第188回 エディター・ライター 渡辺祐氏【後半】
今回の「Musicman’s RELAY」はJ-WAVE 渡邉岳史さんからのご紹介で、エディター・ライター渡辺祐さんのご登場です。中学時代に映画や音楽などにハマり、壁新聞やミニコミ作りに勤しんだ渡辺さんは、バイトとして雑誌『宝島』編集部に入りそのまま社員に。「VOW」を始め数々の企画に携わります。
独立後も音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続ける傍ら、スペースシャワーTVの立ち上げに関わり、ラジオ・テレビへの出演など多方面でご活躍中です。現在はJ-WAVE土曜午前の番組「Radio DONUTS」のナビゲーターを担当中の渡辺さんに、ご自身の生い立ちから、紙媒体・ラジオに対する想いまで話を伺いました。
(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦 取材日:2021年11月14日)
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第188回 エディター・ライター 渡辺祐氏【前半】
音楽業界で重宝された編集者という存在
──『宝島』というとイラストレーターにも面白い人がいっぱいいましたよね。
渡辺:そうですね。当時、湯村輝彦さんが「ヘタウマ」という言葉を生み出して、それに連なる人たちもたくさん出てきたので、そういったイラストレーターたちにはすごく助けられました。イラストレーターといっても、単に挿絵を描くという感覚じゃなくて、面白いことを書こうとしてくれるんですよね。
あと漫画とイラストレーションを境目なく手がけている人もたくさんいたので、漫画のページも担当していました。ただ誌面に限りがあるので6ページぐらいの漫画を毎月載せたりしていたんですが、今は『孤独のグルメ』で人気の久住昌之さんもそのときからの知り合いです。久住昌之さんは、泉晴紀さんと泉昌之というコンビでデビューしたばかりだったんですが、すぐに描いてもらいました。裏話としては、制作費が少ないですから、著名な漫画家さんには頼めないんですよ(笑)。
──(笑)。
渡辺:これもさっきのたけしさんの話と同じなんですが、やはり頼めないゾーンというのがあるんですよね。「この額じゃ絶対無理でしょ」みたいな。そうなると若手や新人で、『宝島』のことを面白がってくれる人と組んでいくというのが、ひとつのスタイルでした。
──常に新人を発掘していく。
渡辺:発掘というか、面白い人がどんどん出てくる感じですよね。「ここにいるじゃん、面白い人。この人メジャーなところでは全然見かけないけど、それもまたよし」みたいな感じでした。でも「やってみなけりゃわからない」というダメ元的な気持ちでお願いして、大友克洋さんや谷岡ヤスジさんにも書いてもらいましたね。
──結局『宝島』には何年いらっしゃったんですか?
渡辺:社員としては4年間しかいないんです。大学のときと同じで、社員としてはちょっと不適格な感じになってしまい(笑)、1985年末に辞めることになったんですが、のちに単行本になって流行る『VOW』の担当だけは続けてくれと編集長から頼まれました。そのときでも『宝島』編集部は5、6人でしたから、急に抜けられたら困るということだったんだと思います。で、フリーで『VOW』に関わって、トータル10年やりました。
──辞めた当時『VOW』以外のお仕事は何かあったんですか?
