージック 吉田真佐男さんとはいつ頃出会われたのですか?

横澤:会社としてのおつきあいは、「dwango.jp」の前、「いろメロミックス」という着メロサイトで、ケツメイシさんや湘南乃風さんとご一緒したのが初めてのお仕事だったと思うのですが、私個人としてのお付き合いはここ4年くらいで、ニコニコ動画からアーティストが生まれる中で、アーティストを吉田さんと一緒にプロデュースをしたのが初めての接点になると思います。

−−そのアーティストというのは?

横澤:√5(ルートファイブ)という5人組のアーティストですが、ニコニコ動画の中で「歌い手」と呼ばれるボーカル5人を集めて、テレビ朝日ミュージックさんと一緒にプロデュースをしているんですね。もう2年半くらい活動しているユニットなんですが、先日、NHKホールでのライブも成功しまして、アルバムもオリコンで7位にランキングしました。

−−吉田さんと横澤さんですと、年齢も親子くらい離れていますよね。

横澤:そうですね。何かと気にかけてくださって電話をいただいたり、ご飯に連れて行ってもらったり、お父さんと言ったら失礼ですが、本当に可愛がっていただいています。

−−ここからは横澤さんご自身についてお伺いしたいのですが、お生まれは東京だそうですね。

横澤:はい。北区の王子出身です。家族は父と母、妹が一人です。北区って結構下町で、ゲーム機で遊ぶというよりは、両親や自分たちでゲームをつくったりとか、広告を切り抜いてお買い物ごっこをしたり、そんな遊びをしていました。あとは駄菓子屋さんでチョークを買って自分たちでゲームを考えながら作ったりしていました。

−−なんだか昭和な遊び方ですね。

横澤:そうですね。40代くらいの方々と話が合うような幼少期と言いますか、あの地域だけ時代が止まっていた、という感じです(笑)。

−−(笑)。そうやって育った人がデジタルの仕事をやっているのが不思議ですね。

横澤:デジタルなことをやっていますけど、結構アナログ人間なんです。使っているのは手書きの手帳ですし。

−−ご実家にいる頃、音楽との接点は何かありましたか?

横澤:もちろん音楽は好きでしたけど、自分でやろうということはあんまり思いませんでした。人前に出るのがあんまり好きじゃなかったので。願望はありましたけど。

−−では、ご自身でバンドや音楽をやっていたということではないんですね。

横澤:出会いがなかったですね。あまり周りに音楽が好きな友達がいなかったので。もし、音楽仲間がいたらバンドでもやっていたんじゃないかなと思うんですけどね。サッカーはやっていたスポーツ少年でしたね。

−−女の子にはモテましたか?

横澤:それが全然モテなくて、小学4年生の時が一番モテたんですけど(笑)。バレンタインデーにチョコ合戦みたいなことをやっていて、そのときはモテた気にはなりましたね。

−−その後はやや不調だったと…(笑)。

横澤:不調ですね(笑)。誰とでも話せるタイプでもないので。かなりの人見知りでしたね。

 

2. 「会社作って」の一言でCELLを起業

(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 / (株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長 横澤大輔氏

−−高校はどちらに進まれたんですか?

横澤:晴海総合高校というところに行ったんですが、ちょっと変わった高校でした。青島都知事が教育改革をするということで、モデル校として大学みたいに自分でカリキュラムを組んで単位制で卒業するという高校だったんです。1年のときは普通科なんですが、2年から自分で科目を選択して好きな授業を受けられるんです。私は英語を専攻していて、第2外国語で中国語を学んでいました。

−−高校で中国語を勉強していたんですか。

横澤:はい。大学は予備校とか一切行かないで受験しようとしていたんですよ。センター試験の一週間前くらい前までバイトをしていて、そのままセンターを受けたらどこにも入れないくらいの成績で…(笑)。これはやばいと思い、ファミレスに一週間くらい籠って勉強して、一般入試で神田外語大学の中国語学科に入りました。大学では中国語を基礎からやるのですが、私は高校を卒業する時点で中国語を話せたので、授業もなんだかつまらなくて、一年間ずっと遊んでいました。

