音叉点──音楽と●●の交差点  第三回 ゲスト:Analogfish・下岡晃

インタビュー 音叉点

河野太輔氏(写真左)下岡晃氏(写真右)

「音叉点(おんさてん)」とは「1.音楽と●●が交差するところ 2.チューニングされるきっかけ」を意味する言葉である。ライブハウスでは日々沢山の音楽が鳴り、音と音が混ざり合い音色となるように、人と人が出会うことで新しい物語が始まっている。

この対談ではライブハウスでブッキングを主とし物語を紡ぐLa.mamaの河野太輔が、音楽に関わるゲストと毎回異なるテーマを切り口に、相手との「音叉点=チューニングされるきっかけ」を見つけていく。

第三回のゲストにはAnalogfishの下岡晃を招き、二人が好きなカレーをテーマに話してもらった。Analogfishは以前取材したLa.mamaのプロジェクト「CONNECT-20▶21」にも名を連ね、河野にとって「ブッキング冥利に尽きる」アーティストでありつつも、下岡個人とじっくり話す機会はなかったという。

吉祥寺のmomo curryで河野は野菜チキン、下岡は欧風チキンを注文。カレーを食べながら座敷でゆっくり話すと、2000年代初頭のバンドシーン、下岡が4月にソロ名義でリリースした「どこまでいけるとおもう?」の話からルーツとなるHIPHOP、制作活動の難しさや今後の生活についてなど話題は広がり、8月に La.mamaで開催される「Wordplay vol.95」へも繋がる対談となった。

編集:柴田真希 撮影:加藤春日 撮影協力:カレー食堂 momo curry

プロフィール

河野 太輔(かわの・だいすけ)


1985年1月生まれ。宮崎県出身。自身のバンドでドラマーとして活動後、2005年にLa.mama に入社。入社後はイベントの企画制作、新人アーティストの発掘や育成、レーベル運営など活動は多岐にわたる。


下岡 晃(しもおか・あきら)


ロックバンド・Analogfishのボーカルとギター担当。4月16日にAkira Shimmoka名義でソロとして初のシングル”どこまでいけるとおもう?”をリリースしたばかり。


 

小さい駅の商店街に気の利いた店が1軒だと少し物足りないけど、2軒できれば人の流れができて、そこから繋がって盛り上がっていく。そういう街の作られ方がいいなって思いますね

河野:だいぶ前からここには来られているんですか。

下岡:そうですね、カレー屋さんとしてというよりはライブで来ていました。tobaccojuiceの松本くんとか大久保くんとか、まわりの連中がみんなここでやっていて、俺も出るようになって。Helsinki Lambda Clubの橋本くんとかMIZとかともここでやったな。

河野:tobaccojuice、La.mamaにも何回か出てもらいました。

下岡:めちゃくちゃ好きなバンドです。今もいいんですけど、初期のギラついていたときも好きでした。

河野:今回対談させていただくにあたって、La.mamaでは今まで誰とやったかな、と思って見返してみたら、最初に出てもらったのが2010年だったんですよ。セカイイチ、おとぎ話、シュリスペイロフと同じ日で、オープニングアクトがねごとでした。

音叉点

下岡:あぁ!覚えてる。最近の付き合いな感じがしていましたけど、そんなに経つんだ。その後ねごとが一気に売れて、びっくりした。懐かしい。

河野:その後、2012年にSo many tearsでした。

下岡:それはすごい印象深い。大好き。あとAwesome City Clubとかね。最近すごい売れて、頑張っていたから本当によかったですね。

河野:elephantとして出てもらったときにやりましたね。他にもYogee New Waves ともやったし、odolともやりました。

下岡:odol、すごく良いバンド。ちょっと機材減らしたほうがいいと思った。それホールでやる機材だから!って。ははは(笑)。

河野:カーネーションとやったときは、健太郎さんが一緒に歌っていたのが印象に残っています。

下岡:カーネーション、健太郎さんと田舎でよく聴いていたんです。健太郎さんは特に好きだし、直枝さんの歌の感じは、健太郎さんに通じるものがあるなとも思っていて。

河野:たしかにそうですね。健太郎さんはセカイイチのサポートベーシスト感謝祭にも出演されているので、時々会っています。

下岡:泥酔して迷惑かけてないですか?

