作曲家ロッド・テンパートンが死去、マイケル・ジャクソン「スリラー」など作曲

コラム 高橋裕二の洋楽天国

マイケル・ジャクソンの「スリラー」を書いたロッド・テンパートンが先週亡くなったと、ロッドの楽曲を管理するワーナー/チャペル音楽出版が明らかにした。癌との闘病生活だった。享年66歳。イギリスのメディアが伝えた。

ロッド・テンパートンはイングランドのリンカンシャー州マーケット・ラーセンの出身。地元のDe Astonスクールに進学する。この学校にはこの時期、後にエルトン・ジョンと曲を共作する同い年のバーニー・トーピンがいた。ロッドは最初友達とドラムを叩いていたが、後にキーボードに変えた。プロ・ミュージシャンを目指し、メロディー・メーカー誌のオーディションを受ける。ロッド・テンパートンがオーディションに合格したのは「ヒートウェーブ」というダンス・バンドだった。

ロッドが書いたヒートウェーブの「ブギー・ナイツ」は、1977年ロッドが20歳になったばかりの11月12日、ビルボードのシングル・チャートで2位になる。その後バンドから抜けたロッドは作家活動に専念、主にダンス/ファンク系のアーティスト、ルーファス、ブラザース・ジョンソン、ハービー・ハンコックそしてクインシー・ジョーンズに曲を提供した。その縁でクインシー・ジョーンズのプロデュースのもと、ロッド・テンパートンはマイケル・ジャクソンの為に曲を書く事になる。

「オフ・ザ・ウォール」用に「ロック・ウィズ・ユー」、「オフ・ザ・ウォール」、「ディスコで燃えて」の3曲、「スリラー」用に「ベイビー・ビー・マイン」、「レディ・イン・マイ・ライフ」そして「スリラー」の3曲を書いた。「スリラー」は録音スタジオに行く途中のタクシーの中で書いたというエピソードがある。しかしこれは事実ではないようで、ロッド・テンパートンは英BBCラジオのインタビューに、マイケル・ジャクソンが選ぶために300曲も書いたと答えている。

マイケル・ジャクソンの他にも、ドナ・サマー、マライア・キャリー、アレサ・フランクリン、マンハッタン・トランスファー、ジョージ・ベンソンと多くのアーティストに楽曲を提供した。音楽業界の表には殆ど姿を現さなかった。ハリウッドの高級住宅地に家があり、隣組にはジョージ・クルーニー、ジャック・ニコルソン、ブルース・ウィリスの家があった。引退後は故郷のマーケット・ラーセンにあるセント・トーマス教会でオルガンを弾く日々だった。

記事提供元:洋楽天国


高橋裕二氏インタビュー

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