JASRACのライバルとなった男 〜『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』発刊記念 (株)イーライセンス 代表取締役会長 三野明洋氏インタビュー

インタビュー フォーカス

三野明洋氏
三野明洋氏

今年4月、公取委によるJASRACの独禁法違反判断が最高裁で確定した。争点となったJASRACと放送各局との包括契約に異議申し立てを行い、判決後も沈黙を貫いていた(株)イーライセンス創業者 三野明洋氏がこれまでの経緯を綴った『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』が出版された。今回は発刊を記念し、三野氏と旧知の仲であるMusicman-NET連載『未来は音楽を連れてくる』著者の榎本幹朗氏にも加わっていただき、デジタルという新しいメディアの登場からコンテンツ、そしてそこに紐付く著作権まで幅広く伺った。 

2015年12月10日 掲載

 

  1. 独禁法最高裁判決まで
  2. 著作権の新時代。すべてはNaspterの衝撃からはじまった
  3. 「SpotifyはNapsterでやりたかったことそのままなんだ」
  4. 音楽配信の一番のライバルはYouTube
  5. 「JASRACとの裁判はほとんど一人で対応しました」
  6. 目指すは原盤権も含めた権利処理会社
  7. 権利者と利用者のビジネス的な共存を目指す

 

独禁法最高裁判決まで

榎本:今日はテレビなどで度々ニュースになりつつも、なかなか表に出て来て下さらなかった方との対談が実現しました。JASRACのライバル、イーライセンスを創業された三野明洋さんです。

今年4月、JASRACと放送各局との包括契約が、独禁法違反にあたるという判断が最高裁で確定しました。この結末に至るまで本当に二転三転されましたね。

三野:はい。これは説明が難しいのですが、公正取引委員会が行った審判での「排除措置命令の取消審決」、この審決の取り消しを提訴し、最高裁で認められたと言うことです。

榎本: 読者のみなさんに説明しますと、どの放送局もJASRACと包括契約というものを結んでいるんです。この包括契約のおかげで放送局は自由に音楽を流せて便利だったのですが、その使用料徴収方法にだんだん時代にそぐわない部分が出てきました。

というのも2000年に著作権等管理事業法ができて、JASRACが音楽著作権を独占的に管理する時代は終わることになったのです。それで三野さんがJASRACのライバル、イーライセンスを創業された。

これで競争が起こり、JASRACも時代に合った音楽著作権管理団体になっていくのではないかと期待感がありました。しかし先の包括契約のせいで放送局は、使用料がアドオンされることからJASRACの管理してない曲を使用したがらないという事態に。

これではJASRACと他の著作権管理事業者とのあいだに自由競争が起こらない。独禁法違反にあたるのではないかということで、公取委やイーライセンスがJASRACのあり方に異を唱えてきました。

三野:話が非常に複雑で、最初に公取委が2009年にJASRACに対し「包括契約」の排除措置命令を出して、今度はJASRACが提訴し、その公取委が審判で排除措置命令を取り消したんです。

その取り消したことに対して、我々は取り消しの訴訟を起こして、2013年11月1日に東京高裁が再取り消しの判決を下しました。その後、公取委とJASRACが最高裁に上告したんですが、結果、2015年4月28日に上告を棄却し、我々の勝訴判決になったと。そういう流れです。

榎本:僕が三野さんと初めてお会いしたのが、 公取委の排除措置命令をひっくり返された頃でした。なんともたいへんな時期だったんですね。

三野:いやいや。大変と言っても、そのときだけ大変だったたわけではないので。

榎本:3年前の夏です。「定額制配信の時代が来つつある。日本は乗り遅れている」というテーマで連載の初回を発表するとすぐに三野さんから仕事依頼が来まして。その後、さまざまな会社からオファーいただきましたけど、三野さんのオファーが最初でした。

三野:私はそういうことが好きですね。プロデューサー時代、戸田誠司さんのデモテープを聴いて最初に音楽制作の依頼を出したのは私でしたし、放送作家だった秋元康さんが作詞家になられる前に作詞の話をしたのも私だったと思います。

榎本:すごいですね。秋元さんのその後の活躍はいわずもがなで、戸田誠司さんも坂本龍一さんや小室哲哉さんと並んでデジタル時代の到来をミュージシャン側から引っ張ってきたオピオンリーダーになりました。

三野:彼とはShi-Shonenというグループでのデビューからの長い付き合いなんですが、彼も音楽プロデューサーからパソコンフリークになり、その後ゲームの世界でも活躍してきた人なので、デジタル的なコンテンツをクリエイトしていくということに対して、早い時期から取り組んでいたんです。

榎本:三野さんもそうで、コロムビアのプロデューサー時代から、新しいものにアンテナを張る方だったんですね。それから独立し、JASRACに次ぐ著作権管理事業者イーライセンスを創業されました。

今回、三野さんの著書「やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争」を一足先に読ませていただきましたが、インターネットの普及からこの20年にわたって、世間の知らないところ、著作権管理の最前線ですごいドラマが繰り広げられていて(笑)。

三野:ここに至るまでの発端は1995年、Windows95が出た年から始まっています。その年はコンテンツのデジタル化とメディアのIT化が一挙に始まったときで、残念ながらそういうことに対して音楽著作権の管理が追いついてなかったんです。

榎本:でも当時、日本の音楽業界は絶頂期で危機感は薄かったですよね。「ネットの時代に合わせて音楽業界は生まれ変わるべき。そうしないとたいへんなことになる」という話題はちらほらありましたが、実際に危機感を持って声を上げるアーティストは少なかったし、行動に移した業界人も少数派でした。

