MOROHAの自主企画に立川吉笑が登場、2人の対談が公開

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2月22日、MOROHAの自主企画「月金でギンギン!〜職場の死神背負って来い〜」吉祥寺 キチム編が開催された。

この企画は2月4日の四星球から始まり、SuiseiNoboAz、mouse on the keys、SUPER BEAVERと4組のバンドマンを迎えてきた。そしてMOROHAが最後に招いた相手は、落語家・立川吉笑。

2010年に立川談笑に弟子入りをして、3年〜5年かかると言われる二つ目にわずか1年半で昇進。その才能は倉本美津留、水道橋博士などお笑い界からも高く評価されている逸材である。……しかし、どうしてミュージシャンと落語家が対バンをすることになったのか。そこを明らかにするため、本番前に対談をお願いした。

<対談>
吉笑さんのおかげで落語に興味を持つようになった

――ライブ直前にお時間をいただいたのは、この2組がどうして対バンすることになったのか知りたいと思いまして。振り返ると2014年の「第3回 吉笑ゼミ。」でMOROHAがゲスト出演したのが最初の共演ですよね。

立川吉笑(以下、吉笑):元々、私が一方的にMOROHAさんの音楽を好きで。自分の企画に是非お呼びしたいと。それで直接メールを送りました。

――オファーが来た時はどうでした?

アフロ:俺ね、その時は落語に対するイメージあんまり良くなかったの。というのも“自分で作ったものをやる”っていうのが俺の中のベーシックだから、既に誰かが考えたお話しを引き継いでやる事の良さがあんまり理解できなかった。あと、俺はアホでもわかるものが好きで。食べ物もそうなんだけど、ケチャップとマヨネーズのかかってるみたいな、いわゆる大衆料理が好きなの。だから、専門的な知識がないと楽しめなかったり、繊細な舌を持っていないと楽しめないものって俺自身がそれを楽しむ感性を持ってないから、無関係の世界だと思ってた。

オファーが来た時は「俺たちが一緒にやって感動できるのかな」って疑問だった。とはいえ、吉笑さんはすごく真摯な連絡を下さったし、何よりもその時はライブで飯を食わなきゃいけないから「ちゃんとギャランティをもらえるのであればやります」という感じで出演した。

――最初はそこまで乗り気じゃなかったと。

アフロ:そうだね。だけど、ステージを観てすごく感動したの。専門的な知識がないと楽しめないもの、洗練された舌じゃないと楽しめないものを、どうにか当てはまらない人にも楽しんでもらおうとする姿勢を感じた。実はそこの部分は俺がラップに対してやっている事と一緒だと思ってて。

ラップもルーツやスラングの意味がわかってないと楽しめない部分があるんだけど、俺は「そうじゃない」って自分なりにアウトプットしてきたから。そうやって沢山の人と繋がりたいと思ってるから「この人も同じだ」と感じた。だからこそ、2016年は俺らから声をかけて自主企画(「怒濤」)に出てもらったし、今回もそうで。

――UKさんは吉笑さんの高座を観て、どう思いましたか。

UK:初めて観た時に音を使ったネタ(「だくだく・改」)をされてて、こういうの知らないなと思いました。僕は落語に対して、古典的なイメージがあったんです。だけど、自分の知らないジャンルを魅せつけられて、まずはそこにビックリしました。すごく感銘を受けたし、吉笑さんのおかげで落語に興味を持つようになりましたね。

吉笑:落語は伝統芸能というイメージが強いので、「古き良き」とか「難しい」と思われがちなんですけど、元はと言えば大衆芸能。要は「目の前の人に喜んでもらう」という、始まりはそっち側だったんですけど300年続いていく間に伝統性が帯びてきた。だけど、改めて考えたら漫才とかコントと同じで、笑ってもらうツールなんです。その辺をもっといろんな人にアピールしたいですね。

元々、私は音楽とかお笑いが好きで、そういうカルチャー好きな奴がたまたま落語を知り「落語ってやばい!」となっただけなんです。だから3年目になった頃には、落語を広めようとチラシの裏面に自分の好きな音楽とか漫画をズラッと羅列して「ちょっとでも、こういう価値観のある奴は来い!」みたいな感じで若い人を引っ張るようになりました。その名残が2014年のMOROHAさんをお呼びした時もありましたね。

