第171回 株式会社ヤマハミュージックジャパン LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー 小島高則氏インタビュー【後半】

インタビュー リレーインタビュー

LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー 小島高則氏
LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー 小島高則氏

今回の「Musicman’s RELAY」は松武秀樹さんのご紹介で、株式会社ヤマハミュージックジャパン LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー小島高則さんの登場です。小学校の先生たちが弾き語るフォークギターで音楽に目覚めた小島さんは、楽曲コンテストに応募する為にアドバイスを求めて訪ねたヤマハで中学生の時にレコーディングスタジオでバイトをすることに。

そこでのお手伝いやイベント、コンサート企画に携わる中で音楽の裏方の楽しさを知り、そのまま24歳でヤマハへ入社。以後、大阪でのセールスを経て、企画マーケティングの仕事では坂本龍一さんや松武秀樹さん、冨田勲さん、小室哲哉さんなど数多くのアーティストたちの、音楽活動をサポートされてきました。

現在は楽器フェアの企画責任者としても奮闘する小島さんに、長きに渡るヤマハでのお仕事やアーティストたちとの交流、そして現在取り組んでいる楽器の演奏人口拡大への活動までお話を伺いました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

 

プロフィール
小島 高則(こじま・たかのり)


(株)ヤマハミュージックジャパンLM(※1)営業部 部長 兼 ARTマネジャー。1970年代後半からヤマハ名古屋地区でアルバイトをスタート、主にバンド系カテゴリーの音楽普及・イベント企画・小売・卸部門を経て、1988年にヤマハ(株)入社。主にプロオーディオ、電子楽器畑のマーケティング・セールス・アーティストリレーション業務を経て、2010年から2013年まで中国にて市場開発、2013年9月より現職。入社30年で、リリース関わった新製品モデル数は1,000品番以上。ヤマハブランド以外に「Steinberg、Line6、Ampeg」等のヤマハグループブランド、「Marshall、Zildjian、nord」等の輸入ブランド計27ブランドの国内マーケティング・セールスを担当。1,000名を超えるロック&ポップス、ジャズ系アーティストリレーションのマネジメントも兼務している。

※1:LMとは「Light Music」の略称。1960年代後半にヤマハが創った造語で小規模なバンド編成のこと(世界的にはComboと呼ぶ)。今では楽器業界でも定着しており組織名称として使用する会社も多い。


 

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第171回 株式会社ヤマハミュージックジャパン LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー 小島高則氏インタビュー【前半】

 

天才肌の発想が次の時代を作る〜坂本龍一さん、冨田勲さんらとの交流

──浜松ではどのようなお仕事をされていたんですか?

小島:最初はプロオーディオの国内マーケティング業務でしたが、直ぐに自分の畑でもないシンセサイザー担当に変更になりました。その後、プロオーディオ、シンセサイザー、電子ドラムとか、そういうものを含めたPA・DMI事業部という部門に在籍していました。在籍としてはずっと浜松本社でしたが、東京駐在も2回ありますけど。

──ヤマハの社内で、プロオーディオの部門に選ばれるというのは、他の楽器の部門の人とは、また違う意味があるんですか?

小島:もうあれですよ、かつては「仕事に失敗したやつがいくところ」みたいな。これは冗談ですが。

──そうなんですか?(笑)

小島:入社当時、ヤマハの花形はピアノ、エレクトーン、管楽器とかで、そういう部署がスポットライトを浴びているわけですよ。

──伝統的な楽器ですね。

小島:そうです。プロオーディオとかバンド系のLM商品はお荷物的な扱いで(自由で)、ピアノやエレクトーンの人たちに食べさせていただいていたわけです。時代は変わって、今はそうだとは言えないくらいにPAやLMも頑張ってますが、当時は会社の中では末席ですよね。

──でも、プロオーディオというのは会社のイメージのリーダー役みたいな部分もあったりするじゃないですか? 先陣を切ってブランド力を上げていくような、そういうポストということでもないんですか?

小島:今はそうだと思います。1980年代後半くらいからですね。楽器事業と音響事業が、ビジネスの大きな柱になっていて、プロオーディオというのは今、ヤマハグループの中では企業イメージを上げていくための、すごく重要な武器となっています。

──昔は違ったんですか?

