違法DL罰則化のその先 キャメロン英首相が選択したのはSpotify「未来は音楽が連れてくる」連載第09回

コラム 未来は音楽が連れてくる

▲2009年から2010年にかけてイギリスで起きたSpotify旋風と平行して、Lady Gagaの英国上陸もブームとなった。Spotifyの2009年総合ランキングで4位だったGagaは、翌年にはSpotify上で1位に君臨した
出典:Wikimedia Commons ( Some Rights Reserved by Stephen Carlile )

 

キャメロン英首相が選択したのはSpotify

イギリスの音楽シーンが揺れだした2009年2月、スウェーデンでも違法ダウンロード取締法が施行された。その後わずか9ヶ月で、スウェーデンのレコード産業の売上が18%も改善した。通年ではCD等物理売上は前年度比240万ドルのプラス。デジタルの売上増はCD等の5倍以上にあたる1300万ドルのプラスとなった。そして、このデジタル売上のほぼ半分が、他ならぬSpotifyであった(IFPI Sweden Report 2009)。

社会実験の国スウェーデンで、取締強化とSpotifyのコンビが成功して、『アメとムチ』路線が確立した。かくして、Spotifyの名が英国の閣僚からも言及されるに至った。

Spotifyが上陸したばかりの2009年5月。1年後に総選挙を控えたイギリスで、YouTubeとFacebookを使った党首討論会が開かれることになった。労働党のブラウン首相(現職当時)と、保守党のキャメロン首相候補とがインターネットから募った議題を使って討論する、サイバー党首討論会である。

両党首へ向けて、実に18万人のインターネットユーザーから5300件の質問が集まった。質問のうち、投票数の最も多かった上位10件に対して、ブラウン首相とキャメロン首相候補が討論を戦わせることになった。

そしてこの質問ランキングの1位は、違法ダウンロードの刑罰化を促す「デジタルエコノミー法案」についてだった。

「デジタルエコノミー法案」を作成したマンデルガー大臣を部下に持つブラウン首相(当時)は、「いっそうの議論が必要だ」とお茶を濁したのに対し、キャメロン首相候補は「(気づかれないよう)素早く作成したくせに、今度は時間稼ぎしようとしている」と批判した。

イギリスでは選挙期間中、マスメディアに政治広告を出すことが禁じられている。一方、インターネットで政治キャンペーンを打つことは禁止されていない。そのためイギリス政界は、インターネットメディアを意識した動きが多い。もともとウェブ・リテラシーの高いイギリスの若年層は保守寄り。そこを狙い、英保守党は特にウェブプロモーションを好んでいる。

英保守党はさらにSpotifyにキャンペーン広告を出した。

この年、アーリー・アドプター層(時代の最先端に敏感で、すすんで世論や流行を形成する層)を熱中させていたウェブ・メディアはSpotifyだったからだ。保守党はSpotifyに意見広告を出し、労働党政権を批判した

結局、総選挙はブラウン首相が失言問題で自滅してしまうのだが、ブラウン政権は総選挙直前のどさくさに紛れて、半分しか議員の出席していない下院にて、不人気極まりなかったデジタル・エコノミー法案を、たった2時間の議論で通過させてしまった。このどさくさ紛れの違法ダウンロード罰則化が失言問題と組み合わさって、イギリスのインターネット世論は火に油を注いだ状態となった。キャメロン率いる保守党は、総選挙に勝利した。

新たに首相の座についたキャメロン首相は、デジタル党首討論会で違法ダウンロードの罰則化について、はっきりした意見は述べてなかった。だがインターネット世論を、たくみに自分の味方につけて選挙に勝利したキャメロン首相は、「キャメロン首相ならデジタルエコノミー法をかえてくれるかもしれない」という、インターネットユーザーたちの期待を無視できない状況となった。

結果、キャメロン新政権は、ネチズンたちからの評判が悪かったブラウン政権のインターネット政策を方向転換した。

前ブラウン政権が成立させたデジタル・エコノミー法は、既存産業のしがらみを受けすぎていた。そのせいで取締り強化の色合いが強く、成長戦略がうすくなってしまったことに非難が集中していた。この批判を選挙に利用して勝利したキャメロン政権は、イギリスのIT・知財関連の成長戦略を練ることを民間の論客に依頼した。

キャメロン首相が知財成長戦略のプランニングを依頼したのは、イアン・ハーグリーヴス教授。カーディフ大学でデジタルエコノミー学部を創設し、メディアでコメンテーターとしても活躍していた知財産業の第一人者である。

ハーグリーヴス教授の知財成長戦略案は通称『ハーグリーヴス・レビュー』と呼ばれている。本書を書いている2011年の5月に完成し、発表された。取締り強化ばかりだった、従来のインターネット政策を、コンテンツ産業のイノヴェーションを促す、シンプルかつ秀逸な組み立てとなっている。

