浜田省吾「ON THE ROAD 2022 LIVE at 武道館」開催、40年前の初武道館公演セットリスト全22曲を完全再現

アーティスト

写真:内藤順司

40年前、1982年1月12日に行われた初の日本武道館公演のセットリスト全22曲を再現するという、空前絶後のライブ「SHOGO HAMADA / 40th Anniversary ON THE ROAD 2022 LIVE at 武道館」が2日間にわたって開催された(収益の一部は、浜田省吾も設立者のひとりである基金“J.S.Foundation”が行う人道支援プロジェクトに寄付されるチャリティーコンサート)。

初日は雪の降り積もる1月6日、2日目は快晴の7日。客電が落ち会場に流れたのは浜田省吾のボーカルによる「IN MY LIFE」だ。忘れられない場所や人、40年という時の流れへの万感の思いが込められたビートルズのカバー。曲は「G線上のアリア」に変わり、バンドがステージ上にそろい思い思いの音を鳴らす中、ドラムと浜田のテレキャスターの掛け合いが始まり、オルガン、2台のエレクトリックギターが重なっていく。ライブ盤「ON THE ROAD」に残されている、40年前の怒涛のような演奏とは異なり、エッジは効いているが軽やかにグルーヴする「壁にむかって」。ただし“死にかけてたぜ 蹉跌の空で”という一節もある歌詞は、200曲を軽く超える浜田楽曲の中でも、もっともハードなもののひとつだろう。80年代終盤以降のステージではまったく演奏されていなかった超レア楽曲でもある(ただし、2021年6月に新曲「この新しい朝に」のカップリング曲として、今回のバンドによるセルフカバーが発表された)。

ドラムの連打に続くエレクトリックギターのピックスクラッチとともに特殊効果の音玉が炸裂、客席も一気に弾けた「明日なき世代」。本来は客席も含めた大合唱となるラストの♪Wowowow〜のリフレインは今回、バンドメンバーの熱唱で盛り上げられた。「2年間、計画して準備してきたツアーが次々と中止になって、俺自身、今日、この日を本当に楽しみにしていました。実現できてよかったです。いろいろ制約はあるんですが、俺たちバンドはいつもと同じようにステージをやっていきます」いつもと変わらず、穏やかな口調で浜田が語る。「皆さん、最初から最後までずっと手拍子をしていたら手が壊れます(笑)。ですから、演奏中はエア手拍子でいいです。でも、俺たちがいい演奏をして、もしそれがあなたに届いたら、演奏が終わったときに拍手をもらえれば、俺たちミュージシャン、それだけで十分報われます」

「愛という名のもとに」「君の微笑」など、あの頃の情景が思い浮かぶ切ないバラードを交え、ライブは進んでいく。浜田を含めギターが3台、ドラム、ベース、ピアノ、オルガン&シンセサイザー、そしてサックス、トランペット、トロンボーンという当時とほぼ同じ編成に女性コーラスふたりが加わった音は分厚いが、ブレイクや一瞬のア・カペラなども巧みに取り入れたプレイは、ときに涼しげでスリリングだ。そして何より、その分厚いサウンドを突き抜けて届くボーカルが圧巻である。PAエンジニアの手腕もあるのだろうが、2年間のブランクを感じさせないどころか、これまでのキャリアのピークかもしれないと思うほどの声の張りと艶。ボーカリストの言葉がこんなに客席に届くロックコンサートも、そうはないだろう。

2日目のMCでは、40年前についてのこんな思い出話も披露された。「1980年の秋、1,600人くらい入る会場が半分くらいしか埋まらなかったけど、とってもいい演奏ができた姫路のコンサートのあとの食事会で、中国・四国地方のイベンターの社長が俺に言うんです。「今の浜田を観ることができた今日の観客は本当にラッキーだよね。もっともっと多くのお客さんに観てもらおうよ。武道館、やろう!」って。俺は「この人、酔っ払った勢いで言ってるな」って(笑)」「さらに彼がステージの演出アイデアを出してくれた。「天井から崖を作って、その崖からステージにドライアイスの滝が落ちてくる。そこで浜田が歌うんだよ」と。どう思う、このアイデア?」声を出して笑いたいのに笑えない会場。「想像できる? で、俺は思ったんです。「ああ、滝に打たれて修行する崖っぷちシンガー、浜田省吾か」って」すみません、取材しながら思わず声を出して笑ってしまいました……。

