第109回 後藤 篤 氏 株式会社ポニーキャニオン APグループ マネージャー

インタビュー リレーインタビュー

後藤 篤 氏
後藤 篤 氏

株式会社ポニーキャニオン APグループ マネージャー

今回の「Musicman’s RELAY」は、ユニバーサル ミュージック 加藤公隆さんからのご紹介で、株式会社ポニーキャニオン APグループ マネージャー 後藤 篤さんのご登場です。ラグビー漬けの高校時代から、大学卒業後、一般企業へ経てビクターエンタテイメントに入社。その後、アスミック・エース エンタテインメントでは映画の宣伝も経験され、現在ポニーキャニオンではGLAYやつるの剛士などを担当され現場の最前線に立つ後藤さん。そんな音楽、映像その双方の世界を経験された後藤さんに、ご自身の経歴を交えながら、音楽・映画の宣伝の違い、プロモーションの現状などのお話を伺いました。

[2012年11月5日 / 港区虎ノ門 株式会社ポニーキャニオンにて]

プロフィール
後藤 篤(ごとう・あつし)
株式会社ポニーキャニオン APグループ マネージャー


1972年3月2日生まれ(40歳)神奈川県相模原出身
小学校 野球チーム
中学校 サッカー部
高校(東海大附属相模高等学校) ラグビー部
大学 (東海大学政治経済学部)クラブチームラグビー、スノーボード

1994年4月〜1997年7月 
トステム(株) 関東代理店支店

1997年8月〜2004年8月
ビクターエンタテインメント(株) 第一制作宣伝本部
約3年間プロモーター
担当媒体:フジテレビ、テレビ朝日、ニッポン放送、TFM、オリコンなど
約3年間アーティスト担当
担当アーティスト:SMAP、広瀬香美、オオゼキタク、sportsなど

2004年9月〜2006年4月
アスミック・エース エンタテインメント(株) 映画配給事業本部 宣伝部
担当作品:「コーヒー&シガレッツ」(ジム・ジャームッシュ監督)、「ランド・オブ・プレンティ」(ヴィム・ヴェンダース監督)、「ダニー・ザ・ドッグ」(ルイ・レテリエ監督)、「メルキアスエストラーダの3度の埋葬」(トミー・リージョーンズ監督)、「森のリトルギャング」(ドリームワークス作品)、「木更津キャッツアイ〜ワールドシリーズ」など

2006年7月〜現在
(株)ポニーキャニオン 音楽事業本部APグループ マネージャー
担当アーティスト:w-inds.(橘 慶太)、上戸彩、GLAY、羞恥心、JOY、つるの剛士、南波志帆 など

 

    1. ラグビー漬けの高校時代
    2. 異業種からビクターエンタテイメント入社
    3. 自分の好きなものを仕事にできる幸せ〜音楽と映画の宣伝の違いとは
    4. ポニーキャニオンで音楽業界へ復帰〜映画『I’M FLASH!』との再会
    5. 1つ1つのコンテンツに愛情を持って作る
    6. 映像と音楽の両輪でポニーキャニオンを大きくしたい

 

1. ラグビー漬けの高校時代

−−前回ご出演いただいたユニバーサルの加藤公隆さんとはどのようなご関係ですか?

後藤:7年くらい前ですが、私が前職のアスミック・エース エンタテインメントという映画会社にいたときに、同僚の学生時代の先輩が加藤さんだったんです。私がビクターエンタテインメントにいた頃に恐らく媒体で加藤さんとは会ったことがあるとは思うんですが「改めて食事に行きませんか?」という話になり、そこでちゃんとお話したのが最初ですね。加藤さんとは年齢もほぼ同じですし、やっているスポーツも近かったりして、意気投合しました。

−−やっているスポーツというのはスノーボードですか?

後藤:そうですね。あと、前職からポニーキャニオンに入るまで3ヶ月くらいブランクがあるんですが、昔からボクシングをずっとやりたくて(笑)、その3ヶ月間毎日ボクシングジムに通っていたんですが、その頃に加藤さんにお会いしたんですよ。それで「今ジムに通っているんですよ」「俺もやってみたいんだよね」という会話で盛り上がったのをよく憶えています(笑)。最近は加藤さんも忙しいので、年に3、4回食事に行くという関係ですね。

−−ということは、最初は仕事を通してというよりもプライベートでの繋がりからなんですね。

後藤:そうですね。

−−加藤さんは貴重な他社のお知り合いということですか。

後藤:はい。私の知り合いも食事に同席したり、輪を広げていこうということはお互いやっていますね。

−−ここからは後藤さんご自身のお話をお伺いしたいのですが、ご出身はどちらですか?

