第9回 萩原 健太 氏

インタビュー リレーインタビュー

萩原 健太 氏
萩原 健太 氏

音楽評論家

独立したスタンスで愛情深くも小気味よい評論に定評のある萩原健太氏。
 ブラウン管でもお馴染みだが、米米クラブ、憂歌団、山崎まさよし等、数多くのアルバムのプロデュース・ワークは知られているのだろうか?はたまたギタリストとしては?評論家としては異端児のようでありながら、堂々と王道を行く氏のお話からは、やっぱり並々ならぬ音楽への深い想いと造詣が溢れ出した。

[2000年7月6日/代官山・萩原健太事務所にて]

プロフィール
萩原健太(Kenta HAGIWARA)
音楽評論家


1956年2月10日生まれ。1978年3月 早稲田大学法学部卒業。同年4月 早川書房入社。1981年6月 早川書房退社。その後フリーとして活躍。 執筆活動、TV出演などを通じて音楽評論を行なう。 他、音楽プロデュースも手がける。

[主なプロデュース作品]
米米クラブ 『Go Funk』 『5 1/2』 『米米クラブ』 五木ひろし 『五木』 田原俊彦 『ダンシング・ビースト』(sg) 憂歌団 『知ってるかい!?』 山崎まさよし 『ホーム』 FREEBO 『Smoking Blues』 『BlueMoon』 …等。
[コンサート演出]
B.B.King & his son’s 中原めいこ 米米クラブ BINGO BONGO …等。
[その他]
早見優 CCB 相原勇 光岡ディオン 渡辺満理奈 …等の作曲も手がける。
[ラジオ]
1996年4月〜 NHK-FM 『ポップス・グラフティ』 月曜パーソナリティー
[著書]
『ポップス・イン・ジャパン』 (新潮文庫/92年7月) 『はっぴいえんど伝説』 (シンコー・ミュージック/92年10月) 『ロック&ポップスター100』選・監修 (PHP/93年11月) 『ロックの歴史 ロックンロールの時代』 (シンコー・ミュージック/93年12月) 『萩原健太のポップス・スクラップブック』 (主婦の友社/94年5月)


 

    1. 音楽は趣味のつもりだった萩原健太
    2. ジェイムズ・テイラーのギターに感動
    3. 桑田佳祐の衝撃
    4. 人生を変えた大瀧詠一インタビュー
    5. レコード会社とコンタクトしない評論家?
    6. オリジナリティはコピーを重ねてこそ
    7. 文化としての音楽産業を!
    8. インディーズ・シーンが持つ可能性
    9. 「いい音楽」は「いい聴き手から」
    10. 育てよハードリスナー
    11. COUNTRY ROCK TRUST=『カントリーロックの逆襲』
    12. 本当のそばを食ってみろ、って時もあるよね
    13. 恥ずかしい事はやめましょうよ (笑)
    14. 売れる前が楽しいプロデュース・ワーク
    15. 人生をかける趣味──それは「音楽鑑賞」

 

1. 音楽は趣味のつもりだった萩原健太

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--お生まれはどちらなんですか?

萩原:埼玉の浦和です。父が公務員であちこち転々としていたんで、ほとんど記憶のないまま北海道行ったりとか千葉の方に行ったり。高校からは早稲田高校に入ったんですけど、それからはずっと親が動いても僕は動きませんでした。

--音楽はどのへんから?

萩原:子供の頃からですけど、中学生になったばっかりの頃に軽い入院をしたんですよ。1〜2週間ぐらいかな。たいして厳しい療養が必要無くて寝てればいいっていうだけの入院で。暇なんでやる事が無いじゃないですか。それでラジオばっかり聴いてて、そこが大きな変わり目かもしれないですね。

--好きなアーティストとかはいらしたんですか。

萩原:それまでにも普通にベンチャーズ聴いてたりとかはありましたけど、バニラ・ファッジがデビューして、格好いいなって思ったのがちょうどその時期ですね。もちろんそれまではGSとか日本のものをいっぱい聴いてたんですけど、その辺を皮切りに洋楽ばっかりになってしまいましたね。

--一応ビートルズ世代ですよね。

萩原:そうですね、だからもちろんビートルズも見てはいるんですよね。来日公演はテレビで見たんですけど、でもそれも日本のGSの元になってるもの、みたいな見方で。だいたいヒット曲とかは知ってるんですけどね。もちろんモンキーズもありましたし、そういうのにはごくごく普通に反応してたんですけど、深く入り込んじゃったのは入院期間中からだと思います。そうこうするうちにビーチ・ボーイズとかと出くわして、もう帰ってこなくなっちゃいました (笑)。もうはまり込みましたね。

 

2. ジェイムズ・テイラーのギターに感動

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--ギター弾かれるんですよね。いつからやられてるんですか?

萩原:真面目に始めたのは高校ぐらいになってからですね。ジェイムズ・テイラーがデビューして、あの人のギター聴いてこれはすばらしいなと思って。子供の頃にエレキの若大将見たり、ベンチャーズ見たりとかして、エレキは格好いいなと思ってまねごとでちょっとやったり、ウクレレ弾いたりとかしてたんですよ。でも高校ぐらいになってジェイムズ・テイラーがアコースティック・ギター1本であれだけの世界を作れるっていう事を目の当たりにして、これはいいなと思って。当時エレキ・ギターと言ってもアンプとか周辺が高いんで、あんまり一人でやってても盛り上がんないんですけど、生ギターだと一人でやってても楽しいんですよ。だから僕は元々はアコースティック・ギターですよ。僕も時々スタジオからお声がかかって行く事もあるんですけど、エレキの場合は古っぽいベンチャーズ的なものをやる場合はお声がかかるんですけど、アコースティック・ギターでお声がかかる方がうれしいですね。ソロを取りたいとかっていう欲望がまるでないギタリストだったんですよ (笑)。

--でも、そうなるとアコギでジェイムズ・テイラーから入っていくと、当然歌いますよね (笑)。

萩原:それはそれで… (笑)。でも、自分がパフォーマーにって意識よりはジェイムズ・テイラー的にやってると、アンサンブルの事に興味が湧いてきたんです。アレンジっていうか、自分がプレイしなくてもいいんだけど、こういうボイシングを使いたいとかこういう風にしたいとかそういうニュアンスが強かったですね。どっちかっていうと、ギターなんだけど鍵盤に近いような形の考え方で…。ギター1本でもビーチ・ボーイズの『ペットサウンズ』のボイシングをコピーしたりとかそんな事をする方だったかな。でも一緒にバンドをやっても音楽的に合う同世代の仲間がいなかったんで、出来なかったですし、そうすると一人で多重録音とかしながら (笑)。

--今で言う宅録ってやつですね。

萩原:やってましたよ。だからビーチ・ボーイズが好きなんでコーラスのボイシングを自分でやってみたりとかね。そのうちアレンジとかも仕事でやるようになりましたけど、考えてみたら高校の時からやってた事で、基礎知識は高校時代のものですね (笑)。

--大学時代もその頃の延長で活動されていたんですか?

