第12回 千葉 和利 氏

インタビュー リレーインタビュー

千葉 和利 氏
千葉 和利 氏

株式会社バッドニュース音楽出版 代表取締役

メジャーレコードの枠を越え、プロダクション業務も始めたスピードスターの高垣氏が「つきあいのあるインディーズのなかでも、とても勉強になって、教えられることが多い」というバッドニュース・レコード。もはやインディーズという言葉でくくってしまうのもはばかられるほど独自のカラーを持ったバッドニュースの躍進の秘密を、代表の千葉和利氏にたっぷりと語っていただきます。
 千葉氏が「呼び屋」時代を経てバッドニュースを設立し、雑誌創刊からベース野郎のヒット、チボ・マットがブレイクしてレーベル業務に移行するまでの急成長の歴史をひもときます。

[2000年11月16日/渋谷・バッドニュース・レコード社長室にて]

プロフィール
千葉和利(Kazutoshi CHIBA)
(株)バッドニュース音楽出版 代表取締役


1952年9月5日札幌市生まれ。1971年上京。親に学校に行くと嘘を付き憧れの東京に来る。30以上のアルバイトを経験。 1973年ユニバーサル・オリエント・プロモーション入社。票券をやりながら企画宣伝等を担当。
[招聘アーティスト]
スタイリスティクス、ジェイムス・ブラウン、マービン・ゲイ、ボブ・マーリー、ジミー・クリフ、ホール&オーツ、フォリナー、エラ・フィッジェラルド、マイルス・デイビス、ウザー・リポート、ジュリー・アンドリュース 他
1984年 ジャパン・プロモーション入社。企画宣伝担当。
[招聘アーティスト]
フランク・シナトラ、シャカタク、V.S.O.P、クール&ギャング 他
[国内アーティスト]
沢たまき、カンガルー 他
1986年 M&Iカンパニーで招聘業務立ち上げ。ブルース・カーニバル、カリビアン・カーニバル等、フェスティバル物を企画。1990年 「バッド・ニュース」音楽雑誌立ち上げ。雑誌、コンサートの企画、レコード制作等を平行して行う。 1994年 ディアマンテスのマネージメントを開始。 1996年 CD制作に専念。 現在、くるりのマネージメント業務も担当。
[海外]
チボ・マット(初期)、ブライト・アイズ、ジェット・セット ・レーベルもの、ベース野郎シリーズ 他
[国内]
グーフィズ・ホリディ、イージー・グリップ、スプージーズ、 スペース・カンフーマン、「悪名」シリーズ、レーベルではウイラード・ウォーブレン、 えん突 他


 

  1. 「プロモーター」前夜の「呼び屋」時代
  2. M&I立ち上げ、そして「バッドニュース」創刊
  3. チボ・マットの大ブレイク!出版社からインディーズレーベルへ
  4. 運命を変えた「ベース野郎」シリーズ
  5. ノッてる予想屋を見極めろ!
  6. 「ひとりA&R」で好きな音楽を作る!
  7. アーティストとの信頼ある契約関係が大事
  8. 飛び出せSPOOZYS!!アメリカでのライブ修業
  9. ジェットセット・レーベルとの出会い
  10. 「ひとりA&R」兼「ミュージシャン」!
  11. 人生はすべて…根っからのギャンブラー!?
  12. やっぱり最後は「人」が宝!

 

1. 「プロモーター」前夜の「呼び屋」時代

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--高垣さんからのバトンタッチなんですけども、高垣さんはメジャーのなかで新しいことにチャレンジされてる方だと思うんですが、最近お付き合いするようになったインディーズの中でも、バッドニュースはものすごく勉強になるし、教えられていると言ってましたよ。今日はそのへんのノウハウの秘密をお伺いしたいなと思いまして。

千葉:秘密ねぇ(笑)。逆にスピードスターのやり方が参考になることもありますから、逆もあるんですよ。まあ高垣さんは昔からよく知ってはいたんですよね、サザンやってる時から。でもきっかけはやっぱりね、くるりっていううちのアーティストを2年半前くらいからやるようになってから頻繁に話すようになりましたね。

--千葉さんは前はユニバーサル(オリエント・プロモーション)にいらっしゃったんですよね。今はインディーズをやってらっしゃるわけですけど、ユニバーサル時代からご自身としてはどういう心境で今日に至ってるのかなっていうのをお聞かせ願えますか。

千葉:ほんとは確かな目的意識を持ってこうしようと思ってやってきたわけではないんですよね。音楽が好きで、何かそういう仕事できたらなって思ってはいましたけど。それもたまたま偶然ですからね。たまたま業界に入って、呼び屋ってものを経験して、あの当時は呼び屋にはすごく魅力感じましたね。

入った当時はね、会社っていうより、詐欺って言ったら変だけど、何ていうのかな、ないものを形を作って提供して、まあ実際には音ですからね。それで感動させるっていう。これはすごい世界だなと思って、プロモーターっていうより、呼び屋っていう呼び名にすごい魅力を感じました。

--ネーミングがね(笑)。まだ呼び屋でしたよね。

千葉:僕がこの世界に入った当時は呼び屋の終わり頃の状況なんですよね。プロモーターになりかけてて。やっぱりキョードー東京がものすごくて、ガンガンいろいろ呼んでて。近代化されてきて。ちょうどスポンサーをつけ始めた頃ですね。「サウンズ・イズ・コーク」とかですね…。

--それってだいたい何年頃の話なんでしょうか?

千葉:年代考えたことなかったんですけど…27年くらい前だから、1972年か73年頃じゃないかなと思いますよ。僕が入ったのはね。

--外タレとかロックバンドとか来はじめたころですか?

千葉:いや、その前から来てましたよね。

--でもかなり盛り上がったのがその辺でしたよね?

千葉:あぁ、そうですね。前まではなかなか来なかったから、来ると珍しかったのに、その頃はもう頻繁に来るようになってきて。客もだんだん入るようになってきて。まあ呼び屋っていうのはなんとなく一発屋的な感じするんですけど。その頃からなんとなくプロモーターっていう言葉が出はじめてて、企業化してきたんですよね。呼んでるだけではダメだからって、上條さん(キョードー東京)なんかがね、スポンサーを付けはじめてて、どんどん大々的にやるようになった時期ですよね。でも、キョードーはそれなりに近代化されてるんですけど、ユニバーサルの前の社長の横山さんが、キョードー追い越せって一生懸命やるんですけど、やってる方はどっちかっていうと昔のスタイルで。アーティストもポップスよりもソウルとか黒人関係のR&Bとかね。通好みなところをやってましたよね。

--ユニバーサルではどういうお仕事をなさってたんですか。

千葉:最初はね、募集してたのは経理だったんですよ。で、経理やったことないんだけども、一応履歴書に「数字は得意で経理はばりばりできます」って書いて(笑)

--その前は学生だったんですか?

千葉:いや、実家は札幌だったんですけど、もうこっちで働いてました。僕は長男で、3人兄弟で男1人しかいなかったんで、大学は地元に行けって言われてたんだけど、東京に出て来たくてしょうがなくて、それで学校入るって言ってこっちに出てきて、3日でやめちゃってね。

--なるほど(笑)。

千葉:やめちゃったんで親から仕送りがなくなっちゃったんで、それでアルバイトやったりとかいろいろしてて。とにかくこっちで何かしたかったんですよ。仕事は好きだったんでいろいろやったんですけど。そのときたまたま夕刊フジに、このくらいちっちゃな「経理募集」ってあったんです。それで運良く採用されて。

--夕刊フジっていうのがおもしろいですね(笑)。

千葉:そうですね(笑)。なんか、「アダモを呼んでる会社で〜」とか書いてあって、「経理募集」だったんですよ。最初入ったのは経理だったんですけど、昔はチケットぴあないですから、チケットを作んなきゃいけないんですよ、徹夜で。ハンコ押しして作ったものを税務署で検印して、それをプレイガイドとかに配券して、それで、あとは回収してっていう、そういう票券のところですね。チケット担当のところに最初入ったんです。

--それが社会人としてのスタートってことですか?

千葉:そうですね。まぁ、それまではほとんどバイト的なことばっかりでしたから、それがスタートだと思いますよ。21歳ぐらいの時だと思いますけどね。

--お生まれは何年なんですか?

千葉:僕はね、52年生まれです。だからそう考えると、73年くらいかなって思うんですけどね。

--21歳の時に音楽業界に入ったと。

千葉:そうですね。ただ票券の部署に入ったわけですけど、現実的にはね、票券やりながら何でもやらされましたからね。

--その頃会社はもう大きかったんですか?

千葉:当時はね、呼び屋的にはキョードーとユニバーサルとポピュラー関係ではほぼその2社だったんですよ。ウドーさんはまだなかったんです。あとはクラシックの呼び屋とかそういうのはありましたけど。大きいのは2社体制みたいな感じだったんですよね。

--じゃ、社員もたくさんいたんですね。

千葉:いましたね。呼び屋にしちゃ、20人ぐらいいましたから、でっかい方だったんじゃないですかね。

--その頃のキョードーの社長っていうのはあの…?

千葉:えー、あの人ですよ。内野(二郎)さん。うん。永島(達司)さんじゃないですね。永島さんは、ま、会長っていうか、もうそういう立場で。社長は内野さんでした。まあ呼び屋の歴史の中で、永島さんとかはもう少し最初の頃に活躍されてましたよね…(キョードーは)内野さんと2人で始めたのかな?当時の社長はたぶん内野さんがやってたと思いますよ。

--永島さんはなんていうか、大ボスって感じでしたよね。

千葉:キョードーはもうその頃はもうばりばりでしたよ。呼ぶもの呼ぶもの入ってた時代ですからね。びっくりしちゃうよ。呼べば入るって状況の時ですよね。一番いい時じゃないですか。

--千葉さんの呼び屋時代っていうのは何年ぐらいだったんですか。

 

2. M&I立ち上げ、そして「バッドニュース」創刊

千葉和利3

--その後M&Iカンパニーに入られるわけですね。

千葉:そうですね。

--これは創業の時から参加されたんですね。

千葉:そうですね。キョードーやめた一瀬さんっていう人が、デザイン会社とかいろいろやったんですけど、やっぱり呼び屋みたいなことやりたいっていうんで、その頃僕はジャパンプロモーションでやったんですけど、じゃ一緒にやりましょうっていうことで、呼び屋を立ち上げたんですよね。

--M&Iは今もけっこういいアーティストをやってますよね。

千葉:そそうですね。あそこはあの当時からけっこう面白いものをやってましたよね。一瀬さんは元キョードー東京にいてばりばりにやってましたし、僕はユニバーサルにいたんで。だからね、大きな呼び屋の力を知っていましたから、始めるに当たって彼らとケンカしてもしょうがないから、呼び屋としては狙い目を変えてやろうと。呼ぶにしても来日する人数が少なくて、みんなが狙ってないようなもの…ブルースとか、そういうものをきちんとやっていこうと。ポップスだとそういう風にはいかないんですけど、経費がかからなくて、狭くてもいいから確実にターゲットに来る、っていうのを呼んでいこうということで始めたんですよ。僕は前にいろいろやっててスポンサーとかいろいろ知ってたんで、なるべくリスクを軽くするために、ブルースカーニバルにはミラーっていうビールメーカー付けたりとか、カリビアンカーニバルには富士通さん付けたりとか、あとはテレビ局付けたりとか。ま、そういうこと付けてって、なるべくリスク少なくということでやってって。今はだんだん大きくなってきたから、けっこうメジャープロモーターと同じような形でやってますけどね。今は僕もう離れちゃったりしてますからね。

