【対談】田島貴男×STUTS、スタイルは違えどリスペクトし合う二人がコラボライブ『M bit Live』を控え語り合う

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田島貴男×STUTS

田島貴男×STUTS

東京発、2024年型“世代を超えたArtistのクロスオーバー”と銘打った、新しいスタイルのコラボレーションライブがローンチする。『M bit Live』の第一弾は、田島貴男率いるOriginal Love Jazz Trio(田島貴男、河合代介、大槻“KALTA”英宣)と、トラックメイカー/MPCプレイヤーのSTUTSという、ジャズ、ソウル、ロック、ヒップホップを股にかけて活躍する才能の組み合わせだ。スタイルは違えど互いにリスペクトし合う両者は、新しいステージの上で何を目指し、何を見せてくれるのか。7月2日、SHIBUYA WWWでの共演を前に、田島貴男とSTUTSの対談をお届けする。

■初対面のエピソード

田島:初めてSTUTSくんに会ったのは、どこかのイベントでけっこう前に、ちらっと会ってますよね。そういうのが、度々あったような気がします。

STUTS:そうですね。おととしの『KOBE MELLOW CRUISE 2022』でご一緒させてもらったときにも、少ししゃべらせていただいて。

田島:(初めに)いつ会ったのかはよくわからないんだけど、STUTSくんの曲はいろんなところで聴いていて、ライブパフォーマンスもいろんなイベントで見ていて、“すげぇな”とずっと思っていて。

STUTS:いやぁ、そんな。

田島:音源で曲だけ聴いていたらわからなかったんだけど、演奏する姿を見て、“めっちゃうまいな”と 。MPC(サンプラー/シーケンサー)を叩く、 フィンガードラムがまるで本物のドラマーみたいなんだよね。ヒップホップの世界から出現したフィンガードラマーはいるけれども、より生ドラマー っぽいというか、本当にドラマーの感覚を持っているなと思いましたね。

STUTS:嬉しいです。たぶん、バンドの方と一緒にやる機会が多いので、それからわりとそういう感覚がついてきたような気もしますね。

田島:時々スウィングジャズみたいなこともやるじゃない? あと、クリス・デイブやネイト・スミスがやるような、ドランクビートもやってたりして “すげぇな”と思ったんですね。

STUTS:嬉しいです。僕がMPCでパフォーマンスを始めて2、3年ぐらい経ったときに、LAのビートメーカーでありドラマーでもあるカリーム・リギンスのパフォーマンスを見て、そのときにやっていたのが、その人が作ったビートのドラムを抜いて、ドラムの部分を生ドラムでやっていて、それにすごい感銘を受けて、そこから自分のMPCでの演奏スタイルも、生に寄っていったところがあるので。それからちょっとして、生楽器の人とも一緒にセッションするようになったので、そういうパフォーマンスになっていったのかな?と思います。

田島:なるほどね。だからSTUTS君はミュージシャンが生演奏でセッションしたくなるフィンガードラマーなんだね。以前よく見かけたフィンガードラマーは、ヒップホップのビートをずっと叩いている感じだったんだけど、STUTSくんは、ライブで見た時、そうじゃなくてもっと新しいスタイルだったからびっくりしたんだよね。それとSTUTSくんの書く曲がすごくポップで良いなと思ったんだよな。これ、本当に自分で作ってんのかな?みたいな(笑)。2018年ぐらいに出たアルバムを聴かせていただいたんですけど。

STUTS:『Eutopia』ですね。

田島:そうそう。あれ、しばらく聴いてましたよ。気持ち良くて。

STUTS:ほんとですか? めちゃめちゃ嬉しいです。

田島:インストゥルメンタルの曲もあるんだけど、歌モノとか、ラップが入ってるやつとか、ポップで良い感じでね。PUNPEEくんとの「夜を使いはたして」が、最初に引っかかりましたね。すごくいい曲だったので。トラックもすごくいいし、PUNPEEくんの歌詞もめちゃいいんだよね。彼のライブでも、みんなが一緒に盛り上がる曲になっていて、あのセッションを知ってから、色々気にかかってSTUTSくんをチェックし始めた気がする。あと、長岡(亮介)くんがギターで入っていて、ラップが入っているやつかな。