萩原:そうですね。バンドやったりもしましたけど。僕は大学に入ったのは『アメリカン・グラフティ』(映画)なんかの頃で、もともとエルビス・プレスリーが好きとかビーチ・ボーイズが好きとかいろいろあったんですけど、同世代の仲間が当時はいなかったんですよね。もちろんコンテンポラリーな音楽も好きでしたから、リトル・フィートとかタワーオブパワーが好きだったりとか、もちろんジェイムズ・テイラーもそうですけど、それでなんとなく繋がる仲間はいたんですけど、心底一緒に組めるって感じの人がいなかったんです。まあバンドはいくつも経験してるんですけど、なかなか自分で作ったオリジナルを共にやってくれる仲間が少なかったというのが、高校から大学にかけての思い出ですよ (笑)。

 

3. 桑田佳祐の衝撃

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--青学だとそういう仲間がたくさんいたんでしょうね。

萩原:僕は早稲田だったんですけど、青学に知人がいたんで、青学の桑田佳祐と一緒にバンドやったりしたんですよ、もうサザンオールスターズって名前だったんですけど、それはそれでそういう音楽も楽しくやってて。

--彼らとは同世代ですよね。

萩原:そうですね、今残ってるメンバーは桑田と原しかいないんですけど。その頃はリトル・フィートだジョージ・ベンソンだってやってはいたんですけど、それ以外にドゥーワップやりたいなって思ってもそういうのはちょっと出来ないんで (笑)。

--元から幅広いんですね。

萩原:しかもなかなかパフォーマーになりたいって欲求が無かったんであんまりバンドやってもね。自分がやらなくてもいいから、アレンジしてこういう風にやりなよっていってやってもらう方が楽しかったっていうか (笑)。

--メンバーを子分にぐいぐい引っぱっていくキャラクターではなかったんですね。

萩原:そうですね。

--就職も音楽方面ではなかったんですね。

萩原:えぇ、だから趣味にしてしまおうと思って。もちろんその段階で桑田佳祐に会ってますから、ミュージシャンになるやつはこういうやつこそがミュージシャンにならなくちゃいけないんであって、俺はあくまでもリスナーだと。ギター弾くにしてもこういうアンサンブルがいいなっていうのも含めて全部リスナーとして、いるんですよ、常に。だからその後もアレンジやったりプロデュースしたりとかで音楽を作ったりしてますけど、あくまでもリスナーの立場みたいな位置で自分が聴きたい音を構築するとかそういう感じなんですよね。だからその段階で桑田と会って、パフォーマーとしての夢っていうのはこれは違うと (笑)。だから良かったと思いますけど、会ってないで夢追っかけてるよりは。「ああこういう人がなるんだ」って、「俺はこういう人の音楽を聴く人間でいよう、それで充分幸せだ」っていう感じで。昔からもちろんそういうタイプだったとは思いますけどね、決定的な引き金としてはそれがあって、音楽は聴き手としていて、仕事も関係ない事やろうと。

--桑田佳祐はその時からそんなに強力だったんですか?

萩原:素晴らしかったですよ、本当に。今より素晴らしいかもしれないと思いますよ。真面目な話しますけど、彼らがデビューしようとしてやり始めた時期よりも前の方がすごいですよ。人にわかられようという意識がない中でやってる桑田の音楽っていうのは本当に素晴らしかったですよ。

--オリジナルですか?

萩原:カヴァーもやってましたけどね、オリジナルったって歌詞がないようなものでしたからね。ただ唸ってるだけなんですけど、それがまた格好いいんですよ。これはすごいと思いましたね。

 

4. 人生を変えた大瀧詠一インタビュー

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--はじめは出版社に就職されたんですよね。

萩原:そうですね。僕はアメリカ文学が好きだったので、そういう翻訳文学みたいな仕事をやろうと思って、出版社に入ったんです。

--会社勤めをしながらだんだん音楽の仕事が増えていったわけですか。

萩原:そうですね、詳しいって事がバレて来ちゃったみたいで (笑)。辞める直接のきっかけになった仕事っていうのは出版社にいる頃だったんですけど、ちょうど’81年の3月に大瀧詠一さんの『ロングバケーション』ってアルバムが出て、僕は大瀧さんのアルバムはすごく好きで昔からリアルタイムでずっと聴いてきてたんです。それで、当時はカルチャー雑誌だった宝島の編集長が別の出版社の友人を通して、なんか大瀧詠一さんに詳しい奴がいるからインタビューしてもらおうって事になって、宝島でインタビューをさせてもらったんですよ。すごく細かい事を知ってるって事もあって、すごく盛り上がって下さって、7〜8時間のインタビューになっちゃって。それで僕はその翌日に会社に辞表を出したんです(笑)。

--翌日に辞表を出したっていうのはどうしてなんですか?イケると思ったんですか?

萩原:いやいやイケるとかって事じゃないですよ (笑)。大瀧さんから学んだのは、自分がイケるって事よりは自分が好きなものとか信じてるものっていう事をあんまり待ってちゃいけないっていうことだったんです。

--もし、大瀧詠一さんのインタビューが無かったら会社辞めてなかったかも?

萩原:どうなんでしょうね、それはよくわからないんですけど、いいきっかけだったんだと思います。結局、僕はね、音楽が聴いていられればそれで良かったんですよ。でも、出版社はそういう部分で厳しかったんです。就業時間中に音楽とか聴いてちゃいけないんですよ。要するに8時間なり働く間は音楽を聴いてない状態だったんで、これが厳しくて。あと給料も結構安かったんです(笑)。レコード屋に行って二つ見てどうしようかなって悩む状態が嫌だったんですよ。どっちも欲しいんだからどっちも欲しいっていう。迷ったら買えっていうのが僕の鉄則なんで (笑)。だから迷った段階で聴いてみたいっていう。だったらどのぐらい稼げるかわからないけど、稼いだお金をそこに注ぎ込める体勢がとれる形の方がいいなと思って、とりあえずフリーになっちゃったんですけど、ひどいですよね楽観的っていうか (笑)。

--それが25歳の時ですよね。会社に3年しか行ってないんですもんね。躊躇が無いですよね3年っていうのは。

萩原:そうですね。

--僕が知ってる評論家っていうのはレコード会社と密接な関係があって動かれてたんですけど。違う系統で音楽業界に入ったというのは、どういう感じで今に繋がっているんですか?

萩原:辞めた時はライターだけじゃなくてなんでもやってたんですよ。作曲もやってるし、アレンジもやってるし。だいたい出来る仕事があれば受けてるって感じだったんですよ。レコーディングみたいな事もしながら雑誌のSEX特集も書いてるみたいな (笑)。そういう感じですかね。レコーディングもやってるって事もあるんで、なんとなく音楽の事もそういう所から増えてきたりとかありましたし。

--その頃の肩書きっていうのは音楽評論家ではなかった訳ですね。

萩原:えぇ、僕も音楽評論家って名乗った事は無かったんですけど、いろいろ常に肩書き聞かれますしね、かといってそこで変わった事を編み出して言ったりするのも嫌じゃないですか。別にこっちも強い意識をもって何かやってるわけではないんで。あくまで音楽の周辺で音楽が好きなんで音楽を受け手としているだけなんですけど、それにぴったりくる言葉はあんまり無いんでね。だから場合によってはプロデューサーって書かれる事もありますけど、音楽評論家って書かれる事が多いんで、まぁそれでいいかなと。もちろんDJって書かれる場合もありますしね。

 

5. レコード会社とコンタクトしない評論家?

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--会社をお辞めになってすっきりしましたか?

