第126回 森 雅貴 氏 株式会社LDH 代表取締役副社長

インタビュー リレーインタビュー

森 雅貴 氏
森 雅貴 氏

森 雅貴 氏

株式会社LDH 代表取締役副社長 

今回の「Musicman’s RELAY」は、ミュージシャン 佐野健二さんからのご紹介で、株式会社LDH 代表取締役副社長 森雅貴さんのご登場です。サッカーに没頭した学生時代から、一般企業に就職されるも、お父さんの一言をきっかけに双子の弟さんとプロダクションを創業。手探りで仕事をされる中で業界のことを学ばれ、2003年、HIROさんと共に株式会社LDHを設立後はEXILEを筆頭に三代目 J Soul Brothers、E-girlsなど、数多くのアーティストを中心に、社名の由来であ“Love”“Dream”“Happiness”を体現するようなエンターテインメントを展開し、ファンを魅了し続けています。現場の指揮官的役割を担われている森さんに、ご自身のお話から、EXILE一族、LDHの今後までお話を伺いました。

[2014年10月23日 / (株)LDHにて]

プロフィール
森 雅貴(もり・まさたか)
株式会社LDH 代表取締役副社長


26歳でプロダクション株式会社スリーポイントを創業。その後、2003年にHIROと共に株式会社LDHを設立し、EXILEを筆頭に三代目 J Soul Brothers、E-girlsなど、数多くのアーティストを送り出している。


 

    1. サッカーに没頭した学生時代
    2. 右も左も分からぬままプロダクション設立〜HIROとの出会い
    3. 想いを伝えるために「場所」を自分たちのものにしていく
    4. EXILE拡大に見るHIROの発想力
    5. LDHは「人を喜ばせたい」という想いが根源にある会社
    6. これからも“Love”“Dream”“Happiness”を感じてもらいたい

 

1. サッカーに没頭した学生時代

−−前回ご出演いただきました佐野健二さんと最初に出会われたのはいつ頃ですか?

森:佐野さんのことは“キャプテン”と呼んでいるんですが、EXILEが初めてのアリーナツアーをやる頃にバンドマスターとして参加していただいたことをきっかけに出会いました。キャプテンはバンドの仕事だけじゃなく、LDHの中に入っていただいて、マネジメント的立ち位置で所属アーティストを可愛がってくださっているので、僕もその中の一員として、プライベートでも親しくさせていただいています。

−−キャプテンはお子さんがいらっしゃらないので、EXILEのメンバーが息子みたいだとおっしゃっていました。

森:そうですね。キャプテンは本当に我々のお父さん的存在と言いますか、とても面倒見のいい方で、いつも助けられています。

−−ここからは森さんご自身についてお伺いしたいのですが、ご出身はどちらですか?

森:1971年に杉並区の荻窪で生まれました。

−−どのようなご家庭だったんですか?

森:僕は父が47歳のときに生まれた子供で、父は建設関係のサラリーマンだったんですが、定年後は起業して設計事務所を経営していました。僕たちは親父が自分で商売をやっている姿を見ていたので、子供心に「大きくなったら何か自分でやりたいな」とは思っていたんじゃないかと思います。

−−ご家庭は、音楽業界に縁があったということもなく、ごく一般のご家庭だったんですね?

森:そうですね。特別裕福でもなく普通の家庭でした。

−−双子の弟さんもLDHで働かれていると伺っていますが、弟さんとは一卵性ですか?

森:一卵性です。だから、そっくりですね(笑)。

−−双子で同じ仕事というのは何かメリットがありますか?

森:単純に楽ですね。説明しなくても自分が得意なこと、弟が得意なことがなんとなくわかるので、「じゃあこれはやっておこう」という感じで、いつの間にか役割分担ができています。

−−森さんが副社長で弟さんが専務に就いているんですよね。

森:兄ということで副社長という立場をいただいています(笑)。

−−(笑)。でも、双子は二倍目立ちますよね? 「昨日あそこにいたでしょう?」とか?

森:目立ちますね。知らない方に話しかけられたりとか(笑)、そういうことがしょっちゅうありますね。

−−ちなみに幼い頃から音楽や芸能に興味はあったんですか?

