インターネットの恩恵を受けたアーティストKOHHとマネージメントの新たな挑戦

インタビュー フォーカス

株式会社BM 高橋 良氏
株式会社BM 高橋 良氏

【特集】ミレニアル世代のアーティストが創る新たな音楽シーン

2017年3月17日掲載

 

  1. ニューヨークで得た「全てを自分たちでやる」スタイルを日本でも実践
  2. DJ TY-KOH feat. SIMON「Tequila, Gin Or Henny」がHOT 97で流れる快挙を達成
  3. 全てを自分たちで手掛けたPVで世界との繋がりを体感する
  4. 実家から歩いて5分くらいのところにKOHHは住んでいた
  5. 自分の日常をありのまま切りとる創作
  6. ビジネスとは真逆の資質のアーティストをマネージメントすること
  7. 自分たちだけでもある程度行けちゃうのが今の時代の特徴

 

ニューヨークで得た「全てを自分たちでやる」スタイルを日本でも実践

BM 高橋 良氏:僕は元々、高校の途中くらいからクラブDJをやっていたんですが、すぐトラックを作るほうに移行して、20歳のときにお金を貯めて、2002年の1年間ニューヨークに行きました。

当時ニューヨークの知り合いたちは、仲間で部屋を借りて、そこで音楽を録音し、CDも量産したりと、とにかく自分たちでできることをチームでやるみたいな感じだったんです。「これを日本に帰ってすぐにやりたいな」と思って、21歳で帰国して、1年間くらい金を貯めて、板橋区の地下物件にスタジオを作りました。

そのスタジオは最初自分たちだけで使っていたんですけど、「使わせてよ」みたいな話が結構来て、それこそSEEDAくんの「花と雨」のプリプロとかも大体うちで録っていたりしたんですが、スタジオ貸しも始めつつ、ヒップホップのプロデューサーの地位を向上させるために、仲間たちと組合的なプロダクションを作って、SIMONたちとレコーディングばかりの時期に突入したのが20代半ば、2006年くらいです。

当時は何個かメジャー仕事みたいなのをやってみたんですけど、やっぱり「これをやるなら違う仕事をしたい」と思って。それ以外の仕事で結構稼いでいましたし、「大手レーベルに合わせて作る」みたいなのが自分の中ですごくストレスで、そういった仕事には早いうちに見切りをつけちゃいました。

「メジャーに本格的なヒップホップが食い込んでいけないな」みたいな。それなりにやっていたんですけど、ちょっと違うことがやりたくてSIMONと制作が分かれることになり、当時“しゃべるDJ”っていうのがアメリカにいて、それを日本でやっていたDJ TY-KOHと一緒にやるようになり、SIMONも絡めて何個かミックステープを出します。

 

DJ TY-KOH feat. SIMON「Tequila, Gin Or Henny」がHOT 97で流れる快挙を達成

高橋:その後、DJ TY-KOH feat. SIMONとして「Tequila, Gin Or Henny」という曲を出しました。これは「ビートジャック」という既存音源のインストを使った替え歌みたいな曲なんですが、当時「日本でまだやっていないからやろう」と、ロイド・バンクスの「Beamer, Benz, or Bentley」を「Tequila, Gin Or Henny」と車じゃなくてお酒をタイトルにして曲を作ったんです。そして、HOT 97のDJのKast Oneが来日したときに曲を渡したら、その曲がHOT 97で掛かったんです。

それが日本人のヒップホップで初めて流れた曲で、今自分がしている活動よりはバズが小さかったんですけど、日本のヒップホップの中では、「HOT 97で流れたぞ!」ってすごく話題になりました。もうそこから「Tequila, Gin Or Hennyミックステープ」っていうのを1カ月半くらいですぐ作って、「これでツアーしよう!」と。

その頃、アメリカの動きをチェックしていると、みんな音源を出して、ツアーをやっていたんですよ。そのときは理由がわからなかったんですが、フィジカルの音源が売れなくなって、ダウンロードが主流になり、身入りが減ってきたから「ツアーで稼ごう」という状況だったんですかね。

それまでは「無料でもなんでもいいからライブでもフェスでも出て、知名度を上げて音源を買ってもらおう」っていう考えだったと思うんですが、もうアメリカは「ライブで稼ぐ」という次の段階に行っていたので「これだ!」と思いました。

僕がSIMONとやっていたときに各地でライブを一緒にやっていたつながりがあったので、ライブハウスに一軒ずつ電話をかけて「ツアーやりませんか?」と持ちかけました。「今アメリカでみんなやっているんですよ」と。結局、全国20カ所くらいでツアーをやりました。