STUTS:KID FRESINOくんと、C.O.S.A.さん、asuka andoさんと、長岡さんと作った「Above the Clouds」という曲が『Eutopia』の中に入っていて、もしかしたらそれかも。

田島:それかもしれないね。でも単体で、EPか何かで聴いたような気もするんだよな。忘れちゃったんだけど、それも良くて。色々そういう感じで聴いていました。

STUTS:嬉しいです。

田島:今回こういうお話をいただいたので、「STUTSくんとライブしたいです」とスタッフに言ってオファーしてもらって、こういう形で引き受けてくれてすごく嬉しかった。ありがとうございます。

STUTS:光栄です。Original Loveさんは、僕は完全なリアルタイムではないんですけど、音楽好きの間で「これ絶対聴いとけ」みたいな、そういうアーティストの中にもちろんOriginal Loveさんもいらっしゃって、それで色々聴かせてもらいました。なので、まさかこうやって対談できるとも思っていなかったです。

田島:ありがとうございます。僕がデビューした頃と最近の状況を比較してみると、だいぶ様変わりしたなと思っていて。ジャズやストリートのブラックミュージックが、一般的になってたくさんの人たちに聴かれるようになったなあと。ここまでそういうふうになるとは思っていなかったんだよね。

STUTS:90年代のその当時は、今とは全然雰囲気が違いましたか。

田島:違いましたね。だって、当時はまだ音楽シーンに前時代の歌謡曲の残り香があったからね。でも同時にクラブミュージックはアンダーグラウンドでは盛り上がっていて、僕はそういったシーンにに影響を受けたね。ヒップホップも、デ・ラ・ソウルが出たとか、ア・トライブ・コールド・クエストが出たとか、そのぐらいのときだったんだけど、そういったアンダーグラウンドな、クラブカルチャーの音楽が日本でポピュラーミュージック化していく、まだそういう感じではなかったと思うよ。今はそういうのが当たり前というか、普通の状態としてあって、その中からいろんな違う種類の音楽がたくさん出てきている感じで、STUTSくんもそうだし、音楽の話が合う若い人もけっこういるね。STUTSくんみたいに、ヒッポップとかクラブでやっていた人たちが、普通にポップな曲を作るとか、そういうところは変わったんじゃないかな。 

STUTS:確かにここ5年ぐらいで、ヒップホップにおいて言うと、日本の状況は変わってきたなと思うんですけど、それよりもうちょっと前の、10年前とか15年前は、僕は大学生ぐらいで、そのときの自分からすると、90年代はポップミュージックにブラックミュージックのテイストが強いものが多くて、「いい時代だったんだろうな」とすごく思っていて。それこそOriginal Loveさんとか、90年代の「これを聴いとけ」みたいなアルバムを聴いていると、ブラックミュージックのテイストが多いものが多くて、すごく面白い年代だったんだろうなと思います。

田島:僕らのときはね、演奏が上手い人が今ほどたくさんいなかったと思うんだよな。今はいっぱいいるじゃない? STUTSくんもフィンガードラムがめちゃくちゃうまいし。90年代の最初の頃とか、いわゆるヒップホップとか、クラブでかかるようなビートがあるじゃないですか。あれを生で叩く人って、今は普通にたくさんいるけど、当時はほとんどいなかった。

STUTS:そうなんですか。

田島:だからまず、ああいうファンキーな踊れるビートをどうやって演奏するんだ?というところから始まったもんね。当時の人はほとんどエイトビートだったし、音楽でファンキーにダンスすること、ライブで踊るということはそんなになかったんですよね。曲はファンキーなことをやっているアーティストでも、コンサートに行ったら、みんな正座して聴いているみたいな状態なんだよ(笑)。なんで?みたいなさ。そういう時代から、今はフェスの文化もあるし、ヒップホップが普通に広まって、ダンスのカルチャーも小学生とか中学生がダンスしたり、みんなちゃんと踊ってくれるみたいな感じは、だいぶ違ってきたなと思う。どうやって手拍子していいかわからないみたいな、僕らぐらいの世代は、まだそういうのがあると思うんだよね。だけど僕らより10年下とか、もうちょい下ぐらいになってくると、ちゃんとアフタービートで手拍子するのが普通になって、確かにそういう変化はあるなっていう気がするんですけどね。