三野さんがいちはやく行動に出たきっかけは、森高千里さんの「渡良瀬橋」というCD-ROMを作ったらJASRACが時代にそぐわない判断をしてきて、揉めたからだそうですね。

三野:私が始めてCD-ROMに触れたのは、ピーター・ガブリエルの「XPLORA1」という作品なんです。それを見て「これだ!」と思いました。そのピーター・ガブリエルのCD-ROMを紹介してくれたのが先の戸田誠司さんです。

それまで私は音楽のプロデュースをやっていて、音楽だけ創っていたんですが「もう音楽だけではダメだな」と。なぜかというとMTVとかが出てきて、若い人たちが映像に当たり前に触れているのに、商品になると音だけしか聞こえない。

榎本:YouTubeに代表される、インタラクティブな動画の時代をいちはやく予見したことになります。当たりましたね。

三野:はい。「XPLORA1」は色々なドアがあって、入って行くと映像やらなにやら色々なコンテンツに辿り着くことができたんです。それで映像も含めて色々やりたいなと思い始めたのが1992年頃だったんです。

榎本:ここを読んで「CD-ROM、ふーんそお」と感じる方かもいるかもしれませんが、実はCD-ROMって今への影響がすごく大きいんです。mp3はほぼほぼCD-ROMのために開発され、ファイル共有の席巻につながっていきます。CD-ROMの動画圧縮技術も、動画共有の時代につながっていきました。

実際、アメリカでもCD-ROMに関わった人たちはその後、インターネット時代における仕組みづくりを先導していってるんです。テッド・コーエンというひとはワーナーでCD-ROMを手がけた後、AmazonがCDのネット通販に進出するのを手伝ったり、iTunesミュージックストアの設立時、裏で業界側のオピニオンリーダーになって導いたり。結果、アメリカからCDストアは消滅しました。

日本でも三野さんが、インターネット時代の新しい仕組みづくりへ向かって行くことになりました。

三野:そうですね。そして、その前提になったのがNapsterなんですね。

 

著作権の新時代。すべてはNaspterの衝撃からはじまった

書籍『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』
書籍『やらまいか魂 デジタル時代の著作権20年戦争』

榎本:「Napster?昔話か」と思う方もいるかもしれませんが、定額制配信が騒がれる今と、Napsterの物語は直結しています。これは日本のWinnyから類推してもイメージできないところなんです。

実は定額制配信のビジネスモデルは、1999年、Napsterの社内で出たアイデアです。当時20歳だった創業者のショーン・パーカーたちが会議で話していました。その際、彼らはiTunesのようなアラカルト販売もで検討していましたし、音楽のシェアは果たして宣伝になりうるのか、という議論をしていました。いまYouTubeとソーシャルメディアでやっている議論ですね。

いまの我々は1999年にNapsterの舞台裏でされていた議論をなぞっているに過ぎないところがあるわけです。

今年、日本もApple Music、AWA、LINE musicが始まり、「これからは定額制配信の時代だ!」とようやく世間でニュースになっているわけですが、その源流にあるのは1999年、Napsterのファイル共有がもたらした聴き放題なんですよ。

三野:私は初代のNapsterをすごく使いましたね。1999年の夏くらいから2000年にかけては「こんな便利なものあるのか!」と興奮しましたよ。

榎本:当時はダウンロードも違法ではなく、お咎めもなかったですしね。

三野:今では笑い話ですが、2000年にこのイーライセンスという会社を作ったときに、私は「Napster最高!」って言ったんですよ。

榎本:過激ですね。

三野:そうしたら「著作権管理事業者の社長が何を言っているんだ!」と怒られました。本当にあちこちで言われましたよ。

榎本:それは言われますよ(笑)。三野さんはどのように返事を?

三野:私はそのときに「学生の発想から生まれたものは死なない」と言ったんです。日本で言うと貸レコードがそうでしょう? あれは町田の「友&愛」という学生が作ったお店が最初じゃないですか。

榎本:貸レコードは音楽のシェアというか、いまの共有文化がはじまった場所ですね(笑)。同時期、Walkmanの普及でミックステープを貸し借りする文化も日本の学生から始まりました。いまのプレイリスト文化のはしりですが、ぜんぶ学生から始まり、形をかえて生き残っています。

三野:そうです。つまり学生のニーズから生まれたサービスというのは、私は形を変えたとしても絶対になくならないと思います、と。これをアメリカの中央連邦裁判所は違法だと判断したわけですが、Napsterの仕組みは今から考えても非常によくできていました。

榎本:Napsterも学生発です。大学生だったショーン・ファニングが作り上げたNapsterのピアツーピア技術は、当時Googleの創業者たちやインテルのCEOが絶賛するほどの最高レベルの新技術でした。

そのときファニングの友達で共同創業者になったのが先のショーン・パーカーです。映画でジャスティン・ティンバーレイクがパーカー役を演じて、それですごい女たらしだと世間に知れ渡ってしまった人なんですが(笑)。

パーカーはNapster裁判の経緯で、Napster社から追い出されることになり、無一文になりました。音楽サービスをやっていくことも諦めます。でも、音楽のシェアが無理なら情報のシェアをしよう。ソーシャルメディアの時代を創ろうと目論見て、Facebookの初代社長になりました。Facebookを作った当時大学生のザッカーバーグにとってもパーカーはヒーローだったんです。