後藤:神奈川県の相模原です。

−−どんな家庭環境だったんですか?

後藤:ウチの父親が11人兄弟で、父は一番下なんですが、親兄弟は多いですし、いとこも30人くらいいたりして(笑)、凄く大所帯なんですね。いとこの中でも私や妹は一番年下で、年の離れたいとこの家に遊びに行っては洋楽のレコードを聴かせてもらったり、当時ビルボード・チャートに入った曲をカセットに入れてもらって、それを小学生くらいから聴いていたのが音楽との最初の接点かもしれません。

−−小学生でビルボードチャートって早熟な感じですね(笑)。

後藤:そうですね(笑)。いとこのお兄ちゃんの好きなものを聴いていたので、そこですり込まれたのかなという感じはありますけどね。

−−でも、ご経歴を拝見すると完全にスポーツマンですよね。

後藤:今まで一番やってきたのは間違いなくスポーツですね(笑)。私は個人的に男っぽいスポーツが好きなんですよ。

−−野球、サッカー、ラグビー・・・確かに男っぽいスポーツですね。

後藤:ええ。男社会がわりと好きで。

−−母校はスポーツが盛んな東海大相模ですよね。練習とか大変だったんじゃないですか?

後藤:本当にスポーツが盛んな学校で、中学時代はサッカーをやっていたので「高校でもサッカーをやろうかな」と思って、グラウンドを観に行ったら、グラウンドを半分に分けて、右でサッカー、左でラグビーをやっていたんですよ。ラグビーを初めて生で見てカッコイイと思い、テレビで「スクールウォーズ」も放映していたので(笑)、興味はありました。

そこでラグビー部の先輩に「試しに入ってみたら?」と声をかけられて、何の気なしに入ってみたら、練習が厳しくて、2週間くらい経った頃に一緒に入部した友だちが「仮入部っていつまでなんですか?」と先輩に訊いたら、急に先輩が怖くなって「そんなもんねえよ!」と凄まれ、みんな辞められなくなってしまったという(笑)。入口は優しいんですけど、入ったら抜けられないよみたいな感じで・・・(笑)。

−−(笑)。

後藤:そんな感じで部活動はスタートしたんですが、ラグビーはすごく面白いスポーツで、365日中360日くらい練習していました。正月も2日くらいから練習して、本当に3年間ラグビー漬けでしたね。

−−ポジションはどこだったんですか?

後藤:私は背が小さかったので、スクラムハーフというポジションをやっていまして、ゲームを作る司令塔的な役割が非常に面白かったですね。

−−チームは強かったんですか?

後藤:私のときは神奈川のベスト8だったんですよ。当時の神奈川はベスト8で強いチームが大体出そろうんですね。慶応に東海大相模、日大藤沢、法政二高、桐蔭、相模台工業がほぼ確定で、特に相模台工業が強くて、そこに準々決勝で負けてしまい、花園には行けなかったんです。

−−東海大相模はラグビーでも強豪なんですね。

後藤:そうですね。過去7回花園に出場し、私の一学年下が翌年に花園に行きましたからね。

 

2. 異業種からビクターエンタテイメント入社

株式会社ポニーキャニオン 後藤 篤氏

−−東海大学はラグビーで行かれたんですか?

後藤:いや、附属高校だったので、そのまま推薦ですね。大学では体育会のラグビー部ではなく、附属高校の仲間たちとクラブチームを作ってプレーしていました。

−−大学生活はいかがでしたか?

後藤:いたって普通の大学生でしたね・・・しょうもない(笑)。パチンコやって麻雀やって飲みに行って・・・(笑)。音楽との接点はちょうどディスコからクラブへ変わる頃だったので、クラブとかにはよく行っていました。

−−スノーボードも大学時代から始められたんですか?

後藤:そうですね。大学1年生くらいからやっていました。ちょうどその当時スノーボードが流行りだして、ゲレンデも決められたエリアでしかできなくてという、まだそんな時代でしたね。

−−大学卒業後はトステムへ就職されていますがそれは?

