音叉点──音楽と●●の交差点 第十四回ゲスト:『いい湯だな!in別府』ディレクター・増田ダイスケ

インタビュー 音叉点

河野太輔(写真左)増田ダイスケ(写真右)

「音叉点(おんさてん)」とは「1.音楽と●●が交差するところ 2.チューニングされるきっかけ」を意味する言葉である。ライブハウスでは日々沢山の音楽が鳴り、音と音が混ざり合い音色となるように、人と人が出会うことで新しい物語が始まっている。

この対談ではそんなライブハウスの一つ、渋谷La.mamaでブッキングを主として物語を紡ぐ河野太輔が、音楽に関わるゲストと毎回異なるテーマを切り口に相手との「音叉点=チューニングされるきっかけ」を見つけていく。河野とゲストの会話で、誌面がまるでライブハウスのように広がりを持っていく過程をお見せしよう。

第十四回のゲストは、2023年10月28日に大分県・別府で初開催されたおんせん都市型音楽祭『いい湯だな!』でディレクターを務め、DJやZINE『サテツマガジン』の発行、バンド・とがるのマネジメントチーム、そして演劇のディレクションまで「クリエイティブで面白くする」を得意とする。そして普段は事業開発コンサルタント、クリエイティブディレクターをしている増田ダイスケさん。

一つのテーマの元に雑多な情報が存在することの面白さを、雑誌から発見した増田さん。初回にもかかわらずソールドアウトで大成功に終えた『いい湯だな!』にも、その自由度は一貫していた。『いい湯だな!』を目前に控えたこの日の対談テーマは「フェス」。しかし内容は、音楽に様々な関わり方をすることになった経緯から若者の「飛び込み営業」の話まで多岐に渡った。

取材日:2023年10月7日 場所:Jazz Bar La Cuji  取材・文:柴田真希 撮影:加藤春日

プロフィール

河野 太輔(かわの・だいすけ)


1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mama に入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。


増田ダイスケ(ますだ・だいすけ)


1980年9月21日生まれ。(9月21日はリアム・ギャラガーと同日)茨城県出身。学生時代からDJ、クラブイベントの主催をつとめ、卒業後は出版、広告業界でクリエイティブディレクターとして勤務。そこから派生する案件、出会った人たちを巻き込みながら様々な企画ごとを行っている。現在は福岡の銀行系コンサルファームで新規事業コンサルタントをしている。

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雑多な中から遊び方をキュレーションする楽しさを、学生に知って欲しい

増田ダイスケ(以下:増田):ここLa Cujiは僕が副店長的な立場でいるんですけど、友達のバンドマンとレコーディングが終わったばかりの音源を聴いたり、買ったばかりのレコードを友人達と聴いたり、待ち合わせ場所だったりと、溜まり場みたいな場所です。

河野太輔(以下:河野):今は福岡にお住まいなんですよね。ご出身は?

増田:実家は茨城ですが、昨年まではこのあたりに住んでました。友達がいたのと、空いた時間に美術館や寄席、映画館に簡単に行けるアクセスの良さが気に入ってました。ここのマスターは親みたいに接してくれていて、具合悪くなった時も助けてくれたりしています(笑)。

河野:かかりつけ医みたい(笑)根津駅、初めて来ました。この辺り、下町の雰囲気があっていいですね。

増田:観光客もすごく多いです。コロナ前は夕方に寄席に行って、落語を聞きながら企画書を書くのが大好きだったんですけど、コロナ禍はそれもできなくなったので、実家の茨城に帰っていました。

河野:コロナ禍は茨城で、何をしてたんですか?

