第192回 ソニー・ミュージックエンタテインメント REDエージェント部 兼 株式会社次世代 制作本部 次世代ロック研究開発室制作部 チームプロデューサー 薮下晃正氏インタビュー【後半】

インタビュー リレーインタビュー

薮下晃正氏

今回の「Musicman’s RELAY」はメロディフェア 加藤信之さんからのご紹介で、ソニー・ミュージックエンタテインメント REDエージェント部 兼 株式会社次世代 制作本部 次世代ロック研究開発室制作部 チーフプロデューサー 薮下晃正さんのご登場です。

学生時代に音楽や映画などカルチャーに目覚めた薮下さんは、編集プロダクションを経てソニーミュージックに入社。宣伝やタイアップを担当後、制作へ。キューンソニー(現キューンミュージック)ではスチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギー・バック」、真心ブラザーズ「サマーヌード」などのヒット曲を送り出します。

また、音楽出版社アンティノスミュージックでは、他社の制作も精力的に行い、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズでは、ゆらゆら帝国やミドリ、女王蜂、凛として時雨、フジファブリックなどを手がけ、当時クラブ色の強かった同レーベルに「ロック」という新たなレーベルカラー加えることににも成功します。

現在はYOASOBIを輩出したREDや次世代に籍を置き新人アーティストの発掘・育成・制作・エージェント業務を行う薮下さんに、ご自身のキャリアから、変わりゆく音楽業界の現状と今後までうかがいました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦 取材日:2022年4月26日)

 

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第192回 ソニー・ミュージックエンタテインメント REDエージェント部 兼 株式会社次世代 制作本部 次世代ロック研究開発室制作部 チームプロデューサー 薮下晃正氏インタビュー【前半】

 

 

アンティノスミュージックに所属しつつ他社の制作仕事もこなす

──スチャダラパーや真心ブラザーズのヒットによって、薮下さんの社内でのポジションに変化はありましたか?

薮下:実はその頃、キューンを作った丸山さんが、新たにアンティノスレコードを作るんです。アンティノスレコード、アンティノスマネジメント、アンティノスミュージックというレコード会社、マネージメント、出版社の三位一体の欧米型システムを丸山さんが作り、僕はアンティノスミュージックに異動になるんです。

アンティノスミュージックは音楽出版社なので、他社の仕事もしていいっていうことになったんです。実は僕がキューンを離れたときに、スチャダラは東芝EMIに移籍したんですが、「引き続き制作をやってくれないか?」ということで、移籍後のスチャダラもやるようになります。

さらに出版社における作家契約の延長でもともと個人的に大好きだったレゲエ、ダブ系のアーティスト、元MUTE BEATのこだま和文さんやLITTLE TEMPO等をマネジメントしたり、雑誌『relax』とコラボしたコンピ「RELAXIN’ WITH LOVERS」シリーズをリリースしたり、PlayStationのゲームソフト『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』から派生したコンピを(石野)卓球くんと作ったりとか、何か色々やってましたね(笑)。

そういう変わったスタンスだったので、当時のマネジメントの人たちには面白がられて、例えば、ワイエスコーポレーションの山中(聡)さんやフェイスミュージックの田村(克也)さん、アロハ・プロダクションの山中(浩郎)さんから声をかけて頂いたり、他社の外部制作が多くなります。あとスチャダラパーの流れで仲良くなったコーネリアスの小山田(圭吾)くんに頼まれて、コーネリアスのリミックス盤も1枚やったり、アンティノスミュージックの人間でありながら、自分指名の他社の仕事もしていたら、そっちの方が面白くなってきちゃたんですよね。もちろんアンティノスレコードでは、今も活動しているザ・カスタネッツや沖縄のネーネーズを担当し、継続して真心なんかもキューンから発注を受けて同じように外部制作でやっていたんですけど

──それはもうフリーのプロデューサーみたいなものですよね。

薮下:そうですね。その時期は本当に多忙で、チーム3、4人でやっていました。

──薮下制作室みたいな感じ?

