ザ・プラターズの創立メンバー ハーブ・リードが死去

コラム 高橋裕二の洋楽天国

数多くのヒット曲を放った黒人ボーカル・グループのザ・プラターズ。ただ1人残っていた創立メンバーでリーダーのハーブ・リードが閉塞性肺疾患の為、月曜日(6月4日)ボストンのホスピスで亡くなった。83歳だった。アメリカのメディアが伝えている。

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プラターズは1953年に結成された黒人4人組のグループ。ハーブ・リードのパートはバスだった。1955年、音楽業界誌ビルボードが正式にシングル・チャートの100位を作成した年、今でも度々耳にする名曲「オンリー・ユー」が5位になった。この時には創立メンバーはハーブ・リードだけで、女性のゾラ・テイラーを含む5人組になっていた。翌年56年、「グレート・プリテンダー」で黒人グループとして初のビルボード・シングル・チャートの1位を獲得する。

1958年には「トワイライト・タイム」が再びシングル・チャートの1位になった。フレッド・ロビンソン著の「ビルボード・ナンバー1・ヒット」によれば、この時「トワイライト・タイム」の宣伝用フィルムが製作され、これがミュージックビデオの始まりだという。

日本でも「オンリー・ユー」と肩を並べるプラターズの大ヒット曲は「煙が目にしみる(Smoke Gets in Your Eyes)」だ。1959年、ビルボード・シングル・チャートの1位になった。この曲はヒットする26年も前の1933年、ミュージカル「ロバータ」の為に書かれた。フランク・シナトラを始め、全世界の数多くのミュージシャンがカバーした。名曲は死なない。

プラターズのメンバーは始終入れ替わった。その為ピーク時には40ものプラターズがあったという。ハーブ・リードはその都度裁判で闘った。

グループ名のプラターズは、ラジオのディスク・ジョッキーがレコードを「お皿(Platter)」と呼んでいたのを聞き、ハーブ・リードが名付けたという。残された遺族は息子1人と3人の孫だそうだ。

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