渡辺:急に辞めたので、他の仕事はなかったです。フリーと言うと格好いいですけど、もうフリーターに近いです(笑)。
──フリーランスではなくてフリーター(笑)。
渡辺:そう(笑)。仕方ないので色々な人の伝手で仕事を紹介してもらうことになるんですが、例えば、ある作家がいてその共通の担当編集者っているじゃないですか? その人に仕事をもらったりとかし始めて、多かったのはマガジンハウスや講談社の仕事でしたが、その他にも色々なところから少しずつお話をいただくようになりました。
──そこからはずっと第一線でご活躍されているのはすごいことだと思います。
渡辺:やはり『宝島』時代にインタビューとかを通じて、音楽関係の人にたくさんお会いしていたのが大きかったと思います。当時、音楽の媒体もレコードからCDに変わっていった時代で、そんな中でビジュアルも含めて「面白いもの」を打ち出していこうという機運があったんです。そういった状況で編集者はテキストの面倒も見られるし、撮影とかイラストとかビジュアル面のコーディネイトもできるので重宝されたんだと思うんです。もちろんデザイナーさんもいるんですが、デザイナーさんとはちょっと違う、格好良く言うとクリエイティブ・ディレクターみたいな立場としての編集者という存在が、音楽業界や映画業界からすごく買われた時期だったんですよね。
──なるほど。
渡辺:映画のパンフレットもすごく凝り始めたりね。世の中的にバブルだったのでお金も動いていましたし、編集的仕事の需要が単なる雑誌や書籍に収まらずツアーパンフレットや広報資料などに広がり始めたんです。ですからツアーパンフレットとか本当にたくさん作りました。
また近年は同時並行で走ってきたアーティストのみなさんが25周年、30周年、下手したら40周年を迎えて、そのヒストリーをまとめる仕事も出てきたんですよ。40周年記念で本を出しますとか。
──周年に何か作ろうとなったときに長年そばで見てくれていた渡辺さんに依頼しようと思いますよね。
渡辺:平時は何も作ってないみなさんも、「○周年だからこういうものを作りたい」となってきたときに、随分お仕事させていただいていて、もう“周年エディター”という感じなんですけどね(笑)。そういうジャンルがあっていいんじゃないかって思いますね。それは僕だけじゃなくて、僕の周りにいるスタッフも含めてなんですけどね。
──周年エディットって会社で言うと社史をまとめるみたいな感じですよね。
渡辺:そうなんですよ。社史編纂の専門家みたいな。例えば、ライターというか評論家的なポジションのみなさんだと、何歳になってもその知見を買われて「ここに書いてください」という場が向こうからやってくることも多いと思うんですが、編集的なスタンスだと、丸ごと1冊とか少なくとも何ページ単位で場を作れないと仕事にはなり辛い。正直な話、自分も含めてフリーランスの人たちは年齢とともに、時代ともに、少しずつ場の作り方が難しくなっていく現状はあると思います。
──でも、周年エディターにはその場が定期的に訪れると。
渡辺:周年で本を1冊出したり、ムックみたいものを作ったり、いつもは作っていないツアーパンフを今回は作りたいとか、そういうことが起きるんですよね。
──最近、手掛けたアーティストはどなたになりますか?
渡辺:僕だけではなく事務所(ドゥ・ザ・モンキー)の新旧スタッフも含めてですが、クレイジーケンバンド、鈴木雅之さん、矢野顕子さん、いとうせいこうさん、いま直近でやっているのはオリジナル・ラブ、それからスチャダラパーや松本隆先生の関連の本などもありますね。
──これから30年、40年を迎える人もいらっしゃいますでしょうしね。
渡辺:25周年で何かを作った人が30周年も作っていただければ、大変に助かるんですけどね(笑)。
──仕事がずっと続いているって、やはり渡辺さんが信頼されている証拠だと思います。
渡辺:いや、これは単純に長くやってきた、併走してきたということですね。事務所やレコード会社の方は、現役で稼働できて、しかもある程度のボリュームを持ってもらえるだろう、みたいなところで人選をすると思うんですが、僕たちはそのリストの中にまだ残れているということだと思います。
スペースシャワーTVの立ち上げに携わる
──渡辺さんの会社ドゥ・ザ・モンキーは、編集企画会社というイメージですか?