薮下:アンティノスミュージックの中の薮下ルームでそういうことを受けるという感じでしたね。

──面白い立ち位置ですね。今もそういうポジションの方ってソニーにいますか?

薮下:今やレーベルでも包括的にマネージメントをしたりするので、むしろ今の方が他社との接点って多いんじゃないですかね?ただ音源制作って一朝一夕でできないですし、事務所制作や外部制作が多くなって、制作ディレクションをできる人がすごく減っています。それは「歌を録る」とかそういうことだけじゃなくて、曲作りであったり、アーティストとのコミュニケーションだったり、単にスタジオを予約してどうこうみたいなことも含めて、僕のところにも色々な人から「このぐらいの規模で、ドラムもあるようなスタジオで安いところないですか?」みたいな電話がしょっちゅう来ますからね。「俺は『ミュージックマン』じゃねえ」みたいな(笑)。

──(笑)。

薮下:本当に死ぬほど来ますよ?それか「スタジオの営業を紹介してくれ」とか。そういうノウハウを知る術が今ないんじゃないですかね。「エンジニアって大体、1曲ミックスでいくらぐらいが平均ですか?」「インペグ屋ってなんですか?」「ストリングスってその場で頼んじゃダメなんですか?」みたいなノリですよ。

──弊社のスタジオのマネージャーも若手のディレクターに「そんなことも知らないの?」ってしょっちゅう言っていますよ(笑)

薮下:多分、本当に知らないんです。ハードディスクの登場で制作の形態も多様化して、さらにノウハウを継承していくアシスタント制度がなくなったのも良し悪しですね、

──しかし、薮下さんは実力はあるんだけど売りにくいアーティストを売っていますよね。

薮下:やっぱりオルタナティヴなものとか個性的なものが好きではあるんです。

──いわゆる、どメジャーっぽいのはやらない?

薮下:それは関係なくて、単純に自分が胸張って人に「これをやっている」と言えないものは嫌ですね。そういった意味ではいまだに現場のリスナーの感覚に一番正直でいたいんですよね。

──その感覚ってずっと持ち続けるというのは大変ですよね。段々鈍ってくるじゃないですか?

薮下:でも、幾つになっても面白い人っているじゃないですか?編プロでバイトしたときも、出版業界ってオシャレな人がいっぱいいるかなと思っていたんですけど、全然いなかったんですよね(笑)。あと広告代理店の若手社員も、アルマーニのネクタイを買ってクリスマスには彼女の為にホテルを予約してとか、まるでホイチョイみたいなコンサバな人しかいなかったので(笑)。特にバブルだったということもありましたけど、セーターを肩にかけてセカンドバック小脇に抱えた絵に描いたような業界人がホントにメチャメチャ多くて(笑)。

ファッション雑誌をやっている人はオシャレなものを聴いているのかなと思っていたけど、そんな人はほとんどいなくて、そういうカルチャーを担っていた人は実はほとんど外部のフリーランスの人たちなんですよね。今はどうかわかりませんが’90年代当時、『an an』や『olive』といった女性誌の編集部は社員が多かったと記憶してます。でも男性誌はほとんどがフリーランスだったみたいで、夜の11時ぐらいまで会社に誰も来なくて、深夜になると変なおじさんたちがゾロゾロとゾンビみたいにいっぱい来てガサガサやっているんですよ。

──(笑)。

薮下:滅茶苦茶フリーランスが多かったんですよ、『BRUTUS』も『POPEYE』も。それぞれがスペシャリストで、ファッションや古着に詳しい人やアウトドアに詳しい人、海外の情報に詳しい人、食に詳しい人とか揃っていて、そういう遊び人みたいな人がフリーランスでやっている印象が強いですね。そういう先輩や暴走族あがりのロケバスのあんちゃんに遊んでもらったり、色々な事を教えてもらいましたね(笑)。

 

レーベルイメージに「ロック」を加えた、ゆらゆら帝国の衝撃

──アンティノスミュージックのあとはどちらに行かれたんですか?