俺はね、説得力というのを信じたくない

――吉笑さんは、当時のブログで「テーマは「熱量」になるだろうなぁと思っていました」と書かれていましたが、落語と音楽における“熱量”というのは同じものでしょうか。

吉笑:そうですね。落語家になってからポエトリー・リーディングがすごい好きになって、「これをやられたら落語は負ける」と思ったんです。トラックに乗せて言いたいことを言うみたいな。それこそTHA BLUE HERBさんの「路上」を聴いた時に、お話をトラックに込めて歌っていると無茶苦茶グッとくるし、「なんで俺はトラックを使わずに喋りだけでやっているんだろう」って。もしも、そっち側の人が落語に参入されたら負けちゃうなと、めっちゃヒヤヒヤしてて。脅威を感じていたからこそ興味があったんですよ。

それで他の音楽も聴いていく中、MOROHAさんが一際エグい熱量を放っていたんです。YouTubeで「三文銭」のライブ映像を観て、最後のアウトロでめっちゃ熱量がヤバイなと思いました。

――いざ1回目の共演を果たした時はどんなことを思いました?

吉笑:真打クラスだなと思いましたね。落語会でいうと、前座、二つ目、真打とあって。真打の師匠方とマッチアップをすると、もう格が違うというか。舞台に出て行かれて敵わないと思う瞬間がめちゃくちゃあって。MOROHAさんも師匠と一緒になった時と同じ感覚というか、真打レベルなんだなとリハの段階から思いました。

アフロ:何なんですかね。その真打の人が出て行った時に「敵わない」と思う感覚というのは。

吉笑:やっぱり“説得力”だと思いますね。特に古典落語は、テキストこそ同じなのに明らかに負けてる時がある。それは説得力の差なんですよ。

アフロ:落語好きが集まって勝負したら説得力は活きてくると思うんですけど。無作為に選ばれた100人の前で勝負したらどうなると思います?

吉笑:無作為だとアレですけど、ちょっとでもカルチャーが好きな人なら「この人は本物だ」ってわかると思います。それこそ、立川流の(立川)志らく師匠はZAZEN BOYSと対バンされて。やっぱりZAZEN BOYSもすごいですけど、志らく師匠もすごさを見せつけてましたよね。あれは説得力ですよ。

アフロ:俺はね、その説得力をあまり信じたくなくて。例えばギタリストで「普通のバンドマンが弾くのと、何十年もやっている人が弾くのと全然違うぜ」と言う奴がいるんですけど、ちょっと待てよと。それは本当か?と思うんですよ。

もちろん、先輩でカッコイイ人もいるけど、それはカッコイイからカッコよく感じるのであって。長くやってきたからという、その人がやってきたことに対してのバックグラウンドが言葉じゃないところで表れてると思いたくないっすね。

吉笑:なるほど。

アフロ:技術が他の人よりも上とか、グルーヴとか、生きてきたからこそ掴めた言葉とか、そこに含まれる言葉の温度とか。それを言語化してすごいと思うのは良いんですけど、脊髄反射で「説得力」だとか「年数を重ねてやってきたからこそだ」みたいなことを言っちゃうと、その年齢の差は絶対に埋まらないわけじゃないですか。

吉笑:言語化しようと思えば全然できるんですよ。例えば凄腕の師匠とマッチアップをすると、自分がバーッと喋るのに対して師匠は喋り出しがめっちゃ遅いとか、グッと引きつけてお客さんに届けるとか。めちゃくちゃ小さめなトーンで喋るとか。小さめのトーンから煽ったと思いきや、また下げて、そこから少し間をおいてガーンって行くとか、そういう技術は積み重ねなんです。そういうのを含めて場数が違う。

この間、柳家さん喬師匠と共演させて頂いたとき。その日は、お客さんが重たいというかあんまり反応がないような感じで。みんな苦戦していたんですけど、さん喬師匠が楽屋で「こういう場合、休憩後から空気がほぐれてくるよ」と仰って、たしかにその通りになったんですよ。それって場数を踏んでいるから、これまでのパターンとして「以前のアノ感じと似ているので、次は明るくなるだろう」と。

アフロ:データですか?

