第35回 千葉龍平氏 (株)アクシヴ 代表取締役社長

インタビュー リレーインタビュー

千葉龍平氏
千葉龍平氏

(株)アクシヴ 代表取締役社長

今回の「Musicman’s リレー」は、(株)オン・ザ・ライン西氏のご紹介で、(株)アクシヴ代表取締役社長、千葉龍平氏の登場です。
 若くして事業家マインドに目覚め、広告代理店業務の一環として始めたマネージメント業務が、小室哲哉氏との出会いによってtrf、hitomi、globeなどの大ヒットをもたらし、現在ではEvery Little Thing、浜崎あゆみ等、多数の売れっ子を抱えるプロダクションとして成長した(株)アクシヴ。そのヒットの秘密とは?また、千葉氏が理想とするエンターテイメントの姿とは? 

[2003年2月24日/青山・(株)アクシヴにて]

プロフィール
千葉龍平(Ryuhei CHIBA)
エイベックス株式会社 常務取締役 執行役員
株式会社アクシヴ 代表取締役社長


1964年4月11日生
1990年3月1日 (株)クリエイティブマックス入社
1994年8月 同社常務取締役就任
1995年7月24日 同社退社
1995年7月3日 (株)ホワイト・アトラス入社 同社代表取締役社長就任(現任)
〈1997年10月1日 (株)アクシヴに社名変更〉
2002年6月23日 エイベックス(株) 常務取締役就任(現任)

 

  1. すべてに反抗していた青春期、そして事業家としての目覚め
  2. クリエイティブマックスの大ヒット …TKとの出会いからプロダクション独立へ
  3. 小室哲哉という希有なアーティスト=プロデューサーを組織化すると …アクシヴの飛躍
  4. 人間のゆとりを豊かなものにしたい… エンターテイメントの本質をめざして
  5. 遠回りをしてでも、人間を大事にしていきたい
  6. 日々の人生学習は歴史小説から〜アクシヴ流社員教育も読書が必須です

 

1. すべてに反抗していた青春期、そして事業家としての目覚め

千葉 龍平2

--まず、オン・ザ・ラインの西さんとはどのようなお付き合いなんでしょうか。

千葉:僕は以前マハラジャのNOVA21グループで企画部にいたんですよ。マハラジャとか、キング&クイーンとかのディスコブームで、20年ぐらい前ですね。いろいろ店舗展開してましたが、その企画部で何をしてたかというと、マハラジャでファッションショーをプロデュースしたり、イベントをプロデュースしたりしてました。それで「東京ドームをディスコにしよう」というマハラジャの企画でキョードー東京さんにお世話になって、その担当が西さんだったんです。その頃からの付き合いなんです。

--長いですね。

千葉:26歳の頃だから、12年ぐらいですね。

--アクシヴ以前のお付き合いだったんですね。ではお仕事のお話しの前に、まずご自身のことを少し伺いたいのですが、ご出身はどちらですか?

千葉:東京の駒込です。

--ご家族は?

千葉:普通のサラリーマン家庭ですよ、三人兄弟の長男です。下に弟がいて、一番下が妹ですね。

--小さい頃はどんなお子さんだったんですか。なりたかった職業とか…

千葉:こう言うとかっこよく聞こえるんだけど、人に喜ばれること、褒められることが好きな子どもでしたね。例えば、掃除をするのはお母さんに褒められるから。勉強するのも親や親戚に褒められるから。だから小中学校の頃は成績よかったんですよ。モチベーションはそれに尽きるんですけど。この仕事についてからも、小室(哲哉)さんに喜ばれる、褒められるのが嬉しくてやっていたようなところがありますからね。本質は変わってないですね。たぶんどこの職業に行っても変わらないと思いますけど。

--それは親から見たらすごくいい子ですね。

千葉:いや、それがですね、小学校時代はそうだったんですけど、ストレスがたまったのか、反抗することがすべてみたいな自我が中学校2年ぐらいに出てきたんですよ。僕、歴史小説、とくに革命期が好きなんです。歴史小説ってだいたい古い時代の考え方を否定して新しいモノを作っていくことが、そこに携わってる国民だったり会社だったりに良い影響を与える。古いシステムが崩壊する時は、底辺にいる人たちが一番困ってる時で、そこを正すために革命が起こってくるっていう話ですよね。そうしなければ人臣がついてこないって。まだその当時はそこまで深く考えてなかったんですが、とにかく時代に反抗していく、上の人の言うことと違うことをやっていくのが良いみたいに思ってしまったんですよ。子供ってズルイじゃないですか。先生に見えない所で何かしたり。自分は正直者だったので、そういう子たちがうまく渡っていくところがものすごくズルく見えて、歴史小説を読んでたことと悪い意味で結びついて、反抗することがすべてみたいになったんです。

--革命を起こそうと思ってたんですか?

