GReeeeNの魅力を、誠実に伝えていきたい 〜ユニバーサルミュージック NAYUTAWAVE RECORDS 山崎クリエイティブルーム マネージャー兼SMU マネージャー 山崎吉史氏インタビュー

インタビュー フォーカス

ユニバーサル ミュージック 山崎吉史氏
ユニバーサル ミュージック 山崎吉史氏

3年ぶりにニューアルバム発売と、それを記念してファン感謝イベント「緑一色歌合戦」の開催も話題になったGReeeeN。メンバー全員が歯学部出身・在籍中のため、その姿を見せないスタイルで我々の前に登場したGReeeeNは、発表する楽曲のキャッチーさ、ストレートなメッセージが多くの共感を呼び、活動の制約を乗り越え、この5年間でビッグアーティストに成長した。現在、歯科医としても仕事をこなしながら音楽活動を続ける彼らをデビュー時から支え、「さしぶマン」としてGReeeeNとファンを繋ぐ重要な役割も担っているユニバーサルミュージック NAYUTAWAVE RECORDS 山崎クリエイティブルーム マネージャー兼SMU マネージャー 山崎吉史氏に、ニューアルバムについて、そしてGReeeeNの素顔について話を伺った。

[2012年8月7日 / 港区赤坂 ユニバーサル ミュージック合同会社にて]

PROFILE
山崎 吉史(やまざき・よしふみ)


2005年入社
制作担当
ポリドールレコード、MCAレコードを経て、現在のNAYUTAWAVE RECORDS。
担当は、GReeeeN, SoulJa, 少女時代など。

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1.

——GReeeeN約3年ぶりのニューアルバムが6月27日に発売されましたが、発売を記念したファン感謝イベント「緑一色歌合戦」がものすごい盛り上がりだったそうですね。

山崎:アルバムの発売日と同じ日にNHKホールで開催したんですが、奇しくも、5年前の6月27日にファーストアルバムをリリースしていて、デビューから3年間、毎年アルバムを出し、2年お休みして、丸5年で4枚目のアルバムを出せました。

そこで初めてGReeeeNがファンへの感謝の気持ちをイベントで表したいということで、ファン感謝祭を企画したんですが、結果として、大変たくさんのファンの方に来ていただいて、ニコニコ動画でも生中継しました。なぜNHKホールで開催したかと言うと、NHKホールは紅白歌合戦の会場なんですが、GReeeeNは残念ながら活動形態として紅白に出たくても出られないので、紅白の会場で感謝祭をやろうということだったんですね。名付けて「緑一色歌合戦」。GReeeeNなだけに、緑一色の歌合戦をここでやったら面白いよねと。

——山崎さんご自身も「さしぶマン」として司会をやられたんですよね。

山崎:そうですね。唯一メンバーとコミュニケーションを取れる「さしぶマン」として司会をしました(笑)。

——この「さしぶマン」って名前の由来は何なんですか?

山崎:セカンドアルバムが「あっ、ども。おひさしぶりです。」というタイトルだったんですね。新作と同じようにパッケージを全部開くとタイトルが全て見えるんですが、表紙部分には「さ」「し」「ぶ」と書いてあるんです。アルバムの宣伝キャラクターだった私は、「さしぶマン」というキャラクター名になったんです。

——そういうことですか(笑)。

山崎:「あっ、ども。おひさしぶりです。」は、「キセキ」という当時大ヒットしたシングルを収録したアルバムで、その「キセキ」の宣伝に力が入りすぎて、そのCM制作にすごいお金を使ってしまったんですよ。ある日メンバーと打合せをしたときに、僕はメンバーに「ごめん。一番大事なアルバムのCM制作費がもうないんだ」とその話をしたら、彼らはケロッとした顔で「これは説教ものですね。山崎さん、そうしたら社長に怒られてください。それをCMにしましょう(笑)」と言ったんですよ。

それで「なるほど!」と言ったら、「じゃあ全身タイツで怒られてください」と話が盛り上がって、「全身タイツで渋谷でチンピラに絡まれたり、ただ坂道を全力で走っているのもいいよね」「全身タイツだったら何でもありだよね。もう全部やろう!」ということに…(笑)。僕も申し訳なかったので、全身タイツで計8パターンほどやりまして、そのときにファンの間で「あの人は誰なんだ?」と話題になって、「さしぶマン」というキャラクターが出来上がったんです。結局「さしぶマン」という存在が、ファンからの気持ちを唯一伝えられる接点のように思ってくれている方もいて、そこから脈々と今に繋がっています。

