第0回 エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社 代表取締役 屋代卓也/株式会社マグネット 代表取締役 山浦正彦

インタビュー リレーインタビュー

屋代卓也、山浦正彦
屋代卓也、山浦正彦

Musicman’sリレースタートにあたり

2000年1月下旬より“Musicman’sリレー”というコーナーを開始します。これは音楽業界を代表する「ミュージックマン」の方々にご登場いただき、これまで余り知られていなかったプロフィールなどを語っていただき、それぞれのお立場から様々なお話を伺って、業界の皆さんに楽しくその人となりをご紹介していこうというものです。ご登場いただいた方に次の方をご指名いただくというリレー方式で進行してまいりますが、今回は前説として弊誌の発行人である、私たち屋代・山浦の2人がこの本の誕生のきっかけなどについて話し、前座をつとめさせていただきます。同時に、いつも大変お世話になりながら、なかなかお目にかかることの出来ない皆様に、この場を借りて自己紹介を兼ねたご挨拶をさせていただくことといたしました。

写真左:屋代卓也(Takuya YASHIRO)
エフ・ビー・コミュニケーションズ(株) 代表取締役

1956年生まれ、魚座、O型。60年代後半からのロックムーブメントの洗礼をモロに受けたせいで?都内某高校在学中に某プロダクションにてローディー(当時はバンドボーイと呼ばれていた)の仕事を始めた根っからの働き者。その後、某アニメプロデューサーの元での書生生活(正しくはカバン持ち)等を経て85年3月スタジオサムホエアを開業。自称たたき上げ。90年6月に「The Professional Recording Guide(現Musicman)」創刊。趣味は夏はマリンスポーツ全般(ここ数年はウェイクボードにはまっている)冬はski(キャリア約40年。ストックが竹、スキー靴が革製紐靴だったころから滑っている。世界中の有名ski場を制覇するのが夢)。その他、オートバイ、ジェットski等スピードの出るものが大好き。音楽はガラにもなくメロウな音楽が好き。現在、スタジオサムホエア(目黒区祐天寺)とサウンドアトリエ(世田谷区代田)の2つのスタジオを経営している。


写真右:山浦正彦(Masahiko YAMAURA)
(株)マグネット 代表取締役

1947年福岡県久留米市生まれ。山口大学工学部卒。ビクター入社するもすぐに創設のワーナーパイオニア(株)洋楽部に転籍、花の70年代を最高の洋楽で明け暮れた結果、ヒッピー化が高じて77年にdrop out。78年、早々とパンク化して戻り、六本木に「S-KENスタジオ」を創設、「東京ロッカーズ」と名乗って活動。84年マグネットスタジオ開設。80年代をスタジオ業に専念した結果、90年代は音楽に関して「何でも自分でやってみる」気になり、マネージメント、音楽制作、PV制作、出版の他、「Musicman」をエフ・ビー・コミュニケーションズと共同制作、また、バイオスフィア/マグネット・レコードとインディーズ・レーベルを立ち上げた。手掛けたアーティストはZabadak、Hi-Posi、種ともこ、P-Model等。今年は期待の新人、林 邦洋を加えた。


 