千葉:そこまで大それたことは思ってないですけど、ただ言われたことに反抗していく時期が何年ぐらいあったかな…13歳から17歳までだったので、5年ぐらいですかね。それもまた間違いだって気づいたのが17歳の後半ぐらい。今の自分の延長線上みたいなのがそこからできてきたんですけど。

--自我に目覚めるのが人より早かったんですね。

千葉:そうですね、早かったと思いますね。

--その頃の話をそういう風に客観的に話される人ってあまりいませんよね。高校生活はどうだったんですか?

千葉:高校はけっこう良い高校に行ったんですよ。都立北園高校っていう、その学区では2番目かな。そこに入ったんですが、結局辞めて、仕事をして、19歳で小石川高校の定時制にもう1回入ったんです。で、23歳の時に卒業して、それから印刷業界で職人をやっていたんです。23で高校卒業だから、普通の会社は入れなかったんですよ。

--そもそも高校はどうしてお辞めになったんですか?

千葉:辞めたと言うよりも、他のことをやってたら高校を辞めざるを得なかったんです。辞めたくて辞めた訳じゃなくて、出席日数が足りないとか…

--忙しかったんですね。

千葉:そうですねぇ、遊びとかバイトとか…(笑)。

--じゃあ辞められてかもう一度高校に行かれるまではいろんなお仕事をされてたわけですね。

千葉:そうですね。だいたい喫茶店とか運送会社とかですけどね。

--世の中に出られたのが早いですね。

千葉:そうですね。15歳からひとり暮らししてましたから。中三のときから。

--え、中三ですか!?それはまたかなり早いほうですよね。印刷会社には何年いらしたんですか?

千葉:3年間です。在学中から行ってましたから。印刷屋での経験は面白かったですね。実は赤字で、倒産するかしないかって時期に入ったんです。知り合いの会社だったんで、「この会社を黒字にしたら辞めよう」って目標をたてたんですよ。そのときから事業を黒字にするっていうのが面白くなったんでしょうね。どれだけ効率よく印刷機を回せるかとか、お客が足りなかったら自分で行って話して持ってくるとか、そういう自分の仕事が経営の数字に響いてくるっていうことが面白くて…自覚はなかったけど、その経験が大きかったかもしれないですね。事業というものを意識しだしたのは。

--それまでは事業ということを意識してなかったんですか?

千葉:それまでは自分の待遇をあげることが目的だったんですよ。だいたいバイトなんてそうじゃないですか。いかにサボって、いかに楽しんで、いかに給料を上げさせるかっていう、事業とはまったく逆のベクトルで考えていたんです。でも黒字にしてから辞めよう、と思った時点でそれまでとはすべて逆の考え方になったんです。そうなったときに今までのスケールの小さい個人的な考え方が変わったんです。

--新入社員なのに再建屋を自覚してたんですね。

千葉:自覚してはなかったんでしょうけど…実はね、女房の親父の会社だったんですよ(笑)。それで、彼女と結婚するためにはそうしなくちゃいけないな、と(笑)。

--なるほど(笑)。それで事業家マインドを意識したと。

千葉:そうですね。

--ということは結婚されたのはずいぶん早いんですか?

千葉:いえ、結婚は30歳ですね。付き合い始めたのは19歳でしたけど。

--印刷会社からクリエイティブマックス(編註:前述のNOVA21系列の広告代理店)に転職されたわけですね。それはどういうきっかけだったんですか?

千葉:印刷会社だと広告代理店が版下持ってきたりしますよね。代理店の人っていつも威張ってるようなイメージがあって、彼らはどういう仕事をしてるんだろうって思って調べたら、企画とか制作をやってたんですね。会社の商品をいかにして売るかっていうことを考えて実行してる。それは面白そうだなって思ったんですよ。で、いろいろ代理店受けたんですけど、学歴でたぶん全部落ちたんでしょうね。40社くらい受けたかなぁ。2社受かったんです。そのうちのひとつが、今のクリエティブマックス、先ほどお話ししたNOVAの企画部門だったんです。そういう経緯ですね。

 

2. クリエイティブマックスの大ヒット …TKとの出会いからプロダクション独立へ

千葉 龍平3

--クリエイティブマックスに入社されたときはおいくつだったんですか?

千葉:25歳でしたね。

--もう25歳になってたんですね。クリエイティブマックスでは最初に何を手掛けられたんですか?

千葉:印刷所上がりだったんで、企画もののパンフレットとか、マハラジャのメニューとかコースター、そういう紙もの担当でしたね。

--そのころのクリエティブマックスはもう大きな会社だったんですか?

千葉:いえいえ、6人ぐらいしかいませんでしたよ。

--じゃあもうなにからなにまで全部自分でやるって感じだったんですね。

千葉:そうです。でもNOVAグループの代理店というか、制作会社だったんで、当然ですけどグループのものばっかりやってたんですね。マハラジャのメニューとか。それがルーティンワークになってしまっていてつまらなかったので、外部の仕事を探してきてもいいでしょうか、って申請して、それでやっていったのが、結果的にtrfになったんですよ。

--その辺をもうすこし詳しく教えていただけますか。千葉さんはもともと小室さんとお知り合いだったんですか?