--今もバッドニュースで海外まで行かれてますね。海外とのパイプが強いのはやっぱりこの時代に培われたノウハウとか人脈があるわけですよね。

千葉:いや、それはないですね、ほとんど新規開拓ですね。呼び屋時代に音楽雑誌にすごい興味あって、それでバッドニュースで雑誌をはじめたんですけど、なかなか音楽雑誌っていうのは実際にやってみると大変で…。

--最初、バッドニュースっていう雑誌は藤田正さんが編集長でしたよね。

千葉:そうですね。藤田さんと河村要助さん(イラストレーター)の二人で立ち上げたんです。基本的にはスポンサーでお金出したのがM&Iだったんですよ。僕が両方交互に見ながらやってるっていう状況で。雑誌だけやっていてもおもしろくないから、雑誌やってく中でなんかおもしろいCDを出せたらっていうことで、年に1枚か2枚か出したんです。それはどちらかというと商売っていうよりはおもしろいことやろうっていうことで出して。そのうちCDが多くなってきてて、雑誌の方もなかなかね…。それなりに評価は得たんだけども、続けることは大変で、5年くらい前に雑誌はいったん休刊にして、その時くらいからCD1本にしぼったということですね。

--藤田さんは「ミュージックマガジン」にいらした人ですよね。(バッドニュースが創刊されたときは)「ミュージック・マガジン」とはまた別の雑誌が出てきたなっていうイメージがありましたよ。

千葉:そうですね。あの時はすごい業界的にも評価されたと思いますね。違う物を作ろうってみんな一生懸命やってましたからね。僕は編集には全然関わってなかったんですけど。でもいい仕事してるなって思いましたよ。ただ続けてくっていうのが大変ですよね。

--月刊誌とか作ると大変ですよね。

千葉:大変ですよね。やってる人も大変だと思うし。

--「Musicman」は年に1回で我慢してもらってますけど(笑)。雑誌は何年続いたんですか?

千葉:6、7年…ぐらい続いたと思いますね。

--ビジネスとしては成り立ってたんですか?

千葉:まぁ…ちょっと苦しかったですね。正直なところね。今も音楽誌はなかなか、やっぱり難しいんじゃないですか。「ロッキングオン」とかはうまくやってるけどね。あとは大きな企業でやってるところじゃないですかね。

--でもプレーヤーとかキーボードマガジンとか、そっちの方はうまくいってますよね。

千葉:あぁ…そうですよね。専門誌の方はね。広告とうまくからんでますよね。

--リスナー向けの雑誌っていうのは難しいですよね。

千葉:難しいですよね。売れることが一番ですから、広告はレコード会社からになりますよね。そうするとどうしてもレコード会社よりになっちゃいますから。そのバランス感覚が難しくなってくるんじゃないですか?広告をもらうと。余計なものついてくるとそっち側の意向も入ってくるっていうね。

--金だけもらってボロクソ書くわけにもいかないし(笑)。

千葉:そういうことですね(笑)。広告もらってるのにね、片方じゃ「こんなCDは…」って書くわけにはいかないから。ま、その辺がたぶん…、僕もそんなに編集の方はしてなかったんですけどね、やっぱり相当悩んでたっていうか、難しかったんでしょうね。

--雑誌編集での千葉さんの役回りは?

千葉:僕はほとんど全体的なことをやってたんですよ。だからこう…もともと他と違うものを作っていきたいって気持ちがあって、なんでもみんなそうなんですけどね。それでそういう夢を求めて編集者とかイラストレーターとかが制作に取り組んでるじゃないですか。だからもちろん販売もいたんですけど、なるべくそういう方向に行けるように、僕がいろんなところからお金持ってきたりとか、そういうことをやったんですけどね。そのうちだんだん雑誌に体力がついてくればうまくまわるようになるかな、と思ってたんですけど、なかなか難しいですね。さっき言った広告の問題と、あとは流通の問題ですよね。トーハン、日販になると結構大変だってこととか。ま、いろいろ勉強になりましたけどね。

--トーハン、日販は通してたんですか?

千葉:いや無理でしたね。何回か行ったんですけど門前払いでしたね。でも逆に言ったらあれ通さなくて良かったと言われましたけどね。あれ通した時には返品の山で大変なことになる…。補償金の問題とかけっこう大変みたいですけどね。わかんないですけどね。

--どっかの雑誌社の口座を借りて、発売をどこかにディストリビューションするとか…。

千葉:ああ、そういうやり方もありましたね。一時そういう方向も考えましたね。それはちょっとやんなかったですけどね。

--最大どのくらいの部数だったんでしょう。

千葉:2万とかそのくらいのところまでいった時期がありますよね。でも、公称と実売とは違いますけどね。公称はやっぱり広告の問題とかあるから5万とかなんか言ってましたけどね。

 

3. チボ・マットの大ブレイク!出版社からインディーズレーベルへ

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千葉:一番最初はね、藤田さんのからみでね、たしかね、河内家菊水丸の、「カーカキンキンカーキンキン」って流行った時あるじゃないですか。あのときに、音頭ですから彼がカセットテープを作って売ることは知ってたんですよ。村祭りとかなんか行くたんびに自分で吹き込んだテープがけっこう売れてると。で、CDを出したいっていう話があって、おもしろいかもしれないと。で、たまたまカーカキンキンっていうのも流行ってるし、藤田さんと話してじゃCDを作ろうかと、おもしろいからやろうよ、っていうのが第一弾で。その時にちょうどね、アントニオ猪木が都知事選に出馬したの覚えてます?途中でやめたじゃないですか。猪木がイランかどこかにフセインに会いに行きましたよね?その時にちゃんとDAT持ってって、その場の実況とか、その場でやった音頭とかとった「アントニオ猪木一代記」っていうネタがあって、それを出そうっていうんで。で、都知事選もあるから、応援歌にすればおもしろいよって言ってやったんですけどね。都知事選やめちゃったんで、ちょっとトーンダウンしちゃったんですけども。でも、けっこう売れましたよ、2枚組みでね。

--カーキン音頭を出してたんですか?

千葉:あ、カーキンじゃないですよ。カーキン自体はコマーシャルのですから、それはちゃんとしたレコード会社から出しましたから。そうじゃなくて、河内家さんのほう。

--ちゃんとしたレコード会社(笑)。

千葉:それが第一弾ですね。で、まあ、あとはそうですね、カリビアンカーニバルっていうのをM&Iでやってたんで、来日するのにレコード出してないアーティストがいたんで、レコード出してあげるとか。そんな感じで、会社としてはレコードを出さなきゃだめだっていうんじゃなくて、なんかあったら出そうか、っていう状況で始めたんですよ。

あとは雑誌をやってた関係で、音楽雑誌は書店でも置いてますけど、やっぱり輸入レコード店…タワーレコードとかそういう所ですごい売れたんですよ。そういう所で置いてもらったっていうことで、レコード店とのコネクションができたりね。そういうところがたぶんきっかけ的には多いですよね。こんなレコードがおもしろいよっていう話があって、じゃあ出そうか、とか。

--要するにバッドニュースっていうのはもともと本を出すためにつくった会社なわけでしょ?で、本やめて、突然スタッフがCDつくりはじめたんですか?

千葉:そうでもない。だから、編集は編集でいたんです。レコードはレコードで、最初は片手間でやってたんですけど、だんだん1人増え、2人増えで、レコードの方にもやっぱり人がいたんですよ。クロスしてやってたんですよ、2年くらい。それでやっぱりレコードの方がどんどん大きくなってきたんで、急にコロッと入れ替えたんじゃなくて自然に。スタッフはレコードやってたスタッフが受け継いでやったんですよ。

--外部から見るとバッドニュースのイメージがどんどん変わっていきましたよね。最初に「おぉ!」っていう感じを僕らが持ったのはチボ・マットかもしれないですね。あとはディアマンテスですよね。

千葉:あぁ、そうですね。さっきも言いましたけど、何年後にこう持っていこうっていうよりは、その当時はおもしろいことやりながらだんだんだんだんCDのほうへ移行したんですよ。みんなやりたいことはたくさん出てくるから、ディアマンテスのCD出したり…まあチボ・マットも一つのきっかけですけどね。あれもほんとはうちが出せるようなのじゃなかったし。当時けっこうすごかったですから。ワーナーと全世界のインターナショナルな契約をしてて、日本人のアーティストでは初めてですからね。要するに彼女たちは日本とイギリスだけは自分達がレコード会社をチョイスできる権利を契約してたんですよね。

--頭いい、賢いですね。

千葉:めっちゃくちゃ頭いいですけどね。で、日本は、当時ワーナーはやっぱりちょっとあの系統(ディー・ライト等)を売るのがあまりうまくなかったから、ということみたいですよ。チボ・マットがたまたま来日して、下北沢の小さなライブハウスでライブをやるというので、見に行ったらやっぱりすごい来てましたよ。ワーナーも来てたし、ソニーも来てたし、何社か来てて、すげーなと思って。その時に冗談で、うちもレコード会社だからね、なんて冗談で言ってたんですけど、結局彼女たちがじゃあやろうってことになったんですね。そんな感じでしたね。

--どうやって獲得したんだろうって(笑)。

千葉:いや、そんな。ま、やっぱり友人の(高橋)健太郎っていう要素もでかかったですね。あとは来るたんびにいろいろライブの手伝いしたり、いろいろ会ったりして話す機会があって。うちもチエコ(ビューティー)とかいろいろやってたんで、そういうの見てもらってね。彼女たちが会社に来ることもありましたからね。ある意味じゃ、大きいところより、そういう熱みたいなものを感じてもらったかもしれないですね。

--集めていらっしゃるスタッフも優秀な方が多いんでしょうね。

千葉:いやいや(笑)。でもみんなすごい好きで入ってきてますからね。レコード会社ってみんなそうだと思いますけど、好きで入ってきて、好きなことやってると、たぶんパワーでますよね。その辺がなかなか難しいですけどね。でもたぶんうちの中ではそういう形でなるべくできるようにはしています。そういう意味じゃ多少熱気があるように見えるかもしれないですね…みんな、ココ来ると、熱気があるねっていうのはそこかも…。