小島:全然違いますよ!(笑)昔はもうお荷物で、「やめたほうがいいんじゃないの? 楽器屋なんだから業務用の音響機器なんか作れるわけねーじゃん」って。そんな時代でした。

──DX7とか、ヤマハには名機がたくさんあるイメージですけどね。

小島: DX7も担当商品でした。あれはデジタル化の奇跡ですね。

──海外アーティストもみんな使ってましたよね。

小島:はい。だって生ピアノの音を作りたかったんですが、結局生ピアノの音が作れなくて「これ駄目かも」と。でも当時の海外担当のスタッフがアメリカに持って行ったら、西海岸の人たちの音楽に DX7のプリセットのエレピ音がピタッとハマって、マイケル・ジャクソンが使ってくれたり、デイヴィッド・フォスターやTOTOが使ってくれたりした結果、新しい音楽シーンを作ったんですよね。直ぐに日本にも逆輸入してきた感じでした。

──そう、ヤマハが一躍世界へ羽ばたいた瞬間でしたよね。

小島:その頃、ジャズ・フュージョンでDX7がよく使われて、例えばカシオペアはヤマハの看板のバンドでしたけど、キーボードの向谷実さんには本当によく使ってもらっていたし、坂本龍一さんにも、小室哲哉さんにも長く使ってもらいました。

──そういうアーティストの方々に「これを使ってみてください」みたいなセールスも担当なさっていたということですよね。

小島:それは今もやっています。現在、私の在籍しているヤマハグループの国内販売会社であるヤマハミュージックジャパンは7年前にできたんですが、常に浜松の本社と連携をとりつつ、今の世の中のトレンドやアーティストの望んでいるものをヒアリングして、商品企画に反映して世の中に送り出すと言うその仕事も今も変わらないです。

──先ほどお名前が出ていましたが、坂本龍一さんとのお付き合いも長いんですか?

小島:もう30年ぐらいです。1980年代後半辺りからですかね。お付き合いと言うか、いつもヤマハからの強引なお願いを受け入れて頂いています。私が思う天才肌の人は僕の様な普通の人間が考えることを超越しているので、彼の中では「理論的に実現できるはずだ」と思っていることを、どうやったら具現化(製品化)できるかを考えるのが我々の仕事なんですよね。

天才が考えたものって、将来はどうなるかはわからないですが、今現在の世の中にはないものなのかもしれないけれど、新しい音楽や新しい仕組みを生み出すときにすごく重要なファクターとなるんですね。だから今でも年に何回かはニューヨーク方面からブワーッと圧がくるわけですよ。わかるんですよね、「そろそろ来そうな感じがする…」って(笑)。

──無茶ぶりが(笑)。

小島:彼は決して無茶ぶりとは思っていませんが、思っていないところが天才だと思います。理論的にはできるんです。「君には分かるか? ヤマハならできる。あの技術とこの技術を組み合わせたり、もしくはこの実を将来、花開かせることはできるはずだ」と。

それはおっしゃる通りなんですが、私たちはどうしてもビジネスベースで考えなくてはいけない場面がある訳です。そういうことは関係ない。冨田勲さんもそうでした。最近そういう風に思っています。彼らは普通の人が考えることは言わないので。

──企業の都合は度外視したリクエストがくるということですね。

小島:逆に言うと見抜かれてしまっています。お構いなしのようでいて、誰を突っついて、どうすれば自己実現できるかということを分かっていらっしゃる。悔しいかな。見抜かれているというのは表現が適切ではないですが、もう見破られてます。こんなことぐらい、とっくに研究開発が始まっているんだろうと。

──そういうアドバイスとかオーダーをきっかけに、この世に出た楽器はたくさんあるんですか?