STUTS:そうかー。

田島:だから、そういう(若い)世代の人たちとは、音楽をもっとやっていきたいし、刺激を受けたいというふうに思いますね。話していても面白いしね。

■二人が聴いてきた音楽のルーツ

田島:子供の頃に一番最初に聴いたのは、ラジオから流れてきたロックだよね。中学1年のときに、英語で歌われる音楽が気になって、その前は、僕らのときは歌謡曲全盛時代で、核家族と言ったらいいんですかね。お茶の間にテレビが1台あって、それを囲んで『紅白歌合戦』を見るみたいな、 そういう文化がまだあった時代なんですよ。そこで、いわゆる歌謡曲っていうものが非常に巨大な存在としてあって、でも中学生ぐらいになると、生意気になるじゃないですか。「俺はそういうのとは違うんだ」みたいなね。その頃ラジオから洋楽が聴こえてきて、当時はFM放送というものが始まって、そんな時間も経ってない頃ですね、1978年だから。で、FM局はAM局と差別化するために、外国の曲をたくさん流したんですよ。

STUTS:そうなんですね。

田島:たとえばチャート番組のトップテンも、AM放送とかテレビでは日本の曲のトップテンだけど、FM放送はイギリスのトップテンとか、アメリカのトップテンとか、そういう番組をやっていた。そういう音楽番組をエアチェックしてゆくうちに、「洋楽のほうがかっこいいんじゃねえか?」みたいな感じになって、中学校に入学したら、同じようなことをしている友達もいたんですよ。FMではTOTOとかがかかっていて、そこにクラッシュとか、バンク/ニューウェーブという音楽が、1978、79年頃に日本に入ってくるんですよ。それがラジオでかかり始めて、バンドが来日もし始めて、そういう音楽に最初は非常に影響を受けましたね。僕はそのとき神戸に住んでいたんですけど、直輸入レコード屋というものがあって、欧米で売られているレコードは日本の大手メジャーレコード会社が輸入して売るという形になっていたんだけども、そうじゃなくて、レコード屋さんが海外から直接輸入して売るのが直輸入レコード屋で。だから安く売れるわけ。3000円とか2800円で売っているレコードが、1500円で売っていて。そういう直輸入レコード屋さんが流行ったんですね。神戸にもそういうお店ができて、普通の町のレコード屋さんと差別化するために、バンク/ニューウェーブというムーブメントを店頭で紹介するのが効果的だったんだろうなと。それで神戸に「ミスター・ジャケット」という直輸入レコード屋ができて、パンク/ニューウェーブのレコードがエサ箱にずらりと並んで、当時は珍しいロンドンのパンクバンドのライブ映像も流していたんですよ。僕は中学1年のときにそれを見て、すごいショックを受けてさ。髪の毛が立っている人たちとか、服が破れている人たちを初めて見て、「なんだこれは!」と。僕の場合はニューウェーブ、今はポストパンクと言うのかもしれないけど、オリジナル・ロンドンパンクのちょっと後ですね。ポリスとか、ディーヴォとか、ギャング・オブ・フォーとか、ああいうアンダーグラウンドな、パンク/ニューウェーブの音楽に、最初にのめり込んだんですね。音楽というか、そのムーブメントに。そういうものに中学1、2年の俺はめちゃくちゃ惹かれて、なんかすげぇことがロンドンで起こっているなと思って、もう頭の中がロンドンになっちゃったんですよ(笑)。「俺も曲を作ろう。バンドやろう」と。絶対ニューウェーブバンドをやりたいと。

