音楽という「ドキュメンタリー」を撮り続ける男 〜写真家・三浦憲治インタビュー

インタビュー フォーカス

三浦憲治氏
三浦憲治氏

ロックカメラマンの草分けとして、洋楽黄金時代にキャリアをスタートさせた写真家・三浦憲治さんはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、サンタナなど来日アーティストのステージ、オフの風景などを撮り、アーティストのリアルな姿を伝えてきました。その後、ユーミンを皮切りにYMO、サディスティック・ミカ・バンド、井上陽水、ユニコーン(奥田民生)、福山雅治、そして忌野清志郎など、邦楽アーティストの写真も数多く手掛けられ、今もステージ最前列で走り回っています。「俺は報道カメラマンに近い」と自己分析するパワフルな三浦さんに話を伺いました。

(インタビュー・山浦正彦、文・Kenji Naganawa)
2015年12月14日 掲載

 

  1. 「ステージの一番前に行けるぞ!」レッド・ツェッペリン来日をきっかけに音楽カメラマンへ
  2. ライブを撮りに行けるだけで十分だった
  3. 邦楽アーティストを撮るきっかけはユーミン「私も外タレみたいに撮って」
  4. 音楽性よりは人間性を撮っている〜YMO、清志郎、奥田民生、福山雅治 etc.
  5. 新しいことにミーハーだから〜デジタルの葛藤と克服
  6. カメラマン 三浦憲治の生命線は「ライブ撮影」

 

「ステージの一番前に行けるぞ!」レッド・ツェッペリン来日をきっかけに音楽カメラマンへ

——三浦さんはどちらのお生まれですか?

三浦:広島出身で、高校卒業するまでいました。卒業後はとりあえず好きなことをしたいし、広島を離れたいなと思っていて、高校では写真部だったから「写真ってどうなのかな?」と。だけど、広島じゃカメラマンになるにはどうしたらいいか全く情報がなくてね。親が「大学だったら行かせてやる」って言うから「写真の大学なんてあるのかな?」って調べたら、日本大学芸術学部と東京写真短期大学しかなくて、推薦で東京写真短期大学に入って。

——大学に入学された頃は学生運動真っ盛りの時期ですよね。

三浦:そう。大学が潰れるんじゃないか? とか、めちゃくちゃな時代。「俺は何しに東京へ来たんだっけ?」みたいな感じだった。周りは学生運動で盛り上がっているし、どうすればいいんだろうと思って、周りの先輩たちに相談したら「カメラマンになって意味あるのか?」なんて言われるじゃない?(笑) 俺自身も大学の授業を受けて「なんか違うな」って思っていたし、誰かの弟子になって鍛えてもらった方がいいんじゃないかなと思ってね。

それで撮影スタジオで夜、時給100円とか200円でアルバイトをし始めたんですが、そこに篠山紀信さんとか立木義浩さんのような著名なカメラマンが撮影に来ていて、彼らの周りをちょろちょろしているアシスタントを見て、「あれになればいいんじゃないかな」って思ってね(笑)。ちなみに立木さんの最初の弟子が長濱治さんなんですが、立木さんの他のアシスタントたちがみんな学校の先輩だったの。そうしたら先輩から「暇なら手伝いに来い」って言われて、アシスタントのアシスタントみたいなことをやるようになってね。

それで半年くらいそういうことをやった後に、長濱さんに「アシスタントにして下さい」って言ったら、「今、何やっているんだ」って聞かれて「学生です」って答えたら、「学校に戻れ」って(笑)。でも学校に籍あるかわからないしね(笑)。

結局21歳くらいでアシスタントにしてもらったんですが、長濱さんが『平凡パンチ』のロンドン特集とかで取材に行ったときにレコードを買ってきて、事務所で「ロンドンではこれが流行っているんだよ」ってT.REXとかを聴かせてくれて、「こういうバンドがいるんだ」って。レッド・ツェッペリンは高校時代に聴いていたけど「音楽って変わってきているんだな」ってそのとき思ったね。デヴィッド・ボウイは、鋤田正義さんが撮った渋谷公会堂のライブ写真をアシスタントのときに見ていたね。

——カメラマンにも色々な方向性があると思うんですが、三浦さんの周りにはミュージシャンを撮影するようなカメラマンが多かったんですか?