薮下:その後、アンティノス自体が解体、吸収されることになり、僕はアンティノスがなくなる直前に、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコードへ異動になります。

──アソシに行かれたんですか。

薮下:ええ。アンティノスミュージックは途中で「他社の仕事もするのにソニーのレーベル名がついているのはいかがなものか?」ということでソイツァーミュージックという名前に変わるんですけどね。

──アソシではどのようなアーティストをやったんですか?

薮下:ゆらゆら帝国、ミドリ、凛として時雨、女王蜂、フジファブリック、フラワーカンパニーズ等バンド系が多かったですね。アソシは、友人でもあり今や故人のKONDI(近藤宣幸)という名物プロデューサーがいたんですけど、もともとbirdや大沢伸一から始まっているので、所謂クラブ系のアーティストが多かったんです。それでKONDIに「薮ちゃんが来るんだったらロック系を持って来てほしい」と言われて、当時、マネージメント、メンバーと交渉し始めていたゆらゆら帝国をミディからアソシに移籍させます。

──ゆらゆら帝国の売上は、アソシで薮下さんが担当するようになった前後で変わりましたか?

薮下:売上、評価も含めて結果的にアソシでリリースした彼らの最後のアルバム「空洞です」が最高傑作となり日本のロック史におけるマスターピースとなったという自負はあります。それまではガレージロック的イメージのみで語られがちだったのですが、移籍した頃から音楽性が大きく変わり始めるんですよ。より音楽的に自由というかバレアリックになったというか。

──薮下さんが変えたというわけではなくて、バンド自体が変わってきた?

薮下:当時、移籍直前にミディから「ゆらゆら帝国のしびれ」「ゆらゆら帝国のめまい」という2枚のアルバムを同時に出すんですが、これがすごくファンの間でも評価の分かれるアルバムで、それまでのギターを軸にしたガレージサウンドだったのが、別のヴォーカルをフィーチャーしていたり、バラード曲があったり、音響っぽいダブみたいな曲があったり、非常に実験的な作品だったんです。また、ライブもすごく変わり目だったというか、当時、音響的にも聞いたことがないような唯一無二のすさまじいライブを繰り広げていて、僕はデビュー時から当時のマネージャーから聞かされて知ってはいたんですが、そこで改めてすごく興味を持ったんですが、たまたま移籍の相談がそのタイミングでマネージャーからあったので「今のゆらゆらだったらウチで是非やりたい」と声をかけました。

アグレッシヴでロックな人たちは他にもいたと思いますけど、ロックシーンのみならずゆらゆら帝国はもっとクロスオーバーなジャンルで、海外も視野に入れて勝負できるんじゃないかなと思って、メンバーとも話し始めました。メンバーも、いわゆるガレージ系のノリだけじゃなくて、よりグローバルでオルタナテイヴで多様なアプローチをしたいという意向もあって、そこですごくお互いの思いが合致したんですよね。結果、今も日本のロック名盤として必ず名前の挙がるアルバム「空洞です」をソニーミュージック時代に作れたのはすごく大きいと思っています。それで「このバンドでやれることはすべてやり尽くした」と彼らは解散に至るんですが、本当にいい時期に一緒に仕事が出来たことを誇りに思いますね。

──達成感があったと。

薮下:もちろん、ゆらゆら帝国はミディ時代も人気がありましたが、ソニーミュージックに移籍してさらに化学変化が起こせたんですよね。最初、周りの反応は「ゆらゆら帝国がソニーミュージック?」という感じだったんですけどね。それでソニーミュージック時代にロックシーンのみならずクラブシーンや海外でも人気が出てきて、現在の坂本慎太郎のソロに至りますが、その礎をソニーミュージック時代に作ることができたかなという気はしています。それでゆらゆら帝国がいることでアソシも、それまでのクラブ系のイメージからロックレーベルとしてのブランド感が増したというか、新人にアプローチするときに「ゆらゆら帝国もいるんだけど」って言うと「おお!」っていう反応がありましたね。

──「ゆらゆら帝国がいるなら契約したい」みたいな?

