ジョージ・ハリソンの盗作騒ぎ

コラム 高橋裕二の洋楽天国

50年前の1970年12月、ジョージ・ハリソンの「マイ・スウィート・ロード」がビルボード・シング・チャートで1位になった。ビートルズのメンバーで、ソロとして始めての1位だった。しかし悪夢が襲う。

盗作だとして訴えられた。シフォンズという女性グループが歌って全米で1位になった「イカした彼(He’s So Fine)」だ。作曲家ロナルド・マックが書き、音楽出版社ブライト・チューンズが保有していた。ブライト・チューンズはジョージ・ハリソンを著作権侵害で訴えた。裁判は10年間にもおよび、ジョージ・ハリソンが敗訴。約60万ドルもの賠償金を払う事になった。

しかしこの裏に驚くべき悪夢があった。ビートルズはマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなった後、アレン・クラインがマネージャーになった。こともあろうにアレン・クラインは「イカした彼」の音楽出版権を取得、ジョージ・ハリソンに賠償金を請求した。

ジョージ・ハリソンは後に、「ぼくは「マイ・スウィート・ロード」を誰かにくれてやろうと思ったほどだ。もうどうでもよかった。ぼくはこの曲で一銭ももらっちゃいない」と語っている。

アレン・クラインはローリング・ストーンズやCCRのマネージャーもしていた。業界では「悪徳マネージャー」の噂があった。

ジョージ・ハリソン、亡くなって19年が経った。

高橋裕二の洋楽天国記事提供元:洋楽天国
高橋裕二(たかはし・ゆうじ)
インタビュー

関連タグ

関連タグはありません

オススメ