後藤:私の親父は公務員で、その11人兄弟のほとんどが公務員という地元の公務員一家だったので、母親からも「公務員になりなさい」とずっと言われていて、高校から大学に入るくらいまでは「公務員になろう」というか「公務員になった方がいいのかな」くらいの感じで大学に入学したんです。

でも、就職のタイミングを迎えたときに「このまま地元で公務員になって人生終えるのも面白くないな」という気持ちが出てきて、「民間の企業に行ってみようと思う」と親に話しました。親も止めはしなかったんですが、心配するだろうから「いわゆる大企業の方がいいのかな?」と思って会社選びをしだしたときに、当時、建築関係のバイトをずっとしていたので、住宅建材のメーカーに注目して、シェア1位のトステムに入ったんです。

−−トステムでは何をされていたんですか?

後藤:営業なんですが、ちょっと特殊な営業で、代理店向けの営業をしていました。その代理店の営業マンの育成や新しい商品の説明みたいなことを1年目からやらせていただいていたので、若いのに偉そうな感じだったんですが(笑)、その部署で3年間仕事をしていました。

−−で、当然楽しくなかったわけですよね?(笑)

後藤:そうなんですよね・・・入って3ヶ月くらいで「ちょっと違うかな」と思ったんですよね(笑)。それで先輩に「辞めようかなと思っているんですけど」と相談したときに、その先輩から「辞めてもいいけど、誰もお前のことを惜しいと思わないし、会社もたいして引き留めもしないんじゃないの? それでお前はいいのかね?」と言われたんですよ。「辞めるんだったら、この会社のノウハウを吸収したり、惜しまれて辞める方がいいんじゃないか?」と。「それも一理あるな」と思って、一生懸命仕事をがんばって惜しまれながら(笑)3年後に辞めました。

−−次に音楽業界に着目されたのはなぜだったんですか?

後藤:今、トイズファクトリーで、ゆずさんを担当されている久野浩司さんは同級生で、旅行会社からトイズファクトリーに入って、その当時大ブレイクしていたSPEEDさんを担当していたんですよ。彼とは直接的な友だちではなかったんですが、一人友だちを挟んで久野さんのことを知って、「音楽業界はそういう中途採用もあるんだな」と知ったのと、タイミング良くビクターエンタテインメントが異業種の人を募集していたんですよ。

その求人募集は8人の社員の写真とプロフィールが載っていて、「どの人と仕事をしたいですか?」という採用の仕方で、当時J-POPを担当されているディレクターの方とか、演歌を担当されている方、洋楽を担当されている方が載っていました。応募もビクターエンタテインメントに応募するというより、それぞれの人に対して応募するような形になっていました。それで私が選んだ人が河村隆一さんのソロプロジェクトを担当されていた大岡政利さんで、その方に応募書類と課題を送り採用していただきました。

−−それは結構な倍率だったんじゃないですか?

後藤:そうだったみたいですね。かなりの倍率だったとは後日聞きました。

−−なぜ自分が選ばれたと今お考えですか?

後藤:とにかく動いて働けそうな感じはあったと思いますね、本当に(笑)。「寝ないでもいけます!」くらいのことは言っていたかもしれないです(笑)。確か面接のとき、「体育会だ」ということを推そうと考えていましたね。体育会で駄目だったら、それはもうしょうがないやと。

それでビクターエンタテインメントにプロモーターとして入って、媒体をあちこち回っていました。当時のビクターエンタテインメントはKiroro、19(ジューク)、LOVE PSYCHEDELICO、MINMIと毎年新人のヒットが出ていて、現場のプロモーターとしても自信を持てたというか、「ヒットを出す」という実感がありました。私は第1制作本部というところにいたんですが、第2制作本部ではDragon Ashがヒットし、SPEEDSTARではUAやCocco、くるりがヒットしていたので、刺激になりました。当時はそれが当たり前のように感じていたんですが、毎年あれだけ有望な新人を出していたってすごいなと思います。

−−データによれば’98年がCD売上のピークで、後藤さんがビクターエンタテインメントに入られたのはその直前ですからね。

後藤:本当にそうですね。入るのがほんの数年遅かったらまた違った状況だったでしょうね。

 

3. 自分の好きなものを仕事にできる幸せ〜音楽と映画の宣伝の違いとは

株式会社ポニーキャニオン 後藤 篤氏

−−その後、アーティスト担当になっていますが、これはどういったお仕事をされていたんですか?