薮下:当時、ゆらゆら帝国と、あとミドリがいることで新人にとっては「ここだったら僕らもメジャーでやれるかも」と。その流れで凛として時雨も来てくれましたし、ちょうどEMIからの移籍を検討していたフジファブリックも「じゃあアソシでやりましょう」という話になるんです。だからそういうソフトイメージというか、ゆらゆら帝国がいたことでアソシに来たアーティストは結構いると思います。

──レーベルイメージって重要ですよね。

薮下:やっぱりロックってレーベルイメージが重要なんだなと感じました。結果的に「そのレーベルがなにを出しているか」というのが重要というか、ですからアソシに関しては言えば、ゆらゆら帝国がいたことは非常に大きく、もちろんそれまでのMondo Grosso、birdみたいなイメージも大きかったんですが、ロックにもシフトしていったというのはありますね。

──フジファブリック志村さんの突然の訃報には我々も衝撃を受けました。

薮下:本当に移籍直後でしたからね。皆が悲しみに暮れる中、結果、僕と当時の現場担当で今はSpotifyにいる芦澤がフジファブリックで最初にやった仕事は、志村くんが残した最後のマテリアル、デモテープに残された歌に日の目を浴びさせるべく再構築した新しいアルバムのお手伝いをすることでした。

そのときに僕自身が大根仁監督と個人的にすごく仲が良かったんですが、大根監督が新しくテレビ東京で「モテキ」というドラマをやるにあたって主題歌を探していて、「薮さんのところになんかいいのないかな?」と聞かれたので、久保ミツロウさんの原作コミック『モテキ』も読んでいたし、OPの女神輿のイメージを聞いていたので「フジファブリックのこの曲が絶対にハマると思う」と、そのとき録っていた「夜明けのBEAT」という曲をいち早くラフミックスの状態で聴かせたら、何とその場で即主題歌に決まったんです。

その後、映画化された『モテキ』の主題歌にもそのまま使われて、結果フジファブリックの代表曲の一つになったんじゃないかなとは思います。勿論、Bank Bandがカバーしたりして再注目されたEMI時代の「若者のすべて」が、その後、代表曲として大きくフックアップされたことは言うまでもなく、教科書にも掲載されるなど今や誰もが知る永遠の名曲化しています。

 

自由な新人育成セクション「RED」と、日本一のロック事務所を目指す「次世代」

──その後が、現在のREDや次世代ですか?

薮下:そうですね。分社化していたレーベルがソニー・ミュージックレーベルズ(SML)として集約されたことで体制も大きく変わって来ており、僕自身は数年前にレーベルを離れてREDという新人育成セクションに異動になります。兼務で携わる次世代は、もともとキューンの頃からの戦友である中山道彦が若いアーティストを集めてマネジメントしているんですが、制作も含めて手伝ってほしいということで微力ながらサポートさせて頂いてます。実は、最初SMLの仕事も若干兼務で残っていたんですが、さすがに3部門兼務で名刺3枚ってちょっとあり得ないので(笑)、結果的にレーベルの兼務はもう外れています。

──REDでは具体的にどのようなことをなさっているんですか?

薮下:REDは、要するにまだメジャーのディールが決まらない新人をエージェントとしてプロフィットしながら育成するというのが主なミッションのセクションなので、配信やライブとかを形にしていきながらレーベルやマネジメントへアップストリームすることも視野に入れた育成作業をしています。実は皆さんご存知のYOASOBIがREDでは一番大きな成功例だと思います。現在、僕はREDでシンガーソングライター・大比良瑞希、福岡のシューゲイザー・バンド・クレナズム、ソロアーティスト/ギタリストとしても注目を集める田中ヤコブ率いる4人組ロックバンド・家主などを担当してます!

