レコーディング機材との格闘の先に見えたもの 〜山下達郎『Ray of Hope』 / レコーディングエンジニア 中村辰也氏インタビュー

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レコーディングエンジニア 中村辰也氏
レコーディングエンジニア 中村辰也氏

レコーディングエンジニア 中村辰也氏

山下達郎6年ぶりのニューアルバム『Ray of Hope』。東日本大震災後にリクエストが殺到した「希望という名の光」やこの6年間で発表されたシングル、タイアップ曲を収録したそのアルバムは圧倒的クオリティを誇り、今年を代表する1枚となった。今回の「FOCUS」は近年、山下達郎のメインエンジニアとして、スタジオワークを取り仕切るレコーディング・エンジニア 中村辰也氏に『Ray of Hope』の話を中心に、山下達郎こだわりのレコーディング、そしてご自身のキャリアまで話を伺った。
 

[2011年11月8日 / 渋谷区東 ビクターエンタテインメントにて]

 

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1.

——まず中村さんご自身のことからお伺いしたいのですが、お生まれはどちらですか?

中村:1964年生まれで、出身は京都です。高校時代はバンドをやっていて、機械をいじるのも好きでしたので、デモテープを録ることが私の役目みたいになっていたんですね。そんなこともあって、その頃には「将来はエンジニアになりたい」と思い始めていました。それから東京の音響技術専門学校に行って、2年間のレコーディングのコースだったんですが、2年目にはほとんど学校へ行かずに、スタジオでアルバイトをしていました。それでも卒業させてくれたんですけどね(笑)。それで、サウンドデザインスタジオに入ったんですね。

——ありましたね、サウンドデザインスタジオ。

中村:ええ。今はもうありませんよね。そのとき、私を含めて3人のアルバイトが同時に入ったんですが、私は車の免許を持っていなかったんです。サウンドデザインスタジオは楽器のレンタルや、ライブの出張PAなど色んなことをやっているスタジオだったので、車の免許を持っていないと話にならなくて、私はスタジオに缶詰にされたんですよ。他の二人は免許を持っていたので外仕事に出ていたんですけどね。

——免許を持っていなくてよかったかもしれないですね(笑)。

中村:そうですね(笑)。私はずっとスタジオでお茶を入れたり掃除をしたり、色々やっていて、そこでたくさんの方と知り合いになれたんですが、山下達郎さんや竹内まりやさんの事務所のスマイルカンパニーと関係のある方とも知り合いになったんですね。その頃、スマイルカンパニーが芝浦に「スマイルガレージ」というスタジオを作るということで人を募集していて、その方のおかげでスマイルガレージができたときから入れたんです。それが’85年ですね。そこが達郎さんとの仕事の最初の接点なんです。

——スマイルガレージに入られたときはアシスタントだったんですか?

中村:アシスタントです。ただ、私はスタジオができる前から出入りしていました。というのも、スマイルガレージで勤めることは決まっていたんですが、オープンするまでの間、スタジオを作っている施工屋さんでアルバイトをしていたんですよ。

——スタジオを作るところから関われるなんて愛着が沸きますよね。

中村:そうですね。ただ、そのときはスキルもなにもなくて学生に毛が生えたようなものだったので、早くスタジオが完成してほしいと思っていましたね(笑)。

——達郎さんとはどの作品から直接携わるようになられたんですか?

中村:’86年に達郎さんが『POCKET MUSIC』というアルバムを作っていて、ソニーの六本木のスタジオで途中まで作っていたんですが、スマイルガレージがオープンしたので、こちらをメインにしてレコーディングすることになって、そこからですね。

——それ以前にもメジャーアーティストのレコーディングには参加されていたんですか?

中村:喜多郎さんのレコーディングには参加しました。あとはサウンドデザインスタジオがビクタースタジオに近いという地の利があったので、ビクターでレコーディングしているアーティストの歌録りとか、細かい仕事は色々とありました。

——元々、達郎さんの音楽が好きだったとか、特別な思いはあったんでしょうか?

中村:それはなかったですね(笑)。もちろん達郎さんの音楽は好きでしたが、「すごい人と一緒に仕事ができるんだ!」というような感覚はなかったです。

——そうだったんですか(笑)。意外です。

中村:どんな仕事でも一所懸命やる時期ってあるじゃないですか? 大きなスタジオに入って、まだ日も浅かったので、そんなことを考えている余裕がなかったんですね。無我夢中でした。

——他のレコーディングと達郎さんのレコーディングで違うことはありましたか?

