初代iPhoneの開発、NEXT BIG THING、あるいは次の『スティーブ・ジョブズ』〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(12)「未来は音楽が連れてくる」連載第60回

コラム 未来は音楽が連れてくる

NEXT BIG THING、あるいは次の『スティーブ・ジョブズ』

 

連載第60回 初代iPhoneの開発、NEXT BIG THING、あるいは次の『スティーブ・ジョブズ』〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(12)
▲Appleキャンパスの入り口。サンノゼ空港から高速ですぐだ。
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「次の大物は何か、どうしたらわかるでしょう?」

26歳のジョブズは初めて勤めた会社の社長にそう尋ねた。

「そうだな、君の業界なら…」

後に『ゲーム業界の父』と呼ばれるアタリ社の創業者ノーラン・ブッシュネルは、カフェラテを一口飲んで、アドバイスを練った。

コンピュータ科学の最先端は、巨大な研究開発費が投入されて進歩している。金に糸目をつけぬその世界で何が起きてるのか、まず把握することだ、といった主旨のことを彼は言った。

「それから考えるんだよ。最先端の世界をだれの手に届く値段にできるか、だれでも使えるようにできるか」

今で言うなら人工知能のディープ・ラーニングがその時期に差し掛かっている。パソコンの安価なGPUを活用する手法で、数百億円かかったコストが数千万円まで落ちた。その次はD-Waveの登場した量子コンピュータにそれが起こるかもしれない。

「まあ、だいたい僕がいまやっていることですね」

ジョブズはブッシュネルのアドバイスにそう答え、大好きな紅茶を口に運んだ。

時は1980年。Apple IIの登場で、10年前の大型コンピュータをも凌駕するコンピューティングパワーが、一般人にも届く値段となったのだ。パーソナルコンピュータの時代を切り開いた若者の会社は、上場へ向かおうとしていた。

だがApple IIが誰でも使えるものか、といえばどうだろう。その点では、師のブッシュネルがまだ上だった。

かれはコンピュータを何でもできるものにしなかった。まだ非力なマイクロプロセッサを使って豊かなものを表現するには、機能を絞ったほうがよかったのだ。結果、テレビゲームの時代を切り開いたブッシュネルのアタリは、Appleの20倍は売上があった。

とはいえジョブズが目論むように、いずれマイクロプロセッサはなんでもこなせるようになるだろう。カフェのテーブルには、パリのやわらかな日差しが射し込んでいる。

ジョブズは休暇に訪れたこの街を気に入っていた。

亜麻色のレンガと、緑のひさしと、8階建てほどの高さと。建物のすべてがある規則のもとシンプルに調和し、クリエィティブな気韻を醸し出すなか、おちこちのカフェでは様々な芸術家たちが活躍してきた。

ピカソ、ヘミングウェイ、ヴェルレーヌ、マラルメ、サルトル、オスカー・ワイルド…偉大なクリエイターの数々がこの街で思い思いに創作し、ちゃんと生活できていたと若きジョブズは熱く語りだした。

「でもコンピューターが普及すれば、もっとたくさんの人がクリエィティブに生きていけるはずです」

みずからに課した歴史的使命を、彼はそう吐露した。人類すべてのひとの手にコンピュータのある生活。その未来に至る道はまだ先に霞んでわからない。

ブッシュネルは言った。

「未来にじぶんを置く方法を考えるんだ。それから自問する。今は不可能だがその時、何が可能になっているか」

すると我が意を得たようにジョブズはうなづき、打ち明けた。努力しているがむずかしい。会社にそこまでの思考のできる人間がなかなかいなくて…。

「アイデアを出すのはいつも僕で、みんなそれが当然だと思ってます。そんなんじゃ強い会社はできあがらないのに」

もっとクリエィティブな集団にしなければ。敵にいつか真似され、追いつかれて終わりだ…独りごちるジョブズを見つめながら、ブッシュネルの方は思った。彼は『次のスティーブ・ジョブズ』たちを見出さなければならない。そういう時期に来たのだ、と(※1)。

ブッシュネルは、19歳のジョブズを雇った時のことを思い出した。

ぼさぼさの長髪とジーンズで面接に現れ、「ここで雇ってくれるまで帰らない」と居座る大学中退者を、人事部長が困じ果てて相談に来たのだった。配属した部署からは「なんの嫌がらせですか」と悲鳴が上がった。

ものすごい体臭で職場に来て、僕はフルーツしか食べないから風呂に入る必要はないと言い張る。じぶんが一番頭がいいと信じ込んでいて、言うことを聞かない。猛烈に働くが夜にしか出社してこない。かと思えば、聖者に会いにインドへ行きたいから休暇と旅費をくれと言い出す。

それでも、ブッシュネルがジョブズをかわいがったのは、とびきり頭が切れて、哲学的だったから(ただの新しもの好きよりも、本質を見つめる人間が彼は好きだった)だけではない。その目に抑えきれぬ暗い情熱が宿っていたからだ。