森:子供の頃からテレビを見たり音楽を聴いたりはしていましたが、小学校の頃からずっとサッカーをやっていまして、高校もサッカー推薦で行かせてもらいました。結局、高校では都ベスト8止まりで、全国までは行けませんでした。ちなみに弟もサッカー推薦で同じ高校に通っていました。

−−ちなみにポジションは?

森:今で言うボランチですね。弟はフォワードでした。

−−では、高校時代はサッカーに明け暮れていたと?

森:はい。サッカーが終わった後に渋谷に遊びに行ったりしていましたけど(笑)。

−−いわゆるチーマー世代ですよね。

森:そうですね。僕はケンカとかするタイプじゃなくて、単純に楽しいことがしたくて遊びに行っていましたね。

 

2. 右も左も分からぬままプロダクション設立〜HIROとの出会い

−−サッカーは高校卒業後も続けるつもりはなかったんですか?

森:当時はまだプロがなく、社会人リーグしかなくて、日本代表も海外の代表と戦えないくらいの時代だったんですよね。それで高校を卒業して、大学へは進学せず設計を学ぶために専門学校へ行きました。弟は僕と違う専門学校へ行ったんです。

−−専門学校を卒業された後は建築関係の仕事に就かれたんですか?

森:僕は親父が定年まで働いていた会社に入りまして、弟はまた別の建設会社に就職しました。

−−HIROさんとはその頃知り合われたんですか?

森:いえ、専門学校時代の、ちょうど20歳になるかならなかくらいのときに、ZOOの弟分のDEERというグループに僕の親友が入ったのをきっかけに知り合いました。そのときから僕と弟とその親友の3人でクラブに行くようになったんですが、ZOOのメンバーの中にHIROさんがいて、僕らのような後輩に対しても、きちんと挨拶をしてくれる人でした。

−−やっぱりHIROさんたちは当時から目立っていたんですか?

森:ZOOのメンバーさんやDEERのみんながクラブに来ると、フロアが空いて、そこで踊りだすとみんなが見ているみたいな感じでしたね。圧倒的な存在感で、すごくかっこいい人たちでした。

−−当時は、今こういうお仕事をしているとは想像できましたか?

森:それは全く想像していなかったですね。

−−では、なぜ今のお仕事をされるようになったんですか?

森:建築の仕事をしていた26歳くらいのときに、なぜだかは分からないんですが、親父が「自分たちで何かやれば?」と言ったんです。「『何かやれよ』と言ったからには、親父、金貸してくれるのかな?」と思っていたら、貸してくれなくて(笑)。親父はわざと僕たちにお金を貸さなかったんですよね。今から考えるとすごく勉強になってありがたかったんですが。それで、弟と「何をやろうか?」と考えたときに、「プロダクションしかないのかな」と何となく思っちゃったんですよね。事務所さえあれば、他はお金がかからないかなという安直な発想だったんですが(笑)。

−−でも、当時はプロダクションの“プ”の字も分からなかったわけですよね?

森:そうですね。「とりあえずやってみようかな」と(笑)。それで26歳の終わり頃にプロダクションを作って、当時、有限会社設立には300万必要だったので、僕と弟が100万ずつと、もう一人友達がいて、その友達と三人で会社を始めました。

−−プロダクションを作った段階で所属タレントはいたんですか?

森:・・・ゼロですね(笑)。

−−「コイツは!」という人がいたわけでもなく、まず事務所を作ってしまったと・・・(笑)。

森:ええ(笑)。それこそ最初は渋谷でスカウトしたりしていましたが、知名度も信用もないので、なかなかタレントが見つからず、色々な人に出会って、スカウトの仕方を聞く始末でした。

今も所属してもらっている佐田真由美とはもともと飲み友だちで、当時、彼女は別の事務所に所属していたんですが、なぜか「モリモリ君の事務所に行きたい」と言われて・・・あ、僕たち双子なのでそう呼ばれていたんですが(笑)、「えっ、止めた方が良いんじゃないの? 僕たちは力がないし」と断ったんです。でも、「いや、行きたいの」「本当に?!」みたいな感じで彼女に所属してもらいました。当時の彼女はVIVIのモデルだったんですが、そのモデル仲間に口コミで広まって、少しずつ所属タレントが増えていきました。

−−なぜ佐田真由美さんは森さんの事務所に来たかったんでしょうか?