吉笑:データですね。そういう蓄積が皆さんにあるから理屈で言ったら説得力の理由はそこにあると思います。積み重ねがやっぱり違いますね。

「何で俺はこの現代に落語をやってんだろう」みたいなことを考えて愕然としました

――それこそ吉笑さんは、1年半という驚異的なスピードで前座から二つ目に昇進されて。

吉笑:そうですね。

――下積み期間が短い分、年数を重ねてきた人たちと比べて説得力の欠如が課題だったと思うんですよ。そこに対する対抗策はどのように考えてましたか。

吉笑:まさにそうで。私は前座から1年半で昇進したんですけど、自分に実力があったとかじゃなくて、たまたま師匠(立川談笑)の方針が「余計な下積みより、実践でどんどん経験を積め」という考えだったんです。自分もその方が良いなと思ってました。

だけど1年半しか経験がないので、周りを見たら7、8年も経験がある人と対等にやるときに正面からぶつかっても中々勝てない。そこで考えたのが「自分にしか出来ない話をする」でした。だから昇進したての頃は、尖って尖って無茶苦茶なことをやり続けてましたね。UKさんの言ってくださった音を使ったネタも、その延長線上だったと思います。

UK:なるほど。

吉笑:落語を最初に作った江戸時代の人が、もし現代にいたら多分ラッパーをやってたと思うんです。サンプラーで音を作って、それを流して言いたいことを言う方法を当時の人達はやったはずなんですよ。だからこそ「何で俺はこの現代に落語をやってんだろう」みたいなことを考えて愕然としましたね。

七尾旅人さんの「911FANTASIA」とか、クチロロさんのフィールドレコーディングとか、あんなことをやられたら、落語はヤバイぞって。もっとシンプルなところを研ぎ澄ませないと戦えなくなっちゃうなと。

アフロ:この前、原田郁子さんと話したんですけど。クラムボンはキーボード、ベース、ドラムスの3ピースで「正直、曲を作る時に手数が足りない」と言ってたんです。でも足りないところを3人で補おうとする姿勢だったり、そこで生まれるものがクラムボンらしさだと言っていたんです。

俺達は「それいけ!フライヤーマン」とか「スペシャル」という曲があるんですけど、UKはギターを弾くだけじゃなくて、肘でボディを叩く事でドラムスの役割も果たしてて。一見ドラムスを加えれば良いだけの話なんですけど、でも2人でやることによって、第三者が叩くのと違うグルーヴが生まれてるはずなんですよ。だから“足りない”というのは物を作る上で恵まれていると思うんです。それを埋めようとした時に、何か持っている人よりも別の種類の何かが生まれるのかなって。

そう思うと、落語家特有の喋りだけで効果音を出して、音楽も感じさせる芸って最強だなと。「ノコッタノコッタ」も言ったらMPCですもんね。

吉笑:ああ、確かにそうですね! 本当だ!

――ちなみにアーティストと落語家で共通点はあると思いますか。

吉笑:2014年にオファーをした時、当然ギャラの話になって。こっちが提示したギャラよりも、ちょっと上の金額を要求されて自分の中ですごく腑に落ちたんです。要はちゃんとライブで飯を食おうとされているというか。

落語家はそこまでテレビに出る機会がないから、ライブでいかに飯を食うかという業界で。MOROHAさんも近い感じというか、ライブで転々と回ってお客さんを集めていけたら、それだけで自分たちの生活ができるのが落語家と価値観が似てるなと思いました。

アフロ:……難しいですよね。確かに2人だったら、地方をドサ廻りしていれば知名度がなくても食えちゃうんですよ。それって恵まれていると思いきや、そこで落ち着いちゃう危険もあって。そこに収まってるとスーパースターになる夢から遠のいちゃう。だってスーパースターになりたいと思って始めたわけじゃないですか。

ドサ廻りをして「生活安定だね、ついに子供を大学に入れられるくらいの貯金が貯まったね」という人生を求めているわけじゃないから。そういう生活の安定以外の危機感を感じていようと思いますね。その為に心をかき立てるようなものを見なくちゃいけないし、心をかき立てるような人とステージを分け与えないといけない。

吉笑:すごいな。ずっとギラギラしてる感じなんですか。

アフロ:俺は性格が悪いんです。他人は多分「お世話になった人に喜んでもらうために頑張ろう」と思うじゃないですか。俺もそれはあるんですけど、それと同じだけ「俺が転んだらあいつらは笑うだろうな」と思う奴がいるんですよ。そいつらに笑ってほしくない、どうしても。俺達が世に出て、どこかで名前を見る度に嫌な顔をしてりゃいいなと思うんですよ。そのパワーの分、他人よりもエネルギーがあるんでしょうね。

吉笑:それはすごいなぁ!

