まふまふ 2日間の東京ドーム公演『表/裏』を通して伝えた真理ーー2日目『裏-URA-』公演をレポート

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ひきこもりでもLIVEがしたい!~すーぱーまふまふわーるど2022@東京ドーム~『裏-URA-』
2022.6.12 東京ドーム

陰陽太極図または太陰太極図と呼ばれる、白と黒の勾玉を思わせるものがふたつ組み合わされたような円形図案。東洋医学や風水そしてヨガなどに親しみのあるのであれば、既に日常的なものとして馴染み深いところがあるのではないかと思うが、あのシンプルなマークの中に託されているのは“陽極まれば陰となる。陰極まれば陽となる。陽の中にも陰があり、陰の中にも陽がある”という概念だ。ひいては、東洋文化における宇宙の概念を図式化したのが陰陽太極図であるのだという。

〈白黒並ぶ ここは誰かの 盤上が夢の噺〉

まふまふが、このたび2日間にわたり東京ドームにて開催した『ひきこもりたちでもLIVEがしたい!~すーぱーまふまふわーるど 2022@東京ドーム~『表/裏』』で、両日ともに歌ってみせた新曲「エグゼキューション」の歌詞中に含まれていた“白黒”というフレーズは、すなわち陰と陽を意味していたところがあったように思えてならない。

「さて。今日は2日目の『裏-URA-』ということで、昨日の『表-OMOTE-』ではこの11年間の中で作ってきた明るくハッピーな曲をいろいろやったんですが、今日は僕が個人的に好きな曲をたくさんやろうかなと。基本的に、僕の好きなものって大体が暗いんですよ(笑)。これまでに作ってきた曲の中には楽しいものだけじゃなくて、悲しいとか寂しいとかそういった感情を綴ったものもけっこう多いので、それを演奏していきたいと思います。ただ、それは聴いてくれるみんなに陰鬱な気持ちになって欲しいということじゃなくて。やっぱり、辛かったり苦しい時は「辛い、苦しい」とかって言いたいよね。でも、そう思ってもなかなか言えないじゃん? 生きてるとさ。その点、音楽の中とかライブの場だったらそういうのって何も気にしないで出しても良いと思うんだ。だって、この会場にはまふまふのことを知ってくれてる人たちと、まふまふと、僕たちのことを支えてくれる人たちしかいないんだよ? つまり、ここには仲間しかいません。敵が居ないっていうことなんですよ。これって凄くない? だから、今日は声は出せないだろうけど、みんな笑おうが泣こうが思いっきり感情を爆発させていってください。よろしくお願いします!」

白で統一されたステージセットを背景に、純白の衣装を纏って現れた昨夜の『表-OMOTE-』からは一転。黒い色でしつらえられた舞台上に、漆黒のコスチュームを身に着けて登場したまふまふが、この『裏-URA-』で歌いあげていったのはメランコリックな旋律が疾走する「悔やむと書いてミライ」や、凄絶な愛情餓鬼の姿と虚無を描いた「空腹」、失われし日々への儚き憧憬がノスタルジックに響いた「夢のまた夢」といった、確かに陰陽で大別すれば陰にあたるようなものばかり。

「昨日もだったし、実は今日も日本各地から僕の友達が大勢ライブを観に来てくれてます。そうしたら、中には「俺らのことMCで話してくれよ」っていうやつらもいてさ〜。厄介じゃない? キヨとEveのことだけど(笑)。あとは大学の時の同級生とか、高校の時の同級生も来てくれてて、意外と僕は友達がいたんだなって思いました(笑)。それに、活動休止するよっていう話をした時も皆あったかかったね。「早く戻って来いよ!」って言ってくれて。それはスタッフさんたちも同じで、昨日から「早く戻ってきてくださいね」っていろんな人に言われたよ。まぁ、僕の方からしたら「まだ明日もあるんだが? まだ休止してないんだが?」っていう感じではあった(笑)」

まさに、陰の中にも陽があることを示した陰陽太極図のように。『裏-URA-』とはいえ、まふまふがこの夜この場で見せた表情は悲痛とはほど遠いやわらかな笑顔が多く、本編中盤にてダンサー陣を交えながらのパフォーマンスとなった和風ドラマティックチューン「忍びのすゝめ」、まふまふならではのポップセンスがダンサブルにハジけた「イカサマダンス」などでは東京ドーム全体に漂う空気感の中にある種の開放感が滲んだりと、それはそれでとても素晴らしい傾向だと感じた次第である。

