アジアのエンタテイメントの拠点を目指して 〜 羽田スタジオ OPEN記念 インタビュー (株)芝浦スタジオ 代表取締役 川浪貞治氏 同社 羽田スタジオ マネージャー 北川明秀氏

インタビュー スペシャルインタビュー

左から:川浪貞治氏、北川明秀氏
左から:川浪貞治氏、北川明秀氏

 国内最大クラスのリハーサルスタジオを擁し、老舗として業界からの信頼も厚い芝浦スタジオが、芝浦、世田谷に続く3つ目の拠点として、4月1日に正式OPENさせた「羽田スタジオ」。約363m²の国内最大のサウンドスタジオを1階部分に擁し、2階部分にはダンス、ミュージカル、芝居向けの2スタジオをほこる羽田スタジオは、エンタテインメント全般を射程に入れたスタジオとなっている。また、羽田という立地から世界との接点ともなりえる可能性を秘めている。今回は羽田スタジオの正式OPENを記念して、同社 代表取締役 川浪貞治氏とスタジオマネージャー 北川明秀氏に話を伺った。

矢印(赤) 羽田スタジオ:http://haneda-st.com/
矢印(赤) 芝浦スタジオ:http://shiba-st.com/
矢印(赤) 世田谷スタジオ:http://www.ss-st.com/

[2012年3月8日 / 大田区東糀谷 羽田スタジオにて]

川浪 貞治(かわなみ・さだはる)
株式会社芝浦スタジオ 代表取締役社長


1960年北九州市生まれ(A型)。中学生の頃からZEPPELINなどのコピーバンドを結成。
1978年地元L-motion(YAMAHA)などバンドコンテストで上位入賞し、プロを目指し上京。同期にルースターズ等。
1985年欧州放浪の旅を経て、某スタジオに勤務。
1987年芝浦インクスティックなどウォーターフロントに湧く頃、「芝浦スタジオ」を創業。
2001年世田谷区若林に「世田谷スタジオ」をオープン。
2012年4月「羽田スタジオ」開設。 *少年サッカーの指導者を務める傍ら、公式審判員でもある。

 

北川 明秀(きたがわ・あきひで)
株式会社芝浦スタジオ 羽田スタジオマネージャー


1981年 静岡県生まれ(A型)。野球少年から一転、高校からコピーバンドを結成。
2000年 日本工学院八王子専門学校 コンサートイベント科 入学。音響を学ぶ。
2002年 芝浦スタジオの音響部(現S-cube Sound)にアルバイトで入社。
2006年 世田谷stマネージャー、2009年 芝浦stマネージャーとして、マネジメントや営業を経験。
2012年 1月より現職に至る。

 

——羽田スタジオのオープンおめでとうございます。芝浦、世田谷に続き、さらに大規模なスタジオだそうですね。

川浪:ありがとうございます。25年前に芝浦スタジオを作った頃は、日本では日本武道館が最高のコンサート会場だと言われていて、まだドーム球場もなかったですし、広い場所というと、つま恋などの野外が最大級ものでした。それが日本中にドーム球場ができてドームツアーができるような時代を迎え、芝浦スタジオがそういったステージの規模にマッチしなくなっていたんですね。

——大きくなっていくライブの規模に対して対応できていないという実感は、その当時からすでにあったんですね。

川浪:ええ。ステージサイズも違いますし、どんどん大仕掛けになっていって、コンサート自体が昔みたいに楽器を並べるだけではない、総合エンタテインメントになってきました。その流れは誰にも止められないですよね。ですから4月1日にオープンする羽田スタジオは、音楽だけでなく、舞台やミュージカル、番組収録・撮影など、新時代のエンタテインメントショーに対応するためのスタジオとして立ち上げました。

——羽田スタジオは日本では初めての規模のリハーサルスタジオになるんでしょうか?

川浪:完全防音のスタジオとしては日本で初めてだと思います。一番大きな1st.は約363㎡(220畳)ですね。

——スタジオ自体はいつ完成したんですか?

川浪:完成したのは昨年の12月末ですが、11月に某大物アーティストが年末ライブ用のリハ場所に困っている。と耳にして、「お役に立てるならば!」とエレベーターの工事中にリハーサルが始まったんです。それがスタートですね。本番が神戸と横浜だったはずです。工事でご迷惑もおかけしましたが、アリーナと同じサイズでリハができました。

——12月末から3月末まではプレオープンとしてテストされていたわけですが、ずいぶん長いテスト期間ですね。

川浪:長いですが、つい先日もエレベーターが動いている時だけノイズがのるということがあって、その原因を究明して対処したりということもあったばかりです。

——やはり、やってみると色々な問題が出てくるものですか?