--いいことですね。たしかな展望もなく好きなことやってたらちゃんとビジネスになっちゃったってすごいことですね。

千葉:そうですねぇ。徐々にやりながら。でもやっぱり、チボ・マットくらいのときが一つのうちの転機だったのかもしれないですね。日本のものっていうのはやっぱり制作費かかるじゃないですか。制作費かけるまでの予算もないから、一番最初は海外のものをリーズするっていう、借りてくるっていうのが一番。要するに低予算じゃないですか。でもそれでいいものをやろうとすると、だいたい大きなレーベルに入っているから、日本の発売元もメジャーに決まっている。そうすると、どうしても単発契約になってしまって、なかなかね、レコードだけで食べてこうと思ったら、毎月定期的に出さなきゃダメじゃないですか。

--エイベックスみたいな。

千葉:まあね。でかい形ではそうですし。毎月1タイトルか2タイトル出さないとやっぱり回転していかないじゃないですか。で、それで最初はRMMっていうちょっとラテン系の…サルサとかのレーベルが浮いてたんですよ。まだラテン系がそんなにブレイクしてないときでね。そこでレーベルで契約すれば、安定的にレコードが出せるじゃないですか。だからレーベルとしてはそれが一発目ですね。その時期ぐらいから定期的にコンピレーション作ったりとかしてました。ラテン系でもマーケットありますからね。ほかにもいろんなこと仕掛けたりして、しばらくはそれで会社が少しずつ大きくなっていって体力がついて、人もある程度増えてきたんで、国内制作ものに手を着けたんです。「悪名」っていう、ヒップホップのコンピレーションを作ったんですよ。日本語のヒップホップで、今有名になったアーティストがほとんど入ってますよ。いまだにロングセラーになってるんですけど、それもうちにとっての一つの転機ですね。制作ものも低予算だけどやりはじめて。次にチエコビューティーとかをやりましたね。それまでは入ってきたらやるっていう、その場その場でやってきたのが、レーベルとかその辺の洋楽をやりながら徐々にスタッフも集まってきたぐらいの時にチボ・マットをやったおかげで、一般の人たちにも広がったし「チボ・マットをやってる会社」っていうことで入ってきた人間もたくさんいますから。あとは「悪名」ですね。やっぱり、レコード会社見る時ってどういうの出してるかで見るじゃないですか?そういう意味で大きかったですね。

--ディアマンテスは時期的にいうとどういう時期なんですか?チボ・マットよりは後なんですか?

千葉:前です。ディアマンテスはね…ちょうどM&Iで、僕がラテンのカリビアンカーニバルていうのをやってたんですよ。で、その時に日本のアーティストも毎年1アーティストくらい出してたんですよ。一番最初がオルケスタ・デ・ラ・ルスがまだデビューする前の時で、それで、3回目ぐらいの時に、沖縄にいいバンドがいるから、カリビアンカーニバルに出してくれないかっていう話があったんですよ。それであんまり期待してなかったんだけど、一応見に行ったんですよ。で、見たら、めちゃくちゃ良かったんですよ。アルベルトの存在がすごくてね、まさかあんなラテンのね、ロック歌う人間がいるなんて。すごかったんですよ。それで急遽出そうということになって。そこからもう、音源もあるっていうからレコードを出してやろうってことになって。それではじめたんですよ。それは7年ぐらい前だと思いますけどね。

その時はさっき言ったように雑誌の方を主にやってたから、レコードの方にはそんなに力入れてなかったんですけども、アーティストがいいから、とにかくやろうということで、沖縄限定で最初出したんですよ。全国発売は難しいと思って。沖縄で2、3ヶ月で5000枚。あの当時で5000枚っていうのはすごかったんですよ。沖縄中のレコード店がびっくりするくらい売れちゃって。ほんとはインディーズでもうちょっと出そうと思ってたんですけど、レコード会社の何社からか話あって、今のユニバーサル、マーキュリーに決めたのかな。それがRMMをやりはじめたときぐらいですね。

 

4. 運命を変えた「ベース野郎」シリーズ

千葉和利5

--その後チボ・マットのころになると、千葉さんも気合いが入って、よっしゃあインディーズレコード会社として大きくなろうじゃないかっていうお気持ちはやっぱりあったんでしょうか。

千葉:いやあその頃はまだないですね。まだね、その場その場でね、3ヶ月後に何出すかっていう状況で、1年後にどうするかってことを考えてる余裕なかったから…その当時はまだないですね、まだ僕の中では。とにかく制作してて、3ヶ月後に何出すかっていうことを決めなきゃダメなんで、半年後にどうなってるかってことよりもとにかく3ヶ月後にものを出すと決めたらそれに向かってレコーディングして準備して、出す。それを前後してまた3ヶ月後。とにかく3ヶ月先。そしたら気がついたら1年経ってたっていう。そういう状況で、ようやくチボ・マットに前後したころから、「ベース野郎シリーズ」っていうのを立ち上げたんですよ。いわゆるベースものね。それがそんなに期待してなかったのにすごい当たって、3ヶ月に1枚だったのが、当たったんで月に1枚出すようになったんですよ。

--月に1枚?

千葉:月に1枚。毎月1枚、それを2年間出したんですよ。だから30枚以上出しましたね。約3年間ぐらいずっと出し続けたんです。

--これはどういう企画だったんですかね。

千葉:これはね、カスタムカーとか、ローライダーっていう、要するにスピーカーを積んで、何埠頭だったか、ブーンブーンブーンって大きい音出してやってるじゃないですか?ベースの音がすごい大きな…

--すごいサウンドシステムみたいな?

千葉:そうそうそう。それ用の音源なんですよ。ベース。マイアミから始まったんですけどね。エイベックスも何か出してたかな?そういうシリーズを「ベース野郎」って立ち上げて。それがすごい当たったんですよ。

--それ当たると思ってました?

千葉:いや…あそこまでは(笑)。で、狭い世界なんで、ま、出すと2万枚ぐらい確実に売れてましたから。もうびっくりしちゃって(笑)。すごいターゲットが狭かったから宣伝するのが楽でいいんですよ。広告打つにしても2誌ぐらいのところに打って、あとはカーショップみたいな所に案内出せば、あとはだいたいクチコミでいくんでっていう感じですね。

--めちゃくちゃ効率いいですね。

千葉:効率いい。そのとおりです。で、それをやっていく中で、こういうのブームだから、いずれは、下降していくだろうなと思ったんですよ。その時代ぐらいからですよ、ようやく、シリーズで出してるから先のことが見える。今までは3ヶ月ぐらい先しか見えなかったから。

--そういうシリーズ大事ですね。

千葉:そうですね。だから1年後にはだいたいこういうの出してるっていうのがわかってくるじゃないですか。ある程度会社も大きくなってきたから人もそろえてきて、給料体系もこうしてとか、その時からホームページ始めていろいろ配信したりとか…。

--もしベースものが当たってなかったらどうなってたかわかんないですよね。

千葉:当たってなかったらいまだに3ヶ月先のことやってたかもしれないですねぇ。

とにかくこういうものは続いて3年から5年くらいだと思ったんで、このときにインディーズっていう、自分達で制作することをやり始めたんですよ。それまでは海外から借りることばっかりやってたのに、その時ぐらいから国内制作ができるようにスタッフを集めてね。いずれベースものが下降してくるときに、インディーズものがだんだん上がってきて、理想的には売り上げが半々ぐらいになればいいなって思ってたんですよ。それで今でいうインディーズシーンっていうのを作っていくっていうことを始めたわけです。

--今はちょうどそのくらいの割合になってるんですか?

千葉:もうベースものっていうのがいきなりストーンッと落ちちゃって(笑)、いきなり、こっちがほぼ10%とかになっちゃって。まあ洋楽とは別ですけどね。洋楽と邦楽とでいえば、今は50、50くらい。

--まだ洋楽が50%なんですね。

千葉:そうですね。だから、その頃からインディーズをやりはじめて、いろんなバンドをたくさん今もやってますけど、今一番勢いがあるのはくるりですね。くるりには3年くらい前に出会ったんですけど、1年ぐらいしたころから、「これはある程度行くんじゃないかな」とは思ったんですけれどね…。

--くるりはどういう発見の仕方なんですか?

千葉:ええとね、うちの制作はそれまでいろんなことを失敗して繰り返して、やってきてたんですよ。大きなレコード会社のマネして、昔は制作の人間、宣伝の人間、販売の人間って担当をわけてたんですよ。そうするといい時はいいんですけども、やっぱり歯車狂い始めると、宣伝は「制作がいいもの作らないから」、制作は「オレが作ってなんで宣伝できないんだ」とかね。だんだん人のせいにしはじめてくるんで、それでちょうどそのころから、「ひとりA&R」っていうのを始めて、制作、宣伝、販売を1人でやるっていうシステムにしたんですよ。そうすると、全部自分のせいですから。そういうシステムに変えて、その代わり予算管理とある程度計画表を持って僕と話せば、だいたいOKってことでやりだしたんです。そういう中で何人か入ってきててやるようになったんですよ。普通だったらある程度経験してからやらせようとするんでしょうけど、うちの場合ある程度販売を経験させたら、とにかくやらせちゃうんですよ。だから普通の会社で3年くらいで覚えることを1年くらいで全部やっちゃう。ま、やってくんないと困っちゃうんで。そういう状況で、1人のA&Rの人間が、「くるりっていうバンドがいるんですよ」って持ってきたんですよ。まあその前にも何個か出してるんですけどね、彼は。

--それが(くるり担当の)藤井さんなんですね。

千葉:そうですね。藤井があの当時見つけてきたんですよね。当時にくるり見た時も、まあ今いろんなバンドたくさんいますけど、ほんと変わらないですね。最初見た時は三軒茶屋のHEAVEN’S DOORかなんかで見たんですけどね、客が5人ぐらいしかいなかったですからね。夏のクーラーがんがんきいてる時で。

--もう上京してたんですね、くるりは。

千葉:ちょうどね、あれですよ。有名なフジ・ロックの1回目。伝説の、雨のね。あれを見に来てる時に、ついでにライブやってたんですよ。そのときに藤井はもうやろうとしてたから、ライブ見に来てくれって言うんで見に行ったら、まだほんとにアマチュアみたいな感じで客も入ってなくて、寒いっていうのが一番の印象でしたね。

 

5. ノッてる予想屋を見極めろ!

千葉和利6

千葉:でもその時ぐらいがきっかけで、やっぱり藤井の時代を掴む、見る目っていうか、そういうのを確信したんだよね。人間っておもしろいですよね。僕もそうだったけど、その人によって違うだろうけど、若い時に3年ぐらいガーッて見える時ありますよね。アーティストでも、これ呼んでくれば絶対流行るとかね。マスコミの全体の音楽の動きとか人の動きとか見てて、あるんじゃないですかね。人にはバイオリズムみたいなのがあって、運みたいなツキみたいな、ツキっていうか見える、開けるっていうのがあって、なんとなくそういうのを……僕はギャンブル好きなんですけどね(笑)。やっぱり予想屋とか見てて、その日ノッてる人間いるんですよ。そうすると、予想屋ってプロじゃないですか?自分が考えるよりも、この人間が一番ノッてるんなら、この人間がそれだけ考えてノッてるそいつにノルわけですよ(笑)。それと似ていて、ノッてる人間はやっぱりいいもの見つけてきますよ。いいものを見つけてきて、売る時にノッててパワーがあるから周りも寄ってきますよね。

--そこまでも読めるわけですね。

千葉:いやいや、読めるっていうかね、僕はそれしかない。だから音楽聴いてみんな持ってきてて、一応聴きますけど、いいとか悪いっていってもね、いいっていうのはあんまりダメかもしれないですね、逆にね。ある程度ノッてる人間に対して、ある程度の予算組と宣伝計画があればだいたい当たりますね。

--すごい!