萩原:わかりやすくはなりましたよね。音楽の事だけになりましたからね。時間の使い方が自分で勝手に出来るようになったし。僕はレコード会社のしきたりが嫌だったんですよ。「媒体どこ持ってるんですか?」とか言われるじゃないですか。別にね「それだったらいいよ」って気持ちに当時はなったんですよ。だからその当時はお金が無かったんで逆にサンプル盤とかテープとか資料を頂けたらよかったんですけど、でも、そこまで高圧的に出られた事も何度かあったんで…。

--たぶん今もレコード会社の体質は変わってないでしょうけど。

萩原:「だったらいいよ」と。俺は全部自力で音も買うし、それに資料だって自分で好きだから知ってるし「たぶんお前らよりも音楽について知ってるよ」と。それからレコード会社の人とあんまりコンタクトとらなくなってた時期が初期の頃にはありましたね。

--ノリが強いですね (笑)。

萩原:サンプル盤待ってるタイプの評論家とかライターの方とかいるじゃないですか。邦楽に関してはね、そっちの方が早いからしょうがないとしても、洋楽に関してはすごいビッグネーム意外はまず輸入盤が出て、その後に日本盤が出るんだから「自分で買え」って思うんですよ。頂いたものは正しく評論出来ない事ってあるじゃないですか。でも僕は自分で買ったんだからリスナーとしての立場があると。もちろん中傷はしないけど少なくともいちリスナーとして、つまりお金出したものとお金出さないで聴いたものって印象が違うじゃないですか。タダならこれでもいいけど、お金を出すんであればどうだっていう視点は、受け手として持っていたいと思うんです。そういうのはね、たまたま初期の段階でわりとはっきり思い知らせてもらえたっていうか、音楽評論とかライターの在り方って、こういう形で依存しながらやるんだなとは思ったんですけど、それはちょっと俺には出来ないなって思って。だから音楽の事だけじゃなくて他の一般誌的な仕事もやってたんです。

--前々回にホッピー神山さんのインタビューで、日本にはロック系のジャーナリズムが育っていない、みんな資料をもとに褒めているみたいな話になって。イギリス、アメリカみたいな辛口の論評を見かけなくなったね、問題あるよねって話になったんですよ。

萩原:やっぱり、自信のある人が少ないっていうのもあると思いますね。それに受け手やレコード会社の人もそうだと思うんですけど、根拠の無い辛口みたいなのを褒めたりするじゃないですか。それもいけないと思うんですよね、ただ単に毒吐いてるだけみたいな人を面白いとか言ってその人に仕事行っちゃったりすると、またそれが図に乗っちゃったりするじゃないですか (笑)。だから、どっちもいけないと思うんですよね、あと、業界の人はみんな音楽知らないですね。特に洋楽っていうかアメリカのロックとか。僕は個人的にはロックっていうのはアメリカの音楽だといまだに思ってますから。それに対して簡単にロックっていうものと勉強するって事とは両立しないような気がしちゃうじゃないですか。でもロックは日本人には理解出来てない部分がすごく多いから、そこを勉強しない事には身に付かないと思うんですよ。ずっと聴いてれば肌でわかってくるところもあると思うけど、そこまでの意欲を持ってロックに浸っている人も少ないと思うんですよ。そうなるとある程度自分から学んでいかないとわからない事がすごく多いと思うんです。そういう(自分から学んでいくっていう)姿勢をあまりにもみんながとってなくて、自分がわかってる範囲の事だけで全部判断しちゃう。そこに引っかかった文章なりなんなりだけで、安心した一つのサークルみたいなものを作っちゃってるでしょう。そうすると、なんか先に進んでない感じはしますよね。

 

6. オリジナリティはコピーを重ねてこそ

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--ひと昔前みたいな話だと、とうようさん(音楽評論家・中村とうよう氏)がいて、小倉エージさんとかすごい人達がいっぱいいた時代の後、リーダーシップをとってくれる人が見えなくなってきたっていうのはありますよね。

萩原:だから学ぶっていう感覚を無くしすぎちゃったんじゃないかなって思うんですよ。ミュージシャンもそうなんですけど、例えば、若いギター弾いてるミュージシャンとかに「どんなプレイヤーが好き?」って聞くと「特にいない」って答える人増えてるじゃないですか。

--そういう言葉が返ってくるのは寂しい感じがしますよね。

萩原:「俺は誰にも影響されてない、だからオリジナリティがあるんだ」っていう変な論法があるんですけど (笑)、確かにぱっと聞くとそうかなと思うんだけど、でも僕は本当にロックが好きなら学ばないといけないものがすごく多いと思うんですよ。コピーしてコピーしてコピーした作品にこそ、ようやくオリジナリティが出来るっていうものだと思うんですよ。例えばエリック・クラプトンでさえもですよ。コピーしてコピーして「なんだただのものまねじゃないか」って言われながらもずっとやってきて、ようやくあの人もブルースが出来るようになってきたのかなっていう感じがあるじゃないですか。ブルースのフィーリングをいれたいからってクラプトンがベビーフェイスに呼ばれたって「お前それはないんじゃないか」って (笑)。そういう状況まできたわけじゃないですか。でもね、それが真実だと思うんですけど、なんかそこら辺を甘く考えてる人が多いような気がするんですよね。

--新聞で読みましたけど、ストーンズは盗作で訴えられたらしいですよ。でも、本人は盗作っていう意識はないはずで……。

萩原:それは敬意をもってやってると思うんですよ。だからそういう事も含めてですけど、それでもいいってところがロックの懐の深さだって言い方も出来るんですけど。ただそれだけだとどこまで行っても本当のオリジナリティに達する事は出来ないと思うんですよ。それはミュージシャンとかもそうだし、レコード会社のスタッフの人達とか事務所の人達とか、音楽に携わっている評論家とかライターの人達もそうですけど、なんかそういう発見を自分からしようっていう感じがあんまり無い人が増えて来ちゃった事は確かだと思いますね。

CRT(The Country-Rockin’ Trust/カントリー・ロックに影響を受けたミュージシャンやスタッフ、メディア関係者の集団)のトークイベントみたいなのを毎月やってるんですが、この前とうようさんがゲストで出て下さった事があったんです。とうようさんのような方でさえも、未だに音楽で新しい発見があって、1940年代の音楽のことですけど、「このミュージシャンはこうだったんじゃないか」とか、「これとこれを比べてみるとこういう事だったらしい」とか、今になって発見してすごく盛り上がったっ話してくださったんです。やっぱりそういうものだったんじゃないかなって思うんですよ。僕もビーチ・ボーイズだったら30年ぐらいは聴いてるわけでしょ。昔のビーチ・ボーイズのCD聴いててある時「ハッ、これって!」っていう風に新たな発見があったりするとすごく嬉しくなって、奥さんが寝てるところ起こしてでも言いたくなるような事ってあるんですけど、そういう感じっていうのはみんなあんまり無いのかなって思ったりもしますね。

 

7. 文化としての音楽産業を!