同時に音楽はずっと好きで、ライブハウスとかに出入りしていました。あるアーティストを好きになり、ファンのコミュニケーションサイトを作ろうかなと思ったんです。当時はまだホームページを作るのがすごく難しい時代だったのですが、「ホームページビルダー」というタグとかを書かなくても簡単にホームページが作れるソフトが出たので、それを買ってきて、ホームページを作ったんですよ。そこに掲示板とかチャットルームを作ったら、男性のファンがいるのが珍しかったようで、話題になりアーティスト本人も来るようになったんです。

−−自分たちでは作れなかったサイトを作ってくれたということもあるかもしれませんね。

横澤:そうですね。ほとんど女性ユーザーだったのですが、そのサイトにバッとファンが集まって、アーティスト本人とファンの交流場所になっていきました。そうしたらあるときに「うちはゲームのサイトをやっていて、今の若者の意見を聞きたいので、レポートを書くバイトをしてみませんか?」みたいなメールが来たんです。それが当時のドワンゴ社長だった川上(川上量生氏 現 ドワンゴ代表取締役会長)で、レポートを作って会いに行きました。

−−川上さんとの出会いはアーティストサイトを作ったことがきっかけだったんですか。

横澤:はい。それで川上にレポートを出したら、「君が指摘した箇所は全部直した方がいいと思うから直すよ」とすごく褒めてもらって、帰るときに「これ全部直したら、君は月額300円払って入ってくれる?」と聞かれたんです。そのとき私は「入らないですね」と実は答えました(笑)。

−−(笑)。

横澤:「全部直すのになんで入らないの?」と言われたので、「そもそも携帯でゲームをやらないので」と答えたら、「じゃあ何だったら300円払って入ってくれるの?」と言われたんです。その当時、私は「いい着メロサイトがない」と思っていたんですよ。というのも、当時はカラオケのデータを削ぎ落して4和音の着メロにしていたので、そんなに音が良くなかったんです。私は割とマニアックな音楽が好きだったこともあって、「ニッチな音楽に特化していて、音色もいい着メロサイトがあったら入る」と言って別れたんです。

ちょうどその頃、ドワンゴ内でも着メロサイトを作る話があったみたいで「手伝ってくれないか」と川上から電話がかかってきて、企画チームに入れさせてもらいました。そうしたら、あるとき「会社を作って本気でやってほしい」と言われたんです。一瞬、意味が分からなかったです(笑)。でも、そのときはまだ19歳だったので、「明日から社長だ!」って浮かれちゃって、ノリで会社を作ったんです。それがドワンゴコンテンツの前身のCELLという会社で、そこからドワンゴの着メロの制作・企画の仕事を受けるようになりました。

−−会社を作る上で細かいことはご自身でやったんですか? 例えば、法務局行ったりだとか。

横澤:やりました。これ、意図的かどうか分かんないですが、川上から「定款を書け」と言われて、私は全部手書きしたんです(笑)。本を読んで色々調べて、第一条なんとかかんとかって。それを法務局に提出したら、一字間違えるたびに「一字削除、二字挿入、判子」みたいな、そんなやりとりを5回ぐらいやったんですよね(笑)。そうしたら川上に「フォーマットあるよ」って言われて…。でも色々勉強になりました。

−−勉強好きなんですか?

横澤:仕事のことに関する勉強は大好きです。

−−なんかやろうと思ったときに勉強して実践する、みたいな?