千葉:いや、すごいのはその人間ですよ。その人間がいかにノレるか、そういう自分の状況をつくるかだけですよね。

--でもそれって経営者として一番大事なことですよね。それができればみんな…。

千葉:それができないんですよね。僕もそんな経営者だとは思ってないけど、ギャンブルと一緒で(笑)、ノッてるやつにノルことですよ。

--いやあ、勉強になるなあ(笑)。

千葉:でも、ただそれがずっと続くわけじゃないですよね、僕が思うにはね。やっぱり人によるでしょうけど、がーって集中できて、それがうまくいくのは3年から5年の間。だからどんどんそういう人間を増やしていく必要があるんだよね。その人のバイオリズムがあるから、ノッてるときはノッてるし、こう言うとあれだけど、落ちるときは落ちちゃうから。ノッてるときにばりばりやって貰えるように、「ひとりA&R」をどんどん増やしてくことによってうまくいくと思うんです。一番ダメなのは、一人だと、その人間がノッてる時は会社もいいんだけど、その人間が落ちちゃったら会社も共に落ちちゃうじゃないですか。だから今はとにかくいろんな人間にA&Rをやってもらって…今は5、6人いますけどね。そうやっていくんです。

--その社員っていうのはもともとはご自分で見つけられたわけでしょ?

千葉:いや、だから、ほとんどあれですよ。だいたいみんな来るんですよ。アルバイトとかって言って。うちの場合は正社員っていうよりはほとんどバイトからっていう感じが多いですから。で、バイトやってく中で、だいたい半年か3ヶ月かやってればわかるじゃないですか。うちはいきなり社員になったのはなかなかいない。最初はバイトやって、そのあと社員になってA&Rやってっていうパターンですね。だいたいバイトやってるところを見てて、できそうだったらある程度絞っていって、1年ぐらいたったらやらせてみてっていう…。

--それはあれですか?社員見つけたりするのはプロモーターとして長い間やってらしたことが役に立ってるんですか。

千葉:どうなんですかね。ただ、やっぱり人ですよね。結局、人ですよね。

--人を育てるのがうまいような感じがしますよね。

千葉:これやっててほんと思いますよ。すばらしい組織っていったら、結局、人じゃないですか。みんなやっぱり音楽を仕事にしたいって思うじゃないですか。だからレコード会社とかすごい人気あるじゃないですか。なるべくやってて楽しいことが一番いいんですよね。で、それがお金になれば一番いいんですよね。それに直結するのが一番いいんですよ。そのさじ加減が一番難しい。うちは3年ぐらい経つと、普通の会社で10年ぐらい経ったようになるから、だんだんマンネリ化してくるんですよ。もうずっと走りっぱなしできてますからね。土日ほんとは休みなんですけど、みんな出てきますよ。7時で終わりなんだけど、帰れって言っても帰らない。そうやってばーっと好きなことやってきて、3年ぐらいすると落ち着くっていうか、マンネリ化してくるんですよ。で、優秀な人材がやめてっちゃうケースが多いんです。やめても何もあるわけじゃないんだけど、やめてっちゃう。だから、せっかくそうなったのに…やっぱりここの会社に魅力があるような形をつくんなきゃダメだなって思って、ようやく3年前ぐらいから、会社的なことを考えるようになったんです…。前まで楽しい状況だったんだけど、将来、5年後も10年後もいれるような会社つくんなきゃダメかなって多少考え始めましたね(笑)。3年ごとにみんな入れ替わっちゃったらね。

--それあんまり社員の前で言っちゃまずいんじゃないんですか?(笑)。

千葉:ははは(笑)。だから一生懸命いろんなことやりましたよ。ベースものとかある程度いい時期も、やっぱりもうちょっとね、目先じゃなくて将来のこと考えようって。俺もぜんぜんわかってないわりには、言葉で言ってるわけですから説得力がないですよね、一生懸命言ってて。あの当時ね、「10年後にはみんなに株をあげるから店頭公開してそれを目標にやる!」で、わーって盛り上がったんだけど、何かおかしいなって思ったら、みんな株とか店頭公開っていうこと自体が何のことだかわかってなくて、これはダメだなと思って。だから今も一生懸命やってるんですけどね。

ほんとはもうちょっと小さい形で維持していこうと思ってたんですけど、だんだん会社って人多くなるじゃないですか。今は25〜30人くらいいますけどね。10人くらいまでだとこうやって話せるじゃないですか。毎日朝きて隣でこうやって話せるじゃないですか。今になるとマンツーマンで話せないじゃないですか。そうするとやっぱり会社ってうまくいかないですよね。

--僕も同じ意見なんですけど。10人までは何とかなるんですよね。10人越えたらわかりにくくなって…よくやってらっしゃるなって思うんですけど。

千葉:ほんとその通りですよ。10人以上になるとまたおかしくなって、人がやめていって、またわーってなって増えてくと…店その繰り返しですよ。

--でも、ひと山越えて30人の会社で、今は元気な感じに見えてますから。

千葉:でもまだまだ。だから今はちっちゃな会社にしようと思ってますから。会社一つ一つにわけちゃうとかね。ある人から聞いたんですけどね、料理人って修行するじゃないですか、それである程度教えるじゃないですか。そしたら一人前になるとだいたい独立しちゃうんですよ。じゃあどうせそうやって独立するんであれば、最初から3年後には独立させると。独立する時にはすべてのノウハウとかを渡してあげるから、代わりにあなたがひとりでやりなさいと。そういうことを前提でやる、っていうのを聞きましてね。で、今みんなと話してるのは、今はみんな自分の好きな名前でレーベル作ってやってますから、3年か5年ぐらいして自分がある程度いろんなことできるんだったら、バッドニュースっていう中ではやるんですけど、バッドニュースっていうものがあって、レーベルは個人に任せちゃって。こっち側がやることってのは制作に絡まない例えば総務的な要素とか販売的な要素とか、契約的なことをやってあげる。

--現場とバックオフィスを分けるみたいな…。

千葉:そういう形にしていかないと…ね。ほんとはね、エイベックスみたくピラミッドみたいな組織を作れればいいんでしょうけど、うちはね、ダメなんですよ。みんな部下っていう形ダメなんです。ひとりA&Rのいい部分もあるんですけど、逆に人を遣わないっていう、人に任せないんですよ。

--組織として動かないっていうことは、個人完結型が多いんですか。

千葉:そうなんですよ。だからある程度、3年ぐらいしたら、下を遣うことを覚えろって言ってるんですけど、ずっと「ひとりA&R」ってことでやってきちゃったからね。

--今バッドニュースには中間管理職がいないわけですよね。

千葉:いないんですよ。

--ナンバー2もいないんですか?

千葉:全員がナンバー2なんです(笑)。

--僕個人的にお聞きしたいんですけど、そのスタイルだと普通は10人ぐらいでしかできないことを、よく千葉さんお一人やってらっしゃいますよね。ほんと大変だと思いますよ。

千葉:大変ですよね(笑)。だから曲がり角に来てると思いますよ。やっぱりインディーの会社って10人以上になっちゃうとダメですよ。だってミーティングやるじゃないですか、やっぱり意志の疎通っていうのができないですよ。言っても伝わるまで時間がかかるし、相手も熱を感じるまで時間がかかる。それから、言いたいことも直接来ない、とかって。やっぱり人数が多くなるっていうのは、やっぱり人にも限度がありますよ。だから今ちょうど曲がり角だと思います。だから、なるべくそうやって小さくしていこうかなとは思ってますけどね。

 

6. 「ひとりA&R」で好きな音楽を作る!

千葉和利7

千葉:でも、ちっちゃなことはごちゃごちゃあるけども、さっきも言ったけども、やっぱりみんな音楽好きで入ってくるわけですよね。音楽作ることが好きでやること好きで、自分の好きなもの作ってやるっていうのは、やっぱりやりがいがあるし。そこがちゃんとね、できてればいいんじゃないかなと思うんですけどね。

--でも、ほとんどインディーズの会社って社長自らがプロデューサーでありディレクターであり、ほとんどそうですよね。

千葉:そうですよね。たぶん音楽好きで、作ることが好きで、っていうのが多いんでしょうね。僕の場合ダメなんですよ。音痴だしね。音感はないし(笑)。だから現場はほとんど口出さないですからね。

--インディーズで僕らが眺めまわしてる中では、やっぱりUK (PROJECT)とバッドニュースが、インディーズとは呼べないんじゃないかとなってきてますけどね。メジャーと何が違うんだかわかんなくなってくるみたいなね。

千葉:でもメジャーはメジャーのすごさってありますよね。やっぱり組織と、お金、それとノウハウ持ってるから、ある程度の量を売る時にはやっぱりすごいパワーがありますよね。それと、前まではインディーである程度有名になったらメジャーになるってことがありましたよね。言葉悪いけど、買い取って大きくしていくっていうね。インディーズっていうのはメジャーの養成機関、みたいな。そういう要素が強かったんだけども、やっぱり、流通じゃないですか。前まで流通が閉鎖的だったから、インディーの商品を置いてくれなかったけども、今、流通はけっこう置いてくれるじゃないですか。で、それ専門の流通もあるし、レコード店もあるから。その垣根がなくなったあたりから…ね。ハイスタなんてね、80万枚くらい売っちゃうわけじゃないですか。そのくらいからそういう意味ではインディーズっていうのは変わってきたんじゃないんですか。

--今はあれですか?ディストリビューションっていうのはビクターを使ってらっしゃるのと分けてるんですか。

千葉:2つ分けて使ってますね。インディーの中でも一般に広く全国に出した方がいいだろうっていうのに関してはビクターレコード使ってて、やっぱり濃く絞ってやってった方がいいだろうっていうところに関してはインディーの流通を使ってやってますね。自分で流通持つと倉庫あったり大変じゃないですか。最初は全部それでやったんですけどね。一回預けたことあったんですよ。そうするとまた問題あるんですよね。レコード屋とぜんぜん取引きなくなるじゃないですか。そうすると情報入ってこないじゃないですか。情報入ってこないと制作もだんだんダメになって。それで分けたんですよ、任せるものと直接やるもの。だから多いですよ、レコード店のバイヤーから情報が入ってレコード出すっていう形もすごく多いですよ。

--最近多いですよね。バッドニュースのリリースすごく多くないですか?新しいバンドがたくさん出てくるというか。

千葉:それは、たぶん作る人間、A&Rが何人かいますから、それがそれぞれの中でスケジュールでやってますから。年間でいくつって絞ってないですから。ある程度の…ま、レベルと、それからある程度のA&Rの計画と予算組ができてれば、よっぽどじゃないかぎりはね…。

--基本的にはゴー?