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--もし日本の音楽文化を軌道修正出来るとしたら、どうすればもう少しマシになりますかね。

萩原:本当は音楽が好きな人はそんなにいないんですよ。マーケットがでかくなってるんで、音楽好きなような気になっていると思うんです。でも本当はそんなでかいマーケットじゃないのに、そこに「なんとなく好きだ」って人も混ざっちゃって、そっちの方が多いんで見えなくなっちゃってると思うんですよね。だからそれだけの事だと思うんですよ。300万枚とか200万枚アルバムが売れましたって言っても、(それを買った人の中に)音楽好きな人はそんなにいないと思うんですよね。一つの商品として、音楽と銘打ったものとして出ちゃってるんで、音楽のような気がしちゃってるんだけど、やっぱりちょっと違うかなっていう気はするんですよね。それは商品としてアリなんだけど、レコード会社がそういうもので儲けてくれるのはそれはそれで構わないと思うんだけど、見方としてそれだけにしちゃうって方向に全体がどうしても行くじゃないですか。業界としては当然で、資本主義の論理としてはそうなるんでしょうけど、やっぱりレコード会社っていうのは「文化に関わってる」っていう意識を持っててくれると、こっちとしてはありがたいんですよね。「持て」と強制的には言えないんですけど、過去綿々と連なる音楽の歴史の中の音源をたくさん持ってるわけですから、そういう意識も持っていてほしいんです。

--文化を抜きにするとね…。

萩原:やっぱりそこの部分もなんらかのいい形でキープする、伝えていくってぐらいの気持ちになってくれるとうれしいなっていうのは常に思いますよね。だからそれがないと、そういうものに携わって書こうとする人が大変になっちゃうんですよ。僕なんかも結局その音源を人に頼れないから自分で集めちゃう。自分で買いまくって稼ぎのほとんどをレコードに注ぎ込んでるのは、誰にも頼れないから自分で手に入れない事にはどうにもならないって事でそうなるわけですよね、そうすると若い子でそういう事をやる人はそういないだろうなって事は想像つきますよ。今色んな事でお金がかかるんだったら、そんなものにお金払わない。そうするとそういうタイプの書き手とか、あるいはしゃべり手とかでもいいですけど、そういう音楽の紹介者みたいな人がすごく少なくなってきちゃうような気がするんですよ。なかなかいい人材がいないっていう風な事をおっしゃってましたけど、そんなような事になるのは色んなものが合わさってかなっていう気がするんですよね。

--キース・カフーンさんがおっしゃってましたけど、アメリカと日本の違いはアーティストの志が違うんじゃないかって。例えば向こうのアーティストはタイアップで売れるという時に断るのが普通だっていうんですよ、よっぽど自分の音楽性とタイアップの場面が共通項があってそれがマッチするんだったら受けてたつかもしれないけどあんまり関係ないCMとかに使われるって事に関してはプライドを持って断るだろうと、僕らの世界だと世に出るんだったら「ハイハイ」みたいなのが普通ですよね。

萩原:タイアップありきですからね。まぁ、僕はレコード会社の人間じゃないんで勝手な事言っちゃえば「100万枚以上売れるものは音楽じゃないものとする」とか (笑)、別のアミューズメントものという事で。グッズとして扱ってもらって。

--アミューズメントCDと音楽CDで分ける (笑)。

萩原:そうじゃなくてもいいんですけど (笑)、ただ、これからはメディアの流通が変わるわけですから、その中でもっとはっきりしてくるとは思うんですよ。これまでみたいな形でリピートしなくてもすむようになってくればそんな必要ないじゃないですか。だから今だとどうしても、採算分岐点が10万枚とかそういう風に設定されちゃうんでそうなるでしょうけど、間にいる人がごっそりいらなくなればね。別にね… (笑)。

 

8. インディーズ・シーンが持つ可能性

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--レコード会社の社員もヒットが出なきゃクビだし、売りにくいアーティストは契約してもらえないし。

萩原:まあそうなるのは当然ですけど、企業としてデカイですからね。上場しちゃってる企業まであるぐらいだと、どうしてもそこになればしょうがないとは思うんですよね。そこはね「お願い」でしかないわけじゃないですか。もちろん僕は売れてる音楽も好きです。昔からヒットチャートが大好きで聴いてきたわけだし、それと同じように今売れてる音楽だって大好きですしね。でもそれだけっていう風に思われちゃうと…。

アメリカには「バブリング・アンダーHOT100」って言葉があるんですよ。100位に入るか入らないかぐらいの所にある曲が実はすごく面白いものだったりって事もあるし、あるいはアルバムのみの曲も面白かったりする事もあるんで。現在は流通が変わってきた事でこれまでのヒットチャートの論理みたいなものが段々通用しなくなってきてる事もあるでしょ。それでシングル出ないから、HOT100のチャート自体が無力化してて、ビルボードとかアルバムカットっていうのが増えてきてるところを見ると、昔あったようなヒットチャートっていうのはないんじゃないですか。でもなんとなくその中でもその論理で動いてるところってあるでしょ。それでこれからはMP3とかネットのものが増えて来たとなれば、アルバムっていう単位も崩れてくるだろうし、かといってシングルに戻るかって言うと、それとは違う流通になってくるわけでしょ。その時に日本では特にそうですけど、値段が一律じゃないですか、350円とか、盤でもいいんですけど、シングルが1000円とかアルバムが3000円とか、どんなものでも同じ値段なわけでしょ、これだって「いつ俺達が納得した?」って (笑)。

--配信はそんなに簡単にはいかないでしょうけど。

萩原:それも結局レコード会社とかが既成のものと同じように何とかしようとしててダメにしてるわけでしょ。著作権協会とかそういうのが、これまでのパッケージと同じようにネット配信のものを扱おうとするからですよね。自分達もこれからも同じように利権を守りたいっていうことでしょ。だから、そうでなければ簡単じゃないですか、もっと昔は音楽っていうのは聴いてもらって良かったらお金もらうっていう、「お代は見てのお返り」でしょ。今はそれと同じ形には簡単に出来るわけじゃないですか。でもこれまでそうしてこなかったからどうやって金とればいいんだろうって (笑)。

--CDがみんな同じ値段なのは誰が決めたって話なんですけど、最近インディーズがたくさん出てきたじゃないですか。彼らは勝手に値段付けていきますよね、僕もその中の一人なんですけど、もうガタガタに崩れてきましたね。

萩原:だからこうやってどんどん変わってくるし、「3000枚売れたら制作費出ました」っていくらでも今後出てきますよね。それだったらいいじゃないですか、あるいは日本でこれは売れないからやめようって言われたものもわりとワールドワイドで考えられるから、そうすると例えば「5000ぐらいは世界中で売れるんじゃないの」、「だったら出せる」ってなってくるところも増えてくると思うんですよ。むしろ今レコード会社が考えてる事っていうのは、要するにそれしか売れないものは切っていって2〜30万から上だけ残すみたいな非常に効率の悪い事しようとしてるわけじゃないですか。でもこれからは世の中的には逆になってくると思うんですよ、2〜30万も売れなくていいから何万枚か確実に売れるんだったら、十分になりたっていけるっていう。

--そのへんの可能性を配信が出していけばいいですよね。

萩原:だからたぶん今後は、どちらかと言えばインディーズベースの人達の方が活発に活動出来る時代になるんじゃないですかね。それを阻止しないで欲しいっていうのはありますけどね。

--今はインディーズも多くてそこで競争原理、市場原理が働いてしまうんですよね。そうするとみんな安い値段だしてきて、みんなで苦しまなきゃいいけどなって不安はあるんですよね。

萩原:それはそれで失敗するやつは失敗するんだろうなって思うんですけど、だいたい日本でMP3一曲350円って設定したりする根拠さえも薄弱じゃないですか。

--それは今までシングル一曲売って儲かってた金額を懐に残すためにはそのぐらいは必要だという逆の論理ですよね。

萩原:そうですね。だから、これまでは儲けてたんだね、じゃあこれからは儲かんないねっていう事も十分考えられるわけじゃないですか。

--自分達の特権を必死で守ろうとしてるわけですよね。

萩原:だから時代が変われば、毎日回ってきてたお豆腐屋さんが残念ながらそのままの形でやっていけなくなったとか、畳屋さんの需要が少なくなったっていうのはいっぱいあるわけでね、それと同じものなんだから、そういうところの人達がへんに高圧的に仕切らないで欲しいんですよね、ネット配信に関してはね。