河野:大丈夫です(笑)。

下岡:それはよかった(笑)。

──色んなカレーを食べてきたと思いますが、その中でも特に記憶に残っているカレーは何ですか。

下岡:百軒店のムルギーですね。田舎にいるとき、大槻ケンヂさんのエッセイにムルギーのことが書いてあって、「東京に行ったら絶対ムルギーに行かないと」と思って。上京して初めて行ったときにライスの独特の形に感動したな。それもあってカレーを好きになりました。

河野:へぇ!うちのオーナー曰く、当時の渋谷の面影が残っているのはあの辺だけみたいです。僕、一番よく行っているお店は、下北沢の茄子おやじですね。

下岡:茄子おやじファンって一定数いますよね。曽我部さんとか。茄子おやじ、下北の巨人ですね。

河野:僕が記憶に残っているのは母親が失敗した、水っぽいカレーです。

下岡:カレーで露骨に失敗ってあるんだ(笑)。

河野:急いで作ったのかな。しゃばしゃばなカレーを食べた記憶がすごく鮮明にあります。その上残してはいけない家だったので、頑張って食べました。

下岡:カレーって基本うまいですよね。ツアーで昼飯食うとき、サービスエリアでカレーを頼んでおくと大失敗はないんですよ。そう思って愛知県のサービスエリアでカレーを頼んだら、すごいまずかったです。

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河野:うまかったってくるかと思ったら!

下岡:これきついなって思いました。自分のメンタルが理由かもしれない。

河野:この間ウミネコカレーに初めて行きました。西永福にあると思っていたら、幡ヶ谷に移転したんですね。

下岡:ウミネコ美味いですよね。幡ヶ谷、ウミネコができるまでは全然行ったことなかったけど、ギャラリーとかコーヒー屋さんとか古着屋さんとか、面白い店がたくさんあって、今盛り上がっていますね。

河野:何年か前に渋谷の東急本店から富ヶ谷にかけての奥渋エリアにお店が色々できて、代々木八幡とか上原にもいいお店があって、そのまた延長線上ですよね。

下岡:そうか、あの流れがつながっているのか。

河野:東横線沿いもそういう感じですよね。代官山から中目黒が盛り上がってきて、今、祐天寺にもいい古着屋さんがたくさんあって。

下岡:祐天寺、いい店ありますね。小さい駅の商店街に気の利いた店が1軒だと少し物足りないけど、2軒できれば人の流れができて、そこから繋がって盛り上がっていく。そういう街の作られ方がいいなって思いますね。

河野:長野もそんな感じですか?

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下岡:どうなんだろう。長野市や松本はそんな感じするかな。俺のいる飯田は正直、文化的なところは分からないですけど、4つか5つ転々とあるいい店を、ある程度興味がある人がずっと回遊している感じ。GLIM SPANKYとか、タテタカコさんは飯田ですね。1時間くらい車で走ると、King Gnuとかが出てきた伊那もあるし、メジャーシーンは面白い人が出てきていい感じです。伊那は駅前にライブハウスがあるって聞いた。

河野:GRAMHOUSEかな。折坂悠太くんが「伊那がいい」って言っていました。

下岡:折坂くん、赤石商店でやっていたな。1回ソロで一緒になったときに感銘を受けました。ボーカルのあくの抜け方、今が一番ちょうどいいなと思う。前はもっと強かったじゃないですか。

河野:そうですね。響きが独特ですよね。

下岡:モンゴルのホーミーみたいな響き方しますよね。かっこいい。折坂くん、本当に好きですね。

 

当時下北は所謂“下北系”みたいなバンドばっかりで対バンが面白く感じなくて。GOODMANとかJAMはそういうところからあぶれた変わり者が集まってきてたから、めっちゃ面白くて

河野:ウミネコカレーの動画で長野と東京を行き来する生活は、もうそろそろ、という話をされていましたけど、次は東京で生活するんですか。

下岡:なりゆき上そうなってしまったという感じで、東京に帰ってきてどう生きていくかは考えているところです。これを読んでもしうちで仕事をしてほしいって人がいたらぜひ電話してほしい(笑)。俺、難しいことじゃなければ何でもするので。

──(Musicmanは)音楽求人も扱っています。

河野:たしかに!音楽に特化した求人。僕、毎日ああでもない、こうでもないとやっていたら16年経っていたという感覚なんですけど、下岡さんは、その辺りどんな感じですか。

下岡:俺不安性なので、明日のこととかすごく考えちゃうんですけど、考えることとやれることって違うから、考えても結局やれることってそんなになくて。そのときできることをするしかないです。16年、ずっとLa.mamaにいるの、すごいですね。