千葉:ええ。クリエイティブマックスがディスコでコンテストをやることになって、その時に小室さんが審査員で来てたんです。その時に一緒に飲んで友達みたいになって…ビジネスとしてはそれだけだったんですけど、一方で松浦さん(松浦真在人氏:現エイベックス(株)専務取締役)がエイベックスで「マハラジャナイト」っていうCDを出したいと言っていて、そのための整合をしていたんです。考えてみると小室さんと松浦さんは音楽という共通事項がありますよね。これをくっつければうちの仕事になるかもしれないっていう発想が僕にはありましたし、松浦さんはTMNの音楽をエイベックスでアレンジして出したらいいんじゃないかっていう考えがあった。小室哲哉さんはダンス音楽シーンを自分で盛り上げていきたいっていう意識があったんですよ。それが必然的にくっついたんですね。それで紹介したんです。

--それはクリエイティブマックスに入って割とすぐのことですか?

千葉:半年ぐらいじゃないですか。1年は経ってなかったと思いますね。

--そこから今日まで、ものすごくダイナミックな動きだと思うんですけど、お二人を引き合わせて、そこからどうなったんですか?

千葉:まず、「TMNソングmeetsディスコスタイル」っていうCDを出したんです。それまでのエイベックスではヒットといっても5000枚ぐらいだったんですよ。それが「マハラジャナイト」で5万枚ぐらいになって、その後に「ジュリアナ東京」が15万枚。この「ジュリアナ東京」にはクリエティブマックスは関係なかったんで、すごい口惜しい思いをしましたね。それで「TMNソングmeetsディスコスタイル」がたしか20万枚ぐらいだったんじゃないかな。

 その時にコーディネート料として初めてもらった印税が、明らかに僕が一生懸命仕事をする利益よりも大きかったんです。印税とか、そういう感覚はまったくなかったので、通帳を見てびっくりしたんですけど(笑)。それで、簡単だと思ったんですね(笑)。こんなことがこんな金額になっちゃうんだなって(笑)。飲み友達から始まった人と、うちの持ち場であるマハラジャナイトの整合をしただけなのに、こんなに印税を貰えるんだと思って驚きました。じゃあもっとやろうということでtrfを立ち上げたら、それがまたバカあたりして。今度は社員を増やさなきゃいけないし、ちゃんとヒットしてるんでインカムもあるし、ビジネスとしてこれはおもしろいなと思ったんですよ。最初からプロダクションがやりたかったわけじゃないんです。

--でも、そのお金は個人ではなくて、会社に入ったお金ですよね。

千葉:もちろんそうです。でも小室さんも松浦専務にもそういう感覚が少なからずあったと思いますよ。それが次のhitomiとかglobeになっていったんですね。我々は新人を見つけてくるということを重要視したんです。新人を抱えれば新人の権利はうちがとれますよね。それでマハラジャを拠点にオーディションをして新人開発をすればいいし、しかも小室さんが来てくれればディスコの客引きにもなる。新人の権利はうちでとれるから、それを肝に展開していきました。

--小室さんの存在は大きいですね。

千葉:そうですね、はい。

--クリエイティブマックスの社員としては、いつ頃まで活動を続けられたんですか?

千葉:30歳までの5年間です。

--25歳で入って、30歳までやられたんですね。その間に手掛けられたアーティストは、trfと…

千葉:hitomiとglobeですね。

--ではその3アーティストはクリエイティブマックス所属だったんですね。「(株)クリエイティブマックス」と「(株)ホワイト・アトラス(現・(株)アクシヴ)」とに分かれたのは、どういう経緯なんですか?

千葉:単純に、僕が独立したんです。広告代理店や制作会社の部分は全部クリエイティブマックスに残して、資本はエイベックスが出して独立したんです。

--あ、それだけのことなんですね(笑)。

千葉:そうです。クリエイティブマックスっていうのはもともとは制作会社で、プロダクションというより代理店なんですよ。僕の仕事としてはプロダクションはあくまでサブで、これを持っておけばメディアを活用したり、ジャケット制作をしたりプランニングをしたりできるなと思ってたんです。でも広告代理店はクライアントの要望に応えなきゃいけないし、プロダクションは自分達のアーティストを守ることに主眼をおかなければならないので、どうしてもベクトルが相反するんですね。だから、両者は離したほうがいいだろうということで独立したんです。

--なるほど。だから今もクリエイティブマックスっていう会社が存在しているんですね。でも自分の中ではサブだったプロダクションがメインの業務になってしまったことは、意に添った方向だったんですか?

千葉:それは添った方向でしたよ。代理店から入ろうが、プロダクションから入ろうが、目的はあまり変わりませんでしたから。

--ホワイト・アトラスができたのは何年ですか?