千葉:ですね。ただそれがしっかりできてなければダメですけどね。だいたいうちの場合はすごい貧乏会社ですから、ラフにやってるようですけれど、基本的にけっこうそういうことには僕うるさいんですよ。どんなバンドでもいいですけど、出すのは構わないですけど、インディーだけどアマチュアじゃないわけじゃないですか。基本的にはどんなものを出してもマイナスはダメだと。プラマイ0ならOKだと。1円でもマイナスはダメだ、という状況で、ですよ。

--じゃ、実際に取りかかる前にNG出してやらせないものも…。

千葉:中にはありますね。中にはありますけど、だいたいA&Rやってる人間が、たたきあげで見てますから。やり方とか、どうしたら経費が安くなるかとか見てますから。それである程度任せてる人間が企画出してくれれば、よっぽどじゃない限りは…。

--赤にはならない。

千葉:赤っていうかよっぽどじゃなければNGにはならないですよ。そう言ってますけど、中にはあります。けど基本はそうですよね。

--それは立派ですね…。

千葉:でも、レベルが低いですから。コストも下げてやってますから。レコーディングもそういういいスタジオではできませんよ。ほんとに自分の宅録でやってる状況下で、当然、経費も下げてるなかでやってますから。極端に言ったら500枚売れればペイラインにいくっていうレベルのものもありますから。でもそういう作品がかといって1万枚売れるかっていったら…。でも中にはありますけどね。

--音楽的にはこういうものを出してはいけないとか、そういうことはないんですね。もうビジネスとして成り立つんであればどんどんやらせるっていう…。

千葉:ビジネスっていうよりはその人間が好きであればいいんじゃないですか。

--やりたくてやるならいいと。

千葉:そうですね。その人間が好きであればたぶん一生懸命やりますよ、さっき言った通り。だから、今のところクラシックと演歌はないですよね。でも、ひょっとして演歌が好きな人間が来て、ちゃんとしっかりとしたもの持ってたら、OKなのかもしれないですけどね。

--ほんとに内容には口出さないことなんですね。

千葉:そうですね。何でも僕の中ではOKですね。バッドニュースって見た時になんかいろんなものやってますねって見えますけど、それはひとりひとりのA&Rがそれぞれのカラーを持ってるんですよ。好きな自分の音楽を持ってる。だから藤井っていえば、だいたい藤井系の音楽があるんですよ。それと石渡っていうのがいるんですけどね、彼はハード系、メロコア系の色があるわけですよ。自分の中で好きなジャンルとかあるんじゃないですか。それらをまとめてくると、うちの中ではヒップホップあり、ギターポップあり、ってそういう風に見えますけど。

--形態的なことですけど、バッドニュース音楽出版(株)とバッドニュース、分けられているんですか?出版業務とレーベルとマネージメントではちょっとスタンスが違うじゃないですか。マネージメントに対する考え方とか出版に対する考え方とかはいかがですか。

千葉:最初のうちはごちゃごちゃしてたんですよ。でもとにかく最初始めるときに、出版はちゃんと持ってやるのがいいよって言われたんですよ。それで出版をやりはじめて。深い意識はなかったけどね。それでだんだん人が増えて出版もだんだん大きくなってきたんで、もうちょっとしたら分けなきゃダメかなって思ってます。インディーはA&Rがマネージメントですよ。ライブあればそこへ行く。なんかあればほんとに忙しいですね。制作やったりチラシまいたりとか…。くるりだけはもう分けてますけど。そういうアーティストがどんどん増えてきたから、来年くらいにはマネージメントもちょっと分けなきゃダメかなと思ってますけどね。

 

7. アーティストとの信頼ある契約関係が大事

千葉和利8

--アーティストをマネージメント契約するとか、堅く考えるといろいろな問題があるとは思いますが…。

千葉:僕はね、どんなアーティストをやる時もちゃんと契約するんですよ。インディーズ始める前に聞いたんですけど、みんなインディーだからまあまあでやってて、売れたのにお金一銭ももらえないとか、売り上げのどのくらい貰えるかってわかんないっていう話が多いんですよ。昔やってたのに、何にももらえなかった、とかね。けっこうあるんですよ。だから、とにかくどんな小さなことでもいいからちゃんと契約しろと話してありますよ。アーティスト印税や出版も契約して、1枚から絶対払うというのを続けてるんですよ。面倒くさいんですけども、一応アーティストには説明して、アーティスト印税っていうのはこういうやつなんだと。出版とはこういうものだって説明してやって、契約してるんですよ。500枚のアーティストでもね。それだけはしっかりしようと。契約と出版に関してはきちんとやってます。

--レコード会社の契約としてはそうやってしっかりやって、マネージメント・アーティストにはマネージメントの契約があるってことですね。

千葉:そうですね。ただその辺たぶん違うと思うのは、メジャーの時に契約するのはレコード会社契約があって、マネージメント契約があるけども、最初まだ世の中に出てないレコードを出す時に、そこでマネージメント契約とレコード会社契約があるかっていうと、僕は同じだと思う。契約の中に一応そういうことも全部うちの方が統括的にやるっていう中で入れてます。そこで一番起きる問題っていうのは、うちがようやくみんなが注目してくれる会社になったんで、うちがやるとメジャーの会社が出てきてアーティストに話して、契約しちゃうんですよ。だからアーティストに、うちはメジャーの下請け会社は絶対やらないと話してるんです。だから、うちを踏み台にしてやってこうと思うんだったらやめてくれと。うちが基本的にすべて出すけども、アーティストにとってメジャーがいいという時はメジャーとちゃんと契約すると。くるりなんかそういう例ですよね。だからそこまで一緒にやってくんだったらやるっていう状況で。よく「原盤を貸すから扱ってくれないか」って話もありますよ。でもそれは基本的にはやりません。うちで育ったものだけはやるけども、まずうちの看板で扱って、1枚出してからメジャーに行くために、ちょっと置いてくれないか、っていうケースは基本的にはみんなとやめようということにしているんです。

--明解ですね。非常に。

千葉:でも、多いですよ。ある程度レコード出してちやほやされてレコードも売れて、ライブも入ってくるっていう状況になると、いろんな所から話くるじゃないですか。そういう時にトラブルの嫌だから最初から契約でも話してるしね。後で「言ったじゃないか」とか「俺が育てたじゃないか」とか浪花節みたいなの嫌じゃないですか。

--それって起こり得る、想像が付く世界ですよね。そうすると何年契約っていう期間っていうのはあるんですか?

千葉:ないです。あんまり詳しくは言えませんけど、基本的には次の作品を出すことに関して契約するんです。

--作品ごと、っていうことになってるんですか?

千葉:そうです。そこで嫌だっていう権利は向こうにありますから。次の作品だけは出す権利はうちにあり、ということなんです。でもうちも1枚だけじゃそんなペイできませんからね。1枚目っていうのはまったく無のアーティストを売るわけですから、うちも努力する。それで努力した時に2枚目がある程度売れるようになる。そこまではうちでやる。それ以降はアーティストと話していくって感じですね。その間にもいろんな話があったとしても、一応うちを窓口にして下さいということでね。

--2枚目を作り終えた時にまた契約書を作り直したりするんですか?

千葉:そうですね。やっぱりインディーみたいなところは、ほとんど間接経費ってないじゃないですか。総務とかたくさんいるわけじゃないし。だから一番理想的なのは、どんどんアーティスト印税をあげてって、メジャーで払えないぐらいのを払えれば一番いいですよね。10%とか20%ですね。

--難しいですよね。

千葉:いや、うちもビジネスですから儲けたいんですけど、うちも儲けてアーティストも儲けるのが一番いいですよね。最初のうちはね、ぜんぜんアドバンスも何もなしで3000枚くらいからやって、2万、3万ぐらいいってるアーティストは、次やる時に関しては、次は実績ありますから、アドバンスもちゃんと払える。うちはこんだけ売るつもりでいるからってアドバンスをね。1000万なら1000万あげて。パーセンテージも、最初の頃は1%からはじまるのも実績があるから5%からはじめるということで、なるべく上げてあげるようにする。だから、さっきも言った人と人ですよね。やっぱり自分がやっただけのものがあるといいじゃないですか。今うちは給料体系も年俸制なんですよ。アーティストも同じように、なるべく売れてけば売れてくだけ。うちなんか基盤も何もないところでやってるわけだから。売れたら売れただけアーティストが貰えれば…そういう形にできればなとは思ってますけどね。

--かなり理想的ですよね。

千葉:いや、でもなかなか現実はやってく中ではいろいろありますけどね…ただアーティストの方もおかげさまで少しずつ売れてますから、大きなトラブルはないですけどね。1、2はやっぱりね…あったこともありますよ。そういうときはやっぱり嫌ですよね。気分的に。気分的にみんな落ち込んじゃいますよね。だから、そういう時にはなるべく関わった人間全員とで話して、みんなが納得して、やめる場合はこのアーティストはやめようと。完璧に手を引こうと、そういう形で引いちゃうとかね。そういうことは2、3ありますよね。

--そうすると、ライブとかなんだかんだで、マネージメントという立場で抱えるとなると、全部かかってくるわけじゃないですか。

千葉:そうですね。

--インディーズっていう規模でやってる分にはそこまで負担できませんよね。

千葉:だからアーティストも見てますから、ひとりA&Rやってる人間で、ライブやるときにもやれることとやれないことがあって。俺、基本だと思うんですけど、うちのアーティストはやっぱり自分でやりますから。ライブだったら自分で楽器運ぶし、自分でセッティングして終わったら片付けて帰るっていう基本。それでトラックがなかったらうちのトラックを貸したりとか。あとはライブのチラシを作ってやって配ったりとか、告知やったりとか。広告ページのところに入れてあげたりとか。最初のうちはね。それで、レコードが売れてきて、今度はツアーをやるとなったら、うちはサポートをやると。やっぱり交通費とかかかるじゃないですか。そういうサポートもね、アーティストの成長にあわせて、徐々にはやっていきますよ。アーティストもそれを見てるから、納得してくれてますよ。よくメジャーではアーティスト育成費とかありますけど、ああいうのは基本的にはムリですからね。うちのアーティストたちってみんなバイトやりながら音楽活動やってますよ。それでほんとに音楽だけでやっていこうって状況になれば、やっぱり月々の保証もしなきゃダメになりますし、保証してるアーティストもいますからね。それにさっきも言いましたけど、組織とかパワーがあるところと契約をして、うちは制作とマネージメントをしてレコードを出す、って場合もあります。

--メジャーにあげるときにはそういう形になるってことですね。

千葉:そういう形にしますね。本人たちが望めば…。

--非常にいい形を考えられてるなって…。

千葉:別にそうやって考えたんじゃなくて、いろんな問題ある度にやっていったら、こういう風になったんですよね。

--でもそこをきちんとなさったからここまで大きくなったんじゃないですかね。

千葉:たまたまでしょうね。最近思いますよ、インディーズがこんなに大きくていいのかなって。よくないと思ってます。別に1人1人はいいんですよ。1人1人は自分の中で好きなことやってますから。それを保てればいいですけど、全体でみんな集まった時に、会社として考えた時に横同士の関係を考えると非常にね、難しくて、これでいいのか悪いのかっていうは今考えてますけどね。