小島:たくさんあります。楽器の中に入っている音色とか、機能とかたくさんあります。彼からすると、新しい音楽を生み出すためには、こんな操作、こんなサウンドが必要だというのがあるんでしょうね。プリセット音色のヒントになることもありますし、本体の中に入れられなくても、例えば、音色だったら別売で販売するとか、そういうこともやったことがあります。

──坂本龍一さんは、相変わらずすごいエネルギーなんですね。

小島:あのエネルギーはなんなんですかね? 教授は6年前に大病をわずらわれていますけど、今もすごいエネルギーで、時に押しつぶされそうになることもあるんですけど、言われていることで納得できないことはないんです。集中力の凄さも感じますが、周りの状況を常に俯瞰して観ていらっしゃる。

だから強引になにかを押し込んできたと思うよりは、むしろいつも新しいアイディアを与えてくれて感謝しているという気持ちです。声がかかるだけでも光栄なことじゃないですか。長い間、お付き合いをさせていただいていて。そりゃ何度も怒られたりしますよ? 私の失敗が災いして何度も出入り禁止状態になっていますし…(勝手に自分が思い込んでいますが)。

──(笑)。

小島:でも、振り返ってみると、やっぱり自分の考え方が薄っぺらかったなと思いますね。たまたま僕はかつてキーボード系の人たちが多いんですが、向谷実さんはキーボーディストとしての音色への拘り、ステージに於けるスピーディなライブパフォーマンスの追及、冨田勲さんはシンセサイザーを世界に広げ、サラウンドシステムを使いシンセサイザーと自然楽器との融合による独創的なトミタサウンドを生み出したり、小室哲哉さんはマニアックで敷居の高かったシンセサイザーを音楽・楽器初心者でもの気軽に音作りや楽曲制作が出来るものとして市場認知に多大な貢献をして頂いたりしました。

最近はドラマーやギタリストともお仕事をさせて頂くことも多いのですが、やっぱり皆さんちゃんと裏付けがあるんですよね。直感だけじゃないと思いますよ。人は直感と言うかもしれないけど、しっかりとした基盤があるからできることだと、僕は思います。

──松武さんもやはりそういうタイプですか?

小島:そうですね。特に若い頃はもう。あの人もヒラメキですぐに連絡をしてくるタイプなんです(笑)。松武さんとコラボしたプロジェクトも色々あるんですがどれも勉強になりましたし、冨田勲さんの発想を具現化するために、松武さんと必死になったことも数多くありましたね。

 

アーティストに近い立場で楽器を通してサポートする

──電子楽器というのはヤマハ社内だけで考えて作っているわけではないわけですね。

小島:プロダクトアウトだけでなく、マーケットインしている部分も多いかと思います。アーティストのリクエストとかニーズとか。もちろん新しいテクノロジーができると、それを組み込むわけですが、それでも実現出来ず、世の中に出なかったものはいくつもあります。だからヤマハ社内のみの考えで世の中に送り出したものばかりではありません。

──同じヤマハでも、世界グランプリに出ているオートバイのレーサーとヤマハの作っているオートバイみたいな関係なんですね。

小島:ええ、ミュージシャンと楽器はものすごい近い関係にあると思います。ライブコンサートでも、僕はもっとミュージシャンの持っている楽器がフィーチャーされてもいいと思うんですけれど、最近、ライブツアーもエンターテイメント性が強いので、特効とか映像とか照明の方が演出的にフィーチャーされちゃっていますよね。極論言えば、PAと楽器さえあればライブパフォーマンスが出来るし。

僕はアーティストの一番近いところにいる楽器の価値が上がらなくちゃいけないなと思っているんです。楽器自身をもっと高いポジションにしないといけないと。

──でも最近は演出にお金をかけていますよね。

小島:そうなんです。なんか逆なんですよね。映像や特効の演出にも費用がかかり、予算も最後に楽器って「それって逆じゃないの? いい音を作るために、そこにはもっとエネルギーをかけるべきなんじゃないの?」と思うんですけどね。

──小島さんの立場から見て、このバンドとかこのミュージシャンは楽器を活かせていないとか、こうすればいいのになあと感じることもいっぱいある?

小島:ありますけど、口では言えませんよね(笑)。

──もちろん言えないでしょうけど(笑)。

小島:それってミュージシャンそのものじゃなくて、やっぱりプロダクションとかレコード会社の意向もあったりもするじゃないですか。

──例えば、そういう状況を見て「これを使いましょうよ」というような提案することはあるんですか?