そこでもいろいろあって退社になるんですが、彼はそれを機にSpotifyのダニエル・エクと出会います。エクにとってもNapsterのパーカーは学生時代のヒーローで、エクが高校のときにNapsterを使いまくって「なんてすごいサービスなんだ! これは絶対に合法でやるべき」と自分なりに作った合法サービスがSpotifyだったんです。

 

「SpotifyはNapsterでやりたかったことそのままなんだ」

榎本幹朗氏
榎本幹朗氏

三野:イーライセンスを作った2000年頃はNapsterを毎日使っていたんですよ。使っている理由は明確で、日本では本格的な音楽配信サービスは無く、着うたフルですら存在しませんでした。だから自分が欲しい音楽は、中古屋で探すか、貸しレコードに行くか、ラジオの制作会社の友人に頼んで借りるしかなかったんです。

その後iTunesのサービスが2003年ぐらいから米国で始まり、友人に頼んでプリペイドカードを送って貰いダウンロードしていました。それでも全体の8割から9割くらいしか見つからなかった。

榎本: Napsterにはすべてがありましたからね。しかも古今東西のすべての音楽が活性化した瞬間でした。それまではテレビやラジオでかかった最新ヒットしか動いていなかった。

実はアメリカの業界人たちでも、レコード協会にいたひとたちは三野さんと同じ反応を示したんです。RIAA(アメリカレコード協会)がNapsterに連絡をよこしてきたとき、「すごいものを作った!」とベタ褒めだったんです(笑)。

それでNapsterに「すごい可能性を感じるけど著作権上問題があるから話し合わないか?」と話を持ちかけたんですが、Napster側が対話を断ったんです。この瞬間、Napsterのファイル共有は違法になりました。

アメリカのデジタル著作権法にセーフ・ハーバー条項という項目があって「これは違法なものだからコンテンツを取り下げて下さい」と言われてだいたい二週間以内に削除すれば、それまでは違法じゃなくなるんですね。

一方、動画共有のYouTubeは合法になりました。著作権者との話し合いに応じて、言われたものを削除したからです。

三野:フェアユースの判断基準は3つあって、1番目は運営されている目的が「事業目的」なのかどうか、それから2番目が「著作権者にきちんと配慮」されているかどうか、3番目が「既存の業界へのデメリット」を与えているかどうか、なんです。この「事業目的かどうか?」というのは、その時点ではファジーだったんです。それから2番目の「著作権者に対する配慮」もファジーだった。そして一番大きなポイントはCDの売上低下にNapsterが影響を与えていると裁判所が最終的に判断して、Napsterは事業停止になったんです。

榎本:スタンフォード大学の教授が統計を提出したんですよね。大学の周りのCD屋さんの売上が落ちているという詳細なデータをまとめて。ファイル共有で音楽をシェアしてもらったら宣伝になるからCDが売れますよ、とNapsterは言っていたんですが、逆だということを立証するためだったんです。

三野:個人的にはそのデータは信憑性が低いと思っていました。なぜかというと、別にNapsterがあろうがなかろうが、他の要因でもCDの売上が落ちる、そういう時代に入っていたんです。1995年頃からコンテンツがデジタル化され、メディアがIT化された段階から当然のことながらパッケージ商品は落ちていって、違った形の入手方法が上がっていく。こういった事実が当たり前にありました。ですから、Napsterだけがその要因かどうかが甚だ疑問だったんです。

榎本:なるほど。そもそもインターネットってデータのシェアが目的で作られた技術だったので、音声を共有する技術として想定されていたんです。ですから、それが普及したら音楽データの複製物をCDや音楽配信で売っていくというやり方は通用しないということは必然ということが15年前、舞台裏で話し合われていました。

21世紀初頭、「ではどうしようか?」となったときに、コンテンツに対していかに便利にアクセスできるか、そういう仕組みを作って、月額10ドルとかお金を取っていく方向に持っていこうと20歳だったショーン・パーカーはNapsterの社内で言っていたのですがNapsterの株主が著作権者との交渉を拒否して違法になり、潰れました。

三野:その経緯について、どちらが良い悪いという話は意味がないけれど、あの時点でNapserを合法化するための方法を見つけ出せていれば、あんなに良いサービスもなかったと思うんです。

榎本:回り回って、Napsterの共同創業者だったショーン・パーカーは今Spotifyの取締役になっていますが、彼は「SpotifyはNapsterでやりたかったことそのままなんだ」と言っています(笑)。

2002年にはじめて定額制配信が登場したときは、まったく人気が出ませんでした。スマホがなかったのが理由1。大物アーティストやレコード会社が様子見して最新ヒット曲がぼろぼろ欠けていたのが不人気の理由その2です。前者はiPhone登場を機に解決しましたが、後者に関しては、いまの日本の定額制配信を思い出しませんか(笑)。

三野:アメリカやヨーロッパでは、色々なムーブメントに対して著作権法や著作権を管理する側が、インターフェイスを持とうとするんですよ。

榎本:仰るとおりで、NapsterでもiTunesでもSpotifyでも、渦中にある権利者側のレコード会社が何とか新しい仕組みを模索しようと積極的に動き、コンテンツ側とテクノロジー側の話し合いが進んでいきました。

三野:そこが日本は違うと思うんです。一番分かりやすいのは、さっきのWinnyの話ではないですが、金子先生が作ったWinnyという素晴らしいシステムは、そもそも著作権を侵害するために作ったわけではなくて、榎本さんが先ほど仰ったようにインターネットというものはそもそもデータを共有するものなんだという論理からすれば、Winnyの開発なんて決して著作権法違反の対象ではないんですよ。最終的には無罪になりましたが、裁判が長期化して、金子先生という一人の研究者もそうですし、開発したシステムも潰してしまった感があるんです。