STUTS:そうだったんですね。

田島:中学校の放送部 に入っていたから、校内放送でクラッシュをかけたり、スペシャルズをかけたりしていて、生徒たちはみんなきょとんとしてるみたいな(笑)。中学3年のときに僕は福島県に引っ越すんですけど、福島県に引っ越したら、洋楽を聴いている人はまわりにはほぼ誰もいなくて。その中で半ば意地になってパンク/ニューウェーブを聴いていて、時折東京の親戚の家に遊びに行った時にはレコードを買ったりクラブに行ったりしていて、高校3年ぐらいまではずっとそんな感じですね。高校時代まではそういった当時のブリティッシュロックに影響を受けて曲を作ったりしていたんだけど、大学に進学して東京で暮らすようになってからはヒップホップとか黒人音楽が気になるようになった。ちょうどそのとき、Run-DMCがヒットした頃でさ。

STUTS:あー、なるほど。

田島:Run-DMCがファーストを出して、クラブとかでかかり出した頃。ビースティー・ボーイズとかね。田舎から出てきたばかりの僕にはヒップホップはクールすぎて眩しすぎて付いていけない雰囲気だった。「なんだこれは」となってね。すごいイカしてる人たちがそれに合わせて踊っていて。「ヒップホップというものがあるんだ、すげぇな」みたいな、DJが使うターンテーブルも、その頃初めて日本に入ってきたんですね。それでクラブにしょっちゅう行くようになって、そういう音楽を色々と浴びることになったんだけど、パンク/ニューウェーブのムーブメントが落ち着いて、代わりにヒップホップがどーんと世界的にブレイクし始めて、そういう流れがあったので、パンク/ニューウェーブはダサいというふうになったときもあったんですけど。僕はヒップホップはできねぇなと思ったから、自分にできそうなことこととして、ヒップホップの人たちが作っているバックトラックがあるじゃないですか。昔のアシッドジャズとかファンクとか、ああいったトラックメーカーがサンプリングしているネタのビートだったら演奏できるんじゃないか?と思って。そういう演奏をしながら歌を乗せられるんじゃないか?という、そういう発想をしてましたね。Original Loveがちょうどデビューする頃の最初の1、2年は。

STUTS:そうなんですね。

田島:ただ、演奏力が非常に必要だということが、そのときはあんまりよくわかっていなかったし、「なんで同じようにファンキーな踊れる感じにならねぇんだろうな」って(笑)。MPC (サンプラー/シーケンサー)とかを使ってやっているんだけど、なんでイケてる感じにならないんだろう?とか。それは、いわゆるファンクのビートというものが、その前はパンク/ニューウェーブだったから、ビートはただ性急であればいいというものだったんだけど、それがちゃんと踊れるという…。

STUTS:グルーヴみたいなものに。

田島:そうそう。そこに移行するのに、40年ぐらいかかったんですね(笑)。ようやく最近「こういうふうにするんだ」みたいなことがわかってきた。STUTSくんは最初からそっちのほうに行ってるんで、自然にできているんですけど、それがなかなかできなかったというのが、Original Loveの歴史だなという感じがします。

STUTS:僕は個人的に、Original Loveの初期の田島さんの歌い方を聴いていて、すごいソウルフルなものだったので、70年代のソウルとか、そういうものがバックグラウンドにあって、影響を受けてやられていたのかな?と思ったんですけど。むしろヒップホップからファンクに入っていったんですね。

田島:そうです。パンク・ニューウェーヴに影響を受けて、その後RUN-DMC、デ・ラ・ソウルなどに触発されて同時に70年代ソウルを掘り始めたという感じです。もちろんその流れで70年代ソウルミュージックにもハマって、中古レコード屋でバイトしてたからマーヴィン・ゲイ、ボビー・ウォマック、カーティス・メイフィールドとかいろいろ同時に聴いていたんだけど、デ・ラ・ソウルが『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング』(1989年)を出したのが、ものすごいショックだったの。あれはね、びっくりした。ヒップホップって、その前までは、適当にビートだけあってしゃべってるみたいな感じだったんだけど、『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング』はすごく上手く編曲された楽曲でさ。曲がめっちゃいいじゃない? 「こんなことできるんだ。参ったな」と思ったし、「すげえ。どうしよう」みたいな感じになって、その後のア・トライブ・コールド・クエストとかも、いわゆるヒップホップのダンスカルチャーというよりも、もっと音楽的な、ミュージシャンライクなものだったし、ジャズと融合していたりとか、そういうふうに進化していった感じがするんだよね。デ・ラ・ソウルぐらいから。ただ僕の中では「こういうものはできないな」と思っていて、やっぱりサンプラーとか買うんだけど、バックトラックも向こうのミーシャンと同じように、アシッドジャズをサンプリングしてやってみるんだけど、なかなかうまくできなかったね(笑)。

