書籍『音職人・行方洋一の仕事』出版記念 レコーディング・エンジニア 行方洋一氏インタビュー

インタビュー フォーカス

行方洋一氏

レコーディング・エンジニア 行方洋一氏の著書『音職人・行方洋一の仕事 伝説のエンジニアが語る日本ポップス録音史』がDU BOOKSより出版された。坂本九「見上げてごらん夜の星を」、弘田三枝子「私のベイビー」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」など、誰もが知る数多くの名曲を録音したのが元東芝音楽工業のレコーディング・エンジニア / オーディオ評論家として知られる行方洋一氏だ。本書には、印象的だった歌手やミュージシャンとの録音秘話とともに、日本の録音スタジオが発展していく様子が当事者の視点から記されている。

今回は出版を記念して、行方洋一氏にインタビューを敢行。株式会社ハイブリンクス 前田融氏にも同席いただき、書籍でも紹介されている曲のマスター音源を聴きながらの贅沢な取材となった。なお、今回のインタビューは、サウンド・シティの吉川浩司氏に特別に担当していただいた。

  1. 「音職人・行方洋一」の記録を残したいという想い
  2. 良い音で次の世代に残したい
  3. 大切にしてきたのは人付き合いと音楽付き合い
  4. 体力の続く限り録音エンジニアを続けていきたい

 

「音職人・行方洋一」の記録を残したいという想い

――『音職人・行方洋一の仕事』の出版おめでとうございます。なぜこの本を出版することになったんですか?

行方:一番最初はディスクユニオンの菊田(有一)さんという方が企画を出してくれたんです。この菊田さんはものすごくアイデアマンで、以前「ドラゴンクエストのアナログレコードを作りたい」と言ってきたので、僕はすぎやまこういちさんにお願いしたんですね。僕はドラクエの第1集から第6集まで全部やっていましたから。でも今S社さんに権利を渡しているとかで企画がポシャってね。

その後、菊田さんとは、プロユースシリーズの原盤を持っているU社に一緒に行って、復刻の相談をしたりもしたんですが、いろいろ交渉したけど両者の条件などがなかなか合わず、プロユースシリーズも手の出しようがなくてね。この本も菊田さんが言い出してくれたからできたんだけど、残念ながら今年の3月に菊田さんは亡くなってしまいました。

――そうだったんですね…。

行方:本の制作が遅れたのは、菊田さんが入院なさっていたからでね。以前から結構具合が悪くて。だから本の企画は止まっちゃっていたんです。本について菊田さんと会って話したのは、もう2年ぐらい前ですからね。でも、新しい担当の方がしっかり引き継いでくれて、やっと日の目を見たというわけです。

――『音職人・行方洋一の仕事』は菊田さんの魂がこもった本なわけですね。

行方:そうですね。菊田さんは、僕の年齢的なものも考慮しながら「こういう本を出そう」と頭の中で描いていたんだと思うし、記録を残したいという強い想いがあったようです。

――ちなみにこの本のきっかけの1つになったラジオ番組(「ザ・サウンド・イン・マイ・ライフ」)があったそうですね。

前田:はい。僕らは行方さんから昔の貴重なお話やお仕事について直接聞いていましたけど、僕らが聞くだけじゃもったいないなと思っていたんですね。それでたまたまミュージックバードのディレクターの人と会う機会があって、その話をしたら「行方さんの番組だったら是非やりたい」と言っていただいて、1年ぐらい番組をやりましたよね?

行方:丸1年やりましたね。

前田:番組の中で曲を流しながらやっていたんですよ。

――その番組はライブラリーとして残っているんですよね?

前田:ミュージックバードさんに残っていると思います。音楽も聴けるので本を見ながら聴けると本当はいいのですが。

――ラジオで流した音源も行方さんが監修されて?

行方:そうです。土浦の自宅にA80 (※) を持ち込んで、ヘッドを含めて全部ありますからセッティングして、僕のコンピューターに取り込んでね。アナログのコピーなんですが、やっぱりマスターは良い音ですよ。
(※「A80」は、スイス、スチューダー社製のアナログマスター・テープレコーダー STUDER A80)

今のデジタルはS社とF社がフォーマットを作り一つの時代を作りました。その後、96だの、192でどうのこうの、そんな話ばっかりで、デジタルの技術っていうかスペックだけで語っているけれど、大事なのは、いい音楽を聴くためのフォーマットをしっかり作っていくことだと思う。

――はい…。

行方:「良い音って何だ?」っていうのを何も考えないでやっているんじゃないかと感じてならない。だから面白くないんです。僕の場合には48kHz/32bitでやっていますが、そうすると全然違います。