三浦:いや、そんなことはないです。長濱さんは平凡出版(現マガジンハウス)とかでファッション写真を撮っていて、音楽は二の次だったかな。だけど、音楽カメラマンがいない時代だから、シカゴの来日のときとかは「横で撮れ」って言われてね。レコードとか雑誌じゃなくて実際に現場に行けたのは大きかったですよ。ちょうどその頃にツェッペリンが初来日して、「どうしても行きたい」と相談したら、「『平凡出版』って腕章していれば入れる」と言われて「やったー!」と(笑)。

——(笑)。

三浦:そうしたら「カメラ持って行け」って言われて。もう聴くことしか考えてなかったから「やった!一番前に行けるぞ!」とカメラをかついでいって、レンズ2本で撮ったんですよ。それを平凡パンチ編集部の吉田弘さんが見て「三浦、こういうの好きなのか?」って聞くから、「好きなんですよ」って言ったら、平凡パンチのモノクロページの小さいスペースのために、グランド・ファンク・レイルロードとか来日アーティストの写真とかを撮るようになったの。アシスタントをやりながらね。

——平凡出版に出入りしていたんですね。

三浦:そう、長濱さんの周辺でけっこうやっていたから、石川次郎さんとか吉田弘さんとかにあごで使われてね。それであっちこっちで写真撮って。

——当時から自然体で仕事をしていましたよね。

三浦:好きなことしかしてないからね。そのあとヤマハで出していたPR誌の音楽ページをやるようになってね。最初は長濱さんに来た話だと思うんだけどね。それで『箱根アフロディーテ』にピンク・フロイドが来るから行って、そのへんからどっぷり音楽の仕事に入って行ったね。井出情児とかカメラマン仲間も活躍し始めた頃だったんだけど、俺はグループとかあんまり好きじゃなかったから単独で動いていた。『箱根アフロディーテ』以降も外タレのラッシュがあって、いいアーティストがいっぱい来日するから、そういうときによく呼ばれて撮っていたね。

 

ライブを撮りに行けるだけで十分だった

——三浦さんはどこの現場にもいましたよね(笑)。

三浦:そう?(笑) 麻布十番に住んでいたんだけど、六本木が近いじゃないですか? 当時は音楽の中心が六本木界隈にあって、みんなうろうろしていたんですよ。ライブハウスは渋谷とかにあるけど、レコード会社に拾ってもらうことが多かったからね。

——知名度と一緒にギャラも上がっていったんじゃないですか?

三浦:うーん、お金にはあんまり興味なくて、撮りに行けることが楽しかったんだよね。腕章1個で一番前で観られるわけだから、それで十分だろって思っていた。

——ツアーも結構回っていたじゃないですか? そうするとミュージシャンとの交流も増えたんじゃないですか?

三浦:いやぁ、外タレに関しては、まず言葉分からないからさ。ただ、寺林晃さん(当時ウドー音楽事務所)とかから「ドゥービーの連中が『明日京都に行きたい』って言うからお前連れて行ってやれ」って言われて、連れていったりしましたけどね。あと、スージー・クアトロとかポール・サイモンとかとも京都へ行ったし。

1976 Doobie Brothers

1976 Doobie Brothers

——大物アーティストだと周りのスタッフも緊張しているじゃないですか。でも、三浦さんはいつもニコニコしていた印象なんですよ。

三浦:言葉わからないし、とりあえず笑っておいて面倒ごとには関わらないようにしていただけですよ(笑)。

——いやいや(笑)。でも楽しく写真を撮っている雰囲気がありました。オフショットとか緊張させちゃったらやっぱりダメじゃないですか?