川浪:出てきますね。1st.は非常にエコなスタジオで、全てLEDなんですよ。実はこれまでも芝浦スタジオでオールLEDに何度かチャレンジしていたんですが、失敗していたんです。

——それはどういった理由からでしょうか?

川浪:イヤーモニターは無線で飛んでいるので、無線間にLEDの出す高周波がのるんですよ。スタジオにいる時間も長いですし、音が鳴ってない時間も長いですよね。コンサート本番ではあまり関係ないんですが、リバーサルでは会話している間もモスキート音のようなものが鳴っているんですよ。それを解決するために色んなメーカーに相談に行ったんですが、うちが一度に買える金額も限られてくるので、なかなか乗り気になってもらえなかったんです。

 もともとLEDというのは全部直流なんですよ。DCで明かりが点いているんですね。それを交流の電源に差し込んでも使えるようにAC/DCコンバーターが入っているんですが、それがノイズの原因になることはわかっていたので、それを外して出荷してほしいと頼んだんですが、国内メーカーも中国のメーカーもアフター保証ができないし、生産ラインも変えられないから無理だということで暗礁に乗り上げてしまいました。最終的には台湾のメーカーが受けてくれて、それでこちらは配線を全部直流で出す工事を1st.でやりました。交流を直流にするドライブ回路はオリジナルで、秋葉原でパーツを買ってきて「直流はあまり引き回せないのでケーブルは何メートルが限界」とか調べながら、設計図を書きました。

——そこまでやられたんですね。LEDを使うことでトータルの電気代もずいぶん安くなるんでしょうか?

川浪:まだ始まったばかりなのでなんとも言えないですが、理論値では相当下がると思います。10分の1くらいになるんじゃないですかね。一番ネックだったのは広い空間の空調だったんですが、通常の電球よりも放熱が少ないLEDを使うことでエアコン効率をかなり上げられるところがエコなんじゃないかなと思います。

 

芝浦スタジオ 代表取締役 川浪貞治氏

——羽田スタジオの話が持ち上がったのはいつ頃ですか?

川浪:構想だけで5年くらいかかっていますね。場所を探すのに時間がかかってしまいました。

——場所が決まったのはいつ頃ですか?

川浪:2010年の夏ですね。

——東日本大震災が起きたときにはどのくらいまで進んでいたんですか?

川浪:まだ着工はしていなかったですね。

——東日本大震災が起きた時点では、工事も未着工で、構想も固まっていなかったわけですよね。それでも羽田スタジオをOPENさせるに至ったわけですが、そこに迷いはなかったんですか?

川浪:もちろん躊躇はありましたよね。景気が見えなくなったのが一番怖かったです。やっぱりエンタテインメント・ビジネスですから「震災でもしビジネスが成り立たなくなったら…」と考えました。ただ、阪神大震災後の経済回復を参考にして考えた結果「いけるんじゃないか」と思って、それで私はGOサインを出したんです。ところがその後に原発の情報とかが色々入ってきて…それは私も想定外でした。原発事故さえなかったら「みんなで復興しよう」とより一致団結できたじゃないですか。アーティストもそういったことにパワーをかけますし、「逆にチャリティーなどのコンサートが増えて、この羽田スタジオによって、何かお手伝いできるんじゃないか?」という気持ちも持っていましたが…。 しかしながら「これだけの物件は、5年かかっても出会えなかったんだから」と考えました。

——結果的によく踏み切れましたよね。

川浪:あれだけの大きな揺れの中でこの古い建物を残してくれたんだから、神様が「お前、やれ」ってことなのかなと(笑)。

——(笑)。実際に着工し始めたのが?

川浪:2011年の6月からですね。本当は10月くらいにはオープンさせたかったんですよ。年末にかけてイベントも多いですしね。でも色々とスタートも遅れましたし、台風が来たり、諸問題をクリアするにも時間がかかりました。

——先ほどオールLEDの話が出ましたが、他に羽田スタジオにはどんなアイデアが詰まっているのですか?

川浪:面白いのは2Fのダンスルームの床が動くことですね。芝浦スタジオがコンクリートの倉庫の中に作ったスタジオ故に、床がハードなんですよ。そのハードな床でずっと踊り続けると膝が痛いというダンサーさんたちの声を聞いていたので、決して芝浦スタジオがダンスに向いていないというわけではないんですが、羽田スタジオではもう少しクッション性の良い床材でということで、防振ゴムを色々敷いて、コンパネを敷いて、プロのダンサーを呼んで、踊ってもらって、どこが踊りやすかったか徹底的に検証して作っていったんです。

——羽田スタジオはダンサーに優しい床になっているんですね。

川浪:そうですね。仕上がって、最後のワックス。これも滑りやグリップに案配の良いワックスを探そうと、またダンサーを呼んで、何度も繰り返しチェックしました。

——羽田スタジオには25年ものの間に蓄積されたノウハウも生かされているんでしょうか。

川浪:ダンサー部分に関してのノウハウがなかったので大変でした。その分野に今回初めて出て行きますから。

——今まではその手の仕事はあまり来てなかったんですか?