屋代:そもそも私と山浦氏はそれぞれがレコーディングスタジオ(小さな)の経営者という立場で出会いました。当時私はスタジオビジネスを始めて4年程過ぎたころでしたが、友達が少なかったせいかもしれませんが、正直にいって自分のいる音楽業界というものがどうもよくわからなくて…。断片的な情報はあっても全体的・体系的にまとまった情報というものは見あたりませんでした。特に制作の現場に関する情報は意外にも少なかったのです。ちょうど3348を導入して出来るだけ多くの人にスタジオを知ってもらいたいと思っていた時期でしたが、そんなころ山浦氏と出会いました。彼も同じような気持ちを持っていて、とにかくわかり易いガイドブックみたいなものはないのか?誰か作ってくれないかな…等と話し合ううちに互いに意気投合し「よ〜し、こうなったら自分の欲しいもんは自分で作ってやろうじゃないか〜」という実にシンプルかつ無謀なことになったわけです。当時私には、出版に関する知識はほとんど皆無でしたが「まあなんとかなるだろう」といたって前向き(安易?)に考えていました。しかし、いざやってみるとこれがまた想像した以上の各種の困難が待ち受けていました…。で、とにかくやっとの思いで完成したのが1990年に発行された第1号でした。今見ると中身がスカスカなのを何とか立派に見せようとミョーに紙が厚かったりなんかして、非常に粗末でお恥ずかしい限りです。
 第1号完成直後には資金も完全に底をついていて、郵送する料金が惜しくてレコード会社等には自社の楽器車に本をのせて自分達で配って歩いていました。(これは3〜4号まで続きましたが…)。その時は「もう二度とやるもんか。まっぴらゴメンだ。これが最初で最後だ。」と本気で心に誓っていました。しかし時間の経過とともに、わずかながらではありましたが激励の言葉と、途中の段階では全く相手にもしてくれず協力してくれなかった人たちの中にも「こういう本だったら次号からは喜んで協力しよう!」等と言ってくれる人も現れ、ついその気になってしまい、その勢いのまま続く第2号を無我夢中で制作、完成させました。これは1号目に比べれば随分と進歩したとは思いますが内容的にはまだ全然範囲が狭いものでした。その後第3号を作るころになり「もっと音楽業界に幅広く必要とされるものを作るべきだ」ということで、それまでの「The Professional Recording Guide」という誌名を何か他のもっとピッタリな名前に変更しようということになりました。

山浦:僕は元々レコード会社に10年近くいて、業界の中心はレコード会社、プロモーション・メディアを含めての音楽業界という認識がしみついていて、それからスタジオ業を10年もやると、制作の現場、ミュージシャン、エンジニア、プロデューサーなど、個人の世界が見えてきて、プロダクション業もやり出すとコンサート業界なる世界も見えてきた。で、いろんなポジショニングで人が動いていて、必要な情報もいろんなベクトルがある。その誰にとっても便利で役に立つ本を作ってみんなに提供するってのが理想でした。要は仕事上自分が知りたい情報、全部が一冊まとまっていると便利だな、と。それは絶対これからの業界にはあった方がいいだろうと信じて必死でレコード会社を始めとする音楽業界各所に幅広く説明して廻ったわけです。しかし、それだけの内容にしようとすると、「スタジオ・ガイド」なんて名前のものじゃ全然ない!その時、突然思い出したのが、ワーナーの上司だった折田さんからいつも聞かされていたアトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンの話と、彼の自伝書のタイトル「Musicman」。折田さんの弟子の中の出来損ないを自認する僕でも、その言葉が「音楽を真に愛し、その音楽を創り広める仕事を生き甲斐とする人間」を意味していることだけは、はっきりわかっていました。そうだ!僕たちが本当に作りたい本のタイトルは、絶対、この言葉以外には考えられない。折田さんから教わっていたスピリットそのもの…。そして「Musicman」というタイトルは第3号の赤い表紙にそのまま貼り付いてしまったのです。

屋代・山浦:あれから毎年版を重ね、少しずつ内容を拡大しながら昨年7月には第10号目の発行にこぎつけました。その間、様々な紆余曲折を経ながら音楽業界の変遷を記録してきました。そしてふと気がついてみると世の中にはインターネットという実に便利そうなものがいつの間にか登場しており、色々と使い方を模索した結果、従来の年刊誌というスタイルでは物理的に不可能だった日々の情報発信・受信を可能にする超便利な道具だということに気がつきました。
それがこのMusicman-NETの発想です。そしてこのサイトをMusicman同様、皆様にとって有意義かつ面白いものに育てていけたらと思います。このトークリレーの企画もそのうちのひとつですが、今後しばらくは書籍とインターネットの2本立てで皆様のお役に立つよう努力していくつもりです。
 それにしてもこの10年間で音楽業界も大きく様変わりし、時の流れの早さには今更ながら驚かされます。業界内への無料配本というのもいつまで続けられるのかわかりませんが、出来る限り頑張って参りますので皆様今後ともご支援を宜しくお願いします。
 …と、何とかまとまったたところでMusicman’sリレーの第一回目はこの本の名付け親(?)でもあられる現(株)ポリドール代表取締役社長・折田育造氏に登場していただきます。氏のおそるべき博識ぶりを皆様お楽しみに!では。

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