アメリカではPandoraがFacebookの次ぐらい使われている「未来は音楽が連れてくる」連載第23回

コラム 未来は音楽が連れてくる

▲写真 NYSEでオープニングベルを鳴らすティム・ウェスターグレン

 

ソーシャル・メディアがもたらした第二次ITブームとPandora

2011年6月15日。この日、ニューヨーク証券取引所で取引開始を告げるオープニング・ベルの手綱を引いたのは、再来したIPOブームの一角 を担うPandora Radioの創業者ティム・ウェスターグレンだった。ホールに鐘が鳴り響くと拍手が沸き起こった。

放送の革命児、Pandoraは全米を席巻し、ついにこの日、市場の祝福を受けた。上場当日、Pandora RadioはIPO価格より8.8%高い株 価で取引を終え、実に時価総額27億8000万ドル(約2,240億円 80.65円/ドル)、世界のIT企業・時価総額ランキング36位の評価を得て市場に迎え入れられた。

Pandoraはアメリカ限定のサービスだ(*)。だが現在、全米だけで5,500万人のリスナーを持っている(※)。聴取時間ベースではMTVを超えており、全米ナンバーワンの音楽放送に育っている。数多の放送局が割拠するアメリカで、全米レーティング(全ラジオの総聴取時間に占める割合)は6%を超え、史上初めて地上波に勝ったインターネット放送となった(※)。上場後から1年経ったが、レーティングは前年比+80%の急成長を続けている。直近(2012年8月30日)には売上を上方修正し、来期の単黒がほぼ確実となった(※)。

連載第23回 アメリカでは、PandoraがFacebookの次ぐらい使われている
▲Pandoraは2007年以前は世界中から聴けたが、DMCA法の要請に乗っ取り、現在はアメリカ限定だ。だが今でもイギリス、カナダなど他の 英語圏に根強いファンが残っており、「tunlr pandora」で検索すると彼らが使っている方法が出てくる

Pandoraと同じ2005年に登場したYouTubeは「いずれ放送に勝つ」と言われてきたが(※)、実際にレーティング・ベースで地上波放送に勝 ったのは、次世代音楽放送のPandoraの方だった。

ご存じだろうか?

アメリカでは、iPhoneアプリの利用頻度ランキングで、Facebookに次ぐ2位をつけているのがこのPandoraだ(※Apple製アプリを除く)。 スマフォの世界でPandoraは、TwitterやYoutube、ソーシャルゲームよりも強い。「MTVの登場に匹敵するインパクト」と称されるこの次世 代音楽放送の威力は、かくまでにすさまじい。

連載第23回 アメリカで、PandoraがFacebookの次ぐらい使われている
▲アメリカにおけるスマフォ・アプリ、使用頻度ランキング。Apple製・Google製アプリを除くと1位Facebook、2位Pandoraとなっている(※)
(※ Pandoraは最近、ニュージーランドへ実験的に放送を解放した)
(※ 傍証として、NDPの調査によると全米のインターネットユーザー2億3,690万人のうち、半分がPandoraを知っており、4人に1人が実査に Pandoraを使用している。 https://www.npd.com/wps/portal/npd/us/news/press-releases/itunes-continues-to-dominate-music-retailing-but-nearly-60-percent-of-itunes-music-buyers-also-use-pandora/ )
(※ http://www.bloomberg.com/news/2012-08-29/pandora-surges-after-unexpected-break-even-second-quarter.html )
(※ 以下のデータを元に算出

(※ http://www.amazon.com/Life-After-30-Second-Spot-Alternatives/dp/0471718378 )

 

ミュージシャンたちの魂がこもった究極の楽曲レコメンデーション、Music Genome Project

連載第23回 アメリカで、PandoraがFacebookの次ぐらい使われている
▲Pandora RadioをiPhoneで聴いているところ。親指ボタン(サムアップ)は、Spotifyラジオをはじめとする数々のPandoraクローンに踏襲された。John Mayerと入力すると、まず「My Stupid Mouse」がかかり、その後、Sister Hazelの「All For You」、KT Tunstallの「Heal Over」、Coldplayの「Yellow」と、John Mayer好きにぴったりの選曲で音楽が紡がれていった
画像:http://www.drillspin.com/articles/view/129