——GReeeeNはファンにとって実態が掴みづらい存在ではありますよね。

山崎:今回のように、彼らの活動をお話させていただく機会をいただいたときに、毎回お話していることがありまして、GReeeeNは“覆面”と表現されることが多いんですけども、それは戦略ではなくて、こうせざるを得なかったんです。

まず、彼らがユニバーサルにデモテープを送ってきて、すごい才能だなと思ったときには、まだ大学生で歯医者になるための国家試験を目指しているという状況で、ゆくゆくは絶対に歯医者になるんだという強い想いがありました。ですが、音楽ももちろん本気でやりたいと思っている。その両立をどうしたらいいかと考えたときに、もし有名になった場合、歯医者のほうに治療を必要としない方が来てしまって、治療をしたい患者さんに迷惑がかかることは耐え難い。ということで、音楽は顔を伏せてやることになったんですね。

でも、僕はそれでもいいと思ったんですね。なぜなら彼らの音楽は最高だったからです。たぶん、色んなレコード会社でふるいにかけられたというか、顔を出さないなんてあり得ない、みたいなこともあちこちで言われたと思うんですよ。

——デビューするにあたって、10数社の争奪戦があったと聞いています。

山崎:そうですね。ただ、ある意味宣伝的には不利な状況の中で、「それでもいい」と言ったメーカーはすごく少なかったんだと思います。それでも僕は彼らとやることに魅力を感じました。

——そのとき事務所は決まっていたんですか?

山崎:はい。すでにエドワード・エンターテインメントに所属していました。MONKEY MAJIKを輩出した仙台の事務所です。GReeeeNはMONKEY MAJIKに続けとばかりに力を入れていたグループだったんですね。彼らは郡山のCDショップで100枚限定の自主制作盤をリリースしたことがあって、それを聞きつけた当時のエドワード・エンターテインメントの社長の金野さんが、事務所に誘うんですよ。その金野さんが7曲入りのデモテープを作って各社に送ったんですね。

 

2.

ユニバーサルミュージック NAYUTAWAVE RECORDS 山崎クリエイティブルーム マネージャー兼SMU マネージャー 山崎吉史氏

——GReeeeNは「顔が出せない」という前提の元で、どのような方法でプロモーションしていったんですか?

山崎:当時、僕はユニバーサルに入社して2年目で、彼らを担当し始めて1年目くらいの新人でしたので、例えば、「顔を出さないなんてあり得ない」というほどの経験もなかったですし、「着うたはCDよりも後なのが当たり前だ」という認識もありませんでした。本当にビギナーズラックのたまものなんですが、僕はやっぱりユーザーに近かったんだと思います。

——新人だったから、逆に先入観がなかった?

山崎:「それの何が悪いの?」と思っていましたからね(笑)。いざGReeeeNを獲得しました、という段階になって、宣伝部の人に説明したら「写真がないのに雑誌の取材はどうするの?」と言われたんですよ。「写真がなかったら雑誌の取材なんて取れないよ。そんなでどうやって宣伝するつもりだったんだ?」と当時の先輩に詰められたことがあって、「あれ? 写真なんかなくても宣伝できると思っていました」みたいな(笑)。それで、悪戯心でアーティスト写真をシルエットにしたんですよ。

——つまり、写真やライブの前に、音楽として素晴らしいと思ったからやったということですね。

山崎:そうです。そこには何のブレもありませんでした。

また、当時の僕の上司である町田晋さん(現トイズファクトリー)と事前に何度もブレストして試みる事が出来たのですが、2007年に私はGReeeeNと、SoulJaというラッパーを担当していて、彼らがCDの発売日よりも、着うたの発売日を前に設定した最初のアーティストかもしれないです。これは意図的にやったもので、その頃はCDより着うたを早くリリースしたらCDの売上が下がるんじぁないかといわれていて、だいたい2週間後くらいに着うたをリリースしていたんですけど、当時の10代くらいの子にとって携帯電話は、重要なコミュニケーションツールで、デコレーションすることも全部含めて、“ケータイは自己の投影”だと思っていたんですね。そして、音楽が自分の投影の中に入っているということは、すごく愛情を育めると思ったので、着うたからやってみたいなと思い、社内からのバックアップもあって、2ヶ月ほど前から配信してみたら成功しました。

——GReeeeNは着うたから火が付いたんですね。

山崎:そうですね。着うた世代という言葉があるとすれば、そのハシリかもしれないですね。

——新作もそうなのですが、アルバムタイトルやヴィジュアルが毎回面白いですよね。

山崎:メンバーやプロデューサーのJINさん、僕も含め、毎回みんなで頭をひねって決めていくんですが、彼らは人よりも稼働ができない分、色んなところで話題にしてもらえることをいつも考えなくてはならないんですね。タイトル一つ取っても「面白いね」と言ってもらったり、ジャケット一つ取っても「これって!」と言ってもらったりとか、世の中に話題のきっかけを提案したいなと思っているんですけどね。