川浪:来ていましたが、例えば、AKB48にしても歌がメインですからね。今度はダンスメインの人が入ってくると言うことですね。ただ、ダンスに主眼を置くと今度は音とぶつかり合ってしまう部分もあるので(笑)、なかなか難しいですよね。

——約6ヶ月かかって竣工となったわけですが、テストランを始めてみていかがですか?

株式会社芝浦スタジオ 羽田スタジオ マネージャー 北川明秀氏

北川:お客様の声を聞く中では、日を重ねるごとにこの羽田スタジオの可能性を感じますね。

——いけると(笑)。

北川:そうですね(笑)。例えば、現在1stにはトランポリンが持ち込まれているんですが、(元マッスルミュージカル)今まではそういったオーダーに答えられるって私のキャリアの中ではなかったんですよ。それがこのスタジオでは実現されるのを目の当たりにしますと、「これはいけるな」と思いますね。このスタジオを「サウンドスタジオ」ではなく「エンタテインメント・スタジオ」と付けた意味はここにあるなと思います。

——クライアントの守備範囲としては、音楽、ダンス、ミュージカル、演劇などになるんでしょうか。

川浪:そうですね。この間はステージ後ろにあるLEDメーカーさんの展示会をやったんですよ。いつもは東京ビックサイトや幕張メッセでやっているらしいんですが、相当費用がかかりますし、演出をしたいんだけど制約があったり、PAさんを入れて機材を借りたりしなくてはいけないんですが、我々はPAシステムを常設していますから「どうぞ」と。

——なるほど。そういった企業の展示会などにも使えるんですね。そうなるとクライアントも広がりますね。

川浪:そうですね。その企業さんから「このスタジオは品川駅と羽田空港から同じ距離で来られる」と言われたんですよ。
——確かにそうですね。海外アーティストの使用なんかも多そうですね。

川浪:そうですね。ウドーさんには早い段階で声をかけて頂きました。ここは一般の方を呼ぶには少し不便な場所ですが、特化している人たちを呼ぶのであったら、比較的良い立地かもしれないと思いました。また、海外の学会のセミナー会場というお話もありまして、先方は羽田空港からすぐの場所を探していたんですが、ホテルだとそこまで人数が入らないと。それで1,000人くらい入る場所が欲しいと探してらっしゃったので、「うちなら入りますよ」とご提案しました。

——これだけのスペースですと結婚式だろうが披露宴だろうが何でもできますよね。

川浪:そうですね。断りましたけど、「クラブとして夜貸してくれ」とか色々なお話を頂きますね。

 

芝浦スタジオ 代表取締役 川浪貞治氏

——ここで少し川浪さんご自身のキャリアについてお話を伺いたいのですが、芝浦スタジオを開業される前は何をなさっていたんですか?

川浪:私はミュージシャンでギターを弾いていました。20歳くらいからやっていて、レコーディングに呼ばれたりしていたんですけど、レコードが出たら名前は載っているのに、絶対私のテイクじゃないんですよ(笑)。黙って差し替えられたりしているんですよね(笑)。

——それは傷つきますね(笑)。

川浪:(笑)。割と長かったのは羽賀研二くんのバックバンドで、彼がいいとも青年隊からソロになったときに、そのバックバンドをしていました。だからテレビなんかもカラオケで弾き真似して。

——80年代前半くらいですね。それからスタジオを作るまでの経緯はどのようなものだったのですか?

川浪:レコーディングに行くとものすごく上手いミュージシャンに会うじゃないですか。そんな人に会うと、「俺、何十時間練習してもここまでいかねえな」と(笑)。身の程を知っていくわけですよ。

 それで私がヘタクソなギター弾いているときにレコーディングスタジオにも行っていたんですけど、とにかくどこも立派なわけです。それがリハーサルスタジオになるとガクンとグレードが落ちるんです。ケーブルも断線しかかったものを出されるし、テーブルタップといってもアースもとれないような延長コードを出されたり。レコーディングスタジオでは考えられないじゃないですか。だから「この差はなんなんだろう」と思っていたんです。