STUTS:そういうふうにして、Original Loveさんの楽曲は作られていたんですか。

田島:そうですね。そういうものをヒントにしてやったりして、でも色々と融合させてた。パンク・ニューウェーヴのムーブメントが80年代後半に一旦止まったように思えて、俺はどういう音楽をやったらいいんだろう?と。60年代とか70年代のスタンダードミュージックを辿って、なんでそういった曲たちは、20年、30年経っても残っているのかな?と思って、そういうものを色々と聴いたりしている時期があって。バート・バカラックとか、ビートルズはずっと好きだったけど、ああいうメロディのある音楽を色々聴いて、レコード屋で掘るという作業をとことんまでやるみたいな。STUTSくん界隈にはいっぱいいると思うんですけど、僕は中古レコード屋でバイトしていたし、とにかく旅先にレコード屋があったら入るという感じになったんですよね。そういうものを手当たり次第に買いあさって、聴いて、良かったらそれを真似したりという感じでしたね。でもね、今思うと、そうやってレコードから学ぶことよりも、ミュージシャンから学ぶことが多かったというか、いわゆるノリというものがどういうふうに出現してくるのか?ということは、レコードだけ聴いていてもよくわかんないというか、やっぱり実際のライブを観たり、上手いミュージシャンたちの演奏の中に入っていかないとわかんなくてさ。そういうことは最近になってわかったという感じはしますけど、ただ歌に関しては、ずっと自信はなかったですね。

STUTS:え、本当ですか?

田島:そう。最近になって、こうやってグルーヴを作って、ここのタイミングで歌えば、グルーヴがこういうふうに現れてくるんだとか、ちょっと見えてきたという感じ。STUTSくんぐらいの世代は、そんなことは最初からわかっているという感じがするんだよね。STUTSくんはヒップホップでも、どのへんのヒップホップを聴いていたんですか。

STUTS:一番最初はテレビで、当時流行っていたRIP SLYMEさん、KICK THE CAN CREWさん、エミネムだったり、あとはCHEMISTRYさんのファーストアルバムに、ラッパーのDABOさんをフィーチャリングした曲があって、それが一番最初に聴いたヒップホップかもしれなくて。それでバーッとハマって、エミネムのほうは、エミネムのアルバムに入っていたスヌープ・ドッグがかっこいいと思って、スヌープ・ドッグを聴いたりとか、洋楽のほうを聴き始めて。日本のヒップホップの方は、そっちはそっちでまた聴いていく、という感じだったんですけど。

田島:普通だね、わりと。

STUTS:はい。わりと普通なんです(笑)。普通に聴いていて、あるとき、中3の頃に、タワーレコードかHMVの試聴機で、90年代のヒップホップのコンピがあって、2曲目にあったのがア・トライブ・コールド・クエストで、セカンドに入っている「バギン・アウト」という曲を聴いて、すごい衝撃を受けて、そこからがっつり90年代のヒップホップにハマっていきました。そのときにちょうど、自分でも何か作ってみようみたいな感じで、「ラップをやってみよう」と思って、ラップをやるんだったらビートが必要だなと思って、その当時、同じようにヒップホップを聴いている友達が誰もいなかったので、孤独に音楽を掘り進める作業をずっとやっていたんですけど。それで、ヒップホップをやるならトラックも作らなきゃって思って作り始めたのが、音楽を始めるきっかけで。そのときにトライブやデ・ラ・ソウルをすごい聴いていたので、自分にとってのベーシックがそこになった、みたいなところがあります。