榎本:Napster裁判のとき、クリエイティブコモンズの提唱者ローレンス・レッシグ教授が「Napster=ファイル共有=悪」と考えるのはマズイですよと裁判所に意見書を出しました。

技術は最初に出てきたときに色々な使われ方をするので、悪いこともやってしまうけれど、技術自体を禁止したらイノヴェーションはなくなってしまう。技術そのものを裁くことは良くないと言いました。

実際、ピア・ツー・ピア技術をダウンロードからストリーミングに応用するようになると、Skypeが生まれ、Spotifyが生まれたんです。

三野:日本では、そこのちょっとした掛け違いみたいなものがあって、ネガティブな方向に行ってしまった、それが残念だなと思います。

——日本はいきなり「鎖国」してしまったりしますからね。

三野:それはもったいないことだと思います。新しい仕組みができたら、逆にコンテンツを扱う方が、それをどう使ったらビジネスとして成立し、もちろんその裏側では著作権法を含めて合法な処理を見つけ出していく、そういう発想に行けばいいんですが、どちらかというと著作権法違反になったらシステム自体止めてしまえ、みたいな方向に走りがちで、私はあまりそっちに走ると結局技術も進歩しないし、新しいサービスも遅れることになると思うんです。

 

音楽配信の一番のライバルはYouTube

イーライセンス 代表取締役会長 三野明洋氏、榎本幹朗氏

——イーライセンスを始めるきっかけというのも、そういったところに起因するんでしょうか?

三野:そうですね。著作権って創造された著作物を保護して管理するための法律ですが、保護の意味はその次の活性化に繋げることなんです。創造、保護、活性化、この三点が回転していくことで新しい著作物が生まれ、文化の発展に繋がっていくわけです。でも、その回転を止めてしまったら、新しいものは何も生まれなくなってしまう。だから、デジタルやITという言葉が生まれたときに、スピーディーに対応する仕組みを提案するという方が方法論として意義があると思います。

榎本:そのためにイーライセンスを立ち上げられたんですよね。

三野:私は金子先生と一緒に新しい「ピアツーピア」の音楽配信スキームを作りたいということで、話していました。残念ながら金子先生は若くしてお亡くなりになってしまいましたが、金子先生のシステムと私の権利処理アイディアを足して、新しいビジネスを開発したかった。

榎本:それはスウェーデンでSpotifyが誕生した経緯とまったく同じ発想です。

三野:残念ながら途中で止まってしまいましたが、そういうことがポジティブに市場へ出て行けるような道筋ができると、もっと面白いことができると思うんです。

榎本:やはり新しい技術を積極的に体験していかないと、新しい時代の著作権ビジネスはどうあるべきかみたいなことは絶対に出てこないです。

三野:LINE music、AWA、Apple music、Google playといった聴き放題サービスに、権利者はどう対応すればいいんですか? みたいな質問をよく受けるんですが、私は「申し訳ないけど、そこが問題ではないですよ」と言うんです。「音楽事業の一番のライバルはYouTubeですよ」と。私は必ずそう答えるんです。

榎本:僕もそれはずっと言っているんですけど、表立って異論をいう人は滅多にいないんですよね。アンチYouTubeと勘違いされるから (笑)。僕が考えてくれと言っているのはYouTubeの使い方。レコード会社のみなさんに対して、もっと新しい使い方を考えていきましょうと言っているんです。

三野:先ほど榎本さんがYouTubeの法律的な部分を話してくれましたが、もっと分かりやすく言うとホワイトリストとブラックリストを作って、原盤会社など著作隣接権者や著作権管理事業者が「使っていいですよ」と言ったのがホワイトリストです。そして「これは使ってもらっては困ります」というものがブラックリストで、ユーザーがアップしたものがホワイトリストの場合は自動的に掲載され、ブラックリスト内のコンテンツは排除されることになっています。でも、そもそも世界中の凄まじい量のアップロードに対して全て管理できるわけがないんですよ。

榎本:ええ。それは確信犯でして、YouTubeブレイクのきっかけの一つは音楽ビデオなんです。そのきっかけはMTVがアリティ番組を創ったら大成功して、以降、音楽ビデオの時間が減ったからなんです。MTVの音楽ビデオがYouTubeにアップロードされまくって、そのコメント欄に「MTV、もっと音楽ビデオを流してくれ」とか書かれていたんです(笑)。

YouTubeの創業チームで、「これ、どうしよう?」という話し合いされていたのがバイアコム(MTVの親会社)との裁判の記録に残っています。社内で「Napsterみたいに裁判で負けて潰れてしまうんじゃないか?」とCEOが心配した時、当時のCTOが「ダメと言われるまで時間がある。弁護士や法務から連絡が来るまで時間があるし、そこから何日後かに削除すれば合法だから、それまで放っておいても大丈夫じゃん」と(笑)。

三野:いや、その通りです。イーライセンスの立場でGoogleとは初期から著作権管理に関するやり取りをしていまして、当初は悪戦苦闘でしたが、今落ち着いたのは広告収入の一定のパーセンテージを我々が頂くというビジネス的な契約が生まれたのが一つ、その背景としては「我々からの削除要請は一週間以内に実行してください」という約束事ができたことで、ある意味合法になっているんです。