千葉:9年前です。

--クリエイティブマックスは円満にお辞めになったんですよね。

千葉:そうですね。社長には僕の仲人もやってもらってますし。

--だってクリエイティブマックスにもとても貢献なさったんですからね。

千葉:僕だけの力ではないですけど、そうですね。

--すばらしいですね。でもその後マハラジャ系列はあまり調子よくないんでしょう?ディスコブームじゃないというか…

千葉:まあそうですけど、僕がいたから調子がよかったわけじゃないし、関係ないですよ。時代の流れですから。

--なるほど、そうかもしれませんね。

 

3. 小室哲哉という希有なアーティスト=プロデューサーを組織化すると …アクシヴの飛躍

千葉 龍平4

--(株)ホワイト・アトラスから(株)アクシヴに社名変更されたのは何年前ですか?

千葉:6年くらい前ですかね。

--アーティストもどんどん強力な方が現れてきたんですね。創業当時社員もそんなにいらっしゃらなかったですよね。

千葉:創業当時は…18人くらいですね。

--今は?

千葉:100人強くらいですかね。

--100人!すごいですね。アーティストの数は?

千葉:17アーティストかな。タレントも入れると、20いくつになります。

--アクシヴのアーティストがエイベックス以外のレコードメーカーから出すことはないんですか?

千葉:いえ、全然ありますよ。センチメンタル・バスもソニーから出して、50万枚くらいのシングルヒットを飛ばしてるんです。僕がこう言うと外部のレコード会社の人に怒られるかもしれないけど、フェアーに見たときに、ヒットに近かったり、条件がよかったのがエイベックスだった、ということがひとつ大きいですね。それと、エイベックスと開発を一緒にやってきたので、必然的にエイベックスになりますよね。例えば浜崎あゆみも、我々が見つけてきて独自に育てたわけじゃなくて、エイベックスが探してきて、我々がマネージメントをやるっていう相互関係にあるんです。

--非常に密接な結びつきですよね。

千葉:それは間違いないですよね。

--フロントに立つアーティストとは別に、作曲家の開発もアクシヴとして同時になさってるんですか?

千葉:そうですね。我々の根源でもある小室哲哉さんという人とは、僕はもう10何年とお付き合いがあります。あの人はあの天才性があるから成り立ってるけれど、我々が小室哲哉さんのようなヒットを飛ばすには、組織を作るしかないですよね。クリエイティブ事業部のトップは伊東という人間なんですが、彼はかつて小室さんのマネージャーだったんです。それで「小室哲哉さんを組織化するとどうなるか」ということを徹底研究して、「まず作家が必要だ」「戦略と作る人間が有機的に重なってないといけない」「一人の人格になってなくちゃいけない」という視点で組織を作ってるんです。

--モデルに小室さんがいたんですね。

千葉:そうですね。

--千葉さんから見て、小室さんはどういう人なんですか?

千葉:一言で言うと、アーティストですね。ただ、単なる感覚的なアーティストではないんです。「俺はアーティストだから、アーティストとして出た言葉を感じ取ってやってくれよ」というタイプではなくて、第六感的なアーティストの部分から出てきた創造を、きちっと下の人達が作業できるように理論的に置き換えて、なおかつそれをやるモチベーションをつけて、下に落とすんです。だからスタッフは理論的にも分かってるし、自分もやる気がでる構造になってるんですよ。

--すごいですね。本当の意味でのアーティスト性とプロデューサーとしての資質を兼ね備えた存在は、やはり珍しいんですね。

千葉:そうですね。

--普通はひとりじゃできないですよね。千葉さんは今はエイベックス本体の役員でもいらっしゃいますが、立場が相反するとか、矛盾することはないんですか?

千葉:そうですね。徹底してやることは「フェアーに見ること」です。こちら側がより多くの利益を取ろうとすると無理があるけど…例えば、こちらが60%の仕事をしたならば、利益は6:4で分けるべきだし、ベクトルの向きがもともと違うなら組み合わせるべきではないですよね。そういうこということをフェアーにやってくと、答えは自然と出てくるんです。そこに気をつけています。

--今までのお話を伺ってても、とても珍しいタイプのプロダクションの社長ですよね。ご自身が音楽をやるってこともないし、音楽業界にも憧れがなくて、純粋にビジネスのフィールドとして音楽業界にいらっしゃるわけですよね。この業界の人達と話していて違和感を感じることはありますか?