後藤:いわゆる宣伝のプランニングですね。アーティストのリリースのタイミングや、見せ方みたいなことを考えていました。局担当の最後にフジテレビさんの担当をしていまして、フジテレビさんはビクターエンタテインメントで言うとSMAPさんの番組が多かったので、そこへ立ち合わせていただいた流れで、SMAP担当のサブから始めさせていただきました。

−−ビクターエンタテインメントに入られて、お仕事は楽しかったですか?

後藤:いやぁ、本当に楽しかったですね。何が嬉しいって、朝が遅かったんですよね(笑)。トステムのときは本当に朝早くて、遅くとも8時には必ず出社していたと思います。しかも夜も結構遅くまで仕事していたので、すごくハードでした。でも、レコード会社は出社が遅いですから「こんなんでいいんだ」と思いましたね(笑)。それが第一印象ですけど、入った頃はミーハーな気持ちもありますから、「こんな人が近くで見られるんだ」とか、そういう気持ちもありまして、本当に楽しかったですね。

−−でも、宣伝担当だと土日も仕事ってことも多いですよね。

後藤:そうですね。でも、土日も全然余裕というか、全く辞めたいと思ったことなかったですね。私は一度異業種で働いていたので、今、レコード会社にいられるありがたみというのがあるような気がするんですよね。自分の好きなものに触れ合って、自分の好きなものを仕事にできるなんて最高だなって思いますけどね。

−−加藤さんも「職場で音楽が聴けるんだ」「勤務時間中にレコード屋に行けるんだ」とおっしゃっていました(笑)。

後藤:そうそう(笑)。でも、これが仕事ですからね。レコード屋に行って試聴機で音楽を聴いていたら「勉強熱心だね」なんて言われたりとか、TVを観て「この番組面白いっすね」とか言っていること自体が媒体研究だったりして(笑)。もちろん休みもほとんどなかったですから、肉体的にはきついこともありましたが、とにかく面白かったです。当時は本当によく先輩とかに連れ回されて飲みに行ったり、朝方までワイワイやっていましたけど、非常に勉強になりましたね。

−−そんなに楽しかったビクターエンタテインメントから2004年にアスミック・エースエンタテインメントへ移られていますが、それはなぜですか?

後藤: SMAPさんの担当をさせていただいているときに、色々な経験をさせていただく中で、映画の宣伝のお手伝いをさせていただきました。その後契約社員として7年間働かせていただき「会社の中での評価ってどうなのかな?」という思いと、ビクターエンタテインメントの中で次の目標が見出せない時期が重なり合ったときにアスミック・エースエンタテインメントの方と食事をして「映画会社とか興味ないの?」と話がありまして、映像の世界もすごく面白そうだなと。特にアスミック・エースエンタテインメントという会社はインディペンデント系配給会社の中でも割と変わった立ち位置の会社で、配給している映画も自分が好きな作品が多く「面白そうだな」と思ったので、映画会社に行ってみようと思いました。

−−アスミック・エースエンタテインメントでは映画の宣伝をされていたんですか?

後藤:そうですね。パブリシティーをとるプロモーターからスタートして、洋画・邦画の宣伝プロデューサーまでさせていただきました。在籍期間は2年弱なんですが、この2年で本当にいい経験をさせていただきましたね。カンヌ映画祭にも行かせていただいて、レッドカーペットを歩かせていただいたり(笑)。

−−同じ宣伝でも音楽と映画では違いましたか?

後藤:全然違いましたね。映画は、作品の大きさにもよりますが、宣伝プロデューサーは音楽に比べて大きな宣伝費を持って宣伝計画を立てます。また、レコード会社の宣伝費は自分の会社から出すので、少し予算を越えてしまってもなんとか許されたりするんですが、映画はそれぞれ出資会社があるので、そういうわけにもいかないんですね。事前に出資会社の前で宣伝プロデユーサーが「今回の宣伝費はこのように使います」と説明して、結果、宣伝費を越えるようなものがある場合は、再度皆さんを招集して、それぞれの会社に稟議を出してもらわなくてはならないので、宣伝費をオーバーするなんて考えられないことなんですよ。

ですから、映画は宣伝費が大きいですが緻密にやっている業界なんだなと改めて知ったりですとか、あと音楽はアーティストを通じて長いプランを立てていきますけど、映画は基本的に毎回ショットなので、作品ごとに宣伝の手法やターゲットなど、色々なものが変わっていくんですよ。

−−音楽、映画と宣伝に対して違う考え方を体験できたのは、後藤さんにとって大きかったんじゃないですか?

