AIが流行を支配する日「AIが音楽を変える日」連載第3回

コラム AIが音楽を変える日

girl in red - bad idea!

時々、新たな技術革新が全てを変えてしまうことがある。が、その始まりにあって衝撃の大きさに気づいている人は限られている。

革新者が有能であることは間違いないが、その重要度に気づけるのは、それが分かる場所に居合わせた幸運の賜物かもしれない。私の場合、21世紀の始まりに偶々、音楽ストリーミングが仕事になり、2012年頃にこの国で音楽サブスクの旗振り役をやった。もう10年以上前のことである。

聴き放題が我々の音楽生活を変えると確信したのはもっと前で、2005年にアメリカのパンドラがAIで無料の聴き放題を別次元に変えてしまった瞬間だった。

もう20年近く経つわけでサブスク・ブームが始まった頃には正直、飽きていた。しかし、旗振り役をやっていた人間が「聴き放題、飽きました」とは言いにくい。裏で「サブスクの次」を探して10年近く経ったが、なぜ飽きたのか、それが肝要だとずっと考えていた。音楽は今でも好きだ。そこが問題ではない。

結論の1つはレコメンド・エンジン、つまりAIが似たような曲ばかりを推してくるということだった。その弊を免れるため、音楽配信はキュレーターたちがプレイリストを用意しているが、彼らもそのAIを駆使して音楽を発掘している。

そして偶然はまた訪れた。私は毎月、クライアントに世界の音楽産業についてレポートを書いている。その過程で目を瞠るニュースに6月、遭遇した。「フロンティアーズ」というアメリカの科学誌に発表された研究によると、神経生理学とAIを組み合わせることで、リスナーの身体反応から97%の精度でヒット曲を判別することに成功したというのだ。

その論文(Accurately predicting hit songs using neurophysiology and machine learning 日本語の紹介記事も出た)にも書いてあるが、「ヒットソング・サイエンス」は長らく研究されているものの、ヒットを事前に当てるのは至難の業とされてきた。

たとえば、ある集団に音楽を聴かせて「この曲が好き」と答えた人が多くいようと、それがヒット曲になる確率は低いままだ。別の言い方をしよう。ある曲が、どれだけの数のプレイリストに加えられたか、というのはいわば「この曲が好き」と答えた人の数になる。が、この方式でヒット曲か判別しても、その精度は四%未満だそうだ。

もちろん、その母集団が充分増えれば話は変わってくるが、それはもはやヒットしつつあるわけで、予測とは言い難い。再生数やイイネの数はヒットの予測にあまり役立たないというのが学会の見解らしい。だが音楽配信に限らず、SNSのレコメンド・エンジンは押しなべてユーザー履歴とイイネの数を基に動いている。

かわりにコンテンツの構造に着目した予測法もある。既存のヒット曲にどれくらい似ているかでヒットの可能性を見出す手法だ。既にこの方式のAIでアーティストを発掘するレーベルも起業されているが、これだと新曲は常に二番煎じ、三番煎じになる訳で、やはりヒットの精度は低いという論文も紹介されている。

そこでクレアモント大学院大学の研究チームは再生数やイイネ、ヒット曲の近似性とは全く異なるアプローチを取った。

まず市販の生体センサーで幅広い年齢層のリスナー数十人から心拍数などを取り、音楽を聴いたときに出ているドーパミンやオキシトシンといった脳内物質の量を類推してデータ化。この段階で、リスナーが聴いたのがヒット曲であるかどうか、69%の精度で当てることができた。先の4%から飛躍的な向上だ。使用曲は様々なジャンルで、たとえばノルウェーのオルタナポップ、ガール・イン・レッドの「バッド・アイデア!」など、確かにヒット曲だが誰もが知っているものでもなかった。

さらに複数の学習方式で機械学習するAIをここに導入すると、的中率97%という神懸かった精度に向上した。これの意味するところは、脳波や心拍数などの生体データを取れるヘッドホンやイヤホンが普及すれば、我々の音楽生活、アーティストのキャリア、レーベルの構造つまり音楽産業のすべてが変わってしまうかもしれないということだ。

その新しい世界では私たちの脳の個性をAIが把握し、脳内物質のよく出る楽曲がプッシュされるようになるだろう。

アーティストの音楽の作り方も変わってくる。再生数の小さな段階でそれがヒットするかどうか見えてしまうので、限定公開で人々の脳がより反応する楽曲を作るようになる。

レーベルも仕事の仕方が変わる。これまではライブに行って人々の反応を見たり、SNSの再生数を見てどの楽曲に投資するか決めていたのが、少ない母集団にテスト配信して彼らの脳によく反応した曲を宣伝するようになる。マスメディア、SNS以上に、AIとの相性が重視されるようになるだろう。

こう書けば空恐ろしいディストピアにも見えるし、そういう側面を否定するつもりはない。だが、技術革新というのは常に諸刃の剣だ。

音楽ファンは好きな曲やヒット曲と似ていない、新しい楽曲と出会って感動する機会が増える。アーティストは会心の出来の曲をレーベルから「この曲は流行ではない」とにべもなく断られる苦しみが減る。レーベルは未来のヒット曲に効率よく投資してアーティストとウィン・ウィンの関係を構築できる。そう描けば今度は理想的に見えてくる。

本題に行こう。このとき世界を支配しているのは本当にAIだろうか?

クレアモントのチームは、その論文で語った。なぜ、リスナーが「この曲が好き。人に勧めたい」と思ったデータを集めても、それがヒットの予測にあまり役立たないのか。それは音楽が、私たち人間の自意識の底に働きかけ、無意識から感情を引き出しているからではないか、と。

つまり、AIが音楽を支配するのではなく、私たち人類が無意識に体験したいと願っている感情を、AIが見える化する時代になるのではないか。

音楽は1分聴けば脳が如実に反応する。これが映画や小説だと簡単にはいかないだろう。だが放送、パッケージメディア、配信と音楽で先駆けて起きた現象はいつでも他のコンテンツ産業に波及していった。音楽が未来を連れてくるのは、AIの時代も変わらない気がする。

※「AIが音楽を変える日」は現在「新潮」(本日10月6日に最新号発売)にて連載中。Musicmanでは1月遅れで同連載を掲載していきます。

『新潮』2023年11月号(新潮社)

著者プロフィール

榎本幹朗(えのもと・みきろう)

1974年東京生。作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。現在『新潮』にて「AIが音楽を変える日」を連載中。

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