革新への情熱こそすべてに勝る才能だとブッシュネルは考えていた。

若者が会社を飛び出した時も、彼は物心両面で応援してやった。革命を起こしたApple IIも、アタリが技術提供だけでなく、部品を仕入れ値で提供してしあがったものだ。

しかし組織が大きくなるに連れ、会社の人事部はジョブズのような人材を拒むようになる。だからこそ今度はジョブズ自身が若き異才を見出し、彼らの守護者となっていかなければならない。

だがその将来をつかむためには、通らなければならない苦難の道程ーーー会社追放と放浪の道のりが待っていることを、昼下がりのパリで語らうふたりは知る由もなかった。

外ではサンジェルマン通りに並ぶマロニエの樹々が、陽の光をうけながら風にそよいでいる。

※1 Nolan Bushnell “Finding the Next Steve Jobs: How to Find, Keep, and Nurture Talent ” (2013) Simon & Schuster, Introduction pp.7-8

 

 

『ミニ・スティーブ』、スコット・フォーストール

 

機がサンフランシスコ湾を旋回してサンノゼ国際空港に着陸すると、隣はもうシリコンバレーの中心街だ。著名企業へはタクシーですぐにゆける。運転手に「Appleへ」と告げると、車はフリーウェイに乗り二、三の観光スポットを過ぎてゆく。

地元の結婚式によく使われる、薔薇の美しいローズガーデン。そして棕櫚の樹々に囲まれた幽霊屋敷のウィンチェスター・ミステリー・ハウス。幽霊を恐れた富豪の未亡人が昼夜を問わず部屋を増設しつづけたので、ほとんど迷路のアトラクションになっており、観光客で賑わっている。

それから10分足らずで高速を降りるとAppleキャンパスに着く。

2006年のAppleの社屋に入ると、さながら幽霊屋敷ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのごとく、オフィスに迷路が出来上がっていた。

なにせ毎週、ドリルとハンマーが鳴り響き、曇りガラスと厳しいセキュリティ装置のついた部屋がフロアに増殖していく。ガラス・ドアの次にまたガラス・ドアがあり、セキュリティ装置が都度働く。どこをどう動いていいか、笑えてきたという。

次々と曇りガラスの部屋に口を閉ざした社員たちが、極秘プロジェクトの名目で吸い込まれていく。ときには何日も出てこず、ふらふらになって家に帰っていく。「死の行軍」と自嘲気味に呼ぶ者もあった。だが追い立てられる捕虜のように目が死んでいることはなく、むしろ青い炎のごとき情熱をその目に湛えていた。

通常業務につく社員たちもおのずと気づいた。かつてない総力戦が始まっている…。だが実のところ参加メンバーもじぶんたちが「iPhone」を創っているのだと知る者は少なかった。じぶんに割り当てられたミッションのほか何も知らない。

そんな喧騒の中、迷路のようになったフロアを、フルパスのIDカードをかざして自在にドアを開けていく男がいた。

スコット・フォーストール。37歳。

少年時代にジョブズに憧れてコンピュータの道を目指した。スタンフォード大でUIと人工知能を学び、NeXTの新入社員となった。そのままAppleに来たが、ジョブズの目にかかることはなかった。

ジョブズは病人にめっぽう愛情深い。

若い頃から社員やその家族が病に苦しんでいると知れば、影に日向に助けてきた。フォーストールが胃に深刻な病を抱えたと聞きつけた時、癌を内外に伏せていたジョブズは思うところがあったのだろう。深い同情と助けをこの社員に与えた。

まもなくふたりは親しくなり、幹部たちも不思議がるなか、この無役の青年がジョブズの会議に同席するようになった。

「ミニ・スティーブ」がフォーストールのあだ名だ。

つんつんヘアに、黒の上着、ジーンズ、そしてスニーカーでファッションをまとめ、車も奮発して、メルセデスSL55 AMGのシルバーに乗って出社してくる。ジョブズの愛車と同じだ。

格好だけでない。完璧主義者でルーペを持ち歩き、アイコンのピクセルまでチェックする。演劇部出身でプレゼンテーションもうまい。その気になればどこまでも人当たりよく振る舞えるが、同時に完璧な仕事のためなら、部下にも同僚にもいくらでも過酷になれた。

そんな彼にジョブズは若き自分を見出したのかもしれない。

かつて初のマッキントッシュOSを開発する際、若きジョブズは会社の手順を踏み越えて、あらゆる部署からエース級エンジニアを強奪した。

フォーストールに極秘任務を与えたジョブズは、そのためなら社内のどこからどんな人材を引き抜いてもよいという許可をも与えた。

その極秘任務とは何だったのか。

 

 

iOSが開いた時代の扉

 

 

▲2008年、ジョブズと共にiPhoneについて質問に答えるスコット・フォーストール(左)。「ミニ・スティーブ」と呼ばれていた。

続きは最新刊で公開予定!

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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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