後藤:非常に勉強になりましたね。少し遡りますが、トステムにいた時代も私にとっては大事で、そこでは社会人としての様々な常識を学ばせてもらいました。そして、エンターテイメントの面白さをビクターエンタテインメントで教わり、その後、音楽と映画の宣伝の違いや、宣伝費の管理について教えてくれたのがアスミック・エースエンタテインメントでした。

−−例えば、各会社の風土と言いますか、勤められている人たちに違いはありましたか?

後藤:全然違うと思いましたね。音楽って色々な楽しみ方がありますから、レコード会社にはバンドをやっていた人もいれば、DJをやっていた人、クラブで踊っていた人みたいな、色々な人種が集まっていると思うんですよ。でも映画配給会社は映画関連の仕事に就くことを目標にしていた方が多く、知識がすごく豊富な一方で映画にグッと入りこんでいる分、悪く言うとフレキシブルじゃない部分もあったりするかもしれません。

レコード会社って「就職活動が始まるまで就職先を決めていなかったけど、『レコード会社とか面白そうだな』と思ったから入りました」みたいな人も多いでしょうし(笑)、バイトで入ってそのまま社員になった方も多いと思うんですよね。トステムも実はレコード会社に近いかもしれません。「これ」って決めていたわけじゃないけど、と。「俺は絶対住宅建材関係に行くんだ!」という人はあまりいないと思うんですよね(笑)。そういう意味では、「何か仕事をしなきゃ」ということで選んだところがそこだったという感じじゃないでしょうか。

 

4. ポニーキャニオンで音楽業界へ復帰〜映画『I’M FLASH!』との再会

株式会社ポニーキャニオン 後藤 篤氏

−−そして、アスミック・エースエンタテインメントからポニーキャニオンへ移られて音楽業界に復帰ですね。

後藤:はい。アスミック・エースエンタテインメントでは洋画の宣伝をさせていただいたあとに、邦画の宣伝をさせていただいたんですが、映画と音楽の大きな違いは、音楽は制作と宣伝の両輪が交わって作品を作っていくというイメージだとすると、映画は製作が主で、宣伝ってあとからついてくる、広報的な意味合いが強いのかなと私は感じたんですね。

音楽はスタートの時点から「今度こんなものを作ろうよ」「こんなことやろうよ」という話し合いを制作・宣伝両方やるのに対して、映画はできあがったものに対して「じゃあこれをどう宣伝していくか?」みたいなことが主だったので、そういう意味で言うといわゆる宣伝プロデューサーという名前ではありながらも、製作の中に宣伝が入っていくとか、意見できない壁にぶつかっていた時期がありました。

−−音楽の宣伝を経験されていたこその感覚なのでしょうね。

後藤:ええ。もともと映画だけをやっていたら、そんなことは感じなかったんでしょうけど、音楽からスタートしていたので、そこに疑問を感じていました。ただ一方で豊田利晃監督の『I’M FLASH!』という作品の脚本を読ませていただき感銘を受け「これは絶対にやりたい!」と思ったんですね。『I’M FLASH!』というのはTHE ROKKETSの曲名なんですが、豊田利晃監督がその曲にインスパイアされた作品でして「これは絶対に自分のためにある作品だ!」と勝手に思いました(笑)。

−−(笑)。

後藤:私がアスミック・エースエンタテインメントに入って「自分がやります」と、はっきり言ったのは、この作品が最初で最後かもしれないです。でも諸々の事情で企画が止まってしまい・・・。映画宣伝の壁にぶつかっているときにやっとこういった作品に出会えて、でも、またそこでもうまくいかなかったときに、ふと「やっぱり音楽にもう一回戻ってみたいな」と思ったんです。

そこで会社をスパッと辞めてちょうど子供も生まれた頃で、かつ最初にお話したボクシングへの興味もあり(笑)、会社辞めて3ヶ月間は子育てとボクシングジム通いをして、大変有意義に過ごさせていただいて(笑)。

−−育休ですね(笑)。

後藤:育休を取らせていただいて(笑)。その後、ポニーキャニオンに入らせていただきました。

−−声を掛けてもらった中からポニーキャニオンを選ばれたのはなぜだったんですか?

後藤:ビクターエンタテインメントで音楽を、アスミック・エースエンタテインメントで映像も経験させていただいたので、ポニーキャニオンには映像もあるし、音楽もあるし、その両輪でやっている会社は自分にあっていると思いました。

−−ポニーキャニオンはどうですか?