Pandora Radioのサクセス・ストーリーは決して平坦なものではなかった。

1999年の創業以来、ミュージシャン出身のウェスターグレンは廃業の危機を幾度も乗り越えてきた。2年もスタッフに給与が払えない時期があった。投資家巡りをして資金調達を計ったが、347回も断られた。

ウェスターグレンを助ける投資家が全くあらわれなかったのには、訳があった。Pandoraのアイデアは、サービス開始当時のWeb2.0ブームや、昨今のソーシャルメディアのコンセプトとは全く異質で、理解不能だったのだ。2012年に生きる投資家ですら理解しきってない節がある位だ。

ウォールストリートでは、Pandoraは、RenRen(中国のSNS)、LinkedIn(ビジネス用SNS)の上場から始まって、本命のGroupon(ソーシャルクーポン)、Zynga(ソーシャルゲーム)、Facebook(SNS)の上場に至る「ソーシャルメディア・ブーム」の文脈で語られることが多い。

だが実際にはPandoraは、ソーシャル関連とは全く異質の何かだ。

起業したウェスターグレンは、何十人ものプロミュージシャンを集め、数年かけてありとあらゆる曲のDNAを解析しようとしていた。この 前代未聞のプロジェクト、Music Genome Project(ミュージック・ゲノム・プロジェクト)は、ジャンルや年代、雰囲気といったありきたりの分類作業ではなかった。

コード進行、リズムパターン、テンポ、楽曲編成、演奏方法、シンガーの声質、ルーツ、トーン、空気感、レコーディング方式、歌詞のテーマ、等々。プロ・ミュージシャンの耳が1曲1曲、サウンドプロデュースの際に考慮される音楽の要素を全て分析する。その判断基準は2000以上に登り、プロ・ミュージシャンが20分近くかけて1曲を分析し、データベースにひとつひとつ入力していく。

そうやって出来上がった「究極の楽曲レコメンデーション・エンジン」で、ウェスターグレンは「究極のミュージック・ディスカヴァリー・サービス」を創ろうとしていた。(※2012年10月24日修正)

何十人ものミュージシャンを雇うこの開発は、分不相応な人件費がかかった。どうにもならなくなって、自身のクレジットカード11枚を換金してヴェガスに乗り込み、1発当てて何とかスタッフに給料を払う有様だった。

ある日、遂に全く金が無くなった。ウェスターグレンはスタッフのミュージシャンたちを集めてこういったという。

「すまない。僕を訴えるか、無償で仕事するか、どちらかを選んでくれないか」

ミュージシャンという人種はお人好しすぎるのかもしれない。訴えた者はほんのわずかだった。ほとんどのスタッフが残り、2年間、無償でMusic Genome Projectに従事してくれた。

そして348回目の出資依頼で、ウェスターグレンは、ようやく首を縦にふってくれる奇特なエンジェル投資家と出会うことができた。900万ドルの出資を得たPandora Radioは、2006年にようやくサービスインにこぎ着けた。創業からすでに7年が過ぎていた

投資家には全く理解不能だったウェスターグレンのアイデアだが、いったんサービスが始まってしまえば、リスナーの熱狂が、正しさを証明してくれた。Pandoraのリスナー数は百万人単位で増えていった。

ようやく光が見え出した頃、アメリカのレコード産業がCopy Royality Boardを通じて楽曲使用料を大幅に上げ、インターネットラジオ全てを潰しにきたこともあった。インターネットラジオ局の平均売上の3倍に相当する楽曲使用料が義務づけられようとしていたのだ。

その時は850万人の音楽ファンをインターネットで草の根的に組織した。彼らの地域の議員のFAX番号とメールアドレスを伝えたことで、全国の議員に抗議が殺到することになった。ウェスターグレンは、その勢いでワシントンに乗り込んで政治家を説得。逆にインターネットラジオ救済法案を成立させた。