--インディーズの標準は250円ぐらいなんですけど、メジャーは350円。100円ぐらいインディーの方が安いんですよね。

萩原:ただ、アメリカだと1ドルぐらいじゃないですか。だから…。

--ソフトバンクがやるって言った100円っていうのはたたかれましたね。

萩原:まぁ、ギリギリの値段じゃないですかね。今後携帯とかに配信していくっていうのが今後の形でしょ、それがプレイヤーになっていて、それで聴くっていう。それでソニーとかがやってるプロテクトのかけ方も過渡期のやり方で「なんの為にそんなプロテクトかけるんだ?」っていう、そのコンピューターに書き戻さないと回数が3回までしか(??)が出来ないとか、すごくややこしい事考えてるのって、今の形をあまりにも絶対なものとして主張しすぎてますよね。せっかく面白い事が出てきたんだからそっちに変わっちゃえばいいわけで、だから「今あるところは今のままやってればいいじゃん」って思うんですよ。パッケージはパッケージで欲しいから絶対そういうやり方もありだと思うんです。だから「別にそれでいいからやってて下さいよ」と、だからこっちで新しく動こうとしている人達の邪魔はしないで、「別に同じもの出さなくてもいいじゃん」っていうね。それであるミュージシャンはこっちでパッケージで出す、これは配信で出しますよってやってもいいわけでね。現状で聴き手の立場から言わせて貰えば「そこまで制限しなくてもいいのにな」って思いますね。

--聴き手としては間違いなくそうですよね。

萩原:そういう聴き手に向かって配信したいって思ってるミュージシャンはいっぱいいるわけじゃないですか、その人達までへんなルールの中で「やったら怒られるらしいよ」とかって出来なくなっちゃうんだったら…。

--まぁ、P-MODELとかはそういう事でやっちゃったわけですけど。

萩原:やっていいと思うんですよ。だから そうなってくるとJASRACも問題じゃないですよね。そうなった時にはいらないんだもの。今のような形ではありえないでしょ。今やってる事だって結構ドンブリじゃないですか。カラオケの収入だって適当に配分してるでしょ。「あなた方がいっぱい払ってるその人の曲はたぶん歌われてないと思います」っていうのがいっぱいあるじゃないですか (笑)。でも、そういうのも含めてね、いろいろ…。

 

9. 「いい音楽」は「いい聴き手から」

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萩原:僕が思うに、これまではそうだったけど、これからはそうはいかないよっていうのがいっぱいあると思うんですよ。だからみんなね、スタッフ側も聴き手としての視点があまりにも足りなすぎると思うんです。それはみんなに言えるんだけど、やる人以外は聴き手になった方がいいと思いますよね、あとやる人もそうなんですけど、いい聴き手がいないといい音楽って出来ないんですよ。だからさっきの話じゃないですけど、結構ハードリスナーが減ってますから、なんとなく聴いちゃってる人が多いんで。オリジナリティが無いって事もハードリスナーがいないって事が原因だと思うんですよね。あんまり聴かないからオリジナリティがないんですよね、というか、いい聴き手じゃないから自分の音楽がいいかどうかわからないんですよ。自分のいい音楽のハードルが低いから結局それ以上いいものを作れないでしょ。でも、ヒップ・ホップとかで面白い音楽が生まれてるじゃないですか、あれは聴くベクトルは違うんだけど、DJの人達って目的が違うんだけどレコードすごい聴いてるでしょ。

--ハードリスナーの一派ですよね。

萩原:DJの場合はどこかいいところ、抜くところないかとかそういう聴き方ですけど、それでもめちゃくちゃ聴いてるからああいうところからいい音楽が生まれてくるのはよくわかるんですよ。昔のすごく格好いいグルーヴを抜いて自分で音楽を構築しようとしてるから格好いいグルーヴを良く聴いてるわけで、そうすると耳が良くなるから、クリエーターとしてもよくなってきますよね。レコード会社のディレクターとかスタッフでも、そういうハードリスナーの人はいいディレクターなんだけど、自分も作り手の一人だって勘違いしちゃってるタイプの人が多いから、ものすごく見当はずれな事しちゃったりするんですよね。例えば過去自分が学生時代にバンドやってた人なんて、自分がやってた範囲のプレイヤーとしての意識みたいなものでディレクティングしたり…そういう事が多すぎる気がしますね。放送局の人もそうなんだけど。聴き手じゃなくて送り手の気分になっちゃってるから。まず聴き手だろと、いい聴き手としていいと感じたものを送るっていうふうにしないとどんどんレベルが下がっていくような気がするんですよ。やっぱり聴く耳を育てないといけないわけで、僕なんかが言うのはおこがましいんですけど、でも、一応そう思うんですよ、僕は常に聴き手として、受け手としてありたいと思ってて、どんどん受け手として研ぎ澄ましていくっていうふうにいきたいんで。

--そうすると、アーティストが本当にいい音楽を作らないとハードリスナーは育てられないということですよね。

萩原:それはどっちもですよ。まず聴き手が育ってないから…。でもね、いい音楽っていっぱいあるんですよ。過去にもいっぱいあるわけだし、そういうのも全部聴けるわけだし、やっぱり聞き込んでいけば耳も良くなってくるんだけど、そこを怠惰なリスナーが多いから、結構ね音楽とか気楽に楽しめると思ってるかもしれないけど本気でやろうと思ったらこんなに大変なものはないんだっていう事をね、まぁ、そんな大変な事はしたくないって人はいっぱいいるとは思いますけど、結構ね「趣味は音楽です」とか「音楽鑑賞です」とかもし言うとするじゃないですか、でも「本当の音楽鑑賞っていうのは大変だぞ」っていうね (笑)。

--同じ事を淀川長治さんが言ってましたよ。「映画を見るのを趣味にされちゃ困る、命がけなんだ」みたいな (笑)。

萩原:こっちは音楽鑑賞に人生かけてますからね。趣味を聞かれたらやっぱり「音楽鑑賞」って答えてますけど (笑)。

 

10. 育てよハードリスナー

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--いい聴き手になるっていうのは大変な事ですね。

萩原:しかも僕の場合はアメリカの音楽が好きになっちゃったもんだから、そうするとそこに横たわってる文化の違いとかね、そこをどうやってクリアしていくかっていうのは学んでいくしかないじゃないですか。「聖書でも読むか」みたいなところから始めるしかでしょ (笑)。だからボブ・ディランひとつ聴くのも聖書の事わからなきゃいけないし、あるいはアメリカのフォークミュージックの成り立ちについてわかっていかなきゃいけないし、そうするとアイルランドの方にまでいかないとわかんないし…とかってずっといろいろやっていこうと思うとね、大変なんですけど。まぁ、もちろん楽しいからやってるんですけど (笑)。そうやって後で聴くボブ・ディランっていうのがその一瞬前に聴いてたボブ・ディランよりもすごく生き生きと聴こえたりするわけですよ。だからその瞬間の喜びっていうのはたまらないじゃないですか (笑)。歌の一言でわかった時とか。

--背景がみえた時とか。

萩原:その喜び知っちゃうと帰ってこれませんけど (笑)。そのぐらいの人がもっと増えると僕は楽しいなっていうか、まぁ、一般に楽しんでる方にそこを要求する気はあんまりないんですけど、ただ音楽を作ったり送り出したり、紹介したりしてる現場の人達はそのぐらいでやって欲しいんですよね。そうすればもっと楽しいですよ。