中村:とにかく達郎さんは時間をかけていましたね。当時からものすごく細かいところまで作り込んでいました。噂で聞くような、一日に一音色も録れないというようなことはありませんが、割とそれに近いようなことも結構ありましたね(笑)。今はレコーディングの機材や、パソコン環境が良くなっているので、シンセを自分で打ち込んだりしているようです。

——その頃は、すでにプログラマーは付けずに達郎さんお一人で音色を作っていたんですか?

中村:一人でしたね。自分で作って自分で歌ってみたいな感じでした。

——中村さんはいつ頃からメインエンジニアの仕事に移られていったんですか?

中村:『ARTISAN』の後くらいからですね。その頃からメインエンジニアを少しずつやらせていただけるようになりましたが、まだアシスタントも平行してやっていました。その後、メインエンジニアとしてやらせてもらったのは、2000年くらいからですね。

——アルバムで言うと、どの作品になりますか?

中村:『COZY』くらいからですね。あとはまりやさんの『Bon Appetit!』あたりですね。まりやさんのアルバムはほとんど達郎さんがやっているので、レコーディングのやり方としてはほぼ同じです。歌う曲が違うというくらいで(笑)。それで本当にメインでミックスまでやらせてもらえたのが、まりやさんの『Denim』というアルバムからです。

 

2.

レコーディングエンジニア 中村辰也氏

——中村さんは’85年という今から思えばいい時代にスタジオに入られていますよね。その後、90年代までは音楽業界は黄金時代じゃないですか。そこで成長できたということは大きいんじゃないですか?

中村:そうですね。めちゃくちゃラッキーだと思いますね。

——中村さんは、吉田保さんとか歴代エンジニアの仕事も全て見ているんですよね。そこから受け継いだものもあるんでしょうか?

中村:一応あると思います(笑)。私は意識していないんですが、達郎さんやまりやさんから「流石に似ているね」と言われることがありますから。

——機材の変遷と共に当然音作りも変わってくると思いますが、達郎さんのサウンドは今もアナログの音がしますよね。そこが凄いなと思うんです。

中村:そう。そういうことなんですよ。あんなアナログのサウンドを今の機械で出すのは結構困難ですよね。エンジニアリング的なところからいくと。

——達郎さんが追求しているのはそこなんでしょうか?

中村:ちょっと前ですが、達郎さんが機械に翻弄されている時代があって、「やっぱり自分のサウンドは、あのアナログの太くどっしりとしたサウンドだ」という思いがあったみたいなんですが、いかんせんProToolsとかヨンパチといった機械ではそうなりにくいということが明らかになってきたので、「いつまでも古いものに固執してもいけない」と考え方を変えて、今はどんどん前を向いている感じですね。

——それはまだ充分にハードを使いこなせていなかったということですか?

中村:思い通りにならないのか、ハードを使いこなせていないからなのか、そもそもハードのポテンシャルがそこまでいっていないのか、その答えすら分からないですよね。

——達郎さんが本格的にProToolsを導入したのは前作『SONORITE』(2005年)からですか?

中村:そうですね。『SONORITE』はかなり苦労しました。私もメインでやっていた作品なんですが、相当苦労しましたね。達郎さん自身はもちろん、私自身も思ったような音がなかなか作れなかったです。

——そこから6年の歳月が流れて、今回の『Ray of Hope』に至るわけですが、そのご苦労はだいぶ軽減されたのでしょうか?

中村:全部とは言いませんが、かなりいい線までコントロールできるようになってきたというのが私の印象ですね。『SONORITE』のあとに、竹内まりやさんの『Denim』で一つ進歩をして、ProToolsを使いこなせるようになり、そこで得たノウハウをまた『Ray of Hope』で生かした印象です。

 また、達郎さんはProToolsになってから「アレンジを変えないと駄目だ」と言っています。過去と同じようなアレンジとか音の積み方をしても同じようには響かないから、アレンジも変えていかないと、思ったような音にはならないと言っていて、今回の『Ray of Hope』はそれが大体見えてきたというところらしいです。

——『Ray of Hope』まで6年間インターバルがありますが、その間もかなり達郎さんはスタジオに入っていたんですか?

中村:はい。『Ray of Hope』に関しては結構シングルも多いんですけど、そういった曲も入れると本当に長い期間録音し続けていますね。

——一年365日のうち達郎さんは何日くらいスタジオで作業をしている計算になるんですか?