LM営業部 部長 兼 ARTマネジャー 小島高則氏

小島:あります。やっぱりドラマーも、電子ドラムがあったら参加できる幅が広がるじゃないですか。だから、「生ドラムと電子ドラムと組み合わせたハイブリッドドラムみたいのでやったらどうですか」とか、新しいエフェクターが出ると「この人のこの音楽には、このサウンドが合う」と提案をしに行ったりとか、ものすごくあります。うちはそういったことを日常から組織的にやっています。日本のメーカーでアーティストリレーションを組織的にやっているのはヤマハグループだけだと思うんです。また、アーティストから「楽器を新しくこう使いたいから、サポートして欲しい」という依頼も頻繁にあります。

アーティストリレーションの仕事には、ライブやレコーディングのサポートというアーティストリレーションの仕事もあれば、先ほどの商品開発・企画開発に活かすR&Dという仕事もあります。それから、ヤマハブランドを輝かせるために、テレビやメディアで使ってもらったり、プロが使ってくれることによって指名買いが促進されるようなプロモーションも含めると4つぐらいの仕事があって、今はそれらの仕事をすごく重視してやってます。

私が兼務している銀座にあるアーティストリレーション拠点「ART」では南こうせつさん、カシオペア野呂一生さん、福山雅治さん、ゆずの岩沢厚治さん、北川悠仁さん、キマグレンのISEKIさんなどのアーティスト特注ギターの企画製作もしています。ISEKIさんとは、2014年からアコースティックギターサウンドの魅力を伝える為のライブイベント「ヤマハアコースティックマインド」をプロデュースし全国各地で6年連続で開催しています。

──普段は見えていないけれど、ものすごくアーティストに近い立場で、楽器を通してサポートをしていらっしゃるということですよね。

小島:我々の仕事はものすごくアーティストに近いです。この間「ロック・イン・ジャパン」の中止が発表されましたが、ああいったフェスにいくと、4日間で250バンドぐらい出ているわけじゃないですか。その1つ1つのバンドの演奏や演出、音、みたいなものはものすごく参考になります。ですから、ああいうところにこまめに行って、普段から付き合いのある馴染みの人同士は話をしますけど、コネクションのない人でも「はじめまして」から始まって、会話をして、諸々のリサーチするように心がけています。

──その手のフェスなんかは全部観に行ってらっしゃるんですか?

小島:大型フェスは殆ど行ってますね。やっぱり今まで楽器を使ってくれているお礼もありますし、そういうところにいけば一石何鳥にもなるじゃないですか。ああいった企画をしてくれる人たちは本当にありがたいなあといつも感謝の思いです。

──言ってみれば、展示会を向こうが勝手にやってくれているみたいな(笑)。

小島:そうなんです!(笑)しかも他社の研究もできるわけです。だからすごく勉強になりますよね。楽器だけじゃなくて音楽制作や音響周りも含めて。

──あと楽器フェアも担当されているそうですね。

小島:楽器業界の楽器フェアは2年に1回やるんですが、2014年、2016年、2018年、今年2020年と4回連続で企画責任者になっているんですよ(笑)。会社の仲間からすると、その季節になると「小島さんは社業を放っておいて楽器フェアの人になっちゃうので、たまには本業の仕事をしてください」って言われているんですよ。今年は10月2日・3日・4日開催予定なんですが。

──楽器フェアには業界の全メーカーが参加するんですか?

小島:はい、ほぼ全メーカーです。ですからヤマハの立場だけではできないんですよ。業界の一人としての立場で企画しています。

──それをまとめる役が小島さんなんですね。

小島:毎回、運営委員長を決めるんですが、それは僕がやることはありません。転勤の多いヤマハの人間がやったりすると急な人事異動があったりするので。その役割は毎回違う会社の社長さんに担って頂く訳です。でも、その人には別に実働部隊が必要で、そのまとめ役をしています。結局、なんでもかんでも全部僕に降ってきますね。楽器フェア運営委員会はみんなボランティアでやっているので、広告代理店さんとかイベンターさんに任せてないで、全部手作りでやっているんです。コンタクトとかブッキングとかも全部。会場が東京ビッグサイトに移転になって3回開催しましたが、毎回来場者が増えてきていて、前回は遂に目標の5万名を突破しました。既にボランティアでやっている規模ではありませんが(本音です)。

──そんなときに小島さんは「超便利な男」になるわけですね(笑)