後藤:良いご縁もあって楽しく仕事もさせていただいていますし、ここ何年間かでいうと「羞恥心」のブレイクも経験させていただいて、そのお付き合いからつるの剛士さんをそのまま担当させていただいたりと、人にも恵まれましたし、いい経験させていただいていますね。

−−やはり人の繋がりは大切ですよね。

後藤:面白い話があって、ビクターエンタテインメント時代から仕事をさせていただいているホリプロの成瀬敏康さんに先ほどお話した『I’M FLASH!』の話をしたんですね。そんな映画があったんだよ、と。そうしたら、成瀬さんが「これからサントラの打合せがあって行かなきゃならないんだけど、何かそんな映画だった気がするよ」と(笑)。「ウソだろ?」とそのとき思ったんですが、翌日電話がかかってきて「本当にその作品だったよ」と (笑)。『I’M FLASH!』の主演が藤原竜也さんだったのでホリプロさんにサントラのお話が行って、サントラを出すところを探しているという話だったので、「やります!」と二つ返事で(笑)。それで何年かぶりに監督へ会いに行って、「実は…」って話からスタートしたんですよ(笑)。

−−すごい偶然ですね・・・。

後藤:そうなんですよ。それで、『I’M FLASH!』を主題歌にするということは大決定していて、中村達也さんがドラムで参加、ギターがdipのヤマジカズヒデさん、ベースがRIZEのKenKenさんというところまで決まっていて、ボーカリストがまだ決まっていないという話を監督からされました。

私は豊田利晃監督の一番好きな作品が『青い春』でして、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが主題歌を担当しているんですが、そのインパクトが強烈だったので「やっぱりチバユウスケさんじゃないですかね」という話をさせていただき、スタッフ一同同意して監督からチバユウスケさんにオファーをしていただき決定いたしました。個人的にはチバユウスケさんと中村達也さんがタッグを組みしかも担当させていただけるなんて夢のようでした!ビクターエンタテインメント時代からTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとBLANKEY JET CITYが大好きでライブをたくさん観させていただいていたんですが、なかなかお仕事する機会がなくて。

−−巡り巡って・・・不思議ですね。

後藤:レコーディングも2日間まるまるスタジオを押さえて、これは豊田監督の手法みたいなんですが、スタジオの中にでっかいモニターを置いて、そこで映像を見ながらセッションをしていくというスタイルだったんです。それがもう素晴らしくて…。

−−映像に触発されて演奏するスタイルだったんですね。

後藤:でも、画が終わったからといって音楽が終わるわけじゃなく、やっぱりそこに尾ヒレがついたり、どんどん音楽としての作品が出来上がっていきます。そのときに監督とも話したんですが、いわゆるサントラ盤としてスタートしたものの、これは普通のサントラ盤ではなくて、コンセプトアルバムにしたいと提案しました。監督も「そうだよね」と賛成してくれて、映画で使われなかったその尾ヒレの部分もアルバムには収録させていただいたんですが、その後のスタジオに現れたチバユウスケさんの歌もこれまた最高で、もうその声にシビれました。

−−そのコンセプトアルバムのタイトルも『I’M FLASH!』?

後藤:映画のタイトルそのままで出させていただきました。映画の初日も終わって、監督から「お疲れさま」みたいなメールをいただいたので、自分の中で本当に良い経験になったし、アスミック・エースエンタテインメントで初めて脚本を開いてから今に到るまで紆余曲折あったけれど、良い形で関わらせていただいて、本当にありがとうございました、なんてことを返信したら、監督からも「僕こそお世話になりました」と・・・。

−−感無量ですね。しかもサントラにも話が広がって、いい作品ができて最高ですね。

後藤:はい。『I’M FLASH!』という曲は私も大好きなので、家族には「俺が死んだら出棺のときにこの曲をかけてね」と伝えてあります(笑)。

−−(笑)。

後藤:「俺はホラ吹き稲妻パッと光って消えちまう」という歌詞が特に好きなんですが、「俺の出棺のときはこれをかけて」と家族に言ったんですよと監督にメールをしたら、監督が「それは見たいので、後藤さんより長生きしたいと思います」なんて言葉をいただいて。私にとって豊田監督は憧れの監督ですけれど、1つの作品を通じて、人と人が触れ合うことができてすごくよかったと思いました。もしかしたら、これは映画会社にいて一宣伝プロデューサーとして関わったとしたらまた違った関係になったと思いますね。

 

5. 1つ1つのコンテンツに愛情を持って作る

株式会社ポニーキャニオン 後藤 篤氏

−−後藤さんは現在マネージャーという肩書きがついていますが、これはどういう役割なんでしょうか?