――まあ、規格というか商品にするためですけどね…。

行方:そうですけどね。あの頃はそれが最高だったかも知れないけど、今の世の中を考えるとね。だから、CDを発表するのが早すぎたんですよね。しかも、そこでみんなデジタルマスターに変えちゃったからいけないんですよ。アナログマスターは残しておいて、デジタルはCDのためのマスターとして別に作ればよかったのに、全部をデジタルにしちゃって。

――オリジナルマスターって概念がなかったんですよね。

行方:そう。それと失敗だったのは、デジタル化するのにアルバイトにやらせたことでね。テープを流れ作業でコピーしているだけですから位相はめちゃくちゃだし、その頃のデジタルって本当に酷いですよ。だから東芝の時、ExMF (※) というのを作ったんですよ。要するに「リマスタリングするとこんなに音が違うんだぞ」ってことでね。そうしたらオフコースのファンから手紙が来たんですよ。「私はアナログ時代からオフコースが大好きで、CD化したのを聴いたら『CDってこんな酷い音なんだ…』とガッカリして1枚しか買わなかった」「で、今回ExMFのオフコースをとりあえず1枚だけ買ったらすごく良い音なので、全部買い直します」って。そういう声ってすごく励みになるんですよね。
(※ExMF SERIES:東芝EMIがオフコース、チューリップ、アリス、甲斐バンド等のアルバム全64タイトルをリマスタリングリリースした、スーパーリマスタリングシリーズCD)

――技術が悪いんじゃなくて、使い方が悪かったと。

行方:ええ。便利なものは便利ですから。僕は色々な仕事をやりましたけど、それらの音源が今コンピューターの引き出しにデータで全部入っているんですよ。僕はコンピューターのことはよく分からないけれど、音楽の中身は全て完璧に把握していますから、だからアーカイブCDとかが作れるんですよね。その代わり僕のコンピューターがパニックになると、もう弟子が大変です(笑)。「いますぐ来い!」って言って作業してもらって。

――「いますぐ来い!」ですか(笑)。

行方:全部チューニングし直してもらってね。僕はデジタルのデの字も知らないですし、音さえちゃんとすれば良いじゃないかって方ですから。そんな程度の人間がデジタルの時代を生きているんですよ。

――いやいや、行方さんはまさに日本のポップ・ミュージックの黎明期から今日までの全てを見てきたというか、やってきたわけじゃないですか。

行方:そうだよね。だから、逆に言うと僕はツイているんですよ。

――本当にそう思います。生まれた時代と、ご本人の才能とが。

行方:それと会社の給料よりも良いアルバイトが山ほどあって。平気でそんなことやっていましたからね。

――(笑)。

行方:その代わりに毎晩のように若いエンジニアたちを飲み屋に連れて行っていましたからね。そうやって若い衆を育てるというのも一つの方法だと僕は思いますしね。

以前、ある専門学校から講義をしてくれって言われて、行ったら50人クラスの教室に生徒が10人も来ちゃいないんですよ。でも、こっちは色々なイベントでお客が少ないときも喋ったりして慣れっこですから、喋り出したら15分くらいで生徒がダラダラパラパラと遅れてやって来るんですよ。

それで僕に挨拶しないで、勝手に席に着いたから「お前らはなんでこんな遅れてくるんだ」と。「おれはちゃんと時間通りに喋り出したんだよ。途中からおれの話を聞いたって分からないんだから帰れ」って全部帰しちゃった。そして、その学校の校長室に行って、「あんたたちは学校じゃなくて“株式会社学校”だよ」と。「だからそんなところで話も教育もしたくないから、来週から来ません」ってお断りしてね。学校が金儲け主義になってはおかしいですよね。音楽産業ってそんなもんじゃないんだから。「音楽とは」っていうのを、もっと原点にしなきゃいけないと思うんですよね。

逆に言うと、ミキサーマンも徒弟制度でやっていかないとダメですよ。スタジオに行くと若いスタッフがケアは山ほどしてくれる。良く知っていますよ、言葉や動きは。でも「本当の音楽ってどうなの?」というと、ちょっと足りない部分が多いですよね。本来はそういう部分も含めて伝えていかなくてはいけないのにね。

前田:今デジタルだからアシスタントも要らなくなっちゃっているじゃないですか。本来は現場につくことで学べたんですけどね。実際にやっているところを見ることで。

行方:それでおかしくなったのかな。まあいいや、愚痴は(笑)。

 