中村:一番スタジオに入っているときは、月—金でスタジオに入っています。エンジニアは土・日お休みで、また月曜日からスタジオに入る感じですね。ただ、スタジオに入っている時間自体は、他のセッションに較べて長くはないです。だいたい昼の14時〜15時くらいから始めて、22時とか23時とか。

——十分長いですよ(笑)。

中村:(笑)。途中、一時間くらい食事があって、という感じですね。

 

3.

レコーディングエンジニア 中村辰也氏

——レコーディングにおいて達郎さんがこだわっているのは具体的にどういった部分なんですか?

中村:特に歌なんですけど、録音されると自分の思ったように聞こえないみたいなんですよね。ですからマイクやコンプなんど事細かに相談しながらやるんですが、なかなか難しいですね。

——やはり「歌」ですか。

中村:歌です。いつも問題になるのは自分が歌ったようなイメージで聞こえてこないということと、楽器でも音の強弱が赤裸々に出過ぎるとか、そんなことが問題になります。

 ぶっちゃけ昔だったら、ツマミが1個ちょっとずれていても、そんなに変わらなかったんですが、今はツマミが本当に同じ位置、そしてマイクの位置、立ち位置、またマイクから口までの距離に関しても同じでないと同じ音にはなりませんから。

——ヴォーカルのリバーブが少なくなったことに関してはいかがですか?

中村:印象として、デジタルだとうまく混ざらないんですよ。リバーブをかけても、リバーブと歌、リバーブとオケ、となって、アナログのときみたいに全体的にフワーっとかからないんです。『SONORITE』以降の音は、単にリバーブが多いとか少ないとかいうのではなく、全体として歌と音楽が一番混ざって聞こえるバランスだと思います。達郎さんや私がTDでバランスをとるときにリバーブをかけたり、歌の大きさを変えたり、色々試す中で一番良いと思った形なんです。

——長い間、試行錯誤して導き出した答えなんですね。

中村:そうです。「もっとリバーブをかけたら?」とおっしゃる方はたくさんいるんですが、これが我々の答えなんですね。達郎さんもアレンジをやっているときから、リバーブについて色々な指示を出します。だから、私はダビングのときからTDしているようなものなんです。ダビングのときからしっかりバランスをとってリバーブもその完成形に近づけて作っていきます。

——常にかなりの精度でミックスをしながらダビングしているということですか?

中村:はい。ですから逆に、ダビング全部終わって完パケしてからのミックスダウン自体にかかる作業は、他の人と比べてそんなに長くないです。

——なるほど。録りもそうですか?

中村:録りからですね。音を録るときは、私がどんどん決めていきます。

——最初に達郎さんはデモテープを持ってこられるんですか?

中村:家では作っているみたいですけど、私たちがそれを聴くことはあまりないですね。ですから、どこまで曲ができているかも知らないです。新曲をやるとなったら私やアシスタント、シンセオペレータの橋本くんが先にスタジオに入るじゃないですか。それで達郎さんが家を出る前に、サーバーにシンセとか仮コードのデータをアップロードしているみたいで、それを橋本くんが引っ張ってきてエレピを打ったりしているんですよ。そんな中から、曲の全体的な雰囲気、コード感、弾き方というのは大体分かるんですが、デモテープを聴くことはまずないですね。

——秘密ですか(笑)。

中村:多分。いや、秘密なのかなんなのかも分からないです(笑)。達郎さんがスタジオに来るとコードもテンポもガンガン変わるので、デモテープにどれだけの意味があるのかはちょっと分からないですしね。おそらく全ては達郎さんの頭の中にあるんだと思います。それで全パターンの音色が出たところで、私はレベルを決めてバランスをとっている中で、リバーブをつけてみたり、音色を変えてみたりするんですが、それに対して良いときは何も言わないで進むんですね。でも「これは違うな」というときに達郎さんから指示があります。ですから、私が割と好きなようにやって、達郎さんがその日のコピーを家に持って帰って、聴いた次の日にやり直したり、前に進んだり、という感じです。

——では、全部録り終わった後のミックスは、どういう感じで行われているんですか?

中村:今日でダビングが終わりという頃になると「明日からのミックスは今日みたいな感じでいいから」とご飯とか食べているときに達郎さんと話すんですよ。次の日のミックスになって私がやることは、気になるノイズをチェックしたりとか、最終的に2チャンネルに入れるレベルを細かく精査したりします。

——ミックスしている間、横に達郎さんがいらっしゃるんですか?