アフロ:俺らが売れて一生モヤモヤしてほしい。それがスタミナになっていると思います。

吉笑:そこが衰えないのはすごいですよ。うちの師匠も若手の時の動き方を見たら尖ってて、ゴリゴリのことをやっていたんです。だけど今は年々落ち着いていって、それが成熟ということなんでしょうけど。

師匠の背中を見ていると「自分もいずれは、老若男女をパーっと楽しませる芸に行くのかしら」みたいに思うんです。そうなりたい気もしますが、一方で危機感も覚えるんですよね。やっぱりMOROHAさんを見ていると、もっと攻めなきゃダメだと姿勢を正されました。

<ライブレポート>
ふと時計を見ると、開場時間が迫っていた。「お客さん、入れまーす!」というスタッフの一言とともに扉が開き、お客さんがゾロゾロと店内へ。開演の時刻になると出囃子が流れて、最初に登場したのは立川吉笑だ。
 

MOROHA「月金でギンギン!〜職場の死神背負って来い〜」吉祥寺 キチム編 2月22日

「え〜、3年前の2016年に新宿MARZでMOROHAさんのイベントに呼んでいただきまして。その日は最初にMOROHAさんのミニライブ、次に私のネタ、最後に再びMOROHAさんのライブというサンドウィッチ形式だったんです。それで『緊張するなぁ。音楽好きのお客さんに落語はどう映るのかな』と思っていたら、よりにもよってMOROHAさんがミニライブの最後に『三文銭』をやったんですよ。それを聴きながら「『三文銭』は早すぎるだろ!」と。ライブの終盤にやる感じの曲じゃないですか。それをやった後に、私が陽気に出て行ってもお客さんはヒリヒリした状況ですから中々厳しくて。しかも、その後のライブで最後に『四文銭』を歌われて。あの日はボコボコにされた記憶がありますね」コアヒートのごとく徐々に笑いで温まる会場。適度に肩の力が抜けた吉笑の語り口は、まるでワルツを踊るように軽快だ。

「……あのぅ、アフロさんとは腐れ縁でございまして。中学の同級生なんですよ」
突然の報告に「へぇ!」とざわつく会場をよそに話は進む。

「私は田中という本名で、滝原(アフロの本名)は名簿が前後だったこともあり、自然と仲良くなりまして。当時から滝原はラップに目覚めましてですね。とは言っても長野の田舎ですから、ラップなんか誰も知らない中で1人没頭していたんです。同じ時期に私は立川談志というね、大師匠に魅了されて常に落語、落語という感じだったんです。ベクトルは真逆でも、どちらも尖ってるみたいな。向こうはラッパーを目指して、私は落語家を目指して尖っている者同士。先生は大変ですよね。片田舎の中学校で朴訥な青年しかいない中、落語にかぶれている奴とラッパーにかぶれている奴がいるわけでございまして……」

そして1秒だけ間をおいて腕を組み、サッと表情を変えた。

「おい! いいかお前達、明日は体育祭だぞ! ちゃんと練習しなくちゃダメだろ。それから滝原! お前はちゃんと歌ってるのか。歌にハマって何かやってるんだろ? 国歌斉唱をちゃんと歌え!」
「先生ちげえよ! 俺は歌じゃないよ、ラップだから」
「ラップだか知らないけどさ、よくない不良の音楽を聴いているんだろ。何だ、ラッパーっていうのになりたいのか?」
「ラッパー(↓)じゃねえよ、ラッパー(↑)だよ」
「とにかくちゃんと国歌斉唱を歌え。そこがお前の見せ場なんだから、ちゃんと大きな声で歌え」
「わかりました。だけど先生、「君が代」のリリックを覚えてないんですよ」
「何だリリックって?」
「リリックはリリックですよ」
「それは歌詞のことか? <君がぁ〜代ぉわぁ〜>だ」
「わかりました。だけどトラックの入り方がわからなくて」
「トッラクの入り方? 「君が代」の?」
「1バース目はわかりやすいんだけど、2バース目がわかりづらいんですよ」
「2バース目ってなんだ! 田中もゲラゲラ笑ってる場合じゃない! お前も
芸人になりたいのかよくわからないけど、ちゃんと組体操をガーッといけ! 
ガーッと!」
「先生、組体操の出囃子を変えてもらえません?」
「組体操の出囃子!? お前達は全然わからん!」

