【訃報】ロッキング・オン・グループ会長 渋谷陽一氏が死去、日本のロックフェスティバル文化の発展に貢献

ロッキング・オン・グループは7月22日、同グループ代表取締役会長の渋谷陽一氏が7月14日に死去したことを発表した。
渋谷氏は2023年11月に脳出血を発症し緊急入院、手術後は療養を続けながらリハビリに取り組んでいたが、今年に入り誤嚥性肺炎を併発し永眠した。
1972年に20歳で『rockin’on』を創刊した渋谷氏は、音楽評論家・編集者・ラジオDJ・フェスプロデューサーとして50年以上にわたり活動。フェスプロデューサーとしては、2000年に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」、2003年に「COUNTDOWN JAPAN」、2010年に「JAPAN JAM」を立ち上げ、日本のロックフェスティバル文化の発展にも大きく貢献した。
葬儀は故人の意向により近親者のみで執り行われた。
ロッキング・オン・グループ代表 渋谷陽一逝去のお知らせ
ロッキング・オン・グループ(株式会社ロッキング・オン・ホールディングス、株式会社ロッキング・オン、株式会社ロッキング・オン・ジャパン)代表取締役会長渋谷陽一は、7月14日に永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
渋谷は2023年11月に脳出血を発症し、緊急入院いたしました。手術後は療養を続けながらリハビリに取り組んでおりましたが、今年に入り誤嚥性肺炎を併発、74年の生涯を終えました。
1972年に20歳で「rockin’on」を創刊した渋谷は、音楽評論家・編集者・ラジオDJ・フェスプロデューサーとして多方面にわたり活動してまいりました。渋谷の活動を応援してくださった読者・参加者・各関係者の皆様に深く感謝申し上げます。
なお、葬儀は故人の意向により、近親者のみで執り行いました。
誠に恐れ入りますが、御香典・御供花・御供物・御弔電につきましては辞退申し上げますことをご了承ください。
2025年7月22日
ロッキング・オン・グループ
経歴
1951年6月9日、東京都新宿区に生まれる
1971年 19歳でミュージックライフ誌にて音楽評論家デビュー。グランド・ファンク・レイルロードのレコード評で、タイトルは「枯れたロック界に水をまく放水車G.F.R.「サバイバル」について」
1972年20歳で個人事業として洋楽ロック批評・投稿誌「rockin’on」創刊
1973年NHK第1「若いこだま」でラジオDJデビュー。その後NHK-FM「ヤングジョッキー」「サウンドストリート」「ワールドロックナウ」など、50年以上にわたりラジオDJを務める
1985年テレビ朝日系列「ショウビズTODAY」でテレビ番組構成者キャリアをスタート
1986年邦楽ロック批評誌「ROCKIN’ON JAPAN」創刊
1989年カルチャー誌「CUT」創刊
1994年第二の邦楽誌「季刊渋谷陽一 BRIDGE」創刊
1994年サブカルチャー誌「H」創刊
1998年テレビ東京系列「JAPAN COUNTDOWN」放送開始
1999年総合誌「SIGHT」創刊
2000年大型ロックフェスティバル「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」をプロデューサーとして初開催
2003年全国初となる冬の年越し屋内フェスティバル「COUNTDOWN JAPAN」をプロデューサーとして初開催
2007年音楽情報サイト「RO69(現rockin’on.com)」オープン
2010年第3の大型ロックフェスティバル「JAPAN JAM」をプロデューサーとして初開催
2012年坂本龍一をオーガナイザーとして脱原発フェス「NO NUKES」を初開催
2014年美術誌「SIGHT ART」創刊
2022年原作・脚本・製作総指揮を務めたIP(映像・キャラクター開発)事業「ラプソディ」スタート
2025年7月14日、逝去。享年74歳
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