良い音で次の世代に残したい

サウンド・シティ 吉川浩司氏

――『音職人・行方洋一の仕事』をきっかけに、実際に音を聴くイベントとかできたら素晴らしいですよね。

行方:それは絶対やりたいですよね。音楽をかけながら本で書いたような話ができるから。その方がより伝わると思いますしね。

――さきほど色々聴かせて頂きましたが、やっぱりマスターのクオリティで聞くと「サザエさん」でさえテレビで聞いているのと圧倒的に違いますね。

前田:「サザエさん」も本来はすごく良い音なんですよ。

――例えば、テレビで聴く「サザエさん」は「その時代の音なんだな」って自分なりに解釈していたんですが、実はもっといい音だったんですね!「スタジオで鳴らしていた音はこうだったんだ」という感動がありました。

行方:ですよね。

――この『音職人・行方洋一の仕事』とともに、そういうこともきちんと伝えていかないとなって本当に思いましたね。

行方:やっぱり僕も良い音で次の世代に残したいって想いがあるんですよね。

――ちなみにオリジナルのマスターに対してU社以外のレコード会社もみんな同じような発想なんですか?

行方:はい。残念なことに。あと、なんで筒美京平先生がやっていたS社の作品を僕が録音していたかというと、その当時S社はプロのエンジニアが、もちろん雇った人はいるんですが、今流のエンジニアはいなかったからなんですよね。でもS社のスタジオでT社の行方がやっちゃまずいから、他のスタジオでやっていたわけで。

――つまり行方さんの同年代にも、酷いミキサーがいたっていうことですか?

行方:そこそこいるね(笑)。

――ああ、やっぱりそうですか(笑)。

行方:でもC社の岡ちん(岡田則男氏)、P社のマエキン(前田欣一郎氏)、V社のヌマ(内沼映二氏)それから高田君(高田英男氏)も含めて、今のミキサー協会の原点になる連中っていうのは、すごく頑張っていましたよね。

その当時のレコード会社ってものすごい秘密主義だったんですよ。「何でT社の行方がC社に行くんだ」みたいな。「岡ちんと友達だから」と言っても、向こうの課長や部長はいい顔をしないし、ウチの課長も部長もいい顔をしない。ところが岡ちんは「行さん、良いイコライザーが入ってきたから見に来いよ」って言って、触らせてくれてね。「これ、おれも買うわ」とかなんとか言いながらお互い切磋琢磨したんですよ。そうやって横の繋がりがどんどん広がって、最終的にミキサー協会ができあがるわけですね。一番最初は「ミキシング同好会」ですからね。そういう意味では良い時代でしたよ。

――今、アナログレコードが多少復活してきているじゃないですか? それについてはどうお考えですか?

行方:アナログを本気で分かって「復活」と言うなら分かるんだけど、今のはただの流行ですからね。それがあんまり好きじゃないんですよね。「もっとちゃんとやりなよ」って言いたくなる。やっぱりアナログレコードの時代って、それなりのカッティングマンが、今はできる職人が本当に少ないから。

――でも、そういうブームが続いている中で昔の良い技術を再認識したり、改善されていったらいいですよね。

前田:それは映像業界も同じなんですが、アナログからデジタルになるときに、アナログの知識をデジタルにどう活かすかっていうのがきちんとできてないところが多いんですよね。そういう意味では、行方さんは両方できる方なんで、そういった部分も後進に伝えていってもらいたいんですよね。

――あと若い人の音楽の聴き方そのものも大きく変わってきていますよね。

行方:ちょっとおかしいですよね。

――おかしいですか?(笑)

行方:スマホで同じ音楽を聴くんだったら、もっとちゃんと聴こうよって言いたくなっちゃう。

――データ化された音源でも気を使えば聴ける?

行方:はい。MP3とかiTunesのレートではなくてちゃんとやればいいんじゃない?というのが僕の意見。

――本当はスピーカーとかで音楽を聴いて欲しいけど、今の若い人たちはオーディオ環境を整える経済的余裕がないというのも事実ですよね。

行方:いや、余裕があっても別の遊びに使っちゃうんでしょう? それでiPhoneがいいとなるとみんなiPhoneだけしか持たない。僕がiPhoneを初めて買ったときは大変でしたよ。コンピューター音痴ですから弟子に全部セッティングしてもらって(笑)。大笑いですよ。でも「iPhoneでもこうやって聴けばもっといい音になるよ」って伝えたくて、わざわざ買ったんですよね。

 

大切にしてきたのは人付き合いと音楽付き合い

レコーディング・エンジニア 行方洋一氏

――行方さんがエンジニアとして生きてきた中で、一番大切にしてきたことは何でしょうか?