吉笑は右へ左へと体の向きを変えて、再び正面を向きなおした。

「……こんな会話を我々はしたんですね。そんな二人が東京へ出てきて、当時の先生方はどう思っているのかなと考えながらね……中学校の同級生が東京へ出て、夢を叶えて30歳で出会うってすごく良いじゃないですか」

みんな吉笑から目をそらさずじっと話に聞き入る。

「本当にそうだったら、今日の会もやりやすいんですけども……実際、私は京都出身ですし、長野に行ったことはありませんし、本名は田中じゃないですし、年齢も違いますしね」
まさかの裏切りに会場からワッと声が上がる。

「これが落語家です。嘘ばっかり言うんです。でも、ここでネタバラシをしなかったら、皆さんは信じたまま帰って、下手したらWikipediaを更新する人もいたりして。そうやって作られていく歴史もあるかもしれない。こっちがタネを言わなければ、それが真実になってしまう可能性もあるんですよ。落語家もラッパーも言葉を使って空間を作るわけです」

驚かせ・笑わせ・感心させる。三拍子そろった枕を披露して、いよいよ1つ目のネタ「一人相撲」へ。――大の相撲好きである大店の旦那は「もう相撲見物へ行くのは辞める」と言ったものの、先ほどから溜め息をついてばかり。

見かねた番頭が「相撲は行かへんと自分で決めたんちゃいますか!」と言うと、「これまでは店を空けてまで、大阪から江戸まで相撲見物に行ってきたわけやけどな。そんなことしたら店の者に示しがつかんやろ? 今日という今日は“相撲断ち”をしようと思ったけれどもな……いざ辞めてみたら気になるんや」と未練がある様子。

そんな旦那さんの状態をいち早く察知していた番頭。実は奉公人を使って旦那さんの代わりに相撲を観に行かせ、取組みの結果を伝えるよう指示していたのだ。「でかした、番頭!」と喜ぶ旦那さん。

しかし、戻ってきた奉公人の1人目・金造は説明がとにかく下手くそ。2人目・熊五郎は誰よりも早く到着するのに必死で、ろくに取組みを見ていない。3人目の八五郎は何故か力士ではなく、行司のことだけを鮮明に話す始末。ついに旦那さんが「番頭! こいつら好き勝手に喋って、一切取組みについて話さないって、どうなってんねん!」と激昂すると番頭が諭すように口を開いた。

「こいつらが好き勝手喋るのもしょうがありませんわ」「なんでしょうがないねん!」「考えなはれ……だって、こいつらがやってるのは一人相撲ですから」サゲを聞いて観客は感嘆の声を漏らした。こうして1発目は古典らしさを醸した新作落語を披露。

2本目は「明晰夢」。――休みの日に家の中で何をするでもなく、ゴロゴロしている八五郎に妻が呆れた表情を浮かべて話す。「お前さん、お願いだから表へ行っておくれよ。いつまでも家にいちゃあ、私の息がつまるじゃないか」「嫌だよ。休みなんだから、たまには家でゴロゴロするんだ」八五郎が気だるそうに返すと、「じゃあ、湯でも行ったらどうだい」と勧める。

しかし、八五郎はわざわざ金を払って体を濡らして、また手ぬぐいで体を拭くなんて面倒くさい。だったら最初から湯に入れなければ良いじゃないか、と提案をいっこうに聞き入れようとしない。

とはいえ、妻が何度も説得するもんだから、しょうがなく表へ出る。すると同じく暇を潰していた金さんと遭遇。「暇だったら寄席を観に行こう」と誘われて、八公は金さんと寄席へ行くことに。