--昔はみんなアルバムのクレジットとかライナーの隅から隅まで読んでましたね。

萩原:亀淵さん、朝妻さんやとうようさん達のように尊敬出来る人達のライナーを読んだりして音楽を聴いてたのは幸せだったと思うんですよ。今ライナー書いたりする時にその事を常に思い出しますよね。だからつまんないエッセイみたいなのを書かれてるライナーとか見ると、本当に腹立ってきちゃって。そういう育ち方をしてきてるんで僕もその音楽がどういう存在なのか、それを聴いたことでそこから他に広がっていけるようにとか、少し立体的に分かるようにと思って書いてるんですよ。

--好きな音楽だったらもっと広がるだろう?と。

萩原:そうですね、難しいんですけどね。もっと好きになっていいんじゃないかと思うんですよ。そうなるとめちゃくちゃ楽しいんで、時間が無くなるから大変ですけどね。そうなると結婚生活が上手くいかない人も多いでしょうからね。ウチの場合はそういうタイプの人とたまたま伴侶になったもんですから。

--ところで能地さんとの馴れ初めっていうのは (笑)。

萩原:お互い音楽を広い幅でやってて。

--守備範囲は似通ってるんですかね。

萩原:広いんで、被さる事が多いですけど、やっぱり違いますよ。日本の音楽については僕なんかより彼女の方が断然詳しいし、ジャズだと僕はどちかっていうとハードバップぐらいまでの時期のものが好きなんですけど、彼女はもちょっとあとの新主流派からアート・アンサンブル・オヴ・シカゴとかの方面に広がるんで。でも重なる所もあったりとか。

 

11. COUNTRY ROCK TRUST=『カントリーロックの逆襲』

萩原健太5

--CRT(能地/萩原氏が提唱したCOUNTRY ROCK TRUST)とか含めて、カントリーロックに力入ってますよね。カントリーロックはなかなか日本で根付きにくいようですが、CRTで活動しようと思ったきっかけっていうのは単なる趣味からだったりするんですか?

萩原:そうですね (笑)。好きなんだけど、それまであんまりCD化されなかったりしてるものが多かったりして、いい音楽あるしね、CDにして聴きたいと思ったぐらいが最初ですね。

僕はBECKを2度目の来日かな、赤坂BLITZで見た事があったんですけど、BECKを見た時にまさにこれはグラム・パーソンズだなと思ったんですよ。それもあってちょっと騒いだ感じはありますね。当時アメリカで「アメリカーナ」、あるいは「オルタナティブ・カントリー」って呼ばれてるようなミュージシャンがいろいろ出て来ててたんです。彼らが60年代後半ぐらいから70年代頭にかけてのグラム・パーソンズとかバーズ、ザ・バンドとかに近いコンセプトみたいなものを、ルーツロックとして打ち出してたんですよ。だからそれがあってだんだんそういうふうになってきてるのかなと。BECKも含めてね、ウィルコとかサン・ヴォルトとかそういうグループもいて、すごくその頃への熱いまなざしを感じたんですよ。僕がその辺のアーティストの新譜を買ってる時の気持ちは、僕が中学生から高校生にかけてバーズとかザ・バンドの新譜が出た時、あるいはバッファロースプリングフィールドの日本盤が初めて出たぞって時の気持ちのとかにシンクロしたものを、自分の中で感じたんですよ。だから今の若い世代にもきっとこの辺の音って面白いんじゃないのかなって感じは漠然とあったんですよね。そんな事もあってCRTみたいな形でレコード会社の人も巻き込みながら再発とかやったらどうかなっていう事なんですよ。

--CRTには私も期待しています。旗振り役としてぜひ頑張っていただきたいです。

萩原:CRTの首謀者というか、最初にやりはじめたのは能地なんですよ。能地佑子が首謀者で僕はどっちかって言うとCD再発部門の担当って感じなんですけど、でも実際に盛り上がってきたし、廃盤だった幻のアルバム、例えばボーダーラインっていうグループがいて。73年にアメリカで1枚だけ隠れた名盤を出しているんですけど。ひょんなことからインターネットを通じてメンバーと知り合って、再発できないだろうかっていろいろ相談していくうちに、実際に東芝の方で再発できる事になったんです。で、出したら、これがかなり売れたんですよ。まあ、小さな数ですけどね、倉木麻衣に比べれば (笑)。

--立派なものですよ。

萩原:海外でも話題になってるんで、面白い事にはなってますよね。インターネットのおかげで開かれたある種のマーケットに対して関わる事もCRTは出来てる感じがするんで、CD nowとかアメリカの方のショップでも僕らが出したような日本盤の再発もインポートで売ってて”This is from CRT series”みたいな事が書いてるんです。もうちょっと規模の小さいレーベルでやればもうちょっと実現しやすいとこもあるんですけど、僕らはあえて、メジャーなレーベルの人達と仕事させてもらってるんですよ。ワーナー、東芝、ユニバーサルとかね。そういう展開もあるからという事なんですよね。例えば小さいところで500枚作って再発しましたっていう事は出来ますけど、それよりはちゃんとしたライセンスのもとで、だからさっき言ってた事とは逆になるんですけど、でもそういうちゃんとしたところがそういうのをやってくれるっていう面をキープして欲しいって言ったのはそのせいなんですよ。

--CRTでイベントとかやってらっしゃいますよね。いつからやってらっしゃるんですか?

萩原:1998年からです。トークイベントは毎月続いてますよ。トークイベント+レコードコンサートっていうか、ゲストを迎えてレコードかけたりとかいろいろしながらやってるイベントは毎月やれてます。コンサートは日本人のミュージシャンが集まって全員カントリーロックの曲をカバーでやったり、細野晴臣さんや鈴木慶一さん、佐野元春さん、かまやつさんとかいろんな方が参加してくれています。ラストショーとセンチメンタルシティーロマンスのジョイントなんかもありましたね。そっちのコンサート関係は能地が仕切ってやってるんですけど。CRTがそんなに大きく成長してるって感じは無いんですけど、でも定着はしてきてるって実感はありますよ。

--古い人が集まるんですか、それとも若い人ですか?

萩原:20〜30代ですかね、10代はさすがに…。トークイベントの会場が居酒屋っていうか、ロフトプラスワンってお酒も飲めるところなんで、なかなかちょっとあれなんですけど…だいたい皆さん平日だったら会社帰りに来てくれるとかそういう事もやってるんで、昔はカントリーロックって言っただけで「何それ?」っていうのがあったのが、最近は割とカントリーロックって言っても変なものじゃ無くなってきてるっていうか、いわゆるカントリーっていうのとカントリーロックは違うっていう事もちょっとずつ定着してきたと思うんで。

--あと、オルタナ系のイメージも出てくると今の若い人達にも通じて欲しいんですけどね。

萩原:そうですね。だけどそういう意味でも若い人達に定着してきたなっていうのは2〜3年騒ぎ続けてきてようやく出てきてるんで。今後も続けて行こうかなと思ってるんですけど。

--これはますます頑張っていただきたい 。使命感持ってくれませんか (笑)。

萩原:9月にはねキャピトルからね、ザ・バンドが全部リマスターでボーナス入りで本格的な再発が始まりますからね。このCRTのマーク付けて日本では出したんですけど前バーズと割と後期のカントリーロックっぽいものもすごく売れたみたいなんですよ。だからちょっといいかなっていう。