渡辺:基本的にはそうですね。ただ、うちの場合はほぼ全員がライター兼エディター、エディター兼ライターなので、ライティングだけでも仕事しますし、僕みたいに放送作家業的なことをやる場合もあります。過去には社員として採った人もいますが、基本的にはエージェント的な感じですね。
──エディターのプロダクションなんですね。
渡辺:プロダクションですね。ただエディターのプロダクションというのは、紙を広げたり打ち合わせをするスペースが必要だったので、そのための仕事場という感じですよね。本人たちは仕事を受けるも断るも、基本的には自分で決める。もちろん会社のみんなでやる仕事はありますが、会社から「お前はこれをやれ」というスタイルはあんまりとってこなかったです。
──親分が仕事をとってきて下に振るというスタイルではなかったということですね。
渡辺:はい。同時発生的に「これは全員でやろう」という仕事と、個人が頼まれてやる仕事あったという。ただ、お金の管理と場所の管理を会社がするというスタイルです。
──結局、渡辺さんは一度も就職的なことをされていないんですね。
渡辺:してないですね(笑)。そういう意味ではドゥ・ザ・モンキーも30年越えちゃったので。
──しかも転職もなさっていない。
渡辺:広い意味では。宝島社を辞めたときに一瞬そうなりましたけど、その後も同じ内容の仕事をやれていますから。
──もっと言えば、壁新聞、ミニコミ誌を趣味でやっているところから、スタイルが変わってない(笑)。
渡辺:(笑)。編集者もそうですが、基本的にずっと“ちょい裏方”なんです。僕の場合、調子に乗ってテレビに出たりラジオで喋ったりはしていますが、自分から何かものを作っているわけじゃなくて、何か作っている人の少し後ろにいて、それを世の中に出すという仕事は、紙でも電波でもずっと同じですよね。
──幅広くお仕事されていますが、その“ちょい裏方”というスタンスは一貫していると。
渡辺:そうですね。あと、音楽業界の仕事で大きかったのがスペースシャワーTVの立ち上げに関わったことです。『VOW』をやってちょっと名前が出たりしていた頃に、スペシャの立ち上げ準備をしていた中井猛さんのチームから呼び出されて「ケーブルテレビというのがあって、その中に音楽専門チャンネルを作る。面白そうでしょう?」「面白そうっすね」と。ちょうどよかったのは、僕がテレビやラジオの仕事は少しずつやっていましたので、番組のこともわかるし、台本のこともわかる。また、いわゆる広報資料とかいっぱい作っていかなくてはいけないけど、その編集もできる。なんだったら出演もするよね、みたいな(笑)。
──(笑)。
渡辺:多分そういう便利屋的な感じで呼び出されたんですよね。それでスペシャは立ち上がる前からずっと関わらせてもらって、立ち上がってからは自分の出る番組もありました。この間会長になった近藤さん(近藤正司氏)は当時、現場のプロデューサーとチーフみたいな立場で、本当にスタートラインからずっと一緒にやっていました。やっぱり立ち上げって何でも面白いんですよね。
──案納俊昭さんともお仕事をされていましたか?
渡辺:案納さんともずっと一緒にやっていました。案納さんがプロデューサーで僕が出演する番組とかやっていましたし、今はスペシャ自体にいらっしゃいませんけど、北岡一哲さんとかみんなでワイワイやっていました。また、その下の若手が面白かったんです。「どこから来たんだ、お前?」みたいな(笑)、テレビ制作の経験ゼロでやる気とセンスだけはあるみたいな奴らがいっぱいいて、本当に楽しかったですね。
補完し合う「紙の仕事」と「ラジオの仕事」
──ちなみにJ-WAVEの開局準備にも携わったりされたんですか?