河野:場所は同じですけど、毎日違うことをやっている感覚なんです。だから続けられていると思うんですよね。

下岡:いい仕事ですね。俺の印象だと、ライブハウスって働いている人の出入りが激しい。

河野: 2〜3年くらいで、変わっていくことが多いです。色んな人と交流があるからだと思いますね。最初はライブハウスに勤めているんですけど、毎日違う出演者とかスタッフが来るじゃないですか。その中で波長が合う人がいたりして、そっちで働くようになったり。

下岡:稼げない、ということはありますか。

河野:僕が入ったときは時給500円だったかな。元々やっていたバンドを辞めてLa.mamaに入って、給料が8万だったのに何故だか下北沢の家賃8万くらいのところに引っ越して。馬鹿でしたね。

音叉点

下岡:ははは(笑)。かっこいい生活したかったんだ。俺は池尻で2万5千円の風呂なし4畳半に、健太郎さんと二人でした。だから一人1万円ちょっとくらい。

河野:へぇ! 池尻とかで2万円代であるんですね。

下岡:うん。そのとき仕事したくなかったから、1ヶ月の稼ぎが8万だったけど、暮らしていけた。

河野:当時めちゃめちゃ遊んでいたら3ヶ月で貯金がなくなって、漫画喫茶でバイトを始めたんですけど、La.mamaが終わって深夜0時から朝9時まで漫画喫茶で働いて、またLa.mamaに行く生活をしていたら1ヶ月で身体がもたなくなって。それで稼がなきゃと思ってブッキングを頑張り始めました。

下岡:そのおかげで仕事する気になったのは、いいですね。ブッキングって成果報酬があるんですか?

河野:うちはないです。だけどイベントを組める日数が増えていって、それを社長が評価してくれて、給料を上げてくれました。

下岡:16年前ってことは、2005年?俺たちがまだインディーズでライブやっているときだ。

河野:ホームはJAMでしたか?僕の中ではGOODMANの印象が強いですけど。

下岡:GOODMANかJAMかレッドクロスだったかな、JAMは西永福に移転したんですよね。どぶの匂いがするJAM、好きだったんだよな。

河野:僕、GOODMANの音好きです。

下岡:俺も。インディーの頃に出ていたときはステージでギターを鳴らすと音が吸われて針金みたいになって、あんまり鳴ってない感じがして苦手だったけど、最近出たら音が良かった。当時のGOODMANのシーン、めちゃくちゃ面白かったですよね。

河野:面白かったですね。La.mamaとも少しかぶっていました。

下岡:サンボマスターもいたし、Japonica’09とか、bossston cruising maniaとか大好きだった。当時下北は所謂“下北系”みたいなバンドばっかりで対バンが面白く感じなくて。GOODMANとかJAMはそういうところからあぶれた変わり者が集まってきてたから、めっちゃ面白くて。しぶやね(渋谷屋根裏)ってまだありますか?

河野:いや、もうないです。GARRETっていう名前でライブハウスはやっています。

下岡:そうなんだ。平らで後ろに上がっていくフロアが見易くて、よかった。PLATONっていうバンドがすごく好きで、しぶやねのイメージがあります。

河野:PLATON、ドラムの赤木さんが働いていましたね。この連載の一回目に出てもらった近藤康平さんもあのシーンと交流があるみたいです。

下岡:一度か二度お会いしたことがあるな。

河野:近藤さん、フィッシュマンズがLa.mamaでやっている頃に見に来ていたみたいで、羨ましいなと思いました。

下岡:羨ましいですね。俺が上京して何年かしてなくなっちゃったけど、新宿にあったLIQUIDROOMもよかったな。ここでフィッシュマンズを見たかったな、って思いました。盛り上がってくるとぐにゃんぐにゃん床が揺れる感じとか、奥がすり鉢状になっている感じとかがすごい魅力的な場所。今思い出したけど、ゆらゆら帝国とKICK THE CAN KREWが出ていた気がする。

河野:やばいですね(笑)。

下岡:MO’SOME TONE BENDERとKICK THE CAN KREWかな。とにかく急にKICK THE CAN KREWが出てきた記憶があります(笑)。

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何のためにやっているのかって、明確になったり、急に忘れたり