──なるほど。REDは新人育成からより踏み込んだ仕事をしているんですね。

薮下:REDはエージェント機能ももっていますからね。基本的に「こうしなければいけない」という決まりはないんです。ですから割とバンド、ボカロ、シンガー、アイドル、ダンサー、役者、映像作家等様々なジャンルのアーティストを扱っていますね。

──そして次世代はマネージメント会社になるわけですか?

薮下:そうですね。この会社はもともとロック好きな中山道彦の悲願というか、SMAやヒップランドミュージックに負けないマネージメント会社、彼の言葉をそのまま伝えれば「日本一のロック事務所を作りたい」という想いで始めた会社です。

──確かにラインナップを見るとほとんどロックですね。

薮下:とはいえ、マネージメントを代表するCreepy Nutsはヒップホップですけど、今大きくブレイクしています。彼らは地上波にたくさん出ていますし、音楽アーティストにとどまらないカルチャースター、もはや広義な意味でのロックスターと言っても過言ではないでしょう。

次世代は事務所なのでレーベルは多岐にわたります。もちろんソニーミュージックがメインではありますが。Creepy Nutsはアソシ、羊文学もF.C.L.S.なのでSMLなんですが、CHAIは何と海外のSUB POP、ハンブレッダーズはトイズファクトリー、The Songbardsはビクターですからね。SMAがソニーミュージックのみならずビクターやコロンビア、エイベックスともやるのと同じ構造ですね。

──次世代での薮下さんの役割は何ですか?

薮下:メジャーにはディレクターもいますし、原盤もメジャーでやってくれますから、メジャーが決まるアーティストはいいんですが、そこに至らないような新人がいくつかいるので、僕はそういうアーティストを手伝っていて、次世代の中で音源を作って配信したりCDを出したりしています。最終的にメジャーとリレーションするというのが本筋ですけど、そこにまだ至らない新人の育成みたいなところが僕の役目ですね。

──現在もそういうアーティストを何組もやっているんですね。

薮下:ええ。最近ではライヴハウス・シーンで人気のオルタナティヴ・ロックバンド、昨年はFUJI ROCKにも出たTENDOUJI、そして次世代が昨年開催した初のオーディション「Go Toオーディション」の初代グランプリを受賞した東京発の4ピースロックバンドApesの制作を手伝ったりしてます。

──マネージメントは何人くらいで行っているんですか?

薮下:業務委託も入れたら総勢24人くらいはいるのかな? 流動的ですけどね。マネージャーってなかなか大変ですし、特に今の時代のマネージャーやA&Rってやることがメチャメチャ多いんですよ。

──今やほとんどのアーティストがYouTubeとか一通りやっていますよね。

薮下:勿論、そうですね。ただCDや音源を買う、サブスクで聴く人が必ずしも各種SNSやYouTubeを見ているかといえば見ていなかったり、すべてが多様化してますよね。ですから世代とかそれぞれの人の指向性によって情報がすごくレイヤー化しているんですよね。みなさんのタイムラインと僕のタイムラインが多分、全然違うのと同様に。だから、人によってAIやアルゴリズムも含めて情報の受け止め方が大きく変わってきているので、いわゆる「お茶の間」ヒットみたいなことってすごく難しいんです。

ウチの中学生の息子なんかを見ているとその曲が好きというよりも、あくまでも「知っている」だけなんですよね。例えば、どこかでTikTokの曲がかかると「あ、この曲知ってる。TikTokで流行っている」で終わりなんです。ですから、凄い再生数がありながら実際にライブをやると動員がいまひとつみたいなことってありますよね。

──それは他の方からも聞きました。すごい数のフォロワーがいるのに、実際にライブやったら30人も来なかったとか。

薮下:楽曲は知っているけど、アーティストのファンではないということですよね。だからそこが今後は大きく問われてくるところではあると思います。今やファンベースをどう作ってあげるかとか、IPを高めるみたいな、そういうことが重要なのかもしれません。

 

なんでもありの今は、他の人がやらないことをやるべき

──薮下さんの今後の目標は何でしょうか?