横澤:そういったところはありますね。分からないことは、やはりできないですし、私はある程度分かった上で、崩していきながら自分のスタイルを作っていくタイプなので。そういう意味では本を読んだり、知らないことを調べたり、自分で実際に経験したりと、かなり自分で動くタイプかもしれません。

 

3. ネットでのコミュニケーションを復活させる〜ニコニコ動画の誕生

−−19歳で会社を作るってやっぱりすごいですよ。

横澤:会社を作ったのは完全に勢いでした。自分で会社を作って大きくしたいという野望もなかったですし、私はサラリーマンの家庭に育ちましたから、会社って作るものではなくて、あるものだと思っていました。

−−そこで「会社を作れ」と言った川上さんもすごいですよね。しかも「細かいことは俺がやってやるから」というわけでもなかったと。

横澤:全然なかったです。むしろ「まだできないのか!」と怒られるという。

−−最初から鍛えられたんですね。

横澤:やっぱりモチベーションを考えてくださったと思うんですよね。多分、川上の中で「成功する」というイメージがあったからこそだと思います。

−−まず任された事業というのは何からだったんですか?

横澤:2001年にドコモの503シリーズという携帯が発売されて、そこから着メロが4和音から16和音になったのですが、この16和音の着メロ制作です。

−−技術周りのことも横澤さんがされたんですか?

横澤:いや、そこは分かる人間を集めて任せました。立川の国立音大に通っているスタッフが結構多かったので、国立音大から絶対音感を持っている人を引っ張ってきて、CDから耳コピしてもらってMIDIデータを作り、これを携帯に鳴るような仕様に変換をしていく作業をしていました。

−−そんなアナログなやり方で着メロを作っていたんですか?

横澤:はい。また携帯の機種ごとに特性があって、スピーカーやチップとか全部違うんです。ですからPはP用、NはN用、FはF用と、一個一個の機種に対して最適な音になるようにカスタマイズしたんです。その結果「音色が良い」ということで売上が伸びていきました。

−−その作業は何人がかりでやっていたんですか?

横澤:最初の1年ぐらいは20人位で回していました。そのうち社員は8人位だったと思います。2年目は5〜60人、3年目になると200人を越えている状況でした。人を増やせば増やすほど着メロができますから、そういう形で人もどんどん増えていきました。それに伴って、ドワンゴ自体もゲーム会社から着メロ会社に転身しました。

−−着メロの売上も上り調子の時期ですよね。

横澤:そうですね。CELLが4,5期ぐらいで年商約18億になりました。その頃dwango.jpの会員は約500万人でした。そこから毎月会員費の300円ずつお金が入ってくるんですから、すごい時代ですよね。その後、着ボイスを一番大々的にスタートしまして、そこから芸能界や音楽業界との関係ができました。その着ボイスの人脈があったから、着うたの時代も生き残れたのではないかと思っています。

−−着ボイスで築いた人脈が着うたで生きたと。

横澤:ええ。着メロにしても着ボイスにしても、携帯独自の文化なんですよね。携帯のために作っていますから、そこに会話が生まれるんですね。「君の着メロなんかいい音だね」とか「それ誰の着ボイス?」とか、そういったユーザー同士の交流が生まれていたのですが、これが着うた時代になると、着うたはCDの二次利用ですから、そういった交流は成立しなくなっていってしまったんです。つまり、着うたの登場で「携帯の文化」が廃れて、その後スマホを生んでいくことになるのですが、うちはその流れの中でもう一回ネットでのコミュニケーションを考えなくてはいけないとずっと考えていました。

その結果、携帯で生放送するシステムを作ったんですが、双方向性に欠けるなと思ったんですよね。私は生放送の間にパーソナリティにメールが送れて、ラジオリスナーのはがき職人的な「メール職人」みたいな文化ができるんじゃないかと思っていましたので、その開発をプラスアルファでやろうとプロトタイプをPC上に作ったんです。ただ、その都度メールを出すのは面倒臭い、だったら画面の上に文字が流れるようにすればいいんじゃないかと。毎回生放送番組を作っていたら大変ですから、YouTubeから動画を借りてきて、その上にコメント載せることにしました。そうやってできたのがニコニコ動画です。

−−ニコニコ動画に関して、川上さんとはどのような話し合いをされたんですか?