——元々はミュージシャンとして、レコーディングスタジオもリハーサルスタジオも、ユーザーの立場で、レコスタとリハスタとの間の格差に気づいたというわけですね。

川浪:ボロいと言ったら語弊があるんですが、ミュージシャンのことなんか考えてないようなスタジオしかなかったですよ。それで嫌な思いをいっぱいしています。

——そうすると、芝浦スタジオの原点はミュージシャンの視点から作られているということですね。

川浪:もちろんそうです。当時はバリアフリーなんて言葉はなかったんですが、私が目指したのは「どうやって車からスタジオまで段差なしで楽に(スタジオへ)楽器を入れられるのか?」ということでした。

——でも、1ミュージシャンとしては、芝浦スタジオを開業するというのは非常に大きなプロジェクトだったと思うのですが。

川浪:芝浦スタジオは最初4部屋でしかスタートできなかったですよ。それが限界でした。家賃から逆算するとその半分でもいい。たまたま貸し主が「1フロアの半分に写真スタジオがあるから、残り半分を全部借りてくれるならいいよ」って言うので、そうなったんですよ(笑)。

——それがおいくつのときだったんですか?

川浪:26歳です。

——そんなに若かったんですか(笑)。

川浪:当時結婚したい女性がいたんです。ミュージシャンという仕事は大好きだったんですが、このギャラじゃ絶対結婚できないと思ったんですね (笑)。

——結婚が動機だったんですね。

川浪:そうですね。それから自分の所有するストラトキャスターから、レスポールから、宝物のようなギターにすずらんテープで紐をかけて、売ることはできなかったんですが、「絶対スタジオで成功するまでギター弾かない」と押し入れに封印しました。置いていたら弾きたくなっちゃうし、スタジオを持っていると音も出せますしね(笑)。

——スタジオがスタートしてからはいかがでしたか?

川浪:最初はミュージシャン仲間の友だちしか来てくれないんですよ。宣伝が行き届いてなくて、爆風スランプも同じ世代で仲が良かったから事務所の人に言って使ってもらっていました。もちろん一日誰も来ない日もありましたし、スタッフも3人しかいなかったので、ずっとスタジオで寝泊まりしていました。

——やはり、そんな時代もあったんですね…。

川浪:私は門司(北九州市)の旅館の息子なので、板場にいた親父の職人的な厳しさとお客さんとのクッション役をやる女将のお袋の姿を見ていたこともあって、芝浦スタジオを始めたときに、やっぱりまずは“おもてなし”だと思いました。

——接客業であると。

川浪:もちろんそうです。サービス業であり接客業で、自分はエンジニアだ、手に職があると威張った瞬間に仕事がこなくなると思います。

——リピーターこそ命ですよね。

川浪:そうですね。お客さんが「良いスタジオだ」と思って帰っていくか、不満を持って帰っていくかの差がものすごく大きいということを新入社員教育でもしょっちゅう言っていますし、それしかないですよね。

 あと、芝浦スタジオを作るときは立地の不安はありましたね。当時は野犬が歩いているような僻地でしたから。周囲のみんなは「そんな場所に作るのはやめろ」と大反対したんですが、そのとき「ここは絶対に良くなってくる、変わってくる」という勘があったんですよ。実際には六本木から30分くらいで行けちゃいますし、芝浦ってそんな悪い場所じゃない。今は栄えてないからみんな来ないだけだと思っていました。

 今回の羽田スタジオのときにも、汚い倉庫を見たときに「ここはやめましょう」と全社員が言うんですよ。「こんなところにお客さん来ないですよ」なんて言われて(笑)。でも、羽田スタジオはいずれ上海、北京、ソウル、香港の中でも一番いいスタジオだと言われるようになる、10年20年したらアジア圏の核になると言って、全社員を説得して合意を得ました。社員の中で一人でも反対する人がいたらやめるくらいの気持ちでしたよ。社員を説得できないようでは、お客さんを説得することなんて絶対できないと思いましたから。

——最後に今後の目標を聞かせてください。

川浪:この羽田スタジオがアジアの拠点となり、日本のアーティストがここから羽ばたいていき、逆に韓国だけでなく中国やインドといった国々からも出てくるであろう様々な需要にきちんとイニシアチブをとって対応し、エンタテインメントの軸になって欲しいと思います。

北川:羽田スタジオの価値を実証してくださるのはお客様だと思いますので、この価値を是非体験していただいて、本番がいいものになるように、万全の準備をこの羽田スタジオでしてもらえたらと思っています。

——本日は貴重なお話をありがとうございました。羽田スタジオを始め、川浪さん、北川さんの益々のご活躍をお祈りしております。


HANEDA ENTERTAINMENT STUDIO

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羽田スタジオ
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