朝妻一郎フジパシフィックミュージック代表取締役会長が書籍『高鳴る心の歌』を上梓

コラム 高橋裕二の洋楽天国

朝妻一郎『高鳴る心の歌 ヒット曲の伴走者として』(アルテスパブリッシング)

当コラムの筆者の大先輩、朝妻一郎フジパシフィックミュージック代表取締役会長が本『高鳴る心の歌』を上梓した。内容は以下だ。

【パート1】アメリカの音楽市場に参入──ウインドスェプトの成功と売却1アメリカの音楽業界に学ぶ
2A&Mの音楽出版社ロンドールとの仕事
3洋楽から始まった日本の音楽出版ビジネス
4ウインドスェプト・パシフィック・ミュージックの成功

【パート2】洋楽ポップスに魅せられて──パシフィック音楽出版設立1音楽/洋楽との出会い
2ニッポン放送でアルバイト
3パシフィック音楽出版設立
4フォークルとジャックスで学んだこと
5初期のPMPを支えたヒット曲と人びと
6PMPから〝フジパシ〟へ

【パート3】アメリカ音楽出版ビジネス小史 複製技術・メディア・著作権音楽出版社は譜面印刷から始まった
レコード、映画が変えた出版ビジネス
音楽出版社が創った音楽ブーム
著作権団体の確立とBMIの躍進
ロックンロールの時代を切り開いた若き音楽家たち

【パート4】才能たちとの出会い──秋元康、加藤和彦、大瀧詠一、バカラック1おニャン子クラブと秋元康君
2加藤和彦君との思い出
3大瀧詠一君の才能を信じて
4アメリカの名ソングライターたち

【パート5】日本の音楽出版ビジネス史──プラーゲからMPAまで1日本の音楽出版黎明期
2音楽出版ビジネスの先達たち
3音楽出版社協会(MPA)発足まで

【パート6】価値を高める音楽著作権──変革の時代へ185年合併前後のヒット曲
2業界のクオーターバックとして
3音楽出版ビジネスの現在

邦楽洋楽を問わず。60年代から現在に至るまで、耳はいちファン、頭脳は敏腕弁護士と渡り合う力。この業界では珍しく、誰も悪口を言わない。極めて「良い人」なのである。

筆者が朝妻さんと仕事して1番ヒットしたのはガゼボの「アイ・ライク・ショパン」と、そのカバー・レコードの小林麻美「雨音はショパンの調べ」。ガゼボを売り込んできたドイツの音楽弁護士のドクター・アクセル・メイヤー・ボールデンは筆者と朝妻さんの共通の知人。日本ではガゼボがオリコン洋楽シングルチャートで1984年6月18日付から13週連続1位を獲得し、1984年の年間チャートで1位となった。カバーの小林麻美は50万枚を超える大ヒットとなった。

余談だが、筆者はミュンヘンにあるアクセルの自宅に行った事がある。アウトバーンを200キロ越えで飛ばし、アクセルは翼があったら空を飛ぶぞと言った。後にベルリン・フィルの弁護士となり、最後はドイツ・サッカー協会の弁護士になった。

朝妻一郎(あさつま・いちろう)
株式会社フジパシフィックミュージック代表取締役会長、一般社団法人日本音楽出版社協会顧問。1943年東京生まれ。16歳でポール・アンカ・ファンクラブ会長となり、ラジオ番組のアシスタント、音楽の原稿やライナーノーツの執筆を始める。石川島播磨重工業を経て、1965年、株式会社パシフィック音楽出版に入社し、アメリカの音楽出版社のサブ・パブリッシャーとして楽曲の著作権ビジネスでのキャリアをスタート。以後、フォーク・クルセダーズやジャックス、モコ・ビーバー・オリーブ、おニャン子クラブ、大瀧詠一、山下達郎などのヒット作を世に送り出してきた業界のパイオニアである。2019年、平成30年度文化庁長官表彰を受賞。2020年、旭日小綬章を受章。2021年、「Billboard International Power Players」に選出。著書に「ヒットこそすべて オール・アバウト・ミュージック・ビジネス」がある。
2020年よりフジパシフィックミュージックのYouTubeチャンネルで「たかなる心の歌」を配信中。

高橋裕二の洋楽天国記事提供元:洋楽天国
高橋裕二(たかはし・ゆうじ)
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