三浦:だから3分から5分でパパっと撮るんだけど、その早さがだんだん体に染みついてくるんだよね。「ミュージック・ライフ」の長谷部宏さんとかを横で見ながら、「ああやれば早く撮れるんだ」って思いながら写真を撮っていたね。

あの頃のカメラマンってスポーツ紙がメインじゃない? ああいう人たちが一塁側のタッグアウトからでっかい望遠レンズで撮っている中、俺はちっちゃいカメラで走り回ってね(笑)。スポーツ紙のカメラマンたちの中に入っていると「こういうときはこういうレンズで撮るんだよ」って色々教えてくれるんだよね。逆にライブのときは「おい、若いの。誰がメインなんだ? 誰がボーカルなんだ?」って聞いてくる(笑)。

——いい話ですねえ(笑)。

三浦:こっちは誰が誰だかも曲も全部わかっているから。予備知識は全部入っているじゃない? レコード聴き倒してきているから。

——そうするとステージも撮りやすいですよね。ここでソロに入るとかわかっているでしょうから。

三浦:そう。でもライブを観て始めて知ったことも多いよ。「ジミー・ペイジのギターはなんであんな音がするんだろう?」って思っていたら、バイオリンの弦で弾いているのをライブ観て初めて知ったりね。

——観るのに夢中になっちゃいそうですね(笑)。

三浦:ツェッペリンを撮ったときはフィルム6本くらいだったものね。「これしか撮ってないのか!」って言われて(笑)。でも、それが通っていた時代だったんですよ。

——音楽を知っていて撮るのと、知らないで撮るのとではひと味もふた味も違いますよね。

三浦:好きなミュージシャンを写真に撮れるんだから、これは向いているなと思った(笑)。それでそのうちお金もらえるじゃない? こういう仕事もあるんだなって思いましたね。

——三浦さんはロックカメラマンのはしりの一人ですよね。

三浦:そんなこと言ったら、ちゃんとしたロックカメラマンに怒られると思うんだけど…(笑)。

——最初に確立したのは長谷部宏さんだとしたら、それに続いたのは三浦さんだったと思いますよ。

三浦:井出情児からも結構影響を受けたもんね。井出情児はフィルムも撮っていたしね。あとヒロ伊藤とかね。ヒロ伊藤は俺の同級生なのよ。俺がアシスタントを辞めてニューヨークへ遊びに行こうというときに、ヒロ伊藤は向こうで音楽とは全然関係ない写真を撮っていたんだけど、「お前英語できるから通訳でついてきてくれ」ってサンタナのマネージャーに会いに行ったら、あいつの方が仲良くなって、それで向こうの連中とやりだしたものね。

——昔は今ほどアーティストのガードも堅くなかったから、気軽に写真を撮らせてくれましたよね。

三浦:うん、ゆるかった。それがQUEENのあたりからだんだん厳しくなってきたかな。それでもQUEENは相当撮らせてくれたと思う。「名古屋に行こう」って言うから「なんで?」って聞いたら「相撲取りと一緒に撮れるから」だって(笑)。外タレが来ると「どこに行きたい?」とかそういう話が出てくるじゃないですか。向こうも勉強してくるから、ダリル・ホール&ジョン・オーツのときなんて、京都の東山にある骨董屋に行きたいっていうから連れて行ったら、そこの親父が英語でペラペラ説明して、感銘を受けて2〜300万円する屏風を買っていたものね。あの頃は毎週誰かしら撮っていたから想い出はたくさんありますよ。

 

邦楽アーティストを撮るきっかけはユーミン「私も外タレみたいに撮って」

写真家 三浦憲治氏

——その後、三浦さんは日本のミュージシャンも撮影し始めますね。

三浦:それも偶然なんだけど、長濱さんの義理の弟がユーミンの初代マネージャーで、事務所にちょこちょこ遊びにきて「外タレばっかりじゃなくて、うちの荒井由実も撮ってよ」と。それで紀伊国屋ホールに撮りに行ったら、ユーミン本人からも「私も外タレみたいに撮って」と言われて(笑)。

——やっぱり「外タレを撮っていた」というのは箔が付くんですかね(笑)。三浦さんはびっくりするようなミュージシャンたちの写真を撮っていますから。

三浦憲治 松任谷由実 三浦憲治 松任谷由実

三浦:ユーミンは洋楽志向じゃない? あの時代の人たちはみんなそうだから、コミュニケーションは取りやすかったよね。「今度誰々来るよね」とかそういう話ができたから。

——では、最初に撮った日本人アーティストはユーミンだったんですね。

三浦:多分そうだと思う。その後、ユーミンからデザイナーの信藤三雄を紹介され、「ジャケットを作るから写真撮ってよ」と言われ、「ダイアモンドダストが消えぬまに」から「TEARS AND REASONS」まで、毎回新しい撮影方法をチョット考えながら続けていました。ライブ撮影とツアーパンフレットも並行して撮っていたので面白かった!

