ポップス・シンガー ボビー・ヴィーが死去、享年73歳

コラム 高橋裕二の洋楽天国

当ブログで先週の22日、ボブ・ディランの友人のボビー・ヴィーに触れたが、そのボビー・ヴィーが月曜日(10月24日)、ミネソタ州ロジャースのホスピスで亡くなった。5年程アルツハイマー病と闘っていた。73歳だった。アメリカのメディアが伝えている。

音楽業界誌ビルボードによれば、ボビー・ヴィーはシングル・チャートに38曲のヒット曲を送り込んだ。そのうち10曲はトップ20に入った。最もヒットした曲は1961年の「サヨナラ・ベイビー(Take Good Care of My Baby」で、フォーク・グループのハイウェイメンが歌う「漕げよマイケル」を蹴落としてビルボード・シングル・チャートの1位になった。その数年前にボブ・ディランはボビー・ヴィーのバンド、シャドウズに参加し、ピアノを弾いた。ボビー・ヴィーのオーデションに受かったからだ。自伝にこう記している。

「ボビー・ヴィーはわたしの故郷からさほど遠くないノースダコタ州ファーゴで育った。59年の夏には、ヴィーが地元のレーベルから出した「スージー・ベイビー」が付近の地域でヒットした。わたしはヒッチハイクでファーゴに行って話をし、シャドウズと呼ばれていたヴィーのバンドにピアノ弾きとして入れてもらい、教会の地下室などでおこなわれた地元のショーで演奏した。

進む方向は分かれたが、ボビー・ヴィーとわたしのあいだには共通点が多い。同じ音楽的背景を持ち、同じころ同じような場所で大きくなった。彼もまた中西部を出て、そしてハリウッドを目指した。ボビーの声は金属的な鋭さを帯び、銀の鐘のように音楽的で、バディ・ホリーの声にさらに深みを与えたようだった」

「サヨナラ・ベイビー」のヒット後、ニューヨークでコンサートをやっていたボビー・ヴィーに会いに行く。自伝でこんな風に書いている。

「彼は今や山の頂上に登りつめていた。光沢のあるシルクのスーツに細いネクタイという姿で外に出てきた。ボビーは前と同じように気さくで、わたしに会えたことを心から喜んでいるようで、驚いたそぶりさえ見せなかった。わたしたちは少しのあいだ話をした」

「ボブ・ディラン自伝 (菅野ヘッケル:訳 ソフトバンク・パブリッシング)」より抜粋・引用した。

ちなみに「サヨナラ・ベイビー」はビートルズがデビュー前、デッカ・レコードのオーデション用にレコーディングした。商品化されている。曲は新進気鋭のジェリー・ゴフィンとキャロル・キング夫妻が書いた。

記事提供元:洋楽天国


高橋裕二氏インタビュー

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