千葉:そうですねぇ…ないと云えば嘘になるでしょうね。まあ高度成長期の頃とは時代も違いますからね。我々は黙っていても10%成長しているという時代ではないという感覚は持っていますから、昔は時代がそれでよかったんだと思うし、これは本心からですけど、多少のズレは感じますが否定的ではありません。

 

4. 人間のゆとりを豊かなものにしたい… エンターテイメントの本質をめざして

千葉 龍平5

--では今後のアクシヴの目的、展望を教えてください。

千葉:事業家としては利益を上げて規模を拡大していくことです。これは当然ですね。30代前半までは、自分の収入や地位が上がったことにモチベーションを感じてたんですけど(笑)、ことエンターテイメントということに関して云うと、3年くらい前からもっと本質的なことを考えるようになったんです。これは時代背景が大きいかもしれませんね。日本がだんだん崩れて行ってるでしょう。「なんでこんなことが普通に行われるんだろう」ということがニュースで入ってきたりして、エンターテイメントがどうあるべきかっていう本質について考えるようになりました。 自分がアクシヴの社長をやっていくのに体系的なビジョンと精神的なビジョンの2つがどうしても必要になってきて、そういうことをすごく考え始めたんです。

--具体的にはどういうことでしょうか?

千葉:結論から言うと、エンターテイメントがなぜ起きたかっていう原始時代に戻っていくと、喜びを言葉で伝えるよりも動作や音で伝えていくことに喜びがあり、悲しみもそうであって、それがエンターテイメントの本質だと思うんです。「みんなを幸せにさせたい」とか「愛のある人になって欲しい」とか、もっと云えば、理想郷がどこかにあって、その理想郷を求めるためにアーティストは詞や曲を書くんじゃないかっていう勝手な解釈があるんですよ。これはアーティストの詞を読んでいてそう思ったんだけど、彼らは小さいときに読んだ童話とかに影響されて、その理想郷を表現してるんじゃないかって。で、我々もそうあるべきだと思うんですよ。これは教育とも引き離せないことだと思うんだけど、エンターテイメントの役割は、時代をお金的に豊かにするのではなくて、心的にいかに豊かにできるかっていうところにあると思うんですよ。それを事業目的にしたんです。それがいちばん自分の中にすっと入ってきたんです。

--すばらしい目的ですね。

千葉:しかもエンターテイメントは、「仕事」といわゆる「精神的なゆとり」っていう目的が、がっぷり四つに組合わさっても整合できちゃう業界なんです。車とか電気とか、その他の業界だと、コストとかそういう問題が大きくありますよね。もちろんエンターテイメントにもそういう気持ちはどこかにあるかもしれないけど、作るのは人間から発せられることで、メロディーや詞を作るのにコストがかかるとか、そういうことはないと思いますし、その要素をふんだんに入れ込めるし自然に入っていける。だからそういうところを中心にやっていこうって思っているんです。今までのエンターテイメント業界っていうのは、人を驚かせたり、感動させたりというところに重きを置いてたんですけど、もう少し長期的に、おこがましいですけど、教育というか、人間がいかにゆとりを持てるかっていうことをやっていきたいんです。

--根元的な部分を見つめ直されたわけですね。

千葉:例えばウォルト・ディズニーもそんな側面があったんじゃないかと思います。あるニュースでね、一家心中しようと思って奥さんを殺して、最後に子供たちをディズニーランドに連れっていって、遊んでいる子供を見たら「この子を殺せない」と思って自首したっていうニュースがあるんです。このニュースは僕の中ではものすごく大きいんですよ。エンターテイメントの本当のパワーはそこにあるべきだし、見習うべきだと思います。それができたら、今よりも社会がちょっと良くなるかもしれないっていうところに根っこがないと、間違った方向に進んでいってしまうんじゃないかな、という気はしています。

--それはビジネスのベクトルと矛盾しないんですよね。

千葉:それは日本人の非常に苦手とするところで、利益を産むことが悪だとされてる部分があるじゃないですか。僕が考えたのは、例えばエンターテイメントでやってきた自分の資産で、僕が公園を作るとしますよね。地元に全部ゴムの公園を作って、5億かけて公園を作っても、一体何人来られるんだっていうと、地域住民の何千人しか来られないですよね。じゃあ、これを事業にして利益を作って、また公園を作る。そうすると何千人が何万人、何十万人に広がっていきますよね。利益を出して公園を広げるという手段に変えていけばいいわけで、つまり利益は愛だったり、夢を広げていく元でしかないと思うんです。当然、その中から自分たちは生活をするし、それ相応の分配はもらっていくんですけど、そういう考え方に立っています。

--本当にフェアーな考え方だと思います。

千葉:そこは一番苦労したんです。これを本当にそう思えるかどうかっていうのは、もしかしたら創業からずっと考えていたことかもしれないですね。

--じゃあ今ではその気持ちの問題も解決して、今はすっきりとした気持ちで仕事に向かってるわけですね。

千葉:そうですね。あとは個人の行動がそれに即してるかどうかっていうことですけど(笑)。

--なかなか難しいですよね(笑)。

 

5. 遠回りをしてでも、人間を大事にしていきたい

千葉 龍平6

--ありきたりの言葉で言えば、今の千葉さんの立場は業界内でも大変な成功者だと思いますが、ご自身でその成功について、秘訣というか、何か語っていただけますか?