榎本:CTOが、映画とドラマは自主的に即削除しようと。そして、お笑いと音楽は数字稼げるから、ちょっと放っておこうか…とその時の創業チームの会話で決まったんですね(笑)。

で、10年後のいまも、お笑いと音楽はYouTubeのキラーコンテンツになっています。

三野:今、お話し頂いたことはYouTubeの中でも相当議論があって、存続性を担保するための方法論というのは協議されたと思うんです。我々もYouTubeが全てダメだと言っているわけではなくて、著作隣接権者も我々も、プロモーションツールとして意味があると感じたら、どんどん利用していくことは間違っていないんです。

今、YouTubeにオリジナルページがありますが、あれを初期の段階から検討していて、最初にKREVAのページを作りました。所属事務所のエレメンツに「これからはYouTubeを使って、ユーザー開発しようよ」と持ちかけたんですが、同時に「ちゃんとお金ももらおう」と提案しました。そのオリジナルページでは公式のビデオが観られて、より細かい情報はアーティストのオフィシャルHPに飛んで、そっちではもっと詳しい映像が見られるという仕組みを作りました。最初はなかなか広告が載らなかったんですが、途中から広告も付くようになって、そこからパーセンテージをもらってアーティストサイドにも分配するという仕組みが出来たんです。

榎本:そのKREVAの例だとYouTubeの外に行って楽しむという流れができているからいいんですが、YouTubeの中だけで全部完結してしまうと、宣伝になっていないんですよ。宣伝というのは無料で人を集めて有料へつなぐことですから。「ライブで稼げる音楽事務所はいいでしょうけど、レコード会社はYouTubeの中で終わってしまうと消費ゼロですよ」とアドバイスしてきたんですけどね。

三野:聴き放題サービスが勝つためにも、YouTubeとの位置関係をどう保っていくかですね。これがすごく重要だと思います。

榎本:アメリカでYouTubeの定額制配信が始まりましたので、有料会員がどれくらい生まれるか、注目していきたいと思います。

 

「JASRACとの裁判はほとんど一人で対応しました」

イーライセンス 代表取締役会長 三野明洋氏

——JASRACとの裁判に関して、外から見て「ご苦労なさっているんだろうな…」とは思っていましたが、本を読んでよもやあそこまでとは思いませんでした。

三野:実は、会社やスタッフへの風当たりが強くなって事業展開に影響が出ないように、JASRACとの裁判はほとんど私一人でやりました。ですから、イーライセンスの役員もスタッフもこの件には直接的にはほとんど関わっていません。本当に個人プレーなんです。

——そうだとするとまたさらに凄い話ですよね…。

三野:ちなみに訴訟に関する書類って、最後に代表者の名前で判子を押すんです。途中の資料作成は弁護士の先生が色々やるんですが、最後は自分なんですね。

——契約書と一緒ですよね。

三野:そうです。ということは、私がその内容を理解できないのに判子を押すのは無責任だと思ったんです。ですから、私は弁護士の先生方とのミーティングというか論争、一回で最高で8時間くらいかかったこともあるんですが、通常でも3〜4時間ぐらいのミーティングを2〜3週間に1回、差し迫ってくると毎週やっていました。とにかく長時間に渡り激論が交わされるわけです。

特に独禁法はそうなんですが、非常に狭い業界内のやり取りで、なおかつ専門用語が多いので、聞いていて分からないことが圧倒的に多い。一番酷いのは具体的な名前が出てくることで、「○○という裁判官はこういう傾向があるから、こういう戦略が必要だ」と言われても、われわれには分からないじゃないですか? そこで「分からない」で終わるのか、理解した上で判子を押すのか、それは全然違うと思うんですよ。だからそのミーティングには出来る限り参加しました。やったことはそれだけですが、そうじゃないと判子を押せないと思ったんです。

——つまり著作権法をはじめ独禁法まで弁護士と対等に話せるようになるまで勉強しちゃったってことですよね。

三野:はい。特に独禁法は判例主義で、過去の判例と紐づけて問題点を引っ張って証明する法律なんです。例えば「野田醤油事件」といきなり言われても、そんな事件がなんで今回のことと関係あるのか?と普通思いますよね。でも、弁護士の先生や専門家の方からすると、この「野田醤油事件」の判例のこの判断と同じだから、この判例で証明するんだと一個一個が繋がっていくんです。そんなの独禁法を知らない人間がいきなり聞いてもわからないですよね。

榎本:裁判でも争点になったのが、ある放送局で大塚愛さんの「恋愛写真」をかけてもらえなかったことでした。著作権ビジネス参入後にいくつかの会社で「イーライセンス管理楽曲の使用を避ける」というような内部通達があったというのが、最初に勝訴したときの根拠になったんですよね? それが一度ひっくり返されて。

三野:大塚愛さんの「恋愛写真」の件については、私の勉強不足で大塚愛さんの事務所やエイベックスの方々に本当に迷惑かけてしまったんですが、JASRAC側は「全国の放送局でかかっているじゃないか」って言うわけですよ。事実回数だけみたらそれなりに放送されていたんです。ただJASRACが裁判資料として出した資料は、皆さんも官僚の情報公開資料などでご存じかと思いますが、黒塗りばかりで、きちんとしたデータは我々には来なかったんです。

——それでも裁判資料として認められるんですか?