小島:そうなんですよ(笑)。だからもうヤマハ以外の企業さんのことも快く全部引き受けます。もう匿名でやってます。というのも楽器フェアを主宰している団体である全国楽器協会の会長がヤマハの社長だったり、実質的な総責任者が直属の上司(ヤマハミュージックジャパン社長)だったりするので、ミッションが下ればやらざるを得ませんね。ヤマハブランドも背負っていますし。

楽器フェアのメインのイベントをいくつかやるときには、アーティストリレーションの中からのつながりで、いろいろな人に出ていただいています。もちろん松武さんもそうですし、浅倉大介さんにも毎回出演してもらっています。

 

音楽や楽器に対するパッションは変わらない

──小島さんのお仕事を伺うと、中学・高校のときからやっていることの延長ですよね。

小島:私の今のライフスタイルというか仕事のスタイルは、中学・高校の延長線で間違いないですね。この間も姉に「趣味の延長線の仕事やってて羨ましいわ」ってしみじみと言われましたね。名古屋に帰ったときに、駅まで車で迎えに来てくれて、姉が「あんたって本当に幸せだよな」って言うんですよ。「なんで?」って聞いたら「結局さ、中学からやっていることをずっとやっているでしょ?」って(笑)。

──(笑)。結局この業界って、そういう人たちが支えているんですよね。

小島:そうだと思いますよ(笑)。まあ「金勘定関係ない」とかきれいなことを言う人もいますけど、それはそれで生活をしなくちゃいけません。ただ情熱というかそのパッションが、この音楽・楽器に携わらせ続けていますよね。

──やっぱり好きでもないことに、そんなにパッションは続きませんよね。

小島:続かないと思いますね。だからそれはポジションとか立場が変わっても、変わらないですね。イベントの規模が小さくても大きくなっても、やっぱりやらなくてはいけない段取りは同じですし。イベントのリハーサルは徹底的に追い込みますが、本番前には疲れてしまうこともありますが、辛い場面があっても成功すればまた繰り返しトライしてしまう。この繰り返しがパッションかもしれません。

──逆に、どうしても同じようなことをしちゃうんですね。

小島:でも絶対にマンネリ化するじゃないですか。だからなるだけ、知らない業界の人とか初めて会う人の話を聞きにいったりとか、そういうリサーチをいつもやっているつもりで、付き合ってくれているアーティストの人たちも、やっぱり新しく出てきた10代・20代の人たちとも話はしなくちゃいけないと思いますし。だから呼ばれたら行って話を伺う。だから、若いアーティストともよく話をします(勿論、呑みながらですが)。

──海外のアーティストともお仕事はされてきたんですか?

小島:やりますよ。ただ、今の自分のポジションは日本市場なので。

──ヤマハ全体としてはやっているということですね。

小島:浜松本社勤務の頃は、ワールドワイドにやりました。日本に海外アーティストが来れば、サポートもしなくちゃいけないですし、いろいろな楽器の話もしますし、イベントも一緒にやります。僕はもともと海外勤務希望だったんですよ。家庭の事情で海外にずっと行けなかったんですが、2010年から上海で海外初勤務も経験しました。

──そんな時期があったんですか。

小島:はい。20年ぐらい浜松本社勤務した後、家族の件も落ち着いたので。ヤマハの元の上司が「海外勤務もそろそろラストチャンスだぞ」と言ってくれて、「でも遠い国には行けないです」と言ったら、中国に行くか、韓国に行くかみたいに声をかけてもらって。それで行くならやっぱり未開拓の地に行かなければいかんと、上海から中国全域を4年弱ぐらい担当しました。

──4年もですか。

小島:実はもうあと最低3年ぐらいは居たかったのですが、宮脇さんが「緊急事態だ。」とか言って「日本に戻ってこいや!!!」と。「まだやること山ほどあります」と言っても「もう3年以上やったからもうええやろ、俺と仕事するのが嫌なのか!」って言われまして。それで2013年の秋に日本に帰ってきちゃったんですよ。

──上海は面白かったですか?

小島:面白かったですね。上海に本社が、北京や広州に支店はあったんですが、みなさんがご存知のような大きな街でね。でもまだ中国全土には新興国的な部分も多く、名前も聞いたことないような街が何百もある。しかも人口はどれも100万人(笑)以上。そんなところに音響機器とカラオケとLM楽器の市場開拓に行っておりました。

──経済的にも2010年頃の中国って、勢いづいていたんじゃないですか?