河野:Analogfishさんはクアトロの印象もあります。

下岡:所属がパルコだったから、クアトロはよく出させてもらっていましたね。この近くに僕がよく行くYOUNG BLOODSっていう古着屋があって、そこの山本くんはクアトロで働いてた。働いている当時は知らなかったんですけど、ふらりと入ったら声をかけられて。

──下岡さんのカセット、YOUNG BLOODSに置いてありますね。

河野:久しぶりにカセットを見て、こんなに小さかったっけ?と思いました。

下岡:本当ですか。カセット、奥が深くて面白いですよ。海外のバンドのカセットを何本か聴くと、すごく音がいいんだけど、なかなかそういう音が出なくて。複製の技術の問題なのか、マスタリングの問題なのか分からないですけど、ただ曲を作って、業者にお願いして、ダビングしてもらうだけではだめなんだなと。

河野:へぇ!

下岡:1,200円で売っているんですけど、作るのにお金も結構かかって、100本売っても大したお金にならない。普通そういうのって最初に計算してから始めるんだろうな、って思うけど(笑)。だからUMINECO RECORDSの古里さんには感謝しています。

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河野:自分でやっていると「やってみたいから」ってことでやれるのが良さですよね。僕もイベントとか物販とか、「どうしようかな」ってずっと思っているんですけど、結局また作っちゃって。ずっと同じことを繰り返しています。

下岡:まさにそう。あと何本か作るから、その分を何かで稼がなきゃ。モノを作って売るの、数のコントロールとか宣伝とか色々難しいですよね。バンドを自分たちでまわすようになってから、毎回難しいな、と思っていて。

河野:難しいですね。去年Analogfishさんにも参加してもらった「CONECT 20▶21」の企画は在庫を残さないように受注でやっていたので、注文を受け付けている期間はお客さんに待ってもらっているんですが、本当は早く届けたいです。

下岡:普通の販売と受注をうまく使い分けるの、大事ですよね。

河野:そうですね。物販のデザイン、毎回かわいいしお洒落だなって思うんですけど、メンバーさんがやっているんですか?

下岡:いつも盤のデザインをしてくれている方にお願いして作るようにしています。今、素人でもiPhoneとかPhotoshopとかでなんとなくデザインできちゃうけど、それで済ませようとすると俺たちは大体後悔するから、そこはちゃんとお金を使ったほうがいいね、って結論に達して。

河野:大きい話になっちゃいますけど、時間とお金をどこに使うか、結局そこが難しいですよね。

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下岡:自分でやれば自分がいいと思ったものをどこまでも作れるじゃないですか。でも仮にそれで誰も喜ばなかったら意味があるのかな、って。本当に自分は自分の満足だけのために音楽が作れるのかどうか、カセットを作っていて久しぶりに考えちゃいました。

河野:何のためにやっているのかって、明確になったり、急に忘れたり。

下岡:上京してバンド活動を始めた頃は、当たり前のように「こうやったら誰か気に入ってくれるんじゃないか」と夢中で曲を作っていて、それは別に悪くなかったな、って思うし。自分の納得量に偏ったり、人に喜んでもらうことに偏ったり、バランスって難しいですよね。

 

アルバムを作ったらHIPHOPスタイルで、サンプラーとマイク一本でライブしたいですね

河野:下岡さんの中では、バンドの活動とソロの活動は別物ですか。

下岡:すごく違うものをやろうと思って始めたはずなんですけど、作ってみたら毎回こんなことを言っているんだな、って感じでした。でもあまり歌にならないように、とにかく言葉でやろうとは思っています。

河野:全体的なメッセージ性は似たものを感じたんですけど、歌詞の細かいところの描き方はバンドとソロで違うなと思いました。

下岡:違いがあってよかった。もはやもう、自分では分からない。バンドのときはメロディーに乗せて言葉を絞る作業だから、ソロでは細かく音節は気にせず、どんどん描写をぶっこんでいけるのはいいところだなって思います。

河野:歌詞カード、感動しました。歌詞で歌っていない部分があって。

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下岡:歌詞カードとしては間違っているって誰かに言われました。ははは(笑)。たしかにそうだな、と。

河野:ミュージックビデオもシンプルだけどすごく語るものがあってよかったです。間奏の、窓ガラスを指でなぞるところの映像と音がシンクロしていて。終わり方も面白いですね。

下岡:「終劇」って感じ。ウォン・カーウェイっぽくて、すごく良いなって思いました。映像作家の方も良い方で。もっと沢山見て欲しいな。カセットテープを出すごとにMVを作ろうと思っています。

河野:アルバムまでの構想はあるんですか?