——それまでにものすごく場数を踏んできていたと。

三浦:うん。おのずと鍛えられてきているよね。撮影の時間が3分しかない。それで4ページ作るってときにどうするか? とかね。カメラ持ってじっくり考え込む余裕なんてないし、俺はアーティストじゃないからね。どちらかと言うと報道カメラマンに近いと思う。音楽って時代と共に変わっていくから、ある意味ドキュメンタリーじゃないですか? そういうのを横で撮れることがずっと面白いなと思ってきたからね。別に「俺の写真はこれなんだ!」という思い入れも自分の写真にはないもの。次々変わっていくしね。

——アート作品を撮っているつもりではなかったと。

三浦:全然なかった。その日のあがりを渡すだけだし、俺の写真をこう使えとか、自分で言っていたら、それは仕事じゃないだろうと思っていた。あくまでも仕事であって、俺が王様なんじゃないんだからね。みんながセッティングしてくれて、ヘアメイクもいるし、デザイナーもいるし、レコード会社の人もいて、それで俺がシャッターを押して形になるんだから、三浦憲治一人の作品じゃないという想いはずっとあったね。

——レコードジャケットとかは多くのスタッフが関わってでき上がっていますからね。

三浦:ミュージシャンの意向もすごく影響するしね。ライブは自分で勝手に撮るけど、そういうのとスタジオと両方やれたのは大きかったかな。外タレのステージ写真しか撮れなかったのが、日本のアーティストとスタジオで色々作っていくようになってね。外タレで嬉しかったのは、セックス・ピストルズのジョン・ライドン、そのときはP.I.Lだったけど、彼を新宿の雑踏で撮ったことだね。それはジョン・ライドンのマネージャーが「日本でのライブをリリースするんだけど、ジャケット写真はどこで撮るのがいい?」って言うから「新宿」って言ってね。そうしたら、ちゃんとジャケットに使ってくれたもんね。あれ以降、日本のミュージシャンからも「あのジョン・ライドンの感じで」とかリクエストされることもあるんだけど、あれは外人だから良かったんだよね(笑)。やっぱり外人は絵になるから。ライブも外タレのときは苦労しなかった。

——日本人はあまり画にならない?

三浦:うーん、若い世代はね。一生懸命なのは重々分かるんだけど…でも、ユーミンから上の世代は洋楽がわかっているから意思の疎通が楽だし、やっぱり細野晴臣さんとか見ているだけで面白いものね。音楽と顔が一致するというかね。写真を撮っていてもYMOのときと今は顔つきが全然違うし、本当にすごいと思うよ。

——YMOを撮るきっかけは何だったんですか?

三浦:最初撮り出したのは「GORO」かな? ワールド・ツアーへ行くから、「GORO」で写真集を作ろうかってなってね。一番尖っている頃のあの3人プラス、横に矢野顕子とか、あの雰囲気を間近で見られたのは本当に良かったね。あとはやっぱり忌野清志郎かな。意外と清志郎を撮り出したのは遅かったんですよ。

三浦憲治 YMO 三浦憲治 YMO

——それこそ井出情児さんが撮っていましたよね。

三浦:そうそう。RCサクセションの頃は、なかなか会えずタイマーズをやり始めた頃に、安齋肇とLIVEだけでPVを作りましたよ。細野晴臣、忌野清志郎と坂本冬美の三人でやったHIS「日本の人」のジャケットも撮ってます。やっぱり、忌野清志郎で印象深いのは、武道館LIVE「完全復活」です。あとは加藤和彦さん。彼は家が近かったから「憲治、今何やっているの? ちょっと来て写真撮ってよ」と呼ばれるのよ。あの人はやっぱりオシャレ。ミュージシャンでこんなにオシャレになれるんだと思いました。それで音楽もオシャレじゃない?