——新作で展開された「友達一緒にパック」というコンセプトも斬新ですよね。

山崎:今のCDの売り方に対して、色々な意見があるかと思いますが、自分なりに「CDを買ってもらうためにどういうことができたらいいかな?」と考えた結果なんですよね。それは一人が何枚も買うようなことではなくて、何人かでお金を合わせてCDを買う。そうするとCDを買いやすくなる。何人かで力を合わせることのほうが、GReeeeNのコンセプト「仲間意識」という意味でも合っていますし、音楽にとってもCDに取っても幸せかなと思ったんですね。

——何かヒントになるようなことがあったんですか?

山崎:たまたま韓国で仕事をしているときに、韓国のコンビニだと缶コーヒーが並んでいて2本まとめて買うと1本ついてくるよと。それを観たときに「これって3人で買ったら2本分のお金でいいんだな」と思ったんですよね。

今回の「友達一緒にパック」というのも3個ついてくるんですが、これを3人一緒で買ったら、別々で買うよりもかなり割安で買えるというスタイルを作りました。JINさんが素敵なことを言っていたんですが、「音楽は想い出の共有だよね」と。「あのとき俺たちってあの音楽を聴いていたよね。懐かしいね」と大人になって口ずさんじゃうみたいな。僕なんか幼なじみとブルーハーツを口ずさんじゃったりするんですが(笑)、そういう風にこのアルバムがなってくれたらいいなと言ったんですね。

これは初めての試みですし、なかなか世の中に上手く伝えきれなかったという自分なりの反省もありますが、また機会があればやりたいなと思いますね。

 

3.

——今回のアルバムまで3年インターバルがありましたが、その理由はやはり国家試験ですか?

山崎:国家試験は全員受かったんですが、インターンの期間が忙しかったんですよ。インターンというのは国から助成金を頂いて、一人前の歯医者になるために1年から1年半現場をやらせてもらうんですね。それは国からお給料を頂いているようなものですから、他のことは一切できないんです。

——では、インターンの期間を終えてからということなんですね。

山崎:そうですね。音楽活動をお休みする前にインターンの期間に突入しているメンバーもいたんですが、それは、すでに作り上げていた楽曲をリリースしただけなんです。

——インターンを終えて、メンバーに変化などはありましたか?

山崎:うーん、良い意味で全く変わっていないですね。当時も受験勉強が本当に辛かったと思うんですが、最大のヒット曲の「キセキ」は国家試験が終わって4日で仕上げなくてはならなかった曲で、「死ぬほど辛かった」とHIDEは言っていましたけどね…(笑)。

——それはレコーディングに4日ですか?

山崎:いや違います。曲を作り始めて4日間ですね。国家試験が終わるまで曲を書いてはいけなかったんです。

——そうだったんですか…そういった様々な制約がありながらGReeeeNが大きな支持を得られた要因は何だとお考えですか?

山崎:彼らのアーティストとしての基本的な姿勢、メンタリティーは一貫しているんですね。リーダーHIDEの言葉を借りると「いつまでも青臭くいよう」。中学生くらいの世代が持つ青臭い、がむしゃらな気持ち、真っ直ぐな気持ちを忘れないでいようと。そこに対しての信頼、それはリスナーに対しての信頼もそうですし、これだけたくさんタイアップとしてご一緒している各企業に対しての信頼感、そのどちらにも現れているなと思います。

——今夏の甲子園もGReeeeNの曲ですしね。

山崎:そうですね。思春期の一歩手前みたいな、あの青臭さ。そこから思春期を経ていくと、だんだん精神と肉体が分離して、モラトリアムな時間になってきて、そういった時期に合う音楽も沢山ありますよね。でも、僕たちはそういうところではなくて、その一歩手前のがむしゃらに部活動をやっていたり、好きな女の子のことを考えると眠れない、みたいな気持ちを大事にしています。そういう気持ちって実は大人になったときに返ってくるんですよね。25才くらいを過ぎるとそのシンプルな気持ちに戻って、そうすると親子で同じメンタリティーを持てる、というところがGReeeeNにとって強いかなと思うんですよね。

——本人たちが姿を表立って現さないアーティストはこれまでにもいましたが、ここまで大きな存在になるケースはなかったですよね。

山崎:世界的に見ても初かもしれません。こんな言い方はおこがましいですが、僕はできる限り、彼らの誠実な部分を伝えていきたいなと思うんですよね。どうしても「アーティストのくせに顔を出さないで」みたいな声が飛んできますから。

——でも、クラシックの作曲家だって、顔すらよく分からない人たちの曲が未だに世界中で愛されているわけですから、関係ないと言えば関係ないですよね。大切なのはあくまでも音楽なわけですから。

山崎:そうですね。別に誰かと対比するわけではないですが、GReeeeNの考え方というのは音楽で勝負していて素晴らしいな、とおっしゃってくれる人たちもたくさんいますので、そういった声を聞くととても嬉しいですね。

 

4.