三野:法律上、証拠書類を制限して相手に公開することは間違っていないようです。その資料をずっと見ていて気づいたんですが、それはウィークリーで集計したデータだったんです。それでウィークリーじゃなくてデイリーで集計してみたら、今でもよく憶えているんですが、10月13日だったか、ある日から一気に放送回数が増えているんですよ。それはエイベックスと協議して、このままやっていくとアーティストやレコード会社の皆さんにも迷惑がかかるということで、残念ながら楽曲使用料を無料にすると告知した日だったんです。この事実を見つけ出して提示したことが、非常に大きな転換点になりました。

榎本:その資料がデイリーではなくウィークリーだと気づいたのも、三野さんがむかしディレクター、プロデューサーとして放送の現場に足を運んでいらしたからこそなんでしょうね。

三野:私は以前放送局の皆さんにプロモーションしていた側なので、ラジオ局のディレクターがどうやって曲を選んで、どうかけるかをわかっていましたから、無料解放されたことが要因であっただろうなと推測することはできましたね。

——JASRACと10年間以上戦い続けたわけですが三野さんのエネルギーがいったいどこから出てきたんですか?

三野: 2000年の1月21日に文化庁の著作権審議会の競争政策に関する報告書が出ているんですが、これをきちんと実行することが一番の使命だと思ったわけです。それは「権利者が著作権管理事業者を選べる」ということが最大のポイントだったんです。

榎本:内閣府には後ろ盾になってくださる方がいらっしゃったんですか?

三野:文化庁の著作権審議会答申のときは、坂本龍一さんやメディアアーティスト協会の提言だったり、内閣府の方を含め競争政策支持派の応援が最大のポイントでした。

榎本:アメリカなどの事情を知っている坂本龍一さんや、アーティストが世論を作ってくださって内閣府も動いたということもあるんでしょうね。

三野:それも大きな要因の一つだったと思います。JASRACも独禁法に抵触することは最初から想定していたと思いますし、それを少しでも先延ばしするための戦略は当然考えていたと思います。文化庁の著作権審議会の答申を読めば、包括契約はおかしいというのが見え見えですし、競争させるためにはフラットな関係の中で、公正公平な競争者が登場すべきだというコンセプトも明確にできあがっていたわけで、それを反映する意味で著作権等管理事業法が施行されました。

JASRACはもともと作家の方々が集まって、権利者への分配額を少しでも多くしていこうというポリシーのもとに作られた団体なので、権益を守るのは間違っていないんです。ただ、どうしても1社だけで競争がないと、権利者に対する分配額が正しいのかどうか、それから手数料率が適正なのか判断できないんです。それが第二の事業者が出ることで、権利者がどちらの事業者が有利なのかを選ぶことになる。これが競争なんです。決してJASRACがやってきたことが全部悪いと言っているわけではなくて、競争相手がいないと、良いか悪いか判断する基準が持てないと言っているだけなんです。

榎本:戦前、プラーゲ旋風の外圧から日本の放送文化を守るため、JASRACは事実上独占状態で誕生しました。戦後は外圧をしのぐための独占が仇して、硬直化していったかもわかりません。しかし今度の裁判で自由競争が進み、今後JASRACの組織文化も変わっていくんじゃないでしょうか。

三野:我々イーライセンスやJRCが登場して一番良かったことは、JASRACの内部が改善したことですね。生意気なことを言わせていただければ、我々が参入したことで貢献できたと思っています。

榎本:JASRACが独禁法違反で敗れたことは、いずれJASRACにとってもプラスになっていくんでしょうね。

 

目指すは原盤権も含めた権利処理会社

——今年4月28日にJASRAC包括契約の独禁法違反判断が確定し、ついこの間エイベックスがJASRACから一部離脱するとの報道も出ましたが、今後どのような動きになっていくんでしょうか?

三野:2002年に複数管理事業が始まった当初は、私たちは録音権等と呼ばれる支分権と、インタラクティブ配信という利用形態しか管理ができず、本当の意味での競争のテーブルには乗れていなかったんです。そこから色々な壁を1つ1つ崩してきて、今回の包括契約というのは、そういう意味では最後の一番大きな課題だったんです。それが最高裁判決で突破されたことによって、一挙に新しい時代の管理システムに変わってきたというのは事実です。これはエイベックスだけじゃなくて、当然権利者のみなさんが同じような感触をお持ちなんです。

だから、私の個人的感覚から言うと、今起こっていることは、非常に必然的な流れであって、これからはもっとそっちの方向へ流れていくんじゃないかと思います。それは私たちがこういう営業をしたから入ってきたとか、そういうことではなくて、もう仕組みとして、本当の意味で権利者が著作権管理事業者を選ぶ時代に突入したということなんです。このときにイーライセンスがJASRACよりも使いにくい仕組みだったり、使用料率も高くて、管理も不行き届きだとしたら、これは選ばれないんですよ。

——そうですね。

三野:これは非常にシンプルな話で、逆に言うとJASRACもこれから我々に対抗するアイディアをもっと出してくると思います。それで初めて競争になるんです。

——具体的にそういった改善はお互いに始まっているんですか?

三野:始まっています。例えば、放送使用料の著作権管理事業者毎の使用料比率の計算も、今年度からは使用実績に合わせて計算されますし、そういう意味では少なくとも2014年になかった精度の高い公正公平な徴収が2015年には実現しているんです。わずか1年で。

——最高裁での判決をきっかけに。

三野:いや、最高裁判決の前から協議は始まっていました。こういう具体的な変化が目の前に落ちてくると、当然権利者はそれを読み取りながら、新しい選択をするわけです。

——最高裁の結果が出たときに、色んな反応が三野さんの元に寄せられたと思うんですが、実際はどうだったんですか?