ちなみに、これまでイギリスではCDやDVDをパソコンやiPhoneに取り込むことは違法だったのだが、こうしたフォーマット・シフティングを違法とすることは「利用実態に合わない」ということで、合法化に向かうことになった。日本と逆である。

『ハーグリーヴス・レビュー』が発表されて半年後。ロンドンではインターネット政策を主題とする国際会議が開かれていた。この”サイバー国際会議”を主催したキャメロン首相は、Spotifyの名前を挙げて、次のようなコメントを出した。

Spotifyはヨーロッパで、音楽にまつわる政治的課題を解決してくれました。今では中国でも有料配信が増えてきたそうですね

取締り強化一辺倒で市民の反発を招き、進捗しなかった知財成長戦略は、Spotifyのおかげで動き出した。Spotifyのおかげで、違法ダウンロード問題に対して「アメとムチ」路線を打ち出せるようになり、国民を説得できるようになったからだ。

あわせてキャメロン首相は、サイバー国際会議に参加していた中国・ロシアに対し、主催国らしくイニシアチブを見せることができた。中露のインターネット取締りを批難するに当たり、「ムチだけでなくて、われわれ欧州のようにアメとムチでいきなさいよ」というロジックで撫でてみせた。

Spotifyという時代のシンボルは外交にまで影響を与えはじめた。

 

Spotify、パイレーツ税を阻止する

キャメロン英首相
▲ピンクフロイドをヘッドフォンで聴くキャメロン英首相。違法ダウンロード罰則化に反対したインターネットユーザー層を味方に付けて選挙に勝利し、Spotifyのような代替サービスを後押しする政策に転換した
出典:Independent

キャメロン首相は国際サイバー会議の閉会後、国内向けに次のような発表を出した。

音楽配信の未来は、携帯キャリアに定額制ダウンロード配信をやってもらう方向にはありません

ブラウン政権時代の通称「パイレーツ税」案を取り下げたのだ。ISPや携帯電話のキャリアがそれぞれ定額制の音楽ダウンロード配信を用意し、これにユーザーは必ず契約しなければならない、という「パイレーツ税」案は、Spotifyの席巻によって、こうして消滅することになった。

キャメロン首相のこの政治判断は、前政権の評判の悪い政策を変えたい、という意志だけが理由ではなかった。ブラウン政権のお墨付きを得て、実際にメジャーレーベルと、イギリスのISP最大手ヴァージン社が、合同で音楽配信サービスを創ろうとしたところ、失敗したのだ。そういういきさつがあった。

まず、そもそも話がまとまらなかった。

レーベル側は「ダウンロード型の定額配信だと、CDやiTunesの売上を喰うから、ストリーミング型にしてくれ」と主張した。だが、ストリーミング型のシステム開発は、ダウンロード型よりもずっと高く付く。10億円を超えるシステム開発費が発生するのが予想されたが、この初期投資をメジャーレーベル、ISPのどちらも持ちたがらなかった。

ISPからすれば、政府案はとばっちりだった。

なぜ自分たちがコストを持って、レコード産業や政府の代わりに、違法ダウンロードの取締やら代替サービスやらをやらなければならないのか。よくわからない。レーベル側も、開発費を理由にISPがダウンロード型の定額配信をゆずらない点を、受け入れることができなかった。

Lose-Loseの関係だ。結局、メジャーレーベルとヴァージン社の定額制音楽配信は計画の段階で頓挫した。

ここですかさずSpotifyがヴァージンに、「バンドル契約をやりませんか」と提案した。ユーザーをこう勧誘するのだという。

「ISPをお捜しのみなさん。ヴァージン社のブロードバンドに契約して下さったら、格安でSpotifyのプレミアム会員権を追加できますよ」

こうすれば、両社の顧客を増やせる、という提案である。

もともとエックは、携帯電話、衛星放送、ISPの顧客にSpotifyをバンドルで提供することを構想していたが、交渉のタイミングを見計らっていたようだ。こっちはWin-Winな提案だったから、あっさり話が決まってしまっただけでなく、両社のユーザー数が増えるというビジネス上のメリットをすぐに実現した。

イギリスにはヴァージン社の他に、4つ大きなプロバイダがあるが、BT社もSpotifyとのバンドルを交渉中だ

政府とレコード業界が画策した保護主義的な「パイレーツ税」の意図は、逆に、Spotifyのようなイノヴェーションの果実が実現してくれた。イギリス政府とレコード産業は、経済成長の王道を、あらためて受け入れることになった、ということなのだろう。


著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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