スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(3)〜iTunes革命の成就「未来は音楽が連れてくる」連載第47回

コラム 未来は音楽が連れてくる

神は細部に宿る

 


▲「シルエットCM」の全シリーズ(13分)。iTunesの熱狂と共にあった、00年代半ばの音楽シーンが凝縮している。ジョブズは世界を変えるためにCMを活用したが、この卓越したタイアップは「iTunesで音楽を買って、iPodで聴くのがかっこいい」という価値観を定着させ、デジタルが違法から合法へ向かう時代を切り拓いた。

ジョブズの仕事を振り返って痛感することは、本当に大事なことはスポットライトが当たる前に起きていることだ。

「ストーンズをゲットできたのは、スティーブのおかげさ」 Appleでコンテンツを担当していたクリス・ベルはいう(※1)。

「スティーブがストーンズやサラ・マクラクランを口説いたのをお手本に、僕らはアーティストと交渉する専門のグループをつくって、他にはない曲を集めたんだ」

トップ同士で大筋を決めたら、あとは現場が細かいことを擦り合わせていく。それは経営者の通常のスタイルだが、革命児のジョブズは違った。大物アーティストとの交渉には、最後まで自分が出張ってきた。

相手からすれば恐ろしいことだ。

交渉の世界では、将来を左右する条件が細かいところに隠れていたりする。それを経営界のスーパースターが詰めてくるのだ。そうして出来上がった交渉条件を手本にして、ジョブズの部下たちが他のアーティストへ広げていった。「ストーンズとはこのような条件で決まりました」とやられたら、それ以上の条件など要求できない。

革命を何が何でも成し遂げる。ジョブズの断固たる意志に、いつしかレコード産業のリーダーたちも巻き込まれていった。

「夜中の10時でもおかまいなしに自宅に電話をしてきて、レッド・ツェッペリンやマドンナもなんとかしないといけないと言うんですよ」

ワーナー・ミュージックのCEOだったロジャー・エイムズは述懐した(※2)。メジャーレーベルの世界でジョブズの案内役を引き受けたエイムズは、発表のその瞬間まで休ませてもらえなかった。後にSpotifyのダニエル・エクは大ファンだったレッド・ツェッペリンに猛アタックして、配信を実現している。ファンの愛情は届くものらしい。

「じぶんの使命と思っていたことが、結局レコード会社の重役たちの使命となってしまいました」

米レコード協会のCEOだったヒラリー・ローゼンは振り返る。ジョブズの気迫に呑まれた、という意味では彼女もそうだったかもしれない。ローゼンがジョブズと話し合っていた時のことだ。ちょうどiTunesミュージックストアのトップ・ページが上がってきた。ジョブズは、ローゼンを前にしてデザインの微調整に没頭しだしたという。

「30分は真剣に悩んでいました。たった3つの言葉でもフォントサイズがどうとか、位置がどうとか」

大企業のCEOがそこまでやるのか…。ジョブズの鬼気迫るその姿に、ローゼンは圧倒された(※3)。彼女は首を振って言った。

「驚いたというより、ショックでしたね」

神は細部に宿るという。

近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの標語だ。「LESS IS MORE(シンプルなほど豊かになる)」というもう一つの標語とともに、その世界観はジョブズの仕事に霊感を与えてきた。

幼少時のジョブズが住んでいた家は、ローエの建築美学を、中流社会の誰でも享受できるようにしたアイクラー・ホームズのデザイン(http://bit.ly/1rxBZhF)だった。最高の美意識を誰の手にも届くようにするアイクラーの志は、幼いジョブズに伝わったのだ。

パーソナル・コンピュータの誕生から二十余年。ハード、ソフトの両方で革新的な作品を残してきたジョブズは、オンライン・サービスの世界でも生涯の代表作を生み出そうとしていた。

 

 

ダウンロード販売を求めていたSonyミュージック

 