--でも、インディーズっていうのは呼び名ばかりでやってることはメジャーとまるで同じですよね。

千葉:どうですかね。でも、たぶん、大きなところっていうのは一人で全部できないですよね。制作がいたとしても絶対宣伝の人間と打ち合わせしたり、もちろん販売の人間と打ち合わせしたり。それはそれの良さがありますよね。人を遣ってやるわけですよね。だから、うちの場合は全部自分でやるっていうのがまるっきりぜんぜん違いますよね。大変だけれども全部自分でやれますよね。作戦も立てられるし。だから、自分で空気感もわかれば熱でもわかりますよね。

--バッドニュースのA&Rの人たちは千葉さんさえ納得させればあとは好きにっていう感じなんですか?言いたいことも言えずずっと我慢しながらやるよりはずっとすっきりしますよね。

千葉:それだと思いますね。だからさっきも言ったように、全員がナンバー2なんですよ(笑)。

--要するに縦の関係しかないってことですよね。

千葉:でも、ようやく慣れてきたし。前はね、うるせーなと思われても1から10まで言ってましたけどね。今はほとんど言わないですね。みんなできるようになりましたから。

 

8. 飛び出せSPOOZYS!!アメリカでのライブ修業

千葉和利2

--最近は少しずつアメリカツアーということで快挙を成し遂げてますね。

千葉:最近のバンドっていうのはすごいね。昔はアメリカ行くなんて大変なことじゃないですか。今は平気でみんなね、アメリカで出したいとか言って、実際に出したりとかしてるじゃないですか。うちのバンドの連中は、みんなやっぱりそういう志向が強いんですよ。だから、できれば海外に出しますね。やっぱりみんな音楽やってると夢があるし、カッコイイことやりたいっていう…あるじゃないですか。僕も洋楽関係やってたけど、今まではお金払って向こうから呼んでくるだけじゃないですか。こっちから向こうに売りつけるってのはね。買ってばっかりいるから、チクショー向こう側に売りたいなっていう気持ちは、多少はありましたね(笑)。それで3年ぐらい前に、そういうのやってみようかなって思って。CMJに出て、バッドニュースナイトっていうレーベルナイトを初めてやったんですよ。で、やった時に思ったのはアメリカはそんなに甘くないなって(笑)。

--でも、大冒険ですよね。インディーズレーベルでここまで…。

千葉:たまたまね、こっちのCMJの田中さんっていう人が「レーベルナイトって今までどこもやったことないから、今年やってみたらいいよ」って言ってのせられちゃったんですよ。カッコイイなって思って。みんなもやるっていうから、勇んで行ったんですけどね、やっぱり難しいなと思って。向こうでちゃんと地に足をつけてレコード売るっていうのはやっぱり難しいなって思って。それでま、いろいろ準備してて、今年スプージーズがサウスバイサウスってやつに出して、すごいラッキーでしたよね。アメリカでね、99年のベストインディーレーベルに選ばれたジェットセットっていうレーベルがあるんですけど、そことうちがレーベル契約をしたんですよ。そこのスタッフがスプージーズを見て気に入ったんです。ジェットセットって向こうですごい注目されてて、スプージーズ気に入ったからレコード出そうってことで、8月頃にレコードが出たんですよ。当初はね、そんなに期待してなかったんですよ。でもやっぱり向こうのCMJの関係者からジェットセットってレーベル自体がものすごい支持されてるから、初登場13位で、どんどん上がって5位までいっちゃってね。なんかすごいんですよ。ツアーをやったらツアーも入るし。日本よりすごいウケるんですよ。本人達もその気になってるから、僕も行ってみたけど、日本よりアメリカの方が売れるんじゃないかなと思ってね。じゃあ、海外を視野に入れてやってみようってことで。すごいラッキーさと彼らの努力といろいろ重なってるんですよね。これまでも向こうでレコード出してる人って多いじゃないですか。でも、実際に向こうでほんとに商売になったのは、ピチカート・ファイヴが20万枚くらい越えたぐらいでね。実際にはそれぐらいじゃないですかね。他のは出したってだけで、チャートにも上ってこない。彼らを突破口にして、向こう側でビジネスにして、お金を持って帰ってくるぐらいのことをやりたいですよね。まあこれはスプージーズみたいに、バンド自体にその気がないと難しいですけどね。

--ジェットセットって向こうのインディーのことなんですね。日本に同名の事務所がありますよね。

千葉:そうなんですよ。同じ名前なんですけど、向こうにもあるんですよ。ややこしいんです(笑)。しかもスプージーズのリーダーの松江潤くんが所属してるのが、日本のジェットセットなの(笑)。

--でもレーベルの名前なんだ。向こうの。

千葉:そうそう。ほんとに偶然。名前が一緒。だからややこしいんです。スプージーズのマネージメントは(日本のジェットセットとは)関係ないですから。それでね、来年はすごいチャンスだと思ってますよ。こういうのってやってみないとわからないからね。この間、全米1ヶ月ツアーやったんですよ。すごいですよ。14日間連続、車で運転してツアー。

--車で運転して、連日ライブやるわけですか?すごいですね(笑)。

千葉:そう。日本では考えられない。でも、彼らはやったんですよ。彼ら4人で行って、通訳も何もなしですよ。向こうで運転手を一人雇っただけで。しかも日本語しゃべれないですよ。

--ブッキングは?

千葉:ブッキングはレコード会社とうちもやりましたけどね。それで1ヶ月のりきって、バンドすごく強くなりましたよ。

--大変な体力ですよね(笑)。

千葉:アメリカのバンドはすごいなと思いましたよ。ホテルも何も予約しないで行って、お客に「泊めてくれる?」って聞いて、泊めてくれるならそこに泊まる、っていうそういう感じなんですよ。お客さんのとこに泊まって。あとは物販で売り上げがあった時にはモーテルに泊まるっていう状況でやったみたいですよ。

--電波少年みたいですね(笑)。

千葉:いや、でも、向こうのバンドってそうやってるみたいですよ実際。それで伸びてきたやつは今度バンがよくなって、必ずホテルがあって、徐々にステップアップしてく。アメリカの場合はだいたいバンが、きつくて狭いバンを自分で運転してたのが、だんだんいいバンになったりするみたいですね。

--昨日のオリコンかなんかで福田一郎さんが書いてましたよ、文句を言わずにツアーに出るしかないんだ、アメリカで売るには、みたいなことをね。

千葉:そうですよね。ほんとにアメリカの場合はライブ、ですよね。要するに広いじゃないですか。ライブでまず売ってって、ある程度名前が売れたら全国に行くっていう形が普通みたいですよ。

--たくましいですね。それが当たり前なんだね。

千葉:スプージーズは向こうに出してるけども、向こうにもインディーのバンドがいるんですよ。だからうちは今、逆にアメリカのディスメンバメント・プランっていうアーティストを向こうから呼んできて、今日も横浜の小さなライブハウスでくるりと対バンやるんですよ。そういうふうにカップリングで向こうから呼んでくることもやろうと思ってるんです。呼ぶやつもそんな大きなバンドじゃなくて、ほんとに小さなライブハウスでね。そうするとバンド同士でコミュニケーションできるわけで、今度向こう側に行った時に…。

--泊めてくれる?

千葉:泊めてくれる(笑)…。それで逆のツアーをやるわけですよ。そういうことで交流もできて、お互い音楽の刺激し合えばいいし、それで向こうのバンドが有名になった時にはこっちに引っ張ればいいし。うまくインディーレーベル同士のネットワークができればいいかな、と。

--それはいい考えですね。

千葉:スプージーズは向こうで今ツアーやって、今の計画だと、来年はサウスバイにもう一回出て、向こうで一緒にジョイントやったバンドとスタジオ借りて、アメリカでレコーディングして、そのバンドを今度日本に連れてきて、スプージーズが逆にそのバンドと日本を一緒にまわる。そういうことをやってこうと。

--めちゃくちゃいい考えですね。

千葉:今回くるりと対バンしたディスメンバメント・プランのメンバーなんてね、寝袋持ってきましたよ(笑)。いや、日本はちゃんとホテルは取りますからって言ったらビックリしてました。彼らは4人ですけど、全部自分でやりますから。だからやっぱり日本のバンドっていうのはそういう意味じゃ、くるりもそうですけれども、恵まれてますよね。

--過保護ですね。

千葉:って言いますね、向こうではね。まあ日本の形態で、くるりとかはそういうやり方でいいとは思うんですよ。でも今話したようなバンドに関しては、もうアメリカに行って、こっちに来て、っていう、アメリカも日本もないような感じでやっていこうと思ってます。

 

9. ジェットセット・レーベルとの出会い

千葉和利3

千葉:来年の3月か4月にね、ジェットセット・レーベルナイトみたいなのをやろうと思ってるんですよ。インディーなんだけど、レーベルコンベンションみたいな形で屋根裏とか小さな所を1週間ぐらい貸し切っちゃってやろうと。3アーティストぐらい呼んできてね。

--もちろんそれはCDも日本で出すってことですよね。

千葉:そうですね。だからそういう形でやるとバンドもすごい刺激になるんですよ。日本だけじゃなくて海外のアーティストとジョイントやることによって刺激になるし、海外に行けばもっともっとタフになるし、そうやってできればなって…。

--スプージーズなんかは、めちゃくちゃ強力になって帰ってきたって期待できますね。

千葉:だから逆に言ったら、ああいうサウンドって向こうでめちゃくちゃウケてるんですよ。だから良いチャンスだからひょっとしたら向こう側でビジネスできればいいなって。少なくとも日本ではまだビジネスになってないですからね。だからスプージーズか一発向こう側でそういう実績作ったら、次行くやつは実績があるから楽だから、第二弾、第三弾行けるかな…って。なんか頑張って欲しいなって思いますね。

--野球でいえば野茂ですね。

千葉:野茂はまぁ最初から有名でしたけど、ま、そうですね。

--Musicmanインタビューシリーズでも、その辺の話がやっぱり出てくるんですけど、一番最初におっしゃってたのはホッピーさんだったかな?

