世界の音楽ソフト売上はインフレ換算すると1999年から35%減「未来は音楽が連れてくる」連載第73回

コラム 未来は音楽が連れてくる

インフレで5人に1人がサブスクを解約

世界は物価高に苦しんでいる。今年、世界経済は7.5%前後の高インフレが予測されており(※1)、実は音楽産業もその影響を免れるものではない。

ウクライナ侵攻まもない3月の時点で、インフレによる生活苦で5人に1人がサブスクを解約したという調査もある(MIDiA社調べ。北米・豪州・ブラジル・スウェーデン・韓国が対象 ※2)。

幸い我が国の物価高はデフレと比べればむしろ健全と呼び得る2%台にとどまっているが、海外情勢の後追いを続けている我が国の音楽産業が世界の潮流から逃れることはないだろう。

歴史的に、音楽産業は世界的不況で次の時代に入る

実際、70年代後半に起きたスタグフレーションは世界の音楽産業売上を3分の2に落とし、変革を求める土壌を作った(※3)。結果、世界の音楽産業はレコードとステレオの時代からCDとウォークマンの時代に向かい、90年代には黄金時代を迎えることになった(※4)。

さらに遡れば、エジソンの創出したレコード産業は1920年代、アメリカ株式市場の大躍進とともに初めての黄金時代を経験したが、世界大恐慌と、音楽を無料化したラジオの普及が重なり、文字通り産業が壊滅(※5)。そこから20年余りの歳月をかけて放送とレコードの共存する時代を迎えることになった。

1981年、CDの誕生からそのピークの1999年まで18年。2009年にSpotifyのiPhoneアプリが登場してから今年で13年が経つと考えれば「サブスク」が向かうべきゴールだった時代はこの世界的不況と共にほどなく終わりを告げることになる気がしている。

今回のスタグフレーションも、中露経済と西側諸国のデカップリングの恒常化で長らく続くことになりそうだ。では今回の世界的なインフレが、音楽産業にどのような変化をもたらそうとしているのだろうか?

インフレ換算すると世界の音楽ソフト売上は35%減

図1

2021年、世界のレコード産業売上は前年比18.5%増という記録的な成長を経験した(※6)。そしてCD時代のピークだった1999年の総売上を22年ぶりに超えたことがニュースになった。現在は対となるべきライブ売上がコロナ禍の後遺症に苦しんでいるが、それも来年には回復し、音楽産業は3度目の黄金時代を迎えることは間違いないだろう。

だが、我々の住むこの世界では、ハッピーエンドは常に新たな問題の始まりでもある。8年前、私は世界の音楽産業はサブスクで回復に向かうことになると語ったが、その後、日本に限ってはサブスクだけで解決は迎えられない、と語らざるを得なくなった(※7)。理由は後述する。

その予測は残念ながら当たりつつあるが、私にとっても予想外だったのは、2020年から始まった急激なインフレによって海外も同様の問題が明瞭になったことだった。

1999年から2021年に至るまで、世界経済は累計73%のインフレを経験した。1999年の1億円は、2022年の1億7,200万円に等しいということだ。逆に1億円を22年間そのままにしていたら、実質5,800万円(1億÷173%)に減ってしまったことになる。なお同時期、アメリカでは累計53%、日本では累計5%弱のインフレが起きている。

この世界的なインフレによる通貨価値の下落を勘案したのが、上の図1だ。2022年の世界経済のインフレ予測を記事冒頭の7.5%、音楽産業の成長率を10%と仮定すると、世界のレコード産業売上は285億ドルとなり、1999年のCD黄金期の売上から実に18.3%の成長になる(図1 黒の棒グラフ)。

しかしインフレによる損失を勘案すると、2022年の売上は157億ドル。1999年のCD黄金期の売上からマイナス34.8%になってしまうのである(アメリカのインフレ率で計算した場合マイナス29%)。

インフレ換算したサブスクの適正額は月額1872円

図2

これにはカラクリがある。世界の音楽ソフト売上はCDからサブスクが中心に変わったが、音楽サブスクの料金はそれが誕生した2001年(誤記ではない)に設定された月額10ドル弱から21年後の現在まで値上げしていない。

Spotifyがアメリカに上陸した2011年を世界のサブスク元年と捉えた場合でも、それから11年後の現在に至るまで31%のインフレが世界で進んだ。

つまり今年、月額13.09ドルになってなければ音楽産業は24%近い損をなんとなく受け入れていることになる(図2)。143円/ドルで換算するなら、音楽サブスクは月額1872円で初めてCD時代に並ぶ収益力を得られる(アメリカのインフレ率で計算した場合マイナス21%、適正額は12.66ドルの1810円)。

日本円に換算したのは感覚を掴んでいただくためだが、先に述べたようにインフレによる生活苦でサブスクの解約者が出ているなか、料金を上げるのは厳しいものがある。

日本で起きた「音楽のデフレ」が世界にも襲いかかる

拙著『音楽が未来を連れてくる』(DU BOOKS)のエピローグでも述べたが、日本ではCDからサブスクへ移行する過程で、音楽のデフレが起きた。

世界ではCDが15ドルに対しサブスクが月額10ドル弱、年間でCD8枚分に相当した。一方で、日本では再販制度のおかげでCDは3000円だったのが、サブスク料金は開始当初の月額1980円から1480円、980円と落ちてゆき、年間でCD4枚分と、サブスクの収益力は世界に比して半減していった。

これを「音楽のデフレ」と私は著書で呼び、「日本は世界に先駆けてポスト・サブスクを創出しなければたいへんなことになる」と訴えた。

しかしコロナ禍、ウクライナ戦争、デカップリングの引き起こした急激なインフレは、世界の音楽産業にも同様の問題を突きつけたのである。いや、サブスクの成長で後回しにしてきた「音楽の値付け」問題から遂に目を背けられなくなった、という方が適切かもしれない。

このスタグフレーションは年々続くに連れて、世界の音楽産業を「サブスクの次」へ押しやることになるだろう。その潮流は巡り巡って、日本に押し寄せることになるというのが、私の予測だ。

連載を再開するのはそれが理由である。これから世界のニュース・トピックスを解説しながら、Web3.0ほかポスト・サブスクのかたちを探ってゆきたい。

 

※1 GlobalData, Jul 29, 2022
https://www.globaldata.com/media/business-fundamentals/global-inflation-forecast-rise-7-5-end-2022-driven-food-fuel-energy-supply-chain-disruption-observes-globaldata/
※2 MIDiA, May 25, 2022
https://musicindustryblog.wordpress.com/2022/05/25/the-attention-recession-how-inflation-and-the-pandemic-are-reshaping-entertainment/
※3 榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』(2021)DU BOOKS,月面の章
※4 榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』栄光の章
※5 榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』神話の章
※6 IFPI, Global Music Report 2022
※7 榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』エピローグ

著者プロフィール

榎本幹朗(えのもと・みきろう)

1974年東京生。作家・音楽産業を専門とするコンサルタント。上智大学に在学中から仕事を始め、草創期のライヴ・ストリーミング番組のディレクターとなる。ぴあに転職後、音楽配信の専門家として独立。2017年まで京都精華大学講師。寄稿先はWIRED、文藝春秋、週刊ダイヤモンド、プレジデントなど。朝日新聞、ブルームバーグに取材協力。NHK、テレビ朝日、日本テレビにゲスト出演。

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