振り返ればSonyは、音楽配信もデジタル・オーディオ・プレイヤーもAppleに先駆けて始めていた。

「ネットワーク時代には独立型のハードウェアは価値を奪われるだろう。大事なのはコンテンツだ。誰がコンテンツを作り、誰がコンテンツの配信ネットワークを支配するかだ(※1)」

iTunesミュージックストアから5年を遡る1998年10月、Sonyの出井社長はテクノロジー・フェアの基調講演でそう予言した。その翌年末にはNet Walkmanが発売され、ダウンロード型音楽配信のbitmusicが日本で立ち上がった。

出井の予言から5年たった2003年4月初旬。Sonyのエグゼクティブたちが世界中から東京に集っていた。

「これがWalkmanキラーです」

Sonyミュージックを率いるアンドリュー・ラックはポケットからiPodを取り出し、本社の経営陣に突きつけた(※2)。

「こういうものを創るために、音楽企業を買収したのではありませんか?」

15年前だ。CDの父・大賀典雄は、利益ベースで世界一となったSonyミュージックを東証に上場させ、そのキャッシュでCBSレコードを買収した。それが米Sonyミュージックだ。

レコード産業が猛反対する中、SonyはCD革命を成功に導いた。CBSレコードを味方に付けていたおかげだった(連載第41回)。やがて来る新しい時代、再び猛反対を業界から受けてもSonyが革命を先導できるように。その意図の元にグローバル・メジャーのCBSレコードをSonyは買収したのだ。

ジョブズと交渉を続けて来たラックの鞄には、iTunesミュージックストアの資料が入っていた。「デジタル革命」と呼ばれたCDの誕生から21年。音楽企業を持たぬAppleが「デジタル流通革命」を起こそうとしていた。

「みなさんなら、もっといいものが創れるはずだ」

iPodを片手にラックは、本社の経営陣を挑発した。インターネットの普及で、CDの時代はやがて終わる。音楽配信とデジタル・ガジェットの一体型ビジネスへ、Sonyは業態転換を始めるべきだ。Sonyミュージックを代表するラックの主張にはそうした意味が含まれていたようだ。

Appleがやろうとしている一体型ビジネスの、全てをSonyは持っているはずだった。

音楽コンテンツでは音楽配信をAppleより前に始めていたし、デジタル・オーディオ・プレイヤーも先に出していた。出井伸之の「デジタル・ドリームキッズ」戦略のもとVAIOは軌道に乗り、パソコンやアプリケーションのノウハウも社内に蓄積されつつあった。あとは一体に統合するだけでよかった。

だがSonyには、統合とは逆の力が働いていた。

大まかに言って組織の経営には2つの方向がある。集中と拡散だ。権限を構成組織に委任する拡散路線は、成功を拡大させる局面に適している。Appleであればジョブズ追放後、スカリーがこの路線を取り、Appleの売上を10倍にした。

Sonyは拡散のモーメンタムを極大化させていた。盛田時代に始まったSonyの事業部制は、大賀時代にはカンパニー制となり、出井時代にEVAが導入され先鋭化された。

大賀典雄が社長に就任した1982年、1兆1000万円だったSonyの連結売上は、出井伸之にバトンタッチした1995年には約4兆円にまで拡大。それから7年で約7兆6000万円へと、出井時代にほぼ倍増した。

平時に強い拡散路線だが、破壊的イノヴェーションに向かない。組織が一体となれないことでジレンマの拘泥に嵌ってしまう。2001年時点で、Sony本社は25のカンパニーに分かれていた。

一方、権力をリーダーに集約する集中路線は、破壊的イノヴェーションを起こしたり、イノヴェーションのジレンマを克服するのに適している。それは復帰後のジョブズの仕事が示しているとおりだ(連載第45回)。ただし、ひとりのリーダーの資質に大きく依存する危険が出る。