千葉:これは成功したと言われている方みんなが言うことなのかもしれないですけど、自分では正直まだ成功したとは思っていなくて、過程だと思っているんです。自分の中での成功は、死に近ければ近いほどいいんですよ。小学校のときに成績がよくても、中学校に入ったら成績がダメになったやつなんていっぱいいるじゃないですか。38歳の時点での成功なんて、小学校で成績がいいのと同じようなものであって、これが80歳で、人生の最後に思えてるかっていうところに目標を置きたいと思っています。そこで「成功してるか」って言われれば、それは「成功ですよ」って言えると思うんですけどね。

--人生まだ長いですからね。ひとつひとつの言葉に深みがありますね。では千葉さんにとって大きな転機になった出会いはありますか?

千葉:それはものすごいありますよ。例えば女房の親父もそうだし、クリエイティブマックスの豊島さん((株)クリエイティブマックス代表取締役 豊島克義氏)もそうですし、小室さん、松浦さん、依田さん…ここにいるスタッフもそうです。

--人の何倍も素晴らしい出会いがたくさんあるような気がしますね。

千葉:素晴らしくない出会いもたくさんあります(笑)。そういう意味でいうと、出会いというよりも人を大事にしていくことが、事業としてはまず大切だと思いますね。金が金を生むわけではなくて、お互いの第六感、出会いの接点を膨らませられるかどうか、つき合いを深みのあるものにできるかどうかだと思うんです。それは社員に対しても家族に対しても、誰に対しても大事にしてるかもしれないですね。かといって、僕は全然社交的じゃないし、ほとんどのプロダクションの人達は僕のこと知らないと思いますよ。

--写真すらあまり出てないですよね。

千葉:ほとんどないですね。自分自身の取材を受けたのは、今回が初めてだと思います。

--貴重なインタビューをありがとうございます(笑)。ところでアーティストとの付き合い方ってけっこう難しいとは思うんですが、なにか気を付けていらっしゃることはありますか?

千葉:それもけっきょくビジネスと繋がっていくと思うんですが、ビジネス的な観点、社長としての観点では正しいと思っていることが、ひとりの人間の成長の観点から見ると間違っていることが結構いっぱいありますね。そういうときは両方の側面から見るように気を付けています。ビジネス的には正しくても、人の成長として考えたときにマイナスな面があると思ったことは却下しますね。 人間的な成長なしに、エンターテイメントだけが広がっていくというのはものすごく短いタームなんですよ。1年や2年で終わっちゃうんです。でも人間的な成長をしながらエンターテイメントのビジネス面でも上がっていけば、これはなかなか下がらないんです。実は遠回りしているように見えても、人間的な部分を上げてから、ビジネス的な面がくっ付いていくようにしないと。これは社員に対しても同じですね。 アーティストに対してはそういうように教育するようにスタッフに指導してますし、結果的に長いスパンでの成功に繋がるんです。

--難しいと思いますけど仰る通りですよね。アクシヴの代表的なアーティスト、浜崎あゆみさんも長いスパンで成長し、また成功しているアーティストと言えますよね。

千葉:そうですね、彼女には表現者、ボーカリストとしてのエンターテイナーの枠を飛び越えて、時代の象徴になる女性になってほしいしですね。ひとつのヒットだけではなくて、人生観や生き方が必要になってくると思うんですけど、そういう時代に残る女性になれるスタートラインにはいると思うので、この後の彼女の行動が違う目で見られるようになるだろうし、そういう人になってほしい、なれるんじゃないかと思います。

--では、次にビジネス的にどんな展開をお考えですか?

千葉:我々は今30代ですけど、10年たてば40代になるわけで、その時に若者の音楽を作っていることはありえないじゃないですか。間違いなく自分にも来る選択肢ですよね。10年たてば感性がなくなるから引退しろって言われても仕方がないですよね。でも定年にはまだ達してない。そういう人達が引退した後に何ができるのか。まず、その人達が作っていった感性が過去に経験としてあるわけで、まずその指導者的な立場をいかに作れるかっていうことが僕の夢ですね。自分でも全然できてないですけど。それから、年齢とは関係ないところで仕事をしていきながら、エンターテイメントを楽しめるようにしたい。例えば、遊園地を作るとすると、遊園地の中にはボイラーもあれば、チケット売りも駐車場の管理もって、そうやって運営していきますよね。だから、自分が元気なうちに、エンターテイメントという枠の中で、年齢にあまり左右されない事業を着実に作っていくということが、自分の人生観としてもすごく残っていますね。

--そんなことを考えてるプロダクションの社長っているんですかねぇ。理想ですよね。

千葉:みんな考えてらっしゃるんじゃないですか。できるかできないか僕も分からないですけど、できればいいなと思います。

--ぜひ頑張っていただきたいですね。

千葉:あとね、この業界についてひとつ言っておきたかったのは、ものすごいフェアーな世界だと思うんですよ。普通の産業だったら、僕が社長になってるって時点でありえないわけだし(笑)。自分で起業して八百屋からスーパーを始めて…とかはあるかもしれないけど、ひとつの一部上場企業としてできあがってる会社の社長に、高校もロクに出てない僕がなるっていうのはね。たぶん世間的にはものすごく汚い世界だと思われてるかもしれないですけど、これほどフェアーな世界はないと思いますよ。要は実力でしょう。アーティストやマネージャーにも学歴は必要ないし。もしその点が誤解されてるなら、フェアーだっていうことを言いたいですね。