小島:リーマンショックの残存は残っていましたが、勢いのある時期ですね。上海万博をやったときです。だから、まだ道半ばで日本に帰ってきました。結局「軌道に乗って来たぞ」というときに次の仕事が降ってくるんですよね。のんびりしていると思われているんですかね(笑)。それで僕は今のポジションで8年目に入るんですよ。普通は長くても5年以内で人事異動があるのですが。。。

──まあ、銀行とかだったらせいぜい2、3年ですよね。

小島:そうですね。まだこのままなのかなあ、それとももう1回どこかに行くのかな? なんて思いつつ、そろそろ次の展開を自分でも考えなくちゃいけないのかなと思ってはいます。でも定年までは会社の指示には従うつもりですが。

──でも、小島さんはヤマハ中学出身みたいなものですからね

小島:そうなんですよ。「入社43年目に入ります」みたいな感じなので。業界発展の為に楽器フェア成功をいつも考えていますし、そのほかにイベントも抱えているので、会社を辞めるわけにはいかないですけど、なにか次を考えなくちゃいけないんでしょうね。あとは僕みたいなのが長く居座ると若い衆がやりづらいから、とっととどこかに行かないと、とも最近は考えています。

 

楽器の演奏人口をもっと増やしたい

──でも、小島さんは本当にお若いですよね。

小島:いや、そんなことないですよ。「生涯現場」をモットーにしているので元気かもしれません。新しい情報や濃い情報は必ず現場にあるので今でも年間100以上の現場に行って搬入搬出もやってます。実は私の部門では年間300回以上のイベント企画を毎年目標にしていますので。

でもどんどんと太ってくるんですけど、大丈夫なんですかね。この20年で20キロぐらい太っちゃったんですよね。この緊急事態宣言期間(※取材時)ってみなさんどうなんですか? 忙しさがちょっと変わってきませんか? やらなくちゃいけないことはもちろんありますけど。

──この時期だからいろいろと溜まってますよね。

小島:コロナの影響もありますし、在宅ストレスみたいなもので、体調を悪くしている人もいるみたいですし。コロナ禍が終わったあとに、いい意味でライブ市場がバーッと大爆発してほしいですよね。

──本当にそうなってほしいですよね。

小島:もうそこら中でライブが頻繁に行われて、人が集まって…とは今は言いづらいですけど、いい音楽といいパフォーマンスがビジネスに変わるみたいなことが。作り手側も、みんな今は疲弊しちゃってるので。

──今、音楽業界からライブをとったら、何が残るんですか? ということですよね。

小島:YouTubeの投げ銭ぐらいしか残らないかも。本当に。だから上質な音楽をたくさん作って欲しいですし、我々もその手助けがしたいですし、お客さんにも感動してもらいたいです。日本の産業の中でも、数少ない成長カテゴリーがライブエンターテイメントって言われているじゃないですか。

──はい。

小島:残念ながら、本とかCDは下り坂になってきていますけど、ライブエンターテイメント業界って、すごく活性化しています。去年1,000人以上の人が集まるフェスを数えてみたら、全国で100くらいありましたよ。それぐらい定着していて、ビジネスにもなっているわけじゃないですか。本当に素晴らしいと思いますし、将来も明るいかと。

実は私は楽器演奏人口拡大活動を今、一生懸命やっているんですね。楽器フェアもその1つなんですが、とにかく楽器を使う人が1人でも増えれば、いい音楽が、いいアーティストが生まれますからね。ヤマハは50年くらい前に吹奏楽部の仕組み作りを推進し、アメリカのマーチングバンドとは違うブラスバンド形態を作りましたが、今は子どもが減ってきたので大編成を維持するのも難しくなっていて、軽音楽部という小規模のバンド単位で楽器普及ができないか取り組んでいます。今では軽音楽部出身のメジャーバンドが出てきていますが、その更なる活性化を楽器業界全体で積極展開しています。