1982年以降のSonyは拡大路線に入ったが、創業者のチームが権力の手綱を持っていたため、集中と拡散のバランスが上手く取れていた。しかし出井CEOは、創業者世代だけが持つ権威を持っていなかった。

iPodを手にかかげる米SonyミュージックCEOの主張に対し、東京のエグゼクティブたちは顔色が優れなかった。

それはiPodのせいではなかった。たとえ脅威と言っても当時、累計販売台数で3億4000万台を目指していたWalkmanに対し(※3)、iPodは累計70万台余り(※4)。Sonyの経営陣はそのとき、iPodの将来的な脅威が霞むほどの現在的な危機に追い込まれていた。

プラズマや液晶テレビの登場で、屋台骨のテレビ事業が総崩れになっていたのだ。

共同創業者の井深大が心血を注いだトリニトロン以来、Sonyはブラウン管テレビで市場をリードしてきたが、決して収益性はよくなかった(※5)。Sonyのテレビ事業が豊穣のときを迎えたのは90年代、平面ディスプレイのWEGAが大ヒットした時だ。新しい映像技術を持ちながらも社内で燻っていた天才エンジニアを抜擢した出井社長の功績だった。

だが液晶とプラズマの低コスト化で薄型テレビの時代が到来すると、分厚いWEGAは大きく売上を落としていった。テレビだけでない。「インターネットと家電の融合」という出井社長の提唱とは裏腹に、Sonyはデジタル家電でも他社に大きく遅れを取り始めていた。各カンパニーが、既存製品の優良顧客がもたらす高収益に拘っていた。

その結果、Sony全体がイノヴェーションのジレンマに陥ってしまったのだ。Sonyの音楽事業もまた、ジレンマの重力に引き摺り込まれようとしていた。

同月25日。Sonyショックが始まった。

Sonyが1月ー3月期に記録的な赤字を出したことを発表すると、東京の株式市場は大混乱に陥り、日経225は20年来の最安値を更新。バブル崩壊から始まった日本の「失われた10年」は、Sonyが陥ったイノヴェーションのジレンマを機に「失われた20年」へ突入していった。

※1 立石泰則『さよなら!僕らのソニー』文藝春秋 pp.173
※2 Walter Issacson “Steve Jobs” Chapter 31
※3 Sony ニュースリリース http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/200407/04-033/
※4 John Nathan “Sony : The Private Life” (2001), Mariner Books, pp.317
※5 立石泰則『さよなら!僕らのソニー』文藝春秋 pp.173

 

 

Sonyショック直後だったiTunesミュージックストアの開始

 


▲iTunesミュージック・ストアを紹介するスティーブ・ジョブズ。Napsterの優れたユーザー体験(UX)に真正面から挑み、デジタル流通の時代を到来させた。現在、世界のデジタル売上は2016年頃にCD売上を超えると予測されている。

2003年4月28日、サンフランシスコ。奇しくもSonyショックが起きて3日後だ。「Appleが音楽サービスを発表するらしい」という噂が集まる中、ジョブズは壇上に立った。

「iPodはNo.1のmp3プレイヤーになった」

拍手が起こる。

「20年前、Sonyは革命を起こし、音楽を持ち運べるようにした。このデジタル時代、iPodがちょうど同じ革命を起こしている」

ジョブズはWalkmanを超え、そして今日、自らのiPodをも越えてみせると宣言した。

「Napsterが証明してくれたことがある。インターネットは音楽配信のために誕生したんだ」

ファイル共有の暗部をなじることに、世間が終始していた時期だ。ジョブズは壇上で大胆に、ファイル共有のユーザー・メリットを並べてみせた。

店舗のCDは限られているが、Napsterのカタログは2000万曲超だ。お目当てを探すのも検索一発。フロアをうろつく必要も、そもそも店にでかける必要も無い。最後に、なんといっても無料だ。CDストアと比べた際、ファイル共有のユーザー・メリットは際立っていた。