レコードメーカーは臍を噛んだかもしれない。だが数年後、彼らはうれしい誤算を経験することになる。

マクドナルド、ソニー、フォード…。いまやPandoraはアメリカのナショナルクライアントの上位50社中45社を顧客に持ち、地方広告も400以上のキャペーンを展開している。レーティング・広告出稿量ともに全米ナンバー1放送局に成長した

Pandoraは、2012年度の売上予想を最近、4億3,200ドル(約340億円 78.6円/ドル)に上方修正した。直近の売上構成は88.2%が広告売上。残りがサブスクリプション売上やアフィリエイト売上などだ。この340億円の半分が、楽曲使用料の形でレコードメーカーの懐に入るようになった訳だ。

アーティストとレーベルはPandoraを通じて、広告収益モデルを事実上、入手した。その収益は、アメリカで好調なiTunesのダウンロード売上と並んで、米レコード産業の回復を実現するほどになっている(連載第18回)。

ウェスターグレンは絶望的なピンチの度に、世界のどこにも存在しなかった新しい放送の形を熱心に説き、Pandoraが実現した「究極の選曲力」の熱狂的なファンを味方にして道を切り開いてきたのである。

ウェスターグレンは2010年に、Time誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれている。

インターネット放送が起こした、MTV以来の放送の革命。それがPandoraである。アメリカの音楽業界に革命を起こしたのは、ウェスターグレンの率いるプロのミュージシャンたちだったのだ。

 

スマフォを制覇した次は、車を制覇しつつあるPandora

連載第23回 アメリカで、PandoraがFacebookの次ぐらい使われている
(p.18) スマートフォンのトップ3サービスにおける、モバイル経由のトラフィック(PC経由と比較)。1位のPandoraは6割に達する

モバイル、PC、タブレットを制覇したPandora Radioは現在、フォーカスを車に移した。アメリカではラジオを聴く時間の内、車でラジオを聴くのが半分を占めるからである(日本では28.7% 2008年 ビデオリサーチ社調べ)。 提携先は、トヨタやフォード、GM、BMW、メルセデス・ベンツとずらりと並ぶ。既に100万台の車にPandora Radio専用チューナーが搭載されている。アメリカの自動車業界にとって、こうした専用チューナーを搭載して付加価値を高める戦略は珍しいものではない。ラジオの自動車シーンで先行している衛星ラジオ、シリウスXM社の専用チューナーを搭載した車は、アメリカで3,200万台も走っている

連載第23回 アメリカで、PandoraがFacebookの次ぐらい使われている
▲Pandora Radioがビルト・インされたローバー・ミニのスピードメーター。アメリカでは最近、新車を買うと「P」ボタンがカーステについている。ボタンを押すとPandoraを楽しむことができる

Pandora Radio以前、この衛星ラジオがアメリカでブームとなっていた。ゆうせんにも似たサービスで、様々な音楽ジャンルに特化した放送が100チャンネル以上そろっており、これが最大公約数を取りに行く、似た内容で溢れた既存の地上波ラジオよりも、多民族国家アメリカ人の好みに合ったのだ。

だがPandora Radioに触れると、「好みのジャンルを聴ける」「気分や雰囲気に合わせてチャンネルを選ぶ」という程度ではアメリカ人は満足しなくなった。Pandora Radioの人気は、あっという間に衛星ラジオを抜いてしまった。近い将来、アメリカ自動車業界はPandora Radioの専用チューナーを3,000万台以上の車に載せるようになるだろう、といわれており、アメリカではTOYOTAもPandoraとコラボをはじめている。

Pandora Radioが提示した新しいインターネット放送の形は、既にアメリカ社会に受け入れられた。そして、YouTubeがテレビのプレゼンスを下げた時よりもさらに過激に、既存のラジオのシェアを侵食中だ。

スマートフォンの本場、アメリカでTwitterやYouTube、人気ゲームすらPandora Radioの後塵を喫しているという事実。

そしていま、日本やアジアのモバイル市場に、Pandora級の本格的な次世代型音楽放送は事実上、無い状態だ。つまり、大きな空白が、日本でもぽっかり空いているということでもある。


著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

Facebook:http://www.facebook.com/mikyenomoto
Twitter:http://twitter.com/miky_e

関連タグ

オススメ