その一環として、中学・高校の軽音楽活動の支援をやっているんですが、今、シニア層でバンド活動の再開している人ってたくさんいるじゃないですか。70代になってもバンドで活動をしている方々が。そう行った方々も含めると、バンド活動での演奏人口ってすごく増えているんですよね。

──バンドをやっている人たちの年齢層って幅広くなりましたよね。

小島:例えば、ピアノが弾ける人口が数百万人とか、管楽器をやっている人が数百万人とか言われているんですが、ギターを弾ける人も800万人とかいるので、クラシックミュージックに負けないくらい、ロックミュージックも大きな市場規模ですね。しかもバンドが活性化してきているので、ライブエンターテイメント市場ってまだまだ将来性はあると思っているんです。クラシックミュージックのアカデミックさも素晴らしいですが、ロック&ポップスの業界って、ドームとかアリーナでのコンサートができちゃうじゃないですか。

──アリーナツアーですね。

小島:この憧れのステージパフォーマンスが私たちの将来の生命線だと思っているんです。だから中学・高校の子たちが長く楽器を演奏してもらうために、大人やシニア層の人たちのバンド演奏環境も整えるし、子どもたちの音楽教室だけじゃない、バンドアンサンブルのところの仕事を今、必死にやっています。

少々心配なのは、昔と違ってバンド人口は確実に増えているんですが、厚みがないというか深みがないんですよね。つまり、ギターを何本も買ったりすることは少なくなっていますし、なんかこうオシャレで、バンドを高校の軽音でやるんだけれど、大学に行ったらバンド活動をやめて別のことをやっちゃうみたいな。そういう感じなんですよね。それを太く、長く、熱く続けてもらえるような仕組みを考えていきたいです。もちろん新しい楽器を生み出すということもそうなんですが、新しく演奏をする場を作ったり、コンサートやライブイベントをやったりということが重要になってくると思います。

──やっぱりキーマンは中高生ですよね。そこでやらなかったら多分一生やらないんじゃないかと思います。

小島:そう!「ギタ女」とか女性がブームを作る側面もあるんですが、やっぱり中高生の子たちがクラブ活動を終えた後もどうしたら熱く、長くやってくれるかというのをいつも考えています。

──音楽活動の最大のネックは、音の出せる場所が限られているということですよね。

小島:僕らが子どもの頃って、ライブができる場所は少なかったんですが、今は気軽にライブの出来るカフェとか、本格的なライブハウスも増え、人前でライブをする機会がどこにでもあるので本当に羨ましい。それでもまだまだ足らないですけどね。

──もっともっと学校が音楽活動に力を入れてくれたらいいですよね。みんなが集まる場所が学校ですし、無料でゆっくり練習できるのも学校ぐらいしかないじゃないですか。

小島:高校の軽音部が抱えている悩みって沢山あって。軽音楽部の全国組織化が遅れていて、バンド演奏の出来る場所の問題、資金不足による楽器機材不足や老朽化、指導者不在でロックバンドを教えられる顧問の先生が少なく演奏ノウハウ、情報が少ないとか、指導メソッドがないとか、いろいろな課題を抱えているんです。でも50年かけて作ってきた吹奏楽の仕組みを軽音楽部は10年ぐらいで作れないかなと思って、頑張ってやっているところです。

──吹奏楽コンクールはあっても、軽音楽部コンクールの全国的なものって今あるんですか?

小島:最近は各地で自主的に出来始めていますね。東京、神奈川県が合同で開催して全国からも参加していたり、でもやっぱり吹奏楽に比べたら規模も小さく、47都道府県が全部出ているかと言えばまだ出てないです。それでは本当の意味の全国大会にはならないので、業界団体から国、文化省に働きかけをして、全国組織化をスピードアップし
ている状況です。

──今の中学生に、小島さんみたいなイベント仕掛け人がいないのが残念ですね(笑)。

小島:(笑)。僕のときとなにが決定的に違うかと言えば、今は子どもたちに楽しいことが多すぎるんですよね。スマホだ、ゲームだと。僕らの頃ってスポーツかバンドくらいしかなかったですね、本当に(笑)。そう考えるといい時代になってきたんじゃないかなと思いますけど、僕としては音楽の演奏人口を増やして、場所を増やして、良質な音楽を生み出す音楽大国「日本」にしていきたいなと本気で思っています。

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