違法配信にかわる代替サービスは、ユーザー体験でNapsterに並ぶ必要がある。ジョブズの説得にメジャーレーベルは遂に応じた(連載第46回)。

「この1年半、コンテンツ業界とテクノロジー業界は戦争状態にあった」

Napster裁判だけでない。合法配信のあり方を巡り、メジャーレーベル陣営は2陣営に分裂。内輪争いが起きていた。交渉にふさわしい天候ではなかったというのを越して、まとめ上げるのはむしろ不可能に近かった。

「だがこれは言っておこう。レコード産業には優秀な人たちもいた。一緒に世界を変えると決意してくれたんだ」

メジャーレーベルがこの日に用意したのは20万曲。現在の2800万曲や、当時のNapsterと比べると少なく見えるが、CDのメガストアを超える品揃えだ。定額制配信と違い、iTunesにはBillboardチャートの新譜が揃っていた。さらにジョブズとアイオヴィンのタッグで、Topページには旬の大物アーティストがずらりと並んでいた。

CDストアを超える品揃えには、米メジャーレーベルの覚悟が込められていた。

たとえCDが音楽配信に喰われても構わない。インターネットがもたらしたイノヴェーションのジレンマを超える。アメリカのレコード産業は、そう決意を固めたのだ。

プレイリストさえ違えば、無限にCDに焼ける。iPodをどんなに買い替えても、どのiPodも同期できる。3台までのMacを同時にオーサライズ出来る。Appleとメジャーレーベルの取り決めは、ユーザーを犯罪予備軍として扱うのではなく、音楽ファンとして扱っていた。

「このすべての権利が、1曲99セントで買える。スタバ1杯の値段で3曲だよ」

大きな拍手が長いあいだ会場を包んだ。ジョブズの読み通り、マイクロ・ペイメントが正解だったのだ。

マイクロ・ペイメントは歴史の節目節目で、レコード産業を助けて来た。

1930年代。無料のラジオに有料のレコードは太刀打ち出来無かったが、iTunesの先祖、ジュークボックスがワンコインとシェアを武器に、レコードの売上を倍にした。

1950年代。安価なシングルがロックと共に普及しだすと、アルバムの買えなかった若年層を、レコード産業の主要顧客に変えてくれた。

メジャーレーベルから獲得したユーザー・ライツ(消費者の権利)を並べたジョブズは、最後にこう付け加えた。

「なによりも、よいカルマだ」

会場は爆笑した。違法ファイル共有を評して「カルマをもてあそぶのはよくない」と、東洋好きのジョブズが語ったことを会場のAppleファンは知っていた。空気を軽くしてから、ジョブズはデモンストレーションに移った。

iTunesから一瞬でストアが立ち上がる。ブラウザを開き、サイトを開く必要はない。TOPページの右側に並んだTOPソングから、シェリル・クロウのSoak Up The Sunをクリック。1クリック購入のボタンを押して15秒でダウンロード終了。

Soak Up The Sunの陽気なイントロが会場に鳴り響き、歓声は最高潮に達した。拍手は止まなかった。iTunesミュージックストアのユーザー体験は、Napsterよりもはるかにスマートだった。一度クレカを登録すれば、あとはワンクリック99セントで、Napster以上の体験ができる。

無料に勝る利便性。20歳のショーン・パーカーが予言した、有料が無料に打ち勝つ道だった(連載第42回)。ジョブズの狙い通り、ユーザーとレコード産業の取引がここに成立した。

「アーティストへの気配り、楽曲保護への気配り、革命への気配り、そしてユーザーがすぐに音楽を入手できる気配り。みんなのことが配慮されていて、取り残されている人は誰もいなかったの」