三野:それ以前に2013年11月1日の東京高裁の判決のときが特に凄かったです。もう全テレビ局、新聞、多くのメディアから取材の依頼がありました。なので、私は前日に山に籠もっちゃって、取材は全てお断りしました。今回最高裁の判決が出たときも同様で、これも全部お断りしました。というのも、メディアの方々が取り上げることって、どうしても裁判に勝った負けたの話のみになってしまうんですよ。

榎本:メディアって、なるべく話を短く、分かりやすくしないと視聴者に見てもらえないので、どうしてもそうなってしまうんでしょうね。

三野:でも、私たちがやりたいことって、裁判に勝った負けたじゃないんです。私たちが提言したことを理解してもらえたのかどうかということが遙かに重要です。ですから、その時点で取材を受けると勝因だったり、そういったことがどうしても話題になっちゃうんです。それは本意ではないので、一切の取材をお断りしたんです。

榎本幹朗氏

榎本:先ほど少し話に出たエイベックスがJASRACから脱退して、イーライセンスに乗り換える話は、JASRACから見たら脅威に映るでしょうが、著作権管理という業界のリーダーとして見たらプラスだと思うんですよ。

というのはアメリカって今、著作権管理団体から、音楽出版が抜け始めているじゃないですか(笑)。

三野:そうですね。逆ですね。

榎本:著作権管理団体は要らないよ、みたいな感じになっちゃって。7割を占めるソニーとユニバーサルとワーナー、全部抜けちゃったんですよね。

今の時代、自分で管理できるからというので(笑)。対して日本では、音楽出版の方が実際に著作権管理団体を盛り上げて行こうという方向に行っているというのが、JASRACにとっても同じ業界という意味ではプラスなんじゃないかな。

三野:そこは、ちょっと私には判断できないんですが…これは言って良いか分からないですが、私の根本的な考え方には、「現状の形での著作権管理事業者って要るのかな?」という疑問もあるんです。

榎本:イーライセンスも著作権管理事業者ですが、その意は何でしょう?

三野:非常に個人的な考えですけど、私が目指すのは、要するにワンストップの権利処理会社なんです。

榎本:なるほどわかりました。まさに時代の求めるあり方ですね。

三野:でも、それは著作権だけじゃなくて、原盤権など著作隣接権も含めた総合的な権利処理会社です。2000年に入ってからここまで、新しいネットメディアのビジネスを開発していくのに、著作権が足かせになるとよく言われたんですよ。私は冗談じゃないと。著作権は足かせになりませんよと。

榎本:著作権は申請すれば基本的に使えますからね。

三野:問題があれば提示していただく、そうしたら私たちはすぐにそれに合わせた使用料規程や何らかの契約案を提示し「これでどうぞ」と言いますから、何も足かせになりませんよと言っていたんです。もし足かせになっているものがあるとしたら、それは原盤権ですよ。著作隣接権です。レコード会社がそれをNOと言っていることなんです。

実はイーライセンスというのは著作権管理事業者でありながら、コンテンツのディストリビューターもやっているんです。というのも、ワンストップで権利処理しないと、本来は権利処理にならないんです。

榎本:そうですね。たとえば、ある若者がおもしろい音楽アプリを思いついたとする。今だといろいろなレコード会社を回って説得しないと音楽を使えないので、結局あきらめるかYouTubeなどに乗っかった程度のアプリしか生まれませんね。

しかし一つの窓口にいってそこで相談すればいいだけなら、無限の可能性が出てきます。合法の人気アプリが誕生するたびに、著作権収入は上がっていきますね。

三野:私の個人的な夢は、本当は権利処理のワンストップ・カンパニーなんです。ワンストップで権利処理しなかったら面倒臭くて、使用者なんてやってられないですし、コンテンツビジネスなんて広がらないですよ。

 

権利者と利用者のビジネス的な共存を目指す

イーライセンス 代表取締役会長 三野明洋氏、榎本幹朗氏

榎本: ワンストップについて話を続けましょう。Spotifyを創ったダニエル・エクは、一介の若者エンジニアでした。そんな彼が世界のレコード会社を説得してまったく新しい音楽配信を始めた。すごい若者だと思いますが、これはヨーロッパだったから出来たところがありますね。

三野:そうですね。

榎本:ヨーロッパって3大メジャーレーベルでほとんどのシェアが抑えられているから、その内の一番偉い人にとにかく話せば何とかなるだろうと。それでナンバーワンのユニバーサルのスウェーデン支社で一番偉いひとのところに行って、OKをもらったらSpotifyは一気に道が拓けたわけです。

iTunesミュージックストアもそうです。ユニバーサルのキーマンだったダグ・モリスやジミー・アイオヴィンをジョブズが直接説得したから、他も説得できた。ある意味、欧米はワンストップだったから音楽配信でリードできた。

一方、日本はドメスティックなものも含めてメジャーレーベルがいっぱいある国じゃないですか。世界から見るとインディーズに分類されるメジャーレーベルが何十社もある。

三野:そうですね。日本はインディーズ天国。

榎本:それはそれで素晴らしいことで、おかげで国産音楽が満開の国になりました。だがいまは良い音楽コンテンツだけじゃなくて、良い音楽サービスを創らないと音楽会社は稼げない時代になってます。

翻っていまの日本で、アプリ作りが楽しくてしかたない大学生が、音楽で何か新しいサービスを作りたいと思っても、どうしたら良いのかと途方に暮れると思うんですよ(笑)。

以前、僕のスカイプに突然、イスラエルのベンチャーから電話がかかってきたんです。教えてほしいことがある。カラオケアプリを創ったらすごく人気が出て、そこで日本のアニソンが凄く人気があると。ちゃんと権利処理をしたいのだけど、日本のどこと話せば良いのかわからない。JASRACと、あとはレコ協でいいのかと(笑)。