あんまりたくさん出しても今度は逆に買う人も大変になっちゃうんで、今後もちょくちょく出していこうと思いますよ。やっぱりある程度枚数まとめて出さないとレコード屋さんで店頭展開できないっていうのも事実じゃないですか。1枚だけ出してもなかなかダメなんで、5枚ぐらいまとめて出して毎月レコード会社を一社づつずらしながらっていう展開にはなってます。でも買い手の人って追いかけるの大変なんですよね。だからある程度インターバルも置きつつやらないと厳しいかなとは思ってるんですけど、そういう中でちょっとずつ話題のものを一定の期間ごとに出して行ければいいなと思ってるんですよ。あんまり重箱の隅みたいにもなりたくないんですよ。

--そうですね、だんだん変わっていっちゃうとまずいんで。

萩原:隠れた名盤みたいなものばっかりになってくるとつまんないんで。なんだかんだ言ってこういう音楽をやるやつはザ・バンド聴け、バーズ聴けっていうのが中心にあって、グラム・パーソンズもあり、やっぱりそういうところがあった上でのボーダーラインとかねそういうものだと思うんで、どうしても隠れた名盤の再発だけになってちゃうとつまんないんで。

 

12. 本当のそばを食ってみろ、って時もあるよね

萩原健太4

--その辺の動きから今ホットなアメリカのバンド、カウンティング・クロウズとかサブ・ソニックとか、あの辺が日本で売れるような状況を望んでるんですけどね。

萩原:それが特にそうなんですけど、さっき言ったような土壌の違いみたいなものを学ぼうとしない限り入り込めない音楽だったりするでしょ。そこをわりと怠けがちなリスナーだと入っていけないところがあるんですよ。そうすると敷居が高いとかってなっちゃうし、昔はもうちょっとみんなアメリカの詞とかそういう世界にもう少し親しんでたけど、今はそういうのも無いじゃないですか。そうするとあの歌詞の構築の仕方とかもわかんないと思うんですよね、対訳がついてても。だって日本の詞とかはっきり言ってひどかったりするじゃないですか。「〜な社会で大人が疲れてどうした 」とかね、そんな事言われてもね。つまり詞っていうものに対する考え方もすごく緩くなってきてるから、音韻の仕方とかHipHopとかそっちはおもしろいんだけど、普通の歌詞とかどんどん平べったくなってちゃって。これは小室以降顕著だと思うんですけど、言葉がバァーッと乗っかちゃってるだけで音の面白さとかを表現してるものも無くて、言ってる事もものすごく平べったい事だったりとか、「言葉で書けばわかる事じゃん」っていうような。それを言葉じゃなくて歌にしてるっていうのはどういう事かっていうような事も今や誰も考えてないと思うんですよ。詞の朗読でもなくその言葉を歌に乗せている事の意味っていうのがわからないと、やっぱりカウンティング・クロウズとかの歌詞の世界とかを「なんで」って思う事が多すぎると思うんですよね。歌い方とかね。

--それこそ日本人は英語がそこまでわからないし、文化がわからないにしても、本当に音楽を勉強していればサウンドの感覚ってわかるものあるじゃないですか。その辺がやっぱり勉強不足だと何も聴こえてこないでしょうね。

萩原:もったいないとは思うんですけど。ただねえ、そばは立ち食いだけじゃねえぞって思っても立ち食いじゃないとコロッケソバは食えないなって気持ちもわかるし (笑)、やっぱりコロッケソバはそれなりに食べたくなったりもするんですよね。だけどこれは「そば」じゃないんだよって言いたい気持ちもあるんですよね。本当のそばを食ってみろって、なんかこの感じをね (笑)。

--そばにもこだわりがありそうですね。

萩原:食べ物は好きですからね。日本の人は工夫がすごいと思うんですよ、だから日本の音楽もそれに近い工夫はあるんですよ。あんパンっていうものに近い工夫は結構なされてたりするじゃないですか、パンの中にあんこっていう。その組み合わせはそれで成立してると思うんですよね。だけどフランスパンの本当のうまいやつっていうのとはまた別の文化ですよね。そこまで確立された日本の文化っていうのがもっと多ければいいですけど、そこまでいかないぐらいの中途半端なものが多かったりすると、それは違うだろって思うんですよね。

--クリームパンとかジャムパンとか?

萩原:いや、それはそれで立派なものだと思うんですよ。だから日本の音楽はパンにも劣るんですよ (笑)。だから「いちご大福」にも至ってないような気がするんですよね。工夫するんだったらもっとちゃんとやればいいのに、その辺を覚悟持ってないなって感じがね。でもそれはねリスナーが洋楽聴かないなっていう安心感の元でそこそこおいしいとこだけさらってきて自分のわかる範囲だけ持ってきて出すじゃないですか。だって、HIT OF THE WORLDとかビルボードで見てて日本のチャートだけ異常じゃないですか。ドメスティックなものだけで。だからこうなると、やっぱり困ったらおいしいところだけ抜いてきてそのまま出しちゃうじゃないですか。だからロバート・ジョンソンの版権会社がストーンズを訴えるとかって大きい規模じゃない事はいっぱいあるわけでしょ。

つんくさんとかね、それを良しとするわけでしょ。まあ、知らなきゃそれでいいんだけど、知ってるやつが結構いるよって事を。黙ってやってるけどいちいち出してたら大変だよって事をね。

--そういう本を作ったらどうですか?

萩原:いや、それだと単なる暴露本と一緒じゃないですか。そういうパクリの本ってよくあるし。ああいうのって見てて気分悪いじゃないですか。だからやってる方の自覚を促したいですよね。あと、もしそうだったら恥ずかしいと思えっていうね。恥ずかしいと思ってやってるんだったらまだいいし、好きだっていうもとでやってるんであればそれも伝わってくるから、これ本当に好きなんだなって伝わり方をすればOKなんですよ。ストーンズの場合も払わなくていいなって思っちゃうのはもしかしたらものすごく敬意を表してロバート・ジョンソンに向かってたりするじゃないですか。

--言葉としては「ブルースはみんなのものだ」っていう (笑)。

 

13. 恥ずかしい事はやめましょうよ (笑)

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萩原:ストーンズまでなったら僕はいいような気がするんですよね。そんな事も含めてですけど、もうちょっとみんなね…。半端な事やったら恥ずかしいんだから後ろめたいと思って出せよっていう感じがねあるんですよね。これからインターネットで垣根がどんどん無くなっていきますからね。「これマズイだろ、替え歌だろ」っていうようなのあるじゃないですか(笑)。

--作ってる本人はそれなりに詳しいハードリスナーなんでしょうけどね。

萩原:いや、ハードリスナーならもっと伝わりますよ。そうじゃなくってなんかその瞬間にだけCD積み上げて「なんかいいのないかな」って聴いて「これでいいや」ってやってるものが恥ずかしいんですよ。

--これは本人っていうよりか今の日本の業界のスタッフがそれを強要しちゃったりしてますからね。

萩原:だからね、全体的に恥ずかしいですよ。

--パクリ…いや「音楽の偶然 (C)ピストン西沢」がはげしすぎて、アメリカでそれ歌ったらまずいだろ、みたいな曲ありますよね(笑)。

萩原:しかもそれで世界進出するなよって思うんですよ。だから、もっと草の根レベルでいってるギターウルフとか少年ナイフとかコーネリアスとか恥ずかしくないじゃないですか。ちゃんと違うベクトルを持ってオリジナリティのある事やってるから、真似しててもそれがすごく好きだからやってるって事が伝わってくるものだったりするし、だから僕は全然いいんですけど。割とメジャーなところからどーんと海外進出やる人達って、けっこう恥ずかしいんですよ。むこうのスタジオの人とかっていいこと言うじゃないですか、アメリカでも通用するとかって。そりゃアメリカ人はそういう事言うから。ミュージシャンに褒められたって事を嬉しそうに言ってることありますけど、なんかサービスされてるみたいな感じを見てるのは嫌じゃないですか。