「待てよ、金さん。落語って銭がいるのか? なんで?」と八公が金さんに尋ねる。「だって見たことも聞いた事もねえ、おっさんの話しを聞くんだろ? そんなの銭なんか要らねえじゃねえか」「落語家さんはな、俺たちの銭をもらって生活するんだから。誰か知らない落語家に銭を払う、それが粋じゃねえか」こうして金さんに説得させられて、銭を払い席に着く八公。すると前座が舞台に上がり早速話し始めた。

開口一番「お前さん、お願いだから表へ行っておくれよ。いつまでも家にいちゃあ、私の息がつまるじゃないか」どういうことか、目の前の前座は先ほどの自分と全く同じシチュエーションを話しているではないか。

「おい! これ、どこかで聞いた気がするぞ!」しかも、寄席に行くやり取りまで一緒である。そして前座のネタに登場する主人公たちも、八公と同じように寄席へ行きつく。まるでパラレルワールドである。

いよいよ訳がわからなくなり、「どうなってるんだ」と金さんに尋ねると「お前さん、知らないのか? これを聞いてる俺たちも落語だよ」「俺たちも落語?」「教わってないのか。これはな、どこかで誰かがやってる落語の中の俺たちなんだよ」つまり舞台でいう劇中劇である。

ぐるぐると次元をめまぐるしく行き来するSFのような話。滑らかな口調から、徐々にギアを上げていく喋りは聞いていて映像が浮かぶだけでなく、心地いい。気づけば2つネタを聞き終えて、立川吉笑の高座は幕を閉じた。
 

MOROHA「月金でギンギン!〜職場の死神背負って来い〜」吉祥寺 キチム編 2月22日

そして、転換後にステージに姿を現したアフロとUK。MOROHAのライブは「二文銭」でスタートした。2曲目「奮い立つCDショップにて」では、サビになると何人もの観客が首を上下に振ってリズムを刻んでいる。こうやってみんなが座りながら聴くMOROHAというのも、中々貴重な光景である。

先ほどの吉笑の高座で異空間に感じられた店内が東京・吉祥寺の現代へ引き戻される。3曲目に「スタミナ太郎」を披露して、4曲目は「勝ち負けじゃないと思える所まで俺は勝ちにこだわるよ」。

2番まで歌い終えると、突然UKがギターの演奏を止めて、アフロはゆっくり口を開く。「……NUMBER GIRL復活ですね」その表情は険しかった。「リスナーとしては拳を突き上げましたが、その拳で自分の襟元を掴んで「お前、何リスナーみたいなこと言ってんだよ。ふざけんなよ」って。続けていくことの大変さ、勝ち残っていくことの大変さ、負けてもしがみついていった人たちの姿を見て、久しぶりに帰ってきたバンドにシーンの話題をかっさらわれているこの現状を「お前はどう思うよ」って自分に語りかけました。リスナーだったら喜べたのに……悔しさ忘れたら辞めちまえ。悔しさ忘れたら……」

そこまで話すとUKが再びギターを弾き始めた。<本当ありがとう 待ってくれている人 もうちょっとだけ 待っていてくれ><ごめんな待てずに去っていった人 いつか必ず迎えに行くよ>その時、僕は何度もアフロ、UKと目が合ったような気がした。

そして新曲「米」でアフロは歌う。<守るってなんだ 食わしていくことか それもそう でもそれだけじゃないな><生きるってなんだ 息してることか それもそう でもそれだけじゃないな><金さえあれば 金さえあれば 金さえあれば金さえあれば 金さえあれば どうだった>「勝ち負けじゃないと思える所まで俺は勝ちにこだわるよ」と同じように、MOROHAは本当に自分にとって必要なのはお金じゃないと思える、その先を確かめたくて歌ってるように聴こえた。

「音楽はお金じゃないって、言い合えた友達がいて。そういう優しいまっすぐな友達は、音楽に対して真面目になるのも早かったんだけど、人生に対して真面目になるのもやっぱり早くて。向き合えた奴からいなくなった……。残った俺は自分の腹黒さに怯えながら、いずれ飲み込まれてしまうんじゃないかなと怯えながら、それでもしがみついて歌ってる。責めるなら責めたらいいさ。でも、俺……必死だったんだ」そう言って「tomorrow」を披露。

薄暗いライブハウスと違い、お客さんの顔が良く見える店内。1人でライブを観に来てた30代ほどの女性が、隣の人にバレないよう涙を拭っていたのが印象的だった。その人は何回もハンカチで顔を隠していた。