森:うーん・・・僕と弟への直感で来てくれたという感じですかね(笑)。佐田さんが所属してくれたおかげで、色々な人たちと出会うことができ、彼女を通じて、業界のことを勉強させて頂きましたね。

 

3. 想いを伝えるために「場所」を自分たちのものにしていく

第126回 森 雅貴 氏 株式会社LDH 代表取締役副社長

−−会社が軌道に乗るまで、金銭面で大変だったんじゃないですか?

森:僕は図面が描けましたので、昼間プロダクションをやらせて頂いて、夜はCADで図面を描くアルバイトをしていました(笑)。

−−HIROさんとは、事務所を作られた段階から「将来一緒にやろうよ」みたいなことは話されていたんですか?

森:僕らの方が一緒にやらせてもらいたかったという方が正しいですかね。そのときHIROさんはJ Soul Brothersで再デビューする前の時期だったんですが、僕たちは「HIROさんについていきたいな!」と思ったんです。そのときからHIROさんって今と変わらず人として輝いていたので、「HIROさん! 何かあるときは一緒にやらせて下さい!」と会う度に言っていて、一緒に食事をする間隔が2週間に1回、1週間に1回と狭まっていて、最終的に毎日会うようになっていました。

−−そして、2003年にLDHを設立されますね。

森:はい。LDHを作ったときも、EXILEはまだまだこれからという状況でしたし、LDHが始まってからしばらくは、スタッフは10人にも満たなくて、ある程度作品が認知されても実感できたりするのは1年後とかもっと先くらいなので、そういう意味ではLDHが始まっても、そんなに潤った実感はなかったですね。

−−その頃、会社やEXILEの将来に対して、どのようなビジョンをお持ちでしたか?

森:EXILEに関してはやはり「アリーナツアーをやりたい」、「武道館でやりたい」とか、そういったことを実現させてあげたいと考えていました。

−−その想いは強かった?

森:強かったなんてもんじゃないですね。どちらかというと僕はプロジェクトを仕掛けるとかそういったことよりは、単純に言うとマネージャー的なタイプなので、基本的にはHIROさんがやりたいことをとにかく具現化するんだと仕事をし続けて今に至る、みたいな感じなんですかね。HIROさんはアイディアマンですし、人を喜ばせたりするのがすごく好きな方なので、それをいかに実現させるかが僕達の取り組むべき仕事でした。

−−具体的にはどのようなことをされたんですが?

森:例えば、音楽番組のブッキングとか雑誌プロモーションとか、レコード会社さんもされているようなことも、自分たちでできるようにしようと目標を立てたり、営業も自分たちでできるようにチームを作ろうとか、ライヴ制作やグッズ制作なども自社でできるようにしていきました。そうすることによって自分たちの想いが上手く伝えられると思ったんです。EXILEって自分たちをプロデュースするグループなので、イメージを具現化するためにも、仕事をする方と直接話せるようにしようだとか、いろいろと試行錯誤をしながらやっていました。今もやっていることはあまり変わらないんですけどね(笑)。

−−既存の手法に頼ることなく、常に可能性を模索されてきたんですね。。

森:はい。ですから、今もずっと動き続けていますね。ただ、やることなすこと初めてのことばかりでしたから、人のやっている姿を見て、真似て、自分たちなりに消化するということの繰り返しでした。それと、HIROさんはやりたいことに対する想いが強い方なので、その熱い想いをダイレクトに伝えていきたいと考えていたんです。ですから、とにかくHIROさんの想いを現実化するには色々な面を自分たちで切り開いていかないといけないなと思っていました。

例えば、「これはテレビ的にしょうがないんだよ」みたいなことを昔はよく言われたんですが、「でも、それって交渉していないでしょう?」という。そういったことがすごくもどかしくて、「じゃあ、自分たちでやろう!」と。そこで交渉しても駄目なものは駄目ですが、とにかくチャレンジしていこうと思っていましたね。

−−例えば、音楽番組に出演する尺やカメラワークなど、細かい部分に関しても局側と打ち合わせをするわけですか?

森:お願いする感じですよね。例えば、カメラがボーカルのアップばかりじゃなくて、少し引きでも撮って欲しいとか。EXILEはヴォーカル&ダンス・ユニットなので、そういったお願いをコツコツしていました。

−−クリエイティブ以外はすべて森さんたちが切り開いてきた?