増田:ちょうど転職が決まっていて、コロナ禍で正式入社が延期になっていました。ちょうど、やることないのでは?と思っていた時期だったんですけど、ウェビナープラットフォームを運営するSaaSのサービスの会社から連絡をもらったんです。ありとあらゆる業種、官公庁、企業から展示会や説明会をオンラインに切り替える相談が来るから、営業企画をしてくれないか、と。演劇のディレクターもやっていたので、彼らがどうやるかを覚えておけば、演劇の配信にも活かせそうだな、と思って引き受けたんです。それでフリーランスのような生活が始まりました。

河野:仕事の幅が広いですよね。

増田:その前はXR体験を通して、バーチャル空間や実空間、オンライン活動の価値をどう体験してもらえるか、という企画を考える仕事をやっていたり、バンドをやっていた時期もありました。今は本業で企業のブランディング、UXデザインを作ったり、最近だとサウナの体験価値のリデザインなどもやっているので、そういうことを考えるのが好きで、今回のフェス『いい湯だな!』でも「街中をどうやって歩いたら楽しいか」も含めて情報設計しています。建築家やUXデザイナーの専門家に入ってもらってるんですよ。そういうところまできちんと企画をして設計するという概念がフェス業界ではあまり一般的ではない気がしていて、だったら僕たちは広告や建築のプロがメンバーにいるし、やってみたいなと。

河野:面白いですね。

増田:そういったことに挑戦しています。ゲストハウスSUNLINE BEPPUのステージは部屋からも温泉からも近くて、深夜まで良質な音楽が聴ける。こんな最高なフェスは他にないですよね。

河野:別府ならでは、ですね。

増田:そうなんです。でも実は僕の構想では、別府というよりも、「どこかでできないかな」と考えているくらいでした。元々はイギリスのDJイベント・Boiler Roomのオルタナバンド版をやりたくて。それでちゃんと逃げ場があって、バーカウンターと別でフロアがある場所を探していたら、偶然「あった!」という街が別府でした。街中が商店街だからインフラは整っているし、旅行に来るならホテルもあって、SUNLINE BEPPUにも泊まれる。温泉にいればそれが休憩時間になる。

河野:温泉はいいですよね!それに、大分県内の中高生が無料だということに一番興味を惹かれました。このアイデアは最初からあったんですか?

増田:ありました。企業に協賛していただいて、大人が何かカルチャーを若者に伝えられる人が伝えるためにお金を出してくれていることをやりたくて。東京初期衝動というバンドが「奢りライブ」という企画をしているのを見て、いいな、と思ったのがきっかけですね。学生無料のライブをした後に、「お布施回収ライブ」という、大人がチケット代を払って入場するライブをやるんです。「アーティストにはちゃんとギャラを出す」という概念を若い子達に知ってもらうためにも、無料だけど大人がその分を払ってサポートしてくれている。文化は無料じゃないほうがいいなって思って…。

河野:僕も2022年からLa.mamaで「10代無料」という取り組みをしているんですが、それは「遊びの場=学びの場」であるライブハウスに足を運んでほしい、という想いでやっています。増田さんはどうして学生無料にしようと思ったんですか。

増田:雑多な中から遊び方をキュレーションする楽しさを学生に知って欲しくて。僕がこの世で一番好きな雑誌『XD MAGAZINE』の最新号の特集テーマ「遊び」なんですけど、今回の僕らのフェスと近い考え方でした。「こうしたら簡単にまとめられそう」という枠にはハマらず、その日、その場所の空気の中で、自由に、確かめることのできるラインナップが揃った音楽フェスをやりたいと言うのが僕と一緒に企画している深川の共通の思いで。ちなみに『XD MAGAZINE』は編集長に「学生に見せるためにバックナンバーを全部貸して欲しいです」と連絡したら、無償提供してくださったので、当日もらえます。

photo by yu suenaga (オフィシャル提供)

 

全国区のアーティストをお誘いしたい!

──今回フェスを開催されるまでの経緯を、改めて聞きたいです。noteを拝読して、一緒に企画された深川さんは別府のレコードバー「the HELL」の方なんですね。

増田:転職して最初、大分に引っ越してから、大分市内のセレクトショップに服を買いに行った時に教えてもらったのが、the HELLでした。お店にDJセットもあると言うことで、DJもやってたので、連絡してみたんですよね。それで会社の同僚たちとみんなで遊びに行ったのが仲良くなったきっかけです。

河野:知り合ってからフェスの開催までの期間はどのくらいですか?