再びアフロは話し始める。「吉笑さんの落語の中に、見たことも聞いたこともなない人にお金を払うなんて変でしょ、という下りがあって。皆さんはのうのうと聞いている感じでしたけど、俺はグサッと刺さってしまって。俺の歌はそれに値するのだろうかと考えました。実際問題、あなたの大切に思っている人は俺たちの音楽を聴くよりも、大切な人から声をかけてもらった方が染みるんじゃないかなとか、響くんじゃないかなとか。そう思うと、俺がここに立つ意義はなんだろうとすごく考えさせられました。そうやって作品で会話するというか、恐らくだけど立川吉笑という男も、その下りを読み上げるときに問いかけをしていたはずで。その問いかけの先に、こんな1日があったとすれば、それほど嬉しいことはないなと思っております」

そして最後の曲に入る前、アフロは「MOROHA自主企画「月金でギンギン!〜職場の死神背負って来い〜」」開催の理由を話した。

「なぜ、この企画をやろうと思ったのかと言うと、これから春フェスっていうもんが始まりまして。そこに来る客は全員生ぬるいと思っております。楽しもうと来ているお客さんや、『今日は休みだ』と朝っぱらからビールを飲んでいるお客さん。方や平日に学校や仕事でボロボロになって、その体を引きずってライブハウスに来るお客さんの目つきは絶対に違う。俺たちが真っ向から向き合わないといけないお客さんはどっちだって」その2択の答えは明確だ。この日は週末金曜日。スーツ姿の人たち目が、力強く2人を見つめている。

「今日は最終日の金曜日ということで、皆さん死神を引きずって来てくださったと思うんですけど。一旦、ここで皆さんの死神の息の根を止めますが、俺たちは他のアーティストが言わないようなことを言ってのし上がってきたから、みんなが言わないような真実を言い当ててここに立っているわけだから言わせてもらうと、3日後にはまた月曜日がやってまいります。その先で、また目ん玉をギラつかせて会えるのか、目が会った時に何かしらの後ろめたさを感じてスッと目を逸らしちまうのか。どっちなんだろうなって、そんな思いを抱えながら最後の曲をきっちりやって終わりたいと思います」そして「五文銭」へ。

UKの演奏は指の動きが激しくも、狙撃手のように1音1音を正確にとらえている。こうして間近で演奏を観ると、改めてその凄みを感じる。そしてアフロは怒っているような、泣いているような、嘆いているような、感情の入り混じった声で歌っていた。

曲が終わりに差し掛かる時、最後の言葉を投げた。「死神なんて言うなよ、必要だって思ったんだろ。その憂鬱さは、その責任感は、あなたが生きる上で必要だって思ったんだろ。自分で選んだんだ。それと立ち向かわないとならないんじゃなくて、それと立ち向かうまいと、そう思った瞬間があったんだ。死神だなんて言うな。そいつがいるおかげで、生きて、生きて、息をしているのとは別の意味で。飯を食うのとは別の意味で。生きて、生きて…」まるでその声はすがるように震えていた。

「俺はたくさん負けてきたし、たくさんズルもしてきたけど、最後に俺は俺のことを褒めてやりたい。よく頑張ったって、よく逃げなかったって。力一杯抱きしめてやりたい。その時は自分の選んだ死神と向き合って、とことん愛し合っていくんだよ。その先で俺は、俺は、俺のことを……幸せにしたい」こうして2人は1時間のライブを終えて、ステージから降りた。

――終演後、クラムボンの原田郁子がいたので声をかけた。
「今日の会場は郁子さんが、アフロさんに提案されたって聞いたんですけど」「そうなんです。ここ(原田郁子の妹・原田奈々さんが経営しているカフェ)でMOROHAを観たいと思って、私からアフロ君にメールをしたの」

平日に会社や学校と戦って、その体でライブに来るお客さんを相手に向き合いたいと自主企画を立ち上げたMOROHA。50分間、話芸一本で勝負をした立川吉笑。そんな2組のライブを観たいと会場を用意した原田郁子。いろんな人の思いが交差する、貴重な1日はこうして幕引きとなった。

TEXT:真貝聡
PHOTO:MAYUMI-kiss it bitter-

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