西寺郷太、NONA REEVES新レーベル「daydream park」よりソロアルバム「Funkvision」を7/22発売

アーティスト

西寺郷太「Funkvision」
西寺郷太「Funkvision」

西寺郷太が、6年ぶりにソロ通算2枚目となるアルバム「Funkvision」をNONA REEVESがタワーレコードとタッグを組んだ新レーベル「daydream park」から7月22日にリリースする。

また、アルバムより「P.Y.T.(Pretty Young Thing)」が6月25日にストリーミング限定で解禁される。「P.Y.T.」は、西寺自身がNHK-FMで一年間MCを担当した「ディスカバー・マイケル」においてリスナーから圧倒的なリスナー・リクエストを集め「スリラー」全収録曲の中で第一位を獲得したマイケル流「80’s モダン・ブギー」の傑作。

マイケルの没後11年目の命日に、同曲のカバー・ヴァージョンを持って、西寺はソロ活動を再開する。プロデュース、プログラミングは音楽原作キャラクターラッププロジェクト「ヒプノシスマイク」提供曲「Break The Wall」でも西寺とタッグを組んだ最強パートナー冨田謙が手掛ける。

続くストリーミング限定配信曲「BODYMOVES!」は、7月1日より解禁。この曲は西寺郷太と共同プロデューサー宮川弾とで生み出された究極的にポップな「2020年代」のハイパー・ダンス・ミュージック。アルバム・リード曲としてミュージック・ビデオも同日解禁となる。

本作は新型コロナ感染拡大防止のため、自粛が余儀なくされた三月末から五月半ばまで、自宅スタジオ「GOTOWN STUDIO」において西寺自身がすべてのヴォーカル、コーラスとドラムのほかベース、ギター、プログラミング、そして共同プロデューサーの宮川弾がアコースティック・ピアノ、各種ホーン・セクションの多重録音とプログラミングを担当。エンジニア兼重哲哉と共に、信頼する極めて少数のゲスト・ミュージシャンだけを招き綿密に作り上げられた。

80年代ブルー・アイド・ソウルのエッセンスに満ちた伸びやかなメロディと、2020年代の研ぎ澄まされたビート感覚が巧妙にミックスされた「BLUEJEAN」(ブルージーン)。西寺がプロデュースを手がけたSANABAGUN.のベーシスト大林亮三を共作者、演奏に迎えた「Love Me Do」での世代を越えたコラボレーション。盟友・林幸治(TRICERATOPS)がヴィンテージ・ベースで超絶グルーヴを奏でるニュー・ジャック・スウィング「Funkvision」ほか、すべての楽曲にソロ・アーティスト西寺郷太の確かな才気が刻まれている。

西寺郷太インタビュー

——ジャクソンズのティト・ジャクソンをゲスト・ギタリストに迎えたソロ・アルバム「Temple St.(テンプル・ストリート)」を発表されて以来、6年ぶりのソロ・アルバムとなります。

タイミングがあればまたソロとしてアルバム制作をしたいなとはずっと思っていたんです。ただ、NONA REEVESのワーナー復帰や色んな方からの楽曲制作やプロデュース依頼、書籍の執筆などもあってなかなかまとまった時間が取れなかったんですよね。

——今回の「ファンクヴィジョン」の計画が生まれたのはいつなんですか?

2020年の夏までは東京オリンピックもあるので、その時期はノーナのライヴ活動は休んで、タワー移籍後の第1弾は西寺郷太ソロに。レコーディング期間にしよう!という話が決まったのは昨年末のことでした。奥田や小松もサポート業や個々の活動が充実していたので。なので3月末から5月の2ヶ月で集中して制作したこと自体は、当初の予定通りとも言えるんです。もちろん、その時点ではまさかコロナ禍でオリンピックが延期になり、子供達の学校まで強制的に休みになるなんて思ってもみませんでしたが……。

——結果、緊急事態宣言も出されて。社会機能がしばらくストップしました。

ですね。それで、ヴォーカル録音はもちろん、アコースティック・ピアノも生ドラムも自宅の『GOTOWN STUDIO』で何もかも行う「超ステイ・ホーム」の方向にシフトしました。ちょうど自分用にベースを買い直し、自宅スタジオにアップライト・ピアノを導入したタイミングで、これは使えるぞ、と。ブラス関連も共同プロデューサーの宮川弾さんが各種ホーンを吹いてくれたおかげで、結果的にオール生演奏。少数精鋭ながらかなりゴージャスな作りになって(笑)。

——最終工程のマスタリングだけはスターリング・サウンドで行われた、と。

はい。ジョー・ラポルタに頼みたいと「daydream park records」スタッフに強く頼みました。何よりザ・ウィークエンドやフランク・オーシャン、ソランジュ、フェニックス、ドレイク、LIZZO含め僕が今夢中になっているモダンなサウンドとの同時代的リンクが欲しかったので。ジョーはヴァンパイア・ウィークエンドやデヴィッド・ボウイ、ヤングサグも手がけていますし、挙げればキリがないですが(笑)。ジョーには『日本人の作る音楽だとカテゴライズして制限かけないで、通常通り現在あなたが一番最高だと思うスタイルでサウンドをトリートメントして欲しい』とメッセージを伝えました。ここのところ、Spotify で新しい音をシャッフルしながらジョギングするんですが、まさに俺が求めていたのはこのサウンドだ!と(笑)。もちろん盟友・兼重哲哉君のミックスありきの話なんですが。ともかく、一聴して仕上がりに驚いてくれる方は多いんじゃないでしょうか。

—-プリンスの名バラード「When 2 R In Love」(ホエン・トゥー・アー・イン・ラヴ)をカヴァー曲に選ばれた理由は?彼が発売直前で回収した曰く付きの「ブラック・アルバム」(1987年)から、唯一その後の「ラヴセクシー」に収録した曲ですよね。

ですね。プリンスが2016年4月に亡くなった直後、僕はいてもたってもいられなくなってミネアポリスに向かって彼のスタジオ兼住居であるペイズリー・パークを訪れたんです。レンタカーを借りて、プリンスが生まれた病院、彼が少年時代から住んだ家や学校を順に追って。聖地巡礼の旅と言いますか。帰国後、同じくプリンス・マニアのSWING-Oさんと呑んだ時に「一緒にカヴァーしたいね」となって。彼にトラックを作ってもらい、次にソロ作を作る時に収録しようと半分だけ歌を録音していたんです。くしくもプリンスとも自分とも縁のあるワーナーとの契約が間に挟まりましたが、今回また移籍をするとなって気が熟した、と二番以降を歌い最終的に仕上げました。この作品を制作している間、ずっと2015年のグラミー式典でプリンスが言った「アルバムって……覚えてる?アルバムは、今も重要だ。本や、黒人の命と同じように。アルバムは、今も重要だ」という言葉が頭を渦巻いていました。なのでこの作品が完成した直後に、ミネアポリスであんなにも悲しい事件が起きたことは本当にショックでした。空港近くのあの道は、僕がまさにレンタカーで運転し、今、メインに使ってるギターを買ったりした愛着あるエリアだったので。

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