--それは若い人にとっては最高のメッセージですね。

千葉:年功序列のような企業もあると思いますけど、確かに僕も学歴聞かれたことないですからね。しかも産業別の1人あたりの収入で比べると、高いものが長者番付に載るくらいですからね。

--やる気があれば勝負してみる価値はあるということですね。

千葉:そうですね。これからの時代はもっとそうなってくるんじゃないかな、と思います。

 

6. 日々の人生学習は歴史小説から〜アクシヴ流社員教育も読書が必須です

千葉 龍平7

--では少し個人的なことを伺います。先ほども「歴史小説が人生の師匠だ」って仰ってましたけど、人生のヒントやモデルが色々隠されているということですよね。

千葉:そうですね。歴史小説に影響されたところは大きいと思いますよ。一番好きなのは坂本龍馬。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」ですね。山本周五郎とか山岡荘八とか。あの辺は全部読みましたね。いまだにそうなんですけど、組織や人間関係でなにかが起きたときに、僕はまず歴史小説を何タイトルも、しかも何回も読むんです。そうするとどこかの人物設定にだいたいはまるんですよ。源頼朝と義経だったり、豊臣秀吉と徳川家康だったり…全然規模は小さいんですけど、そのなりゆきを歴史小説で学びながら、考えていくんです。結局人間の感情同士の話じゃないですか。印刷会社で働いていたときも、歴史を変えていこうとしている人達の気概に比べれば、僕がやろうとしていたことなんて全然スケール小さいですよね。それが励ましになっていた部分はありますね。

--人間通だって事ですよね。

千葉:そうじゃなきゃいけない、とは思っていますけどね。

--大局的に物事を見ることに長けてらっしゃるんですね。

千葉:そうかもしれませんね。事業に関しても、「この事業はこういう風に持っていくべきだ」っていうように事業論を語る前に、まず人間としてどうあるべきだ、っていうところから入っていくようにしていますね。

--じゃあ例えばエイベックス・グループの中での人間関係も、置き換えてみるとあれに似てるな、とかありますか?

千葉:そうですね、たまにありますよ。エイベックス自体もそうですけど、合ってるとか合ってないとかはおいといて、ああいう形で起業してこれだけの期間でここまで上がってきて、そしてその後上に行くのか、下に行くのか。そういう流れとか、時間の長さとか、たまにパッと思い浮かびますよ。「あ、あの国のあのタイプに似てるな(笑)」って。全然アナログで、感覚なんですけど(笑)。

--今もそういう感覚があるということは、けっこう日々楽しいってことですね(笑)。

千葉:そうですね、楽しいですね(笑)。

--でも過去の歴史からきちんと学んで役立ててらっしゃいますね。

千葉:歴史は繰り返す、って言いますけど、どこかの国が戦争して、とかそういう大きなことだけじゃなくて、大きいことも小さいことも繰り返してるんですよね。歴史も全て人の感情によって起こってるわけですよね。それを紐解いていく。エンターテイメント業界は特にそうだと思うんですけど、人の心に感動を訴えていくものということもあって、歴史小説に現れている人心の機微と人の気持ちの流れは大切だなと思っています。

--社員にもそういう本を読むように薦めたりするんですか?

千葉:そうですね。ものすごく本は読ませてますね。買いに行かせて感想文を書かせたり。

--それはビジネス書とかではなくて…?

千葉:ビジネス書とそれ以外と、両方ですけどね。

--もちろん社員に勧める前にご自分で読まれているわけですよね。どのくらいの量を読んでらっしゃるんですか?

千葉:多いときは年間150〜200冊くらい読んでたんですけど、今は全然読めてないです。年間で20冊くらいじゃないですかねぇ。小説を入れると50〜60冊ぐらいいきますかね。小説はあまり難しくなく読めちゃうんで、寝る前に1冊読むくらいなんです。ビジネス書はそういうわけにはいかないから、読まなきゃいけない本も今20冊くらいあるんです。

--勉強家なんですね。

千葉:いや、好きなんですね。勉強してる感覚は全くないんですよ。

--いつ読まれるんですか。朝起きてとか?

千葉:朝早く起きて読むことはまずないですね。夜とか…

--この忙しい仕事の合間にそれだけ読むっていうのは、仕事してるか本読んでるかってことですか?

千葉:そうですね。例えばある構造を改革しようとしたときは、構造改革の本を読みます。本を読んでアイディアをまとめたときと、そうでないときの出来具合はもう明らかに違うんですよ。結局その方が効率がいいし、しかも本自体はすごく楽しいんで、そういうやり方になってるんです。ただこれはスタンダードとして通用するかは全然わからないですね。僕がそうしてきてるだけなので。

--千葉さん独自のやり方でエイベックスがみんなそうやってるわけじゃないんですか?