株式会社BM 高橋 良 氏

 

全てを自分たちで手掛けたPVで世界との繋がりを体感する

高橋:「Tequila, Gin Or Henny」はPVも作りました。SIMONと活動していたときですが、やっぱり駆け出しの頃ってPVを撮りたくなるんですよ。僕はPVマニアで、当時からPVを観まくっていて、「映像も音楽もいっぺんに観られるPVが一番かっこいい」と思っていました。

それで映像制作会社にお願いして撮っていたんですけど、「この人のこの曲のPVみたいにやってほしい」ってお願いしても、何かやっぱり違うんですよ。それはそうじゃないですか、やっぱりその人のスタイルじゃないのを「こうやってくれ」って無理やりやってもらっているので。それでも若者の心をヒップホップ化してくれるような監督さんと知り合って、その人なりには考えてくれていたんですけどね。

ただその制作会社の人も、「基本的にお任せで」っていうのが多かったと思うんですよ、当時ヒップホップとかインディーズの世界だと。でも僕は「やりたいことはこれなので、それを形にしてください」とディレクター、プロデューサーみたいな立ち位置でどんどん意見を言っていたので、「なんだコイツ」みたいなことを当時思われていたと思います(笑)。

高橋:「Tequila, Gin Or Henny」がHOT 97で流れて「これヤバいぞ、どうしよう」と思って「PVをすぐ作ろう」となったときに、ふと「これ、レーベルと一緒で自分で出来るんじゃないかな?」と思っちゃったんです。ちょうどその頃、キヤノンの5D MarkIIという、動画も作れるデジタル一眼レフカメラの存在を知り合いから聞いて、それを借りて、生まれて初めて自分でPVを撮ってみたんですよ。

今観るとコーデックとかもバラバラなんですが、この「酒が出てきて、女が踊って」という、当時誰もやっていなかったベタな感じを絶対に最初にやりたくて。それで2010年の3月にYouTubeにアップしました。

今から見るとそこまで再生回数が回っていないんですが、当時、1日例えば1000回まわったとか、3000回まわったとかでも、すごいことだったんですよ。コメント欄に何人か外国人も来て、「うわ、世界に届いているぞ!」みたいな、自分ら的にはそんな勘違いもして(笑)。でも、Kast Oneが掛けてくれたっていうのは事実で「アメリカでも評価された」みたいな空気にすごく勇気づけられました。


2017年3月18日掲載

 

実家から歩いて5分くらいのところにKOHHは住んでいた

高橋:2008年頃にKOHHがmixiでメッセージを送ってきて、彼と知り合うことになります。

当時、僕は、例えば、サラリーマンの人たちが「忘年会のためにラップやりたい」みたいなのもレコーディングしてお金を稼いだり、とにかく「仕事」としてやっていた側面が大きかったので、「KOHHってどんな奴だ」と見たら18歳とあって、18歳だったら金もないだろうし、「これはあんまり商売にならないなぁ」って断ろうと思っていたら、プロフィールのところに「北区」って書いてあったんです。

僕は足立区の新田というところが地元なんですが、北区はすごく近所なので、ちょっと電話してみようと思ったんですよ。それで「北区って、何中?」みたいな話をしたら、「○○中です」みたいな(笑)。本当に実家から歩いて5分くらいのところに住んでいたんですよ。

年は9個くらい違うので、知り合いとか被ってなさそうだったんですけど、それだったら「協力はするよ」と。レコーディングの波も落ち着いてきていて、仲間たちも自分でやり出した時期だったし、スタジオの中で色々トラブルもあったりで、もうスタジオを畳もうかなと思っていた時期だったんですよ。「じゃあレコーディングやっているから、遊びにおいで」と言って、まあ色々ありつつ、今に至るっていう感じです。

KOHH

 

自分の日常をありのまま切りとる創作

高橋:KOHHって異例で、曲も歌詞もすごく変わっていると思うんですよ。本当に身の回りで起きたことを歌詞に書いている。

KOHHがスタジオに初めて来たときに、僕が「アメリカの奴らはこういう風に自分らの日常を歌ったりとかしているんだよ」「それがかっこいいんだよ」って、和訳とかしながら熱心に教えたりしたんです。「俺らだったら北本通りだろ」「庚申通りとか、そういうマニアックなところまで言っちゃうんだよ」みたいな(笑)。