渡辺:いや、開局準備には関わってないです。正確にいうとプレ番組の選曲や構成のお手伝いをしたのが最初です。喋るのは95年からですね。構成作家と選曲は引き続き別の番組で関わっていたので、そういう意味では裏と表を両方やったりしていたんですが、その後、1人しゃべりの枠をちょっとやって、2000年から金曜日の今はLiLiCoさんたちがやっている番組(「ALL GOOD FRIDAY」)の枠になぜか呼ばれて「ちゃんと喋りませんか?」みたいな話になり、2007年からは土曜の「RADIO DONUTS」という番組をやることになるので、合計すると20年以上喋っていますね。
──完全に話のプロですね。
渡辺:本当に謎ですよね(笑)。まあ週1回ですから、毎日喋っているナビゲーターさんとは全く立場が違います。もちろん編集の仕事もやっているので、編集の仕事と並行してできるちょうどいいペースという(笑)、こちらとしてもありがたい枠に居させていただいております。
──気分転換にもなりますよね。
渡辺:そうですね。土曜日ですし、ほかの仕事もその日に集中するということはあまりないので。
──「RADIO DONUTS」は土曜日の朝に車で出かけるときに大体聴いています。
渡辺:ありがとうございます。車でお子さんを送り迎えしているときとか、ご自身もゴルフに行くときに聴くとか、そういう方は本当に多いですし、ミュージシャンも結構聴いてくれています。バンドってワゴン1台にみんなで乗ってツアーに出たりするじゃないですか?土日にライブがあるバンドって、朝集合して地方へ車で移動するわけですが、ちょうど集合したときにJ-WAVEをつけると僕が出ているという(笑)。「祐さん、この間の放送、楽器車で聴きましたよ」みたいな人が結構いますね。
──渡辺さんはものすごくいいポジションでお仕事をされていますよね。基本的に裏方でありながら、チラリチラリと表に出ている人っていそうでいないじゃないですか。
渡辺:どうなんですかね。結局、編集の仕事から入っているということもあって、「これができません」ということがあまりないんですよね。例えば、お金の管理をしろと言われたら、それはそれでやらないといけませんし、印刷物に関しては印刷の物理的な知識みたいなこととかも必要だったりします。長くやっているせいもあって、確かにそういう積み上げがあるので「これは知りません」「これはできません」ということはあんまりないんです。もちろん上手くできるかどうかは別ですよ(笑)。成功するかどうかは別として「やれ」と言われれば「やります」的なところはあるので、そこが未だに調子に乗っている所以だと思います(笑)。
──いやいや(笑)。渡辺さんだったらどうにかしてくれるって、みなさん思うんじゃないですかね。柔軟に対応してくれると言いますか。
渡辺:例えば、DTPの時代になりイラストレーター、フォトショップが出てきて、僕自身は最初手が出ませんでしたけど、知り合いのデザイナーが使っていたのをちょっといじってみて「ああ、こういうものなのか。自分でやってみようかな」と思うタイプなんですよね。もちろん「手書きにこだわります」「原稿用紙でしか書きません」という物書きの皆さんもまだたくさんいらっしゃいますし、それはそれで別に否定するわけじゃないんですが、僕らの仕事はちょいちょいアップデートをしていくのが楽しかったりしますし、そこを面白がってきたかもしれませんね。
──渡辺さんご自身の今後の目標は何ですか?
渡辺:まずラジオで喋る仕事は続けられたらいいなと思っています。僕は紙媒体出身ですが、ラジオ最大のメリットって音楽をかけられるということじゃないですか? それからミュージシャンの生の声も聴かせられる。それはテレビでも同じように思ってしまいますが、ラジオの方が何曲もかけられます。関連する情報や知識もリアルに伝えやすい。紙でできなかったことがラジオでできて、ラジオの限界だったことが紙でやれればいいですよね。まあ今だったらウェブも含めてですが、とにかくその補完されている状況に身を置いておきたいんですよね。
──今の状況が渡辺さんにとっては理想的だと。
渡辺:ありがたいことに。あと紙媒体でちょっと気の利いた面白いものを作れたらと思いますね。この「気の利いた面白いもの」が、雑誌なのかムックなのか書籍なのか、あるいはパンフレット的なものやZINE(ジン)なのかは割とどうでもいいんですけどね。世の中の、皆さんが受け入れてくれるかどうか、わかってないだけかもしれませんが(笑)。
──形はどうであれ面白い紙媒体を作りたい?
渡辺:ええ。先ほども言いましたが紙の仕事もラジオの仕事と補完するような関係であるといいので、なるべく途切らせないようにしたいと思っています。「今はウェブだろ」って言われちゃうと確かにそうなんですが、紙ならではの良さは絶対にあるので。
例えば、『Musicman』みたいなデータ本は、どうしてもウェブの検索機能にかなわないのでウェブになるのはわかるんです。でも、そうではないものに関しては紙の「面白いね」という感覚をちょっと残しておくと、精神的にすごくいいと思うんですよね。
「好きこそものの上手なれ」を徹底すること
──最近の音楽に関してチェックされたりはしていますか?