スクリーンに写ったアラニス・モリセットは、ミュージシャンを代表してiTunes革命を肯定した。

「テクノロジーの進化と、スピリチュアルな配慮。ふたつが究極の融合を見せていると思う」

それはスティーブ・ジョブズの人生を讃えるのにもっとも本質的なことばだったかもしれない。復帰後のジョブズは、テクノロジーの進化そのものを信じなくなっていた。かわりに最高の作品を提供することで、人類の精神によい影響をもたらす。それが天命と心に期するようになった(連載第46回)。

テクノロジーとアートの交差点は、技術と魂が融け合う場所だった。ジョブズのもと、コンテンツ産業とIT産業の和平交渉がここに成立した。

※1 iPodの開発(第9話) http://nkbp.jp/1kH2FuA
※2 アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』第30章
※3 Discovery Channel 『アップル再生 iPodの挑戦』 29:00

 

 

1週間で勝負を決める

 

発表はうまくいったが、iTunesミュージックストアが商業的に成功するのか。懐疑的な声は少なくなかった。

「200曲の最高にクールなプレイリストを聴くとする。ラプソディなら月9.95ドルだけど、iTunesなら198ドルだ」

Real Networksのロブ・グレイザーCEOは語った(※1)。グレイザーは、ブロードバンドという言葉も無かった1995年に、ストリーミング時代の到来を直覚。Real Networkを創業した彼はこの時期、ラプソディを立ち上げていた。メジャーレーベルの運営するPress Play、MusicNetに続く第三の定額制配信だ。

「スティーブや僕ならそれくらい払えるけど、ふつうの人にそれを押し付けるのはどうなんだろうな」

グレイザーたちサブスクリプション陣営の疑問に対し、ジョブズは自信満々だった。

「まあ見ていて。iTunesミュージックストアのユーザー数は、Press Playや MusicNetの会員数を一日で抜くと思うよ」

99セント/曲がどんなに安くても、無料に勝てるのか。Appleイベントの当日、インタビュワーたちの質問もそこに集中した。CNNなどに出たジョブズは、全曲30秒が無料で聴けることを強調した。

「すごいんだよ!プレビューとブラウズがあれば、音楽とまた恋に落ちるんだ。昔聴いたヒット曲にまた再会したり、今まで聴いたことのない宝石のような曲と出会えるんだ」

近年、音楽配信は音楽メディアの役割を持つようになったが、この段階ではまだ流通革命の色彩のほうが強かった。

Napsterはアメリカで社会的な熱狂を創ったが、その秘密は無料が実現したセレンディピティにある(連載第44回)。よく知らない音楽も、とにかく試しにダウンロードする。その中には思ってもなかった感動が待っていた。Pandoraの上場以降、定着したミュージック・ディスカヴァリーの世界だ。

iTunesミュージックストアは、無料のプレビューでミュージック・ディスカヴァリーを実現しようとしていた。30秒無料のプレビュー単体では弱かったが、その延長にあるアフィリエイト・プログラムの誕生をきっかけに、音楽ブログやキュレーション・サイト、そしてPandoraやLast.fmが誕生することになる。

ジョブズの発表から1週間後。メディアやライバル陣営が疑問符を投げかける中、奇跡は起こった。

「驚異的な数字が耳に入ってきている」

アラニス・モリセットが所属するマーヴェリック・レコードの関係者が感想を漏らした(※2)。1週間で100万ダウンロードを達成したのだ。Apple一社で、これまでの合法音楽配信すべての累計DL数を超えていた。

1ヶ月なら4倍の400万DLだ。定額制配信の有料会員売上に直せば40万人に相当する。シェア5%に過ぎぬMacユーザーのうち、iPodを所持してる客層(当時70万台 ※3)だけで叩き出した数字だった。

定額制配信の会員数は当時、22万5千人。「1日で」はさすがに無理だったが、1曲99セントのマイクロペイメントが、定額制配信を軽く超えることを証明してみせた。

「iPodとiTunesストアは、ようやく見えた光明だ」

ローゼンに次いで米レコ協(RIAA)の会長となったケリー・シャーマンはiTunesミュージストアの立ち上がりを祝福した(※4)。

「Appleのやり方は正しかった」

業界の盟主ユニバーサル・ミュージックのダグ・モリスCEO(当時)は、この社会実験を成功と判断(※5)。iTMSの開始から2週間後、ユニバーサルとSonyミュージックは定額制配信のPressPlayを整理・売却した。