行方:僕が大切にしてきたのは、人付き合いと音楽付き合い。人付き合いが下手だと良い音楽できないじゃないですか。スタジオでみんな僕の顔を見たら「おう!」って誘ってくれるような付き合い方って絶対必要ですよね。

そうするとミュージシャンとも友達になれるし、本音で付き合えるし、でも、それはええカッコしいじゃなくて、僕の引き出しに入れておく手口ですよね。筒美京平先生も僕は売れる前から作曲家、アレンジャーとして尊敬していたから、ヒットソングじゃないアルバムまで作っちゃう。そうやって付き合っていくと本当にいい関係が生まれるんですよね。

例えば、すぎやまこういちさんも、草月会館出身の多田百佑(ただももすけ)という僕の先輩だったエンジニアが、T社を辞めた後、A社に入って「今日エニックスに行ったら、すぎやま先生に会ったんだよね。何をしているのか聞いたらゲーム音楽を作っているっていうんだよ。でも、今のゲームは音が3音しか一度に出ないからあまり面白くないんだよね」とおっしゃっていたらしんですよ。

それを聞いたももちゃん(多田百佑氏)は、「うちで何か出せないかな」って言うから、すぎやまさんに電話して、「ゲーム音楽をやっているって聞いたけど、どうせならフルオーケストラでアレンジやらない?」って言ったら大きな声で「やる〜!」ということで、それがきっかけでドラゴンクエストのサントラを作りだしたんです。

第1集はA社さんもお金がないので小編成で、お茶の水の尚美学園バリオホールを無償で借りて録音してね。それが運良く売れちゃって、それで僕は第6集までやりました。つまりそうやって人の繋がりと音楽が繋がるとものすごく良いものができるんですよ。

――有名無名に関係なく、人の繋がりが大切だと。

行方:ええ。だから京平先生も会ったら「行(ナメ)ちゃん!」って言ってくれるし、有名だろうがなんだろうが僕は人として付き合っている。それが一番大切です。

――やっぱり人なんですね。一人でできる仕事じゃないですしね。

行方:今、偉そうに喋っているけど、僕だけじゃ何も生まれないものね。周りのミュージシャンが良い演奏してくれたからいい仕事ができただけで。本の中でも同じようなこと言っていると思いますけど、僕はそう思ってやってきました。だから本を出していない僕と同年代のバリバリのエンジニアもいるんだけれども、その人の代わりにも全部語っていきたいなと思うしね。「音楽業界ってこうなんだよ」っていうこともお教えしたいし。若い人たちのためにもね。

僕は興味本位で何でも仕事をやりました。アルバイトも山ほどやったし。それはお金のためじゃなくて、別の業界の仕事って面白いじゃないですか。謙虚にできますしね。放送の録音でもね。フィルムの時代に、僕の先輩に東京スタジオの関さんという方がいて、その人が「お前な、いい音いい音とか言っているけど、フィルムに乗らない音を作るんじゃないよ」って怒られたことがあるんですよ。「600Hzから3kHzの間でちゃんと音がまとまるように作るのがフィルムエンジニアだ」って言われて。それがきっかけとなってコマーシャルの仕事も上手くできるようになりましたし、そういうアドバイスをしてくれる人がいたから今の僕があるんですよ。

――色々な経験やアドバイスが行方さんというエンジニアを作ったんですね。

行方:そうです。でも今は若い人たちにアドバイスする人がいないのかなって思うんです。だから僕のボウヤ連にはどんどんアドバイスしてきましたし、吉田保も煮詰まって僕のところに相談に来たので、僕が辞めた後にT社に入れて、そのあと頑張って今に至っているしね。

――巨匠の保さんにもそんな時期があったんですね。

行方:そういう風に徒弟制度で繋がっていくとものすごく良い業界になるんですよね。ところがさっき言ったみたいに、“株式会社学校”みたいなところでエンジニアを作り上げると、本来的なものが抜け落ちてしまう。それがとても残念です。

あと、昔は参加したミュージシャンやエンジニアの名前がクレジットされてましたけど、LPからCD、デジタルの時代になって、そういう情報がどんどん残らなくなっていますよね。だから今のエンジニアはちょっとかわいそうだなと思いますし、音楽業界にとってもそれは良くないですよ。ぜひ業界の問題としてみんなで考えるべきだと痛感しています。

――今もお弟子さんたちとの交流はあるんですか?