下岡:UMINECO RECORDSからこの形で4・5本出して、最終的にレーベルをどこか探して、アルバムでまとめようと思っています。次に出すカセットのミックスは進んでいて、それが上がったらリミックスに出して、みたいな感じですね。色んなトラックメイカーに声をかけています。アルバムを作ったらHIPHOPスタイルで、サンプラーとマイク一本でライブしたいですね。

河野:僕、今日HIP HOPの話を一番したかったんですよ。下岡さんのHIP HOPの起源がどこなのかすごく気になっていて。

下岡:スチャダラですね。スチャダラパーがすごく好きで、ビースティ・ボーイズもちょうど高校生の時よく聴いていて。最近のも聴きますけど、結局ブレイクビーツだった頃のヒップホップのほうが好きですね。

河野:僕もビースティー・ボーイズが好きで、adidasのCAMPUSを買いました。足の形が合わなすぎて、今は履いてないですけど。

下岡:最高。CAMPUS 80sとか、PUMAのSUEDEとかね。あとは未だにすごく好きですけど、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかが出てきて、その感じもありますね。

河野:「THE BATTLE OF LOS ANGELES」、無人島に持って行きたいアルバムTOP5に入ります(笑)。

下岡:入る(笑)。LIBROさんとかも好きだな。現行のHIPHOPを網羅して聴いたりはしないですね。好きなところだけつまむ。

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河野:僕もそんな感じです。海外だとコモンがすごく好きです。「Be」とか擦り切れるくらい聴きました。国内だと志人とか、THA BLUE HERBが好きですね。

下岡:コモンかっこいいですよね。THA BLUE HERBとか54-71とかMO’SOME TONE BENDERのあたりって、クアトロくらいのサイズで一緒にやったりしていて、めっちゃ興奮しましたね。54-71って今聴いたら超おかしいじゃないですか。あのレベルにおかしくて、あれだけ人が入るバンドって今あるんですかね。

河野:僕は最近NOT WONKがいいなと思っていて、若い世代の中で一番パンクだなと思っています。

下岡:NOT WONK、俺もめっちゃ好きですよ。怒っている人が好きだから、結局そういう音楽が好きですね。

 

La.mamaは他で提案されない人と組んでくれるんですよね

河野:普段の生活は、この状況下で結構変わりましたか。

下岡:正直、音楽がなかったら長野に行ってリンゴを作って、という感じで途中まではそんなに変わらなかったんですけど、緊急事態宣言が出ると、長野にも行きづらくて。去年は文化庁の補助金でDVDを作ったりしたんですけど今年はどうしようかな。色々考えなきゃいけない。

音叉点

河野:州一郎さんが、7月はレコーディングをするって言っていました。

下岡:今作っているアルバムは、健太郎さんがすごいいい曲をいっぱい書いていて、健ちゃんアルバムだって僕らは思っています。年末くらいに出したい。

河野:へぇ!

下岡:次のアルバムも「Still Life」のフィーリングが続いていて、今はライブのラインナップもそういうノリのものが多くて。でも俺「荒野」みたいな方向も好きなので、とにかくでっかい音で、8ビートの曲をやりたい気持ちもあって。次のアルバムをまとめたらそういうのも作りたいですね。

河野:来月はセカイイチとFEVERでライブですね。久しぶりじゃないですか?

下岡:そうですね。全然会ってないから、すごい楽しみ。慧はTVで音を作る仕事とかやっていて、転がすのもすごく上手だし、気持ちいい魅力のあるやつですよね。

河野:8月7日はLa.mamaでAnalogfishとゆうらん船です。

下岡:ゆうらん船、すごくかっこいいな、と思っていたから良かった。

河野:ゆうらん船のメンバーも楽しみにしてくれています。

下岡:ブッキングの能力だと思うんですけど、La.mamaは他で提案されない人と組んでくれるんですよね。

河野:僕にとってAnalogfishは色んなアイデアが浮かぶバンドで、過去のスケジュールを振り返っていても、僕が一緒に仕事させてもらっている人たちの中で一番振り幅があります。

下岡:ありがたい。俺たちキャリアが長いから、「Analogfishはここにはめる」っていうのが大体決まっている。それは嬉しいですけど、La.mamaはそういう組み合わせでは絶対呼ばれないので、いつも新鮮ですごく面白いです。

※公演の開催についての最新情報は公式サイトでご確認ください。

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