田島:そうか、やっぱりトライブとかデ・ラ・ソウルなんだ。ちょっとジャズ寄りなのは、そういうところなのかもね。

STUTS:あると思います。

田島:ちょっとPUNPEEくんと似てますね。PUNPEEくんは最初にトラックを作っていて、あとからラップをやったと言っていたけど。

STUTS:でも僕なんてもう全然、ラップをやってると言っても、文化祭とかで披露するぐらいのもので。それでも自分で曲は作っていて。僕も最初にトラックを作り始めたときに、そのとき好きになったヒップホップが基本的にサンプリングで作られていたので、デ・ラ・ソウルがサンプリングした曲をコンピレーションしたレコードがあって、ビート作りを始めたときにそれをサンプリングして、「デ・ラ・ソウルってこうやってビート作ってるんだ」みたいなことを勉強したりとか。

田島:なるほどね。デ・ラ・ソウルの元ネタのレコード、俺も買ったな(笑)。でもね、デ・ラ・ソウルがああいうネタを使って、ポップというか別のいい曲みたいな感じで仕上げていたのがショックだったな。STUTSくんを聴いても、やっぱりポップだもんね、作る曲が。

STUTS:たぶん、自分がそもそもポップなものが好きなのかもしれないです。いろんなものが好きではあるんですけど、自分で曲を作るとなると、ポップさというか、親しみやすさというか、個の世界に閉じこもってない、もうちょっと開けたものを作る傾向があるというか。

田島:あるある。そこがいいよね。でも大変だよね、開けさせるのは。個の世界で、自分の好みでずっとやっていくのは、楽というわけではないけど、やりやすいというかさ。自分から開いて音楽を作るのって、リスナーとしては大変に思えないかもしれないけど、作る側にとってみるとちょっと大変というか。

STUTS:確かに、何も考えずに作っていると、わりとこういう(狭い)ものができてきたりするんですけど、あとでジャッジするときの判断基準が、「ポップか、ポップじゃないか」という感覚はあると思います。

田島:それは、僕もそうです。

■お互いのライブの印象、そして『M bit Live』へ向けて

STUTS:先ほども話に出た『KOBE MELLOW CRUISE 2022』のOriginal Loveさんのライブが本当に素晴らしくて、最高だったんです。オルガンで、レズリースピーカーを持ち込んで。鍵盤がオルガンしかいらっしゃらなかったのがすごい新鮮で、めちゃくちゃ豊潤なハーモニーになっていて。

田島:河合(代介)さんにはね、「オルガンしか弾いちゃダメ」って言ったの(笑)。ところがね、今回のツアーからついに解禁しちゃったんです、シンセを。もともとあの人はオルガン専門のプレイヤーで、日本のオルガンではトップのジャズオルガニストなんですけど、だからあえて「オルガンだけやってください」と言って、それが功を奏したというか。

STUTS:とにかくグルーヴィーで、ずっとステージ袖で自分のバンドメンバーのみんなと踊っていました。

田島:あのときのSTUTSくんのライブも、すごく良かったですよ。いろんなところでSTUTSくんのライブを観させてもらって、びっくりしました。本当にドラマーっぽいよね。ザ・ルーツは聴いてました?

STUTS:はい。もちろん。

田島:生のドラマーみたいで、それと同時にトラックの操作をしているし、生ドラムではできないことをやっていて、ジャズミーシャンっぽいドラムのプレイを、パッドでやっているところに驚いたんですね。

STUTS:嬉しいです。MPCを叩く人って、それまではパフォーマンスチックになってしまう人が多い印象があったんですけど、それよりもうちょっと音楽的に、グルーヴみたいな感じでできたらいいなと、ずっと思っていた節があって。

田島:ミュージシャンライクなんだよね。クラブのトラックメイカーというよりも、どっちかというとドラマーというかさ。作曲に関してもそうだし、そういう感じがしましたね。そこはちょっとすごいなというか、「俺もボヤボヤしてられないぞ」という感じでさ。とにかく今回共演できるのはすごい楽しみです。

STUTS:嬉しいです。こちらこそ、とても楽しみです。

文=宮本英夫 撮影=俵和彦

 

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