点と点がつながり、大きな絵を描いていく。

AppleイベントではiTunesミュージックストアのほかに、鮮やかな滴りをもうひとつ、カンバスに落としていた。Windowsに対応した第三世代iPodだ。同時に、Windows版に対応したiTunesを年内に出すと発表していた。

Windows版もやっていたとしたら、単純計算で20倍いくはずだった。1ヶ月なら8000万DL。定額制配信の売上に直すと800万人の有料会員に相当する勢いだった。メジャーレーベルの楽曲使用ライセンスが、Windows版iTunesにも供給されることは決まったようなものだった。

SonyミュージックのラックCEOは、Windows版を機に、iPodの本体価格に楽曲使用料を乗せる交渉を再び試みるつもりだった。しかしこの時点で、デジタル流通革命の主導権はすでにSonyの手から離れていた。

わずか1週間でiTunesミュージックストアは、地球における音楽産業の将来を決めることとなった。

※1 Fortunes誌
http://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune_archive/2003/05/12/342289/
※2 Wired Japan『アップルの音楽配信、好調な滑り出し』 http://bit.ly/1hVhoP0
※3 Steve Jobs introduces iTunes Music Store 30:37 http://youtu.be/S6DX5NaPvk4
※4 『iPodは何を変えたのか』p.194
※5 iPodの開発(第10話) http://nkbp.jp/1hVj5vU

 

 

シルエットCM。違法から合法へのゲートウェイ

 

連載第47回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(3)〜iTunes革命の成就
▲シルエットCMから生まれたiTunesカードのデザイン。熱狂的なイメージを合法配信に重ねることに成功し、ポストNapsterの時代を制した。
http://bit.ly/1fWEYqo

Windows版iTunesのリリース予定を発表したことは、音楽業界の一部には寝耳に水だったかもしれない。傍流のMacだから大目に見て楽曲を提供したはずだった。だが、それはジョブズ一流の交渉術というより偶然そうなったところがある。

「俺の目が黒いうちは、Windowsユーザーに触らせないぞ」

実は、ジョブズはWindows版の開発には頑固に反対していた。iTunesとiPodが使いたかったら、Windowsマシンなんて捨ててMacを買えばいい。そのためのiPodだったはずだ(連載第45回)。だが、iPodを開発したファデルたち側近は怯まなかった。

iPod一台の粗利はiMacと同じだ。パソコンよりも音楽の方が、圧倒的に客層が広い。今こそAppleはコンピュータ会社の殻を破り、音楽会社に生まれ変わるべきだと主張した。

「もういい。おまえらあほうの話は聞き飽きた。勝手にしろ」

結局、ジョブズは折れた。

「Appleの将来像を決める議論だった」とマーケティングのトップを務めるシラーは言う(※1)。

Appleだけでなく、人類の生活の将来像を決めた瞬間かもしれなかった。この会議を機に、Appleはコンピュータ会社から音楽会社へ、そしてポストPCの会社へと変貌していくからだ。

Appleの運命を決めた判断で、ジョブズは最初、逆の意見だったことが少なくない。

「君たちのお気に入りはこれかい?」

社会現象を起こしたシルエットCMのイメージ・ポスターを見た時も、ジョブズは初め渋った。

「これはAppleじゃない」

たしかにそうだった。プロダクトの使用シーンと、こじゃれた決め台詞。それがジョブズの好むCMの基本だった。じぶんが生活で使っているシーンを想起させ、どんな価値観を楽しむのか15秒で伝えるのだ。