後藤:私は今、現場も持たせていただいているので、いわゆるプレイングマネージャーという形ですね。現場のプランナーたちと一緒にプランニングを立てたり自分の担当アーティストのプランニングや宣伝をしています。丁度、今年GLAYとポニーキャニオンがパートナー契約をいたしましたが、自分がビクターエンタテインメント時代に河村隆一さんの担当をされていた早川圭一さんが、今レーベルのA&Rをされていてポニーキャニオンの担当として自分の名前を挙げていただき、ご一緒させていただいています。ですから、本当に色々な人との繋がりで今があるんだなと強く感じます。

−−今の音楽業界の現状に関して、例えばCDの売上やダウンロードが伸び悩んでいることについて、レコードメーカーにいらっしゃる立場からはどのように感じていらっしゃいますか?

後藤:私が所属するポニーキャニオンは、トップシェアではないのでまだ挑戦する余地がたくさんあると思っています。また他部署ではアニメ「けいおん!」のヒット、韓流系ではチャン・グンソクがヒット、そしてグループ会社のEXIT TUNESからボカロのヒットなど、J-POP以外でのヒットも多いメーカーなので、とても将来性のあるメーカーだと思います。

−−あまり悲観していない?

後藤:そんなに悲観はしていないですけどね。確かに今、音楽の楽しみ方って、変わっていると思うんですよ。私たちが若い頃は今より娯楽も少なかったですし、家に帰ってもテレビを観るか、本を読むか、ラジオを聴くか、みたいなことしかなかったですが、今はネットもあれば、HDにテレビの録画もしているでしょうし、色々とやることが多いでしょうね。

生活スタイルが変わっていけば、メディアも変わっていくのは当たり前だと思います。多分、私たちが子どもの頃はハードメーカーがハードを売るためにソフトがあるという考え方だったと思うんですが、今はハードすら持っていなかったりする時代なので、CDという形は少なくなるかもしれないですけれど、音楽の楽しみ方はたくさんありますし、広がる可能性があると思います。

そういう意味では、現場の人間としてまだまだやるべきことがたくさんあると思います。まずは1つ1つのコンテンツに愛情を持って作ることが大事かなと思います。音楽はビジネスなのか、文化なのか、という考え方がありますが、ビジネスとして、色んな試行錯誤をして売り方を考えていくというのはもちろん大切ですし、文化としての側面で言えば、人の文化欲みたいなものを満たすための音楽もあると思うので、あまりにも売り方ばかりに寄ってもいけないでしょう、物作りだけにこだわりすぎても駄目でしょうし、私たちメジャーメーカーはそのバランスを上手くとりながらやらなくてはいけないんじゃないかなと思います。

−−例えば、新人発掘などもなさっているんでしょうか?

後藤:そうですね。色々な方のライブを拝見しています。

−−後藤さんはどういうところをポイントにライブを観ているんですか?

後藤:これはあくまでも私の考え方なんですが、野球と同じで「球の速い人がいい」と思うんですよ。「真っ直ぐ伝わってくるもの」がまずあるという。「見せ方が上手い」技巧派ではなくて、ストレートな音楽性とか真っ直ぐなメッセージとか、そういったものを持っていることがまずは大事なのかなと思っています。見せ方というのはこちらでも考えられますし、経験で身につくことかもしれませんが、そのバンドやアーティストがもともと持っている球がどれだけ速いのかというのは重要だと思います。

 

6. 映像と音楽の両輪でポニーキャニオンを大きくしたい

−−宣伝の仕方は、10年前と今とでどのように変わってきていますか?

後藤:再度、映画と音楽に戻るんですけど、映画はとにかくパブリシティを出す、量を出すというのが非常に大事な作業なんですよ。対して、音楽はたくさん露出することがいいことかというと、マイナスに働く可能性もあります。「このアーティストをここに出してしまうことで、こういうイメージがついてしまうから良くない」というようなことですね。映画と音楽はそこが大きく違うように思います。ですから、音楽はどこに当てたらいいかを考えるんですが、今はWebもありますし、SNSを使った口コミみたいなことも増えているので、やることがすごく細分化されてきた印象です。

−−基本はアーティストの個性を見極めて、アーティストごとに宣伝方法を考えていくということなんでしょうか?