横澤:川上はPCでやりたいという考えがあり、私の考えは携帯コンテンツの流れからきているので、そこがニコ動のときはうまくマッチしたのだとおもいます。

−−川上さんはビジョンリーダーみたいな感じでしょうか?

横澤:完全にビジョンリーダーですね。「任せる!」と言って、作業はしませんから(笑)。

 

4. リアルがネットと融合してハイブリッドなものができあがる

(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 / (株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長 横澤大輔氏

−−その後、ニコニコ動画はYouTubeサーバーへのアクセスを遮断されますよね。でも、そこからニコ動は独自の文化を発展させたわけですよね。

横澤:そうですね、ニコ動は基本的に「劇場型ネットエンタテインメントを作っていこう」という大方針があったんです。ですから、障壁があればあるほどドラマティックになっていくという(笑)。それまでネットの進化というのは資本主義的と言いますか、合理的だったり、効率的だったりということの追求だったんです。つまり、自分たちの利益を最大化するために、どういう風にネットを使っていくかということがネットの利用の仕方だったんです。でも「文化を創る」という側面から考えると、「曖昧さ」だったり、「あたたかさ」とかが重要だと考え、リアルで感じられることをネットにもちょっと浸食させることで、ネットとリアルが融合したハイブリッドなものができていくんじゃないかという考えが私にはあったんです。

−−それが見えていた?

横澤:なんとなく、ですけれど。こっちが「こうですよ」と言わなくても一人歩きするような進化が、次のネットエンタテインメントなんじゃないかなとは考えていました。

ただ、私は開発者ではないので、できあがったものの上に、どういう風にコンテンツを載せていくかを考えることが多い仕事なので、ニコ動立ち上げの段階ではそこまで深く関わっていなかったんです。ニコ動はユーザーさんで作り上げて行くプラットホームなので、生放送が立ち上がるまでは特にやることはなかったんです。

−−ニコ動に本格的に関わるのは生放送が始まってからなんですね。

横澤:はい。生放送も、立ち上げ当初は出演していただくのに苦労したんです。「そんなわけの分からないサイトになんで出演しなくちゃいけないんだ」と言われるところから始まり、「顔の上にコメントが流れるなんて・・・」みたいな。とにかく色々なところに営業へ行きましたが、厳しい状況でした。

−−状況が変わったきっかけはなんだったんですか?

横澤:営業を続けていたら、新しいことがやりたいと企画に乗っていただけるアーティストさんが出てきてくださるようになり、そこからどういう風に実績を出したら、多くの方にご出演いただけるようになるんだろうと考え始めました。そこで、プロモーション活動をして知名度を高めなくてはいけないだろうなと。それで私がやった施策というのが、出演して頂いたアーティストさんの事務所やレーベルさんにお礼のお花を贈ることだったんです。

−−花を贈ったんですか?(笑)

横澤:そうです(笑)。「ご出演御礼、来場者数何万人、コメント数何万人」と。テレビでも高視聴率だとお花とか送られるじゃないですか。あれを真似したんです。そうすると「2万人って何?」って話になって「ちょっと話を聞かせてよ」と興味を持っていただけるようになり、どんどん話が広がっていったんです。

あと、お祭りをしないと視聴者も集まらないし、話題にもならないということで、当時、かなりの制作費と社員総動員かけまして、24時間テレビみたいに「12時間ニコニコ生放送」の制作を行いました。その時、ダウンタウンさんにご出演して頂いたんです。そこから多くの人に、ニコニコ生放送を知ってもらえるようになり、他の方々にも出演してもらえるようになりました。あとはやはりGACKTさんの影響も大きいと思います。興味をもってくださり、何かあるたびにニコ動には出てくださいます。

−−同時期にUstreamも始まっていますよね。ニコニコ動画はどうやって差別化を図ったんですか?