だがシルエットCMは、Appleの常識を覆していた。

iPodの写真は無かった。ヴィヴィッドな単色を背景に、真っ黒なシルエットのダンサーが、真っ白なシルエットのiPodを持って踊り狂う。白いケーブルが搖れるのを見ていると、彼・彼女の頭のなかで音楽フェスが始まっていることが伝わる。CMの末尾に「iPod+iTunes」と表示され、音楽が終わる。

はやく自分も、白いイヤフォンをつけて、フェスに参加したい…。

CMを見た若者はそう思うだろう。傑作だった。CMを創ったシャイアット/デイは、ジョブズが絶大なる信頼を寄せるクリエィティブ・エージェンシーだった。

パーソナルコンピュータの時代を告げたスーパーボウルのCM。世界を変えると告げたThink Differentキャンペーン。ジョブズは、シャイアット/デイと卓越したクリエィティブを追求し、CMでも革命を促してきた。シャイアット/デイのスタッフたちが一歩も引かず説得する姿を見て、ジョブズはこの案がだんだん気に入ってきた。

シルエットCMが始まる一月前に、若者から取った人気ブランドに関するアンケートが残っている。この段階では、「クールな最新ガジェット」の1位はカメラ付き携帯。日本のj-phone(現Softbank)から火がついた。次点にSonyのPlaystationとiPodが並んでいた(※2)。

10月。ミュージックストア発表から半年後。Windows版iTunesミュージックストアがはじまるとともに、シルエットCMがアメリカ全土にオンエアされた。

ジョブズがスカウトしたジョン・スカリーが、ペプシのマーケティング手法をAppleに導入して以来、Appleはマーケティング会社の様相を持っている。スカリーは広告費を1500万ドル(約15億円)から1億ドル(100億円)に上げ、Appleのブランドを確立した(※3)。このブランド資産が無ければAppleはジョブズが復帰する前に消滅していたろう。

ジョブズは自分を追放したスカリーを許せなかったが、ブランドを創ることが何にも増して重要なことをスカリーから学び取っていた。iMacの宣伝にはスカリーと同じく、1億ドルを投下した。そして今度は、その4分の3をタイアップ音楽の入ったシルエットCMに投下した。メジャーレーベルとの約束通りだった。

The Black Eyed Peasの『Hey Mama』 (http://youtu.be/4QnqAY_YmKU)から始まり、N.E.R.Dの『Rock Star』 (http://youtu.be/71IFZALZ-WE)、Feature Castの『Channel Surfing』 (http://youtu.be/i2XB1gSz1ps)、ゴリラズの『Feel Good Inc』 (http://youtu.be/c72k6n0q13o)、Daft Punkの『Technologic』 (http://youtu.be/NlHUz99l-eo)、 Eminemの 『Lose Yourself』 (http://youtu.be/92gM616rW6E)、 Prototypesの『Who’s Gonna Sing?』 (http://youtu.be/JzdSJ7QO5HE)、Cut Chemistの『The Audience Is Listening Theme Song』 (http://youtu.be/t9DORv28Euk)…。

まるで2000年代半ばはiPodのタイアップソングが時代の雰囲気を作っていたかのような錯覚に陥る、絶妙な選定だ。iPod、iTunesミュージックストア、そしてタイアップ・ソング。三者すべてが一体となって社会現象を巻き起こすことになった。

シルエットCMの狙い通り、白いイヤフォンの向こうにでっかい音楽フェスが始まったのだ。iPodは少数派の変わり者が使うものから、音楽好きなら、持っていなければならないマスト・アイテムに位置づけが変わった。

iPod + iTunesのブランディングは価値観の革命を起こした。CMを見た若者に、「iTunesで音楽を買ってiPodで聴くのがかっこいい」という価値観が広がっていったのだ。