渡辺:正直に言うと「今、これが流行っています」「これがトレンドです」という音楽に関しては、やっぱり遅れていますよ。わからないというか、ついていく時間と記憶力が今はないです(笑)。
──聴いてもあまりいいとは思えないこともありますか?
渡辺:それもあります。そういった年齢の限界は、みなさん誰でもあると思いますし、逆にそうじゃない方はうらやましいです。J-WAVEで言えば「TOKIO HOT 100」をやっているクリス・ペプラーさんは僕より2つ上ですけど、TOP100を語れる感性を常に持ち続けているわけですから、やはり人によるんだと思います。ただ、僕の場合はその限界に対して正直でありたいですし、だからこそ新しくてピンとくる音楽を探しているとも言えます。自分にもちゃんとわかる、けど新しいものを探しているというのが正直なところじゃないですかね。
──そういう音楽と出会えるとまた楽しくなりますよね。
渡辺:世界中を見ると、インディーズバンドとかは結構昔の音に回帰していると思いますし、ただそれが大ヒットするにはちょっと至らないだけなんですよね。世界では普通に60年代、70年代ぐらいのサウンドは未だに生き続けていますから。単にそれが見えてこないだけでね。
──ストリーミングで聴けるようになったら、古い曲も新しい曲も関係なく聴かれますしね。
渡辺:一つ面白い話をすると、今アメリカのビルボードも日本のビルボードも、チャートにストリーミングやSNSの数値を導入するようになっていて、去年のクリスマスチャートを見ると、半分以上が古い曲なんです。ポール・アンカとか入っちゃうような。
──ビング・クロスビーとか?
渡辺:ビング・クロスビーはTOP10には入ってなかったですが、1位がマライア・キャリーのクリスマスソングなんです。つまり現代の曲を全部押しのけて、その週だけは半分以上クリスマス・スタンダードが入ってくる。これってストリーミングやSNSの数値を入れたからなんですよね。セールスだけだったらそれはないわけですから。そういった新しいチャートで古い曲が掘り起こされるということが起きていて、これってすごく面白いことだなと思っているんです。
──新譜の価値というのがなくなってきた?
渡辺:クリスマスという大イベントの前では、ということですね。「今誰が何を聴いているか」ということを純粋に調べていったら、古い曲が勝っちゃうというのが、アメリカのクリスマスチャートの結果なんです。
──ちょっと注目してみます。
渡辺:是非。今年1月初めのチャートを見ていただくとそのシーズンを反映しているので。ブワーッとクリスマスソングが並んで、しかもみんな相当古い(笑)。60年代の曲ばかりですよ。それってみんなラジオで聴いていいと思っていたり、Spotifyでも聴いて、家のクリスマスパーティでも流してとやっているから、自然と数値が上がっちゃうんでしょうね。
──クリスマスって60年代とかの音の方がなんか温かい気持になりますよね。
渡辺:いい曲も多いですからね。結局見えていないところで60年代、70年代、80年代の音が実はずっと鳴っているんですよね。
──最後になりますが、音楽業界で仕事をしている若い人たちに何かアドバイスはありますか?
渡辺:ポップスやロック、ソウルとかって歴史が長すぎて、多分いっぺんに全部を理解するのって難しいじゃないですか? 例えるなら高校時代の世界史の授業で「ビザンチン帝国って何?」みたいな感じに、音楽もなってきていると思うんですよ。
──教科書が分厚すぎる。
渡辺:そう、分厚すぎるから、自分の趣味に合う音楽が鳴っている場所や、鳴らしているDJとか番組をとにかく1個でも2個でも見つけて、まずはそこからしっかり掘るという作業をして欲しいなと思います。いっぺんにやろうとするとまず無理ですから(笑)。
──付け焼刃でいきなり世界史みたいなことにならないように。
渡辺:僕ですら追いつけないところはいっぱいあるわけじゃないですか? 若い頃にあまり聴いてなかったものとか、ウェブのおかげでアクセスできるようになりましたから。まずは「好きこそものの上手なれ」を徹底するのがすごく大事だと思います。あとは何しろ「やってみないとわからない」ですね。