横澤:ニコニコ生放送は時間を区切ったんです。ニコニコ生放送って30分が一枠という区切りをつけているんです。これを延長するためには、自分でもう一回一枠を購入して延長をするか、また自分で放送するコミュニティの人数を増やして延長を無料にしたりしなければならない仕組みを導入したんです。そうするとこの一枠30分に対して、どう生放送を構成するか、放送ユーザーさんの情熱が変わり、どんどんコンテンツの質が上がっていったんです。

−−テレビ番組のようですね。

横澤:そうですね。ユーザーさんは一枠30分、延長したとしても1時間の中で、やはり起承転結を考えるられるんです。オープニング的なトークがあって、メイントークがあって、エンディングにもっていく。そうするとユーザーさんの中で番組っぽいものが自然にできあがってきたんです。そこが他社との違いになっていったと思います。

−−生放送の認知度を上げていくという施策の中で、インパクトがあったのが政治家の出演だと思うんですが。

横澤:そうなんです。政治番組をスタートさせました。

 

5. 「ニコニコ超会議」が目指すところは「空き地」

(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 / (株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長 横澤大輔氏

−−「ニコニコ超会議」はどのような目的で始められたんですか?

横澤:リアルとネットが交わったハイブリットなものが次の時代を動かしていくと思っていたんです。最近ようやくO to O(オンライン to オフライン)みたいな言葉も出始めてきましたが、ネットが全てではないし、リアルが全てではないので、では、その間は何なんだろう? ということをずっと突き詰めていく中で生まれたのが「ニコニコ超会議」なんです。そういう意味では「超会議」は必然なんです。全然冒険ではなくて。もちろん規模的には冒険ですけれども、ドワンゴの目指している方向としては、必然だったんです。

−−「ニコニコ超会議」の今後はどうなっていくんでしょうか?

横澤:ニコニコ動画が「ユーザーが作っている動画共有サイト」であるならば、ニコニコ超会議は「ユーザーが作っていくイベント」に進化していくと思うんです。今のイベントってどうしてもプロモーション要素が高くなっていると思うんです。すごい出演者を呼んでくれば集客が増えるというような、出演者に頼るイベント構造になっていると思うんですが、そういうのは残しつつも、参加したユーザーが作りあげていく、というイベントですね。私たちはあくまでも場所を提供しているだけなんです。

超会議が目指すところは「空き地」だと思うんです。町の空き地って、場所だけ用意されていて、そこでの遊びは自由じゃないですか? 危ないことをしたらダメというのは、公序良俗であると思うんですが、あとはユーザーさんに作ってもらえるというのが私たちの目指すところだと思います。ですから、超会議は舞台に上がるのもユーザーさんですし、観客もユーザーさん、そういうイベントになっていくんだろうなと思っています。

−−それはユーザーさんを信頼しているからこそですよね。

横澤:はい。ユーザーさんを信頼していますし、我々もユーザーさんから信頼していただけるように努力しています。

−−そして、「ニコニコ超会議」の「町」版である「ニコニコ町会議」も始められましたが、こちらの狙いは何だったんですか?

横澤:ネットは全世界共通につながるものと言っておきながら、リアルイベントは東京中心でイベントをやっているということに違和感を覚えたのです。ニコニコ動画のユーザーさんは日本全国にいますし、なかなか都市部には出てこられない若いユーザーさんが多いんです。だったら、そういった町を回って、ユーザーさんに楽しんでもらいたいなという気持ちからですね。

−−実際に各自治体の方々に会ったりされるんですか?

横澤:はい。

−−すごくフットワークがいいですよね。

横澤:フットワークが軽いことが、我々の強みであり、コンテンツビジネスにとっては重要だと思っています。

−−ニコニコ動画では歌い手さんやボカロPさんのようなアーティストユーザーが大勢生まれ、レコードメーカーも注目していると思うんですが、そういった状況についてどのようにお考えですか?