中村:達郎さんが細かいチェックをするときはヘッドフォンで確認するんですよ。ヘッドフォンを聴きながら、後ろのソファーに座ったり寝転んだりしています。それで私が細かいところもやって「大体できたかな」というところで達郎さんがむくっと起き上がってきて横に座って、ちょっとだけいじるということがほとんどです。歌の上げ下げはやっぱり達郎さんが自分で微調整します。

——プロデューサーをやり、ディレクションをし、演奏して、音を決める。達郎さんがレコーディングにかける労力・集中力はすごいですね。それを三十数年間やっていらっしゃる。

中村:達郎さんは本当にタフですよ。

 

4.

レコーディングエンジニア 中村辰也氏

——新作『Ray Of Hope』の制作にあたり、エンジニアの立場から苦労した点や思い出深い曲などをお聞かせください。

中村:とにかく長かった印象ですね。「バラ色の人生〜ラヴィアンローズ」とかは結構前にやった曲ですし、既発の曲が結構多いので、一曲一曲作ってきたという感じです。

——前作から6年ですからね。

中村:その中でアシスタントも結構な勢いで変わっていますし、大変だったなという感じです(笑)。

——(笑)。

中村:「俺の空」はこれまでの達郎さんとは全然違う感じの曲で印象深いですね。あと、朝のテレビ番組「ZIP!」のタイアップ曲の「MY MORNING PRAYER」、実はこれ前身の曲があるんですよ。震災があった日も私たちはスタジオにいて、その曲をドラムダビングしていました。震災後に、その曲が脳天気というか、明るすぎて合わないということで、「MY MORNING PRAYER」という曲に達郎さんが2〜3日で作り直したんです。

——1曲作るのに平均してどれくらいの期間がかかりましたか?

中村:レコーディングだけの期間だと、1曲1ヶ月ほどだと思います。

——曲の進行は1曲ごとですか? それとも複数曲を並行しているんでしょうか?

中村:シングルとかタイアップになったら、その曲しかやらないです。最後の方、アルバムで残り何曲かとなったら並行して進めています。達郎さんも曲についてノートにメモをしながら進める感じですね。今回は最後の方で4曲くらいを並行してやっていました。それ以外は既発の曲だったり落とすだけの曲だったり。

——今作はコーラスが凄いと思うんですが、例えば「バラ色の人生〜ラヴィアンローズ」は何重のコーラスだったりするんですか?

中村:ほぼアカペラなんですが、まずベースコーラスというのがあります。ベースの部分が4本重なっていて4ch。ベーシックの伴奏で歌っているのが4声で3個あって12chになるから16ch…結果コーラスだけで大体40chくらい使っているはずです。オケの中でコーラスをやる場合はそこまでかからないので15〜16chです。

——それを何日くらいで録るんですか?

中村:1日です。アカペラのとき、リードボーカルを除いたバックトラックはほとんど1日でやっちゃうんですよ。それは日が変わるとどうもノリも変わるし、合わなくなるからということらしいんです。リードボーカルは次の日とか、別の日にやることは結構あります。

——リードボーカルは時間かかるんですか?

中村:いや、そうでもないです。1時間くらいしか歌ってないんじゃないかな。

——歌の録り方についてはどうでしょうか。

中村:トラック8個とか、10chで歌うじゃないですか。それを大体は通しで歌うんですね。途中でプレイバックとか聴いているんですが、明らかに駄目だったところはそこだけやり直したりして切換ですね。スタンダードな歌入れだと思います。

——特別時間かかっているわけではない?

中村:短いと思いますよ。でも、エンジニア的には歌が一番難しいです。試してくださいとか言えないですし、歌のときは一番張り詰めますね。

——達郎さんはあと20年くらいはあの声で歌えそうな気がしますけどね。

中村:ここのところ体調はすごく良いみたいですよ。今ツアーに出ていて、また体調良くなって帰ってくるんではないでしょうか(笑)。

——(笑)。ライブにはあまり同行しないんですか?

中村:同行しないですが、ライブレコーディングがあるときはもちろん行きます。それが大体ツアーの後半に何カ所か、10公演くらい録るかな?

——ライブPAはなさらないんですか?

中村:私はしないです。ライブPAは全然別物ですしね。ただ、有難いことに私は達郎さんのライブの舞台監督などのスタッフと知り合いなので、ライブレコーディング自体は非常にやりやすいです。音を分けてもらうのとか、音決めの時間をちょっともらうとか、ファミリーみたいな感覚でやっています。

——余談なんですが、震災のときJ-WAVEを聞いていたんですね。それで地震の瞬間、達郎さんの「愛してるって言えなくたって」が流れていたんですよ。達郎さんはご存知でしょうか?