それで、「その日の生活だとか、あったことをそのまま歌っている感じでやって」みたいなことをアドバイスしたんですけど、その僕が言っている以上にKOHHがそれを忠実にというか、日記みたいなことをやりだして、それがすごく面白かったんです。

今でもずっとそうなんですけど、ラップとか始める子たちって、まずラッパー像みたいなのがあるんですよ。で、過去の人たちが使ったヒップホップ用語というか、僕なんか「ヒップホップディクショナリー」って呼んでいるんですけど、そういう辞書から言葉を取ってきて並べるだけっていうか、「自分を歌う」っていうよりも、「こうであるべき自分とか、なりたい自分とかを歌詞にしていく」みたいなのがすごく多いので、KOHHの曲は異色だと思いますね。

 

ビジネスとは真逆の資質のアーティストをマネージメントすること

高橋:僕は裏方なので、やっぱり数字とかも見ますし、要領よく進めていきたいなという思いもあるんですが、KOHH本人が本当にアーティスティックな性格なので、KOHH案件に関しては線を引いていて、商業的なコラボとかそういうのはほぼゼロに近いです。

そもそも「レコーディングを手伝ってください」とKOHHが言ってきた頃から、地元の先輩・後輩的な感覚でやっているのに、急にコトが大きくなってきたからってビジネスライクになったら、おかしいじゃないですか。だから最初に始めた時から、変な話、お金の分け方みたいなのもずっと変わっていないです。パートナーっていう感じとも違うんですよね。友達っていう感じでもないですし。スタジオに来た、地元の若い人と、地元の音楽のお兄さんみたいな感じじゃないですかね。

KOHHは「お金のために何かをする」とか「人気を上げるために何かをする」とかっていうのをむしろ避けるくらいやらない。基本は「いい作品を作りたい」「いい曲を作りたい」だけなんですよね。

それは普通だったら、決定的な欠点になると思うんですが、彼の場合はそれがもう徹底しているので、そこが逆に人を惹きつけているのかなって思っていますね。ビジネスもしないといけない自分からしてみれば「何言っているんだ」って思うこともあるんですけど、最近ことごとく結果が出てきちゃっているので、「認めざるを得ないな」と。

どんどん音楽性を追求しちゃった結果、サードアルバム「DIRT」のように万人受けしないアルバムが出来てしまいます。僕的には「DIRT」が一番好きですし、本人も気に入っていると思うんですけど、一応音楽を長いことやっているので、肌感として「これは売れないぞ」ってすごく思ったんです。

KOHHサードアルバム「DIRT」
KOHH サードアルバム「DIRT」

高橋:そこで「どうしようか」と考えたときに、「逆輸入しよう」と。アメリカで評価されれば、もう否応なしに日本でも評価されるだろうと。それで韓国のヤツらとコラボしたり、海外でツアーを積極的にやるようにしました。それもあってか、アメリカのアーティストからオファーがあって一緒にやることになったりと、今のところ上手くいっていると思います。

 

自分たちだけでもある程度行けちゃうのが今の時代の特徴

高橋:たぶん僕たちって、インターネットの発展の恩恵をすごく受けています。それこそ自分とKOHHが知り合ったのも、mixiとかSNSがあったからですし、その人が有名だから一緒にやろうみたいな意識で音楽をやっていないので、アルバムの中で、半分以上はYouTubeやSoundCloudとかで見つけたプロデューサーにこっちからアプローチして作ってもらったトラックとかが多いです。

やはりインターネットを通じて、アーティスト同士が国・地域関係なく連絡を取って、依頼できるのは大きいですよ。感覚で選んでいけますしね。才能があっても埋もれていた人って、昔はすごく多かったと思うんですけど、今はある程度のところまではみんな出てこられる。やっぱりレーベルの力を借りないと、大きいマネージメントの力を借りないといけない領域もあるとは思うんですが、ある程度のところまでは自分たちだけでも行けちゃうのが、今の時代の特徴だと思います。

株式会社BM 高橋 良 氏

高橋:例えば、KOHHみたいに「人の言うことを聞きたくない」「ただ自分を表現したい」とか、頭を下げつつ下積みをやってとか、そうじゃない人でも、ある程度のところまで行くチャンスが広がっています。

僕は、特にレーベルとかといい思い出がなくて、基本的にはあんまり認めていないので、レーベルとかが牛耳っている過去の音楽シーンよりも、IT企業が時代の先端を走っている、今の音楽シーンのほうが僕は面白いし、自分に合っていると思いますね。

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