増田:1年です。

河野:短いですね!

増田:そうですね。どうやら話を聞いていると、深川くんはAkanekoという屋号で、老舗旅館でKan Sanoのライブを企画したりしてたんですよね。それがうまく行ったから、次は山小屋でUQiYOのライブをやって、その次が由布院のアルテジオという現代美術館でBLU-SWINGです。それは台風で中止になってしまったんですけどね。いつの間にかいろんなイベンターとかが深川くんのお店に飲みに来るようになったらしく、今年はAlice Phoebe Louまで来たんですよ。だから僕らも一緒に何かやるなら変わった場所がいいね、と話していて、最初は酒蔵でレイブをやる予定でした。そしたら今年の2月くらいに「10月28日で、会場は3会場です」と連絡があって、いつの間にかフェスになっていた(笑)。

河野:ではラインナップは二人で決められたんですか?

増田:そうですね。深川とそれぞれ出てほしい人たちを出し合って、少しずつ決めていきました。

河野:お二人が好きなそれぞれの色が出ているなと思いますが、何か共通の基準はあったのでしょうか?

増田:絶対条件として「全国区で活躍するアーティストを地元の学生に見てほしい。それで地元から外に出る可能性って人生を知って欲しい」と決めてました。

河野:なるほど。

増田:自分の周りで活躍するかっこいいバンドを見ていると、例えばとがるや、くだらない1日、Subway Daydream、aldo van eyckなどですが、場所にこだわらず、本気で音楽を鳴らしているんですよね。「バズったら地元を出て東京行こうと思ってるんです」とかではなくて。地元のライブハウスで人気だったaldo van eyckは東京とかに行っていなかったので、「なんで?」と聞いたら、そういう話をどうやってしたらいいか分からない、と言っていて。

河野:単純に知らなかっただけなんですね。

増田:そうなんですよ。その後東京でライブが決まって、かっこいいバンドを一通り見た後に見たんですけど、東京でたくさんのバンドに混ざったライブを見ても凄くて。だから深川くんにその日のaldo van eyckの映像を全部送って、別府ブルーバード劇場のステージにどうしても出て欲しい!と言うことになりました。

河野:aldo van eyckを知ったのは何がきっかけだったんでしょうか。

増田:僕が友達と作っているZINE「サテツマガジン」があるんですけど、それの音楽本『soundtrack』を作った時、「音楽の本を出すってことは、その日にレコ発が必要だ!」という話にメンバーとなって、本にも関わっていたバンド、くだらない1日のツアーを企画することになりました。そこで、会場となった福岡のライブハウス・秘密の店長さんに、aldo van eyckを教えてもらいました

河野:なるほど!

増田:尾上くん(Vo / Gt)に一度は「出演できない」と聞いたんですけど、確か、“くだらない1日”というバンドをよく調べたら「このバンドと向き合うことで、自分たちはもう一回やれるんじゃないか」と思ってくれたそうで、出演が決まりました。そこから今のaldo van eyckの快進撃が始まった。

河野:きっかけになったんですね。

増田:はい。僕がイベントとしてaldo van eyckに出て欲しかった理由をちゃんと手紙で伝えたからか、打ち解けてくれた感じもあって。それで今回も出てくれることになりました。ライブハウスの別府COPPER RAVENSは勢いのある若手が集まったラインナップにできました。

 

雑誌が扇動して文化を作っていた

──増田さんは広告のクリエイティブディレクターをやりながらZINEも作ったり、イベントも企画されてますよね。最初はどういった経緯で音楽に関わるようになったのでしょうか。

増田:きっかけは、The Strokesです。20歳になった時、親が貯めていた僕のお年玉をもらったんですよ。それがちょうど、The Strokesのデビューした年で。通っていたクラブでも「The Strokesがやばいらしいぞ」とみんな言っていたし、年上のDJもみんなCDを買っているから、確かに何か起きているかもしれない、と思って。それで100万円をもらった瞬間に飛行機の航空券を買って、The Strokesが出るイギリスの『レディング・フェスティバル』を観に行きました。