——最期までスタイリッシュで。

三浦:ねえ。だから、そういう姿を横で見られて良かったな。

——あと三浦さんというとユニコーンとの繋がりが深いですよね。

三浦:そうね。奥田民生が50歳になるなんて聞くと、「エーッ!」ってなるね(笑)。ユニコーン時代から、25〜30年付き合っているんだと思うとね。まあ、撮って25年とかいっぱいいるんだけど(笑)。

——(笑)。

三浦:藤井フミヤ、25年。「エッ、そんなに付き合いがあったんだ」と(笑)。この間「三浦憲治が一番長いんだ」と言われたからね(笑)。

 

音楽性よりは人間性を撮っている〜YMO、清志郎、奥田民生、福山雅治 etc.

——三浦さんはずっと時代の先端を歩んでいる感じがありますよね。

三浦:常に1個横にずれつつね(笑)。あと、音楽関係以外の仕事、例えば「花椿」とかそういう仕事もやっていたからね。さっき話したことと矛盾しちゃうかもしれないけど、今、日本人を撮るのは面白いよ。外タレのときは普通にしゃべれないじゃない?

——日本人アーティストはコミュニケーションが取りやすいから面白い?

三浦:うん。奥田民生と「イエーイ」なんて言い合って、その「イエーイ」だけで大体状況が分かるじゃないですか?(笑) そういうコミュニケーションが日本人はできるから楽しいよね。ユーミンとか奥田民生、福山雅治とか、その人の音楽性よりは人間性を撮っているのかなと思います。

三浦憲治 奥田民生

——なるほど。

三浦:あと、俺は矢沢永吉と同い年で、キャロルの最後のアルバムも撮っているんですよ。だから、今も「三浦!」とか言われるんだけど、すると周りが「なんだろうな、あのジジイ」って(笑)。その同い年の永ちゃんは今でも武道館で走り回っている。でも、その8才上のミック・ジャガーがワールド・ツアーをやっている。そういうのはすごい刺激になりますよ。あと、最近CDを買って聴き返しているのがニール・ヤングなんです。今頃になって「ニール・ヤング良いよな」と言い出したら、周りが「何を言っているんだ今更」って感じなんだけどね(笑)。

三浦憲治 キャロル

——(笑)。

三浦:やっぱりすごいなと思う。よく考えたらニール・ヤングも2〜3回撮っているけど、そのときは「汚いジジイだな」と思って見ていたよね(笑)。この前、クロスビー、スティルス&ナッシュが来日したじゃないですか。周りからは「あれ、三浦さん行かないの?」と聞かれて、「ニール・ヤングがいれば行くけど」って答えたんだけど、再結成ってあまり好きじゃないんですよね。イメージ壊れるじゃないですか。「なんだデブじゃん」という感じで(笑)。

——自分のことはさておき(笑)。

三浦:そうそう(笑)。何か、イメージ壊れるじゃないですか。ポール・マッカートニーもチケットあるよと言われたけれど、「いや、オレはどちらかというとジョン・レノンだしな」とか(笑)。そういうこだわりをどこかで作っておかないと、もうこの歳だから、そんなにライブには行けないし、自分で思い入れがあるから観るというか、そういう心持ちは必要だと思う。でも、外タレあっての三浦憲治という気持ちがずっとあるから、どのアーティストにも感謝しています。

——やはり洋楽の黄金時代を肌で知っているのが三浦さんの強みですよね。

三浦:洋楽黄金時代、いい響きだねえ。それを、本人は気づいていなかったんだけどね(笑)。後で言われて「ああそうだったのか」って。レコード会社に撮った写真を持って行くと、「これ新譜」と言われて色々渡されたじゃない? そういうのをたくさん聴いて勉強したし、話題の新譜をちょっとでも聴いてなかったら、周りからすぐに「何だお前、聴いてないの?」とボロクソ言われてね。

あと、カメラマンとして面白かったのがLPサイズのジャケット。あれはすごく勉強になりました。信藤三雄と「LPのジャケットで音楽と写真・デザインが一緒になれた」とよく言っていたんですよ。レコードのジャケットには一番刺激を受けたよね。

——CDになってそのインパクトはなくなっちゃいましたよね。

三浦:ジャケットが小さくなっちゃったからね。LPからCDに変わったときに、ちょうど信藤三雄と仕事をしていたんだよね。

——信藤さんはCDの人ってイメージがありますよね。

三浦:そうかもね。でも、最初に一緒にやったのがユーミンの「ダイアモンドダストが消えぬまに」でまだそのときはレコードだった。それでCDの時代に入ったときに信藤三雄が「困る」というわけ。「三浦さんCDどうしようか」と。そんなこと言われてもさ(笑)。