いやいや日本にそういうワンストップの窓口はないですと教えたのですが、海外の人たちもどこの人に話せば、日本のコンテンツを使えるのかわかりません。クールジャパン関係の内閣府の会議に呼ばれたときこの話、したんですが、三野さんのおっしゃるような権利処理のゲートウェイがあれば、日本のコンテンツはもっと海外に拡がると思うんですよ。

榎本:音楽ビデオを例えばユーチューバーが使おうとしても、今難しいですよね。でもユーチューバーからしたら「ヒット曲は僕ら、扱っちゃいけないんですよね?違法になっちゃうんですよね」みたいな感じだと思うんですよ。これどうなんでしょう。

三野:ユーチューバーの方々は、使い方としてどういう使い方をするのか、正しく申請するべきだと思うんですよ。でも、意外とみんな、ドアを叩いてないですね。

榎本:叩かないですね。それでJASRACがいろいろ邪魔をしていると一部のネットユーザーは言うけど、仕組みを勘違いしてます。

三野:これは絶対に間違いだと思います。それはイーライセンスもJASRACもそうですが、1回ドアを叩いて、この楽曲をこういう形で使いたいと言ったときに、まず第一義的には、レコード会社がそれを認めるかどうか。今はグーグルの人たちも、まずは著作隣接権者の意向が第一義で、それに著作権が付いてくるパターンです。私はそれをユーチューバーの方がもっと丁寧にやるべきだと思うんです。

榎本:なるほど。それをGoogleも手伝ってあげたらいいんじゃないでしょうかね。

三野:著作権とか著作隣接権処理で一番いけないのは、ドアを叩かずに憶測で判断することなんです。

榎本:僕、若いころインターネットでも音楽番組を作ってましたが、音楽事務所やプロデューサーなど権利者側と会わせてもらってましたよ。いっしょにアイデアを出し合えて楽しかったです。ユーチューバーのみなさんもやってみたらいいと思うんですけど。なにか勘違いで憶測して、門戸を叩かないみたいですよね。

三野:これだといつまで経っても解決しません。この前、富山大学で教えている学生が学園祭でライブをやるにあたり「ある曲を使いたいんだけど、どうすればいいんでしょうか?」と相談してきて、その曲はイーライセンス管理楽曲ではなく、JASRAC管理楽曲だったので、「私の言う通りに資料を作ってJASRACに送りなさい」と言いました。資料をちゃんと送って、ドアを叩けと。それで使用料が発生するのか、それとも学園祭の無料公演に関しては使って良いですよということなのか、その回答を貰った上で判断しなさいとアドバイスしました。

結局、その楽曲は無料で使えるようになって、何の問題もなく学園祭で使われました。これで初めて正しい使い方ができるわけじゃないですか。私はとにかくドアを叩くべきだと何度も言っています。面倒臭いと言えば確かにそうなのかもしれない。でも、それが利用者側の著作権者に対する配慮なんです。

——また、権利者側であるアーティストって、実は著作権のことが一番分かってなかったりするじゃないですか。曲を作って演奏することにはみんな興味あるけれど、その先はもう自分の範囲外という風に思っている人もたくさんいますよね。特に若いうちは。

三野:はい。でも、もうそういう時代じゃないんですよ。アーティスト自らが、自分の作った作品を自分で守るというのは当たり前のことなので。そういう発想を持っていただけると嬉しいですね。

——若い世代の取り組みというのが、将来に渡って大きな力を持ち始めるんじゃないですかね。ビジネス的にも。

三野:私が最近思っていることで一番重要なことは、権利者と利用者が共存し、著作物の利用促進をどうやって進めていくかなんです。これは榎本さんが専門なんですが、SpotifyもPandoraもヨーロッパとアメリカだと著作権の使用料率が違ったり、テイラー・スウィフトがNOと言ったらSpotify もApple Musicも止まっちゃったり、昔と色々なことが違うと思うんです。

私はどれが良いとか悪いとかを言っているんじゃなくて、権利者と利用者をビジネス的に共存させていくことが大切で、権利者から見ると利用者が活性化しないと、結局収入も得られないんです。それで利用者から見るとあまり権利者に強い主張をされてもビジネスとして成り立たない。この共存の仕組み、これをどう作るかというのが、多分これからも音楽、またはコンテンツビジネスの絶対条件だと思います。

榎本:インターネットの普及が始まって丁度20年くらい経ったんですけど、そこに関してはまだまだというか、僕らも三野さんに負けずに頑張って変えていかないと(笑)。

三野:宣伝になってしまいますが、今回の本って、その辺の話題が全部詰まっているんです。新しいメディアの発展、それから音楽を中心としたコンテンツ、そしてそこに紐付く権利処理。この3本で、この20年は変化を成してきたんです。

——「やらまいか魂」は三野さんの20年の苦闘が刻まれた本であると同時に、著作権や著作権管理事業に対する理解も深めることができますよね。音楽ビジネスに関わっているすべての人に読んで貰いたいですね。

三野:そうですね。その上で、著作権と著作権管理事業を理解していただけたらと思いますし、この本を読んで、海外から閉鎖的だと言われる日本でも「やらまいか」すなわち「やればできる」「やってみよう」という気分になって頂けたら嬉しいです。

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