森:切り開いたというか、僕と弟と数人のスタッフしかいなかったので。

−−ちなみに弟さんは森さんと性格も似ていらっしゃるんですか?

森:弟もキャラクターは濃いですね(笑)。ただ、どちらかというと弟の方が営業マンなんですよ。だから仕事をとってくるのはすごく上手いですね。あと、弟の方がアイディアマンですね。

−−お兄さんである森さんの優れていると思われているところはどこですか?

森:どこなんでしょうね(笑)。

−−森さんは物腰柔らかくて、全然高圧的じゃないですし、交渉相手も話を聞こうという気持ちになるんじゃないでしょうか。そういった打ち合わせで揉めるケースって結構あるじゃないですか?

森:揉める話でも、結果大丈夫なことが多いですかね(笑)。

 

4. EXILE拡大に見るHIROの発想力

第126回 森 雅貴 氏 株式会社LDH 代表取締役副社長

−−EXILEのターニングポイント、あるいは一番のピンチはどこだったと森さんはお考えですか?

森:自分の肌感覚で危機感ってあまり感じなかったです。例えば、第1章から第2章に進んでいったときも、傍から見るとピンチだったのかもしれませんが、そばでHIROさんを見ていて、いける感じが凄くしていたんですよね。なんでもそうだと思うんですが、みんなが同じ方向を見ていくことが大事なんですね。ですから、周りのみんなは「大丈夫なの?」という感じで言ってきても、「大丈夫なんじゃないですかね」って明るく答えていました(笑)。「HIROさんは絶対にやる!」と信じていましたから。

ですから、「やばいぞ!」みたいなことは今まであまりなくて、逆にHIROさんがやりたいこと、例えば、VOCAL BATTLE AUDITIONや三代目J Soul Brothersもそうなんですが、それについていくのがやっとな状況でしたね。「これ面白いね」「そうですね! やりましょうよ!(でも、これ大変だな。スタッフもいないし・・・)」みたいなことを繰り返しつつ、LDHは突き進んできた印象です。

−−ライブを主体とする方針はLDH設立当初からあったんですか?

森:はい。事務所を作ったときは右も左もわからなくて、デビューさせてもらえるだけでも大変光栄な事でした。そして、何よりヴォーカル&ダンス・ユニットであるEXILEのエンターテインメントを伝えるために、LDHとして何に取り組んだかというと、ライブの強化だったんですね。ライブにお客さんを呼んで、生のステージで楽しんで頂くことを重点的にやったのがここへ来て活きていて、生のエンターテインメントを求める方々に受け入れていただけたのだと思います。今、CDはなかなか売れないですし、逆に言うと、昔はCDを売って、利益を出して、ライブはプロモーションみたいな状況でしたよね。そんな中「LDHはライブで成長していかないとまずいぞ!」という環境だったんです。

−−EXILEのようにダンスグループが大きくなるというのは、世界的に見てもあまりないですよね?

森:HIROさんはバックダンサーを「パフォーマー」と位置づけて、ボーカルの前に出して、チーム作りをしました。そこがEXILEの強みなのだと思います。

−−EXILEの転機はやはりTAKAHIROさんが入ったあたりでしょうか?

森:はい。AKIRAが入り、TAKHIROが入り。そこまでは僕らも想像できる範囲だと思うんですが、次にEXILEの前身だったJ Soul Brothersを復活させて、二代目J Soul Brothersを作り、その後、一気にEXILEを14人にさせたところが、HIROさんの発想のすごさだと思います。TAKAHIROが入って、盛り上がったところで、それをさらに加速させるような企画をHIROさんが考えたんです。

−−一気にメンバーが増えたときは驚いたんですが、どのような意図があったんですか?

森:基本的にはライブで魅せるためですね。「ライブのために」人を動員して、そうするとステージがスケールアップして、より華やかになるんですよね。メンバーを増やした最初のアリーナ公演を観たときに、僕も「なるほど!」と思いました。

−−そのHIROさんのアイディアは、最初から受け入れられたんですか?