しかもそれで、どのチャートに入りたいのかが見えてこないんですよ。だから例えばR&Bのチャートに入りたいのって思うと、白人だって入るの大変なのにね…。じゃあどこを狙ってるんだっていうね。

--キース・カフーンさんもその辺はきっぱり言ってましたからね。

萩原:恥ずかしい事はやめましょうよ (笑)。だから、なぜそれが恥ずかしいかってことがわからなくなっちゃってるんだとすればもう一回基本に立ち返っていい音楽を聴いてみろと。

--本気で売れようなんて思ってないんじゃないですか?アメリカに進出したんだぞって事を日本人に見せればそれで十分な宣伝効果になるというか…。

萩原:売れてくれるものを作ったとすれば、それは応援したいじゃないですか。妙なナショナリズムじゃないですけど。同じところで育った人間が活躍するとなると。例えば佐々木(シアトル・マリナーズ)が16セーブとかっていうと、「よっしゃ!」って感じになるじゃないですか。僕は別に横浜ファンでもないし、ジャイアンツファンだけど、やっぱり佐々木はカッコイイなって思えるでしょ。そのカッコイイなって思える感じがあればいいんですよ。でもそれはもちろんギターウルフとかそういうやつらにはカッコイイと思えるんですけど、だからそういうニュアンスだったら海外進出もありですよね。

 

14. 売れる前が楽しいプロデュース・ワーク

萩原健太7

--評論家のお仕事のほかにも数々のプロデュースワークを手がけていらっしゃいますが、今後を期待されているアーティストは?

萩原:プロデュースする際に基本的に興味があるのは、これから出てくるぐらいの人が好きなんですよ。だから今どうって言われるとこの段階ではあんまり出くわしてないですけど、一番最近やったのはFREEBOって若いバンドがいて、彼らはまだ20代ですけど、僕がCRTでやってるような音楽が好きだったりして、違う世代の人間が同じ音楽を元に盛り上がって新しい自分達の音を作ろうとしてるっていう意味ではすごくFREEBOとかは好きなんですけど、なかなか彼らも自分達の個性を確立させる段階まで至らなくて。

--その前に山崎まさよしやってらっしゃったんですね。

萩原:彼をやったのはちょうど2枚目の時ですね。

--彼はたいした人ですよね。

萩原:そうですね、すばらしいですね。だからその時は山崎もまだ爆発的に人気が出るちょっと前ぐらいだったんですごく面白かったですよ。そういうぐらいが好きなんですよ。まだ行きかけの…。

--でも、プロデュース作品見ると、五木ひろしさんや憂歌団までいろいろでおもしろいですね。

萩原:憂歌団とかはでかい存在としてあるところに、僕に違う要素を持ち込んでくれませんかみたいな依頼でしたけどね。

--米米クラブは初期ですか?

萩原:米米は途中からですね。4枚5枚目ぐらいからですかね。でも、特大ヒットを飛ばす直前までですね。やっぱりその感じなんですよ。この頃もある程度セールスを上げましたけど、あと、『浪漫飛行』とか『君がいるだけで』の前のもうちょっとバカな頃。

--今後のプロデュースのご予定っていうのは具体的にはないんですか?

萩原:昔、アレンジとかやってた頃に「どうにでもして下さい」って持ってくる場合があるじゃないですか。それを随分やってた時期があるんですよ。こっちの趣味で提供してた事があって。その頃にね、ある時「よくないな」って思ったんですよ。やっぱりこいつとなら本当におもしろいものが作れるかもしれないって人が出てこない限りはこっちから営業かけて仕事とるとかそういう事はやめようっていうね。全般に。もちろんCD再発するにしてfも書く方でもプロデュースでもそういう感じにしようって思ったんですよね。だから米米なんかそういう風に思った後で最初にやり始めたアーティストなんで。だからそれまで何にもやってなかった時期とかあるんですけど。だからそういう感じなんでね、そういう存在が出てきてからですね (笑)。

--米米は自分からやりたいみたいな意志表示されたんですか。

萩原:米米は向こうから来たんですけど、それでも会ってみてこれならいけるかもって思ったんですよ。大学時代にこういうやつらがいたら一緒にバンドやってただろうなってタイプの連中だとやれるんですよ。なんとなく一緒にスタジオ入って、リハーサル長くやるプロデュースで本チャンのレコーディングは短いってタイプのプロデュースなんで。一緒にバンドをやれるようなやつじゃないと難しいんですよね。これまで話した通りバンドもうまくやってこれなかったタイプの人間なんで (笑)。

 

15. 人生をかける趣味──それは「音楽鑑賞」

萩原健太8

--最近もギター弾かれてますよね。それはCRTでやられてるんですか。

萩原:それはベンチャーズものっていうか、エレキインストバンドみたいなのをやってます。

--萩原健太の3大ギタリストをあげるとすれば?

萩原:生ギターですけど、僕にとってはジェイムス・テイラーが一番。エレキだとジェイムス・バートンっていうギタリスト。その流れとしてはほぼ一緒ですけど、ベンチャーズのノーキー・エドワーズですかね。

--ジェイムス・バートン言ってくる人はあんまりいないですよね (笑)。音楽以外でこだわってるものはないですか?

萩原:もちろんコンピューターは好きですよ。コンピューターとかいろんなものを楽にしてくれる物は好きですね。

--レコーディング部屋があるわけじゃないですよね。

萩原:ないです、そういう事はねレコーディング・スタジオでやる。自宅でマスタリングとかはしてますけどね。ハードディスク上で。予算のない時はね。

--ProToolsとかで?

萩原:そんなすごいもの使わないですよ (笑)。もっと適当なやつでね。

--他のこだわりは?

萩原:あとはジャイアンツですね。こうしてる間も見たくてしょうがないんですよ (笑)。明日はドームですよ。ジャイアンツ戦はチケット取るのが大変で (笑)。

--萩原さんでもなかなか取れない。

萩原:僕は正攻法ですから、僕はコンサートもそうなんですけど、あんまり招待とかはね。日本の場合は頂いちゃう事も多いんですけど。

--自分のお金で?

萩原:電話掛けまくる。買えなくて、しょうがない場合は関係者席とかで見せてもらうんですけど。盛り上がれないじゃないですか。だいたい3連戦のどれかは行くっていう。

--完全にいちファンですね (笑)。

萩原:いちファンですよ (笑)。

--やっぱり長嶋さんのファンですか?

萩原:ジャイアンツっていうよりは長嶋野球のファンです。

--ジャイアンツファン歴何十年って感じですか?

萩原:子供の時からずっとそうなんですけど、長嶋采配の「なんで?」っていう、あれが素晴らしい。おもしろい野球ですよ。僕は別に勝つ野球が必要とは思ってないんで。

--他にご趣味はありますか?

萩原:他にも色んなものが好きですけど、趣味って言って本当に人生賭けてるなっていうのは音楽だけですよ。しかも音楽鑑賞 (笑)。

(インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦)

人生を賭けた趣味が仕事、というお言葉に考えさせられてしまいました(反省しきり)。さて、ご紹介いただいたのはライブハウス「ロフト」の創設者、平野悠氏。CRTの活動のベースとなっている世界初のトークライブハウス・ロフトプラスワン席亭でもある平野氏に、萩原健太氏も多大なる影響を受けたといいます。革命家平野氏の波瀾万丈の人生…。ご期待下さい。

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