千葉:ああ、観ましたよ。サウスバイでライブを観ました。あの人はすごいですよね。そういうバンドも持ってるんですよね。

--女の子3人組みの…。

千葉:そう。eX-Girlもそうですし、オリビア☆ニュー☆トン☆ジョンっていうバンドつくってて。

--強いんですよね。そういうサーキットまわりみたいなことをね。先んじてやってましたよね。

千葉:やってましたね。うちは今はたくさんバンド…30か40くらいるのかな。でも最初は僕らもわかんなかったですからね。僕がやってたのは呼び屋のノウハウだけだったから全然違いますよ畑が。やっぱり実際に行ってみるとね、ライブハウス行ってどうしてるのかとか、ツアーやるときはどうしてるとか、バンを借りるんだな、とか、そういうのもだんだん行けばわかるじゃないですか。うちのスタッフも行ってるからどうやるのかってわかってけば、次やるときもそうやってやっていくし。だからやってみて初めて分かるっていう感じで。こっちもわかるしバンドも経験してくって感じで。

--人を介してなんだかんだやってると大変なんだけど、自分でやってみるとできちゃうってことなんでしょうかね。

千葉:その方がやっぱり成功するんじゃないかな。まだわかんないけど…。たぶん今までっていうのは、レコード会社が仕掛ける時っていうのは、向こうの現地のプロモーターなりパブリッシャーなり使うじゃないですか。ニューヨークでレコードだしてプロモーションしてお金何百万使ったけど実際にはね、5人しか人入らなかったとか…そういうアーティストもいれば、実際何も使ってないけど行って、ニューヨークでは1000人くらいいっぱいになっちゃうっていうアーティストもいるわけでしょ。だから、やっぱり日本のシーンと同じで、ちゃんと地道に押さえるところ押さえてやってけばちゃんと入るっていうか…。お金使ってもなかなか入んないものは入んないし、売れないものは売れないっていうか…。だから、来年はもうちょっと彼らが向こうでどう受け入れられるのか、レコードがどう売れるのか見てみたいですよね。

--そうですね。楽しみですね。

千葉:ピチカートみたいに何十万じゃないけど、いければいいなって思ってますけどね。

--ジェットセットレーベルも、向こうで勢いがありますよね。いいとこと契約したってことですよね。

千葉:…それも藤井なんですよ。おもしろいんですよ。最初ね、サウスバイサウスとかCMJっていうのがよくわかんないから見に行こうって、一緒に見に行ったんですよ。それで4日間で36ライブ。もうずっと付き合ってたんですけど、びっしりスケジュール表書いて、ライブ見てはレコード買うんですよ。好きなんですよね、そういうのが。それでライブ行ったら、もう全部自分でレポート書いてるんですよ。好きだから苦痛じゃないんですよ。その時、2年前に行った時に見たバンドが、MACHAっていうバンドで、これがいいって言って(バッドニュースから)出したんです。それがジェットセットのアーティストでね。それで、あいつがいいって言ったあとのCMJで3週連続1位になったりとかね。

--見る目が、耳があるんですね。

千葉:あと、BRIGHT EYESっていうバンドもね、2年前に行って見たんですよ。もう全然で、向こうでもレコード出しても1000枚しか売れてないアーティストで、それをすごい可能性があるから出そうって言って出したんですよ。そしたら、日本ではロッキンオンから何からすごい評価受けて、それで日本では1万枚くらい売れたんですよ。そしたらアメリカで、エピックか何かと契約して、ひょっとしたらすごいバンドになりそうなんですけど(笑)。次はメジャーと契約するからうちからは出せないかもしれないけど。洋楽とか好きなんだね。そういう時っていうのは売れてるからじゃなくて、いいって言ったものが…たぶん日本の状況もわかるからだと思いますね。

--藤井さんはノッてる予想屋なんですね、今のところ。

千葉:今のところ俺の中では一番ノッてる予想屋で、必ずその予想屋を買うって感じですね(笑)。

--すばらしい評価だね(笑)。

千葉:その他にもうちにはノッてる予想屋がたくさんいますからね。

--バンド数30とか40とかおっしゃってましたけど、何が出てくるかわかんないような。楽しみいっぱいありますね。

千葉:そうですね。だから、ライブだけは見に行くようにしてるんですよ、なるべくね。やっぱり、自分の子供ってかわいいって言うじゃないですか。…似てる要素があるのかな。うちで出してるレコードってみんないいんですよ。この間うちで今年出した新人ばっかりのコンピレーション・テープ、非売品の作ったんですよ。CD買ったりグッズ買ったお客さんにホームページ上でプレゼントしたテープなんですけど。これは聴いてみたらね、全部いいんですよ(笑)。すげえなうちって思った(笑)。一つとして駄作はないんです(笑)。

--すごい会社だなって?

千葉:そうそう。自分で思っちゃった。こんなにみんないい。一つぐらい駄作があっていいのに。みんなにすごいよって…。

--11曲すべていいと。

千葉:すべていいですね(笑)。まあ親バカですね。

--昨年のMusicman(10号)にはA&Rが5人って書いてあるんですけど、今も5人ですか?

千葉:今は6人…ぐらいですね。ああ、もう7人か。

--7人が3ヶ月に1枚出したらすごいですよね。

千葉:出す人間は月に1枚出してますからね。洋楽になっちゃうと別に制作じゃないですから、そのぐらい出せるんですよ。(国内ものの)制作になると、どうしてもレコーディングしてっていう作業があるから、3ヶ月に1回とかになりますけどね。

 

10. 「ひとりA&R」兼「ミュージシャン」!

千葉和利4

--みなさんほんとお忙しそうですよね。A&Rの片山さんって方が、うちのミュージシャンと仕事させていただいているみたいなんですよ。

千葉:そうなんですか。片山っていうのはね、スプージーズのA&Rなんですけど、最初A&Rだったのがメンバーになっちゃったんです(笑)。

--メンバーって、3人だったんですよね?

千葉:3人だったのが1人入っちゃったんですよ(笑)。

--何やってるんですか?

千葉:踊りとね、何って言ったかな、こうやって音出すやつあるんですけど。売らなきゃいけない立場のやつがメンバーになっちゃったんです。

--片山さんって、スペースカンフーマンじゃなくて?

千葉:スペースカンフーマンもやってますよ。彼は今10個のバンドやってるんです。

--すごいですね。

千葉:うちのスタッフの3分の1はミュージシャンですからね。デザイナーのやつは8つバンドやってるし。

--それはメンバーとしてですか?ジャケットも一緒に制作するんですか?

千葉:やってますね。担当者によっては担当者自身でやりますから。小林っていうデザイナーは、彼もスペースカンフーマンなんだけど、4つぐらいバンドやってまして。

--A&R及び、デザイナー兼、ミュージシャン。

千葉:みんなもともとはミュージシャンなんですよ。片山とか小林もそう。ふたりともバイトしながらミュージシャンやってたんですけど、バンドやってるとライブとかリハーサルとかのときは、バイト休みますよね。それでだんだんバイトが続かなくなって辞めたりして、じゃあうちでバイトすれば、って話になりまして。バンド活動のあいまに小林はうちのデザイナーの仕事をやって、片山はもとはレコード店のバイトだったんだけど、やめてから雑用を手伝うようになって、次第に仕事を覚えてA&Rになってしまったと。うちにはこんな感じで入ってきた人間が多いですね。

--皆さん若いですよね。

千葉:そうですね。平均、25、6ぐらいですか。もうちょっと前は若かったんですけど、みんな年齢が、3年くらい経つと徐々に。最近ようやく落ち着いてきたかな。

--音楽好きなはずだわ。自分もやってる人が多いんだから。

千葉:仕方なくですね。仕方なくっていうか…。

--でも、お互いの…。若い人も自分のポジションでしっくりくる。バンドもやらせてもらえる、みたいな。

千葉:そうですね。一番たぶん彼らにとっては…。バンドをやることに関してはOKしてますから。昼間リハーサルあるから抜けてく、それからライブあるから抜けてく、ライブある時もみんな見に行ったりとか、人が集まって情報の基点になるとか。ま、そういう意味ではたぶん、情報も集まるし、人も集まるし…。

--うまく今、現状を反映している世界にみんな身を置いてるわけですからね。

千葉:そうです。

--時差ボケするはずがないですよね。

千葉:うん。そういう意味での感覚とリアルタイム的なものは入ってくる。目線がたぶん同じ。そこから難しいのはね、仕事とのこう線引きは難しいですけどね。

--その辺をうまくやっていければいいんですね。

千葉:そうですね。楽しくて、才能が伸ばせて、ビジネスとして成り立てば一番いいですよね。さっき言ってたデザイナーは、おかげ様でジャケットまわりいろいろ評判いいから、他からも仕事が入ってきてるようですよ。

 

11. 人生はすべて…根っからのギャンブラー!?

千葉和利5

--…お忙しいでしょうが、オフとかはどうやって過ごされてるんですか。

千葉:なかなかね、ほとんど土日ライブとかあるじゃないですか。だからたぶん会社のみんなのほうが忙しいとは思うんですけど……だから唯一、多少ギャンブルやるくらいですね(笑)。でもギャンブルやってる行為が好きだから、別にお金をかけるとかじゃなくて、やってるっていう緊張感が好きなだけなんですよ。

--ギャンブルは何をなさるんですか?

千葉:一応、競馬から競艇と…競輪はね、時間がないから今はやってないですけども。あと多少ゴルフと…今ね、体動かさないでしょ。(会社の)みんなも動かさないから、近くにジムがあってね、みんなが入るっていうから法人で入ったのよ。でもたまに行くかなって思ったらね、あのフロ(笑)、サウナ入りに。だからしょうがないから僕が一生懸命行ってるわけ(笑)。みんなも忙しいでしょうね。

--お生まれは札幌ですよね。

千葉:札幌っていっても18の時にもうこっちに出てきちゃったから、こっちの方が約30年以上いるわけだからねぇ。実家はまだあるんですよ。でも逆に札幌のあそこがおいしい、とか言われてもぜんぜんわかんなくてね。ツアー行ってる人間の方が詳しいですよ。

--じゃ、プライベートも音楽漬けみたいな感じですね…。

千葉:ただ、僕の場合、音楽はもちろん好きですけども、前まではCD…アナログですけどね、たくさん買ってましたけど、最近はね…。こんなこと言ったらあれですけどね、もう、自分でCD屋に行って買うという行為がなくなりましたね。聴くと言えばだいたいデモテープ持ってくるやつを全部聴くだけでも大変ですよ。車の中でも聴いてて、やっぱりうちのもの関係聴いてるだけでもうめいいっぱいで、買うっていう行為はなくなったな。家ではなるべく聴かないようにして車から会社に来ても必ず何かかけて聴いてるっていう。だから、趣味の好きな音楽っていうのは、前はすごく好きだったんですけども、好きというのではもうなくなってしまいましたね。

--仕事になっちゃったと。

千葉:仕事…そうかな。それと、自分のとこで制作してきたものを聴いてるのが心地良いですね(笑)。

--ということは、今ノッてらっしゃる時期ってことですよね。今までの中で一番充実されてるということでしょう。

千葉:でも、会社として一番上昇してたのは、やっぱりベースものが安定してる時で、くるりが出始めた頃っていうのは、会社としては安定してましたね。ぐんぐん行け行けっていう感じですね。で、ようやくベースものが時代とともに落ちてきた時が、いいきっかけだったと思うんですよ。あれはやっぱりバブリーですよ。ああいう企画ものでやってるとやっぱりダメですよ、そっちの方に頼っちゃって。だからいいきっかけだったと思いますよ。それが2年…1年半くらい前になってきたから、あとはもうちょっと一つ一つの作品作り、会社づくりみたいなことも、その頃から考えはじめましたね。それまでその場その場で考えてたのに、3ヶ月先じゃなくて6ヶ月先、1年先ぐらいのことを考えなきゃダメだなっていう風になってきて。みんなにも言ってるんですけど、みんななかなか出さないんですよ。1年先のこと考えろって言ってもぜんぜんね、計画表とかも3ヶ月前くらいになって書いてくるんですよ。そんな感じだから年末に入った時に3月くらいまでは発売決まってるけど、あとは何も決まってないんですよ。毎年そんな状況下で。

--まぁ、そんなもんですけどね(笑)。今はだいぶ先まで見えてきて状況いいんじゃないですかね。

千葉:もうちょっと考えようよっていうことでやってるし、前までは新人ばっかりですから、予定も立てにくかったですけど、アーティストも2枚目、3枚目って出せるようになってくると、このアーティストは2枚目はこの時期とか、考えられるようになるし、アーティストも育ってきたっていうことも多少あるんじゃないですかね。

--じゃあプロモーターやってる時代は、いつか独立して自分でレコードレーベル作るとか考えてなかったんですか?