ユニバーサルミュージック NAYUTAWAVE RECORDS 山崎クリエイティブルーム マネージャー兼SMU マネージャー 山崎吉史氏

——ここで少し山崎さんのキャリアについて伺いたいのですが、音楽業界に入られたきっかけは何だったんですか?

山崎:いわゆるMusicmanになったのがユニバーサルに入社した2005年なんですが、それまではレコーディングスタジオに潜り込んで、エンジニアになるためにお茶汲みのアルバイトしていたんですよ。

——そうだったんですか。2005年にユニバーサルに入社されてポリドール、そしてNAYUTAWAVE RECORDSと一貫して制作畑ですか?

山崎:そうですね。僕は昔からずっとレーベルがやりたいと思っていて、大学の頃は「ものを売ることを勉強したい」と思い、「商品戦略論」というのを専攻していて、そのあと専門学校にも行くんですが、そこでは音楽理論について学びました。その後、スタジオに潜り込んでからはレコーディングや機材的な知識、その三種が揃って初めて「自分でインディーレーベルができるかな?」と思ったときに、「だったらレーベルの経験をしなくてどうするんだ」と思いまして、当時のユニバーサルJの社長の北村さんにユニバーサルに入れて頂いて、ディレクターになったんです。

——なかなか戦略的ですね。

山崎:いやいや! 自分の学生時代を活かせず、どうにか転がってきただけです(笑)。

——山崎さんのA&Rとしての今後の目標は?

山崎:やはりヒットする音楽は、アーティストが作るものと思っていて、レコード会社だけではヒットする音楽は絶対作れないと思うんです。ただ、ヒットする音楽をもうちょっとヒットさせること、それが僕らの大事な仕事かな、と思っていますし、それを絶対に忘れちゃいけないと思っています。そのためにはやっぱりヒットする音楽っていうのをきちんと見定めないといけないですよね。

——この業界の中でというか、いわゆるMusicmanと呼ばれる人の中で、尊敬している方はいらっしゃいますか?

山崎:アルファレコードを作った川添象郎さんはとても尊敬しているプロデューサーです。私は、SoulJaが「そばにいるね」という曲を出したときに担当していて、そのときに川添さんとお仕事をしました。

——川添さんは未だに新しいアーティストを発掘されて、プロデュースされていますよね。

山崎:そうですね、川添さんから伺った2つの大事な言葉というのがありまして、それがもう自分の骨髄にまで染みこんでいます。

——是非その2つの言葉を紹介してください。

山崎:1つ目は「ディテールに神様は宿る」。作品を作るときに「ディテールにまで心を込めて作ったときにヒットの神様って降りてくる」と。また、もう1つが真逆なんですが「目立つが勝ち」「目立った奴が売れるから」と。

川添さんがそれをもの凄い早さで切り替えて考えていく姿を、私はもうまざまざと見せつけられました。27〜28歳で、アルファレコードを作った伝説のような方と、一緒に仕事ができたってことは本当に素晴らしい経験でしたし、私の財産になっています。

 

5.

ユニバーサルミュージック NAYUTAWAVE RECORDS 山崎クリエイティブルーム マネージャー兼SMU マネージャー 山崎吉史氏

——GReeeeNは今後も素顔を出さない予定なんですか?

山崎:そうですね。今はそのつもりです。大前提として戦略でやっているわけではありませんので。ただ、顔を出さないことが非常に話しのネタにもなって、色んなところで口コミの相乗効果があったことは事実なので、そこは喜ばなければと思っているんですが、どうしても“覆面バンド“の戦略性が先行するので、僕の言葉を伝えさせてもらえるときには、必ず「戦略ではないんです。」とお話させていただくようにはしているんですけどね。