中村:本当ですか?! いやー知らないと思いますよ。私も初めて聴きましたし、私たちの中でも話題に挙がっていないと思います。

——そうですか。その地震のときも録音していたと先ほどおっしゃっていましたが、以後のレコーディング作業は色々と大変だったんじゃないですか? 話によると夕方以降のレコーディングを行わなかったそうですね。

中村:それに関しては震災前から、夕方5時を過ぎると音が割れてきて良くないねっていう話はしていたんですよ。本当にTDして落とすときは5時前までに、と。

——そうなんですか。それって東京ミッドタウンとか六本木ヒルズとかが関係しているんですかね。

中村:そうなんだと思うんですけどね。正確に電源の波形とか電圧を見て比べているわけではないので何とも言えないですが、明らかに聞こえている音は違うので、夕方までに終わらせています。

——意外と健全な時間帯にやっていらっしゃるんですね(笑)。

中村:そうですね(笑)。すでに形になっていますから、私は午後2時頃に作業を始めて、達郎さんが3時とか4時前に来て、確認してから落とすという感じですね。

——もっと時間かかっているものだと思っていました。

中村:結構短いです。やはり録りに一番時間がかかります。私は毎日ミックスしているようなものだと思っていますから(笑)。

——中村さんのお話を伺って思いましたが、やはりラフミックスこそ勝負なんですね。

中村:そうなんです。ラフミックスは「ラフミックス」って名前がついているだけで、ある程度本当のミックスじゃないと駄目なんですね。逆に言えば、ラフミックスというか、いつもスタジオ終わりで聴くものとTDしたものはそんなには変わらないですよ(笑)。

——それ一番良いことですよね。

中村:ええ。TDしたらラフミックスと全然違っちゃうということはまずないですね。

——達郎さんもたくさんのアシスタントやエンジニアを見てきて、その上で中村さんとご一緒されている理由はそこにあるんでしょうか?

中村:私からは何とも言えません。達郎さんに訊いてください(笑)。私の出来る最大限のことが、最終的にラフミックスというかミックスをきっちり作っておくことなんですよね。アレンジができるわけでもない、歌詞を考えられるわけでもない、プロモーションできるわけでもない、というところで自分の立ち位置、置かれた状況、何をやらなきゃいけないかっていうことを考えて、私はエンジニアですし、音をちゃんと録らなくちゃいけないということは大前提としてあります。あとは現場でミュージシャンなりアーティストが最大限のパフォーマンスができるような環境を整えることが、私たちの仕事なんですよね。それをまずしっかりやらなくちゃいけないです。なんでもできるよっていうことを私はあまり目指してはなくて、自分ができることや、自分がやらなくてはいけないことを100%、出来る限り高い次元でやるということを常に考えて仕事をしています。

——最後に『Ray Of Hope』を聴く人に中村さんからのコメントをお願いします。

中村:色々とお話させていただきましたが、「このアルバムはこうだから…」ということは忘れて、理屈抜きに楽しんでもらえたらと思います。

(2011年12月15日 公開)

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

インタビューを終えて

中村さんはインタビュー中「運です」と謙遜されていましたが、お話の端々から感じられるスタジオワークに対する探求心の深さ、不断の努力、そして一つ一つの仕事に取り組む真摯な姿勢が、山下達郎という「アルチザン」=職人の信頼を得るに至ったのではないでしょうか。また、若いエンジニアやこれからエンジニアを目指している人たちにもとっても参考になるお話だったのではないでしょうか?達郎さんと中村さんがどんな音作りをされていくのか、今後も注目していきたいと思います。

レコーディングエンジニア 中村辰也氏 レコーディング作品(一部)
山下達郎「RAY OF HOPE」

プロデュース:山下達郎
編曲:山下達郎
服部克久[Track 3、8、12(Strings)]
後藤勇一郎[Track 4、6、11(Strings)]
レコーディング・エンジニア:中村辰也、田中信一、梅津達男 


竹内まりや「DENIM(デニム)」

プロデュース:山下達郎&竹内まりや
編曲:山下達郎 [Track 2–4、6、8–11]
山下達郎&センチメンタル・シティ・ロマンス [Track 5、12]
服部克久 [Track 1、11(Brass & Strings)]
Piccadilly Circus [Track 7]
レコーディング・エンジニア:中村辰也、田中信一、飯尾芳史、梅津達男

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