河野:いいですね!その時のラインナップすごいですよね。

増田:2001年かな、過渡期で混沌としてました。ロックンロールリバイバルの最初ですよね。印象的だったのが、The Strokesの『イズ・ディス・イット』(2001年)が当時、日本版の方が少し早く発売だったんですね。それでイギリスでの発売日前に持っていたから「なぜかThe Strokesのアルバムを持っているやつがいる」と人が集まってきて「聴かせろ!」と言われたり(笑)。街の中も、The Strokesのポスターがありとあらゆるところに張られて、若者の服装も急に変わっていくし、勢いが凄かったんですよ。それに感動しました。2000年代は『PURPLE JOURNAL』が一番いけてるカルチャー誌と言われていた、雑誌がめちゃめちゃ面白い時代で、雑誌が扇動してそういった文化を作っていたんですよね。だから日本に帰ったら雑誌編集者になろう、と思ったんです。でも帰った時には、就活のエントリーが全て終わっていて…諦めて、クラブイベントをやりました。

河野:その思い切りもすごいですね(笑)

増田:一番新しい音楽が流れるインディーロックのイベントをやるよ、と言いながら、全然インディーロックをかけずにアンダーグラウンドヒップホップや、ブレイクビーツ、ポストパンクが流れるイベントとかやってました。それがその時一番かっこいい音楽だと思っていて……。みんなが興味を持つ頃には、もう次のものに興味が行ってたんですよね。

河野:当時の交友関係ってどんな感じでしたか?

増田:今DJとして活躍している同世代も多いんですけど、みんなで当時、The Libertinesの周りのロンドンの子たちと友達になったりしてました。彼らがフジロックに来ていて、キャンプサイトに座っていたらいきなり話しかけられて「日本人のイケてる友達が欲しい。マンチェスターから来たから、一緒に遊ばない?」と言われて遊んだのがきっかけで。僕たちもロンドンにめちゃめちゃ憧れていたから、意気投合して。

河野:遊びが始まりなんですね。

増田:夢中でしたね。毎週新譜の7inchを友達と一緒に全部買って聴いてました。日本には『PURPLE JOURNAL』みたいな雑誌がないから、僕らでZINEを作ろう、と思ってレコードの裏面に書いてあるマネジメントに英語でメールしてインタビューさせてもらったりして。「日本の大学生で、本を作りたい」と言ったら、大体やってくれるんです。それで作ったZINEはCDショップに置いたりしてました。

河野:増田さんはどうして音楽業界の会社で仕事をしないんだろう、と疑問に思ってたんですけど、業界に入る必要がなかったんですね。

増田:そうですね。大学生の時、毎週渋谷のHUBでDJをやっていたので、その時にレコード会社の人を見て…外でプランナーやマーケティングとしてお付き合いしているほうが、自分には合っていると思いました。本気になって想いを伝えたらZINEも作れるし、フェスだってできるんですよ。

河野:今回のブッキングも熱量を感じます。

増田:特に僕が作っているZINE『サテツマガジン』の名前を冠したステージに、岡田拓朗さんをお誘いしたら出てくれることになったのには、興奮しました。出て欲しかったのには明確な理由があって。僕、医療ミスで体を壊して3年間休職してた時期があるんですが、入院して以来、最初に東京に行こうと思ったのは森は生きている(岡田拓郎の以前のバンド)のライブだったんですよ。それで並々ならない思い入れもあったし、既に出演することが決定していた若手ミュージシャンも岡田さんのことが大好きな人が何人もいて。そういった話をさせていただいたところ承諾いただいて、嬉しかったです。

 

「あなたじゃなきゃいけないです」と言われたら、誰でも嬉しいです

河野:増田さんが手紙を書くように、自分がブッキングでそれをやれているか、っていうことに少し懐疑的になりました。

増田:僕は文脈を作ることで、選ばれる理由を作るのが好きなんですよね。だからSNSのDMとかメールで、一緒に仕事したい理由はしっかり伝えるようにしています。これは、普段のコンサルタント業務でもしています。レターセット持ち歩いています。