行方:うちのボウヤ連は、毎年2回は飲み会をやるんですよ。一番多いときで20人、少ないときでも10人は来ますよ。そこでも僕は色々なことを教えますし、弟子もどんどん聞いてきます。

 

体力の続く限り録音エンジニアを続けていきたい

――行方さんは58年この仕事を続けてこられたわけですが、モノラルの同時録音から始まって、2chステレオになって…とまさに録音の歴史を体感されているわけですよね。

行方:そうですね。ステレオっていうのは1個のスピーカーから出るんじゃなくて2つのスピーカーで音を出すのだけど、その当時はLとRの使い方が分からなくて、真ん中ボーカルで、ギターが左でピアノが右、それでステレオだよって。これが一般のお客さんには一番わかりやすいから。

それは僕が考えたんじゃなくて、アメリカも含めてステレオの初期ってそうだった。そのうちに「音が広がりすぎだよね」「やっぱりボーカルとベースは真ん中に置くべきだよね」というところからどんどん変わって。そういうのもあうんの呼吸でさ。スタジオにいるミュージシャンもスタッフもディレクターも含めて。

――「こうあるべきだよね」という方に自然とみんなで行った?

行方:そういうことですね。そういう時代の音楽業界ってすごくよかったです。

――みんながお互いを尊重しながら、その空気ができていった。

行方:だからでっかいものが出来上がった。個人じゃ絶対できないものね。

――それでマルチレコーダーが4chから8chになって。

行方:16chになって24chになって。それでデジタルマルチが32ch、48chになると。それが今度ハードディスクになる。ということでどんどん機材は変わっているんだけど、使い勝手は僕から言わせれば「コンピューターになったと同時にフェーダーも無くなってなんでこんな使いづらくなるの?」って思いますよ。やっぱり即座にフェーダーで出音をコントロールしたいと思う。あと、僕はミュージシャンだろうがどんな仲間だろうがフェーダーは絶対に触らせなかったの。それはなぜかと言ったら、音楽を表現するのに僕は僕なりのやり方がある。それを偉そうに「もうちょっと上げようよ」なんて手を出したら絶対に許さなかった。

――行方さんの手掛けられた音源を聴かせていただいて、「これが行方サウンドだ」ということではなく「この曲だからこうだ」という音の七変化がものすごいなと感じました。

行方:もしかしたらそれが僕の取り柄かもしれないですね。例えば「このアレンジャーはこういうこと考えているのかな」って思ってやるとアレンジャーは喜びますよね。「俺のアレンジがこういう音になるんだ」って。

――そうやれるのは、先ほどからおっしゃっている引き出しがいっぱいある、要するに聴いてきた音楽の量が膨大だからですか?

行方:その通りです。東芝時代にも、輸入盤屋のオヤジがレコードを売りに来るんだからね。高い値段だったけどずいぶん買いましたよ。そのオヤジもこれを僕に聴かせたいというものをわざわざ持ってくるんですよね。

リンダ・ロンシュタットなんて誰も知らない頃にレコードを持っていましたから。それを聴くと引き出しに入れちゃうわけ。そうすると、例えば弘田三枝子がその系統の曲をやるとなったら引き出しから出して「こういう音も入れよう」と提案してね。

――筒美京平さんも同じようなことをされていましたよね。

行方:まさにそういうことです。

――大変、勉強熱心ということですね。

行方:勉強熱心というか音楽が好きなんですよ。音楽バカなんです。うちの嫁に「なんで閉じこもって、同じ曲ばっかりやっているのよ」って言われても、僕は「これも一つの商売であり仕事であり趣味でもある」って答えるんだけど(笑)。

――(笑)。幸せなことですよね。

行方:僕はね。嫁は不幸せだと思いますよ(笑)。

――音楽というか仕事以外の時間にやっていることってあるんですか?

行方:ないです。昔は飲み会とか山ほどやっていましたけど、今はこの歳になって、ましてや入院なんかしているとあんまり酒は飲まないし。

――でも、うらやましい人生ですよね。

行方:みなさんそうおっしゃいますし、僕も僕なりに生き方として満足しています。

――生まれ変わっても同じことをやりたいですか?

行方:はい。僕はそれしかできないですから。これからも体力の続く限り録音エンジニアを続けていきたいですね。


​​​​​​​音職人・行方洋一の仕事
音職人・行方洋一の仕事
単行本: 248ページ
出版社: DU BOOKS (2018/7/20)
発売日: 2018/7/20

「ON the ROAD」(JAZZ、BLUES、SOUL)
​​​​​​​行方洋一氏が全曲リマスタリングを行ったハイレゾUSBタイトル
「ON the ROAD」(JAZZ、BLUES、SOUL)

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