当時の武道館といえば、ビートルズをはじめ海外のビッグネームが来日公演する聖地のような場所。邦楽では、大ヒット曲を多数持つ限られたアーティストのみが立つことの可能なステージだった。シングルヒットもなく、テレビにも出ず、ひたすらツアーで全国を回り続けていた浜田省吾。内容の濃いアルバムは作り続けていたが、それが売り上げ枚数とリンクするのはチャートで初の1位を獲得した2枚組アルバム「J.Boy」、武道館公演の4年後の1986年のこと。この日も歌われた「悲しみは雪のように」が、10年後の1992年にミリオンセラーになるなんて、いったい誰が想像していただろう。しかし、地方のイベンターが提案した冗談のような武道館公演は、共感した全国各地のイベンター、音楽雑誌、ラジオ局、そしてスタッフの熱意により実現する。「40年前に武道館でやるって決まったとき、バンドのメンバーと「1階席2階席は空席だらけでも、いいステージやろうな!」と言い合っていてね。でも、いざチケットの発売日になると数時間で全席売り切れるという、信じられないことが起きたんですよね。……まさかあのときここにいたっていう人、いるのかな」けっして多くはないが、うれしそうな拍手。「おおーっ、久しぶりです。まだ生まれてなかったって人は?」先ほどより拍手が多い!当時まだ生まれていなかったオーディエンスにとって、「MONEY」も「J.Boy」も「もうひとつの土曜日」も「I am a Father」もない今回のセットリストのほとんどが新曲のようなものかもしれない。なんだかうらやましい。ソロデビュー45周年だった昨年、70年代のアルバムを中心に何作かのアルバムはデジタルリマスタリングが施され、ほぼすべての作品がリプライス再発売されたので、浜田省吾の“新曲群”を存分に楽しんでほしい。

アリーナ席だけでも埋まればと思っていた武道館公演が、発売数時間でまさかのソールドアウト。「でも、もっと信じられないのは、その40年後に、こうして同じセットリストでコンサートをやれているということです」今度は、客席全体から長く、大きな拍手。「改めて、スタッフの皆さん、ミュージシャン、そして誰よりあなたたちひとりひとり……あなたに感謝しています。どうもありがとう」

そんなMCをはさんで歌われた本編ラストの2曲は、華やかな街を歌う大ヒット曲のアンサーソング的な意味合いで書かれた、都会のダークサイドを歌う「東京」。そして、ソ連への対抗措置としてNATOがヨーロッパに核配備するという背景をもとに、1981年8月6日に書いたという「愛の世代の前に」。今回のセットリストの中では数少ない、いわゆる”メッセージ性”の強い楽曲だが、歌舞伎町に集まる行き場のない少年少女たちや、ロシアとNATOなどの対立、中国の軍事的台頭など新冷戦とも呼ばれる社会情勢を思うと、40年前より現在のほうが、よりリアリティーを持っているようにも思える。さらに、浜田がもっとも心を痛めているアフガニスタン情勢。じつは2020年11月、今回と同趣旨のチャリティーコンサートの収益をもとに作られた小学校がアフガニスタンで開校したという、うれしい報告を受けていた。しかし、その後のアメリカ軍の撤退、タリバンの復権。男女ともに通うことができ、貯水槽やきれいなグラウンドもある学校が今後どう運営されるのか……。「40年経って、すっかりリアリティーのない曲になっていたらよかったのにね」これはステージ数日後の浜田の言葉。

二度目のアンコールに応えてステージに出てきたときには、こう語った。「次にお会いするときは、一緒に歌ったり叫んだり出来たらいいですね」懐かしいミラーボールが回り、熱くなった体をクールダウンするような、優しい歌声の「ラストダンス」。演奏が終わり、いつものように客席に向かって深々と頭を下げる浜田。さらに上手側の客席に向かって頭を下げ、次に下手側……。

浜田省吾にとってもファンにとっても、日本武道館はこれからも“忘れられない場所”であり続けるのだろう。偶然だが、1980年の秋、半分くらいしか埋まらなかった姫路の会場、姫路市文化センターは、2021年12月28日に49年間の歴史を閉じた。大会場よりむしろホールクラスの会場を大切にする浜田にとって、姫路市文化センターもまた“忘れられない場所”であり続けるのだと思う。

文:古矢徹

セットリスト

1 壁にむかって
2 明日なき世代
3 青春のヴィジョン
4 土曜の夜と日曜の朝
5 愛という名のもとに
6 モダンガール
7 君の微笑
8 悲しみは雪のように
9 いつわりの日々
―インターミッション
10 路地裏の少年
11 ラストショー
12 片想い
13 陽のあたる場所
14 終りなき疾走
15 独立記念日
16 反抗期
17 東京
18 愛の世代の前に
―アンコール
19 あばずれセブンティーン
20 High School Rock & Roll
21 Midnight Blue Train
―アンコール
22 ラストダンス

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