MUCC、「壊れたピアノとリビングデッド」ツアーZepp Nagoya公演のライブレポート公開

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MUCCが2月13日にリリースしたニューアルバム「壊れたピアノとリビングデッド」をひっさげて2月16日から同名のツアーを愛知・Zepp Nagoyaにてスタートしたが、その初日ZeppNagoyaでのライブレポートが公開された。

ライブレポート
新たなる怪作『壊れたピアノとリビングデッド』を発表のMUCC。早くも次の過程へと向かいつつある“5人”の現在を見逃すな!

ライヴ活動の充実はクリエイティヴィティの向上に繋がるはずだし、創作面で良好な状態にあるバンドのライヴが良くないはずもない。ごく当たり前のことかもしれないが、去る2月16日、MUCCの名古屋公演を目撃して、改めてそれを実感させられた。

この夜の公演は、『壊れたピアノとリビングデッド』と銘打たれた、東名阪での全4公演からなるツアーの初演にあたるもの。当然ながらそれは、2月13日に発売を迎えた同名の新作アルバムに伴うものだ。ピアノ/オルガン/鍵盤をフィーチュアしたアレンジ、お蔵入りになっていた楽曲の蘇生(それがゾンビ=リビングデッドという発想に繋がっていることは説明するまでもないだろう)、ホラー・テイストといったキーワードを掲げながら制作されたこのコンセプチュアルな性質の新作に、そもそも彼らはミニ・アルバムを想定しながら着手していたのだという。

しかし結果、それが限りなくフル・アルバムに近いサイズ感と内容的な深みを伴うものとして完成に至り、世に出ることになった。単純な計画変更と思われるかもしれないが、見落としてはならないのは、彼らがミニ・アルバム制作にギリギリ足りるくらいの期間と環境で、この作品を産み落としてしまったということだろう。しかも結果、そこに未完の作品のようなラフさは感じられず、作品自体の性格が絞り込まれたことで逆にこのバンドの持つ闇と光、絶望と希望という両極のコントラストが見事に体現されることになった。

そしてもうひとつ付け加えておくべきは、今作でエンジニアを務めているのがギタリストのミヤ自身であるということ。20年を超えるこれまでの経過のなかで養われてきた彼の英知のすべてが、この作品成立を可能にしたと言ってもいいだろう。このバンドの特性と特異さのすべてを他の誰よりも熟知している彼が自ら録音やミックスを手掛けたからこそ、現在のMUCCを温度差も時差もない状態でこの作品にパッケージすることに成功しているのだ。つまり、ある種の偶発性をもって誕生したともいえる『壊れたピアノとリビングデッド』がこうした画期的作品になり得たことには、そうした必然的要因があったのだ。
 

MUCC Zepp Nagoya公演

そんな制作過程を経てきたバンドが、良くないライヴをするはずもない。そう考えながら名古屋まで足を運んだ筆者だが、実際の演奏内容はそうした予想をさらに超越するものだった。リビングデッドというテーマ性に呼応しているのか、開演前のZepp Nagoyaに流れていたBGMはMISFITSやMETEORSの楽曲。それが止み、場内が暗転したのは定刻の午後6時を8分ほど経過した頃のこと。まず聴こえてきたのはレコードの溝を這う針のノイズが良く似合う“壊れたピアノ”。今作とそれに伴うライヴ活動全般を通じて期間限定メンバーとして起用されている吉田トオル(key)を含む演奏者たちが1人ずつ登場し、深々とお辞儀をしながら配置に着き、この幕開けの序曲の演奏に加わっていく。そして5番目に逹瑯が現れると、それまでオルガンを操っていたミヤが本来の立ち位置へと移動し、ヒステリックにギターが轟く。そこで炸裂したのは“サイコ”。超弩級のヘヴィな轟音が場内を支配し、それに圧倒されているうちに次なる“アイリス”が繰り出されていく。

ここまでは、アルバムと同様の流れだ。が、冒頭の“壊れたピアノ”をカウントしても全9曲しかない新曲群だけでは、フルサイズのライヴは成立し得ない。そこに旧楽曲群からどの曲が抽出され、その各曲が鍵盤を用いながらどのようなアレンジで披露されることになるのかという部分にも、オーディエンスの興味は向けられていたに違いない。そして、まだ序盤だというのに“アイリス”に続いて聴こえてきたのは、MUCCにとってのクラシック・チューンのひとつというべき“オルゴォル”。生まれながらにしてダークなグランジ風味を漂わせていたこの楽曲が、吉田の操るオルガンの響きによって妖しい味わいを増しているのがわかる。

そこから先も彼らは、今日までに至る時間軸を自在に瞬間移動しながら、さまざまな時代の楽曲を『壊れたピアノとリビングデッド』の時制で披露していく。新曲たちについてはともかく、旧楽曲群のなかから実際に何がセレクトされ、いかなる変貌を遂げていたかについては、この先に組まれている公演で予備知識なく刺激を味わうことを望む人たちのためにも、この場ではあまり具体的な描写をせずにおきたい。が、明らかだったのは、ピアノやオルガンの導入により各楽曲のアイデンティティ(性格、と言い換えてもいいだろう)がより強調され、ライヴ全体を通じての起伏がいっそうダイナミックさに富んだものになっていたということだ。同時に、MUCCのバンド・サウンドや逹瑯の歌声と、鍵盤との相性の良さについても改めて実感させられた、

ステージの背景は、白地に黒一色で描かれた最新作のアートワークの絵柄で覆い尽くされていた。シンプルだけども同時に象徴的なその風景を背に繰り広げられる演奏に、特筆すべきほど大きな演出は伴っていなかった。が、各曲の表情の変化に同調するかのように色味を変えていく照明のあり方には、鍵盤の音色と同様に甚大なる有効さを感じさせられたし、ランタンの炎を揺らめかせながら登場した逹瑯が、ミヤの奏でるピアノに導かれながら歌いあげた“積想”も、このライヴにおける象徴的な一場面だった。こうしたテーマの伴ったライヴというのは、結果的に〈終わってみれば、いつも通りのライヴだった〉という後味になってしまうことが多々あるものだが、この夜のMUCCはいつもの彼らのままであると同時に、間違いなくどこかが異なっていた。

逹瑯のMCによれば、すでにミヤの頭のなかでは次なるアルバムに向けての構想も固まり始めているらしい。そして、彼のなかにあるアイデアの数々は、今回の一連のライヴを通じて、より色濃いものになっていくに違いない。この『壊れたピアノとリビングデッド』に伴うライヴは、こうしてすでに終了した名古屋公演、その翌日に行なわれた大阪公演を含めても、わずか全4本しかない。確かに5月から6月にかけては『壊れたピアノとリビングデッドfeat.殺シノ調ベ』と銘打たれた計4本のホール公演も控えてはいる。が、現在のこのモードにあるMUCCと向き合うことのできる時間は、おそらく本当に限られている。このバンドのクリエイティヴな意欲のベクトルが次の方向へと向かう前に、是非この局面にある彼らの音を生で体感して欲しいものである。

Text by 増田勇一
Photo by 西槇太一

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