河野:丁寧に想いを伝えるコミュニケーションは、確かに重要ですよね。時間はかかるけど、本来時間をかけるものじゃないですか。

増田:そうですね。だって、「あなたじゃなきゃいけないです」と言われたら、誰でも嬉しいかなと思っていて、僕もそう言われたら嬉しいです。「誰でもいいです」という雰囲気が出てる人って、婚活パーティとかでもマッチングしないらしいと聞きました…。

河野:例えがユニーク(笑)。でも本当にそうですよね。アーティストを誘う時も、話してみないとわからないこと、多いなと思います。

増田:多いです。勝手にどこかで見たイメージからくる先入観を、相手や物事に対して持っていたりしますよね。

河野:枠に嵌めようとしちゃうと、うまくいかないことが多い気がします。だからブッキングは、まずは人となりを理解するところからですね。

増田:そうだと思います。だから例えば「宝くじが当たったからこの人を呼ぼう」という考え方も、うまくいかない。どうして誘うか、という文脈を作ることが大切なんですよ。河野さんはライブハウスで長年ブッキングをやっていて、お誘いする方法はどうしてますか?おそらくビジネスマン寄りの誘い方をする人もいれば、僕みたいに想いをとにかく伝える人もいると思うんですけど。

河野:20歳の時にLa.mamaに入って、どこの馬の骨かもわからないやつが「イベントやります。出てください」というところから始まって、当時はライブを観に行って、オファーしたりしてました。でも、最近は現場に足を運んで誘うことはなかなかできてないな、と思います。気持ちとしては「この人でなきゃ、だめだ」と思える人たちと仕事がしたいんですけどね。

増田:今の時代、手順を踏むことが正しいとされることが多いじゃないですか。例えば飛び込みでいきなり「働かせてください」と言ってくると、社会のマナーがわかってない、と捉えられる。そういう空気が20年前とかより強くなった気がしてるんですけど、一方でいきなり「自分とやりましょう」とかガツンと来られるのも、人って嫌いじゃなかったりするじゃないですか。マナーと熱意の線引きが難しいな、と思います。

河野:そうですね。

増田:例えばCDを持ってこられたら、聴いちゃいますよね。正門から叩くか、裏門から強引にいくか、強引な線引きが世の中にたくさんあって、結局どちらがいいのかわからない。そうすると、結局成功して稼いでるのが正解みたいになる。それに僕は戸惑っています。

河野:僕は裏口を正門と思って来ちゃう純粋な人が、すごく好きです。今は音源もほとんどデータとかでもらいますけど、たまに電話がかかってきたりとか、直接CD-Rを持ってきたと思ったら、持ってきたCD-Rとかが読み込めなかったりとか(笑)。そういう人は、信用しちゃいます。

増田:ただ本気なんですよね。その点、例えばいきなり大きいライブハウスを抑えてきて「何をしましょうか!」と相談されたりしたら、本気で考えます。普通は内容を考えてから予約するじゃないですか(笑)

河野:(笑)。

増田:そのくらいの勢いがある方がいい。何事も「まずやってみなよ」と思いますね。飛び込みの裏口入学でめっちゃ好きなエピソードがあって、このチェキを一緒に撮った、アイドルなんですけど。1年前くらいにたまたま近くでやっていたアイドルイベントに時間を持て余して入ってみました。この子はその時初ライブで、誰もチェキを撮ってくれなかったみたいで、突然僕のところに来て「今から私とチェキ撮ってください。絶対武道館行くから、今撮ったら一番の古参になれるよ」と言われて。その言葉が刺さったんですよね(笑)。

河野:いいですね!惹きつけられる。

増田:まだちょっと武道館に行ける気配はないけど、いつかラジオ番組ができるようになったら、アシスタントは絶対この子にしようと思ってます(笑)。仕事頑張ろう…自分。