——正直なところ、ミュージシャンとして理想の姿ですよね。普段はきちんと収入源もあり、好きなときに音楽もでき、顔もばれていないので窮屈な思いをすることもない。

山崎:そうですね。傍から見ると、彼らは非常に恵まれた環境にいると思いますが、その環境を維持するためにしている努力と苦労はすさまじいです。

——ファンに対する信頼も大きいんですね。

山崎:とにかく4人は誠実です。仲間意識もすごく高いですし、そういうところで皆さんに守られているんですよね。あともう1つ、先ほど「好きなときに音楽ができる」とおっしゃいましたが、レコード会社としては音楽を量産しないといけない。しかし彼らは歯医者としてはまだまだ駆け出しです。となると、月曜日から金曜日まで朝9時から夜6時半まで歯医者として働いて、その後、患者さんのために石膏を作ったりしているわけですよ。

——勤務医なので時間が自由になるわけではないんですね。

山崎:そうなんです。夜10時、11時に帰ってきて、そこからデモ音源を作って、夜中2時〜3時に寝るわけですよね。それでまた朝は7時くらいに起きて出勤して働く。そうやって夜中にちょっとずつデモを作っていくんですよ。土曜日も診療があるときもありますので、それが終わってから、新幹線で東京に来て音作り。それで、日曜日の最終の新幹線で郡山に帰るんですね。本当に彼らはストイックです。

デビューしてからずいぶん時間が経ちましたので、横やりを入れてくるような人はGReeeeNへの興味をなくしてくれましたが、それこそ2年目、3年目くらいのときは、やっかみも一番多かったですし、アンチもたくさんいました。でも、5年間、彼らは真摯に音楽に取り組んできましたので、多くの方々に認めて頂けたと思っています。

——それにしても不思議なのは、彼らは東京などの大きな街に集まった人たちじゃなくて、郡山という地方都市の、たった1つの大学の、1学年とか2学年違いの同級生みたいな出会いなわけですよね?

山崎:そうですね。4人の結束力が固いのは、やはり同じ境遇だからかもしれないです。そして、歯医者になって、歯医者としてもしっかりやるんだという決意、そして、音楽もしっかり両立させようという全く同じ目標があるので、足を引っ張れない同士なんですよ。

——最後になりますが、GReeeeNの今後について山崎さんはどのようにお考えですか?

山崎:時代を共有したアーティストとリスナーが一緒に歳を取って行けて、それでビジネスが成り立ってくれたら素晴らしいと思うんですよね。そして1回ファンになったら、ずっと付き合ってくれるみたいな心持ちがユーザーにあれば、本当はいいのかなと思うんですが、日本人の気質として飽きっぽいところがあるような気がするんですよね。

——昔からのファンと、新しいファンが共存する形が理想ですよね。

山崎:それがすごく上手くできているのが、Mr.Childrenですよね。Mr.Childrenは「Tomorrow Never Knows」などの初期の名作を知らずファンになった若い層がたくさんいると聞きますから。

実はGReeeeNもそういうタイミングに来ていて、この前メンバーと一回整理したのが、デビューして5年、デビュー時のファンが仮に中学生だったとすると、今は大学生になっている。大学生になるともうポップスは聴かなくなっているかもしれないし、当時高校生だった子はもう働いていて、もっと聴いていないかもしれない。ポップスの平均的なリスナーが仮に15才だとすると、完全にGReeeeNのファンは一巡していると考えていい、と。

では、現在の中心リスナー15才が音楽に目覚めたときって、何を聞いていたんだろうと考えたときに、例えば、RIP SLYMEの「楽園ベイベー」という楽曲がありますが、あれって2002年の大ヒット曲なんですね。そこから10年経ってしまっていて、今のポップスのリスナーたちって「楽園ベイベー」を知らないんですよね。で、2002年以降を調べていくとヒップホップの匂いのするアーティストのヒット曲ってあまりないんですよ。

——それは興味深いですね。

山崎:今の15才が仮に9才でポップスに目覚めたとすると、その頃に流行っていた曲でヒップホップテイストのものとなると17位くらいにケツメイシがいるくらいで、あといないんです。そうなると、僕らはビートを効かせた、ちょっと跳ねた音楽を好んでやっていますけど、そういった音楽を聴いて育ってきたリスナーって今いない、ということに気づいたりして、僕たちの音楽的アプローチももっと変えていってもいいかもしれないという話をしたりしています。

——なるほど…そういった分析をする中で、他のアーティストの動向など気になったりしますか?

山崎:もちろんいつも気にしていますが、私たちが見なきゃいけないところは、もうちょっと違うところかなって思います。もっと若い人たちとこれから結びついていかなければいけないわけで、参考にしているところは全然違うところにあります。

——誰もやってないことをやってきたGReeeeNだからこそ、また新しい領域に進んでいきそうですね。

山崎:そうですね。僕たちはもっともっと新しいことができると思っています。

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