横澤:今、プロとアマの境界線てすごく曖昧になっていると思うんです。ユーザーさんがユーザーさんを支持して人気者が生まれるというニコ動の構造は、昔で言うとクラス人気者という感覚なんだと思うんです。プロと比較してもちろん必ずしも上手いわけではないですが、でも支持されているということは、そこには何かしらのパワーがあると思うんです。もちろん、技術論でプロアマと言ったらあると思うんですが、マーケット論で言った場合、その境界線は曖昧になってきていると思います。

歌い手さんやボカロPさんを支持する人たちというのは、多分プロセスを見ているんですよね。その人のパーソナリティーだったり、「あのとき、こんなことやっていたな」とか。

 

6. プロとアマ、デジタルとアナログ、ネットとリアル…相対するものの真ん中を提案する

−−現在の音楽業界に対して、ご意見をうかがえればと思うのですが。

横澤:アマチュアの良い所と、プロの良い所を混ぜた、新しいフォーマットというのがあるんじゃないかと模索しています。例えば、ニコ動で活躍しているは同人即売会でCDを頒布しているのですが、そうするとお金が全部自分に入ってくる仕組みが出来ているので、メジャーデビューを目指すという考えが全てではなくなってきていると思います。

−−そういう方々は多いんですか?

横澤:はい。全国チェーンの専門量販店さんに自分でCDも卸しているので、そうするとこれとメジャーの流通とは何が違うんだ? という話になってきていると思います。

−−根本が変わってきていると・・・

横澤:そうですね。ですから、私はプロとアマのハイブリッド、この真ん中にある新しい音楽ビジネスというのは何があるんだろう? ということを、ニコ動を通じて模索し始めているところなんです。

−−「こういうものをみんなが求めているんじゃないのか?」というのを横澤さんが実践して、何組かとドーンと売れると、周りも「そういうことだったのか」と分かるんじゃないですか?

横澤:そうなんでしょうか (笑)。ユーザーさんが求めていることが多様化してきた中で、以前のように「この価値観で全部行ける」というのはなくなってきた。だったら、その一個のプロジェクトの中で何個の価値観を内包できるかというところでマーケットを広げてないといけないと思っているんです。私は音楽業界の方々と新しい音楽ビジネスで一緒にそういうことをやりたいと思っています。

今って、ユーザーさんと一緒に作っていくエンタメが成功しているんですよね。というのは、Googleが入ってきたことが黒船来航とすると、Googleが色んな価値を下げてしまったんですよね。例えば、日本ってi-modeというサービスがありましたが、あの天気予報だって月額300円で情報を得ていたんです。

−−すでに懐かしい感じがしますね(笑)。

横澤:地図も300円でしたよね。情報サービスの課金モデルがなくなったのは、Googleが入ってきてからなんです。Googleはすべて無料でコンテンツを与えているので、日本のコンテンツ産業というのがそこから一気に衰退したんです。ではその中でGoogleが価値を下げられなかったものというのは何かというと、人だと思うんです。そうすると人と人が合わさったときに生まれるものに価値が生まれて、そこが今、コンテンツになっている時代だと思うんです。

−−それがニコ動ですか。

横澤:そうです。ニコニコ動画はそういったUGCのプラットフォームなんです。例えば、プロとアマ、デジタルとアナログ、ネットとリアル、この間って何なんだろう。この相対するものの真ん中っていうのをニコ動は提案していくというのが、私たちのこれからの戦略になると思います。

 

7. サービス精神の源泉は「お客さんの喜ぶ顔」

(株)ドワンゴ 執行役員CCO / (株)ドワンゴコンテンツ 代表取締役会長 / (株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント 代表取締役社長 横澤大輔氏

−−横澤さんはとてもお忙しそうですよね。

横澤:おかげさまで忙しくさせていただいてます。

−−結果、非常に勤勉ということになっているんですね。

横澤:結果的には良いサイクルなのかなと思っています。「仕事していない人に言われたくないよ」という言葉が私は一番嫌いなんですよ。それはブーメランというか、やっぱり自分が言うってことは、誰かに言われるっていうことですから、それを言われないように、自分は人の倍やって初めて人に言うというのが、何となく私のポリシーとしてあります。

−−今は横澤さんが考えていらっしゃることを世の中に出すとそれに反応があって、思った通りに動いているという、そこに醍醐味はありますか?