——みんな困ったんでしょうね(笑)。

三浦:困った、困った(笑)。しかもシングルは縦長の短冊形だったじゃない? それを見て「えー、どうするのオレ」と思ったものね(笑)。どうやって写真撮ろうかと。それまで、6×6のカメラで撮っていたけど、それがいきなり縦に長いんだからさ。デザイナーはお手上げだったもんね。「字だけで良いんじゃないのか」とか言う始末で、だから、CD初期に印象に残るジャケットってほとんどないんだよね。

 

新しいことにミーハーだから〜デジタルの葛藤と克服

写真家 三浦憲治氏

——ちなみにカメラがフィルムからデジタルになったときはどうでした?

三浦:全然ダメでした。周りの音楽関係の人に言われたのは「デジタルを使わないと仕事が来ない」と。なぜかと聞いたら、もうフィルム代を払っている場合じゃないと。それはそうだろうなと思ったよね。

——アナログレコードがCDになったときと同じように、時代に逆らえないところはありますよね。

三浦:そう。それを乗り越えるしかないんですよ。

——でも、今のデジタルカメラは画素数上がったし、ずいぶん良くなりましたよね。

三浦:なによりタイムラグが無くなってきたから良かった。最初の頃はタイムラグがすごくダメで、ライブのときのキメが全然撮れなかったんですよ。すごくずれちゃって。

——そこってライブ撮影では生命線ですよね。

三浦:だから、すごく下手くそだったもんね。「反射神経が鈍ったかな?」と思ったけど、周りに訊いたらタイムラグだと分かったんですよ。それで、カメラのレベルがどんどん上がって行きましたね。だから、感度上げても全然平気というか。

——今は逆にやりやすくなりましたか?

三浦:うん。カメラの中の操作がだんだん分かりだしたしね。年寄りだから全く覚える気なかったんだけど(笑)。今まではライブ中に感度を上げるフィルムにチェンジしていたのが、カメラ内で全部できる。そういうのは本当に楽になりました。たまに「三浦は何歳まで撮るの?」なんて聞かれるけど、まだ諸先輩がガンガン撮っているし、周りのスタッフにちゃんと生き残っている人たちがいるじゃないですか。

——井出情児も撮っているしね。

三浦:情児も2つ上だからね。やっぱり彼の影響大だよ。情児はフィルムの世界とかムービーの世界で凄い人だと思いますよ。

——今も走り回って撮っていますからね。

三浦:「オレらいつまで生きるんだっけ?」って感じだよね(笑)。「生きているうちに会おうな」と言っているから。今の60代と昔の60代とは違うじゃない? 自分たちが30代のときに60といったら社長とかで、絶対信用できなかったよね(笑)。それが、自分たちがそうなったときに、まだいけるだろうと(笑)。別に健康に気を遣っているわけじゃないんだけど、技術の進歩でカメラ機材も軽くなったし、例えばズーム・レンズとか 昔は全然信じられなかったから、レンズを3本持っていかなきゃいけなかったのが、今は1本で済むし、そういうメカニックな部分にもずいぶん助けられているよね。

——新しい機材も使いこなしていますね。

三浦:そういう新しい事が好きだから。新しいことにミーハーだから。

——音楽を追いかけてきている人はみんなそういう面がありますよね。

三浦:絶対にある。知らずにアンテナを張っているというか。面白いじゃない? あと新しい技術ってあっという間に浸透するからね。CDが出てきたときも「LPはまだ残るだろう」とか言っていたら、2〜3年で一気に変わったでしょう? やっぱりカメラもそうだったんだよね。最初はみんなボロクソ言っていたけどさ。

——人間、便利さには弱いんですよね(笑)。

三浦:それで生き残っているんだよ、絶対(笑)。機材の進歩はすごいね。ムービーの人たちはもっと凄いみたい。これ(iPhone)でもムービー撮れるじゃない? もうiPhoneで全部済む時代。だから時代に逆行することもしたいなと思って、友達4人で六本木に小さなギャラリーを持って、例えば、印画紙に和紙みたいな紙を使ってプリントしたり、好きなことをやっているんです。

 