千葉:いや、全く考えてなかったですねぇ。(笑)。もう、同じですね、今やってるのと。おもしろかったですね、毎日がね。もう、毎日ギャンブルやってるみたいなもんじゃないですか。公演の3ヶ月前に発表して、人が入ったとか入んないとかね。そんなことばっかりでしたからね。

--ギャンブルはお強いんですか?

千葉:僕ですか?僕たぶんね、こんな言い方あれなんですけども、麻雀もすべてがそうなんですよ、昔から。僕、けっこう強いんですよ。

--やっぱり(笑)。

千葉:下手なんですよ、麻雀もね…。昔、業界って…今最近やんなくなったけど、なんかあるとゴルフじゃなくて麻雀大会とかあったじゃないですか。ほとんど1週間のうち、7日間麻雀やってましたから。

--(笑)。

千葉:で、業界の人多かったから、雀荘代すごいから。雀荘借り切っちゃったんですよ、10人で。1万ずつで。青山倶楽部っていう、朝日新聞の柴田さんが中心になって、みんなで集まって借りたんですよ。それがね、僕はぜんぜん下手なんですよ、技術的なことが。いまだに符とか数えられないんですよ、よくあるじゃないですか。で、いい時に攻めて、あとは一番あれなのはね、徹マンやることなんですよ。朝の4時から5時くらいにね、みんなね、眠たくてこんななってるんですよ。そん時にね、狙うんですよ(笑)。それとね、あとはね、酒飲んで食うことが好きですから、一人でしゃべりながら飲んでやったりしてね。パチンコもずっとやってて、1回パチンコで喰ってたことあるんですけどね(笑)。あれもね、何かあるんですよ。人のツキっていうのはやっぱりあって、ついてない時にいっくらやってもだめですね。ツキっていうのはどこからきてるのかちょっとわかんないですけど、人がツイてる時っていうのはすべてがいい要素で、その時は何やってもいいし、ついてない時にいっくら知恵絞ってもだめですよ。そういうときは、やらないことですね。

--音楽業界、ギャンブル強い人多いですよね。特に僕が知ってる限りでは一匹狼で自分で会社やってる社長は、梶原さん(進氏/(株)イズム代表取締役社長)にしたって、長戸さん(秀介氏/(株)レイズ・イン代表取締役社長)にしたって、とにかく電話かかってきたら、麻雀かどっかのカジノバー行こうとか…好きですよね、みんなね。あんまり健康的な趣味の人はいないですよね(笑)。

千葉:今は健康がテーマですけど、昔の音楽業界っていうのは、アウトローがやっぱりかっこよかったじゃないですか。タバコ吸って麻雀やってね…、見ててそう思ってましたから。だから、昔はタバコも吸ってましたしね、酒もガンガン飲んでましたし…なんかそういうのがかっこいい時代でしたね。

--そうでしたね。

千葉:でも、今、ぜんぜんかっこ悪いじゃないですか。休みにゴルフやってるのがいい、って感じで、タバコもだめだし。だから時代が違ってきたかもしれないですね。

--だけどいますよ今だに。趣味ベガスですから(笑)。とにかく時間があればラスベガス。あんまりカジノでお金落とすんで、ホテルはタダなんですって。

千葉:あそこはそうらしいですよ。だいたい行くとスウィートとかね。行ったらスウィートだったって言ってる人いましたからね。そうとうやっぱり落としたんじゃないですか?あとはやっぱりお金を預けると融通してくれますね。でも、僕はただやってる行為が好きなんで、見せかけだけですから(笑)。それが好きですから。よく言ってますけど、100万持ってとか、何千万持っていったって人いますけど、それはちょっと無理だな。

--50万ぐらい(笑)。

千葉:いやいや(笑)自分の遊びの範囲内でやってるぶんにはいいんですけどね、それ以上になっちゃうとね、僕も熱くなっちゃうから。怖くて、どこかで線引かないとダメなんで。一生に一度ぐらいはやってみたいですけど、まぁ、ちょっと無理ですね。この業界多いんじゃないですか?そういうギャンブル好きな。

--多いですね。

千葉:特に昔の人はそういう…。やっぱり緊張とかいろいろしてるから、ストレスみたいなものあるんじゃないですか?あとは、仕事自体がギャンブルみたいなもんだから(笑)。

--そうですよね。当たるか当たんないかっていうのもほとんどギャンブルに近い…。ギャンブルですよ。

千葉:僕はそういうね、多少のリラクゼーションって感じでね。

 

12. やっぱり最後は「人」が宝!

千葉和利6

--でもさっき、僕はそれしかないからっておっしゃってたじゃないですか。その辺の才能はすばらしいものがあるんじゃないかとお見うけしました。

千葉:そんなことないですよ。予想屋を見る目だけですよ。

--いや、そこがすばらしい。今後、プライベートでもいろいろ教えていただきたいですよ。

千葉:いやいや、何言ってるの(笑)。そんなことないですよ。うちの会社はまだまだ発展途上だからこれからどうなるかまだわかんないし。今こうやって言ってるけども、こんだけ回転が早いじゃないですか。ねぇ。ほんとにわかんないですね。ハードはうちでは開発できないから、いいソフトさえ作ってれば、いいんじゃないかと。ソフトがなければハードはね…。そのぐらいのことはなんとなく見えるんで。変なことやらないようにしてね。飲み屋やったりとかぜんぜん違うことやるとね…(笑)。

--そういう方向はないんですか?(笑)

千葉:そういうのはなるべくやめて。ソフト作りだけやってれば、どんな時代になっても多少生きてはいけるかなって。あとは人ですね。人がやっぱり、うちも命ですから。ここに人が集まるような会社だと一番いいですね。とにかく人が集まるような会社にしたい。

--やっぱり最後は人ってことですね(笑)。

千葉:僕はそんなに実績残してるわけじゃないし、ほんとにこの何年かぐらいですからね。まだまだですよ。まだこれから。ぜんぜん組織にもなってないし。だから高垣さんにもいろいろ聞いてるし、お互いにですよ。レコード会社っていうものがどういうものか、ま、だいたいのことはわかってますけども、最近ですよ、ようやくなんとかなってきたのって。経理も今まで手でやってたもんで、誰がどれだけ売り上げたかぜんぜんわかんないし。ようやくコンピュータが来て、今年からすべての契約を全部入力するようになってるから、ようやく資料が出てくるようになって。一つ一つの作品ごとの収支とかそういうのが全部出てくるようになって。で、来年度の計画表とか、そんなものやったことなかったんだけども、一応、多少そういうこともやろうかなと思って。最近は書類ばっかり相手にしてるんですよ(笑)。

--すっきりしてますね(笑)。社長のデスクって感じがしますよ。

千葉:一応かっこつけなきゃならないから(笑)。さっきまでぐちゃぐちゃでしたからね。

--そのコンピュータ・プログラムっていうのは、外注ですか?

千葉:そうです。会社の組織図をどう作るかっていのも含めて、外の人と話をしてて。大きな組織と共に、今後どうするかってことで、一番押さえなきゃダメなことは会計なんですよ。どう出てってどう入ってくるかを管理しなくちゃダメだってことで、販売ソフトと、経理ソフト、3年前からやって、ようやくちゃんと動き出した。それもね、おもしろいですね、ソフト買うじゃないですか、買っても、結局、人なんですよ。箱あっても、ぜんぜんダメで(笑)。

--僕もちょっと興味あるんですけど、ソフトがあって、しっかりやればこういうの作れるものなんですか?

千葉:そうですね…。人ですよ。今まで3年かけて何百万かけてダメだったのが、ある人間が、僕がこうこうこうやりたいって言ったら、その人間がまあ、ある程度のことしたら形になってく。ほんとにびっくりしちゃう。3年やってもできなかたことが、やったらできた。だから、人ですね。ようやく会社らしいことも。ネットのスタッフが今、一人いるんですけど、学生なんですけど、やっぱり、好きなんですよ作るのが。で、その人間と、もう一人デザイン。それもすごい優秀なね、フリーのイラストレーター。その人間が二人で、あと僕とでやってるんですよ。やっぱりやる気っていうかね。楽しいわけですよ。

--やっぱり好きでやってるんですよね。

千葉:やってるんですよ。だから、何でもほぼ、よっぽどはずさなければOKだしね。これからうちのホームページも、もうちょっといろいろひねってやろうかなって思ってるんですけどね。だから好きなやつにやらせるのが一番ですよね。やっぱりホームページとかネットが好きなやつ。嫌いなやつにやれって言っても、やることが苦痛だと、できてくるものもたぶん、変なものできてくるよね。

--帰れっていっても、帰らない連中じゃね(笑)。

千葉:そうですよね。だから、そういう人が集まってくれるといいですよね。楽しくなければ毎日会社出てくるのも苦痛になっちゃうもんね(笑)。

--そういう人たちが会社の宝なんですね。

千葉:けっきょく人なんですよね。

--では、最後に、次はどなたにバトンタッチしていただけますか?

千葉:僕は呼び屋っていうものにすごい憧れを持っていて、今はもうこの仕事が面白いんでいいんですけど、それまではやっぱり多少引きずってたんですよ。自分で呼び屋ってものにね。やってるときには、そんな大変なことを自分がやるとは思わなかったんですよ。今そういう「呼び屋」っていう意識でやってるのはスマッシュの日高さんだと思うんですよ、やっぱり。何回か会ってそんな話したことあるんですけどね。

--じゃあ次はスマッシュの日高さんにご登場いただきましょう。本日は長い間、どうもありがとうございました。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

ともに成長して行く同士としてのアーティストと年1回の契約、お互い高めあえるような海外のレーベルとの提携、社員にほぼ全権を任せて新たなアーティストを発掘し、さらに社員のアーティスト活動も保証する。すべてが信頼関係で結ばれているからこそ強いバッドニュースの底力を見た気がしました。 さて、次なるMusicmanは、千葉氏が常にこだわりを持って接していた「呼び屋」という仕事に新風を吹き込んだスマッシュの日高正博氏の登場です。類い希なる強運の持ち主(!?)の日高氏の、波乱の半生にご期待下さい!!

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