横澤:やはり喜んでくださったときはとても嬉しいです。私は結構、お客さんの笑顔を見るのが好きなんですがネットは顔が見られないじゃないですか。着メロをやっていたときもやっぱりダウンロード数は分かりますけど、お客さんの顔は見られないわけじゃないですか。私の中では1人のお客さんを喜ばせるのも100万人のお客さんを喜ばせるのもあまり変わらないんです。だからお客さんの顔を見て「あー喜んでくれた」というだけで、その瞬間、やったなーって思います。

−−昔、人見知りだとか、友達少ないとか、全然そうは思えないです。

横澤:仕事となると話す大義がありますから(笑)。自分でもよく分からないです。でも本当に家に1人でいるときは誰ともしゃべらずに体育座りしています(笑)。

−−(笑)。プライベートは何をされているんですか?

横澤:最近、プライベートの過ごし方を忘れてしまいました(笑)。仕事は大変ですけど、そこに自分の見たいものとか、やりたいことを潜りこませて、モチベーションにしているっていうのはあります。会社がそういう自由度を与えてくれるのでありがたいです。

−−平均すると1日あたり何人に会っているんですか?

横澤:1日平均でだいたい8本くらいの打ち合わせがあります。交渉もありますし、提案もありますし、逆に提案を受けることもあります。社内会議も、1つ1つが面白いです。「これが実現するとどうなるのだろう」とか考えるのは楽しいです。

−−横澤さんのサービス精神の源泉は何なのですか?

横澤:人に驚いてもらいたいとか、喜んでもらいたいという、すごく単純な理由です。例えば、サプライズで誕生日会をやってあげたいとか。1個1個、自分で企画して、自分で規模を大きくしてしまうんです。サラッとやれば良いものを「こうやったら喜んでくれるんじゃないか」と(笑)。

高校時代に天ぷら屋さんでアルバイトをしていたんですが、バイトのくせに顧客リストを作っていました。来た方の名前や特徴、好きなお酒、吸っているタバコ、好きな食べ物、嫌いな食べ物とかを何となく会話の中から聞き出して、次、来てくれたときにその人に合ったサービスをしていたんです。そうするととても喜んでくれて、何回も足を運んでくれるようになり、3年半のバイトで、顧客50組ぐらいになりました。

−−いろいろなエピソードがありますね(笑)。

横澤:子どもの頃、公園の横に美容室があったんですが、すごい落ち葉が溜まるんですよ。それを掃くと、そこの美容室のおばちゃんが「いつ来るかな〜」と自分がくるのを楽しみに思ってくれる。褒めてくれるし、そうするとすごく笑顔をくれるんです。

−−もともとサービス精神旺盛な人がITと出会ったらニコ動になったと。

横澤:多分そうだと思います。人が集まるとビジネスになるというところに繋がって、今なんとか成り立っていると思います。

−−日本人の良いところをしっかり受け継がれていますよね。まさに“おもてなし”ですね。

横澤:完全におもてなしです。これからは“おもてなし”のウェブサイトですね(笑)。

−−(笑)。本日はお忙しい中、ありがとうございました。横澤さんのご活躍とドワンゴの益々のご発展をお祈りしております。(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 キャリアのスタートが早いとはいえ、まだ若干32歳の横澤さん。着メロに始まり、モバイル / PCの変遷を通じて、常に時代の先を見つめ、探求してきた横澤さんの話はとても刺激的でした。デジタルの世界では振り落とされてしまいがちな人と人の繋がりや曖昧さ、あるいは非効率、無駄をも取り込み、今までとは違った地平を見せる「ニコニコ動画」には、過剰とも言える横澤さんのサービス精神と自ら「アナログ人間」と言う横澤さんのパーソナルが反映されているように感じました。今後、ニコニコ動画がどんな「相対するものの真ん中」を見せてくれるのか期待したいと思います。

オススメ