まふまふ

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それでいて、本編ラストでは『裏-URA-』の真髄を凝縮したような楽曲である「暗い微睡みの呼ぶほうへ」、昨年末の紅白歌合戦でも歌われ話題を呼んだ「命に嫌われている。」が絶唱の名にふさわしい歌で提示されることで、陰のゲージはいよいよ頂点を極めることに。

だからこそ、陰極まれば陽となるの理り(ことわり)どおりにアンコールでは昨夜に引き続いてまふまふがまふてるデザインのプチ気球に乗り込み、ドーム内を1周しながら「すーぱーぬこになれんかった」と「女の子になりたい」を歌うという、それこそ陽極まる一幕を演じることになったのかもしれない。

「こんなの茶番だ! 僕が高校生の頃に憧れてたロックはこんなんじゃない!」

あまりの陰と陽との触れ幅の大きさに、半分冗談交じりだとはいえ自らキレてみせるまふまふの姿はどこかとてもリアルでもあり、その姿はここからの展開に繋がっていたものだった。

「皆、本当に11年間ありがとうございました。今日は僕、泣かないんだ。皆も今日は楽しい思い出で終わらせよう。そうしたら、きったまた次は楽しい幸せな顔で会えます。湿っぽくは終わらせないぞ。楽しんで行くぞ!」

明確にこのような前置きしたうえで、まふまふはこうも続けたのだった。

「さぁ、今この東京ドームはまふまふの独壇場でございます。でも、ここに来るまでは大変だったなぁ。だって、なんかまふまふって日頃から触れ辛い話題がちょっと多すぎません? だけど、うちの視聴者の皆はいつも凄く空気を読んでくれててね。とにかく心配と迷惑ばっかりかけてきた11年間だったと思います。本当にすみませんでした! でも、今日の法律は俺たちです。だから、絶対ここでやりたかったことがあるんだ。許可は取ってきたけど、一応みんな内緒にしておいてね」(←記事化の件あしからず……)

とのフリを受け、なんとここで演奏されたのは、 神様、僕は気づいてしまったのカバーである「CQCQ」。

「身勝手にも程があるね。いやー、イイ曲だなぁ。常々「声が似てる」って言われてたからさ。ほら、歌い手だから“歌ってみた”はやりたいし。いいっしょ! 何か文句あるか? あははは(笑)。これで心置きなく眠れるぜ!」

ちなみに、この日に神様、僕は気づいてしまったのTwitterアカウントには「I went to see my friend’s show!」というコメントが投稿されていたことも、参考までに皆様へひとつの事実としてお伝えしておこう。

「では、最後にしますか。とりあえずのね。皆、僕のわがままに今までつきあってくれてありがとう。またどこかで会おう。ありったけの感謝を歌います!」

最後の最後に「輪廻転生」がこの場で歌われた意味。それは、まふまふがもともと絶望と希望の狭間でこの曲を歌ったことに始まり、この詞の中に〈処刑台〉という単語が含まれていることや、活動休止を前に作られた新曲に執行の意を持つ「エグゼキューション」という曲題が冠せられたことなどとも繋がり、まふまふの中に在る輪廻転生への願望をそのまま体現しているようにも思えてならなかった。

表はやがて裏へと繋がり、裏もまたいつかは表へと繋がっていくメビウスの輪のように。“陽極まれば陰となる。陰極まれば陽となる。陽の中にも陰があり、陰の中にも陽がある”という概念を持つ陰陽太極図のごとく。まふまふが今回『表-OMOTE-』と『裏-URA-』の2公演をもって伝えてくれたのは、無限の巡りと再生を示唆する彼にとっての真理そのものだったのではなかろうか。

だとするならば、我々に出来るのはその真理がやがてまた発動することを願うことのみだ。表裏一体の連鎖し続ける陰陽共存世界に、きっと終わりはない。
 

Text by 杉江由紀
Photos by 小松陽祐[ODD JOB] / 堀卓朗[ELENORE] / 加藤千絵 [CAPS] / 岡部守郎 / 飯岡拓也 [Tenrich]

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