カメラマン 三浦憲治の生命線は「ライブ撮影」

写真家 三浦憲治氏

——デジタルも便利ですけど、アナログの時代を思い出すと「やっぱり良いよな」となりますよね。

三浦:そう。昔の写真は粒子が見えたじゃない? あれがいいんだよね。デジタルだと見えないからね。とはいえデジタル便利だからね。一番楽なのが、デジタルは絶対に写るんだよ。それで1枚写っていれば、後は直せるだろうと(笑)。

——(笑)。

三浦:今は「(露出)オーバーにするな」って言われているからね。オーバーにしたら像が消えて使えないけど、アンダーに敷けば後で出せると。

——そういう知恵もつけてもらって。

三浦:そう、いい加減になってくる。ライティングがすごくおろそかになってくる。昔はいっぱいストロボを使ってやるじゃない。それが、全然やらなくても後で直せる。ストロボは台数少なくても、光量なくても、直せるから大丈夫ですと。そうか、イージーだなと思うよ(笑)。あと、最近のカメラは画素数がすごいから、ドーンと撮って一部分を使う。トリミングでね。モニターを横に置いて確認しながら写真を撮るから、露出計もいらないし、「便利になったよね〜」と話をしながら撮っているんですよ(笑)。

——三浦さんの柔軟な姿勢があれば、生涯現役ですね。

三浦:どうなんだろうね。あとはしっかり音楽を聴かないと、と思うよ。面白い音楽をどんどん吸収してね。それで極力ライブへ行って、生の音を聴いて、光の変化や客の反応を直に感じながらシャッターを押すと。ボケ防止にも良さそうだしね(笑)。今はフィルムを気にせずにシャッターを押しまくれるからいいよね。昔だったら「三浦憲治は撮りすぎる」と怒られるけど、今は「え? オレが選ぶんだ」みたいな(笑)。

——撮りすぎて選ぶのが大変(笑)。

三浦:同じような感じの写真がすごくいっぱい出てくる。だから、選んでいると寝ちゃうんだよね。

——寝ちゃう(笑)。

三浦:ジジイだよなあ…と思います(笑)。皆からは「三浦さんすごくたくさん撮っていますね」とか言われて、「いやあ、ボケ防止だよ」と。モニターを確認して「顔きれいに写っているな」と思っても、この前後でダメな顔っていっぱいある。自分で良いなと思っても、やっぱりズレがある。フィルム時代はフィルムチェンジしないといけないから、どこか真面目に「ここで決めないといけないんだな」と瞬時にやっていたけど、今はいくらでも撮れるんだから、私はバンバン押してしまいますけどね。それで、「俺がこう撮るから、お前らは全身を引きで撮っておいてくれ」と、そういう指示をスタッフに出すんですよ。

——スタッフを使って撮ることは多いんですか?

三浦:うん。私のチームは2人いるけど、「お前はここから撮れ」とか指示出して、どんどん撮らせる。みんなトランシーバーを付けていて、それで指示をするんだけど、私が耳にイヤホンをしていると、ユーミンが「競馬中継を聞いているの?」って(笑)。この前なんか別の奴に「補聴器?」とか言われて、「補聴器じゃないんだ、これは! 補聴器でこんなライブに来るわけないだろう!」と言ってやりましたよ(笑)。見た目はジジイだから、やっぱりそう見られているのかとガックリきたね。多分言ったのは…奥田民生の一派だと思う(笑)。

——(笑)。最後になりますが、三浦さんはいくつまで写真を撮り続けたいですか?

三浦: 70歳過ぎまでライブは撮れると思います。だから、ライブを撮れなくなったら三浦憲治も引退を考えても良いのかなと。やっぱり、ちょっとしたところで躓くとか多くなってくるじゃないですか? そういうときにジジイだなと思う。足を上げてないんだなと寂しくなる。

——運動はされていないんですか?

三浦:全然。まあ、ライブを撮るのも運動じゃないですか(笑)。夏フェスを乗り切ったものね。ワールド・ハピネスとか。福山なんて日産スタジアムですよ。キツかったです(笑)。

——炎天下ですからキツイですよね…。

三浦:キツイキツイ。普通でもキツイんだから(笑)。それを乗り切ったから、私はまだまだやれると思っているんですよ。

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