薮下:音楽業界がここ3、4年で更に大きく変わっていくと思うんです。だから、その中で自分がどう寄与していけるか? というところは常に考えますよね。

──というか、すでに変わりましたよね。

薮下:変わりました。それをつぶさに見てきたところもあるので。

──昔ながらのプロモーションはもうなくなっていると。

薮下:決して無くなってはいないと思いますが、それに加えてSNS等でどんどん自分たちから発信して、情報を顕在化させないと拡がらないですし、しかも情報を本当に必要な人、欲しがっている人、与えるべき人に与えないと全く意味がないですよね。CDミリオンセラーみたいな時代が終焉してきているというか、今後どうやってマネタイズしていくのかが問われると思います。最近しきりに業界で言われているのは「IPを高める」ということで、世界的な動向として音源だけでなく興行や物販や広告でも稼ごうってなってきているじゃないですか? ですから大きく構造、価値観の転換期にいよいよ来ているのかもしれないですね

──今はライブと物販の比重が増していますよね。

薮下:勿論、そうですね。あとメジャー以外でも、海外の販路も加味した上で、小規模なスタッフで、敢えて小商いでやるというのも増えると思うんです。実際、坂本慎太郎とか自身で作品をリリースし、海外でも人気があってYouTubeも結構回っていますし、海外ツアーに行ってサブスクをどんどん回す、限定でアナログを自分たちで作って売る、ということで成立している人もいるので、今後はそういうことも増えてくるのかなと思います。

──最後になりますが、ミュージックマンは業界を目指している若い人たちもたくさん読んでいますが、そういう人たちになにかアドバイスはありますか?

薮下:音楽業界って今が狙い目なんじゃないかと思います(笑)。だってこういう業界って必ず大きく価値観が変わる瞬間があって、そのときがむしろチャンスでもあると思うんですよね。

──いろいろな変化が始まっているからこそって部分はありますよね。

薮下:根本から考え直さなきゃいけない、これまでの価値観が通用しない時期に来ているということは、逆に言ったら「なんでもあり」で、そこに過去の経験則はそんなに必要ないじゃないですか?

──みんなと同じことをする必要もないですよね。

薮下:そうなんです。今はなんでもありの状態なので、だったら他の人がやっていないことをやるべきだと思っているんですよね。もっと逆張りでもいいんじゃないかなと僕は思うんです。音楽のジャンルでも「今の時代にこんな音楽やっている人いないだろう」という方が目立つこともあるかもしれないじゃないですか?

一つ言えることは、昔みたいにハードの技術革新、イノベーションでなにかが起こることはもうそんなにないんじゃないかな。昔の音楽業界はハードに紐づいていましたから、CDが出てきたことでプレス枚数が増えてミリオン、またiTunesが出てきたことで配信、DLで大ヒット、と技術革新にソフトのセールスが影響を受けていたと思うんですが、もはや概ねデバイスやアイテムは出揃っているので、これからはソフト自体のクオリティを高めていくしかないんじゃないかと思いますし、マーケティングではなく、逆張りでもなんでもいいですが、どれだけオリジナリティを持った中毒性を誘発する魅力的な作品を作ることができるかだと思います。

──なるほど。

薮下:シティポップの名曲が海外で突然ヒットしたり、今やなにがヒットしてもおかしくないというか、TikTokで過去の曲が普通にバズることもありますし、本当になんでもありの状況になっているので、これ以上面白い業界はないんじゃないかっていう気もしますけどね。

──音楽業界も混迷期だからこそ、力を発揮できそうな若い人が来たら良いですよね。

薮下:そうですね。何度も言いますが、今の音楽業界はなにが売れてもおかしくないからこそ、若い人には一攫千金どんどん参入して欲しいですね。

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