Napsterがクールだった時代は終わった。違法ダウンロードをすると罰があたるぞと脅すRIAAのキャンペーンより、はるかに有効だった。若者は脅すより信頼する方が変わるのだ。

mp3のダウンロードを愛する若者がiPodを持つ。iTunesを使う。iTunesミュージックストアで音楽をダウンロードする。mp3プレイヤー、メディアプレイヤー、オンラインストアがシームレスに繋がった。

さらにシルエットCMが「iTunesはかっこいい」と深層心理に訴えかけたことで、Appleの創った違法から合法へのゲートウェイが機能し始めたのだ。

iPodがAppleの株価を押し上げ始めたのはこの頃からだ。

ジョブズが水面下で米レコード産業と交渉していた2002年。この段階でiPodは、Appleの売上の3%にしか過ぎなかった。そしてiTunesミュージックストアの発表の段階では、ウォールストリートのAppleの評価は決して高いものではなかった。

Apple復活を押し上げたiMacのブームが終わり、iPodの所属するmp3プレイヤーはまだまだニッチ市場に過ぎなかった。30%のシェアを持つiPodの累 計がわずか70万台だったのだ(※4)。

売れ出したiPodを見て、王者のSonyが参入してくればひとたまりもないようにも見えた。実は、ジョブズたちもそう考えていた。

「iPodを発売した時はSonyあたりに一年分の差をつけたかな、と思ってたんだ」

Appleのハードウェアを統括していた側近のルビンシュタインは振り返る。

「実際僕らは『今年のクリスマスはもらったけど、来年は他の企業も追い付いてくるぞ』って言い続けてて、つねにそのつもりで開発を進めてきた」

だが蓋を明けてみれば、SonyもMicrosoftも、誰もAppleのiPodに追いつけなかった。

「何年か経ったら『今年もクリスマスが楽しみだね』みたいな感じになっちゃったんだよ」

そういってルビンシュタインは笑った(※5)。NeXT時代からジョブズを支えたルビンシュタインだが、アイブズと衝突したのを機にAppleを辞め、現在は AmazonとQUALCOMの取締役を務めている。

※1 ウォルター・アイザックソン『iCon』第30章
※2 Wired 2002.12.6 『アップルの巧みなブランド戦略を探る(上)』 http://bit.ly/1hmNu4m
※3 Wired 2003.9.8 『若者に今一番「クールで刺激的な」企業はアップ ル』 http://bit.ly/1hmLeu5
※4 Steve Jobs introduces iTunes Music Store 30:37 http://youtu.be/S6DX5NaPvk4
※5 ジム・コリンズ『ビジョナリー・カンパニー4』日経BP社 第4章
※6 スティーブン・レヴィ『iPodは何を変えたのか』ソフトバンク・クリエイティブ p.352

 

 

iPodは初め日本で受けなかった

 

「で、どうすればいいと思う?」

ジョブズは単刀直入にたずねてきた。日本市場の攻略法を問われた前刀禎明(さきとうよしあき)はSonyに勤めていたこともある。その後、ライブドアを創業したが倒産し、オン・ザ・エッジに会社を譲渡。紆余曲折を経て前刀は、春の日差しが差すクパチーノの会議室で、ジョブズから最終面接を受けていた(※1)。

世界中から興奮を集めたiPodも、日本では当初、芳しくなかった。というよりAppleブランドがいまいちだった。

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【本章の続き】
■ファッション路線でiPodとiTunesミュージックストアは主流へ
■U2とiTunes革命の成就。
■自己表現からソーシャルへ。iTunesのもたらした音楽生活の変化
1 自己表現からソーシャルへ
2 音楽ブログとキュレーションの時代
3 ミュージック・ディスカヴァリー・サービスの時代へ
4 音楽の民主主義化
5 今のエンジン、サブスクが失ったもの
■世界のデジタル売上を牽引したiPod+iTunes

「未来は音楽が連れてくる」電子書籍 第2巻

>>次の記事 【連載第48回 スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(4)〜なぜiTunesは救世主とならなかったのか】

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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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