後藤:そう思います。最近では露出し過ぎないことの方が大事なのかなと私は思っているんですけどね。

−−確かに「露出していないのに売れている」アーティストは結構いますよね。

後藤:ええ。今は、ユーザーが自分で探しに行かないと自分のものにならないとか、ちょっとした余地みたいなものを作っておかないといけないですね。全てを開けっぴろげに見せ過ぎてしまうとユーザーが満足しちゃって購入していないように思います。今はタームが早いので、自分の中で消化しきっちゃうのかなという感じがありますね。

−−宣伝手法はまだまだ開発しきれていないと。

後藤:開発しきれていないと思いますね。趣味嗜好が細分化されているので、ターゲットごとに、どううまくプロモーションしていくかということが今後の宣伝で大事なことですね。

−−ちなみにライブの宣伝などにも関わるんですか?

後藤: 360度契約をしているアーティストに関しては、ライブも含めて戦略的に考えなければいけないですね。

−−今後はやはり360度契約は増えると思いますか?

後藤:増えると思います。やはりCDだけですとなかなか利益がとれないですし、逆に言うと宣伝費もかけられなくなってしまうんですね。すると、色んなものが小さくなっていってしまうので、360度契約はメーカー、アーティストのどちらにもメリットがあると思います。

−−後藤さんの今後の目標はなんでしょうか?

後藤:私がポニーキャニオンに入るときに、レコードメーカーが映画に参入したり、プロダクションがレーベル機能を内包したり、そういう大きなエンタテインメント企業がもっと増えるんじゃないかなと思っていたんです。幸いにもポニーキャニオンには映像がありますし、音楽もありますので、それが上手く組み合わさって大きくなってくれるといいなと思いますし、自分は映像、音楽、両方を経験していますので、そのお手伝いができればと思っています。

−−Musicman-NETは学生さんや、かつての後藤さんのように違う業種にいて、チャンスがあれば音楽業界で働きたいと考えている人がよく見てくれているんですが、そういう方たちへメッセージをいただけますか?

後藤:「音楽業界は敷居が高いんじゃないか?」と想像されていると思うんですが、全然そんなことはないと思いますので、どんどんチャレンジしていただきたいですね。私は転職を全肯定するわけではないですが、私が転職して良かったなと思うのは、次の新しい環境に入ったときって、自分を過小評価されたくないので、絶対に頑張ろうと背伸びするじゃないですか。その背伸びをして頑張っているときが、私は一番大事だと思うんですよ。

私の場合ですと、ビクターエンタテインメントでお手伝い程度ですけどSMAPさんを担当させてもらっていて、次の会社で「SMAP担当していた奴が来たよ」と言われたら、期待感も高いですから、実力以上に頑張らないといけないですよね。そこで自分自身を奮い立たせて頑張ることが、なにより大切だと思います。

「ここが嫌だから」ではなく、自分を高める意味での転職、新たな挑戦としての転職を、私はお勧めします。たとえ転職しないとしても、自分自身の仕事観というものを考える意味で、自分の今のポジションと、自分にできることを客観的に見ることは大事なことだと思います。

−−実際に異業種から音楽業界に入られた後藤さんの言葉ですから、心強いですね。

後藤:もしかしたら、長く音楽業界にいる私たちには見えないことも、違った角度から見てもらうと、色々なものが見えるかもしれないじゃないですか。また「こんなやり方もあるのに、なんでやらないの?」ということがたくさんあると思うんですよね。ですから、様々な業界の方々に音楽業界に入っていただいて、我々と一緒に盛り上げていけたら最高ですね。

−−本日はお忙しい中ありがとうございました。後藤さんのご活躍とポニーキャニオンの益々のご発展をお祈りしております。(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 まさにスポーツマン、いや「体育会系」な印象の後藤さんですが、その明るく前向きな人柄はとても魅力的でした。お話を伺っても、人と人との繋がりから新たなコンテンツを送り出すその源には後藤さんの人を惹きつける力があるのではと感じました。また今後は、異業種出身、音楽と映画双方に携わられた経験を存分に生かして、音楽に限らずエンターテイメント全般に新たな風を吹き込まれるような気がします。後藤さんの送り出す新たなコンテンツに注目していきたいと思います。

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