レズリー・ウェスト追悼、70年代のアメリカン・ハード・ロックを牽引したマウンテンのベスト・アルバム「トップ・オブ・マウンテン」本日発売

アーティスト

マウンテン

2020年12月に75歳で亡くなったレズリー・ウェストを追悼して、彼がギターとリード・ヴォーカルを務めたバンド、マウンテンの歴史を網羅したベスト・アルバム「トップ・オブ・マウンテン」が本日発売された。

クリームのプロデューサー、フェリックス・パパラルディ制作によるレズリー・ウェストの1969年発表のソロ・アルバムがきっかけとなりマウンテンが始動。ウッドストックへの出演を果たしそのパフォーマンスが話題を呼び、第2のクリームと称されるようになった。豪放なヴォーカルが魅力な一方、ピッキング・ハーモニクス、バイオリン奏法、メロディアスなソロなどレズリーの繊細なプレイに影響受けたギタリストは多く、エディ・ヴァン・ヘイレン、マイケル・シェンカー、エース・フレーリー、ランディ・ローズらの名前が上がる。

人気を確かなものにしつつも、レズリーとフェリックスの音楽性の違いが浮き彫りになるつれ、解散、再結成が続いた。今作は、「ミシシッピー・クイーン」「ナンタケット・スレイライド」といった代表曲に加え、伝説的なライヴやこのベスト用の新曲2曲などを年代順にまとめた全34曲収録のCD2枚組で、2021年デジタル・リマスター、BSCD2での発売となる。

レズリー・ウェストによる解説(’95年発売時)より一部抜粋

マウンテンは、ニューヨーク州クイーンズ生まれのガキに、それまで想像もしていなかったほどたくさんの国や都市を訪れる機会を与えてくれた。ザ・フーに招かれて「フーズ・ネクスト」のセッションに参加することもできた。未発表のヴァージョンは間もなく公開されるはずで、また、ポール・ロジャースやイアン・ハンター、ミック・ジャガーといった素晴らしいミュージシャンたちと録音した曲が僕らの次のアルバムに収められる予定だ。マウンテンのメンバーだったことで僕は、ジミ・ヘンドリックスと演奏することができたし、最近ではビリー・ジョエルの「リヴァー・オブ・ドリームス」にも参加している。

こういったことはすべて、フォレストヒルズ・ハイスクールでズル休みばかりしていたころは、想像もできなかったこと。そう、ラモーンズの連中と同じ学校だが、追い出されたのは僕のほうが早かった。このアルバムに収められた曲は、いい曲も、悪い曲も、僕らの声明のようなもの。ヘンドリックスやクリームとほぼ同じ時代のもので、こんなことをやるバンドはほとんどいなかった。これほど楽しく取り組めたことはないし、これからも経験することはないだろう。だから、楽しんで聴いてほしい。そして忘れないでほしい。君の妻がダナ・キャランのような人でなかったら、衣装選びは任せないほうがいい。

フェリックスと電話で話した日よりも前に、僕はマウンテンというバンドをスタートさせていた。その前はニューヨークのローカル・バンド、ザ・ヴァグランツにいて、フェリックスはシングルをプロデュースしてくれた。そして、聴くべき曲もないのに、わすが2週間でアルバムをプロデュースすることになったのだ。ちょうど彼がクリームの最後のアルバム「グッバイ・クリーム」をプロデュースしていたころで、僕らは次に備える必要があったけれど、まったくの力不足! フェリックスは「このバンドは解散したほうがいい。そしてなにか手応えをつかんだら、電話してくるんだ」といってくれた。そして、彼がロンドから戻った2週間後、電話をかけた。どうやってコンタクトをとったかって? 当時の僕のマネージャーは、ゲイリー・カーファーストとシェリー・フィンケル。ゲイリーは、アニー・レノックスやラモーンズ、トーキング・ヘッズ、B-52sを手がけていて、シェリーは、エヴァンダー・ホリーフィールドや何人かのボクサーを扱っていた。そして僕らは、ブラッド、スウェット&ティアーズの前座をやることに。マウンテンはまだ無名だったけれど、僕はよく知られていた。場所は、ロングアイランドのストーニーブルック大学。地元では僕はビートルズのような存在だったから、前座はいやだったんだけどね。フェリックスのパートナー、バド・プラガーは、ジョリヴァー・アーカンソーというどうにもならないバンドをマネージメントしていた。それで僕は、ゲイリーとシェリーに、「彼らにたっぷり金を払って、僕らとBSTの前座に雇ってくれ」といったんだ。案の定、フェリックスとバドは彼らのバンドと、そして僕らを観にくることになった。この作戦が功を奏して、フェリックスはスタジオに来てくれたのだが、やっぱり、バンドは気にいらなかった。バドは「フェリックス、君がベースを弾いてやれよ」といってくれた。そのあと、ドラマーを親友のコーキー・レイングに替えて、僕らは走りはじめた。フェリックスはまるで「歩く古着屋」だったけれど、大好きだったよ。

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