森:HIROさんって「こうしよう!」と押しつけるタイプではないんですよね。日々の会話の中で「こうしてみた方が面白くない?」みたいなやり取りをしながら、そのうちにみんながそのアイディアの良さに気づいて「やっぱり、面白いですよ! やりましょう!」という意見が集まったときに具現化するんです。

−−みんなの意見をどんどん吸い上げていくリーダーだと。

森:みんなが求めていないとHIROさんは止めるんです。投げかけて、メンバーの反応を見て、もう一度自分でも考える。それは僕たちスタッフに対しても同様です。だから、みんなHIROさんについていくんですよね。

 

5. LDHは「人を喜ばせたい」という想いが根源にある会社

−−HIROさんのアイディアで実現しなかったものもあるんですか?

森:それはいっぱいあると思いますね。HIROさんは多いときは1日に百単位でアイディアを出すんじゃないですかね(笑)。

−−すごいですね・・・例えば三代目 J Soul BrothersもHIROさんのアイディアから生まれたんですか?

森:はい。常に“人ありき”というのがHIROさんの方針で、「このオーディションで選ぶぞ!」みたいな決めつけはしないんですね。オーディションで、もし良い人がいたら企画していくみたいな感じで、その結果、三代目 J Soul Brothersが誕生しました。

−−LDHはダンス・スクールも運営していますが、始めるきっかけは何だったんですか?

森:LDHを作るときにその延長上で「ダンス・スクールをやったほうがいいんじゃないか?」という話になりまして、2003年にまず東京にスタジオを借りてオープンしました。ただ「儲かるからやる」というよりは、やはり人ありきで、「この人がいるから、この地域でやってみよう」という感じなんです。ですから、普通は人口の多い所にどんどんスクールを作っていくと思うんですが、HIROさんをリスペクトしているダンサーが宮崎にいたので、「東京校の後は、次は宮崎に出してみよう」となったんです。

例えば、発表会などでも「みんなでライブを作り上げよう!」という心持ちで行っているんですね。ですから、発表会も最初はなかなか人が入らなくて赤字が続いたんですが、最近はスクールも認知して頂いて、色々な方々に来てもらえるようになりました。

−−スクールはアジアにも進出しているそうですね?

森:はい。台北にもスクールがありますし、最近ニューヨークにも作りました。そこではエイベックスの松浦さんと千葉さんのご厚意で、「GLOBAL JAPAN CHALLENGE」という試みをしています。これはオーディションで選ばれた15名の中学生が3年間ニューヨークへ行くことで、その学校を拠点にダンスとボーカルを鍛え上げるというプロジェクトです。近い将来、世界でデビューさせたいという夢があります。

−−LDHはビジネススタイルも独特ですよね?

森:LDHって、外からプロフェッショナルが入ってきて作った会社ではないんです。信頼できる知り合いに入ってもらって「グッズを作ってみよう」とか「これを一緒にやってみよう」みたいなところから始めた会社なので、オリジナルなやり方になっているのかなと思います。

−−LDHは社会貢献にも積極的に取り組んでいらっしゃいますね?

森:そうですね。うちの会社では朝9時半から10時まで会社の周りを中心に中目黒を毎日掃除しています。昔の中目黒はゴミだらけで、すごく汚かったんですが、我々が掃除をし始めたら、だんだん他の会社さんでも始められるところが出てきて、最近はゴミの取り合い状態で、掃除のし甲斐が薄れてきています(笑)。

−−(笑)。

森:また震災のときは、EXILEのメンバーがダンスを教えに行ったり、今だとUSAが「DANCE EARTH VILLAGE」というコミュニティ・スペースみたいなものを作っていまして、そこに子供たちを呼んでキャンプをしています。また、アンジェラというハワイに住んでいるサーファーが所属していまして、障碍者のサーフィンスクールをやったりしていますが、参加している子供たちの笑顔が素敵で、我々社員も率先して手伝いに行ったりしています。あと、「DANCE CUP」というキッズダンサーコンテストを開催したり、「EXILE CUP」という小学校4年生から6年生の子たちが参加するフットサルの全国大会も開催しています。

−−スケールが大きいですね。もはや芸能事務所ではなくて総合エンターテインメント企業ですね。

森:やはり「人を喜ばせたい」という想いが根源にあるんです。HIROさんはよく色々な方と会食するんですが、そのときでも相手をどう喜ばせるかを考えているんですよね。もちろんライブのときもそうですし、そういった「ファンの皆さんがどうしたら喜んでくれるのか」という目線がEXILEや会社に浸透しているんだと思います。

−−「EXILE TRIBE PERFECT YEAR 2014」として、年間を通して様々な公演をされていますが、全体での動員はどのくらいなんですか?