千葉:アクシヴはやってますね。僕の教育法として「俺のやり方はこうだから真似してみろ」って言うこともありますし、うちの役員が僕から与えられる本だけでも年間10何冊あるんじゃないですかね。

--例えばどんな本ですか?

千葉:事業に目覚めたいということであれば「花の嵐〜小説・小佐野賢治(清水一行著)」であるとか、エンターテイメントの神髄として「地上最強の商人(オグ・マンディーノ著)」、構造を作るためには「成長の原理(上原春男著)」とか、V字回復させるためには日産のカルロス・ゴーンの本(「ルネッサンス 再生への挑戦」「カルロス・ゴーンの答えは会社のなかにある」等)とか…。

--すらすら出てきますね〜。僕も本は好きですけど、膨大な出版物がありすぎて、限られた時間の中で何を読むべきかわからないことがよくあるんです。どうやってチョイスしてらっしゃるんですか?

千葉:今はもう粗筋やタイトルをちょこっと読めばだいたい分かります。最初は過去の経営者が座右の書にしている本の一覧表を買ってきて、それを片っ端から読んでましたね。本田宗一郎さんとか、自分の好きなタイプの経営者の。下の人間に本を与えることの方が難しいけど面白いですね。自分のライブラリーの中から「Aという人間にはコレ」ってチョイスして渡すんですけど、読むと変わってくるんですよ。すぐには変わらなくても、1年後にはその本が元になって変わってるとか、そういうことを実感として楽しんでいます(笑)。

--わかるんですか。それは楽しみですね。逆にこの本は読ませたくないなっていうのはありますか?

千葉:滅多にないですね…アメリカで出版されたもので、アーティストが強くなる本っていうのがあるんです。アメリカは、アーティストが中心で、自分の権利を守るために周りに弁護士がいて…でもそれも薦めましたよ。彼らがそれを読んで知識を持ったとして、自分たちが凌駕していればそれでいいと思いますし、そうやっていこうと思うんで。

--知性と知性の、インテリジェンスの戦いですね。アーティストにも本を薦めるんですか?

千葉:すごい薦めますよ。

--CDや映画は?

千葉:自分が見たり聞いたりした映画やCDでいいと思ったものは、ものすごい勢いで薦めますよ。本でも何でもそうなんですけど、朝だろうが何だろうが電話してすごい勢いで薦めるんです(笑)。それでも必ず読んでくれるんで。

--では最後にプライベートなこともお聞きしたいんですが、趣味はおありですか?

千葉:…趣味はもうほとんど仕事ですね。仕事以外にあるかなぁ…仲間とワイワイやってるのが好きですね。

--ご家族は?お子さんはいらっしゃるんですか?

千葉:はい、2人います。息子が7歳で娘が5歳です…家族にはとても深い思いは持っていますよ。

--深い思いというのは、お子さんに対して?

千葉:家族は僕の根源なんです。もちろん仕事をする意味だったり、マーケティングにおいてはショーモデルケースであったりもするんですが…子供の虐待のニュースとかを見ると、普通の親なら守ってあげたいと思いますよね。自分の子供に対してそういう感情は、他人の子供に思うものよりも、ものすごい熱い思いがあります。僕はその思いをエンターテイメントを通じて、他人の子供にも思えるような事業形態とかプロジェクトが組めていければいいなと思うんです。そういう意味での根源、モーターの一部であるかなと思いますね。

--深いですね。では個人的な目標はおありですか?

千葉:まあ色々な夢がありますけど、今のところ、今考えてる事業の夢が実現されることが個人の目標でもあり、公人の目標でもありますね。

--以前六本木のクラブでお会いしたことがありましたけど、今日お話を聞いて全然イメージが変わりましたよ(笑)。

千葉:それは正しい認識かもしれませんね(笑)。昼と夜は全く別人だってみんなに言われますよ。自分でもそうしてますから。

--今日は為になるお話しをどうもありがとうございました。 今後のご活躍も期待しております。
−−(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦) 

自らが音楽を志したわけではなく、あくまでもビジネスの一環としてマネジメント業務を始めたという千葉氏は、多数の売れっ子を抱える大手プロダクションの社長としてはかなり異例の経歴かもしれません。しかし、遠回りをしてでも人、スタッフ、アーティストの人間性を高め、エンターテイメントを通じて世界を豊かなものにしていきたいという壮大な理想がアクシヴの事業目的であり、千葉氏個人の夢でもあるというその潔さに感動し、目の覚める思いがしました。

さて、次にご紹介いただいたのは、(株)有線ブロードネットワークスの宇野康秀氏です。ここ数年の有線の飛躍はみなさんご存知の通りですが、宇野氏もまた若くして自らの資質に気づき、希有なサクセスストーリーを歩んできた経営者と言えるでしょう。お楽しみに!

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