森:約200万人くらいだと思います。

−−200万人! すごいですね・・・それだけの規模の興行を、基本的に自分たちのスタッフだけでやっているわけですよね?

森:そうですね。その分、スタッフの人数が多いのかもしれないです。

−−アーティストはまだまだ増える予定なんですか?

森:アーティストもまだまだ増やしていきたいなと思っています。それは儲けたいから増やしたいということではなくて、多くの人に喜んでいただきたいですし、色々な事にチャレンジをしてみたいからなんです。

 

6. これからも“Love”“Dream”“Happiness”を感じてもらいたい

第126回 森 雅貴 氏 株式会社LDH 代表取締役副社長

−−HIROさんは毎朝会社にいらっしゃっているんですか?

森:はい、来ています。社内で打ち合わせをしたり、ライブのリハーサルにずっと立ち会ってライブ作りをしたりしています。クリエイティブワークだけでなく営業もされるので、とにかく忙しいですね。

−−超人的ですね。やはり森さんも人と会われることが多いんじゃないですか?

森:基本的にプロダクションなので、会食がないときは所属タレントと毎日ご飯を食べて、という日々ですね。身内のことをこんな風に言うのもなんなんですが、やっぱりみんなモチベーションが高いんですよね。EXILEのメンバーでさえ、スタッフを集めて「自分はこうやりたいんだ」という会議をやったりとかもするんですよ。自分で企画書を作ってきて。

−−そういう人たちを集めたのか、ここに集まって育ったらそうなったのか、どっちなんでしょうか?

森:やはりHIROさんの存在は大きくて、多分、HIROさんを真似したりする中で、モチベーションが高まってくるんだろうと思います。そういう意味ではみんな自分発信の人たちですし、上へ上がろうとすごく努力しているので、こっちも応援したくなるんですよね。

−−良い回り方ですよね。例えば、ミーティングで怒号が飛び交うとか、激しい場面とかあるんですか?

森:あんまりないですね(笑)。もちろん怒ったりすることもあるんですが、大抵それはウソをついたり、ごまかしたりすることに対してなんですよね。僕は調整しようとするというのが嫌なんです。それよりも正面から素直に言って、良いか悪いかで決めた方が良いんじゃないのかと思います。

−−下から上になんでも言える?

森:そういう向き合い方のできる会社であるように心がけています。

−−森さんご自身の個人的な目標はなんですか?

森:個人的な目標…難しいですね(笑)。

−−会社と一心同体というか、仕事とプライベートを分かちがたい感じでしょうか。

森:そうですね。一緒にお酒を飲んだりすることも、仕事なのかプライベートなのかという(笑)。所属タレントのみなさんは前向きで夢があるので、とにかく一緒に飲んでいて楽しいんですよね。そういった場で「一緒に頑張ろうよ」と語り合うのが好きなので、いつも時間が空いたときは、メンバーを誘わせてもらって一緒に飲んだりしています。

−−でも、あれだけ人数がいると、色々と人間関係のトラブルがあちこちにあるのが普通だと思います。誰と誰が合わないとか。

森:いや、そういうことと関係なくみんな呼んじゃうので。HIROさんも然り、そういった気遣いは全くないですね。何かあったら「その場で言っちゃえば?」って感じです(笑)。

−−風通しがいいですね。

森:ウチは所属同士がとにかく仲が良いんです(笑)。LDHという社名は、“Love”“Dream”“Happiness”の略なんですが、「一所懸命 “Love”“Dream”“Happiness”を伝えていこう」という共通のテーマがみんなの中に浸透しているので、結束力があります。

−−最後に今後の抱負をお聞かせ下さい。

森:とにかく、真摯に一所懸命、謙虚にやっていくということですね。そういった姿を今後もLDHが見せていくことで、“Love”“Dream”“Happiness”を感じていただき、少しでもみなさんの力になれればと思っています。

−−本日はお忙しい中、ありがとうございました。森さんの益々のご活躍をお祈りしております。(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

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